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第二話 知られてしまったアメリアの秘密

(な、なんでこんなところにいるの?)


 思わず近くの書棚の陰に身を潜め、浅く息を吐く。


 私の知るチェイサーは、一人で図書館に来るような人物ではなかった。学園の図書室ですらほとんど姿を見たことがない。


 ひょっとして人違い……?


 こっそり顔を出して様子をうかがうと、淡い期待はすぐに打ち砕かれた。あのひょろりと高い茶色の頭は、間違いなくチェイサーだ。何やら本を探しているらしく、手にメモらしき紙を持ってあたりをきょろきょろと見渡している。


(なんなのよ、もう……)


 ともかくここから離れないと。顔を合わせたら何を言われるかわかったものではない。息を殺し音を立てないようにそっと歩き出す。


 少し遠回りになるけれど、反対側を通ってカウンターへ向かおう。そう決めて本棚の角を曲がろうとした、その時だった。


「あの、すいません」


 後ろから話しかけられ、心臓が止まりそうになる。随分とよそいきな声だけれど、チェイサーのものに違いなかった。


「この本、落とし……あ?」


 猫かぶりな調子でしゃべっていたチェイサーの声が、一瞬で剣呑(けんのん)な響きに変わった。


「もしかして、サリバン嬢か?」

「あら、チェイサー様。こんなところで会うなんて奇遇ですわね」


 瞬時に表情を取り繕い、振り返る。チェイサーは身構えた様子でこちらを睨めつけていた。来るなら来なさい。こっちだってすでに臨戦態勢よ。


「意外ですわ。読書なんてなさるんですね?」


 先制攻撃を仕掛けると、チェイサーはあからさまに嫌そうな顔をした。


「君は相変わらず本の虫のようだな。他に話し相手がいないからか?」

「ええ、残念ながら学園には私の話を理解できる方がいらっしゃらないようですの」


 嫌味の応酬など慣れたものだ。立て板に水のごとく、お互いスラスラと口をついて出てくる。でもここは図書館だし、これ以上のヒートアップは望ましくないわね。


「申し訳ありませんけれど、貴方とお話ししてるほどヒマではありませんの。失礼いたしますわ」


 その言葉を置き土産に立ち去ろうとすると、ふいにチェイサーが意地の悪い顔を浮かべた。


「いいのか? これを借りる予定だったんだろ?」

「……!!!」


 その手には、一番上に重ねたはずのあの小説が握られていた。


「意外だよ。恋愛小説なんて読むんだな?」


 さっきの私の台詞をなぞるように、ニヤニヤと笑って本を掲げてみせる。


(よりによってあの本を見られるなんて……!)


 背中から冷や汗が流れ落ちるのを感じた。


(落ち着くのよ、アメリア。まだ誤魔化せるわ)


 わざとそっぽを向き、震えそうになる唇を開いた。


「なんのことかしら?  私はそのような本は知りませんけど」

「じゃあこれは俺が借りていってもいいのか? ちょうど妹に頼まれてこの本を探していたんだ」

「えっ!?」


 予想外の言葉に思わず振り返ってチェイサーを仰ぎ見る。彼は一瞬あっけにとられた顔をした後、耐えきれないといったように吹き出した。


「くっ……ははっ、まさかとは思ったけど、本当に君がこの本を落としたのか?」


 そこでようやくカマをかけられたことに気付き、みるみる耳が熱くなるのを感じた。


「は、謀ったわね!」

「人聞きの悪いことを言うなよ。妹に頼まれたってのは嘘じゃない」


 まだ笑いの収まらない様子のチェイサーは、目尻ににじむ涙を指で払いながらそう言った。そして満足そうに大きく息を吐くと、私に向かって本を差し出した。


「ほら」

「え?」


 意味が分からずに本とチェイサーを交互に見る。


「借りるつもりだったんだろ?」

「……私が借りてよろしいの?」


 拍子抜けした声を出すと、何を当たり前のことをと言わんばかりの呆れ顔が返ってきた。


「なんだよ。借りないなら、」

「借ります! 借りますわ!!」


 食い気味に言葉を重ねて差し出された本を受け取ったはいいけれど、何を言っていいかわからず、表紙のタイトルに視線を落とした。


 いくらかの沈黙の後、遠ざかる足音に顔を上げると、すでにチェイサーは目の前から姿を消していた。なんだか狐につままれたような気分で、私はしばらくその場に(たたず)む他なかった。




  * * *




「ちょっ、もう朝じゃない!」


 窓からの光がまぶしくて飛び起きた。慌てて乱れた髪をなでる私に、侍女のアンナがこちらを気遣うように謝ってくる。


「申し訳ありません。ひどくお疲れのようでしたので、夜はお声がけいたしませんでした」


 そうか。昨日は家に帰ってくるなりベッドに倒れこんで、色々考えているうちにそのまま眠ってしまったんだったわ。


 一つ咳ばらいをすると、にっこりとほほ笑む。


「大丈夫よ。今から湯浴みできるかしら?」

「そうおっしゃるかと思いまして、もう準備はできております」

「さすがアンナね」


 ベッドから降りると、窓際の机に近寄る。


 飴色の机の上には、昨日持ち帰った本がきれいに並べられていた。一番端の、まだ手垢のつかない新しい表紙をそっと撫でる。


 なんだか昨日のチェイサーとのやり取りが噓のようだ。


(ずいぶんとあっさり引き下がったのよね……)


 弱みを見せてしまったのだから、もっとしつこく攻められるのだと思っていた。私が彼だったなら、とことん追い詰めてやるところだ。どうして私に本を渡してあの場を去ったんだろう。彼の意図がどこにあるのか、どれだけ考えても分からなかった。

 

(恋愛小説なんてらしくない、か)


 昨日のチェイサーの言葉を反芻する。

 

 人前では控えているけど、物語を読むことは大好きだった。恋愛ものに限らず、時代小説、ホラー、推理もの、ありとあらゆるジャンルを読破してきた。それだけ読んでいれば、おのずと好みが出てくる。


 世間ではドラマチックで手に汗握るようなストーリーが人気だけれど、どうしてもそういうものには食指が動かない。私は静かに淡々と進む話が好きだった。今回借りた小説も、穏やかに愛を育む恋人たちの話に心惹かれたのだ。


(冷酷無比なアメリア・サリバンが、のどかな恋ものがたりが好きだなんて、笑っちゃうわよね)


 自嘲気味の笑いをこぼすと、アンナが心配そうに声をかけてきた。


「アメリア様、どうかなさいましたか?」

「いいえ、待たせて悪かったわ。急がないとね」


 気持ちを切り替えるため軽く頭を振る。背筋を伸ばすと、アンナを従えてバスルームに向かった。




 * * *




(……ぬかったわね)


 私は両腕を組み、不機嫌を隠すことなくクラークを見上げていた。当のクラークは相変わらずの胡散臭い笑顔でこちらに資料を差し出している。


「どうかな? 班をいくつかに分けてそれぞれが苦手な部分を補うようにすれば、うまくいくと思わない?」


 渋々それを受け取ったけれど、目を通す気にはなれない。どうせ反論の余地はないほど理詰めで書かれているんだろう。


「スケジュールもメンバー分けも考えてきてあるんだ。効率的に進められるようにね」


 クラークは、他の誰にも気づかれないほどさりげなく、「効率的」を強調した。こう言われるとぐうの音も出ない。昨日までそれを主張していたのは私なんだから。


 昨日別れた時点でこうなることは予想できたはずなのに。こちらも対策をしておくべきだった。それができなかったのは私の落ち度だ。


 思わず手元に力が入り、握った紙がくしゃりと音を立てた。


 悔しそうな私を見るのが楽しくて仕方ないのだろう。周りのギャラリーは、少し距離を置きながらも好奇に満ちた視線をこちらに向けている。ただ、クラークの後ろに立つチェイサーだけが、興味のなさそうな顔で爪を弾いていた。


「異論はありませんわ。問題はクリアになっているようですし」


 事実上の敗北宣言に、わっと歓声が上がりクラークの周りに人だかりができる。そして思い思いに誰それと一緒にやりたい、などと騒ぎ始めた。


(ああ、また私の負けね)


 気づかれないように小さくため息をつくと、そっと壁に寄りかかる。その時、急に大きな声が響いた。


「おい、ちょっと待てレオ!」


 視線を上げると、焦ったような顔をしたチェイサーがクラークに詰め寄っているところだった。


「なんで俺とサリバン嬢だけが別のグループなんだよ?!」

「……は?」



 突然のことに頭が真っ白になる。え、なにを…チェイサーと二人だけ?! 私は急いで握りしめていた資料に目を通した。皺のついた紙にはしっかりと、『D班:アメリア・サリバン、アルバート・チェイサー』と記載があった。


「冗談じゃありませんわ!」


 思わず声を張り上げる。


 正直なところ、グループなんてどうでもいい。誰と組んでも嫌な思いをするのは容易に想像がつく。でも、チェイサーと二人きりなんて、それだけは絶対に避けなければいけない。


「考慮の上だよ」


 鼻がぶつかりそうなほどに近寄るチェイサーを見つめながら、クラークは涼しい顔を崩さない。


「君たちは優秀だし、二人でも十分だろう?」

「いや、だからって……」


 褒められて悪い気がしなかったのか、チェイサーの言葉尻が弱くなった。


(何を引き下がってるのよ!!)


 耐えきれなくなって私は二人の元に歩を進めた。


「お待ちください、クラーク様!」


 私が向かい合って立つのと同時に、クラークが妙に艶っぽい声で言い放った。


「本当なら、僕がアメリアと一緒にやりたかったんだけどね」


 形のいいアーモンドのような瞳が、射抜くように私を見つめる。


「なにを……」


 瞬間、全身が泡立つような寒気を覚えた。部屋にいた女性全員から、どす黒い感情を向けられたように感じたからだ。


 ヒュッと喉が鳴る。


 嫌われることには慣れていたつもりだけど、こんなにもねっとりとした憎悪を感じたことはなかった。


 これも狙ってやってるんだろうか。柔らかく微笑んでこちらを見つめるクラークが、もはや恐怖の対象でしかない。


「どうしてもバートと課題をやるのが嫌なら、僕と……」

「いいえ! 私はチェイサー様と組みますわ!!」



 こうして、私とチェイサーは同じグループになってしまったのだった。





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