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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
二章 ペジテ戦役

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ペジテ戦役勃発

 月毛色の馬は力強く逞しかった。老いてはいるが勇ましい。セリムは一目で気に入り颯爽と跨った。馬を連れてきたカールは何故か苛立っていた様子。誰か大切な者の馬なのかもしれない。大事に育てられてきたというのが伝わってくる馬だ。太陽は頭上まで登りつめたというのに風が強くなり気温も更に下がってきている。丁度良い準備運動の代わりに平原を駆けた。


「争いが始まったらお前は逃げよ。もし生き残れればまた会おう」


 セリムは馬の首筋を撫でた。優しいが寂しそうな目をしている。カールから授かった馬が素晴らしいし体をあたためるのに駆け回ってはいるが、目的は放置していると見せかけている大鷲凧オルゴーでの飛行。はしゃいでいる振りなのだが本心でもあった。こんなにも広い平原は崖の国周辺にはない。セリムは残り少ないであろう平穏なひと時を心底楽しんでいた。


〈怖い〉


 ずっと蟲の声が響いてくる。


〈戦う?〉


 それが徐々に変化していた。


 ティダから聞いたドメキア軍の作戦よりもずっと早く蟲の気配が変わりつつある。まだペジテ大工房はかなり遠い。ドメキア王国第二軍はペジテ大工房へなるべく近づくよりも蟲を突撃させる事を選んだのだろう。距離がありすぎると返り討ちにあうという発想はないのだろうか?


 蟲の心境の変化の原因は分からない。だが誰かが蟲を傷つけた。割れそうなほどの頭痛がセリムを強襲し目がチカチカする。


〈戦え!〉


「シュナ姫!全速力で走れ!」


 セリムは発煙筒を掲げて後方の第四軍を駆け抜けた。ゼロースと呼ばれた兵士と共に乗馬している彼女と視線が交錯した。瞬時に心得たというような決意の青い瞳とすれ違う。


 誰かがセリムに向かって「逃すな!」と叫んだ。弓矢が耳元をかすり、兜とぶつかり、鈍い金属音が響いた。直線は危険だと斜めに疾走しながらセリムは馬を走らせる。オルゴーまで数100mという距離まで来ると青い煙を吹く発煙筒を放り投げ、馬から飛び降りた。そのまま置き去りにしていた大鷲凧オルゴー目掛けて疾走する。


〈戦え戦え仲間の為に戦え戦え〉


 津波のような蟲塊に自然と体が震えた。押し寄せる逆突風の前触れのように螺旋の渦が見えるような気がする。風とは違う、怒りと憎しみと恨みの大渦。胸が竦むような蟲の悲鳴が響いてくる。黄色く点滅していた目にゆらゆらと赤が混じり始めていた。


「大鷲よ飛べ!」


 速度を上げた蟲の大群がセリムに向かって押し寄せてくる。その大波に飲まれまいとセリムはエンジン全開で大鷲凧(オルゴー)を急発進させ、高々と舞い上がった。


 まさに蟲波(・・)の呼称通り。鉛色、土気色、渋茶に漆黒という暗色系の大小様々な蟲が速度を上げてうねるように突き進んでくる。怒りに染まりかける橙色の瞳が白い大地にずらりと並び、まるで野焼きのような光景。


 持てるだけ所持してきた煙幕玉をセリムは蟲の群れに向かって次々と落下させた。そのまま蟲波の後方へと飛ぶ。吹き付ける雪が視界を邪魔した。ゴーグルに張り付く雪を手袋で擦りながら突き進む。


{あれがドメキア王国第二軍}


 ティダの推定通りノアグレス平野いっぱいに広がっている。そろそろと微速前進する歩兵。その後ろにゆっくりとついて行く騎馬隊。さらに奥には戦車が並ぶ。大型の飛行船が三機に中型の飛行船が十数機、それから単機であろう小型飛行機が数十機停泊している。上空には戦闘機が七、いや九機が行き交って戦況を偵察していた。無数の黄色い旗が風ではためいている。


 エルバ連合の国々が集結してこの物資量に届くかどうかというところだろう。これで一軍隊。西の覇者と名高いドメキア王国がエルバ連合と離れていなければとっくに領土に組み込まれていた筈だ。山々と深い蟲森、そしてドメキア王国に立ちはだかるグルド帝国が無ければと考えるとゾッとする。


{第四軍の倍どころじゃないぞ。三、下手したら四倍じゃないか}


 第二軍と蟲の中間付近のなるべく雲との境を見つからないようにゆっくりと飛行しながらセリムは思案した。無謀だった。いや、あの中にいる唄子を探し出して説得するのは無謀というより不可能。ペジテでの洗礼どころの騒ぎではない。体を蜂の巣にされてしまう。いかに上手く煙幕玉を巻き、閃光弾を撃ち込むか。これ以上蟲を使役させれば、その他に余る暴徒はノアグレス平野全体に広がるだろう。交渉も視野に入れていたが、皆に告げた陽動作戦に徹するしかなさそうだ。


 どこまで飛ぶべきかと眼下の第二軍の様子をうかがう。怒りを帯び始めた蟲の群れの後を殆ど追わない。近付くと危険だという認識はあるようだ。


 怒りに満ちた蟲達は、蟲に愛され蟲を愛するラステルの言うことでさえ聞かないという。ホルフル蟲森で滅んだ滝の村をラステルは救えなかったと酷く落ち込んでいた。やらばラステル以外でこの蟲を宥められら者はいないだろう。ドメキア王国とベルセルグ皇国はなんて愚かで傲慢な作戦を考えた。何故自国で満足しない。


 第二軍は穏やかそうに佇んでいる。蟲を使えているという満足と悦に浸っているのか?この中の兵士の大半が争いなど望んでいないかもしれない。国のため、家族のため、愛する者のため、生きるためにと剣を取っただろう。もしそうでなければ滅んでも仕方がないとさえ考えてしまう。自ら蒔いた種だ。しかしペジテ大工房と蟲は違う。巻き込まれただけだ。


{なんて卑劣な}


 あまり距離が開くといけないのか第二軍が微速前進していく。純白で美しかった大地が白と茶色でぐしゃぐしゃに蹂躙(じゅうりん)されていった。


 このままではこの地は蟲森に飲まれかもしれない。この数の蟲の死骸は焼きつくすのに時間がかかりすぎる。住処を無くした民が蟲森で暮らし始めれば、その民は外界を憎むだろう。ホルフル蟲森の民もそうやって生まれたはずだ。だから彼等は崖の国を欲している。


 どうかホルフル蟲森へこの惨劇の噂よ届け。ぶつかり合う憎しみの末路を教訓として欲しい。ラファエとテト、そしてイブンに風の加護を。風の神よ東を守ってください。


 大鷲凧(オルゴー)が中々言うことを聞かなかった。大きく左右に揺れて時折ガクンと下降する。風はもうセリムを守護してくれないかもしれない。吹き荒れる白い乱流を見定められても、いつものように道を示してくれなかった。経験という感覚だけでセリムは全身を動かす。


 ふいに目眩がした。ぐるぐると視界が回る。耳障りな高音が耳を貫いてくるのだ。糸を弾くような音色は一度だけ耳にした、ラステルが多羽蟲(ガン)を呼んだ歌と酷似している。人工的な音で耳障り。大鷲凧(オルゴー)の操作が狂いそうになるのを制御しようと必死に手足を動かした。


{しまった!}


 墜落を避けるのに夢中でセリムの前に戦闘機が突っ込んで来るに気がつくのが遅れた。慌てて推進ペダルを踏み込み大鷲凧(オルゴー)を斜めに傾ける。左翼ギリギリを銃弾が数十発通り過ぎていった。機体を回転させて戦闘機の下をすり抜ける。


{一気に煙玉をばら撒いてすぐ撤退するしかない}


 大鷲凧(オルゴー)の腹部格納庫と連動するペダルを踏んだり離したりしながら迫り来る戦闘機を避ける。一機、二機。一度翻り後方を確認しながら急上昇した。そのまま雲に突入する。雲との境を全速で進み眼下を確認する。隊の何十分の一にしか煙幕はかかっていない。


 風向きが悪すぎる。


 やはりセリムは風に見放された。蟲を後押しするように巨大な風の波が大うねりしていく。


 紅旗の騎馬隊と飛行船が蟲を迂回して左右から第二軍へ突撃していった。ヴィトニルの背に跨るティダが先陣を切っている。あのカールという女性はどうした?反対側からも紅旗の騎馬軍と飛行船が突撃していく。ペジテ大工房脇にも紅旗の飛行船蟲が三機、戦闘機を守護神として飛び回らせてペジテ大工房の屋根の上へと微速移動していく。彼等は蟲の変貌をすぐさま察知して多少予定を変更したのだろう。何をしようというのだ?


 セリムも再び第二軍の方面へ向かった。アシタカに教わった通りゴーグルを遮光に切り替える。襲いかかる飛行船の弾丸を避け、戦闘機から逃げながら突き進み、一度も使用したことがない足元の銃の引き金を引いた。なるだけ地表を狙い第二軍と横断するのように閃光弾を撃ち込んでいく。ラステルの唄を邪魔はさせない。セリムにとってはそれが理由だが、この行為は反旗を翻す第四軍の後押しになる。


 セリムは他国の戦争に踏み込んだ。もう全身血に染まって罪に沈み戻れない。


 ラステルはこの傲慢を許してくれるだろうか?きっと共に穢れてくれる。それが酷く胸を締め付けた。蟲森の光苔(トラーティオ)の冠を頭上に飾られた美しき女。セリムの宝物。なのにセリムは彼女を私欲のために利用した。誰も彼も助けたいという強欲に突き動かされて戦争に参加してしまった。セリムのような器の小さな男にはラステルが妻だというのは身に余る。


 だからセリムは風の加護を失った。


 崖の国の風詠セリムは失われ、今にも墜落しそうなほど風の怒りを受けている。大鷲凧(オルゴー)が暴走しようと激しく揺れた。暴走凧ではなく誇り高い風凧なだけだ。主人を選ぶ。もうセリムは主として相応しくないのだろう。


{これが戦争}


 入り乱れる兵士から血が流れ血飛沫が雪に色を塗る。大型飛行船が爆発して人間が落下していった。背筋が凍る。死にゆく兵士一人一人に家族がいる。妻が、子がいるだろう。そして多くの友もいる。愛すべき者が帰らぬ愛しい人に祈りを捧げているに違いない。なのに憎しみがぶつかり合う。同じ国同士で繰り広げる惨劇。セリムは目を背けたくて第二軍に背を向けて飛行した。


 やるだけはやった。いや、セリムは結局何を成したのだろう?


 ティダを説得すれば良かった。第二軍を率いる王子へ会いに行っていたら何かが変わったかもしれない。後悔ばかりが押し寄せる。こんなものは何も産み出さない。悲しみと怒り、それに嘆き。悲劇が新しい時代の幕開けだと信じているティダとシュナの決意の瞳。こんなものが?なぜ争い合わないとならない。けれどもセリムも参戦した。同罪だ。


 高らかに笑うティダの嘲り声が聞こえるような気がした。


〈どうかテルム()よ届けて欲しい愛しい者へ〉


 ふいにラステルの声がした。


 蟲の進行音、大鷲凧(オルゴー)の飛行音、それに銃撃戦に響き合う金属音。地表から空へと撃たれる大砲の轟音。無慈悲な戦乱の音が混じり合うというのに、ラステルの糸を弾くような高音が聞こえてくる。


〈美しく静かな森へ帰ろう〉


 蟲の声と同じようにラステルの声が響いてくる。


 蟲の大群の進行が乱れ始めた。赤と黄色が入り乱れる。


 あまりにも切なる響き。


 再び赤い色は失われ始めて黄色い瞳が点滅する。わずかに混じる若草の色。


〈私と共に〉


 物理的に耳に聞こえるのは音響拡散器(スピーカー)からの不思議な音。金切り声のようだが耳障りなよい高音域。曲とも歌とも言えない奇妙な調べ。


〈お願い〉


 セリムの胸にはラステルの必死の祈りが木霊する。愛しい妻の声にセリムは聞き惚れた。嘆いている場合ではない。彼女に相応しい誇り(オルゴー)を!この地を地獄へは変えさせない!ドメキア王国第二軍の指揮官を探すか、全力で蟲からの逃亡を促す。何か行動を起こさなければ何も変えられない!


〈セリム!〉


 大鷲凧(オルゴー)の真下から暴風が突き上がってきて吹き飛ばされた。機体から投げ出されないように両柄にしがみつく。大鷲凧(オルゴー)が回転しながら上昇していき、世界も回った。


 白に黒、煙に赤とそれから風。


 (テルム)の道。


〈テルムは産まれ再審判の時〉


 回る視界に押し寄せる何重もの蟲の声がした。


〈我らは裁く。選択の時〉


 機体が墜落していく。振動で痺れた腕でしっかりと両柄を掴んだ。


 何を裁く?誰が?


 ようやく体制を整えると飛行する蟲が増えていた。更に東からペジテ大工房へと飛んでいく大量の蟲。


 |多羽蟲〈ガン〉!


 東はホルフル蟲森の方角。


 遠目でも分かる。ペジテ大工房の一角から煙が上がっていた。無数の鉛色と真紅が蠢いている。蟲の進行から姿を消していた|多羽蟲〈ガン〉に何故気がつかなかった?発煙筒を点火した時にはまだ上空を彷徨うように飛行していた。いつだ。いつからだ?いつ増え始めた?


 ラステルの声が聞こえない!


 セリムは全身全力で、エンジンが壊れるのも(いと)わずに推進ペダルを踏み込んだ。|多羽蟲〈ガン〉の群れがペジテ大工房の屋根から離れて今度はこちらへと向かってくる。


〈裁きの時〉


 おびただしい数の蟲の声が迫ってくる。

 

--王は裁きを与え大地を真紅で埋める


 セリムは一瞬振り返った。純白の大地に炎のように真紅の瞳が点灯し、まるで燃え移る炎のように霧散していく。地獄が存在するというのなら今この惨劇はまさにそれ。


 途中までは順調だった。


 ラステルに何かあったのか?


 吐きそうな程激しい動悸に冷えていく指先。震えが止まらない。


 側に居れば良かった。


 懇願されたのに!側に居れば良かった!


〈憎い憎い憎い憎い憎い〉


 浴びたことのない強い憎悪による激情がセリムになだれ込んでくる。|多羽蟲〈ガン〉の威嚇がギギギギギギと近づいてきた。渦を作る暴風を巻き起こす羽ばたき。


 無数の鮮血色の三つ目。


「ラステル!」


 一際大きい|多羽蟲〈ガン〉の足に腰掛け体を預けるようにもたれかかっているラステルが見えた。


 ラステルの破れた護衛服が強風で飛ばされていく。白いワンピースに剥き出しの雪色の肌。それにより強調される紅蓮の瞳。


「ラステル!」


 叫んでも妻はチラリともセリムを見なかった。風の轟音にかき消されて自分の耳にさえ声が届かない。


「----!」


 |多羽蟲〈ガン〉の群れはセリムが避けた以上に大鷲凧(オルゴー)を回避した。猛スピードの大鷲凧(オルゴー)とあっという間にすれ違って遠ざかる。セリムは旋回したが推進ペダルを踏む足の力が緩んだ。


--蟲愛づる姫の瞳は深紅に染まり蟲遣わす


 セリムの願望を嘲るようにラステルは化物なのか?破壊神か?世界を滅ぼす女?


--死が心臓を貫こうとも真心を捧げよう。永久(とこしえ)の愛を注ぐことを風の神に誓う


--我が異形さえも受け入れるというのならば永遠を誓います。崖の国のセリム。共に行ってくれますか?


 セリムは大鷲凧(オルゴー)の推進ペダルに全体重を乗せて踏みしめた。


 

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