偽りの庭での討論1
アシタカとシュナが話し込んで二時間程経過した頃に玄関からコンコンとノック音がした。
「今度は誰だ?」
アシタカが扉へ向かう途中で扉が開いた。
「アシタカお兄様ちょっと失礼!」
「怖い方が来てしまいましたの!」
「一旦退避しましょう!」
ララ、リリ、ルルが勢いよく部屋へ入ってきて攫うようにシュナとラステルの腕を掴んで外へ連れ出した。アピがブーンとついていって屋外へ出るとルルが扉を閉めた。
アシタカはシュナとラステルを掻っ攫っていった三つ子の妹達を追おうと外へ出た。二軒隣の三つ子達の自宅へと走っていく姿を捉えた。侵入不可能な偽りの庭に現れたシュナとラステルを招いたのはヌーフではなく妹達かもしれない。どういう経緯なのか?
反対側の門の方からヌーフが歩いてきていたのでアシタカは妹達を追わないで待った。後ろにティダとパズー、そしてセリムが居る。次から次へと客か、それも昨夜大喧嘩したティダがいる。しかもこれからティダをシュナと共に踊らせようと思っている。顔を見ると困難そうと思えてきて一気に気が重たくなった。
そんなアシタカの気待ちなど知りもしないセリムが初めての偽りの庭に爛々と目を輝かせている。想像通りの無邪気な表情だった。怪我は大丈夫なのだろうか。
アシタカと目が合ったヌーフが意味深な笑みを浮かべて背を向けて遠ざかっていった。傷はまだ全然治っていないのにセリムがアシタカに向かって手を振りながら走ってくる。その後ろをパズーが心配そうに追いかけてきた。
「アシタカ!あの鳥は何て言うんだ?あの獣は?大狼のような毛並みも見たんだがここには何種類の生き物がどれだけいるんだ?!自動荷車は作るのが大変なのか?あんなに大きな建造物はどうやって建てている?ペジテの屋根はどんな素材なんだ?」
大興奮しているセリムにアシタカはたじろいだ。一つ質問に答えたら怒涛の疑問を投げられそうだ。
「黙れセリム!ずっと五月蝿い奴だな!」
「アシタカ答えなくていいよ。夜が来るどころか明日になるよ」
パズーにもティダにもセリムは反応しなかった。まるで散歩に飛び出そうとする犬みたいに興奮して偽りの庭を眺めている。アシタカもセリムから目を逸らして三人を自宅へ促すことにした。
「アシタカ、酷い顔だな。休めてないみたいだから僕達はしばらくこの辺りを散策しようか。その方が良い。あれやっぱり大狼じゃないか?ちょっとだけ見てく……」
「後にしろ!ったく!アシタカに話があるって言っただろ!」
ティダがセリムの腕を掴もうとしたが、セリムはひらりと避けた。
「しかしほら、アシタカには余裕がなさそうだ。だから話は後でにしよう。大狼!崖の国のセリムだ!婉転な姿を近くで見せてくれないか!」
すっかり偽りの庭を気に入り、大狼を見たくてウズウズしているセリム。苛立った様子のティダがセリムを蹴ろうとしたが、セリムはまたひらりと避けた。
「おいセリム後でだ!話が先だ!急いでる!」
「ふーん。そんなに急ぎならすまなかったな」
ティダの急ぐを全く信じていないと言いたげなセリム。ちっとも悪びれた様子はない。
「大狼よ!後で挨拶に伺うからよろしく頼む!」
セリムがティダに歯を見せて笑ってから一つ隣の丘へ向かって叫んだ。今にも噴火しそうなティダに対してパズーが小さな悲鳴を上げる。
「はぁ……来るなあの大狼……」
うんざりした様子で告げるとティダは招いていないのにズカズカとアシタカの家へ入っていった。
驚いたことに丘から大狼が颯爽と駆けてきていた。大狼は偽りの庭で暮らす一族の誰にも、一度だって人に近寄った事がないというのに。
***
椅子へ促したのに絨毯に胡座をかいて腰を下ろしたティダ。玄関先で肩に大狼の顎を乗せているセリム。素直に椅子に座ったパズー。何だこの状況はとアシタカは溜め息が出そうなのを堪えた。
「何企んでるんだ?お坊ちゃんよ」
最初に口を開いたのはティダだった。
「企む?」
「シュナと蟲娘を連れていった子どもはお前の妹だろう?匂いが同じだった!それにここにシュナと蟲女の匂いがする」
セリムが興味深そうにティダを眺めた。
「そんなに鼻が良いのか。コツとかあるのか?ラステルは花みたいな香りがするけど僕とかパズーとかはどんな……」
「だから五月蝿えセリム!」
ティダに怒鳴られてセリムは渋々といった表情で口を閉じた。アシタカはセリムが崖の国で"何故何王子"と呼称されていたのを思い出した。疲れているからか七面倒だ。
「すれ違いかな。僕はさっき帰ってきたから誰とも会ってないよ」
全く信じていないという視線がティダから注がれた。
「それで話って?セリムはまだ寝てないと体に障るだろう。どうしてここまで来た?」
セリムがティダを顎で示した。
「大方シュナと政治改革の話でもしたんだろう。そんなの後だと話にきた」
少し違うがあながち間違いでもない。アシタカは嘘が少しばかり後ろめたくて動悸を感じた。
「政治改革?」
パズーの問いはティダに無視された。
「シュナに引っ掻き回される前に話にきた」
大狼の顎を撫でていたセリムの手が止まり顔つきが引き締まった。パズーは固まっている。
「君には秘密が沢山あるようだからね。兵を出せばかりではこちらは何も考えられない」
ティダがギロリとアシタカを睨みつけた。セリムとは違って自分は大狼兵士に軽蔑されているというのがヒシヒシと伝わってくる。昨夜「権力も武力もあるのに何もしないクソ野郎が」と吠えられたのが脳裏に掠めた。
「蟲の女王について知ってるかアシタカ」
知っているだろうという目でティダが口角を上げた。
「かつて蟲と共存した一族、蟲の民。その女王は自らの民と蟲を守ろうとして命絶えた。ペジテ大工房に悪魔の炎で燃やされて絶滅したという。酷い話だろう。父上が詳しく知っている」
予想外という顔つきでティダはアシタカを探った。
「本当に知らないのか。それじゃあお前が動かないのも納得いくな」
意味深なティダの台詞に被さるようにセリムの呟きが耳に入った。
「見つけたぞ……」
何の話だ?
「そうだセリム。蟲は殺戮兵器。このペジテ大工房が大昔に作った。兵器だから操れるんだよ。古代で蟲を操ったのは女だったから"蟲の女王"」
何の話なんだ?セリムが眉根を寄せてティダを凝視した。意外にもセリムは聞き役に徹するのかまた口を閉ざして沈黙を貫く。ティダがそれを察したのか声を出した。
「ロトワ蟲森から持ち出されたのは最大機密は"蟲の女王"の作り方。正確には欠陥品だがな。今回の蟲の誘導はその実験だ。唄子にあんな力はねえ。グルド帝国も何か知っている。あの蟲女を"蟲の女王"と呼んでいたからな」
ペジテ大工房が蟲を作ったのならば、古代遺跡には"蟲の女王"についての情報が隠されているのだろうか。
「ベルセルグ皇国は蟲を使ってペジテ大工房を陥落させて大技術と地下遺跡を根こそぎ奪うつもりだ。悪魔の炎で蟲森と蟲も根絶するのが最大の目的」
寒気がした。蟲がペジテ大工房を非難した理由の一つを垣間見た気がする。どこの国よりも高水準の生活をしているのに異国を拒絶、過去の愚行の反省から学べるのに蓋をして真実を捻じ曲げた。これはペジテ大工房が招いた災だ。アシタカが黙っているとティダが続けた。
「俺の目的は掟破りで裏切り者の一族とベルゼルグ皇国の愚策を止める事。大狼の山は滅ぼさせねえ。俺の民も死なせねえ。古代と同じで大陸中が死の海になるのが自分の国のせいだなんて大恥は決して許さん」
轟々と燃え上がるようなティダの熱視線。これほどの大義を抱いていても彼には自分しか武器がない。孤高の大狼兵士の途方もない野望。アシタカへ吠えた理由がようやく理解出来た。彼が欲しいのはアシタカの立場であり権力。この国の軍事力。
なのにドメキア王国やベルセルグ皇国を共に討てではなく、ドメキア王国第四軍を解放しろ、可能なら物資と兵器を支援しろとだけ言ったティダ。彼には何か妥協が出来ないラインがある。それが何なのかアシタカには想像もつかない。彼はどんな風に育ち、いつこのような決意をしたのだろうか。
「今回の戦で蟲を操れるという幻想を打ち砕くはずだった。それは成功か分からねえ。戦況がグシャグシャ過ぎたからな。ペジテ大工房に悪魔の炎は実在しないと示さなきゃならなかった。だが失敗した。あれ程手を出すなと忠告したのに!」
知っていればアシタカは止められただろうか。同じだっただろう。ベルセルグ皇国の陰謀を知ればペジテ大工房が先に故郷を滅ぼすだろうとも考えていたに違いない。それが、今は違うと認められている。
「今のうちに壊してしまおう。無い物は使えない」
ティダが高笑いした。お前にそんな事が出来るのか?という挑発的な笑いだった。
急にセリムが立ち上がってティダの前に腰を下ろした。大狼が玄関から去って扉を閉めていった。セリムは青ざめて震えていた。
パズーがセリムの隣に移動して顔を覗き込んだ。
「セリム?大丈夫か?どうした?」
「僕は蟲の王と話をした」
蟲の王?アシタカが相対した鬣のような毛が生えた蟲の事だろうか?子蟲にレークスと呼ばれていた。古い言葉でレークスは"王"
「セリム、嫌な話っぽいから聞きたくないけど……話して」
パズーが恐る恐るセリムを促した。
「古きテルムの子が誓いを破るかテルムが死ねば必ず滅ぼす。ペジテ大工房が、いやテルムの一族が蟲との誓いを破っても同じ。今回は助かった……」
ティダがパズーを押しのけてセリムの肩を掴んだ。
「前半のは聞いた。後半のはどういう事だ?」
セリムはそっと口を開いた。ほとんど独り言のようだった。
「蟲はもう兵器ではないから完全には支配出来ない。人は蟲に呆れられて絶滅させられる……どこからどう止めるべきなんだ……新しいテルムは誰になる……古きテルムの子は……」
「だから説明しろ!」
セリムが両手の拳を強く握りしめて立ち上がった。
「テルムの話はティダ、お前にした。アシタカ、蟲の王が選んだ人間ラステルの大切な者がテルム。殺されたら人は滅ぶ。僕からパズーとテトに代わり、知られたから今後また新しいテルムが生まれる」
蟲に心を開く者は絆を結ぶ。代わりに殺されると破滅をもたらす。幼少から聞かされてきたおとぎ話に類似した話だ。
「ラステルさんの?」
セリムは答えなかった。
「アシタカ、君達以外にテルムの子孫は誰がいる?」
セリムがアシタカを見てからティダを見つめた。アシタカとティダが同じペジテ人の血を引くというのは容姿から明らかだ。
「そんなん気にしてどうする?誓いとはなんだ?」
「さあ?僕は知らない」
誰がどう見ても白々しい嘘だった。アシタカはセリムは話さないと感じた。ティダもすぐに諦めたようだ。セリムはテコでも口を割らないと全身から拒否の空気を発している。
「大技師一族は時折外界へ出ている。テルムの子孫を正確には把握していないよ」
シュナが良い例だ。ベルセルグ皇国皇族もそうだ。アシタカはハッと顔を上げた。ティダは先に気がついた様子だった。
「セリム、お前の思った通りだよ。まあ止めりゃあいいんだ。ベルゼルグ皇国と何か噛んでそうなグルド帝国をな。アシタカ、お前が軍事支援してくれないなら俺はドメキア王国を利用する。お礼は毒蛇の毒抜き。こいつは化物娘と一緒に手伝う」
ティダがセリムの肩を叩いたがセリムは何か考えるように俯いていた。




