ペジテ戦役【崖の国の民の心意気と空中落下】
ティダの頭上に影が落ちた。鳥のようだと思って一瞥すると無人のセリムの機体だった。
「死んだか……」
知り合ってわずかだというのに酷く悲しいと感じた。乱れ撃ちする第二軍の攻撃をするすると避けてセリムの機体が舞い降りてくる。まるで意思を持つように。それを無視してティダと王狼は戦場を駆け抜けた。
「見えた!」
一際大きな飛行船が飛び立とうとしている。ドメキア王国第ニ王子ジョン。本国により命じられるがままに蟲を使役して、この愚かな争いを実行した張本人が機関室の窓から見える。丸々と太った豚のような姿をようやく捉えた。
「ヴィトニル俺を飛ばせ!それから行け!絶対に死ぬなよ!」
ティダを王狼が弾き飛ばした。ティダはジョンが乗る飛行船と共に発とうとしていた戦闘機に飛び乗った。
「借りるぞ機体!」
悲鳴をあげて銃を構えた兵士を短旋棍で殴りつけて服を掴み機体から引っこ抜いた。可能な限り早く飛行機に乗り込みガタガタと地面の上を揺れる機体を大地から空へと導く。
「保身ばっかりの愚か者が。兵を捨てて行くなど言語道断。それにエンジンを撃ち抜かれたら終わりだってのにな!逃げるならせめて馬だろ!」
大型飛行船は戦場にゆっくりと背を向けようと旋回している。誰よりも早く戦場を駆け抜けて一番乗りしてきたティダの存在にはまだ気がついていないようだ。動力部に銃弾を撃ち込もうとした瞬間、ティダの飛行機の前をセリムの機体が横切った。それどころか蝶のようにひらひらとまとわりつく。
「邪魔だ!」
引き金にかけた指が動かない。動かすのが躊躇われてティダはセリムの機体を避けるように宙返りし大きく機体を傾けた。友となる前に死んだ男の忘れ形見。それに手を掛けるのは恥ではないか。
「何だあれ?」
体制を立て直したティダの目に飛び込んできたのは宙に浮かぶ滑走路だった。渦を巻いていた飛行蟲が道を作るように整列している。その中央を進む小さな鳥の影。いや、小型飛行機だ。尾翼に小さな第四軍の紅旗が翻る。
「死んでなかったってわけか」
蟲の群れに突っ込む大馬鹿野郎など、ティダの知人ではたった一人しかいない。だが様子がおかしい。尾翼から煙を出している。それが益々激しくなっていく。あのままじゃそう長くないうちに墜落は確実。誰かが行かないと地面に叩きつけられて肉塊になる。ティダの身体は驚くほど自然に動いた。
逃走する第二軍ジョン王子の大型飛行船にティダは背を向けていた。
***
飛び出したは良いもののパズーはどうするべきなのかさっぱり分かっていなかった。ラステルに会いに行くということは、蟲の大群に突っ込むということ。そもそもパズーの人生で蟲を見ることはほとんどなかった。セリムに連れていかれた蟲森で遠目で観察したくらい。それなのにおびただしい数の蟲が渦を作って飛び回っている場所へと向かっている。ハンドルを握る手が震え続けていた。
「蟲に絶対に手を出すなか……」
アスベルの忠告。崖の国の子供達はみんなアスベルから蟲の恐ろしさを教え込まれた。セリムからは蟲を怖がらせなければ襲ってこないという真逆の説明。どちらを信じるかは悩むが、怒ってる相手に手をあげたら返り討ちになるのは目に見えている。パズーは飛行機に付属の機関銃を外せないか試した。
「取れた」
外れた機関銃を放り投げ、次に銃弾の入った箱も捨てた。こんなものがあったらいざという時に思わず使用してしまう。武器など手にしていなければ使わなくて済む。それから手荷物に入っていた観測凧をあげた。ラステルが気づくかもしれない。いや気づかせたい。準備は整った。蟲が飛行する空域になってくる。なるべく蟲がいない空間を目指した。
「うへぇ。あの中心とか怖すぎだろう」
まるで蜂を巨大化したような蟲の大群。大渦の中心は遠いが、その数と激しい動きは威圧的だ。近づくとその数の多さに圧倒される。望遠鏡で確認した時、ラステルはそこにいた。一際大きな蟲に抱きしめられているようだった。遠くで様子をうかがっていたらラステルはパズーを見つけてくれるだろうか?
「襲ってこない。やっぱりそうなんだ」
まるでパズーを避けるように蟲が飛行する。パズーは少しずつ渦の中央へと飛行機を進めながら旋回した。真っ赤な三つ目がパズーを通り過ぎる直前で緑っぽく変わる。赤は怒り、青は平静だとアスベルが言っていた。ではラステルと同じ若草色は何なんだ?
「突っ込んだらさすがにまずいよなぁ」
誰もいないのについ独り言が漏れる。セリムはいつもこんな風に一人で考えて行動していたのだろうか。もっと沢山話を聞いてやれば良かった。蟲森の芋を食べさせられたくらいで怒らないで秘密を共有すれば良かった。いや、あの騙し討ちはセリムが悪い。
「セリムとオルゴーなら一直線だろうな」
そろそろと機体を渦の中心へと進めていく。パズーの旋回に合わせて蟲が避けていった。それでも怖くて堪らない。いつこちらを襲ってくるか分かったもんじゃない。
「おいおい止めろ!」
蚊柱みたいな集塊が観測凧にまとわりついて機体が揺れた。蚊なんて小ささではない。手の大きさくらいありそうな蟲の集団。
「あれ、ちょっと可愛いか?」
飛び回るパズーの体よりも大きな蟲よりも丸くてふわふわとした毛が沢山生えている。羽はまだ柔らかそうで一生懸命細かく羽ばたいていた。小蟲達は観測凧を脚で蹴りあって弾いている。目は緑色をしていてた。
まるで遊んでるみたいだ。あまりに呑気で愉快そうな光景にパズーはつい見入った。飛行機がガタガタと揺れるが気にならなかった。注意していれば操縦に問題は無さそうだ。
「ははっ!蟲の子供か?怖くないのかよ。セリムみたいな奴らだな」
興味を引けば臆さず突き進むセリムの屈託のない笑顔が脳裏によぎった。蟲に遮られて姿の見えないラステル。蟲森で暮らすという蟲を操れる不思議な女の子。何と無く想像出来る。滝のように質問を浴びせかけるセリムとそれに一生懸命答えるラステル。そうやって惹かれ合ったのだろう。想像に容易い。この蟲はパズーを恐れていない。なら必要以上に怖がらなければ蟲の事を理解出来るのだろうか。
〈トムトム、トトトトト、トムトムトム〉
「ん?何だ?」
突如鼻唄みたいな変な声が聞こえてきてパズーは周囲を見渡した。空の上、蟲の集まる場所に人など居るはずがない。
〈ト、ト、ト、ト、ト、トムトム〉
楽しそうなふざけるような声の響きにパズーは首を傾げて、変だなともう一度首を動かした。
「凄い……道だ……」
蟲が整列していた。左右に二列。パズーの乗る飛行機を挟み、まるで空路のように雲は へと続いている。視線の先に一際大きな蟲と白い塊が見える。目を凝らすとそれが人の形をしているのがぼんやりと分かった。
「ラステル!」
唾を飲み込み、意を決して空の道の中央を飛ぶ。徐々に近づいていく大きな蟲はラステルを抱えていった奴と同じだった。他の蟲よりも羽が更に多く鬣のような黄金色の毛。威風堂々としたその大蟲の脚に座るラステルは無表情だった。真っ赤で燃え上がるような瞳。その目に揺れるのはパズーの人生で相対したことのない嫌悪。パズーの背筋に冷や汗が流れた。
あれはパズーの知る女の子ではない。
無表情で小さく口を開けている。近くに来て分かった。総司令室で出していた奇怪な声。蟲を宥めようとしているというのはパズーの願望ではなかったようだ。薄い白いワンピースだけで震えながら糸を弾くような声を出している。降りしきる雪と同じくらい白い肩に雪が積もっていた。髪の上の雪はまるで冠のようにも見える。
--怖くないの?多分、化物よ私
こんなに美しくて、切なくて、儚い姿の化物なら喜んで受け入れる。誰が怖いだなんて思うものか。
「ラステル!セリムは無事だ!」
なるべく速度を落とした。エンジン音が小さくなるとよりラステルの声が響いてくる。あまりにも悲しい調べに胸が詰まった。
「セリムは無事だ!こんなに頑張らなくても大丈夫だ!」
ラステルを抱える大蟲の新緑色をした三つ目がパズーを凝視している。ラステルは睨むように地上を見下ろしていてパズーに気がついていないようだ。
「セリムが会いたがってる!凍えてしまうよ!一緒に帰ろう!ラステル!」
大声で叫んだ時に後ろから衝撃が襲った。振り返ると飛行機から煙が上がっていた。折れた尾翼が弾け飛ぶように風に飛ばされた。遊んでいたような小蟲の群れも巻き込まれるように吹き飛ばされてしまった。
ああ、これで終わりだ。
まるでお告げのようにパズーは悟った。今、糸が切れた。誰かのせいでか細いがキラキラと光る明るい糸がプツリと絶たれてしまった。そう感じた。
もう一度衝撃がパズーを襲ってきた。飛行機が大きく傾いて失速する。
「ラステル!ごめん!」
あんな風に震えて独りぼっちで戦う女の子をパズーは救えなかった。セリムにラステルを連れて帰ってやれない。無謀だったのはパズーの方だ。煙を上げる機体から脱出しようとしたがパラシュートなどの脱出用品が見つからなかった。血の気が引いていく。死だ。僕は死ぬ。伸ばした手はあとほんの少し、小指分だけラステルに届かない。
「テト……迎えにいけないや……ごめん……あい……」
助けてと縋るように手を伸ばしたパズーにラステルが手を振りかざすのが見えた。周りの蟲達が一斉に赤い目で脚を高々と掲げる。地面に叩きつけられて粉々になるのと、あの蟲に殺されるのはどちらがマシだろう。パズーは力一杯目を瞑った。
***
〈やはり断罪の時〉
***
テト……
ガンの友達の人間……
人間?
--ラステルの方がパズーよりずっといいものね
泣いていた。
テトは待ってる。
パズーを待ってる。
この声がパズーだ。
--あい……
何て?
--愛している
***
--ラステル・レストニア。崖の国の王子セリムの妃。今日からそう名乗れ。その身を風の神が守ってくれる
--愛してる
***
愛してる!
「パズー!!!」
両手をラステルに向けて伸ばして目を瞑るパズーの姿に向かってラステルは大声で叫んで手を掴もうとした。指がパズーの手袋と擦れた。寒すぎる。体が上手く動かない。ここは何処だ?パズーが煙を上げる飛行機ごと地面へと落下しようとしている。
「パズー!!!嫌よ!!!離して!!!」
叫ぶと同時にラステルは蟲の脚を蹴飛ばして飛び降りた。右腕は空を切った。左手がパズーの右手首を掴んだ。悴んで力が入らない。ありったけの力を込めてラステルはパズーの体を引っ張った。するりとパズーの体が操縦室から抜けてラステルの腕の中におさまった。飛行機が蟲に体当たりされて破壊される。黒い煙がさらに増えた。
「ラステル!」
ラステルは煙の中でパズーをきつく抱きしめた。
「どうして?」
何故パズーはラステルの前に来た?今の今までラステルは何をしていた?状況が理解出来ないが、空を落下していて間も無く死ぬというのは判断がつく。パズーの身体はセリムよりも背が高いが細い。セリム、何故側にいてくれなかった。どうして死んでしまったの?ボロボロと涙が溢れて目尻から空へと溶けて消えていった。
「友達だろう!一人で戦うなんて水臭いじゃないか!」
迷いなく告げられた言葉にラステルはまた涙を溢れさせた。蟲の感情がまた激しく押し寄せてくる。憎しみと諦め。包むようにラステルにふりかかる感情の奔流。蟲に感化される。飲み込まれる。いつも言われていきた、ラステルは化物に変わる。
「ラステル!むっむっ胸!手が!」
素っ頓狂なパズーの叫びが耳を痛めた。なんて言った?
「わざとじゃないから!本当に!」
言われて気がついたがパズーの掌がラステルの胸を掴むような位置にあった。ラステルは恥ずかしくて一瞬言葉を失いパズーを離しそうになった。慌てて両腕でパズーをぎゅっと抱きしめる。
「見た目より大きいな」
ぼそりと呟いたパズーの指が動いた気がしてラステルはパズーの背中を抓った。
「指を動かしたら放り投げるわよ!」
「痛い!ごめん!思わず!それは止めてくれ!」
予想外のやり取りがおかしすぎてラステルは吹き出した。私達はもうすぐ死ぬかもしれないのに小さなことで喧嘩している。
「あははははさ!もうっ!笑わせないで!」
言われると意識してしまう。ラステルが腕を少し緩めるとパズーが慌てたように腕を伸ばしてラステルの背中に回した。
「なあラステル!蟲は助けてくれないのか!」
「どうかしら?皆怒ってる。私裏切り者かもしれない……」
蟲の心が遠ざかっているのを感じる。だからか飛び交う多羽蟲は誰もラステルを助けに来てくれない。怒りの赤い目をしてペジテ大工房の方角へと向かっていく。せめてパズーだけは死なせたくないのに。
「頼んでみる!」
「その前に俺たち撃ち殺されるかもラステル……」
風に煽られてくるくると体が回る。その視界の端に飛行機が見えた。みるみる大きくなっていく。操縦席から人の上半身が飛び出した。アシタカがティダに用意した古のペジテ大工房の鎧兜。
「ティダだあれ!」
ティダが迷いなくかなりの速度でパズーとラステルへ突っ込んでくる。パズーが「ティダ!」と呼ぶのとティダの太い腕がこちらへ伸びてきたのは同時だった。
「崖の国の王子かと思ってきてみればパズーじゃないか!お前ら呑気に空で浮気とはいい根性してるじゃねえか!」
二人まとめて片腕に抱かれた。皮肉交じりの高笑いが響くとラステルの腕からパズーが離される。ティダがパズーの首根っこの服を掴んで飛行機の翼に乗せた。パズーはティダに掴まれたまま呆然としている。ラステルは腰が折れそうなくらい強くティダに抱き寄せられていた。
「悪いが付き合ってもらうぞ!やり残した事がある。パズー!後ろに乗れるか?」
ティダの乗ってきた飛行機は二人乗りだった。ティダの腕にしがみつくようにパズーが後方の操縦席へ移動する。
「しばらく頼むぞパズー!」
ティダがラステルを抱えたまま操縦席から機械類を取り除いて捨てた。引きちぎるように金属が剥がされていく。なんて怪力。こんな男にラステルは殴りかかろうとしていたのかと驚愕した。
「おいパズー!後ろに機関銃はありそうか?」
「ある!何でだよ!」
ティダは返事をしないで更に操縦席から金属塊を引き剥がした。それから箱を投げた。落下していく箱から銃弾が溢れて散らばっていく。
「これで入るだろ。潜ってな」
ラステルは乱暴にティダの足元に押し込まれた。ティダが操縦席に座ったのでラステルは足の間に座るような体制になる。後ろから抱きしめられるような格好。ラステルの頭に手荒に兜が乗せられ、ティダの上着が掛けられた。
「ありがとうございます!本当に!」
素直に感謝を述べた。振り返りかけたラステルの首をティダの大きな手が静止させる。かなり痛かった。
「俺はお前が嫌いだ!話しかけるなイかれ女!いや喋るな!あと邪魔したら放り投げるからな!」
命の恩人の罵声にラステルは愕然として黙って頷いた。




