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第五話 悪役令嬢は英雄から逃げられない

 

 その日は班全体で集まって、課題のすり合わせをすることになっていた。


 講義が終わり談話室に入ると、まだ人はまばらで銘銘に話をしている。が、私が現れたのを見ると、急に声を落としてひそひそと囁きだした。


 いつものことだけど、本当に不快だわ。


 向けられる視線を無視して、部屋の真ん中に置かれたソファに座る。本当なら足を投げ出してやりたいところだけど、それは流石にやめておいた。


 改めて室内を見回す。どうやら、チェイサーもクラークもまだ到着していないようだった。


(そういえば、一昨日の帰り際はおかしくなかったわよね?)


 心の中で自問する。


 チェイサーに腕を掴まれてからの記憶が曖昧なせいで、どうにも気持ちが落ち着かない。


 だって、彼のあんなにも慌てた顔なんて初めて見たし、思ったよりも手が大きいな、とか、二の腕は一番のコンプレックスなのに、とか、いろんなことが一気に頭を駆け巡って、パンクしてしまいそうだったんだもの。とっさに、何か見当違いなことを言った気もする。


 いくら考えても思い出せず、私は大きく嘆息した。


 その時、周囲がざわめいた。クラークとチェイサーが部屋に入ってきたのだ。


(あっ)


 チェイサーと視線が合ってしまいそうになり、意識的にクラークに焦点を移す。何故かは分からないけど、今チェイサーの目を見るのは危険な気がした。


「お待たせ。僕たちで最後かな?」


 クラークはぐるりと部屋を見渡すと、最後に私の方に目を向けた。視線を逸らすのも(しゃく)で、じっとその瞳を睨み返すと、クラークはふわりと笑った。


「じゃあ、進捗確認から始めようか」





 それぞれの報告が終わると、私は人知れずほっと息をついた。


 心配していた遅れはそれほどなく、リカバリー可能な範囲だった。悔しいけど、クラークの采配が効いているんだわ。これなら期限内に課題は完了するだろう。


 メモを取りながら今後のスケジュールを考えていると、クラークが静かに立ち上がった。


「最後に僕から発表があるんだ」


 もったいぶった物言いに、それまでがやがやとしていたメンバーが耳を傾ける。クラークはこほん、と咳ばらいをすると芝居がかった口調で続けた。


「なんと、アダムス男爵とお会いできることになったんだ」


 しぃん、とした静寂のあと、教室は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。


「えっ、それって()()?」

「有名なバロン・アダムス?」

「あの人ってまだ生きてるの?」

「ばか、まだご存命だよ」


 騒ぎ立てる聴衆に向かってクラークが手を挙げると、また辺りは静かになった。


「ちょうど今、男爵が王都に来ているらしい。今回の課題についてご意見を聞きたくて無理を承知でお願いしたら、快諾いただいたんだよ」


 わあっと歓声が沸く。その声をどこか遠くに聞きながら、私は興奮を抑えきれなかった。


(まさか、本物に会えるの?!)


 アダムス卿は豪商の生まれで、お金で爵位を買った一代男爵だ。ともすると揶揄されがちな立場だけれど、彼の偉業は誰も貶めることができないほど素晴らしいものばかり。国の英雄といえば、第一にクラークの曽祖父の名前が挙がるけれど、私としてはアダムス卿の成し遂げたもののほうがずっと価値があるように思う。


 例えば、爵位とともに買った小さな領地は、十年で三倍もの石高となった。深刻な疫病が流行った時も犠牲者を最小限に抑えたし、その際に開発された薬は廉価で販売され、今も国中で利用されている。その他諸々、かの偉人の業績は枚挙にいとまがないのだ。


 ご高齢で長らく領地で過ごされている上、気難しい方だということで有名だったので、実際にお会いすることは叶わないと思っていたのに。


 今回はさすがにクラークの功績を認めざるを得ない。だってあのアダムス卿との約束を取り付けるなんて! 恍惚に浸っていると、甲高い声が耳に響いた。


「さすがレオナルド様ですね!」


 見れば、一人の令嬢がクラークにすり寄っている。そしてちらりとこちらに視線を向け、勝ち誇ったように目を細めた。


 あれは確か、コレット伯爵家のマリー嬢だわ。先日、レオナルドのことを潤んだ瞳で見上げていた令嬢だ。


 なぜあんな顔で私を見るのかわからないけど、全くもって気に入らない。こちらも負けじと睨みを利かせると、コレットは一瞬怯んだものの、瞳を逸らすことなく見返してきた。


 私たちの攻防を知ってか知らずか、クラークはコレットから離れ、絡んだ視線を断ち切るように私の前に立つ。


「ただ、大勢で押し掛けるわけにはいかないからね。僕を含めた二、三人で訪ねるつもりなんだ」


 距離を取られたことに不服そうなコレットが、再び彼のそばに寄り添って鼻にかかった声を出した。


「それならぜひ私が行きたいです! アダムス男爵には一度お会いしたいと思っていたんです」


 上目遣いでクラークの顔を覗き込む様子を見て、私は呆れ返ってしまった。なるほど。彼女はクラークが目当てなのね。それならば先ほどの敵意にも合点がいく。


 ここ数日でいくらか和らいできたとはいえ、グループ分けのときに感じた嫉妬の視線は、今もなお私に張り付いて離れなかった。あれはおそらく彼女のものだったんだわ。


 今回の訪問に同行すれば少しでもクラークとの距離を縮められると思ったのだろう。しきりにアダムス卿を褒め称えながら、必死についていこうとしている。


 でも、そんな不純な動機で卿に会いたいだなんて余りにも失礼すぎる。とても許されるものじゃないわ。メラメラと怒りが湧いてきて、両手のこぶしに力が入った。


 その時、抑揚のないクラークの声が低く響いた。


「コレット嬢、アダムス男爵の著書を三冊すべて言えるかい?」

「え? え、と」


 突然尋ねられたコレットは、困ったように瞼を瞬かせた。媚びるように首を傾げ、クラークをまっすぐに見上げる。


 そんな彼女を、クラークは無言で見返した。微笑を浮かべているはずなのに、温かさが微塵も感じられない。そこには言い訳などさせない凄みがあった。


「……存じません」


 ついにコレットが折れた。瞳を伏せ、しゅんとした態度の彼女から目を離し、そのままクラークはこちらを見た。


「アメリアは、知ってる?」


 その挑発的な目に、思わずカッとなった。


「馬鹿にしないでください。自慢ではありませんが、アダムス卿の本は『農村革命』、『覚悟』、『次代へ繋ぐ』、全て読みましたわ。男爵領の年鑑だって読んだことがありますし、何なら彼がモデルのフィクション『バロン』だって愛読してるわよ!」


 男爵への敬愛の情を疑われた気がして、一気に捲し立てる。最後にうっかり口調が乱れてしまったことは、この際気にしないわ。


 ただならぬ私の様相にあっけに取られる周りとは逆に、クラークは満足そうに顔を綻ばせた。


「やっぱり、この中で男爵について誰より詳しいのはアメリアだね。これほどの適任は他にいないし、今回は僕とアメリアで訪問することにしよう」

「な……」

「日程の調整は後でするから、先に二人で質問事項を考えようか」


 また嵌められた。男爵に会えるのは嬉しいはずなのに、心の底から喜べない。


 コレットは先ほどよりも酷い顔つきでこちらを睨みつけているし、他の令嬢の表情も似たり寄ったりだ。


(どうしてこうなるのよ……)


 課題が終わるまではクラークとの接触はなるべく避けるつもりだったのに。この事態を避けきれなかったのは自分が悪いのだろうか。


 力が抜けてしゃがみ込みそうになるのをなんとかこらえ、視線をグッと上げると、そこにはチェイサーがいた。


 その顔は、憐れなものを見る目つきそのものだった。






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