執事セオドアの天使
セオドアは孤児だった。
遠くの地で戦争が起きた際、家族と共に逃げてきたのだろうと言われているが真実は分からない。
顔立ちや髪色が自国と異なるところから移民であろうと推測されるだけで、誰一人として真実を知らないからだ。
物心つく頃には修道院に預けられていた。
修道院での生活は貧しく子供には苛烈な環境だったものの、必ずパンとスープを与えられるという意味では安心できる場所だった。
転機が訪れたのはセオドアが八歳の時。
その頃から美しい顔は、幼いながらも大人の目を惹きつけた。
セオドアに目を付けた修道院の院長は養子という名目でセオドアを貴族に売る手続きをとっていたのだ。
セオドアが売られてしまうことを黙って見過ごそうとしていたシスターの中に、ただ一人だけ良心を持つ人物がいたらしく、その者の内通により急遽査察が修道院に入った。
査察に入った当時の主導者がセドリアン伯爵であった。
セドリアン伯爵は、一時的に修道院の子供やシスターを自領の離れに移してから徹底的に修道院内を調べることにした。
売られることはなくなったことに安堵したものの、どうせこの先も同じような目に遭うのだろう。
八歳にして全てを諦めていたセオドアは離れの庭をぼんやりと散策していた。
屋敷で好奇に満ちた視線を向けられるのも嫌だったし、慣れない場所に強く警戒心を抱いていたのだ。
そんな彼の元に。
小さな天使が現れた。
柔らかな栗毛色の髪、ふわふわとした愛らしいドレス。
無垢な瞳が大きな瞳でセオドアを見ていた。
「…………誰?」
小さな少女が離れの庭先から自分を見ていることに気付いたセオドアは思わず声をあげる。けれど少女は幼いのか、セオドアの問いには答えない。
セオドアは、小さな少女から目が離せなかった。
子供は修道院で見慣れているが、その誰とも違う。
彼女から溢れる空気が違う。
少女は警戒することもなく、小さな足取りでセオドアに近付いてきた。
大きく見上げてくる瞳は相変わらず無垢な瞳。
苺のように真っ赤な唇が開く。
「遊ぼう?」
裾を掴み、そう言ったのだ。
第三者が聞けば愚かだと笑うかもしれないが。
この時、セオドアの体に電流が走った。
落雷に遭ったような衝撃だったと思う。
今まで凝り固まっていた自身の考えがその瞬間、全て捨て去られ一つの考えに行きついた。
天使だ。
この愛らしく可愛い子は、セオドアのために舞い降りた天使なんだ。
「いいよ。遊ぼう」
セオドアは幼い少女を抱き上げた。
急に抱き上げられ、高く持ち上げられた少女は驚いた顔から嬉しそうに笑う。
ああ、可愛い。
なんて愛おしい。
セオドアの元に舞い降りた救いの天使は温かく、そして軽かった。
幼くも愛らしい少女が喜ぶなら何度だって高く抱き上げても良い。かけっこがしたいならいくらでも走り続けられる気がする。
少しして、急に姿を消したセドリアン家の令嬢を探していた使用人が離れまでやってきた。
ようやく見つけた少女を慌てたように抱きしめた。
「オフィーリアお嬢様! もうっお探ししましたよ! こんな遠くにいらっしゃるなんて……!」
セオドアは天使の名前がオフィーリアなのだと知る。
一緒に遊んでいる時に名前を聞いた時は「フィリア」と言っていたので、ずっとフィリアだと思っていた。
オフィーリア・セドリアン。
どうやら天使はこの屋敷の子供らしい。
「ねえ」
使用人に抱っこされた少女にセオドアは話しかける。
「僕をこの屋敷に雇ってくれる? そしたらずっと一緒に遊べるし、一緒にいられるよ」
「何を……」
「うん!」
使用人が口出すより前にオフィーリアは嬉しそうに答えた。
「遊ぼ!」
小さな子供の口約束だ。
それでも口にせずにはいられなかった。
このままでは引き離されることは目に見えている。そうならないためのきっかけが欲しい。
子供の口約束だろうと、何だろうと。
セオドアは初めて生きる意味を見出したのだ。
それから、セオドアの行動は一変した。
修道院に戻される前にセドリアン家で自身のアピールに努めた。屋敷の使用人には積極的に声を掛け、手伝えることがあれば手伝うと愛想を振りまいた。
天使であるオフィーリアに会えば彼女の時間が許す限り共に遊ぶ。
彼の父であり、屋敷の主であるセドリアン伯爵と会った時は出来る限りの感謝と敬意を示し、いかにオフィーリアと触れ合う時間が楽しいかを切々と訴えた。
かつてのセオドアを知っているシスター達は引いていたが、そんなことはどうでもいい。
それだけセオドアは必死だったのだ。
有難いことに修道院の事件は時間が掛かったようで、解決した頃にはもう屋敷でセオドアを知らない者はいなかった。
新しい院長を見つけ、元の修道院に戻る日が決まるとオフィーリアは盛大に泣いた。
彼女を擁護する使用人も多かった。
セオドアは勝利した。
使用人からで構わないから、いつかお嬢様の執事になりたいですと告げれば。
心優しいセドリアン伯爵は胸を打たれ、セオドアを屋敷の執事であるルセットに託したのだった。
「お前は相当な策士だな」
以来、親代わりでもあり上司でもある執事長のルセットに従い働いてきたセオドアに対し、彼はぼやく。
ルセットには早々にセオドアの思惑を把握されていたが、それでも追い出すようなことはしなかった。
物凄い速さで知識を吸収するセオドアの能力を重宝していたし、性格を除けば十分すぎるほどに実力ある人材に育っていた。
「だが忘れるなよ。お嬢様は伯爵家の唯一の嫡子。いずれセドリアン家を継ぐにふさわしい方と婚姻を結ばれる方なのだから」
「…………」
まだ幼いオフィーリアには婚約者はいないものの、すでに候補が上がっていると聞く。
彼女の婚約者の話題が出る度、セオドアは腸が煮えくり返るほどの怒りを覚えた。
オフィーリアを別の男に渡すものか。
彼女はセオドアの天使にして唯一の女性。
隣に並ぶためなら、どんなことでも果たしてみせる。
決意は深く、そして躊躇はなかった。
セドリアン家で与えられた僅かな給金を使い、休暇で町に行っては金を稼いだ。
金銭を稼ぐ手段はいくらでもあった。公には言えないような方法もあったが、確実にセオドアは資産を増やしていった。
自分一人の手に余るようになった頃には成人年齢にもなったため、町で別の名を使い商会を作り資産を商会で運用した。
資産は数十倍の額に変わった。
実際にセオドアが働いて稼いだというよりは、人を金で雇い指示を下しているだけだった。信頼のおける者を数名高額で雇えば物事は順調に進んでいった。
既に一代男爵の爵位を得られるほどの功績と資産を手に入れたセオドアだったが、そこで二度目の転機が訪れた。
オフィーリアの婚約者が決まったのだ。