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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
序章

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パズーの大災難

アシタカのマルチロール機はレストニア城西方のヤヤル盆地に停められている。メルテ山脈とボブ山脈の合流した崖の下に広がるヤヤル盆地は距離としては観測塔から遠くない。むしろ国の建造物の中で観測塔が一番近い。しかし観測塔の西側にはメルテ山脈へつながる剣山が広がる。その道は険しく、激しく上下している。歩けば丸一日以上。


可能な限り早くとなると、観測塔から緊急用の下降ロープウェイで崖を下る。それから少しばかり階段を上がり風車塔へ。風車塔から対崖(ついがけ)へのびる大橋を渡る。移動動物で1番早いのは赤鹿だ。赤鹿で大橋を渡りそのままレストニア城前を駆け抜けて丘を上がる。もしくは大橋は渡らずに風車塔から模造風凧で崖を越え直接ヤルル盆地を目指す。1番安全なのは風詠に連れて行ってもらうこと。


しかし今は問題がありすぎる。


一つはいつ襲いかかるか分からない逆突風。風そのものというより、それがもたらす毒胞子。肌につけば皮膚が(ただ)れ、吸い込めば肺は腐る。目に入れば失明してしまう。全身を隠さなければならない。幸い観測塔には防護服が保管されているので移動は出来る。しかし赤鹿は使えない。死んでしまう。


次に、こんな暴風では模造風凧はあっという間に破壊されてしまう。絶対却下。


それから風詠は全員出払っている。発煙筒と点灯信号で伝えられればセリムを呼び戻せる可能性はある。オルゴーならば迅速にアシタカを連れてマルチロール機へ行けるだろう。それか風車塔に保管されている小型飛行機が使えるか?どちらも時間がかかる。


まずは風車塔を目指すしかない。


早いのは下降ロープウェイ。しかし整備はしていても、もう何年も使用されていない。観測塔は元々見張り台。それが風学者の観測に使用されるようになった。毎日風の観測をするには移動や道具運びが不便で、100年以上前に風車塔に観測室が増築されてからは来客の展望目的の使用ばかりだ。一応残してあるだけの下り一方通行の鉄線と金具。パズーはそんな原始的で不安定なもの使いたくない。崖の下に叩きつけられて死ぬのは御免だ。


つまり可能な限り安全に確実にとなると、足で風車塔まで進むしかない。散策したいというアシタカに、呑気に徒歩で行きましょうと言ってしまった自分が恨めしい。歩いてゆうに一時間越え。走ってもたかが知れている。


アシタカは勘なのか頭の回転が速いのかパズーが何か提案する前に下降ロープウェイの前に立っていた。


望遠室から去っていったアシタカは観測塔の一階に保管されていた防護服を見つけ出し、パズーが追いついた時には完全防備。「早く着ろ」と急かされたが、結局パズーが着終わる前に外へ出て行ってしまっていた。


「あの風車塔へ向かえばどうにかなるだろう。行くぞ。」


待ってと叫び終わる前にアシタカは下降ロープウェイを使用していた。目的も使用法も瞬時に理解して、いや観測塔に到着した時から観察していたのだろう。荒れ狂う風が大きく鉄線を揺らし、アシタカは左右に大きく揺さぶられながらみるみるうちに崖下へ小さくなっていった。


パズーは名前さえ忘れられている、棒と板だけの器具に片足を掛けた。崖の国で育ったから高さには慣れている。しかし眼下に広がる絶壁。その下の荒れ狂う波。鉄線が切れたり器具が壊れたら風に吹き飛ばされて確実に死ぬ。


パズーは目を瞑って足を蹴り、板に飛び乗った。上下に身体が揺れながら勢いよく滑り始める。向かい風が強く、目を薄くしか開けない。風詠の誰かが気がついてくれれば良いが、田畑や畜産地区に出払っているか観測体制に入っている。縋るように見つめても誰も気づかない。オルゴーは高々と舞い上がりまるで逆突風を待つかのように西を向いて空中停留している。


「このまま無事でいられま……。」


祈り虚しく左足に支えがなくなった。足元を固定する板が半分はずれ、ガクンと体のバランスが崩れた。パズーは慌ててありったけの力を腕に込めて棒にしがみつく。容赦無い暴風がパズーの身体を左右のみならず前後にも揺らした。果ては回転する体。恐怖と酔いで嘔吐しそうなのを必死で飲み込む。マスクに吐いたら悲惨なことになる。最早視界なんてない。


徐々に鉄線のカーブが緩くなり速度が落ちていく。落ちても怪我で済むような高さまで来ると力が抜けた。緩んだ手は体を支えられず、パズーは横風に飛ばされ地面に投げ出された。ごろごろと回転して体が止まる。折れてるところはないしすぐ動けそうだった。だがもう動きたくない。全身痛い。死ぬかと思った。


「風車塔までくれば何か案があるだろう。頼む。行くぞ。」


定位置に着地していたアシタカが駆け寄ってきてパズーの腕を掴んで起こした。有無を言わさず走らされる。


「発煙筒でセリムに知らせましょう。それから点灯信号で伝えます。オルゴーなら早いしあの飛行機も引けるかも。」


ゴウゴウと鳴る風の音に負けないようにと叫ぶ。アシタカは振り返らずにパズーの手を引きながら風車塔へ続く崖道を走り続ける。


「どこにある?」


手摺のある生活区まで全速力。足を止めたくても引っ張られ続ける。声が上手く出ない。


「最上か-……。」


最上階と言い終わる前にマルチロール機が丘を転げ落ちるのが見えた。方向はレストニア城方面。砦にぶつかり止まればと思っていたらマルチロール機が宙を舞った。アシタカとパズーも吹き飛ばされかけた。手摺を思わず捕まえてアシタカの手を必死に握りしめる。揺れるアシタカの手が離れそうになったが、アシタカもなんとか手摺を掴み2人はお互いの体を抱えながら手摺を握りしめた。


体制が整ってマルチロール機を確認すると崖の下に転落していくところだった。それも防護網のかかってない場所。


「ああ。」


アシタカが低く呻いた。ほぼ同時にマルチロール機が波に飲まれ海に食われた。強風が吹き続け次第に空の色が変わる。色とりどりの毒胞子が混ざり合い、不気味な濃い灰色の津波のようになって押し寄せてくる。パズーには見慣れた光景だが、ゴーグルの向こうのアシタカの目は酷く戸惑っている。鳥羽色の瞳に恐れが滲んでいた。


「これが逆突風です。」


「これが……。」


アシタカとパズーは逆突風に飲み込まれた。レストニアを定期的に襲撃する悪魔の風。アシタカはしばらく無言だった。


「凄まじいな。風の研究が進むわけだ。むしろ崖外でも暮らそうという試みに恐れ入るよ。」


「大昔は崖の中でだけ暮らしていたそうです。でも太陽に憧れる。」


風が少しずつ勢いを減らしていく。海風が逆突風を押し戻し、崖の地形と合わさって発生する乱流が毒胞子をふわふわと舞いあげる。雲の隙間から注ぐ太陽に乱反射してキラキラと毒胞子が反射する。様々な色が楽しそうに踊る、美しい世界。


触れることの叶わない死者の国。


「綺麗だな。」


ほうっとため息を吐いてアシタカが地面に寝っ転がった。


「綺麗ですけどこんなもの見たくないです。これから国民総出で毒胞子の除去です。天気が良くて良かったです。乾燥で早く毒性が減る。」


「ペジテの都市には屋根がある。要塞を覆う透明な巨大な窓に似たものだ。人間は太陽を求める。」


あははははと笑いながらアシタカが起き上がった。


「マルチロール機はこの美麗な悪魔への貢物というわけか。パズー。今すぐこの国で一番早い長距離に耐えられる飛行機を貰うぞ。教えてくれ。」


「え?あの?それならあの。僕じゃな-

……。」


「時間がない!」


アシタカは無理やりパズーを立ち上がらせた。「話せ」と背中を思いっきり叩かれた。


「風車塔にある小型飛行機なら平均で時速100km程出ます。燃費も1番良い。でも……。」


「何人乗りだ?」


「2人です。」


両腕を腰に当てて怒鳴るように大声を出すアシタカの気迫にパズーはつい答えた。


「技師なら操縦経験はある?」


「あの。その。まあ。アシタカさ-……。」


「研究塔には給油準備があるな?」


チラッとしか話をしていない研究塔。良く覚えているな。名前だけではない何の為の施設か覚えているから、備品の予想が出来ているのだ。


「えっと。はい。」


「よし決まりだな。今すぐ出て交代で飛行すればなんとか間に合う。行くぞ。」


パズーは走り出そうとするアシタカの腕を掴んだ。


「ペジテは不可侵を掲げてますよね!」


「確かに。しかし侵略ではなく報復は超緊急時には認められる。ペジテ大工房代表の大技師士の一人息子。議会議員アシタカの殉職に対する報復。出征と言ってもほんの戦闘機が10とかそこらだ。」


想像してパズーの体は自然と震えた。レストニアにはそんな数の飛行機なんてない。圧倒的過ぎる国力の差。アシタカが壊れたように笑って体を折り曲げた。力なく手摺にもたれかかる。


「信頼できる共通の友。旅医師アスベルの紹介。外交の意志が無ければ赤い信号弾歓迎なら青を打ち上げて欲しいという嘆願。単なる外交拒否なら僕はとっくにペジテに帰還している。予定の帰還日は遅くとも今日だった。これは僕の落ち度だ。」


今度は手摺から離れて腕を組んでウロウロとパズーの前を往復するアシタカ。パズーは何と答えて良いのか分からず黙っていた。


「7日以上も戻らない場合は卑劣な謀略が行われたと判断するようにと議会が決めた。だからあんなに反対したのに!あの臆病者達め!10もの戦闘機が分かれて飛行していたら一気に説得なんて出来やしない。絶対に帰らないとならない!何が何でも!行くぞ!」


苛々とした怒声にパズーは頷いていた。今のアシタカには余裕が無く冷静さが失われている。しかしパズーには説得する気概も、より最善案を思いつく頭もない。そして時間がない。


「消毒室から風車塔に入りましょう。」


諦めたのが伝わったのかアシタカが「済まない」と頭を下げた。


「行きましょう。時間がない。」


男は度胸。誰の言葉だったかなと思いながらパズーは歩き出した。ゴーグルに付着する毒胞子を拭いながら風車塔を目指す。まだ走るような視界ではない。アシタカはさっきまでの苛立ちはどこえやら、すっかり大人しい。パズーの後ろをとぼとぼとついてくる。


「ペジテは今不安に包まれてる。陽動なのか真実なのか。」


「どういうことですか?」


「だから済まない。謝罪の理由にはならないがこの国との外交は大反対ながらも希望の光でもあるんだ。気を悪くしないでくれ。」


萎れているアシタカに投げかける言葉が見つからない。パズーは自分は今この瞬間までアシタカの立場というものを理解していなかったことを知った。巨大な国を背負って遠い異国からたった1人でやってきた男。聞いてはいないが、パズーと殆ど変わらないだろう若者。


「間に合わせましょう。何としても。」


つい、そう口に出していた。行くと決めたからには嘆いていても仕方がない。男は決断力。そうだ。テトの台詞だ。去年の収穫祭でセリムと踊った後にパズーの隣にきたテトが放った言葉。


「男は度胸。決断力。でパズーはどうするの?」


威張るように片手を腰に当ててため息混じりにパズーを睨んだテト。珍しく化粧をして髪を綺麗に結い上げていた。仕事があると言って背中を向けてテトを置いていった昨年のパズー。今年こそはあの生意気な女に言ってやるつもりだった。言うつもりだった。


「収穫祭よりもペジテに行ける方がワクワクしますよ。うんとね。」


「嘘でも有難いよ。」


アシタカの声が重い。風車塔まで辿り着くと消毒室のドアをそっと開いた。予想通り誰もいない。囲い火を通り海水に防護服を脱ぎ捨てた。


風詠達は崖上の駐機場から続く消毒室から入る。合流地点は小型飛行機の保管庫前の廊下。セリムが逆突風後に砂漠観測に行かないで戻っていれば会えるかもしれない。会議準備でバタバタする風学者は誰もパズーとアシタカを気に留めない。階段を足早に上がる。


五階まで上がると廊下の向こうに見慣れた背の高い癖毛の金髪を見つけてパズーは大声で名前を呼んだ。涙が出そうだった。


「パズー!その傷どうしたんだ?アシタカ。酷い顔色だ。」


「マルチロール機を失った。飛行機を貸して欲しい。一刻も早く発たないと帰国が間に合わない。」


セリムは心配そうに眉を下げていたが、すぐに眉毛を釣り上げてジッとアシタカを見つめた。それからパズーに視線を移した。元々何か聞いていたのかセリムは瞬時に状況を飲み込んだようだ。ゆっくりと頷いてアシタカとパズーの肩を優しく叩いた。


「アシタカ。必要なものは?」


「整備用品とありったけの燃料。防護服。」


「パズー。二号機を使うんだろう。発進準備しておけ!アシタカも調整出来そうならしろ。15分だ。」


セリムは言い終わらないうちに走り出して、パズー達が登ってきた階段を駆け下りていった。セリムが自分が行くと言い出すと淡い期待していたがそんな事はなかった。崖の国では貴重な飛行機の無断使用。セリムが残って説明しなければ大問題。いやセリムの許可といっても問題ではあるのだが、多少はましだ。多分。


パズーはアシタカを保管庫に連れて行った。二機並ぶ小型飛行機。アシタカは瞬時に使用する二号機に駆け寄っていった。流石ペジテの技師だ。鼻が利く。


「セリムが僕の整備用品を持ってきてくれる。予備にあのあたりの工具入れから必要そうなものを選んでください。」


「これがいらないし。ここもだ!それにこの構造は……。ああもう時間があれば!」


機体を観察しながらアシタカがブツブツと不平不満を零した。


「これで我慢してください!それより工具を!あと予備の燃料を運んで!」


「分かった!」


アシタカが工具入れを漁る間パズーは二号機に燃料を入れた。


「燃料不足は困る。スペースを空けよう。」


「そんな時間。」


「数分さ。」


幾つか工具入れから選択してきた整備用具を鮮やかに扱う。あっという間に機体の一部が剥がれた。パズーは思わず見惚れた。


「エンジン確認を!」


「あ。はい!」


立場は逆転。パズーがエンジンの確認をしていると、アシタカは当然のように前方の席を選んで操作系統の確認を始めた。そうこうしているうちにセリムが保管庫にやってきた。手に防護服を抱えている。後ろからポックルがパズーの工具入れを抱えて現れた。次にエスメラルダが小さい袋と水筒、ダルトンとタッタが防護服とゴーグルや手袋を持って入ってきた。


パズーとアシタカは防護服や帽子、マスクをつけた。飛行用の視界の広い一眼のゴーグルをつける。滅多に着たことがないのに今日はもう2度目だ。パズーは必要な工具だけ操縦室に押し込み、アシタカは急ごしらえで作ったスペースに燃料を納めてあっという間に蓋をした。セリムが本来の予備燃料入れに燃料を詰める。


アシタカもパズーもさっと二号機へ乗り込んだ。


「少ないけど食料。あと水よ。気をつけて。」


風車塔の人気者エスメラルダ嬢に頭を撫でられるなんてみんな羨ましがるだろう。帽子越しだが。パズーはそんな事を考えてないと震えが激しくなりそうだった。


セリムが毒胞子侵入防止の火を放った。ポックルとタッタが倉庫の扉を開く。熱気と衣類の重ね着で暑くてたまらない。擦り傷が痒い。行きたくない。


「アシタカ!また会おう!パズー!頼んだ!」


パズーを頼んだ、だろう。馬鹿野郎!と叫びたかったがいつの間にか涙が出ていた。無事帰って来れるのだろうか?


「この男も例の件も全部任された!死んでも誓いは守る!エンジン全開!」


死んだら守ってもらえないんだけどと軽口を叩く気にはなれなかった。


「発信準備終了!セリム!テトにこれを!」


迷ったがパズーは工具入れから出していた髪飾りをセリムに向かって投げた。随分前にセリムと共に作った髪飾り。未だに渡さずに工具入れに埋もれさせていた。御守り代りと思ったが男は度胸。そうだろう?テト。


「発進!」


アシタカの号令と共に二号機は風車塔を飛び出した。まだ毒胞子がゆらゆらと乱反射する空を切り裂くように二号機は飛んだ。生まれ故郷がみるみるうちに小さくなっていく。セリム無しで外へ行くのは初めてだ。


ドドリア砂漠の向こう側、ホルフル蟲森より先へと踏み入れるのがセリムではなくまさか自分だとは夢にも思っていなかった。


パズーは泣きながら大きな声で笑った。


男は度胸!決断力!これからの人生の勇気の合言葉にしよう。テトの顔を思い浮かべながらパズーは今度は前向きな気持ちで笑った。


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