第六話 アダムス男爵邸訪問
打ち合わせが終わり、班はその場で解散となった。談話室にいるのは、男爵を訪問する予定の私とクラーク。そして何故だかチェイサーもその場に留まっていた。
「なんで君も残っているんだい、バート?」
クラークは腕を組んで不思議そうに首を傾げた。その目はまっすぐチェイサーに向けられている。
「仕方ないだろ。お前たちを二人きりで行かせるなって圧がすごかったんだから」
チェイサーは青ざめた顔で返事をすると、何かを思い出したかのようにぶるりと身震いをした。
「圧って?」
「お前なぁ! あの空気に気づかなかったなんて言わせないぞ!!」
チェイサーはクラークに掴みかからんばかりに身を乗り出し、その後にぼそりとつぶやいた。
「冗談抜きで、令嬢たちに呪い殺されるかと思った……」
ただならぬ空気は、私も同様に感じていた。
スケジュールの再検討をしている間ずっと、令嬢たちの視線はクラークと私に注がれていたんだもの。じっとりとした悪意に炙られているような感覚で、すぐにでも逃げ出したくなるのをこらえるので精一杯だった。
私の感じた悪意とは別に、彼は彼で、令嬢らの「なんとかしろ」という念を受け取っていたんだろう。チェイサーは必死な形相でクラークに進言した。
「とにかく、アダムス卿の訪問には俺も同行する。というか、頼むから行かせてくれ」
「まあ別に僕はいいけど、アメリアはどう?」
涼し気な表情でクラークがこちらを見る。
「問題ありません」
思わず即答した。
クラークと二人きりだなんて死んでも嫌だ。私としても、第三者を間にはさめるのならそれに越したことはない。ただそれが、チェイサーであることは少し気になるけれど。
「そう。僕としては少し残念だけど、君たちがそう言うなら仕方ないね」
クラークが微笑みながら言う。人のいい顔つきで笑っているが、どうしても裏があるように思えて身構えてしまう。
どうしていちいちそんな言い方をするのかしら。これ以上火に油を注ぐ様なことはしたくないというのに。早くこの会話を終わらせたくて、急いで口をはさんだ。
「男爵のお時間を無駄にするわけにはいきませんから、質問は厳選する必要がありますわね」
その言葉に、二人の顔つきが急に引き締まった。
「その通りだね。一時間程度に収めるほうがいいと思うよ」
「ご高齢だし、あまり長居するわけにもいかないだろうからな」
あまりの態度の変わりように、一瞬あっけにとられる。
まるで共通点がないようなふりをして、こういうところは似ているのね。いけ好かないところは多いけれど、根本にある誠実さはこの二人の評価できる点だ。
なんとなく毒気を抜かれてしまい、おかしさがこみ上げてくる。
(幼いころからの友人というのも、まあ理解できるわね)
そんなことを考えながら黙ったまま二人を見遣ると、チェイサーとクラークが奇妙な顔つきでこちらを凝視していた。
な、なに? 顔に何かついてる? 慌てて手のひらで口元を覆ってみたけれど、二人はまだ硬直したままだ。
「なんですか? 人の顔をじろじろと見て」
「いや、えーと」
チェイサーは二、三回瞬きをした後、躊躇うように視線を逸らした。なにかしら、彼の顔がちょっと赤いような……。さらに問い詰めようと口を開くより前に、クラークが平然と言い放った。
「アメリア、今すごく変な顔していたよ」
「は?!」
信じられない言葉に思わず目を剥く。聞き間違いじゃないわよね? まさか、侯爵家の子息ともあろう者が、女性に向かって『変な顔』と言ったの?
でもどうやら聞き間違いではないらしい。チェイサーですら、ギョッとした顔でクラークを見つめている。
前言撤回! こんなやつを誠実だと認めた自分が馬鹿だったわ。あまりの怒りに、次の言葉が出てこない。
「レオ、それはさすがに失礼だろう」
戸惑いを隠しきれない様子で、チェイサーが間に入る。それでもなお、クラークは先ほどの言葉を覆そうとはしなかった。エメラルドの双眼をぎりぎりと睨みつけると、クラークは困ったように眉尻を下げた。
「ごめん、怒らせちゃったみたいだね。打ち合わせはまた今度にしよう」
「おい、レオナルド!」
チェイサーが止めるのも聞かず、クラークは早々に部屋を立ち去った。それを追いかけようとドアノブに手をかけると、チェイサーはこちらを振り返って申し訳なさそうに首を垂れた。
「すまない、サリバン嬢。あいつの非礼は俺が謝る」
(あなたが謝ったからって、なんだっていうのよ)
抑えきれない怒りに唇が震えて、ぎゅっと嚙みしめる。その様子を見たチェイサーは、切れ長の目を伏せると静かにその場から消えた。
* * *
許さない。許さない。許さない。絶対に、許すもんか。
豪奢な馬車に揺られながら、窓の外の一点だけをじっと見つめる。向かいの座席にはクラークとチェイサーが並んで座っていた。居心地の悪そうなチェイサーに対し、クラークはまるで何もなかったかのように笑顔を崩さない。
次の日、クラークは私を個室へ呼び出し謝罪を申し出てきた。おそらくチェイサーに諭されたに違いない。心から悔いているようには見えなかったけれど、非の打ち所のない謝罪の言葉に、それ以上波風を立てるわけにはいかなかった。
なぜなら、私がクラークに呼び出されて謝罪を受けた噂はあっという間に広がることが目に見えていたからだ。その上で彼の謝罪を断ってしまったら、『誠実な謝罪を受け入れられない狭量な女』として評価されてしまう。そんなのは我慢ならなかった。
なにより、せっかくのアダムス男爵のお話を聞けるチャンスをふいにするなんてできない。今日さえ終わってしまえば、もう彼らに関わることなんてないんだから。
それでも、いまだに胸の内がむかむかするのはどうしようもないわよね。表情には出さぬよう注意しながら、内心でふん、と鼻を鳴らす。
(謝罪を受け入れるのと、許すっていうのは別なのよ)
アダムス男爵邸へ到着するまでの数十分の間、馬車の中は誰一人としてものを言わず、規則的な車輪の音だけが響いていた。
男爵邸へ着くと、入口からほど近い来賓室へ通された。倹約家として知られるアダムス卿らしく、華美なものは一切置いていなかったけれど、手入れの行き届いた家具ばかりで不思議と居心地がいい。
きょろきょろと辺りを見渡したい気持ちをぐっとこらえ、おとなしくソファに座ったまま男爵がいらっしゃるのを待った。
聞いてみたいことはいくらでもある。けれど時間に限りがあるので、質問は『農地の運営』についてにのみに絞ってあった。頭の中で復唱していると、部屋のドアがノックされ、慌てて立ち上がる。
フットマンが扉を開けて礼をすると、その後ろから白髪と長いひげを蓄えた老人が現れた。杖をついてはいるけれど、背筋は全く曲がっていない。皺の刻み込まれた目元は、老齢の落ち着きとともに、物事の真偽を見定めるような鋭い光を湛えていた。
テーブル越しにアダムス卿が向き合うのを待って、クラークが開口一番に挨拶をする。
「アダムス卿、本日はお時間をいただきありがとうございます。レオナルド・クラークです」
それに続けて、チェイサーと私も自己紹介をする。
「アルバート・チェイサーです」
「アメリア・サリバンと申します。お会いできて光栄ですわ」
本当はもっと気の利いたことが言えればよかったけれど、心臓がばくばくと脈打ってそれどころではなかった。
男爵は口元を緩めると、ソファに深く腰掛けた。それに合わせ、私たちも静かに着席する。と同時に、暖かい紅茶が運ばれてきた。
「よく来たね、私はジャック・アダムスだ」
心地よいバリトンの声を響かせ、先ほどとは打って変わった、新しいものを楽しむ好奇心に満ちた目をこちらに向ける。
「さて、私に何が聞きたいのかね?」
話がなかなか進まず申し訳ありません……。