witchな彼女
彼女と手を繋いだ刹那、短い耳鳴りと共に周囲の空気が変わるのを肌で感じた。
僕を送るついでに見せてあげる、と彼女は自宅までの道を尋ねながら歩き始めた。
初めは何のことかさっぱり分からなかったけれど、その言葉の意味を理解するのに時間はかからなかった。
異常なのだ。いたって変わらない帰り道、そこに異常を感じるのだ。
拭い切れない違和感も確かに存在していて、それを認識した時、僕は情けなく短い悲鳴を上げてしまった。
***
「ここでよかったかしら」
疲労困憊の僕をよそに、彼女は綺麗な碧眼を眼帯で覆い隠しながら話した。
未だに震えが止まらない肩を両手で抑えながら、僕はそうだと首を縦に振ることしか出来なかった。
「あえて”多いであろうと思われる箇所を通ってきた“けれど…どうやら刺激が強過ぎたみたいね」
カバンから薄ピンクのハンカチを取り出し、額の汗を丁寧に拭ってくれる彼女。それにお礼の言葉も言えないほど、僕は憔悴していた。
始めは臭いだった。
形容し難い今まで嗅いだことの無い、でも鼻に残る臭い。
普段の生活の中で嗅いだことのないその臭いが死臭と知ったのは、彼女がそう教えてくれたからだった。
彼女は近々この辺りで人が亡くなるか、それとももう既に亡くなっていて、未だ発見されていないかのどちらかだろう、そう簡単に説明して歩みを進めた。
その淡々とした説明にも驚いたが、この臭いに平然としている彼女にも驚いた。死臭だと分かっているのだから、尚更である。
次の異変は、視覚。
人々とすれ違うその中に、ナニかがいる。
彼女は顔を近付けて僕だけに聞こえるように、これからナニを見ても決して目を合わせないこと。もし目が合っても、素知らぬふりをするように、と言ってきた。
僕は頷いて前を歩く彼女の背中から視界をズラしーーー今にも出そうな悲鳴を手で抑え込んだ。
あまりに異常な人間がそこに立っていた。
口から血を流し、頭部がへこみ骨があらわになっている。全身血まみれで腕や足があらぬ方向に曲がっているのに、それは何をするわけでもなくそこに立っていた。
数刻前の彼女の助言を思い出し、慌ててそれから目を逸らし、遠慮がちに彼女に声をかける。
すると彼女は今まで僕が見ていた方向を一瞥し、あれがまだ亡くなって日の浅い亡霊だと教えてくれた。
時が経つにつれ、ああいった亡霊は色味が薄くなり末端部分から徐々に消えていく、とも付け加えて。
その説明に動揺などは一切なく、当たり前のように彼女の足は止まらない。
そして、聴覚。
喧騒に混じって聞こえてくる、地響きのように低いうめき声。そのどれもが妬み、憎しみ、悲しみという負の感情で溢れていて、思わず耳を塞ぎたくなる。
見えているんでしょう? そう何度も耳元で囁かれたりもした。
とても恐ろしくて声の主を確認することも出来ず、僕は頭を垂れ彼女と繋がる手に力を込めるしか出来なかった。
この世界に一体何が起きたのだろう。
僕がずっと生きてきた馴染みある場所なのに、まるでここは別世界のように恐ろしい。
何故こんなことが…恐怖に満ち満ちたことになってしまったのだろう。
「もうそろそろ大丈夫じゃないかしら」
彼女の声に僕は恐る恐る顔を上げた。
あの異変、あの違和感、どれも何も感じない。
僕の住むマンションが夕焼けをバックにそびえ立っている、ただそれだけ。
周囲を見渡しても、あれらはどこにも見当たらなかった。
「…え、どうなってるの?」
突如いつもの世界に帰ってこれたという安堵と、まだ戸惑いを隠せない僕は彼女を見やる。
すると彼女はさっきまで握りあっていた手を僕の前に出し、もう片方の手で眼帯をトントンと叩いた。
「知りたがっていたから、見せてあげたの。事故を未然に防げたのはこれのおかげ」
「これって、その…目のこと?」
コクリ、と彼女は頷いた。
「普段はこうして隠しているの。私も極力見たくないし、感じたくないから」
でも今日は特別、と彼女はつけ加え遠くを眺めながら言った。
「あなたはあなたの知らない間に、死に近付き過ぎている。暫く私のそばにいるといい、微力ではあるけれど護ってあげられるわ」
そう言って彼女は、僕をしっかりと見据えて頬笑みを浮かべた。
「私の名前は、宮田玲。これからよろしくね、石本恭弥くん」