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伯爵令嬢オフィーリアの決意



 あなたの愛を手に入れるためなら。

 私は何だってしてみせる。






 私は俯き、いつものように爪を噛んだ。

 目の前に座る婚約者……いえ、元婚約者は私から視線を外しながら紅茶を飲んでいる。

 陽気な雰囲気とは真逆の空間。

 俯いたままの私に、彼はもう一度告げた。


「本当にすまない。君の幸せを……心から願っているよ」


 本当に願っているのなら、婚約破棄をしないでほしい。

 思わず言ってしまいそうになったけれど、私は静かに頷いた。


 これ以上会話が続くことはなく、彼は席を立ち私の部屋の隅で控えていた執事の誘導で退室していった。

 私は俯いたままじっと座っていた。

 出された紅茶は一口も飲んでいない。

 飲めるような空気ではなかったのだけれども、彼は気まずい空気を払拭させるように一気飲みしたらしく、向かいのカップは空だった。


 紅茶に映りこんだ私の表情は暗い。

 陰鬱とした印象。幸せが逃げていくような顔。

 長い前髪を垂らして目元を隠している。

 以前は風に靡くとお姫様のようだと言われていた栗色の長い髪も不気味さを醸し出している。

 

 それが今の私。

 『呪われた令嬢』という異名をつけられた私、オフィーリア・セドリアンそのものだ。




 セドリアン伯爵家は広大な領地を持つ裕福な一族として有名だった。

 父の代で更に勢いを増したこともあって、唯一の嫡子にして一人娘である私に縁談を申し込む数も多かった。

 

 初めて婚約者が決まったのは十二歳の時。

 お相手は同じ伯爵家のご子息で、三つ年上の方だった。


 パーティで顔を合わせる機会もあった彼とは気心も合いやすいだろうと、何よりも私を優先してくださった父が決めた縁談だった。

 

 けれど婚約は一年で破棄された。

 当時十六歳だった彼が年上の家庭教師と恋仲だったことが露見したからだ。

 十六歳の婚約者が自室で年上の女性と仲睦まじくしているところを目撃されたことが広まって、結果、私達の婚約は白紙になった。

 私の父は大層怒り、婚約者の家に対し一時は商売を中止したことで、元婚約者の領地では苦しい思いをしたらしい。

 その事がかえって私に非難を集めた原因でもあった。

 

 世間は私に同情する言葉を投げながらも、私のいないところで陰口をたたく。

 そんな、中傷する人々の姿を見た私はより傷つき、あまり社交の場に顔を出さなくなった。


 けれど、そう長々と社交の場から離れていることも出来ず、私のデビュタントと同時に次の婚約者が決まった。

 新しい婚約者は子爵家の男性で、年は私と同い年の十五歳。

 セドリアン伯爵家より爵位が低いこと、更に婚約者の家に対し父が圧力をかけていたこともあり、婚約者は始終私のことを怖がっていた。

 婚約者となった方から怖がられてばかりの日々は、私にとって苦痛だった。

 けれど、相手は婚約者。


 いつか、分かってくれるだろうと思っていたけれど。

 そんな日は訪れなかった。


 一年後。

 婚約者が失踪した。

 ある日突然、姿を消したのだ。

 後々から分かったことだけれど、彼はどうやら賭博の趣味があったらしく莫大な借金を一人で抱えていたらしい。

 子爵家はその借金返済に追われる羽目になり。

 勿論、婚約は白紙になった。

 

 私が『呪われた令嬢』と呼ばれるようになったのもその頃だった。




「お嬢様」


 ぼんやりと眺めていた紅茶に触れる指先が視界に入る。

 顔を上げると、私の執事が盆にカップを乗せていた。


「新しい紅茶を淹れましょうか?」

「ええ……お願いするわ」


 セオドアが尋ねてきたのでお願いした。

 

 セオドアは、私専属の執事。

 私が小さい頃から仕えている。

 元々は孤児だったところを町で見かけた私が屋敷に連れてきたらしいのだけれども、小さかった私は覚えていない。

 私よりも五つ年上の彼は、全てにおいて素晴らしかった。

 執事としての仕事以外にも、屋敷の管理を執事長と一緒に行っているらしい。

 そして何より、とても美しい顔立ちをしていた。

 漆黒の黒髪は襟首あたりまで真っすぐ伸びていて、動作をする時にサラサラと揺れている。

 瞳の色は髪色と同じはずなのに黒曜石のように綺麗だった。

 

 ああ、羨ましい。

 私も彼のように美しい顔立ちだったら一人目の婚約者に浮気されなかったかもしれない。


 私が彼のように賢ければ二人目の婚約者が賭博に走る前に止められたかもしれない。

 

 そして三人目の婚約者も……


 さっきまで向かいに座っていた彼を思い出し、私は爪を噛む。

 いつからか爪を噛むのが癖になってしまった。

 

「お嬢様」


 細長い指が私の指に触れる。


「傷がついてしまいます」

「…………ごめんなさい」


 ああ、まただ。

 私はセオドアの前に立つと、ひどい劣等感のような感情に押しつぶされる。

 美しい顔に見つめられる度、自分の惨めな姿を見ないでほしいと思う。


 小さい頃から一緒に育ってきたセオドアはとても優秀だった。

 賢くて機転も回って、誰とも物おじせず話も出来る。

 陰口を言っていた者も彼に微笑まれた瞬間、彼を賞賛する。

 

 とにかく優秀なセオドアが私には眩しすぎた。


「……ねえ、セオドア」

「はい」


 淹れ直してくれた紅茶を飲み、気持ちが落ち着いたところで私は彼の名を呼んだ。

 彼は優雅な足取りで私の隣に立った。


「私、修道院に入ろうと思うのです」

「……………………はい?」


 あら……?

 セオドアから聞くには珍しいほどに動揺した声に、俯いていた私は思わず顔を上げた。

 そこには凍り付いたように硬直しているセオドアがいた。


「……婚約破棄も三回目。これ以上の縁談はきっと訪れないわ。お父様も私の好きにして良いと仰って下さったから……私、修道院に入りたいの」


 好奇の視線に晒されることに心も体も疲れ果ててしまった。

 また次に婚約者を紹介されても、私は平静でいられる自信がない。


 きっとまた白紙になる。

 きっと婚約者が不幸になる。

 きっと彼に裏切られる。


 私はもう、これ以上傷つきたくなかった。


「お父様のお力があれば、次の婚約者を決めることも出来るでしょうけれど……私が限界なの」


 デビュタントを果たして以来、私は社交の場にほとんど出なくなった。

 婚約者がいる時には出席しないといけないパーティもあり、最低限顔を出す機会はあったけれど、それも苦痛に耐える時間でしかなかった。

 

 これでもし、四人目の婚約者でも現れたりしたら……

 考えるだけでも恐ろしい。


 俯いた私の目は、きっと死んだように暗かったことでしょう。

 それでも優しい執事は私の前に跪き、噛み癖でボロボロな爪の上に優しく手を添えてこちらを見た。


「かしこまりました。それほどまでにお嬢様が望まれるのであれば……」

「ありがとう、セオドア……」


 セオドアの言葉に私はホッと安堵した。

 けれど彼の発言には続きがあった。


「ですが少しお時間をください。お嬢様が一切の憂慮を抱かないような修道院を探して参ります。どうかそれまでお待ち頂けますか?」

「ええ……それは構わないけれど」


 セドリアンの領地から近隣にある修道院の数は多くない。

 すぐに決められるものだと思っていた私はセオドアの願いに首を傾げる。

 セオドアには私の疑問が手に取るように分かるらしく、穏やかに微笑んだ。


「修道院といっても院長の差配によってだいぶ異なります。お嬢様の心を最も休められる修道院をお探ししたいのです」

「まあ……そうなのね」


 知らなかった。

 修道院といえば、神に仕え祈りを捧げ操を立てる女性が集まり、親を亡くした子供達を預かり育てる場所だとしか私には認識がなかった。

 勉強不足だったわ。


「ありがとう、セオドア。お願いしてもいいかしら?」

「勿論です」


 美しい顔が満面の笑みを浮かべた。

 

 いつだって私の願いを叶えてくれる優しい執事。

 もし、私が修道院に入ることになれば彼とこうして接する機会もなくなるのだろう。


 それはとても寂しいけれど。

 私はどこかその事に、とても安堵していた。


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