ペジテ戦役【不敗神話の大狼兵士と鳥の男】
***
少しばかり前
***
第四軍本陣から離脱したカールはその途中隊を止めた。後方には紅旗飛行船が全機低空飛行して隊を追ってくる。ティダも素直に停止した。
「作戦三を発動する!」
ドメキア王国の本来の作戦はペジテ大工房に第四軍をまず侵攻させること。ペジテ大工房からの反撃により蟲を突撃させる。酷く単純な作戦だ。だが臆病者の第二王子とその軍が本国の作戦に従うわけがない。そろそろ蟲をわざと怒らせて進撃させるだろう。第四軍に間者がいるはずだ。
これよりカール軍は全速でペジテ大工房を迂回して反対側にいるバース軍と合流する。紅旗飛行船の半数は空路から襲撃予定の第一軍への囮。ティダが第一軍を翻弄し、ペジテ大工房か蟲に食わせる。一応セリムと約束したので蟲は最終手段にするつもりではいる。だが作戦三とは何だ?
「このまま逆走し、蟲の群れを避けて第二軍へ突撃する!バース軍と共に第二軍を挟み撃ちだ!」
カールの発言に対して兵士達に動揺はない。さすがティダはお飾りのキング。知らないのはティダだけのようだった。どちらにせよ奇襲をかけるのには変わらないのでティダは口を挟まないで黙っていた。
「我らの王は無敗の男!」
ふいに呼ばれてティダは騎馬隊の前に出た。王狼が馬を威嚇するのを宥める。
「私はこれよりフリストで第一軍を討ちに行く!」
カールがティダと騎馬隊の間をゆっくりと移動した。それから押しのけるように騎馬隊へと進むと勢いよく剣を鞘から引き抜いた。途端に血飛沫が上がりカールは返り血を浴びる。スボッと兜を被った生首が雪に沈んだ。
「裏切り上等!」
あはははははと鬼のような形相で笑い出したカールを意外にも騎馬隊は少し呆れたように眺めるだけだった。いきなり仲間が殺されたというのにカールを羨望するような目をする者ばかり。
「我らを裏切るなどワームは恩知らずめ」
「元々臆病だったからな!」
それどころか騎馬隊は何が起こったのか理解している様子だ。
「想定通り作戦は筒抜け!その為の作戦三を敢行する!特殊配置兵は私と来い!他は我が王に従え!」
瞬時に状況を分析したティダは口の中で唸った。散々反目しておいて、カールはティダに兵を半数以上譲るようだ。
「不敗神話の大狼兵士。轟々と燃え盛る大義への執念は勝利を掴むだろう?」
カールが挑発のような狡猾な笑みを浮かべた。血で汚れて妖しいが、恐れるものなどないという彼女をティダは美しいと感じた。美人を綺麗だと思うことは初めてだ。ティダを忌み嫌うカールが素直に軍を与えるということは、これはシュナの命令に違いない。どんなに嫌でもカールはシュナに従う忠犬。ティダもシュナの掌で転がされているという訳だ。それとそこそこの信頼は得ているらしい。意外だった。
「時代が変わる!」
カールが剣を抜いて天へ向かって突き上げた。
「似合わぬ地下で臭飯を食わされ続けた故に痛みを知るのは誰だ!」
「殲滅されようとする忠義厚い紅旗を守ろうとするのは誰だ!」
「我らが主シュナ・エリニュス・ドメキア様だ!」
「勝てば官軍、負ければ豚の餌!」
「足掻け!しがみつけ!もがけ!逃亡も構わん!生き抜け!常に全身全霊で生きよ!これより進む!我らの前には最強の盾!無敗の大狼兵士に従えば勝利は確実だ!進め!」
カールの発言に兵士たちの士気が上がる。大狼が駆け出した。上空にセリムの機体が飛行している。たった一人で戦闘機三機を相手にしていた。攻撃はしていない。銃撃を避けて鋭く進んでいく様はまさに隼。だが多勢に無勢。狩の格好の餌で、今すぐにでも撃ち落とされてもおかしくない。
思わず舌打ちが漏れた。向こう見ずな若造め。理想ばかり大きくて自らの命を軽んじるとは愚かだ。あんな男を一度でも尊敬すると感じだ事に腹が立つ。ティダはなるべく大きく蟲の群れを迂回しながら振り返って叫んだ。ラステルの声が背中へぶつかってくる。故郷の唄子とは違い楽器からすぐ生声に変わった。琴のような弾かれて震えるような高音は声というより楽器の音。忌まわしくも懐かしい故郷の調。
「あの鳥に続け!囮となった豪傑だ!間違っても撃ち殺すなよ!伝令もフリストへ必ず知らせろ!」
「何があろうと蟲には手を出すな!足の一本傷つけても食い殺されるからな!敵が蟲を傷つけるのには協力してやれ!」
「戦意ない者に手をかけるな!第二軍の歩兵軍はベルセルグの奴隷達だ!大した戦力ではない!」
「狙うは一点!王の首!」
「誇り高き紅旗軍よ!矜持を忘れるな!」
おおおおお!っという返事なのか鼓舞なのこ判断しかねる大きな声が騎馬隊から上がる。カールの軍だ。はたしてティダの発言をきちんと受け取る兵がいるのか甚だ疑問。しかしティダは叫んだ。
「這いつくばってでも生きろ!全力で死から逃げろ!そして全身全霊で戦い未来を掴め!」
生きるか死ぬか。ベルセルグ皇国へ権力を携えて帰国するまでティダは止まらない。死んでたまるかと短剣と剣を握りしめた。
「狙うは豚だ!必ず中央後方の安全地帯で踏ん反り返っている!押し通れ!」
大狼が全速力で突き進む。セリムの機体が第二軍へ銃弾を放った。閃光弾が炸裂した。それがペジテ戦役本戦の開戦合図だった。大狼と夢中で眼前の兵を薙ぎ払って、ふっと見上げるとセリムの機体の姿は無くなっていた。やはり死んだか。見上げた空に灰色の煙のような羽蟲の群れの道が出来ていた。ペジテ大工房から続いている。
集中攻撃してくる敵に意識を戻してティダは大狼と暴れた。押し進んできて後方に援護がいるのかも把握していない。しかし止まれば飛行船や戦闘機で蜂の巣にされるだろうと大狼と進み続ける。
ふいに大地を這う蟲が加速した。ペジテ大工房へ向かっていく。大狼にひるまず立ち向かってくる兵士を短旋棍で殴りながら様子をうかがった。ペジテ大工房の最強の盾、巨大要塞のドームに紅旗飛行船が静止している。
「あの幼生を奪いやがったのはやっぱりカールか。捨てたとか白々しい嘘をつきやがって」
舌打ちしながら短旋棍を振るう。長剣で敵の武器を弾き飛ばした。第二軍に投げつけてやる予定だった多羽蟲の幼生。一昨日カールが「捨てた」と言い残して渡された空箱。そもそもなぜティダが紅旗飛行船蟲を持ち込んでいると分かったのか。隙はみせなかったはずだ。
「あーあ。折角協定を結んだのに暴走しやがって。何やってるんだあいつ。ペジテは利用してなんぼの覇者だってのに」
飛びかかってきた馬に大狼が噛み付く。それから馬の腹を食いちぎり投げ飛ばした。血塗れの口で空に向かって大咆哮。視線の先に鳥が飛んでいた。いやセリムの機体。
「おー!死んでなかったか。何やってるんだあいつ?」
気がつかなかったが頭上にどす黒い渦が出来ている。分厚い雨雲の下で羽蟲が旋回していた。しかも東の山脈の方からも飛行蟲が集まっていく。そしてセリムの機体が蟲の大渦へと突っ込んでいく。
「イかれ女の声はしないし何かあったな。誰だよ。この戦争始めたやつ!クソ野郎な愚かどもめ!」
戦車から放たれた砲撃を大狼が避けた。
「大狼!大馬鹿野郎な王達の喉元に噛み付くまで死ぬなよ!」
鈍い戦車の脇を通り過ぎてティダは叫んだ。
志半ばで死んでたまるか!
***
セリムは蟲の渦を遠巻きに観察するしか出来なかった。そうしているうちに旋回する多羽蟲がどんどん増えていく。東の山脈の方角からも合流してくる。そいつらはホルフル蟲森から飛んできているのだろう。
〈どうかテルムよ届けて欲しい〉
ラステルの歌が胸に響いてくる。一緒に悲痛と絶望が伝わってくる。なんてことだ。ラステルはセリムを死んだと思っている。すれ違った時の真っ赤な瞳。セリムが殺されたの憎悪したのだ。
〈セリムの愛する平和を目指しなさい〉
やはり憎悪がセリムへと押し寄せてくる。それでもラステルの歌には争いを諌めようとする想いが乗っている。憎しみにかられて蟲を使役しているのではない。止めようとしているのだ。
〈テルムよ誇りを届けてください〉
今すぐラステルを抱きしめてやりたい。ティダに手を振り下ろさなかった誇り高き妃。セリムの愛する女が孤独と悲しみに飲まれているのに近寄れない。姿さえ見えない。セリムが守るべき宝物なのに多羽蟲に庇護されている。
「ラステル!僕は無事だ!」
脚を振り回してセリムを襲ってくる多羽蟲を避けながら飛ぶ。ラステルの近くに行くどころか渦の中心から遠ざかってしまう。向かっては戻され、進んでは後退するしかない。
「蟲の王よ伝えてくれ!蟲の姫にセリムは無事だと!」
〈嘘でまた蟲姫を利用する人間。殺せ〉
鎌のように多羽蟲な脚がセリムを狙う。次第にセリムの方へと集まってくる多羽蟲。悔しいが逃げるしかない。
「僕がセリムだ!」
〈セリムは死んだ〉
多羽蟲の声とラステルの声が重なる。ラステル自身がセリムが死んでいないと知らないと駄目なのか?嘘つきという台詞が木霊してくる。激しい憎しみの波がセリムを襲う。別の波も押し寄せてくる。そっちは声として聞こえないが多羽蟲の怒りとは違い憎悪の方が強い。大地の蟲達かとセリムは一瞬下をみた。
それがいけなかった。激痛に襲われてゴーグルの前に赤が散った。痛む腹を押さえると目の前の多羽蟲の鉛色の脚が赤く染まっていた。脚を振り上げたので避けようと大鷲凧を傾けた。このままじゃ燃料が足りない。機動力が落ちて多羽蟲の脚で刈られるのが腹だけでは済まなくなる。
「ラステル!」
蟲の渦の中心へと大声で叫ぶ。痛むがそれでも構わずに叫んだ。中央をセリムから隠すように多羽蟲が壁を作った。脚が振り上げられる。
〈テ、テ、テ、テールム〉
まだ丸みを浴びた多羽蟲の幼生がセリムの前に現れた。一匹、二匹、三匹と増えていく。
〈テル、テル、テル、テテテテテ〉
いきり立つ成蟲の多羽蟲とは違って風に乗るのが楽しいというように跳ねるように飛行している。その光景があまりに呑気でセリムは思わず笑った。
〈姫はもう人が嫌い〉
〈蟲も人が嫌い。人の王は人が好き。人の王は蟲が好き。姫は人の王が好き。姫は人を諦めない〉
「人の王?僕のことか?」
〈食べた。食べた。もう喋れる。死ななかった〉
そう言えばいつの間にかはっきりと蟲の言葉が分かる。会話できている!無我夢中で気がついていなかった。食べたとはホルフル蟲森で多羽蟲の幼生が持ってきたあの甘い球のことか?
「死ななかったって!とんでもない物をくれたんだな!」
得体の知れない物を口にしたのはセリム。責任は自分にある。よく考えずに軽率な行動をしたと反省する。直感で行動しがちなセリムをみんなが怒るはずだ。それにしてもあの玉は何で出来ているんだろう?聞く前に多羽蟲の幼生達が次々と話しかけてきた。
〈またペジテが罪を犯したよ。地下室はもう壊さないといけない〉
〈古いテルムの子を連れてきて〉
〈また兵器を使うってみんな言ってる〉
〈誓いを守る?守らない?古いテルムの子にまだ聞いてない〉
〈みんな怒ってる〉
どんどん集まる多羽蟲の幼生がセリムを守るように取り囲む。
〈子らよまた勝手を。最早断罪の時。家へ帰りなさい〉
どっしりとした声が混じった。
〈僕らはまだ断罪って知らない。でもヘンテコ人間は死んじゃ駄目〉
〈脱皮したら教わる。帰りなさい〉
〈テテテテテテ、テルム、テルム、テテテテテ〉
〈ヘンテコ人間〉
〈テルム、テルム、テルム〉
叱られても多羽蟲の幼生は歌っている。ちっとも怖くないというように、まだ遊びたいというように風に乗ってセリムの周りを飛び回る。多羽蟲の成蟲が軒並み遠ざかっていった。
「助けてくれるのか?」
〈怒ってる。怒ってる。怒ってる。みんな怒ってる。怒ってる〉
〈謝っても許さない。でも謝らないのも許さない〉
〈テテテテテルム、テルムは連れていってあげる。古いテルムの子を連れて来て〉
「テルムとは僕のことなのか?」
〈蟲姫ラステルの婿。蟲を嫁にしたヘンテコ人間。みんなのテルムと多分違うよテルム。テルム、テルム、ヘンテコ、テテテテテ、テルテル、テルム〉
笑うように多羽蟲の幼生が歌う。
「ははっ!なんだよそれ!そうかお前たち子供達でのあだ名か!僕は--!」
名前を言う前に痛みで朦朧とした。墜落しそうになる大鷲凧の柄舵をめいいっぱい握りしめた。
〈人の心を閉ざした蟲姫はテルムが生きてるって信じない。もうすぐ完全な蟲になるんだって〉
「それってどういう……?」
多羽蟲の幼生達が大鷲凧を脚で器用に掴み飛んでいく。セリムを渦から遠ざけて送り出すようにペジテ大工房へ向かって流れる風に大鷲凧を乗せた。




