親友の代理でパーティに出席したら、その妹の婚約破棄の現場に遭遇してしまいました
アヴェルは少し駆け足気味でパーティ会場へと向かう。アヴェルが向かうパーティ会場では、王立魔法学園の卒業記念パーティーが行われているのであった。アヴェルはパーティーの本来の出席者ではない。パーティーには王一部来賓と卒業生と卒業生の家族のみが招待されている。
アヴェルはもう28歳になるが、独身で、子どもはいない。アヴェルは貴族であるが、自分の代で自分の家を終わらせるという覚悟を決めていたために、結婚に対して意欲がなかった。その覚悟を決めたのには様々な事情や理由があるのだが、簡潔に言えばアヴェルが自分で領地を統治するつもりがなく、国境警備の騎士団の一人として生きていくことを決めたからであった。そんな事情を持つアヴェルはこの卒業記念パーティーに招待されるわけがない。しかし、彼はこのパーティーに出席することになった。
大切な親友であるデュークの頼みでデュークの代理として出席することになったのである。デュークは侯爵家の人間で、様々な事情で家族を失って孤独だったアヴェルのことを学園時代に支えてくれ、国境警備の騎士団に入るのも援助してくれた人物であった。そのデュークには年の離れた妹が一人いて、その妹であるマリーナが今年の卒業生なのだ。デュークはパーティーに招待されていて、出席する気満々だったのだが、仕事が重なってしまい、行けなくなってしまった。しかも、デュークの両親も都合が合わず行けなくなったので、アヴェルが偶然王都に戻っていたこともあって、代理で出席して欲しいと頼まれたのだ。
アヴェルは最初出席に難色を示した。家族こそが出席するべきだと思ったし、自分があまり社交の場が得意ではかったからであった。しかし、しつこくデュークとその両親たちに頼まれたのと、マリーナは自分にとって妹のような存在でもあり、卒業記念パーティーという晴れ姿を見てもいいと思えたのと、マリーナに会って話せる数少ない機会だと思い、出席することにした。
マリーナは王太子の婚約者なのだ。そして、このパーティーの卒業後2週間後には結婚式が開かれる予定なのである。マリーナが王太子と結婚してしまえば、一貴族である自分では会って話す機会はもうないだろう。だからこそ、今のうちに少しでも話しておきたいと思ったのだ。アヴェルが国境警備の騎士団に入団してからはマリーナとはかなり疎遠になっていて、1年に一回会えるか会えないかぐらいだったことも要因としてあった。
しかし、当日になってアヴェルは困った事態になったのだ。突如として大量の仕事が発生してしまい、その処理に追われることとなった。本来王都では仕事をしなくてもいいはずなのではあるが、要請があったために仕事をせざるを得なかった。アヴェルは必ず出席するとデュークたちに言ってしまったことや、マリーナと会える残り数少ない機会だということで、奮起し仕事を迅速に終わらせた。そして、急いでパーティ会場へと向かっていたのだ。
パーティ会場の入り口前に到着すると、アヴェルは周りをさっと確認する。まだパーティは終わっていないようだ。アヴェルは警護の兵に声をかけられる。アヴェルはすぐさま、自分がデュークの代理として出席することになったことを伝え、その旨を記した書状と招待状を見せる。
警護の兵はさっと書状を確認すると、どうぞ中へと促される。そして、アヴェルはパーティ会場へと入った。だが、その瞬間、アヴェルは会場内が異様な雰囲気になっていることに気づく。アヴェルが入ってきたことに気づく面々はまばらで、音楽は演奏されておらず、パーティの催しとして行われていることはほとんどなく、皆パーティ会場の奥の方に注目していた。皆の視線が集まる方で何か騒ぎが起こっているようであった。アヴェルは一体何事かと思った。
その瞬間、耳を疑うような会話が聞こえてきた。
「私はそのようなことはしておりません」
「嘘をつくな、ソフィアが貴様に嫌がらせをされていたことは明白だ」
「ですから、ソフィア様のマナーに対して注意をしただけで」
「くどい、建前はそうであろうが、実際は違うだろう」
これは王太子とマリーナの会話であった。アヴェルは混乱する。内容はよくわからないが、どうやらソフィアという女性にマリーナが嫌がらせをしていたということで王太子は怒っているようであった。一体何が?と思っていると、さらに耳を疑うような言葉が王太子から聞こえてくる。
「貴様のような悪女と俺は結婚するつもりはない。もう一度言うが俺は貴様との婚約を破棄しソフィアと結婚する」
アヴェルは本気で困惑した。演劇か何かでむしろ王太子とマリーナの結婚を際立たせるための一種のパフォーマンスであってほしいと思っていた。アヴェルはざわめく周りの人をかき分けて、マリーナの顔を見ようとする。アヴェルは事情はよくわからなかったが、マリーナの顔を見れば王太子の言い分が正しいのかどうかがわかる気がしたのだ。マリーナと王太子、それとどうやら王太子側の言い分を話している別の者たちの声を聞きながら、アヴェルは人をかき分けて、何とかマリーナの顔を一瞬ではあったが、見た。
その表情は辛そうなものであった。瞬間、アヴェルは王太子の言い分が間違っていると判断した。大体、先ほどから王太子の態度はひどかった。マリーナの言い分を全く信じようとせずに、ソフィア側の言い分が正しいと断言するかのようなものであった。しかも、王太子の周りには幾人かの令息が集まっていて、マリーナを囲むように威圧するかのように立っていた。この王太子の周りの連中も、王太子と同じくらいの酷さであった。
アヴェルは怒りの感情のままに「失礼」と大声をあげると、そのまま周りの人を押しのけて、マリーナと王太子たちの前に現れる。マリーナと王太子たちは突然のアヴェルの出現に驚きを覚えた。
「アヴェル・シルベスターと申します。マリーナの兄、デューク・ランゲージの代理人として出席させていただいております」
王太子たちはアヴェルの言葉に驚きを強くし、しかも少し動揺を見せる。マリーナは目を丸くしたまま驚いていた。アヴェルは語気を強めて、王太子に尋ねる。騒ぎの様子は多少把握していたが、あえて王太子の口から言わせようと言うアヴェルの考えであった。
「先ほど会場に到着したのですがこの騒ぎは何でしょうか?ロイド殿下」
「き、貴様には関係のないことだ」
王太子は一瞬の動揺の後にアヴェルに返答する。アヴェルは王太子をにらみ、殺気と威圧感を出す。王太子たちはアヴェルの殺気に畏怖を覚える。アヴェルは国境警備の騎士団に所属していて、またあまたの戦場にも出たことがあり、その殺気と威圧感は王太子たちはあまり感じたことのないものであった。
「関係なくはないはずです。どうやらマリーナが何か嫌疑をかけられているようですが、それはマリーナの家族には関係のないことでしょうか?代理人の自分は詳細を把握し、内容を報告する必要があるのですが」
「そ、それは」
王太子たちは動揺を強めた。アヴェルはどうやらこれが王太子たちが勝手に行っており、大した証拠もなく行ったことであると判断する。
「この件は私からランゲージ侯爵閣下にお伝えします」
アヴェルはそれだけを王太子に告げると、マリーナの目の前へと立ち、マリーナに「屋敷に帰ろう、送っていく」と言った。マリーナは何も言わずにゆっくりと頷いた。そして、アヴェルはマリーナを連れてパーティ会場から出ることになった。
パーティ会場の外に出て、馬車の待機所へと向かう間マリーナは一言も発さなかった。アヴェルも何と言葉をかければいいのかがわからなかったこと、先ほど怒りのままに王太子たちに見せてしまった態度を思いだし動揺していたこともあり、何も言葉を発さなかった。アヴェルは先ほどの態度によって、デュークたちに迷惑をかけてしまったらどうしようと思っていた。外に出て少し冷静になった瞬間にそう思っていたのだ。自分がどうこうなるのはどうでもいいのだが、デュークたちに迷惑がかかるのは困る、と思っていた。
馬車の待機所へと到着すると、ちょうど馬車が一両やって来た。馬車に記された家紋はランゲージ侯爵家のものだった。アヴェルは誰がやってきたのかと思いながら、馬車から降りてくる人物に注目する。降りて来た人物はデュークであった。アヴェルはすぐさまデュークの元へと駆け寄る。デュークがなぜ来ているのかはよくわからないが、そんなことは重要なことではなかった。デュークは困惑の表情を見せていた。
「マリーナ、アヴェル、どうしてここに?」
アヴェルは先ほどの詳細を説明する。デュークは話を聞き終わるころには、いや、話の途中からかなり激昂していた。「あの腐れ野郎、殺す」というような不穏な言葉が聞こえる。アヴェルは落ち着いて冷静になるようにとデュークをなだめようとした。
「落ち着けるか。あの腐れ王太子はずっと前から気に食わなかったんだ。昔からマリーナには最低限しか会いに来ない。学園に入ったらソフィアとかいう令嬢にかまけて、今年の創立記念パーティではマリーナのエスコートはしたが、ダンスは一回しかしない」
しかもなと続けてどんどんとデュークの口から王太子への文句の言葉が出てくる。アヴェルはこのことにかなりの驚きを覚えていた。そんなこと一度も聞いたことがなかったからであった。アヴェルはマリーナに会って話す時、何度か婚約者のことを聞いたことがあった。しかし、一つも文句や悪口など聞いたことがなかった。『いい人です』と言って褒めるような言葉が全てだった。だから、マリーナは王太子とうまくいっていてこの結婚でもっと幸せになれると思っていた。
アヴェルが驚きで呆然としている間、デュークの悪口は止まらなかった。そんな中、マリーナは口を開いた。
「デューク兄様、申し訳ありません」
マリーナは謝罪の言葉を口にし、頭を下げた。アヴェルとデュークは驚きを覚える。マリーナは続ける。その声は少し震えていて、マリーナは泣いているようであった。
「私、うまくできなくて。王家との婚約をダメにして」
「マリーナ、気にするな。そんなことでお前を責めたりしないさ、父上も母上も」
デュークは優しくそう言って、マリーナを抱き寄せる。マリーナは「でも」と泣いていた。デュークは「いいんだ。いいから」と言って、マリーナの背を優しくなでる。アヴェルは何も言わずにいた。そして、自分は場違いだとも思い、また少し、いやかなりの悔しさを感じていた。マリーナのために自分は何もできないと思っていたからであった。
しばらくして、落ち着いてきたマリーナをデュークは馬車にのせる。デュークはアヴェルのほうを向く。
「今日は助かったよ。お前が先に行ってくれてて」
「いや、俺は何もできなかった」
アヴェルは悔しさをにじませながら、小さな声で言った。
「そんなことねえよ。お前が先に言ってマリーナを連れ出してくれなきゃ、俺が王太子を殺してたかもしれんしな」
デュークは冗談めかしてそう言った。アヴェルは、「冗談には聞こえないな、親友が一人いなくなることにならなくて良かったよ」と冗談交じりに返答した。アヴェルはデュークのおかげで気が楽になっていた。アヴェルはデュークに向かって真剣な顔を向けた。
「デューク、俺の王太子に対しての態度で何か言われたら」
「アヴェル」
デュークはアヴェルの言葉を遮るようにアヴェルの名を呼んだ。デュークのそれ以上は何も言うなというものであった。アヴェルは口を結んだ。
「さて、そろそろ俺らは屋敷に戻る。いい加減にしないと王家の連中が来るかもしれなくて面倒だしな。お前は?」
「俺も自分の宿に戻るよ」
「そうか、じゃあまた今度会おう。この件でお前には色々迷惑をかけることになると思うが」
アヴェルはデュークの言葉を遮るようにデュークの名を呼ぶ。デュークは「いや、何でもない、またな」と言って馬車に乗り込む。馬車の扉が閉まる直前、マリーナが身を乗り出した。そして、マリーナはアヴェルのほうを見つめてくる。マリーナは何かを言おうとするが、言葉が出てこないようであった。そんなマリーナを見て、アヴェルは笑顔で言った。
「またな、マリーナ」
マリーナは「また今度、アヴェル兄」と返す。そして、身を乗り出したマリーナが元に戻ると同時に馬車の扉は閉まる。そして、すぐに馬車は動きだしたのであった。
動き出した場所を見ながら、アヴェルもまた自分の宿へと戻る。
王立魔法学園の卒業記念パーティーから三日が経った。アヴェルはその間、デュークからの連絡もなく、王家から呼ばれることもなく、何もない日々を過ごしていた。仕事はなかったので、宿にこもることにしていた。その間、アヴェルは不安を募らせていた。マリーナはどうなったのか、デュークたちランゲージ侯爵家に何か起こらなかったのか、と。気になることはあったが、自分から連絡を取る気は起こらなかった。今連絡をとっても、迷惑になるだけだと思っていたからであった。
アヴェルは、あの時の王太子に対する態度で当事者に近い自分も何か話を聞かれることになると覚悟もしていたのだが、そこに関しては少し肩透かしのように感じていた。
王太子の婚約破棄に関することに関しては、王都の民衆の間でも噂になっていた。アヴェルは今後のランゲージ侯爵家の未来が暗いといったような噂話を聞くも、そのほとんどを相手にしていなかった。
アヴェルは明後日には王都を発つことになるので、その準備をそろそろ始めようかと宿で思っていると、デュークから連絡が来た。ランゲージ侯爵家の屋敷に来るようにというものであった。アヴェルはすぐさま準備を整えるとランゲージ侯爵家の屋敷へと向かった。
アヴェルがランゲージ侯爵家の屋敷につくと、家令に連れられ、応接室へと向かうことになった。応接室に入ると、そこにはデュークとデュークの両親である侯爵夫妻がいた。
「待ってたぜ、そこにかけてくれ」
アヴェルはうなずき、デュークに促された席に座る。アヴェルはどんな話をされるのかと少し緊張していた。自分のあの態度が原因で、デュークたちに迷惑がかかっていなければいいと思っていた。と思ったら侯爵夫妻のいきなりの発言にアヴェルはとまどうことになる。
「「申し訳ない、そして、ありがとう、アヴェル君」」
謝罪と感謝の言葉であった。アヴェルは一体なぜ?と思う。
「謝罪と感謝、両方とも遅れてすまないね、もっと前に伝えたかったのだが。色々と忙しくてね」
「いえ、そんなこと。むしろ私のせいでご迷惑をおかけして申し訳ありません」
アヴェルはそう言って、頭を下げる。侯爵夫妻は「「迷惑?」」と口をそろえて言う。アヴェルはデュークの代理人として行った立場で王太子に対しての態度がまずいものであったことに言及する。
「そんなことか、むしろ良かったよ。私たちの誰かであればもっとひどいことになっていた」
侯爵は笑いながらそう言った。アヴェルはその言葉に困惑する。困惑しているアヴェルに気づき、デュークがアヴェルに声をかける。
「王家も問題にしてないからな、お前のことは。というか王太子たちの行動について国王陛下は怒ってるから、お前なんか眼中にないよ」
「そ、そうなのか」
アヴェルは少し胸をなでおろす。自分の態度が原因でデュークたちに迷惑をかけることはなかったことにアヴェルは安堵する。
そして、アヴェルは王太子とマリーナの婚約に関しての今後について話を聞くこととなった。
まず、王太子は王位継承権を失うこととなった。まず今回の王太子の卒業記念パーティーでの婚約破棄騒動に関しては、王太子と一部取り巻きの独断によるもので国王陛下の許可を取っていないこと。王太子が確保したと言うマリーナの嫌がらせの証拠や証言もずさんなものでほとんど証拠能力がなかったこと。卒業記念パーティーという大事な場で婚約破棄を行ったこと。そして、今までのマリーナに対しての態度その他諸々、次期国王のための勉強がソフィアにかまけ全くできていないことなど様々な点を考慮した結果である。デュークはアヴェルに説明するとき、王家も把握してるならもっと前に処分しろと言った。といってもデュークはデュークでこの件を把握していて対処もせず、王家にも何も言わないのも問題ではあったが。
だが、この件は王家と王太子側の非が大きい。
結果、王家とマリーナの婚約は完全に白紙となり、婚約自体がそもそもなかったという扱いになった。
「だがね、アヴェル君。いくら王家との婚約がそもそもなかったことになったとしてもマリーナへの風当たりは冷たい」
侯爵は少し悔しそうに言った。侯爵は自分の娘を守れなかったことを悔やんでいた。
「そこでだな、アヴェル君に頼みがあるんだ」
「頼みですか?」
アヴェルはこの話の流れでどんな頼みがあるのだろうと思った。アヴェルの交友関係はそれほど大きくない。紹介できる相手もいない。そう思ったらこの話はひどく不可思議なものであった。アヴェルがそんな風に考え事をしていると、侯爵から耳を疑うようなことがアヴェルには聞こえてくるのであった。
「マリーナと結婚してほしい」
それを聞いて、アヴェルは目を丸くした。そして、聞き間違いかもしれないと思い、「申し訳ありませんが、もう一度お願いします」と言った。結果、全く同じことを侯爵は返答してきた。
アヴェルは聞き間違いであってほしかったと思うが、もう聞き間違えではないことがわかった。アヴェルは理由を問う。その理由をデュークが返答する。
「色々と理由はあるがマリーナを一番幸せにできるのはお前だと思ったからだ」
「俺がマリーナを?馬鹿いうな。俺のことはよく知ってるだろ」
アヴェルは侯爵夫妻の前なのに口調が荒くなっていると自覚はしていたが、どうにもならなかった。それだけアヴェルは動揺していたのであった。
「知ってるさ、お前のことは。知ってるからこそ、お前を」
「俺はマリーナを幸せにできない!」
デュークの言葉を遮るようにアヴェルは叫ぶ。アヴェルは続ける。
「俺には何もない。爵位も領地も金も。それに俺とマリーナは10歳以上も年が離れてる。そんな俺がどうやって幸せにできるって言うんだ」
アヴェルの本心であった。アヴェルはマリーナのことを妹のように思っている、妹だと思い込むようにしていた。それはアヴェルがマリーナのことを好いていたからであった。アヴェルはその感情に気づいたとき、すぐに蓋をした。自分の大切な親友の妹にそのような感情を持ってはいけないと思った。しかも侯爵家のご令嬢で王太子の婚約者。絶対にこの感情は表にしてはいけないと思った。
先の婚約破棄の時に、この感情は一瞬漏れかけた。だがすぐに蓋をした。今この感情のまま動けば逆にマリーナを傷つけると思ったからであった。兄のように思っている10歳以上も離れている男に今告白されても、傷心中のところを狙ったとしか思われないと思ったからであった。それに、あの時、何もできずただ会場から連れ出すことしかできず、何も言ってあげられなかった自分にそんな資格はないと思ったからであった。
「マリーナを幸せにできる人はほかにもいるはずです。それを探す力はあなた方にあるのでは?」
アヴェルはそう言って、席を立つ。もうこれ以上ここにいてはいけないと思ったからであった。デュークと侯爵夫妻は黙り込んでいた。その時、応接室の扉が開く。アヴェルが視線を向けると、そこにはマリーナがいた。
「アヴェル兄、私」
アヴェルは何も言わずに駆け足でマリーナの横を通って部屋を出ようとする。聞いてはいけないと思った。アヴェルはすぐに出ようとした。その時、デュークの声がする。
「逃げるのか、アヴェル。この怖がりが」
「あ?」
アヴェルはつい反応をしてしまう。なぜだかわからないが、アヴェルは今のデュークの言葉にひどく苛立ちを覚えたのだった。
「お前さ、怖いんだろ。自分のせいで誰かになんかあったらって。ずっとそうだ、昔からお前は誰かのためにとか言って自分を押し殺す」
「それの何が悪い?」
デュークの言ったことは事実であった。アヴェルはそれにひどく動揺したのを隠すように、語気を強める。
「悪くはねえよ。だけどよ、てめえが感情を押し殺したせいで傷つくやつがいる。それをお前は知らねえだろ」
「何を言ってる?」
「おめえがな、感情を押し殺してるときは、辛そうなんだよ。見てるこっちが心配になるくらいにな。おめえは隠してるつもりか知らんがもろわかりなんだよ」
デュークは声を荒げて椅子から立ち上がりながら言う。アヴェルはまたもや動揺するがそれを隠そうとする。
「そんなの知るかよ。俺には関係ない」
「関係ねえだと」
デュークはさらに声を荒げて、アヴェルに向かっていく。その時、
「やめて、喧嘩しないで。大好きな二人が喧嘩しないで」
とマリーナが泣きそうな声で顔で言う。デュークとアヴェルはそのマリーナの声と様子によって冷静さを取り戻す。
「悪かった、態度がひどかった」
「いや、俺も言い過ぎた」
アヴェルとデュークは椅子に座りなおす。アヴェルはもう部屋を出るタイミングを逸していた。しばしの沈黙の後、アヴェルはマリーナのほうを向いて口を開く。
「マリーナは俺との結婚どう思ってるんだ?」
「私は」
マリーナは一度言葉をそこで切り、大きく息を吸った後、真剣な表情でこう言った。
「結婚したい、アヴェル兄と」
アヴェルはそれを聞いて、何も言わない。だが、マリーナのほうを変わらず真っ直ぐ見つめていた。マリーナはそのアヴェルの視線に促されるように続ける。
「アヴェル兄のことが好きだから、大好きだから。結婚したいの」
アヴェルは椅子から立ち上がる。そして、マリーナの前に跪ずく。マリーナは驚きを覚える。
「マリーナ、俺には領地も金も何もない。苦しい生活をさせるかもしれない。だけど、」
アヴェルはマリーナのほうを向く。その表情は真剣なものであった。
「俺もマリーナのことが大好きだ、愛してる」
そう言うと、アヴェルはマリーナの手をとる。マリーナは「私も愛してます」と笑顔で言う。その笑顔を見て、アヴェルは笑顔で言った。
「結婚しよう」
「はい」
マリーナの嬉しそうな承諾の返事が出てくる。そして、しばしの静寂の後、拍手の音が応接室で鳴り響く。この場にいた全員がアヴェルとマリーナの結婚を祝福していた。侯爵夫妻は涙ぐんでいた。
そして、この時、アヴェルとマリーナの当事者二人、特にアヴェルは今の状況を思い出す。アヴェルは親友の妹に、親友とその両親の前で盛大に愛の告白したという事実に気づく。アヴェルはやらかしたと思い、顔を真っ赤にしてうつむく。マリーナもその状況に気づき、顔を真っ赤にする。
「しかし、アヴェル。お前思ったより」
「言うな、デューク、何も言わないでくれ」
デュークの言葉をアヴェルは遮る。デュークがこれ以上何か言ったらただでさえ耐えられない状況が耐えられなくなる気がアヴェルはしたからだった。デュークは「はい、はい」とニヤニヤしながら言う。
「まあそれに良かったよ。ずっと前から想いあってた二人がくっついて。ねえ父上?母上?」
「そうだな」「そうね」
侯爵夫妻は柔らかな視線で見てくる。アヴェルはこの二人にも気づかれていたのかと思う。
「マリーナ、よかったな。ずっと大好きな人と結婚できて。初恋だもんなぁ、よく俺に聞いてきたもんな。『アヴェル兄様は次はいつ」
「デューク兄様」
マリーナはさらに顔を赤くして慌てながらデュークの名を呼ぶ。デュークは「はい、はい、何も言いませんよ」とまたもやニヤニヤしながら言う。
アヴェルはこれは聞かないほうがよさそうだなと思い、何も引っかからなかったことにする。そして、重要なことをアヴェルは思い出す。混乱してしまったが、デュークと侯爵夫妻は言っておかねばならないことがアヴェルにはあった。
アヴェルはゆっくりと立ち上がると、マリーナと手をつないだままデュークと侯爵夫妻のほうを向く。そして、
「マリーナを必ず幸せにします」
と宣言した。デュークはその言葉を聞いてにやりと笑い、侯爵夫妻は「お願いします」と言って頭を下げる。
アヴェルはマリーナのほうを向く。マリーナはまた顔を赤らめていた。アヴェルが言ってくれたことが嬉しかったのであった。アヴェルとマリーナは互いに視線をかわすと笑いあった・・・