第十八話 消えたページ (1)
先日の初雪以降、王都では急激に気温が下がった。
まだ二度目の雪は見てはいないものの、朝晩の冷え込みは相当なもので、所定の制服だけではとても耐えきれない寒さだった。
アンナの用意してくれたカシミアのケープを羽織り、屋敷の入り口で待つ馬車に乗り込む。
御者が用意してくれたのか、馬車内の座席に小さなブランケットが畳んでおいてあった。ありがたく膝の上に掛けたけれど、まだ肌寒さを感じて車内で身を小さく縮こまらせる。
(そろそろ領地へ戻る際の荷物をまとめなくてはね)
流れる景色を眺めながら、ぼんやりと今後の計画を考えた。
再来週になれば学園は冬の休みに入る。お父様が領地への出立を当初より遅らせてくださったおかげで、きちんと今学期の最終日まで登園できる予定だ。
貴族の子息令嬢ともなればそれなりに予定が入りやすいので、成績をつける上で必ずしも出席が重視されるわけではない。
ただ、今回最後まで残りたいのには理由があった。あの課題の評価がまだ成されていないのだ。
アンダーソン教授はぎりぎりまで試験の合否を発表しないことで有名で、先日の課題がどう評価されているのかはいまだに分かっていない。
(あれだけ苦労して完成させたものなのだから、自分の目で結果を見てから休みに入りたいと思うのは当然のことよ。そうでしょ?)
誰に責められているわけでもないのに、そう自分に言い訳する。そうよ、王都を離れがたいのはあくまで課題のためなの。それ以外の何ものでもないんだから。
馬車が止まり、扉が開いた。どうやら学園に到着したみたい。急に流れ込んできた冷気にぶるりと体を震わせ、足早に門をくぐる。
「……!」
視界の中に、背の高いチェスナットの頭が入ってきた。
いったいいつから、私はこんなに簡単に彼を見つけられるようになったんだろう。顔を突き合わせるのが怖くて一瞬足が止まる。でも、ここで逃げてはいけないと感じた。
意を決して歩き出すと、アルバートは何気なくこちらを見て私に目を留めた。
「ごきげんよう」
「……ああ」
薄い笑いとともに交わした挨拶は、空しい響きを持って私たちの間に落ちた。
そうだ、これが本来の私たちなのよ。何も悲しむ必要なんてないわ。
これ以上紡ぐ言葉もなくて、軽く会釈をすると先に園舎の中へと急いだ。
* * *
課題が終わった後の講義というのは、こうも気が抜けるものだろうか。教授たちの話す内容がほとんど頭に入らないまま、一日が終わろうとしていた。
だけど、どうやらそれは私に限った話ではないらしい。
学園中を休み前のそわそわした空気が流れていて、生徒の大多数は休みにはどこそこへ行くとか、年明けに行われる国王陛下の即位二十周年の祝賀会に来ていくドレスをどうするだとか、そんな話ばかりしている。
浮ついた雰囲気の中、私は人の波を縫うように歩いていた。
(結局今日も課題の評価は出なかったわね)
掲示板を見にいってはみたものの、期待していた情報は貼り出されておらず、仕方なくかばんを取りに講義室へ戻る。
目的地に近づくにつれ、いつもより部屋が騒々しいのに気が付いたが、特に気にも留めず足を踏み入れた。
その瞬間、時間が止まったかのごとく辺りが静寂に包まれた。
異様な雰囲気に思わず体が凍りつく。
私が入るなり部屋が静まり返ることはよくあることだったが、今日はいつもと違う。向けられた視線がすさまじい嫌悪や憎悪に塗れていたからだった。
明らかに、私に不都合な何かが起こったのは分かる。でも一体何だろう。得体のしれない悪意に、背中を冷や汗が伝った。
「なにかしら、皆様揃って私に御用でもおありなの?」
気を張ってようやくそれだけ口にすると、こちらを見ていた男子学生の一人がおもむろに話し始めた。
「さっきアンダーソン教授からの言伝があって、僕らの課題に不備があったそうだ」
「……え?」
「マリーが担当したページが、丸々無くなっていたらしい」
なんですって?
驚きに目を剥くと、責めるような口調で別の令嬢が口を開いた。
「たしか、課題を提出されたのはアメリア様でしたよね?」
声の主の方に視線を向ければ、その後ろには両手で顔を覆って俯くコレットがいた。
表情は見えないけれど、肩を震わせ両脇を友人に支えられている。
私はいまだに状況がよく飲み込めずに、ただただ目の前の情景を眺めているだけだった。
コレットが泣いている? だとしたら、本当に課題のページが紛失してしまったのだろうか。
先日ホーク助手に手渡したときには落丁なんてなかった。その場で確認してもらったのを、この目で見たんだから。
じゃあ、いつ、どこで……?
口を噤んだ私に、今度はコレットの横にいた令嬢が畳みかける。
「そういえば私、数日前に渡り廊下の近くでアメリア様がマリーに怒鳴っているのを見ました! この子のことが気に入らなくて何かしたじゃないですか?」
「!」
やられた――。私は俯いたままのコレットを睨みつけた。
もしこの令嬢が本当にあの日あの場にいたとして、そんな都合よくその一場面だけを目撃するものだろうか。あのときはコレットだってずいぶんと口汚く私を罵っていたのに。
おそらく今しゃべっている令嬢は、コレットの手の内の人間に違いない。あることないことを吹聴して、私を悪者に仕立て上げるつもりだ。
コレットと言い争ったのも、最後に課題に触れたのが私であることも事実だ。でも誓って課題に手を加えるなんてことはしていない。ただ、それを証明する手だてが私にはなかった。
目の前にあるのは状況証拠だけ。でも普段から悪評高い『アメリア・サリバン』なら十分にあり得ることだと、皆納得した顔をしている。
事の重大さに目の前が真っ暗になった。これまでの小さな諍いなどの比ではない。正式な課題を故意に破損したと判断されたら、いったい私はどうなるだろう。下手をすれば退学だ。
これまで積み上げてきたものが音を立てて崩れていくのを感じた。
「あ、レオナルド様!」
誰かの声が部屋に響き、一斉に視線が部屋の入口に向けられた。息を切らせたクラークとアルバートが到着したところだった。
「大体の話は聞いたけど、もう一度整理させてくれないか」
乱れた髪を搔き上げながら部屋に入ると、クラークは周りを見渡した。
「アンダーソン教授の話を受けたのは誰だい?」
「わ、わたしですっ……」
それまでずっと隠れるように下を向いていたコレットがようやく顔を上げた。鳶色の瞳を涙で潤ませ、くしゃりと顔を歪ませる。
「さ、さっき、教授から私の担当部分のレポートだけが欠落してるって言われてっ……私、信じられなくてっ」
そこまで一息に言うと、耐えきれないというようにコレットは再び両手で顔を覆った。周りの人間たちが同情するような視線を向ける。
私はそれを苦々しい思いで見つめた。
「でも一度はきちんと受理されたんだろ? それなのに今さらそんなことってありえるのか?」
チェイサーが納得のいかない声を出したが、すぐに他の声にかき消される。
「でも実際マリーの分だけ無くなってるんですよ?」
「受理された日に、教授はいらっしゃらなかったっていうじゃないか」
「そもそも本当に提出したかも今となってはわからないのでは?」
口々に、私に向けて放たれる言葉たち。
いつもなら気にも留めない些細な棘が、心臓に深く突き刺さるような感覚がする。
クラークは片手で周囲を制止し、私に問いかけた。
「アメリア、君の意見を聞かせてほしい」
その声はフラットで、私に対する肯定も否定も感じさせなかった。彼が公平に見極めようとしているのがわかり、少し落ち着きを取り戻す。
「あの日、この手で確かにホーク助手に課題をお渡ししました。その場でご確認もいただいています。彼に聞いていただければわかりますわ」
震えそうになる唇に力を込め毅然と発言すると、周りが一瞬にしてたじろぐ。
しかし、次に誰かが放った言葉に再び辺りがざわついた。
「ホーク助手の言葉に信憑性はあるんですか? アメリア様はお綺麗な方だもの。ちょっとお願いすればご自分に都合のいいことを言っていただけるんじゃなくて?」
信じられない言葉に気が遠くなった。
つまり、この女は私がホーク助手に色仕掛けをしたというのだ。
どこまで私を侮辱すれば気がすむの。しかも、チェイサーの前で……!
悔しくて恥ずかしくて、後ろに立っているはずの彼を見ることができずに私は部屋から走り出した。





