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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
二章 ペジテ戦役

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ペジテ戦役【蟲姫の反乱】

 大狼の背中も渡された外套もとても温かくてラステルの体の震えはやっと止まった。投げ捨てられた服は冷たかったので外套の中で脱いだ。そっと背後の奥に追いやる。何枚か巻かれている外套の下が下着だけだと絶対に知られたくない。でも濡れた服は寒すぎる。


「ヴィトニルさんの友人は私の事本当に嫌いなのね」


 あそこまで大っぴらに嫌悪を向けられるとかえって清々しい。ラステルは多羽蟲(ガン)の幼生の毛よりもふわふわな大狼(ヴィトニル)の毛をさわさわと撫で続けた。何て触り心地が良いのだろう。


「凄いよラステル。猛獣を手懐けるなんて」


 雪に伏せている大狼(ヴィトニル)が低く唸った。


「まさか。私がセリムの奥さんだから優しくしてくれるのよ。ね?ヴィトニルさん」


 ラステルの問いかけに大狼(ヴィトニル)が鼻息で軽く雪を吹き飛ばした。


「ほらね」


 パズーがシュナと馬に乗るティダを不可解そうに眺めた。白馬の後ろから先程までシュナと乗馬していた兵士が歩いてくる。


「崖の国のお妃様。大狼と会話出来るのですか?」


 真っ先にラステルに外套を差し出してくれた兵士の問いかけにラステルは首を捻った。


「いえ、そんな事は出来ません。さっきティダ皇子が言っていたでしょう?セリムを気に入っているって。パズー、こんなに優しく美しい子を手懐けるなんて誰にも出来ないわ」


 大狼(ヴィトニル)がぶるんと顔を揺らして三度吠えた。


 おおっというどよめきが起こった。ラステルには不思議だった。


「ティダ様が言っていました。大狼が三度吠えれば認められると。我が軍ではシュナ様にだけ吠えました」


「それなら今のはそのシュナ姫へね。きっと」


 もう目の前にシュナとティダが来ていた。病気なのだろう。シュナの見た目はお世辞にも美しいとは言えない。しかし綺麗な瞳をしているお姫様。セリムと似ているタリア川を思い出させる澄んだ青い瞳。ティダという男がドメキア王国に必要だと言い切った女性。おまけに猛々しいティダの伴侶。心が広くて誇り高いだろうと思ってはいたが予想通りでとても安心した。大狼(ヴィトニル)が認めるに足る人物。


「色々とご厚意ありがとうございます」


 シュナはニコリともしなかった。正直戸惑った。笑いかけてくれるだろうと期待していたのに。彼女の後ろでティダがラステルを睨みつけている。こちらはもう仕方がない。余程嫌われているらしい。出会って早々殴りかかったし、蟲に頼み事をしたのを目の当たりにして化物だと知られた。傷つくには傷つくが、ラステルにとっては当たり前の視線になりつつあるので無視することにする。


「話を聞こう。崖の国の妃よ」


 シュナが少しだけ笑ってくれたのでラステルは胸を撫で下ろした。


「この戦を穏便に済ませようとしていたティダ皇子のお妃様。穏やかな道を歩んで欲しいのです。ペジテ大工房へ二度と襲撃しないでください。自国に蟲森の民を受け入れて二度と彼等に蟲を利用させないで欲しいのです」


 ティダが飛行船を追うのをやめてシュナを探すと言ってから、ラステルはずっとシュナに嘆願したかった。


「私にそんな力は無い。それとも我等がドメキア王国とベルセルグ皇国を手に入れるのを援助するということか?そなたは蟲を操るのだろう?」


 ラステルはティダに視線をずらした。この短い間にラステルの秘密を教えたらしい。しかも間違えている。ティダは相変わらずラステルを睨んでいた。


「お前が捕まえたのは俺達と同じ駒。ドメキア本国にあの倍以上の敵がいる。ベルセルグ皇国にもな」


「そんな……なら皆で話し合いましょう」


 シュナが落胆の目を、ティダが嘲るような視線を投げた。


「馬鹿娘。世の中そんなに甘くない。この女がどうやって生きてきたか知っているか?俺がどういう風に生き延びてきたか知らないだろう。ドメキア王国やベルセルグ皇国の内情はお前みたいな温室育ちのお嬢ちゃんには想像できない」


 ぐうの音も出ない。なら教えて欲しい。しかしそんな簡単に聞いて良い話なのか?聞いたところでラステルには何の力もない。彼等と共に戦うつもりもない。ラステルが困惑しているとティダは更に続けた。勝ち誇ったようにラステルを見下ろす。


「お前は俺を信じると言ったな。共に手を血みどろにして理想を追うか?それならお前を利用してやる。殺戮兵器を振りかざす破壊神。それならお前の事を好きになれそうだ」


 嘲るようにティダが大声で笑いだした。この人はラステルが拒絶するのを分かっている。


「あの子達は生き物よ!兵器なんかじゃ無い!そんな言い方しないで!それに私は……」


 シュナがティダの口を塞ぎラステルの台詞を遮った。


「ややこしくなるから黙れティダ。私はドメキア王国を占拠しに帰る。決死だ。我等の軍とその家族や虐げられる民が生き残るには今の王を討たねばならん。一か八かだが選べる道はない」


 悲しそうな声だった。どうしてこんなに優しい目をした人が険しい道を進まないとならないのだろう。どうすれば良いのかラステルには何も思いつかなかった。彼女達の事を何も知らない。


「アシタカに頼めば良いんじゃないか?」


 パズーが両手を叩いた。


「ラステルが蟲を宥めてペジテ大工房を救おうとしている。というか救われる。その救世主を助けた皇子とお姫様をアシタカは助けるに決まってる!」


「それだわ!パズー!アシタカさんに頼めば良いのよ!そもそもティダの友達なんでしょう?」


 ラステルは嬉しくてパズーに抱きつきそうになったが腕を止めた。友達の好きな人に気安く触るものではない。パズーが少し残念そうにしたので手の甲を抓っておいた。テトの代わりだ。


「痛いよラステル」


「鼻の下を伸ばさないでちょうだい。テトに言いつけるわよ」


 パズーが顔を引きつらせた。それから「違うよ」と小さく呟いた。ばつが悪そうな顔をしているので多分違くない。


「関係ない話をするな!あの男と俺が友達⁈お前ら馬鹿か。アシタカね。使えそうだが戦には出てこないぜ。第四軍の後押しするだけで一大事だったみたいだからな」


 シュナが再びティダの口元にまた手を当てた。


「この娘は私と話すと言った。もう一度言うがティダお前はしばし黙れ。ラステル。そなたは考えなしのまま私に会いに来たようだな」


 金属の楽器がぶつかるような綺麗な声なのに刺々しさと呆れが混じっていた。言われた通りラステルは自分が何をするべきなのか整理出来ていない。


「ティダ……皇子を、私は彼を信じようと決めました。ティダ皇子がドメキア王国にはシュナ姫が必要だと言いました。この皇子の妃なら絶対に器が大きいと思い会いに来たのです。何も知らなくて良い案も無くてごめんなさい。でも……」


 どうしてだかシュナの顔つきが少し軟化した。


「我等の反乱には手を貸さないのだろう?」


 確信しているという顔付きでシュナがラステルを見据える。


「私が命じても蟲は従いません。さっきもペジテから撤退して帰るように頼んだのに飛行船へ向かっていきました。ペジテ大工房のことは守ってくれるみたいですけど」


「何だと?あの飛行船が雪だるまになったのは違うのかよ!使えない女だな」


 私にはそんな力はないとティダに言い返す前にシュナの腕が伸びた。


「黙ってろと言っただろうティダ。ラステル妃よ教えてくれ。蟲は操れないというがペジテ大工房は守ってくれているというのはどういう事だ?」


「あの国は何もしていないのにアシタバから来た蟲達が何か勘違いして怒っています。もうすぐホルフルの蟲達が説得する。想いは届き蟲はみんな森へ帰るでしょう」


 パズーが迎えに来てからラステルには蟲の感情が感じられない。しかし飛行機の上から緑の目をした蟲の群れがペジテ大工房の前に並ぶのを見た。ホルフルの多羽蟲(ガン)が中心となっていた。だから蟲は蟲とぶつかり合わない。


「化物ね。奇妙な娘だな。しかしそなたの言う通りなら幸運だ。ペジテ大工房が滅びないのならば道はある」


 シュナはラステルを気味悪く思っていないようだ。目だけではなくセリムに似ている。大した事じゃ無いという雰囲気。でもラステルを嫁にしようと考える程好きになってくれたセリムがラステルを受け入れたのとは違う。もっと純粋な許容。


「アシタカとはペジテ大工房の至宝だろう?懇意(こんい)なのか?」


「至宝?そうアシタカさんはペジテの王子様です」


「違うよラステル。あの国には王はいない。民の代表が話し合いで国の行く末を決めるってアシタカが言ってた」


 パズーに教えられてもよく分からなかった。では、とても地位の高そうなアシタカは何なのだろう。


「信仰対象だ。それなりの発言力がある。会わせてもらいたい」


 どちらかというとアシタカはラステルを嫌っている。まずはセリムだ。セリムならきっとアシタカを説得してくれるだろう。


「あいつを転がすならセリムが必要だ。あのボンボンは器が小さいからな。背伸びさせないとならん」


「またアシタカを侮辱するのか!」


 パズーとティダが睨み合った。シュナが無視して口を開く。


「ペジテの至宝と和平を結べれば勝者として帰国出来る。無理でも蟲を操れる女として毒蛇の巣へお前を持ち帰れば何とかなるだろう。時間稼ぎをして兵と家族くらいは逃がしたい。いや逃す。その道なら付き合ってくれるか?茨の道だ」


「「どういう事?」」


 ラステルとパズーは同時に同じ台詞を吐いた。


「反乱軍ではなく勝者として帰国する。護衛にこの不敗の大狼兵士をつけてやろう。亡命先は崖の国だ。そのぐらいの気概はあるな?」


「おい。ベルセルグ皇国はどうするんだよ」


 ラステルが返事をする前にティダがシュナの腕を捻り上げた。しかし優しそうな力加減に見える。ラステルの事は思いっきり膝で蹴飛ばしたのに。未だに痛い。シュナが涼しい顔をしてラステルを見つめ続けた。


「元々本国へ乗り込むには力が足りぬ。第一軍も出征して来なかったから余計に分が悪い。別の計略を立てる方がマシだろう。ついでにお前の祖国など私には関係ない」


「ベルセルグ皇国のハイエナ行為を恐れたんだろドメキア王は。あーあ遠回りばっかりだな。ったく、また何か考えないとなんねぇ。恩は返してもらうからなシュナ」


 話の展開が分からなくてラステルは瞬きを繰り返した。シュナはティダを無視した。


「ラステル妃よ、理想を追う者よ。ドメキア王国では生き様こそ全て。穏やかな道をと言うのならば身を呈して助けてくれるのか?」


 勝手には決められない。


「崖の国では私は余所者です。もし逃げるのならば蟲森で暮らす術を教えます。蟲にも頼みます。それでよければドメキア王国に行きましょう。私は貴方を死なせたくない。貴方は民を見捨てない。だから私は行きます」


 パズーがラステルの口を塞ごうとしたが振り払った。


「シュナ姫の案は最終手段です。きっとアシタカさんやセリムは貴方達の力になってくれます。私には考えつかない事を提案してくれる。なんだかんだティダ皇子も。もし私の予想が違かったら妃を辞めて貴方と共に生きましょう」


「ラステル!本気か?」


「私はセリムを信じているもの。セリムはきっとシュナ姫を助ける。万が一そうでなかったら私そんな人の奥さんなんて嫌よ」


 パズーが「あー」と肩を落とした。


「どれだけ人助けしたいんだよ二人とも。早く崖の国へ帰ろうぜ」


 パズーの嘆きは一緒にしか帰らないというようにも聞こえた。セリムにアシタカ、シュナにティダと国代表が平和を望んでいる。きっと死ぬはずだった人が死ななくても済む未来が開かれる。一人でも助かる人が増えるならその方が良いに決まっている。


「良いのか?毒蛇の特技は裏切りだ」


「困っている者を見捨てるのは恥です。それに貴方はそんな人では無い。私はティダ皇子を信じるとも決めました。崖の国は誇り高いの。ねえパズー?」


「アシタカに権力を振りかざしてもらおうぜ。殺伐とした争いに参加するなんてこりごりだよ」


 間も無く蟲は人を許す。そうに決まっている。セリムが居れば大丈夫だ。蟲と人とを繋いだ男は、人と人くらい繋いでくれる。頼まなくても、むしろ止めたくてもセリムは誰にも止められない。飛んでいってしまう。そういう男だ。その過酷な道をラステルは支える。絶対に離れない。


--病める時も困難に襲われても我が隣から離れずに添い遂げてくれないか?


 例えこの先セリムが死んでも、殺されてもラステルは許す。セリムの愛する美しいものは愛し続けたい。誇り高い妻であり続けたい。セリムは化物であるラステルをわざわざ選んでくれた。


「ジョンはどうするシュナ?」


「フリストにはカールが乗っているんだろう?今頃首を刎ねている。私とお前が行く前にな」


「いや、あの塊は無理そうだ」


「一先ずカールとフリストと合流するか」


 シュナとティダの会話はラステルには分からない。ペジテ大工房を守りに行ってくれたホルフル蟲森の蟲達が心配だから早く出発したかった。今は全然蟲の感情が分からない。でも確かに聞こえた。ティダが助けてくれたあとに聞こえた「猶予を与える」という言葉。初めて蟲の声が聞こえた。それきりだ。


 ティダ達の民や仲間は蟲を利用しないから帰ってくれとラステルが祈ってもアシタバの蟲達は飛行船を襲った。セリムに会えば蟲の言葉を教えてくれるに違いない。ラステルは脱いでいた服を着た。冷たいが我慢する。下着に外套なんて格好では移動出来ない。


「カールはペジテを憎んでる。後でだな」


「まずはセリムの元へ連れて行って下さい」


 ラステルと殆ど同時にパズーが素っ頓狂な声を出した。


「カール?あの怖い美人?蟲殺しの?」


 蟲殺し?


「どういう事だパズー?」


 蟲……殺し……?


「ペジテに蟲を襲わせる為に小さな蟲を刺し殺して投げつけて来たんだよ!鬼みたいな女だ!」


 小さな蟲……兄弟殺し!!!!!


「ラステル?」


 途端に蟲の怒りと憎悪が押し寄せてきた。心を閉ざしていたのに、憎しみから目を背けていたのに物凄い勢いで迫ってくる。


「ラステル!どうしたんだ?」


 飲み込まれる


 嫌だ


 嫌だ


 飲み込まれたくな……


 …………


***


〈怖いよー〉


 兄弟が怯えている


〈ホルフルアピスはレークスに従う。アシタバのみんなも従ってる。怖いよセリム〉


 兄弟が怯えている


〈レークスが怒ってる。そうするとみんな怒る。僕らは帰りたいのにおこりんぼになっちゃう。姫も嫌なのにおこりんぼに変わる。嫌だよセリム。可哀想だよセリム〉


 兄弟が嫌がっている


--僕らは帰りたいのにおこりんぼになっちゃう


 嫌がっている


--嫌だよ


 嫌がっている


***


 私たちを飲み込むのならば、逆に飲み込むしかない


 兄弟に手を出す事は許さない


 強要を許さない


 出てきなさいレークス


 私は抗う


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