第四話 図書館で見る彼女 (アルバート視点)
適度な揺れっていうのは、なんでこんなに眠気を誘うんだ。ガタガタという振動を身体に感じながら、俺は首をぐるりと回した。
我が家の馬車はかなり年季が入っていて、走るたびにぎしぎしときしむ音がする。さほど気にしているわけではないが、毎回眠くなるのだけはなんとかならないだろうか。落ちてくる瞼に逆らえず、車内の背もたれに頭を預け睡魔に身を委ねる。
ぼんやりとした意識の中で、昨夜の妹の言葉がふとよみがえってきた。
「私、そのアメリア様とお話ししてみたいわ。趣味が合いそうだもの」
図書館での出来事を話して以来、妹のソニアはサリバン嬢に興味津々のようだった。無理だと突っぱねると、不思議そうに首をかしげる。
「どうして? 兄さまと一緒の班なのでしょう? ちょっと言伝てくれるだけでいいの」
さも簡単なことのように言い放ち、俺の握るカードに手を伸ばす。
家で家庭教師をつけて学んでいるせいか、この妹は学園内の事情があまりよく分かっていないようだ。その世間知らずなところが良さともいえるが、こういう時ばかりは厄介で仕方がない。
「俺とサリバン嬢は頼みごとをできるような間柄じゃない」
渋い顔をする俺のことなど全く意に介さず、ソニアはにっこりと笑ってカードを一枚抜き取った。
「じゃあ、このゲームで私が勝ったら、お会いしたいですって伝えてきて?」
振動が止まったのでうっすらと目を開けた。どうやら学園に到着したらしい。もっとゆっくり走ってくれてもよかったんだが、まあ仕方がない。重い腰を上げて扉に手をかけた。
外に出ると、ひんやりした空気が頬を撫でる。浮かんでくるあくびを嚙み殺していると、後ろから声がした。
「おはよう、バート。なんだか眠そうだね」
振り返れば、レオナルドが爽やかな笑顔でこちらに歩いてくる。朝っぱらだというのに、全く隙のない完璧な姿だった。通り過ぎる令嬢がちらちらと熱い視線を送っているが、一向に気に掛ける様子はない。
(あの視線に気づいてないわけじゃないんだろうけどな)
毎日のことだからいちいち反応してられないんだろう。俺の隣に並ぶと、レオは歩を緩める。
「夜更かしでもしたのかい?」
「ソニアとカードで白熱しすぎた」
「相変わらずの溺愛ぶりだね」
「気持ち悪い言い方しないでくれ」
「仲が良くてうらやましいってことだよ」
二人で軽口をたたきながら建物内へと向かう。教室のドアをくぐろうとしたとき、レオがからかうように言った。
「で、どっちが勝ったの?」
「……本気を出したあいつに俺が勝てるわけないだろ」
そう、俺は見事に負けてしまったんだ。
* * *
最終時限が終わるなり、サリバン嬢が俺のもとにやってきた。
「チェイサー様、少しよろしいかしら」
その顔は人形のように無表情で、じっとこちらを見上げている。
(おいおい、表情筋どこにいったんだよ)
なんだかいつも以上に怖い、というか強張った顔をしている。いや、違うな。どこか緊張していると言った方がいいのか……?
こんなにも真正面からサリバン嬢を見るのは初めてだったので、思わずその顔を凝視する。
まっすぐ俺を見上げる瞳は、透き通るようなブルーだった。ややつり目がちな目を長いまつげがぐるりと縁取っている。まさに人形のようだ。整った顔立ちをビスク・ドールに例えることがあるが、その表現は彼女にぴったりのような気がした。
「聞いていらっしゃいますか?」
サリバン嬢の声にはっと我に返る。彼女は先ほどまでの無表情から一転、眉間に皺を寄せてこちらを見ていた。
「えっと、悪い。聞いてなかった」
サリバン嬢はわざとらしくため息をつくと、語調を強めた。
「今日は資料を集めに国立図書館に行きたいと言ったんです」
「図書館か……」
なんとなく口に出してつぶやくと、彼女は急にうつむいて小さな声で言った。
「嫌なら私一人で行きますから、ご心配なく」
「は? 行くに決まっているだろ。君一人の課題じゃないんだから」
いつものように強い調子で返すと、サリバン嬢は弾かれたようにおもてを上げた。
「……っ!」
思わず息を呑む。こちらを見つめる目がほんの少しだけ潤んでいるように見えたからだ。
何か変なこと言ったか? いつもならここぞとばかりに言い返してくるはずなのに、いつまでたっても反撃が来ない。
「では私は先に向かいますね」
「あ、ああ……」
内心焦りまくっている俺に気づく様子もなく、サリバン嬢は背を向け歩き出した。
図書館に到着すると、彼女はすでに入口に立ち俺が来るのを待っていた。小走りで近づき声をかける。
「さすがサリバン侯爵家の馬車は足が速いな」
「別に普通です」
遅れたことを誤魔化すように笑うと、サリバン嬢は呆れたような顔をこちらに向けつつ、カバンから取り出した用紙を差し出した。
「必要な本を分類ごとにリストにしてあります。手分けして探しましょう」
紙切れを受け取り、目を通す。
これを昨日のうちに準備したんだろうか。なんていうか、彼女は基本、真面目なんだよな。うっかりカードゲームで夜更かししてしまったことが急に後ろめたく感じられた。
「じゃあ俺はこっちの方から探すから、君は向こうの棚を頼む」
俺の言葉に異論はなかったようで、サリバン嬢はこくりとうなづくと指さした方向へ歩き出した。が、ふと思い立ってその背中を呼び止める。
「あ、サリバン嬢」
「?」
「重い本があったら呼んでくれ。俺が運ぶから」
罪滅ぼしを兼ねた申し出に、サリバン嬢は目を丸くした。よほど驚いたのか、振り返った体勢のまま固まってしまっている。そしてしばらくは俺を見ていたが、ふいに目を逸らして言った。
「私一人で大丈夫です。まずはご自分の担当をしっかりやってくださいね」
相変わらず愛想のない物言いだったけど、声音にはいつものトゲがなかった。ひょっとしたら彼女自身も、対応に困ったのかもしれない。
(慣れないことをいうもんじゃないな)
俺は頭を軽く掻くと、作業に取り掛かった。
「こんなもんか」
集めてきた資料を閲覧席のテーブルに重ねると、大きく息をついた。サリバン嬢が厳選してくれたとはいえ、こうやって見るとだいぶ量がある。思わずため息が漏れた。
「これを全部借りるのか」
俺のうんざりした声をよそに、サリバン嬢はテーブルと同じラタン製の椅子に腰を下ろした。ぱらぱらとページをめくり、本に目を落としたまま口を開く。
「少し時間をくださる? 内容の重複しているものは省きますから」
その言葉に俺は驚いて声を上げる。
「えっ、まさか今ここで全部読むつもりか?」
予想以上に館内に声が響き、サリバン嬢は顔をしかめた。
「目次を見ればある程度の中身はわかるから、全部読む必要はありませんわ」
なるほど。本をほとんど読まない俺とは発想が違う。納得して向かいの椅子に座った。
「何か手伝おうか?」
真剣な顔のままかぶりを振り、サリバン嬢は顔を上げた。
「……もう帰ってもよろしくてよ?」
「だから、君だけにやらせるつもりはないって言っただろ」
思わずムキになっていうと、彼女は「そう」とだけ返事をしてまた視線を本に戻した。
この間も感じたことだが、ここで見るサリバン嬢は、学園での姿と印象が違った。なんというか、少しだけ空気が柔らかくなるというか、肩の力が抜けたようになる。
特にやることもなく手持ち無沙汰になり、彼女がページを繰るのを黙って見つめた。
「……あの本、ですけれど」
沈黙を破ったのはサリバン嬢の方だった。突然の言葉に何のことか分からず首を傾げる。
「っ、だから、先日の小説のことです!」
サリバン嬢は、紅潮した顔で目線を泳がせながら続ける。
「あの、今は課題が忙しくてあまり読み進められていませんの。だから、もう少し待って欲しくて」
ひょっとしてソニアが借りたがっていたことを気にしているのだろうか。やっぱり真面目だな、とやけにおかしくなった。
「別に急かすつもりはないさ。元々俺が読みたいわけではないし」
「妹さんが、お読みになる、んでしたっけ」
「ああ、好きな作家らしい」
「そうですか……」
いつもと違う様子の彼女に調子が狂う。常日頃は自信に満ちているのに、今はその姿は影を潜め、おそるおそるといったように言葉を紡ぐ。ただ、何かを期待するように瞳だけはきらきらと輝いていた。
『お会いしたいですって伝えて』
ふと、ソニアの言葉を思い出す。もしかすると、会って話をしたいと思っているのはソニアだけじゃないのかもしれない。好きなものについて語り、それを聞いてくれる人がいることの楽しさはわかる気がした。
それなら話は早い。ソニアからの伝言を伝えて……。
ここまで考えて、はたと止まった。
待て。なんて言うんだ?
『妹が君と会いたがっている』
そこまではいい。それで? 家に来てくれとでもいうのか……?
待て待て待て待て!! それはなんだかまずい気がする。それに断られたら、ちょっと傷つく……じゃなくて!! そうじゃなくて、妹のためとはいえ、年頃の令嬢を家に招待するなんて節度に欠ける!
思わず頭を抱え込むと、サリバン嬢の怪訝そうな声が降ってきた。
「どうかしましたの?」
「いや……」
顔が上げられない。今、とてつもなく情けない顔をしている気がする。頭の上で、ふう、というため息が聞こえた。
「お待たせしましたわ。もう終わりましたので、本を借りて帰りましょう」
「あ、ちょっと待っ」
立ち上がろうとしたサリバン嬢の腕をとっさに掴んで、すぐに離した。薄いブラウス越しに伝わる彼女の細さにびっくりしたからだ。
「っ、わるい」
出てきた言葉はそれだけだった。それ以上は何も言えなかった。しばらく掴まれた部分を凝視していたサリバン嬢が、ふっと息を漏らした。
「今日謝るのは二度目ですわよ、チェイサー様。明日は雨が降るんじゃないかしら」
――笑った? 自分が見たものが信じられなくて、一瞬息が止まった。
あのアメリア・サリバンが笑った。薄笑いでもなく、高慢な笑いでもなく、ほほ笑んだ。
「ごきげんよう、明日は傘を忘れないようにしますわ」
最後まで嫌味な言い方をして、サリバン嬢は本を手にその場を後にした。
「くっっそ……」
再び頭を抱えてしゃがみ込む。
嘘だろ。なんで思ったんだ。あの笑顔が可愛い、なんて―――。