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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
二章 ペジテ戦役

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ペジテ戦役【テルムと人形人間、子蟲と風詠】

 実り豊かな黄金に輝く長い巻き毛。太陽を浴びたことがないから透明感のある真っ白な肌。人形人間(プーパ)は今日もぼんやりと隔離施設の中央、白い床に体を丸めて座っている。いつも通り格納庫に繋がれた鉛色の大蜂蟲(アピス)の前駆体が緑色の目で人形人間(プーパ)をジッと見つめていた。


「君を人にしようと思う」


 テルムが人形人間(プーパ)の傍に腰を下ろすと大蜂蟲(アピス)の前駆体の目が真っ赤に変わる。それでもテルムは人形人間(プーパ)の髪の毛にそっと触れた。手入れされていない髪はまるで本物の人形のようにキシキシとしている。人形人間(プーパ)は赤い瞳でテルムを見上げた。途端に隔離施設内に大蜂蟲(アピス)の前駆体達がけたたましい歯軋りの大合唱を響かせる。


「僕は罪を悔い改める。例え造られた命といえど同じ命。自由を得る権利がある。共に行こう。君に名を与える。僕と共に人として生きよう」


 人形人間(プーパ)は無表情のまま小さく首を横に振った。


大蜂蟲(アピス)達は僕の力では連れて行けない。持てるだけの培養孵卵器を手に入れる。彼等にも君と共に自由を」


 人形人間(プーパ)はまた小さく首を横に振った。


「このまま殺戮兵器、道具でいたいのかい?分からないか」


 人形人間(プーパ)は今度は顔を動かさなかった。テルムが待っていると少ししてから人形人間(プーパ)は首を横に振った。やはり彼女はただの人形ではない。消えそうなほど小さくても自己意識の火は灯っている。


「全ては救えない。僕は小さ過ぎる。でも未来は開けるはずだ。君は変われる。新しい命となって共に生きよう。」


 テルムは人形人間(プーパ)に両手を差し出した。しかしテルムの手を払いのけて人形人間(プーパ)はゆっくりと立ち上がった。それから隔離施設内部を見渡す。大蜂蟲(アピス)の前駆体達が親愛を示す緑色の瞳で人形人間(プーパ)を見つめていた。


「僕は罪に耐えられない。君を人にする。兵器は命になる」


 テルムは白衣から鎮静剤入りの注射器を取り出して素早く人形人間(プーパ)の腕に打った。眠りに落ちた人形人間(プーパ)を抱えて、騒ぎ始めた大蜂蟲(アピス)の前駆体達の生命維持装置の操作盤まで急いで歩いた。格納庫の扉を閉じて栄養管の電源を落とす。


「すまない。新しく産まれる君達は本当の命となる。そして自由に生きるんだ」


 テルムは隔離施設に背中を向けた。


***


 目が覚めそうで夢だと感じた。


 セリムが故郷でラステルと歩いた対崖(ついがけ)にかかる大橋に降り注ぐ流れ星。あの日と変わらない、はちきれんばかりの美しい夜空。


 思い出ではなく幸せそうに身を寄せ合って微笑む男女が巨大な多羽蟲(ガン)に座っていた。


 白い服を着た男と金髪の巻き毛の白い女。丘の上で空を見上げて流星を眺めている。


***


 〈起きてテルム。助けてテルム。怖いよー〉

 

***


 セリムが目を開けた時に初めに見えたのは白だった。ゴーグルを擦ると灰色の雲に舞い落ちてくる雪が目に入った。それから黄色い三つ目。胸の上に多羽蟲(ガン)の幼生が乗っていた。震えている。セリムはそっと両腕で抱きしめた。セリムの周りには他にも多羽蟲(ガン)の幼生達がくっついている。鉛色とまだ薄い羽がふるふると小さく震えていた。体には降り積もった雪。吹き付ける冷たい風。背中から伝わる冷感。セリムはどこかの雪の上で多羽蟲(ガン)の幼生達に囲まれて寝ていたらしい。しかしあまり寒く無かった。集まっている多羽蟲(ガン)の幼生達の体温で温かい。


「僕の名はセリム。ラステルの伴侶セリムだ。覚えてくれるかい?」


 セリムはそっと腕の中の多羽蟲(ガン)の幼生の胴体部の黄色い毛を撫でた。柔らかくてふわふわしている。それで気がついた。手袋ではなく生身。しかし痛みも瘙痒感(そうようかん)もない。雪と風のお陰なのか蟲森の毒胞子は蟲の体にはもう付着していないらしい。


〈テルムはセリム。セリム。セリム。僕らはホルフルアピスの子。怖いよセリム。助けて〉


「アピスの子達よ、こんなに怯えてどうしたんだ?僕には何が出来る?何をしてあげられる?」


〈みんな怒ってる。姫は頼んでる。でもレークスが怒ってる。ホルフルアピスはレークスに従う。アシタバのみんなも従ってる。怖いよセリム。助けてセリム。おこりんぼになりたくないよ〉


 緑と黄色を点滅させる多羽蟲(ガン)の幼生をセリムはあやすように撫でた。ラステルがセリムの蟲研究書に補足した「幼生は丸くてふわふわしてて可愛い」という文字がまぶたの裏に浮かんだ。確かに可愛いかもしれない。


「レークス?」


〈姫の親だよ〉


「姫の親。王?」


 ラステルは本当に人間ではないのだろうか。体の構造はどっからどう見ても人間だが親は蟲らしい。それでもセリムのラステルへの気持ちは変わらなかった。それがどうした?僕の妻だ。としか思いつかない。


(レークス)が怒ってる。そうするとみんな怒る。僕らは帰りたいのにおこりんぼになっちゃう。姫も嫌なのにおこりんぼに変わる。嫌だよセリム。可哀想だよセリム。セリムが会いに行かないと姫と遊べない〉


--人の心を閉ざした蟲姫はテルム(セリム)が生きてるって信じない。もうすぐ完全な蟲になるんだって


 おこりんぼとはラステルが完全な蟲になるという事なのか?なら今は不完全な蟲なのか?

 

「大人たちが言っているテルムとは何なのか知っているかい?テルムが産まれて死んだから断罪だと言っていた」


〈知らない知らない。僕らはまだ知らない。脱皮してないから知らない。おこりんぼにならないから教えてくれない。姫とまた遊びたい。へんてこセリムをまた見たい。トムの変なのでまた遊びたいよ。みんなと早くお家に帰りたい〉


「なら行こう。ここは何処なんだろう」


 セリムは多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)を抱えたままゆっくりと立ち上がった。怪我をしているはずの腹部は痛くなかった。そっと手を当てると鈍くズキズキする。治っている訳では無いようだ。寒さで感覚が麻痺しているだけのようだ。楽にはなったが相変わらず目眩もする。


〈ずるい。ずるい。僕らも抱っこ〉


 他の多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)が騒ぎ出したのでセリムは抱いていた子を離した。


「悪いが僕の手は二本しかない。よしみんな平等に飛べるかな?綺麗な羽を頑張って動かすんだぞ」


 子達の体に積もった雪を順番に手で払った。前後左右白い世界で何処へ行けばいいのか、どちらに足を踏み出せば良いのか分からない。防護服は着ているが丸腰。目出し帽とゴーグルはしているが兜は無い。身軽だから兄からの餞別(せんべつ)鎖帷子(くさりかたびら)も着ていないのが分かる。怪我の手当ての時に脱がされてそのままだ。セリムは腕を組んで唸った。気絶したのは総司令室。今はおそらくノアグレス平野の何処か。何が起こってどうなったのだろうか。


〈セリムといるとおこりんぼにならない。トムにも匂いがした。トムトム、トムトム、トトトトト。姫を迎えにきたヘンテコ人間。トムトト、トトトトト〉


 先程まで怖いと騒いでいたのに多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)達が楽しそうに歌い出した。


「トムはパズーという名だ。僕の匂いがするのかい?」


〈セリ()友だち()トムトムトトト。名前はパズー。パズー。したよセリムの匂い。パズーは姫の友だちの匂いもした。セリムは姫の匂いと誓いの蜜の甘い匂い。セリムは姫が混じった良い匂い。あっちからとあっちからするよ。あっちのは飛んでる〉


 姫と混じった(・・・・・・)。セリムは一瞬言葉を失った。無邪気に告げられたのに生々しい気がして恥ずかしくてたまらなかった。蟲にテルムと初めて呼ばれた時、ラステルはまだ乙女。だからイブンに怪我した体で蟲の体液に触れた後から蟲の声がすると伝えた。どうやら「蟲に類似した体液と心を開いて接触した」というイブンの憶測の方が正解のようだ。


 ラステルとキスして蟲の声が聞こえるようになり、ラステルを抱いた後の方がより鮮明に蟲の声が聞こえるようになっている。そういう事なのだろう。そして多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)がくれた銀色の甘い球。死んでいたかもしれないという物騒な贈り物。苦笑してから一番近くを飛ぶ多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)を撫でた。


〈姫の匂い、かくれんぼさせられてて分からない〉


「一番僕の匂いが強いのはどっちだい?」


〈あっち。僕らみたいに飛んでる。こっちに向かってきているよ〉


 大鷲凧(オルゴー)に違いない。風の神は許してくれるのか。まだ主に相応しいと大鷲凧(オルゴー)が帰ってきてくれる。いや違う。大鷲凧(オルゴー)はパズーを見守れと言いたかったのだろう。今度はセリムが誇りを見せる番だ。それが風の導き。まるで母親が赤子を抱くように柔らかな風が多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)を包んでいる。セリムは愉快そうに歌う多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)が示す方向へと歩き出した。


「怖いのによく頑張ったな。おこりんぼにならなくて偉い」


 歩きながらセリムは多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)を風の道に乗せてやる。ふわっと舞い上がって戻ってきて楽しそうに宙返りした。頭を撫でながら他の子達も風へと導く。ここが蟲森ならば楽しい時間だろう。しかし今は戦場。未来を担う子ども達が望んでいないのに怒りと憎しみに巻き込まれようとしている。大人は子を守らねばならないというのに。


〈巡る巡るくるくるくるくる〉


〈同じおこりんぼは悪い子。僕らは偉い子〉


〈セリムが死んでもくるくる巡る〉


〈好きなものが残る限り許しなさい。姫に従う偉い子良い子〉


〈くるくるくるくる〉


〈僕らはセリムがいるとおこりんぼにならない。死んだら木になって家になる。実になって食べられる。巡る巡る。怖いけど終わらないから大丈夫〉


〈セリムがいなくてもくるくるは変わらない。くーるくるー〉


 宙返りを何度もする子達はまるで踊っているようだ。


「どういう事だ?ラステルが何か君たちに教えたのかい?」


〈くるくるくるくる〉


〈僕らは偉い子。おこりんぼにならない〉


〈くーるくるー。くーるくるー。セリムと遊ぶの楽しーい〉


〈もっと遊んでもっと飛びたい。風が沢山で楽しいよ〉


〈楽しーい!〉


 飛び跳ねる勢いが増していった。


「興奮しすぎて僕の話を聞いてないな」


 大合唱で歌って飛び跳ねる多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)達はすっかり元気になったのか若草色の瞳をキラキラさせて大はしゃぎ。崖の国の子供達とそっくりなやんちゃ者にせがまれてセリムは何度も風に乗せてあげながら歩き続けた。


 一羽の大鷲が音もなく着陸しこうべを垂れた。雲の切れ間から日の光が一筋、大鷲凧(オルゴー)に伸びる。機体についた雪が煌めいた。


「風の神よ我が憎しみを許してくださりありがとうございます。憎悪を身に閉じ込め気高く飛びます。どうか風の加護を」


 セリムは跪いて祈るように両手を握った。つられたのか多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)達も歌うのをやめて静かに着陸して頭部を下げた。


「よし行こう。君達は本当に偉いな」


〈一のテルムが生きていた。執行猶予は続く〉


 渦を作っていた蟲の群れの中で聞いたのと同じ荘厳な声が響いてきた。(レークス)か。頭上から何か降ってきた。セリムの鉈長銃(なたちょうじゅう)と短銃、鞭だった。そして崖の国の紋章があしらわれた兜。楔帷子(くさびかたびら)に手袋も落ちてきた。


 (レークス)に呼ばれている。


「危険かもしれないから先に森へ帰りなさい」


〈嫌だよ嫌だよセリムと今遊ぶ。みんなみんなおこりんぼ。怖いよ。怖いよ。帰ったら怒られる〉


「親は怒っても子に酷いことはしない。君達の親はそういう蟲だ。だから安心して帰りなさい。それに新しい風の子がいつかきっと君達と遊んでくれる」


〈風の子?〉


「崖の国のリノ。きっと遊びに行く。僕とラステルの残した君たちの本を読んで会いに行くよ。その時は喋れなくても優しくしてやってくれ。これを見せるといい」


 首から下げていた母親の忘れ形見の首飾りを外すと一番近くを飛行する多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)の頭部と胴体部の間に掛けた。


「ラステルにも渡さなかった僕のとても大切なものを誓いにあげよう。みんなにだ」


 父ジークが婚姻の際に母リシャに贈った異国の青い宝石で作った髪飾り。あらためてまじまじと眺めるとラステルが飾るタリア川の結晶によく似ていると気がついた。


〈風の子リノも遊んでくれる?〉


「僕の弟子だ。絶対遊んでくれる。会いに行ったら驚くから森で待っててあげて欲しい。勝手に他者の領域に押し寄せてはいけない。人間と蟲は本来は意思疎通が出来ない。僕の弟子はきっと敬意を示して君達の家に踏み込むから許して欲しい」


 突如セリム不在の崖の国に蟲の群れが現れたら悲惨な末路が待っている。流石にそれは避けないとならない。


〈僕たちは知っているよ。人間の感情が何となく分かる。でも人間は分からない。森の外に出ていいのは許可されたときと逃げる時だけ。古い大切な教え〉


 セリムの危惧は取り越し苦労のようだ。


「賢い子たちだ。リノは風の子。また風に乗せてくれるよ。楽しみに待っていて欲しい」


〈卵が孵っても教えるよ。楽しい遊び。セリムと遊ぶ。セリムの弟子と遊ぶ。へんてこ人間を蟲は好き〉


 「ありがとう。聡明で誇り高き子たち。ホルフルアピスの子たちよ」


 わらわらとセリムの前に子達が集まった。


〈セリムと一緒に行く。姫を探しに行く〉


「子は宝だ。それに君達は偉い子ばかりだ。だからどうか先にお帰り。イブンという男は君達の言葉が分かる。僕の友達、君たちの言うトムだ。きっとホルフルの民を導く。リノと故郷の崖の国。そしてホルフルの民。みんなと仲良くしてくれ。僕が居ない間も僕の存在が絆を繋ぐとこの首飾りに誓おう」


〈誓うよセリム。姫はそれを望んでる。くるくる巡る。嫌だけど怖いけど信じて帰る〉


 泣きそうな想いを乗せる声が押し寄せてくる。それを振り切るようにセリムは勢いよく大鷲凧(オルゴー)に乗った。


「妻を迎えに行く。友も連れて共に必ず帰るよ。また遊ぼう。助けてくれてありがとう」


 抗議なのか挨拶なのか多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)達は一匹ずつセリムの兜の前面に軽く体当たりして空高く飛び立っていった。雪の勢いが弱くなり視界が開けた。遠ざかる蟲の大群、遠くには無数に転がる死体や投げ出された武器に人類の発明品。セリムは地獄の中央に居たらしい。


--ガンの子達はセリムが大好きで仕方ないようだ


 イブンの言葉か蘇った。蟲森の光苔(トラーティオ)で虹色の道を作ってくれた優しい子達だと今更気がついた。


「少し右だ!そうだ!大きな風が運んでくれる!お家にお帰り!」


 セリムの指示通りに飛んで行く多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)達の周りに大きな飛行蟲が現れた。紅の瞳をしているが動きはしない。突風が多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)達を押し出すように山脈へと飛ばした。その先にまたなだらかな風の道がセリムには見えた。黒い点になるまで多羽蟲の幼生(ホルフルアピスの子)達を見送ってからセリムは大鷲凧(オルゴー)のエンジンペダルと推進ペダルを踏み込んだ。

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