第2話:デッデデレレ~レ~♪ウィ~ルスハンター!
大地も空も、どこまでも線が続く。
不可思議な感覚だ。それでいて目がチカチカとする。
電脳世界とはあくまで、架空のものという認識が一颯には強くあった。
(なんていうか……殺風景だな。後、目がチカチカしやがる――)
と、頭上をさっきから高速で駆けていく光を一颯は訝し気に見やった。
ザザッ――不意に走るノイズ音に、はたと一颯が腰元を見やる。
「トランシーバー……か、これは」
一颯が何気なくひょいと手に取ると、まるでタイミングを見計らったかのように――
「……あ~あ~……どうじゃ? 聞こえるかね」
「アンタか」
「おぉ、どうやら無事成功したみたいじゃな」
姿はどこにもなく、トランシーバー越しより聞こえるその声はとても嬉し気である。
子供のようにはしゃぐ姿が容易に想像できて、何故だか無性に腹が立ってくる。
眉間にシワを寄せる一颯を他所に、白衣の男が言葉を紡ぐ。
「それじゃあ今から君に依頼するのは、君のスマホに感染させたコンピューターウィルスの除去だ。ナビゲートするから指示通りに進んでくれたまえ」
「ちょっと待ってくれ」
一颯は訝し気な顔のまま、青くも黒くもない、無機質な空を見上げた。
なんとなく、空からあの人の神経を逆撫でする顔で見ている、そんな気がして仕方がない。
「コンピューターウィルスを除去しろって言われても、具体的にはどうやってするんだ?」
具体的にどうすればよいのか。それは、科学者でない一颯には皆目見当もつかない。
何かしらの方法はあるのだろう、がよもや素手ではあるまいな。
実態のない概念を素手でどうこうする己の姿を想像して、さすがにありえまいと一颯は自嘲気味に小さく笑う。
「それなら安心してほしい。今そちらにデータを転送している」
「データ?」
一颯は繰り返して尋ねた。
彼がそうと言い切るよりも早く、一颯は己の右手が眩い光に包まれたことにハッとする。
光はやがて形を変えて、次にはずしりとした金属の重みへと得る。
一丁の銃が何もない空間より出現して、今は一颯の手の中にある。
種類は突撃銃に部類されるだろう。
ブルパップ式で形状だけならば、イスラエルのIMI社が製造したTAR-21に近しい。
奇しくもTAR-21は一颯が突撃銃の中でもっとも好む数少ない実銃の一つでもある。
(こいつは、偶然なのか?)
むろんこれが必然でないことは一颯も重々理解している。
単純に自身の好みと合致しただけ。白衣の男に他意はきっとあるまい。
ずしりと程よい重みは、仮想空間上でもしかと一颯に伝える。
その重さこそ、ここが現実となんら大差ない空間だと言う認識を一颯に植え付けた。
「そのアサルトライフルはこの世界限定品じゃ。装弾数は60発、射程距離はおよそ600m前後、単発に三点バースト、フルオートの切り替えも可能な代物じゃ。後リロードは弾倉を外したものを再装填すれば再び補充される」
「この世界ならではだな。現実世界だったらチートものだぞ、これ……」
「まぁまぁ。なんならガトリング砲とかの方がよかったかの?」
「いや、さすがにそれは」
どれだけ強大な武器も扱えてはじめて進化を発揮する。
アサルトライフルでさえ、うまく扱えるか一颯には欠片ほどの自信もない。
「そう言えば――」
ふと湧いた疑問に一颯は虚空へと尋ねる。
「ウィルスを除去するのはわかったけど、変な話……ウィルスから反撃されるなんてことは?」
「あるじゃろうな」
あっけらかんと言い放った白衣の男。
相変わらず情報がすべて後出しばかりに、いい加減一度殴ってやろうかとも思う。
「――、刀はないのか?」
「刀?」
「そう、刀だ。どうせデータなんだからそれぐらい簡単だろう」
どうせだったら質が極めて良いやつがいい、とも付け加える。
一颯の、もとい大鳥家は室町時代――代々剣術家としてその名を馳せた。
しかし時の流れとは無常である。
剣術はもはや過去の遺物で、現代においては特に必要性もない。
ここはもう、戦国の世ではない。剣はどこで、誰に振るえばよいのか。
一颯の父が正しくそれで、それで剣ではなく資産家への道を取った。
一颯は、そうは思わなかった。
刀を産まれてはじめて振るった時。
心がいつになく高揚したのは、つい昨日のことのように一颯はしかと憶えている。
齢17歳――師範代と言う重荷を背負うに、若人の一颯にはあまりにも早すぎて、しかし――
「刀も用意してもらえると助かる」
「ふむ……日本刀か。それだったら、どんなのがいい?」
「データだけで言えば、やっぱりアレだな」
「アレとは? 君、その若さでアレとかコレとかで片づけたら駄目な大人になるぞ」
「余計なお世話だ。それで、俺が用意してほしいのは村正なんだけど、できるか?」
少し、意地の悪そうに一颯はにしゃりと笑う。
千子村正と大鳥家とは実はかなり濃密な関係にある。
妖刀である、と世間が騒ぎ立てる頃の前から大鳥家では村正の刀を愛用していた。
なんといってもこの村正、酷く恐ろしいぐらいよく斬れると評判の刀だ。
南蛮鎧でさえも真っ二つに斬ったのも、後にも先にも千子村正のみ。
「どうだ? 用意できそうか?」
もう一度、挑発する気持ちで一颯は尋ねる。
数秒と経たずして、手中を覆う光は一振りの太刀へ姿形へと変えた。
造りは朱漆打刀拵え、刃長はおよそ二尺二寸二分と湾れ刃の刃文が極めて美しい。
うっすらと紫色を帯びた刀身の輝きは、妖刀と総称されるに相応しいどこか妖艶な雰囲気も兼ね備える。
「紛れもなく、こいつは村正だ」
と、軽く振るう一颯の口元はかすかにだが緩んでいた。
「それじゃあ早速現場に向かってくれたまえ。位置は君が今見ている方向へ約500m先じゃ」
「わかった――」
もっと、何か仕掛けでもあるかと思いきや。
案外すんなりと到着して、一颯がそれを見やる眼差しは実に怪訝そうである。
「こいつが、ウィルスか?」
一颯はアサルトライフルの銃口をソレへと向ける。
(こいつぁ、まるでエイリアンみたいじゃないか……!)
ウィルスとは名ばかりの、異形の姿にはさしもの一颯も経験がないだけに大きくたじろいだ。
しかし、恐怖は一颯にはこれっぽっちもない。
憐れにも策略にはまり感染した己のスマホを救うと言う使命感が、一颯を突き動かす。
銃は海外のものという認識が根強く、エアガンですらも早々触れる機会などない。
慣れない得物を使うことへの躊躇いと戸惑いが織り交ざる中で、一颯はそれでも銃口を構える。
ばりばり、ぼりぼり。
侵食は、どちらかと言えば食事と表現した方が今回においては極めて正しい。
(奴ら、こうやってデータとかを侵食しやがるのか)
引き金を軽く、クイッと引く。
たちまちけたたましい炸裂音が幾重にも連なって、硝煙の匂いが辺りに立ち込める。
銃口から激しく吹く火花で目はチカチカとして痛い。
一颯は、こんなものを常日頃から使っている奴の気が知れない、とそう思った。
異形の怪物は、有機物ではないので血も出ない。
身体に銃痕がぼこぼこと、血の一滴もなく小さな粒子となって消失した。
「ほっほー。素人じゃがなかなかいい腕前をしておるの」
「それは――」
続いて、攻撃仕掛けてきた異形の怪物を除去する。
「ゲームセンターだったらいつだって遊べるからな」
日本で満足に銃を扱える場所など、その辺りぐらいしか一颯は知らない。
もっとも、ゲームでは反動も銃声も比較的軽いものではあるが。
(これだったら、刀を使うまでもないか)
と、一颯はトリガーを定期的に引いて、最後の一匹を駆除した。
敵影は、現時点ではもう誰一人いない。
ぽつん、とこの殺風景極まりない空間の支配者は、一颯一人だけ。
思いの他あっさりと終わってしまった、と内心ではやや不満気味でもある。
(これは、なかなか面白い仕事じゃないか)
一颯は歴とした、特殊な力も何もない平凡な一人間である。
自分の五体をフルに活動させて仕事に励むことに、心がいつになく高揚するのを一颯はどうしても抑えられない。
もっと、もしかするとまだどこかに潜んでいるやもしれぬ。
殺風景極まりない仮想空間に、隠れる場所などあるはずもなし。
それは一颯も最初からわかりきっている。
つまりは、単純に淡い期待を寄せただけにすぎない。
「やはりか。ワシの思った通りじゃったな?」
「どういう意味だ?」
「君を被験者として正解じゃった、ということじゃよ大鳥 一颯くん」
「どうして――」
名前を知っているのか。一颯は虚空をキッと睨む。
日雇い契約だから履歴書の類は一颯も一切用意していないし、何よりもまず互いに名乗ってすらいない。
どうせ今日で別れる間柄なのだから、名乗ることに差して意味もまぁあるまい。
それがどうして、どうやってこちらの素性を調べたのか。
一颯の疑問は、至極真っ当なものだと言えよう。
「前々から君のことは知っておったよ。鬼鉄一刀流をわずかその歳で修めた若き天才剣士、生まれた時代が違えば英雄として世に名を轟かせていよう……君の存在は有名じゃぞ?」
「そうなのか?」
よく、わからないというのが正直なところ。
人気と白衣の男はこう宣うが、そうと自覚できるだけの出来事は皆無である。
「君ほどの男ならば、絶対にワシの発明を上手に扱ってくれると信じておった。だからあの求人も、君だけに見えるように貼っておいたんじゃよ」
「なるほど……まぁ、確かに最初は怪しかったけど。なかなかいい体験をさせてもらったのは事実だ」
もう、長居は無用である。
くるりと踵を返そうとして、だが視界の隅でチカチカとなんだか眩い光が一颯の気を引き留める。
「あれは……?」
「どうかしたのかね?」
「いや、ちょっとな」
光の球体が、驚くほどすぐ先でぷかぷかと浮いている。
太陽のようにとても眩いくせして、不思議といつまでも見ていられる光の球体だ。
一颯がそれを何気なく、何故こうも吸い寄せられるように見入るか。
それは本人でさえもよく理解できないまま、ぼんやりと眺めていた時である。
――……さま。
「おい」と、一颯。
「どうかしたのかね?」
と、意外すぎるぐらい早くトランシーバーから返答があった。
白衣の男の言霊には、確かな疑問の感情が宿っている。
「今、俺に何か話しかけたか?」
「いや、何も話しかけておらんぞ?」
「そんなまさか。だって今も――」
――……ちょう様。
どこからともなく聞こえるその声だが、一颯の視界に声の主らしき姿はない。
まさか、と。一颯ははたと目の前の光の球体の方を見やった。
――……団長様。
「声が、聞こえる……」
「なんじゃって?」
「いや、だから声がさっきからするんだよ。この光の球体から!」
「そんな、まさか……」
百聞は一見に如かず、百閒は一色に敷かず。
あの機械は一人用にして、一人分しかない。
滞る情報伝達がもどかしさを憶えた一颯は、どうしたものか。小首をはてとひねった。
それと、ほぼ同時である。
「うわっ!」
光の球体からいくつもの、細い腕が伸びる光景は恐怖の一言に尽きよう。
至る箇所を掴まれた一颯は、逃げ出そうとも多勢に無勢。
めきりと骨が軋み肉が傷みを激しく訴えるほどの万力が、一颯の身体を締め上げた。
「ぐがっ……!」
痛いのには、慣れている方だった。
それこそ剣の稽古で骨折なんてものは、一颯の日常ではごくごく当たり前であったし、なんなら打ち所が悪くて気絶した回数ももはや正確に憶えてすらいない。
「どうしたのかね一颯くん! いったい何が……!」
「こ、これは……」
光の球体へと吸い込まれる、その刹那である。
「――、もう絶対に離しませんからね……私の、私達だけの団長様」
「……その……声、は……」
遠ざかる意識に、一颯はどうすることもできない。
暗くてとても深い、されど心地良い深淵へと意識を委ねた。