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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
二章 ペジテ戦役

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大狼兵士の屈辱とペジテ大工房の波乱幕開け

 口元が歪みそうになるのを奥歯を強く噛んで抑え、ティダは深々と頭を下げ続けた。こんな屈辱は初めてだ。頭のネジが外れた女よりも自分が愚人とは認めない。そうであってはならない。だからティダは素直に下げたくない頭を下げた。


 ラステル・レストニアは明らかに人を脅かす蟲に同情して激怒した。何故そこまで激しい憎悪を燃やすのかティダには理解できない。生まれ育った故郷を脅かす獰猛な生物。怒りに染まればあらゆる物を破壊する化物。その蟲のように真っ赤に変色したラステルの瞳は錯覚ではない。この女は変だ。おかしい。イかれている。


「無礼と非道は謝罪する。しかしもう計画は動き出している。俺が蟲の利用を考えたんではない。本国の計画。俺は逆手にとろうとしていただけだ」


 セリムとラステルが二人とも悲しそうに眉を下げた。だがラステルの緑色の目に宿るのは諦めではない。まだあどけなさの残る可愛らしい見た目に反した強情。腹わたが煮えくり返る。組み敷いてグシャグシャにしてやりたい。


「その本国の計画を教えてください」


 静かな怒りをたたえるラステルの横でセリムはどういうわけか度々惚けた目を隣の妻に向ける。セリムとの初対面で感じた魂が揺さぶられるような敬意と鳥肌。ティダの直感は間違いないだろうが、そのせいでセリムの締まりのない顔つきが無性に癇に障って思わず舌打ちしそうになる。


 崖の国の王子セリム。


 こいつの女でなければ屈辱に甘んじたりはしない。ラステルはセリムの存在で踏み止まった。彼女はドメキア王国の抗争などちらりとも気にしていない様子。ペジテ大工房の心配でさえ微塵もない。蟲だけに同情し激昂した基地外。ところがセリムはそんな妻を理解して受け入れ、更には人も蟲も何もかも救おうという。それが当たり前だというような涼しい顔だった。


 こいつは敵に回してはいけない。本能がそう叫んでいる。ティダがラステルに手を出したらと想像しただけで警鐘で毛が逆立つ。セリムだけならすぐ首を締められる。しかしセリムはペジテ大工房の御曹司という強力な権力者を擁護者にしている。手篭めにして駒にするのが得。ティダにとって、第四軍にとって不在のルークの駒だ。正しい使い方をすれば強力な武器になる。


「第二軍に蟲を扇動する者がいる。単純な作戦だ。第二軍は蟲で第四軍とペジテを蹂躙(じゅうりん)しようとしている。俺はその逆。ペジテが蟲に手を出せば蟲はペジテを襲撃する。そうすると第二軍を潰すのが難しくなる。その交渉にきて昨夜見事に締結した」


 静観していたアシタカがセリムとティダの間に立膝になった。


「セリム。ドメキア王国と蟲の襲撃を受ければペジテ大工房は自衛の為に愛すべき大自然ノアグレス平野を人と蟲もろとも焼き尽くすだろう。過剰防衛する国だ。僕はそれを望まない。ティダの作戦に乗るのが一番被害が少ない」


 ラステルが小さく悲鳴を上げた。セリムがラステルの肩を抱いたが先程のような激昂はなかった。


「唄子がいるのね」


 さっきまでの威勢はどこへいったのかセリムの腕にしがみついておどおどしているラステルの様子に面食らった。この女の本質はどれなのか。人を殴った事などないという愛くるしさに吐き気が込み上げてきた。


「お前なぜその名を……」


 口にしてからティダは舌打ちした。パズーがどちらかというと白い肌なので気づくのが遅れた。陽の光など知らないような真っ白な肌。新雪と同じ色。この女はティダの母親と同じ蟲森の民に違いない。


「それなら蟲を利用する気持ちは分かる……」


 悲しそうに呟いてラステルは俯いた。セリムが妻の肩を抱きしめてティダを真摯な瞳で見据えた。


「ティダ皇子。僕は第二軍へ飛ぼうと思う。布陣や人員構成なんかを分かるだけ教えて欲しい」


「ティダで構わん。第ニ軍に協力してもらおうなど無駄だぞ。あいつらは軒並み手前勝手な恥さらしだ。兵士も恐怖で縛り付けられてる」


 裏切り者には死を。辛酸舐めてやっとここまできた。もうすぐ一族の面汚し共にティダが制裁を食らわしてやる。邪魔させてたまるものか。だがセリムをどう利用するべきなのかまだ測りかねる。セリムやラステルの情報が少なすぎる。


「ティダ、君は先程ペジテには関係ない戦にさせると宣言した。余計な犠牲を望んでいない。僕はティダ・ベルセルグを信用に足る男だと感じている」


 憎きはベルセルグ皇国とドメキア王国の腐った連中。他は関係ない。それを侵せばティダも敵と同じ穴の(むじな)。ティダはこの信念を理解されようとは思ったことはない。独善だが曲げられない矜持。ちょっとした言葉尻を拾い上げられた事に素直に驚いた。


「それがどうした」


 ほんの僅かに声が震えた。口先だけの偽善者に耳を傾けるなと自分に言い聞かせる。そうか?銃弾降り注ぐペジテの巨大要塞にたった一機で現れた。セリムの生き様には少なくとも行動が伴っている。


「蟲も生きている。むしろ人の争いには関係ない。僕は第二軍を陽動し時間を稼ぐ。その間にラステルが蟲を帰す。蟲が言うことを聞かないで帰れば丸裸の軍隊は撤退するだろう?力を貸して欲しい」


 蟲も生きている?人の争いに関係ない?とんでもない発言にティダは一瞬呆気にとられた。ティダが返事をしていないというのに立ち上がったセリムはラステルの両手を握って彼女を立ち上がらせた。


「ラステル。君の唄で蟲を帰そう」


 ラステルは唄子なのか。それなのに蟲に同情する奇妙すぎる女。セリムの提案はティダにとって悪くはない。攻撃手段にして防具の蟲を失えば第二軍はペジテへの襲撃どころではない。混乱に乗じて第四軍は予定通り第二軍へ奇襲。アシタカは乗ってくる。この地で蟲が暴れるよりもセリムの案の方がペジテには有益だ。たった一人の唄子で成し遂げられるのならばの話だが。


「そうしたいけど……私自信がない。たった一人で……おまけに私はきっと憎しみに飲み込まれてしまう」


 セリムが首をゆっくりと横に動かした。ティダは立ち上がり成り行きを見守る。ラステルの唄子としての才がどこまであるのか未知数。

 

「アシタカ。壁から君の大声が聞こえた。あの技術を貸してくれ。ラステルは壁の内側から唄を捧げる。それなら大丈夫だろう」


 髪をぐしゃぐしゃと掻くとアシタカがセリムの正面に仁王立ちした。決意のこもった黒い瞳と清々しい程澄んだ青い瞳が交差する。


「ペジテ大工房の大掟。他国の戦に関与するべからず。侵略するべからず。先制攻撃するべからず。セリム、僕を掟破りの大反逆者にさせる対価は高いぞ」


 もう決心しているという顔つきのアシタカにセリムが満面の笑みを返した。そこまでの決意なのか?ペジテの護衛人はその掟破りの愚者。それがペジテ人でアシタカもまたペジテ人。ティダに向ける疑心暗鬼もそうだがアシタカという男がそこまで偉大だとは思えない。アシタカの表情は強張り顔は白かった。


「何なりと」


 セリムが恭しく会釈した。アシタカに血の気が戻る。胸を張ってセリムの背中を叩いた。セリムは天然の人心掌握者というわけか。アシタカを揺り動かしておいて、セリムは自分の功績に気づくどころか目の前の男に心からの尊敬を向けている。妙な男だ。


「処刑台から僕を逃してもらうぞ。それから崖の国に住居と仕事だな!ラステルさん、音響拡散器(スピーカー)以外に必要な物は?」


「楽器か何か。いくつか音が出せるものをお願いします。でも、セリム……側にいて?」


 ラステルの懇願に心底申し訳なさそうに微笑んでセリムが小さく首を振った。


「誰かが蟲を怒らせたらそので終わりだ。時間稼ぎがいる。ラステルごめんな」


 セリムがそっとラステルの頭を撫でた。意外にもラステルはそれ以上反対しなかった。


「私が何とかする。絶対に」


 今にも泣き出しそうに涙を浮かべても、ラステルは気丈に微笑んだ。この女は嫌いだが、こういう性格には好感が持てる。


「アシタカ、オルゴーの修理をしたい。それから流石にこの格好で戦場を飛ぶのは怖い。何か装備をくれ。それから閃光弾に煙玉に類似したものを!ハク、パズー、アシタカ。ラステルを頼む!準備出来次第、ドメキア王国軍へ飛ぶ!」


 セリムの決断に誰も反対が出来ない。有無を言わさない迫力に声が出せないのだろう。チラリとセリムがティダへ視線を投げた。手を貸して欲しいと言いながら、命令という訳だ。


「全部背負って一人で死ぬのか。大うつけ者だな。あんな所を飛んでまた眉間を撃ち抜かれるのか?」


 わざわざ第二軍にちょっかいを出して敵の目を奪って隙を出そうとしてくれている。そもそもの計画にも支障はない。だからセリムを放っておけば良い。なのにティダの胸の奥で大狼王狼(ヴィトニル)が吠える。こいつを死なせれば積み上げた誇りが失われる。(・・・・・)二度と従わぬという唸り声。


「きっと風と蟲が守ってくれるだろう。誰かが止めないと大地がおびただしい血で染まる。人が住めぬ土地が増え、憎しみは伝染し我が国まで到達してしまう。まだ間に合う。間に合わせる」


 ラステルがセリムの両手を握った。涙目で顔も真っ赤だが黙って大きく頷いただけだった。


「セリム様。ラステル様の身は必ずお守りします!」


 セリムとラステルの隣でハクとかいう大男が敬礼した。


残念ながら(・・・・・)オルゴーの修理は済んでいるよセリム。嫌だよ俺。でも言っても無駄だから諦める。死ぬなよ」


 ハクの隣に今にも吐きそうな青い顔をしたパズーがうな垂れた。反対の理由は無いティダもセリムの前に立った。


「分かった。作戦を微修正する。第四軍は蟲を利用しない。アシタカ、予定通り俺を外に出せ。第四軍が分裂する前に伝達に行く。但しあいつらが計画に乗るかは知らん」


 はたしてシュナは乗るか、蹴るか。ティダには予想できない。ティダが戻らなければ誰かにティダの任務をさせる算段はつけているだろう。シュナは今回の作戦に全身全霊、確実な勝利のためにあらゆる予防策を練っているはずだ。


「まずは僕もそこへ行こう。ティダ、案内してくれ」


 そもそもセリムは第四軍の作戦内容を知らない。ドメキア国内の覇権争いと何にも知らない。大丈夫なのか?ティダはあからさまにため息をつきたい衝動を抑えて、軽く肩を竦めた。


「ティダ、セリムを頼む。(・・・・・・)すぐ手配しよう」


 何故自分に頼むのだとアシタカに向かって口を開こうとした瞬間、医務室の扉が開いた。飛び込むように武装した男が入ってきた。ブラフマーとかいう護衛人。アシタカによれば四十人いる護衛隊長官の一人。


「アシタカ様!議会で殲滅作戦可決です!」


 明らかに動揺した様子のアシタカが、掴み掛かりそうな勢いでブラフマーの前に駆け寄った。


「何だと!」


「ノアグレス平野は我らが領地。侵略行為に殲滅作戦をと護衛軍で可決。議会も承諾しました」


 ブラフマーの声は震えている。何に怯えているのかまでは推定できない。少なくともアシタカへの恐怖ではなさそうだ。殲滅という残虐を恐れているのだろうか。


「ふざけるな!我らの領地はこの大工房壁内だ!誰がそんな事を言い出した!そもそも昨日、静観と可決しただろう!何故再審議している!」


 アシタカがブラフマーの首元を掴み上げた。アシタカより背の高いブラフマーが申し訳なさそうにアシタカを見下ろす。


「アシタカ様!」


 叫び声と共にまた新たに護衛人が医務室へ入室してきた。ブラフマーとは服装は同じで腕の腕章の色だけが違う。年はブラフマーと近いのでブラフマーと同じ長官かもしれない。


「何だヤン、今は忙しい!」


 アシタカはブラフマーから手を離した。名前を呼ばれたヤンがアシタカに敬礼する。


「ヌーフ様に出廷命令がありました!」


「父上に?超法規令の嘆願か⁈」


 何か問題があるという事だけは分かる。耳慣れない単語ばかりだがティダは黙って聞いていた。ペジテ大工房は民主主義とかいう王を持たない国だという。アシタカは権力を有していても一人で国を操れる訳ではないとは聞いた。ティダ達第四軍が争いに巻き込まないようにと誇りを見せたが、ペジテ大工房は自ら戦争に参加する決断をした様子。大陸一の大国にして、不可侵を二千年続けていた輝かしきペジテ大工房は腐っていたらしい。流石にそこまでは想定していなかった。


「そうです。そしてヌーフ様が体調不良にてアシタカ様を名代にと申しました。大技師名代アシタカ様に出廷命令です!」


 アシタカが頭痛がするというようにこめかみを拳で叩いた。


「ブラフマー、我が友セリムの全面援助をしろ。手配には全部俺の名を出せ。アシタカ大技師(・・・)の命令だと従わせろ。ヤン長官、二十六班にセリムの妃と崖の国の民の護衛を命じる」


 アシタカがぐるりと医務室を見渡した。


「必ず戻る。ペジテ大工房から銃弾1発も撃たせやしない。セリム頼んだ!」


 吠えるように告げるとアシタカは颯爽と部屋を出て行った。その後ろ姿にティダは感心した。昨日までとは別人のようだ。ティダは一瞬セリムを盗み見た。アシタカが締めた扉を感激したように見つめ続けていた。


 生き様こそ全て。


 シュナの言葉が蘇る。争いが終了した時に誰の正義が正しいのか答えが出る。ティダは勝者となる。必ず。

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