伯爵令嬢オフィーリアの修道院見学
修道院に入りたいとセオドアに告げてからひと月経った頃。
彼から「良い修道院を見つけました」と報告をうけた。
「領地から馬車で半日ほどの距離にございます。レイバーという町をご存じで?」
「ええ……小さな港町でしょう?」
聞いたことはある。
けれど、小さな町なので修道院があるとは思わなかった。
「最近、レイバーに新しい修道院が建ったようです。そちらであれば古めかしい慣習もないでしょう。よろしければ一度見学に行きませんか?」
「そうね……行ってみたいわ」
父には修道院に入りたいことを伝えていた。
父はとても悲しそうな顔をしたけれど、それでも私の希望を汲んでくれた。
本来なら私が爵位を継ぎ、夫となる人と領地を管理すべきなのに。
将来一緒に伯爵家を守っていく相手としてではなく、私の性格に合うような婚約者を三人も選んでくれたのに、私は父の願いを叶えることが出来なかった。
そのことがひどく申し訳なかった。
数日後。
私はセオドアと共に馬車でレイバーに向かった。
久し振りの遠出に私の表情は暗い。
滅多に出掛けることがない娘の外出を父は嬉しそうに見送ってくれた。
それが修道院の見学が理由であると思うと複雑な思いもあるはずなのに、それでも父は喜んでくれていた。
私は膝の上に乗せていた指を強く握りしめる。
早くに妻を亡くした父は母を深く愛していた。恋愛結婚だったらしい。
一人娘しか後継がいない状態で母が亡くなったことにより、周囲は再婚すべきだと縁談を多く持ち込んできたけれど、父は頑なに新しい妻を娶ろうとしなかった。
跡継ぎは養子を迎えても構わないから。
オフィーリアには幸せでいてほしいんだ。
父に修道院に入りたい話をした時。
そう、言われた。
(私の幸せ……)
それが何なのか。
今の私には分からなかった。
レイバーの町から少し離れた海岸沿いに修道院はあった。
到着して建物を見上げた私は、その建物の美しさに驚いた。
「随分と大きな建物ね」
「ええ。少し前までは貴族の別荘地として使われていたようですが、持ち主が建物を売りに出したため、フィリア修道院……こちらの修道院の院長が購入されたようですよ」
フィリア修道院。
それが、この修道院の名前だと聞いている。
「中に入りましょう」
「ええ」
私はセオドアにエスコートされながら建物の中に入った。
元々が貴族の私物であったこともあって中も整えられていた。華美すぎない作りは私の心を穏やかにしてくれる。
「ようこそいらっしゃいました」
「シスター。突然の訪問にも関わらず見学の機会をありがとうございます」
広間で待っていてくださったシスターが私達を出迎えてくださった。
フィリア修道院にはシスターが三人、孤児の子供達が七人とこじんまりした人数だった。
「院長の希望により、大勢を集ってしまえばそれだけ子供達を見ることが出来ないということで、今は少数で行っておりますの」
「素晴らしいお考えです」
「ええ、本当に……」
子供達の年齢は様々で、小さい子は一歳ぐらいの子から十歳ぐらいまで年齢は様々。
内装も子供の集まる場所だけは年齢に合わせて淡い色の壁紙や汚れても良いような素材の絨毯が敷かれている。
食事も質素なものではないようで、厨房から漂う匂いは食欲をそそる。
「起床したらまずは礼拝、それからみんなで食事の支度をしてから朝食をとります。その後はそれぞれの仕事を。赤子や幼児の世話は今専属で一人のシスターがついております。お昼まで菜園や畑作りを始めています。午後には勉学と裁縫、内職をしております。実はこちらに来る前にも別の修道院におりましたが、今は院長にお声を掛けて頂きこちらにいるのです」
「そうなんですか」
道理で隙のないスケジュールの管理だ。
それからも建物の中を調べたり、一緒に食事を頂いたりして過ごした。
「お嬢様」
セオドアに呼ばれ、私は彼と共に建物のベランダに出てみれば。
「まあ……」
そこには美しい海の景色が広がっていた。
海岸沿いに建てられたこともあり、二階のベランダから見える海は絶景だった。
別荘地として建てられた理由がよく分かる。
「美しい景色です。喜んで頂けましたか?」
「ええ、とても。素敵な場所を探してくれてありがとう、セオドア」
彼の努力があったからこそ、私はここを知ることが出来た。
改めて感謝を伝えるとセオドアはとても穏やかな笑みを浮かべて私を見つめた。
彼に見つめられるだけで、私の胸が騒がしくなる。
慌てて視線をそらし海の景色を見つめた。
「……ここに決めようと思います」
「はい」
優しいシスター、元気な子供達の元で過ごしていれば、私の心も癒されるのかもしれない。
甘い考えなのかもしれないけれど、今の私にとって理想の場所だった。
「…………セオドア、今まで本当にありがとう」
「お嬢様?」
「ここに来ることになれば、今のようにずっと傍にいることもなくなるのね……ずっと一緒だったから、寂しいわ」
私は暗い顔をどうにか明るく見せようと笑ってみせたけれど。
無理だった。
引きつったような顔になっている自覚はある。
けれど今、暗い顔を見せてはいけない。
セオドアに、離れることが辛いのだと。
知られてはいけない。
「私が修道院に入ったら、貴方はお父様の専属として」
「私がお仕えする方はお嬢様以外ございませんよ?」
はっきりと、セオドアが答える。
「私にはお嬢様だけです」
手を取られ、爪先にそっと口づける。
彼の前髪が私の指に触れてくすぐったい。
「セオドア……」
「以前申し上げたように、この修道院には古い慣習もございません。私のような執事が出入りを禁じているわけではないのです」
「そう……なの?」
修道院に男性が入ることを禁じている建物は多い。
入れるのは設立者である修道院院長だけだと思っていた。
「そうですよ。ですので私は引き続きお嬢様にお仕え致します」
「でも……」
「すでに御父君であるセドリアン様からも許可は頂いております」
いつの間に。
「お嬢様」
セオドアの低い声が、私の名を呼ぶ。
「どうか私を離さないでください……」
訴えるような切ない声だというのに。
その言葉はまるで呪縛のように私に絡みついてきて。
「わ……分かったわ……」
私は頷くことしかできなかった。
それから。
そろそろ帰る頃合いだと、建物の入り口で馬車に乗る準備をしている時のこと。
町から荷馬車に乗って戻ってきたらしい一人のシスターと鉢合わせた。
少し年を召したシスターはこちらを見ると。
「あら、院長様!」
大きな声で。
そう、セオドアに向けて話しかけてきた。
…………院長様って言った?