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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
二章 ペジテ戦役

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ペジテ戦役【テルムとペジテ人の罪と贖罪】

 二千年もの歴史で破られる事のなかったペジテ大工房のドームが破壊された。蟲があけた巨大な穴、外界との境に立ってアシタカは呆然とする。真っ白でどこまでも広がる美しいノアグレス平野は見る影もなかった。飛び交う戦闘機や飛行船、巻き起こる土煙、ぶつかり合う人間達。そして目を真紅に変えた蟲がペジテへ向かって津波のように押し寄せてくる。


 ドメキア王国軍ではなくペジテ大工房へ。


「ラステル様が拐われた!」


 破壊された壁を掴んで、外に身を乗り出すようにしてハクが叫んだ。


「あれオルゴーだ!ラステルを追ってる!」


 恐怖で竦んだのかハクの足元にしゃがんでハクの両足を抱えるようにしがみつくパズー。


「何故だ。何故こっちへ蟲が向かってくる」


 アシタカの疑問にその場にいる者は誰も答えられない。ラステルを連れ去った蟲、いや自ら蟲についていったラステルと蟲はノアグレス平野の中央辺りの上空にいる。大地の怒り狂う蟲と同じ真紅の目をしてゆっくりと旋回している。まるで炎の渦。


 簡易望遠鏡をのぞくと、ラステルを抱えていった羽が一三枚ある多羽蟲(ガン)が渦の中心で空中静止している。猛吹雪をものともせずに優雅に羽を動かしていた。その脚にまるでブランコに座るようにラステルが抱えられている。身につけていた崖の国の服は脱げ、白いワンピースで素足。無表情で目は真っ赤だ。


 ゆらゆら、ゆらゆら


 ゆらゆら、ゆらゆら


 あやされるように揺れている。ラステルはペジテ大工房を憎んでいる?だから蟲を使役している?しかし大地と空の蟲はまるで別々の意思を持つような雰囲気をまとっていた。怒り狂う突き進む大地の蟲と、憎しみをたたえながらも旋回しかしない飛行蟲。


「ほっほっほっ。また派手に壊されたのう」


 その声にアシタカは勢いよく振り返った。


「父上!何故このような所に⁈避難されたのでは?お身体は⁈」


 ヌーフが豊かな口髭を撫でながら、のそのそとアシタカへ近寄ってきた。護衛一人いない。ブラフマーとヤン、それに何人かの護衛人が敵もいないのにヌーフを守ろうと取り囲んだ。


「父上!蟲の女王です!私は恐ろしい女を、いや化物をこの地へ導いてしまった!」


 掠れて震える声を出すとヌーフが目を丸めてからにこりと微笑んだ。この状況でどうして笑ったりできるのだろう。


「こそこそ調べ物をしているのは知っていたが、そうかそうか」


 あまりに呑気すぎてアシタカはヌーフに駆け寄って叫んだ。


「蟲が攻めてきます!ペジテ大工房への復讐です!テルムの罪は許されていなかった!いや僕が蟲に愛される娘を利用しようとしたから怒りをかった!父上……俗にまみれた僕は一族の誇りに泥を塗りました……」


 力が入らなくてアシタカは座り込んだ。


「違うぞ。何もかもが違う。お前は勘違いをしておる」


 アシタカの前にしゃがむとヌーフがアシタカの頭を優しく撫でた。


「何、訳分からない事を言っているんだよアシタカ!蟲の女王?テルムの罪?アシタカのお父さんも何笑ってるんだよ!こんな状況で!」


 威勢は良いがパズーは相変わらずハクの足にしがみついて震えていた。


「導かれた者よ、試されている者よ、折角なので秘密を少し話してあげよう。二人足りないが運命の中心におるから仕方ない。昔々のお話じゃ」


 幼少の頃、子守唄のようにテルムの話をしてくれた。いつか大技師に選ばれたら全てを背負うとよく頭を撫でられた。その時の口調と同じようにヌーフが語り始めた。


***


 テルムの罪と功績、ペジテ大工房の贖罪と存在理由


***


 テルムはペジテ大工房を建国し蟲から人類を守った。ペジテは蟲により毒にまみれた大地を人間が生きれるように戻した。救世主テルムと誇り高いペジテ人。テルムの子孫、偉大なる大技師一族


 その偽りと欺瞞(ぎまん)そしてテルムの最後の誇り高き生き様。


***


 ペジテ人の信仰


 古代、超科学技術で大陸は破滅へ向かった。蟲が産まれ世界は蟲森という毒の世界に変わってしまった。テルムは滅びゆく世界から民を救い、ペジテ大工房を建国した。ペジテ人はテルムと共に地下生活を忍耐強く耐え、超科学技術で世界を清浄へ導いた崇高な一族。


 しかし、蟲を利用しペジテ大工房へ侵略してきた者たち、蟲の民をペジテ人は蟲共々殲滅しようと大地を破壊しかけた。ペジテ人の罪である。大陸に渦巻く憎悪を聖人テルムはたった一人でおさめた。人と蟲の間に絆を繋いだ。


 蟲の女王は怒りを鎮めテルムと不可侵の契りを交わした。人と蟲は侵略し合わない。蟲の民はどこかへと去っていった。


 テルムはペジテ人へ贖罪の道を説いた。ペジテ大工房の大掟。他国の戦に関与するべからず。侵略するべからず。先制攻撃するべからず。ペジテ大工房は大陸の平和に尽力し決して戦争に参加してはならない。超科学技術をドーム内に封印して決して外界へ持ち出さない。罪が洗われるまでペジテ人は大自然で暮らすことは許されない。


 大陸一栄えたペジテ大工房から外界へ踏み出す者は滅多にいない。


 テルムに従えば楽園であるペジテ大工房で幸せに暮らせる。


 聖人テルムの血筋、大技師一族を敬いペジテは教義に従い二千年もの間平和を享受してきた。


***


 ヌーフは真実の一部を語った。


 数千年前の古代。


 憎しみ合う人々は生体兵器を作り出した。


 その一人がテルム。


 生体兵器により戦争は悲惨なものになった。人類は手に負えない生体兵器を破壊する毒を作り出した。生体兵器を壊す毒を世界中にばら撒く暴挙。汚染された大地と空気から身を守る為にドームを建国し閉じこもった。


 生体兵器の一部は生き残り、毒もまた世界に受け入れられ、大陸の環境は変化した。ドームに入れず取り残された人類も知恵を絞って生き残っていた。そのドームの一つがペジテ大工房。


「蟲」と「蟲森」そして「蟲の民」の誕生である。


***


 アシタカは自分が知っているのはその後のことだと理解した。ペジテ最深部の古代遺跡に残された壁画。毒や兵器を作る人間達。そこにテルムの姿も描かれていた。王冠を乗せた女と蟲を遣わす民の人類虐殺。女王と相対するテルム。ペジテ人が知らない歴史。アシタカがこっそりと調べた真実の断片。


「えーっとつまり蟲も蟲森も人が戦争して作り出したってこと?蟲の民って何です?」


 ハクの足元から離れたパズーはいつの間にか体育座りしてヌーフの前に座っていた。まるで学校で勉強する子供なような目をしている。


「父上。僕はテルムが世界を破滅へ導いた一人というのは調べました。彼は贖罪の為にペジテを建国し民を守った。そして蟲を利用した侵略者を許してペジテ人を誇り高き崇高な一族へと導いた。僕たち大技師一族は原罪を背負いペジテ大工房を守り抜く義務がある。そうですよね?」


 平和の象徴、聖人の子孫。その偽りに総司令室のペジテ人の険しい視線が突き刺さる。ヌーフがゆっくりと首を横に振った。


「調べが足りなかったのう。むしろまあ勝手にそこまで調べたものじゃアシタカ。毒に脅かされていた人間達を蟲は哀れんで助けてくれたのじゃ。それが蟲の民。彼等はドームの人間を激しく憎んだ。なぜだか分かるか?」


 地獄に取り残されたからだ。だから侵略戦争を仕掛けた。アシタカも昔話を聞いているような状況ではないのにパズーの隣に腰かけた。ハクもブラフマーも、ヤンも総司令室にいる護衛人もみんなヌーフの前に座っていく。信仰が覆るというのに誰も何も言わない。ヌーフがあまりにも穏やかで口を挟めなかった。


「住処を奪われ、必死に生きていたのにまた住処に手を出されたからじゃ。穏やかに生きていたのにドームから出た人間が侵攻した」


 アシタカは恐れおののいた。ペジテ人の信仰は全て偽り。総司令室内に戦慄が走った。ペジテ人は侵略されたから戦ったのではない。残虐非道な侵略戦争を仕掛けた大犯罪者。そして信じていた聖人テルムでさえそれよりも業の深い犯罪者。


「アシタカよ、我らの祖先テルムは必死に考えて行動した。どうすればペジテ人が外界へ侵略しないかを。それこそが我ら子々孫々続く贖罪。テルムの教義とペジテ大工房の大掟。そして栄えた大都市。大自然を敬い手を出してはならない尊い存在と位置づけた。そして蟲と誓いを交わした」


 誇りを胸に生きてきたペジテ人。総司令室に嘆きや悲しみが溢れていった。涙を流す者までいる。


「あのー。それで蟲の民はペジテ人に滅ぼされてしまったんですか?」


 ペジテの信仰を知らないパズーは周囲の悲嘆を不可解そうに眺めていた。


「そうじゃ。悪魔の炎で燃やし尽くしてしまった」


 残虐非道な祖先に偽りの歴史により築き上げられた崇高な一族というハリボテ。アシタカに鳥肌が立った。「うわぁ……」とパズーが呻いた。


「でも蟲は生きている。蟲森に人も住んでいる。ペジテ大工房以外にも国は沢山ある。どういうことです?」


 パズーの質問を受けてヌーフがパズーの頭を撫でた。もう大人であろう青年に対する仕草ではない。パズーはポカンと口を開いた。


「ほっほっほっ。そうじゃ。毒の世界で生き残ったのは蟲の民だけではない。逆境に負けずに知恵を絞って生き残った人間達もいた。蟲に助けられながらも蟲とは別に生きた者もいた。この子らの先祖じゃ。世界が変容しようとも共存を模索した人間。それが外界人であるぞアシタカ」

 

「だからペジテ大工房は外界と接触するなと……。僕は自然に憧れ俗にまみれ……」


「いやいや。アシタカよ。お前は一歩踏み出そうとしたのじゃ。今は過去とは逆だ。外界人がかつてのペジテ人の過ちをなぞっておる。この争いを平和へ導けばペジテ人の罪は洗われると思わんか?風と共に生き、大地を踏みしめて暮らそう。罪を洗い流す時だ。アシタカ、お前はそう理想を掲げて風に吹かれに飛び出したのだろう?」


 ヌーフがゆっくりと穴の空いた壁までアシタカの手を引いていった。地獄絵図、この世の終焉とさえ思える光景。目を背けたかったがアシタカはぼやけて霞む目を必死で見開いた。


「あの娘さんが蟲の女王だとしよう。蟲の女王は自らの民と蟲を守ろうとして命絶えた。我らが住処へ侵攻などしなかった。その再来だとしてあの娘は破壊神となるか?お前にはまだ歌が聞こえないか?」


 ヌーフが指を指す先、ノアグレス平野の中央の飛行蟲の大渦。言われてみればどこにも攻撃などしていない。真紅の瞳、燃えあがる炎は空と大地を不安な灯りで照らしているだけだ。


〈テルムは産まれ再審判の時〉


 大技師は蟲の声を聞けるという。アシタカにも蟲の声のような直接頭に木霊する不思議な声がした。ヌーフと同じ力がアシタカにも発言したのは錯覚では無いようだ。


「テルムは産まれ……」


「テルムは蟲と絆を結んだ。大技師こそが再びテルムとなると思っていたのだがのう」


 ずっと悟った様子だったヌーフが顔をしかめていた。


「どんどん飛べる蟲が集まっていく」


 パズーがヌーフの脇に膝をついて簡易望遠鏡をのぞいた。ヌーフしがみつくように肩を抱いているのが、アシタカにはパズーがヌーフを支えているように見えた。


「父上。ラステルはテルムの再来(蟲と絆を結ぶ者)?そういう事ですか?」


〈憎い憎い憎い憎い憎い〉


 うねりのような憎悪がアシタカに流れ込んでくる。


〈戦え戦え守れ戦え戦え〉



「蟲は教えてくれん。分からん。しかしあの娘の歌は憎しみにかられても愛しい者へ祈っている」


 アシタカはヌーフに言われて目を瞑って耳を澄ませた。物理的な音は戦争の悲惨な音だが胸の中に小さな声が響いてくる。


〈どうかテルム()よ届けて欲しい〉


 ラステルの声。


〈もう誰も死へ向かわないで〉


 悲しみに溢れたラステルの悲痛。それからセリムが死んだ、愛する者を失ったという絶望。


〈セリムの愛する平和を目指しなさい〉


 アシタカの胸に響いてきたラステルの声は悲しいのに美しい。


テルム()誇り(オルゴー)を届けてください〉


「アシタカ!ラステルが蟲を集めている!ラステルは争いを止めようとわざと攫われたんじゃないか?」


 パズーが望遠鏡から目を離してアシタカに問いかけた。アシタカは答えられない。ラステルを化物と決めつけた。セリムと彼女の絆を疑い、むしろ惨劇の原因だと呪った。


「ラステルが言ってた!自分は蟲に蟲だと思われている。それでテトの事を守って欲しいって頼んだら承諾してくれたって!ラステルはティダを殴らなかった!憎しみで殺されるよりも許して刺されろ!ラステルは崖の国の妃だ!セリムが選んだ女だ!蟲に戦うなって頼んでいるんだ!きっと!」


 眩しいくらいのパズーのラステル、いやセリムへの信頼。蟲の声を聞いてやっとそういう考えが出来た自分と、何も知らないのにその答えに至ったパズー。アシタカは自分が酷く薄汚いちっぽけな存在に思えた。


「アシタカがセリムを導いた!セリムはラステルを連れてきた!皆が過ちを止めようとして奇跡が起ころうとしているんじゃないか⁈」


 大興奮しているパズーの顔には絶望から希望が灯っている。アシタカに向けられる賞賛の青い瞳に相応しくないとアシタカは目を逸らした。


「良い子じゃ良い子じゃ。良き友を作ったのうアシタカ。胸を張れ。そして成すべきことを考えるのじゃ。まだまだ憎しみを抑えるには足らんようだからの」


 パズーがアシタカの背中を叩いて「お前凄いよ!俺もアシタカを運んだから偉いな」と自画自賛した。


「セリム様とラステル様はなんと神々しい!やはり俺の目は間違いなかった!」


 ハクも自らを褒め称えている。崖の国の民はまさに誇りを胸に抱く民だとアシタカは苦笑した。崖の国に住みたいなどなんて驕った考えをしたのかと自虐がこみ上げる。


「己を褒めよアシタカ。道を踏み外しても戻れば良いのだ。我ら大技師一族はまだ鎮まらぬ争いを止めねばならん」


 そうだ。蟲の群れはペジテに侵攻してきている。どうしてなんだ?何故蟲達を巻き込みながら共食いしているドメキア王国軍を襲わない?


「父上。どうして蟲はペジテ大工房へ……」


〈駄目よ。そっちへ行ってはいけない。森へ帰ろう〉


 ラステルの声を無視して大波となって蟲が進撃してくる。


「それが知りたくて来たのじゃ。助けてという声は聞こえるんだが」


〈助けて怖い怖い助けて〉


 アシタカにも響いてきた。とても不安そうな小さな悲鳴。


「下がれ!」


 ハクが叫びパズーとヌーフを引っ張った。ブラフマーもヌーフを掴み、ヤンがアシタカの腹を抱えて飛んだ。蟲があけた大穴に飛行船が現れ、開いている扉の向こうに真紅の甲冑に身を包んだ兵士が仁王立ちしている。


 右腕と左足は第三小都市で研究が発覚し非人道的だと断罪予定だった鎧義手アルフィシャルアーマー。アシタカはその人物が誰だか瞬時に理解した。第四軍の最高責任者カール。10年前にペジテで義手義足の手術を施行された被験者。


 カールが手に持った(ランス)に、もがく丸くて小さい羽蟲が突き刺さっていた。


「我が主が許そうと、我が王が慈悲を与えようと、紅旗血塗れの戦乙女カールはペジテ人を許さぬ!」


 激しい憎しみのこもった怒声と共にカールが(ランス)を投げた。勢いよく飛ばされた(ランス)が緑色の液体をぶちまけながらアシタカに向かってきて、避けた(ランス)が金属の壁に深く突き刺さった。


〈痛い苦しい辛い痛い痛い助けて怖い怖い〉


 壁から滴り落ちる緑色の体液。黄色い目点滅する目をした小蟲の悲鳴。アシタカは青ざめた。これだ。この蟲がペジテ大工房に蟲波をおびき寄せている。利用されたのはよりにもよって多羽蟲(蟲の王)の幼生だ!


「一時避難を!」


 ブラフマーが叫んだ。


「全軍ペジテから兵器を簒奪せよ!」


「贖罪の時だ!ペジテを守れ!」


 閉ざされる総司令室の扉の向こうで飛行船から剣を構えた兵士達が飛び降りてきて、ヤンと護衛人達が立ち向かっていくのが見えた。アシタカはハクに引きずられるように連れていかれた。

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