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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
二章 ペジテ戦役

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不吉な黄色蟲とペジテ大工房の洗礼

 これが雪。機関室の窓の向こうに広がる景色。ぼんやりと見える円形の都市はおそらくペジテ大工房だろう。その前には広々とした平野が広がる。朝日も見えない灰色の分厚い雨雲が空を覆うのに雨ではなく白い胞子のようなものが降り注いでいた。北西から吹き付ける風に流されて舞い上がり、落下していく。セリムは思わず見惚れた。元々の色は分からないが地上が白く染まっている。


「野営?」


 飛行船十数機に設営されているテント群。無数にはためく真紅の旗。遠い上に雪に視界が邪魔されて紋章までは流石に見えない。


「セリム。向こうのあの光」


 ラステルが指を差したのは野営と思われる場所のさらにずっと後方。チカチカと点滅する黄色の群れ。見覚えがある光。蟲の目だ。大地を歩く蟲の上空に多羽蟲(ガン)らしき飛行する蟲も飛び交っている。こちらも目は黄色く点滅している。蟲達はまるで迷い子のように右往左往しながら微速前進していた。


「蟲だ。どうして……」


 群れの進行速度とおおよその距離だと半日で野営地点に追いつくかというところ。野営している者達は気がついているのだろうか。


「あの色。蟲笛か何かで追い立てている!でもどうやってあんな大群を……」


 ラステルが機関室の窓に張り付かんばかりに前のめりになって地表を見下ろした。若草の瞳に不安と哀しみが滲んでいる。


「どうします?セリム様」


 副操縦席のハクが不安そうな声を出した。


「あそこがペジテ大工房だろう。この先、ペジテ大工房手前の山脈前付近に着陸させろ。僕はオルゴーでアシタカに気づいてもらう」


 ハクが「御意」と発したがラステルはじっと蟲の進行を見つめ続けている。


「ラステル。状況は不明だがあれがペジテにぶつかるなら止めるのに人手と作戦がいる。まだ時間はありそうだ」


「セリム。私をあそこに連れてって」


 不安そうな声色。しかしラステルは拳を握りしめて唇を噛み蟲の群れを見つめ続けている。わずかに新緑の目が赤っぽいのは気のせいだろうか。


「ラステル落ち着け」


「行かないと。今の色ならまだ間に合うはず!」


 振り向いたラステルの声も表情も悲痛だった。ラステルの目が緑というのにほっと胸をなで下ろす。


「君と僕だけでどうにかできるか?あそこまでの距離は近そうで遠い。番鷲(ディーテ)なら半日以上かかる。遠すぎる」 


 嫌だというようにラステルがかぶりを振った。


「私の蟲笛だけであの数……。でも怒り出したら誰にも止められない!」


 キッとセリムを睨むとラステルはすぐにまた窓の外へ視線を向けた。


「僕が出来るだけ迅速にアシタカを呼び出す。ペジテの飛行機を借りよう。その方が早い。あの野営にも警告をしないとならない。ハク!席を変われ!ラステル副操縦だ。練習通りに頑張れ」


 副操縦席で呆然としていたハクがセリムの声で我に返って「はい!」と叫んだ。ラステルは返事をしない。


「ハク!ラステルを頼む!」


 セリムはラステルを無視して操縦席を立った。ハクが操縦席に移動する。ラステルがしぶしぶという感じで副操縦席へついた。セリムは素早く身支度をして屋根へ続く梯子に足をかける。


「行ってくる」


「セリム!」


 ラステルはまだ不満げだ。


「ラステル、僕を信じろ!必要なのは無謀ではなく最善策だ!」


 セリムは返事を待たずに梯子を登った。屋根へ続く扉を開けるのとほとんど同時にラステルの「セリムお願い!それから気をつけて!」という言葉が背中にぶつかった。右手を軽く挙げて拳を握る。後ろ向きのまま親指を立てた。


 屋根の上に登ると大鷲凧(オルゴー)を結んでいた紐を解きサッと乗り込む。番鷲(ディーテ)に引き裂かれる風であっという間に大鷲凧(オルゴー)が吹き飛んだ。セリムは足の固定具にしっかりと足の甲まで突っ込んで、両柄をしっかりと両手で握って耐える。背負ってきた鉈長銃(なたちょうじゅう)腰に下げた剣で余計に気流が乱れている。更に気温差でゴーグルのレンズが白く曇った。大鷲凧(オルゴー)がぐるぐると回転しながら墜落する。


「ペジテの荒ぶる風の神よ。我が妻と民はお守りください」


 全身で風の気配を探して道を探す。風がぶつかる場所へなんとか大鷲凧(オルゴー)を誘導した。


 暴走凧め、主の言うことを聞け!


 なんとか大鷲凧(オルゴー)の体制を立て直した。次第にゴーグルの曇りが消えて行くと視界がはっきりとして風の道が見えてきた。セリムは柄舵を更にしっかりと握りしめてペジテ大工房の方角を確認すると機体を傾けた。


「エンジン全開!大鷲よ行け!」


 気合いを入れるために大声で叫んでエンジンペダルと推進ペダルを踏み込んだ。セリムが好きではない風を裂いていく飛行。しかし速度は段違い。徐々に大きくなっていくペジテ大工房であろう建造物に目を奪われた。アスベルが絵を描いてくれたドーム。まるでガラスの中に街が閉じ込められたようないくつもの小さなドーム。全体で崖の国幾つ分だろう。アシタカが来てからの楽しみだと言った理由。セリムの想像も及ばない世界が広がっていて、こんな状況でなければ大はしゃぎしていただろう。


「本来の予定通りの日程だったら悲劇の後か。これも導き……」


 セリムはぽそりと呟いた。誰の導きか。蟲の進軍。脳裏に浮かんだのは蟲森の光苔(トラーティオ)の冠を多羽蟲(ガン)から捧げられたラステルの神々しい姿だった。ならばセリムは全身全霊でラステルを援助して愛しき妻を守らねばならない。必ず。急降下してペジテ大工房の外壁前を飛行した。壁からいくつものぞく大砲。それより口径の小さい無数の筒も銃の類いだろう。透明な小さな窓が無数に並びその向こうに人影が写っている。セリムは発煙筒で青い煙を上げた。左手で発煙筒を高々と掲げながら飛行を続ける。


「アシタカ気づけ」


 降り注ぐ雪にもくもくと青い煙が上がる。大鷲凧(オルゴー)が通り過ぎた場所に銃弾と砲弾が撃ち込まれて雪と土が混じった煙が立ち上がっていった。セリムは地面スレスレへと下降した。鉛色の機体と白い雪が同化すればまだ狙い辛くなるかもしれない。後方からの爆風に巻き込まれまいとエンジンを最大出力にする。


「アシタカが気づくか燃料切れが先か」


 進んでも進んでも灰色の壁が続く。ペジテ大工房の入り口は何処だ?焦りが伝わったのか単にセリムの手元が狂ったのか大鷲凧(オルゴー)の右翼が大きく下がった。持ち上がった左翼の下を砲弾が掠めた。ゾワっと産毛が逆立つ。


「前方にも気づかれたか。まずいな」


 高速移動に慣れない土地の風。ただでさえ操縦しにくいというのに。セリムは機体を持ち上げて急上昇した。煙が消えかけていた発煙筒を放り投げる。どす黒い雨雲、雪雲?どうか身を隠してくれ。セリムは雲の中で速度を落として壁の切れ目を探した。大鷲凧(オルゴー)が意図せず傾く。左翼内側の小翼ペダルが言うことをきかない。雪の水分と気温で凍ってしまったのかもしれない。さらに操縦しにくくなってしまった。


 雲から機体が飛び出た時ペジテ大工房から青い発煙筒が上がった。三発、五発、九発!


 アシタカか罠か。セリムはエンジンを切って保護具を腰に取り付けた。下る気流に乗って柄舵から左手を離して右手を大きく振り続ける。


 ガンッ


 白い火花が散った。ウワンウワンと響く金属音。大鷲凧(オルゴー)がひっくり返って何度か回転しその後落下しはじめた。チカチカする視界とぐらんぐらんする目眩のような感覚。更に振動で機体が揺れる。症状が落ち着いたのは地面すれすれだった。セリムはエンジンを入れて急発進と共に両腕で舵を強く握り足を踏ん張る。銃弾の嵐が大鷲凧(オルゴー)の後ろに白と茶色の柱を次々と作り出していった。罠か。引くか。進むか。犬死は御免だ。


「全員撃ち方止め!命令違反者共が!」


 上昇しようとした時に壁側から大きな声が響いた。銀景色に木霊したのはアシタカの声。


「これより一発でも打てば探し出して死罪にするぞ!敵意が無いと示して更には発砲しない相手に何をしている!ペジテの恥晒しが!命令無視の糞野郎共!」


 思わずセリムは吹き出した。アシタカは怒ると口が悪くなるようだ。


「長官達は何をしている!発砲者を洗い出しとけ!さもなくばお前らの首が飛ぶぞ!」


 どういう原理なのかアシタカの怒声と罵声が壁から平野へと響き渡る。銃弾と砲弾は消えたがセリムは一応エンジンは切らずにそのままの速度で前進した。丁度良く進行方向から声が聞こえる。


「セリム!そのまま進め!大関所門で待ってる!」


 アシタカからはセリムの姿が見えているのか。ペジテ大工房の技術力が気になって仕方ない。そっと兜の前面部を手袋で撫でると凹んでいて、弾のような感触もした。チラリと視線を送ると左翼にも数カ所穴が空いている。運が良かっただけか。今油断してうっかり殺されでもしたら死んでも死に切れない。


「クモヲススム。マテアシタカ」


 見ているのかこちらからでは分からないがセリムは手早く手信号を壁に向けて急上昇した。案の定発砲音が数発響いた。


「発砲者取り押さえろ!総司令室へ連れてこい!褒賞を出す!誰も来なければ全員首を洗うことになるからな!恥を知れ!」


 遠ざかると共にアシタカの怒号が小さくなっていった。雲すれすれを出たり入ったりしながら大鷲凧(オルゴー)を進める。吹き付ける逆風と左翼の損傷で激しく機体は揺れ続けた。大関所門はまだ見えない。何処まで進めば良いんだ。振動と冷えで手足の感覚が無くなってきていた。


「あれか……」


 遠目でも分かる巨大な白旗と深い緑色の旗が大きく揺らされていた。雪の筋ではっきりしないが緑旗には鞘に納められた剣の前にバツ印。不可侵を掲げるという割には随分手荒い歓迎じゃないかアシタカ。セリムはエンジンを切って体を屈めて腹這いになった。肘で両柄の一番下を抱える。万が一の墜落で機体に巻き込まれないようにとセリムは保護具を外した。風凧の一番簡単な操縦。鳥飛行。身動きしにくいが一番機体を御し易い。この体勢は何年振りだろうか。


 偉大なる大鷲にどうか風の加護を。


***


 吹雪く雪原上空。巨大な翼を広げた奇妙な飛行機が下降してくるのをティダは仁王立ちで見つめた。隣のアシタカ、そしてその奥のパズーが二人とも大きく腕を振っている。突如巨大要塞に現れた謎の飛行体とそれに剥き出しの体で乗っていた男。


 崖の国のセリム王子。


 銃弾と砲弾の嵐を颯爽と抜けて行ったと思えば急上昇して雲に隠れ、そして青い発煙筒が打ち上がるやいなや今度は優雅に手を振りながら下りてきた。銃弾で墜落するかと思ったら見事に体制を立て直して追撃を避けた俊敏さ。


 機体の形だけではない。あの動き、まるで隼だ。


 だんだんと近寄ってきた薄い飛行機のような物体。操縦席はない。代わりに胴体に当たるところが他より厚く、やや屈曲した前面部はまるで(くちばし)。セリム王子は身体全体で操縦しているのか機体に張り付いている。急降下しつつ前進してくる機体が大きく左右に揺れ始めた。


「セリム!大丈夫かセリム!」


 パズーが叫びながら走り出した。アシタカも機体に向かって走り出す。ティダも二人の後に続いて駆け出した。鈍足のパズーを追い越し、更にはアシタカを抜かす。地面に激突するかと思った機体がふわりと上昇してひっくり返った。セリムの体が明らかに意図的に飛んだ。兜が高々と飛んで風で押し流されてきたのでティダはそれを思わず掴む。共食いする双頭竜の飾りの中央、眉間あたりの位置に弾丸が刺さっていた。機体がすうっと滑るように地面を水平に進み雪に深く埋もれていく。セリムはその手前で受け身を取るように小さく丸まって何度か前転し、それから大の字になって雪に倒れこんで動かなくなった。


「大丈夫か?」


 駆け寄って声を掛けてからティダはしまったと口の中で舌打ちした。こちらは相手の素性を知っているが向こうは違う。


「死ぬかと思った。ありがとう」


 屈託のない声。目出し帽の隙間、ゴーグルの向こうで猫のようなやや釣り上がった大きい目が三日月になった。雨あがりの澄んだ空のような青い瞳。吸い込まれそうな不思議な雰囲気のその目はティダを恐れもせず、むしろ親しそうに見つめる。無防備な姿のまま。


「立てるか?」


 ティダは屈んで右腕を差し出した。


「ありがとう。でも全身痺れて動けない」


 あははと楽しそうな笑い声が吹雪を貫いた。なんて呑気なんだ。


「凄い。綺麗な形をしている。雪ってこれの集合体なのか?」


 セリムの視点はゴーグルの手前のようだ。楽しげな声に目元だけでも分かる興味深い様子。雪の結晶に見惚れているようだ。怪我は無さそうだし意識もはっきりしている。ティダは膝をついてセリムの体を起こした。全身脱力しているようで重たかった。すらりとした見た目よりも筋肉が多いのだろう。首の後ろに回した腕も予想より太く硬い。ティダはセリムを抱きかかえて立ち上がった。


「僕はセリム。崖の国のセリム。ありがとう」


「ティダだ」


 アシタカから聞いているはずだろうとその後ろは省略した。セリムは目を丸くしてその後くしゃりと目を細めた。


「そうか。良かった。今度さ、大狼を紹介して欲しい。あちこち探したけど見つからなかったんだ」


 やはりティダという名だけで誰なのか分かったようだ。しかし一寸の警戒心もない。まるで長年知っている友だと言わんばかりの雰囲気。まだ三十年もいかぬ人生だがこんな男に出会った事がない。聞いたことがない。先程の威風凜凜(いふうりんりん)とした飛行をしていた者とはまるで別人。


 これが崖の国の王子セリム。

 

 ヌーフと対面した時ともまた違う、魂が揺さぶられるような敬意と鳥肌。ティダはセリムを抱きかかえたまま吹雪の中で立ち尽くした。


 

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