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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
序章

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パズーの大災難幕開け

崖の国レストニア収穫祭


楽しみにしていたのはパズーだけではない。国中の者が年間で1番規模が大きく贅沢な祭宴の為に、いやそうする為に働いていると言っても過言ではない。苦労して育てた作物に網漁で得た魚、それに家畜の肉や乳製品。つけ置いた酒。厳しい冬の前に一度腹を満たし、歌い、踊る。稀に二つの険しい山脈とシュナの森に阻まれた辺境までわざわざ観光に来る者もいる。


大望遠鏡で国を眺めるアシタカの後ろ姿をパズーはぼんやり眺めていた。テトの家で可愛い女の子に囲まれてチーズ作りのはずが、何故か野郎と二人。チーズ作りは好きではない。というかテトの父親が怖い。しかし幼馴染のテトに砂漠から来たお客様、可愛らしいラステルとツンとしてるが美人のラファエ。一緒だったらさぞ楽しい、目の保養だっただろう。


「悪いな。むさ苦しい相手で。」


いつの間にかこちらへ振り向いていたアシタカにパズーは慌てて手を横に振った。


「いえ。その。ペジテ大工房の話とか面白いですし。その。」

「ははっ!君は正直者だ。さっきから顔に出てるよ。」


近寄ってきたアシタカに背中を叩かれてパズーは(しお)れた。快活なアシタカは好ましい。しかしどことなくセリムに似たものを感じる。良い意味ではなく悪い予感がするのだ。それが具体的に何なのかはまだ分からない。


そう。そもそもはセリムだ。いつもの通りセリムのせいである。


近年稀に見る豊作だった今年、収穫祭をより盛大に祝うということでレストニアにはエルバ連合各国の王が招かれた。食糧難の各国への権威の保持と支援、という名目もあるようだ。


エルバ連合を束ねる大陸中央に位置する洞窟の国ボブル。一番遠方の森の国イグレーン。風の谷フェリス崖の国と唯一定期交易のある山合いワーフ。海辺のヴァレス。ボブルは隣国グルド帝国と争いが絶えない。ボブルを防波堤にしている諸外国は、その庇護の代わりに人や物資で支援を行なってきた。崖の国レストニアは一番小さく日々の暮らしで手一杯。食料支援が最大の保身だという。パズーには難しい事は分からない。崖の国の国民は目の前の問題で手一杯。賢い王に恵まれ続け、外の世界に目を向ける者は少ない。パズーも機械技師として外国の技術には興味があるが、国を飛び出そうとは思えない。天然要塞に創り上げられた堅牢な崖中の街。不自由で狭いが、代わりに平穏がある。外国の噂は血生臭い話が圧倒的に多い。


今日から三日間行われる収穫祭。レストニア王族は一同揃ってエルバ連合の王達と会食し街を案内する。ところが一昨日、予定外の来賓、ペジテ大工房のアシタカが現れた。歳が近く兄弟弟子という事でセリムが会食から外れてアシタカの世話係となった。だから今日ここにいるのはパズーではなくてセリムなのだ。なのにセリムは会食に出席せず、アシタカを置いて、オルゴーに乗ってどこかへ飛んで行ってしまった。


「夕方前には戻ってくる。アシタカを頼むよパズー!」


早朝から爽やかな笑顔。セリムが家に押しかけてきて叩き起こされた。セリムはよく似合う白い絢爛な礼服を脱ぐとパズーのクローゼットにしまいこんだ。それから眠気眼のパズーを引きずるように、外に連れ出した。セリムは玄関前で待っていたアシタカとパズーに目配せしてにこやかに「よろしく」と告げただけで、説明もなくアシタカを置いて去っていった。あっという間に走り去るセリムの服装は防護服姿。ということは行き先は十中八九ホルフル蟲森だ。こんな時にもかと呆れてしまう。アシタカは一言国を一望したいとだけパズーに頼んだ。セリムと違って謙虚だと思った。


「この望遠鏡よく見えるがもっと小型化出来るぞ。」

「本当ですか!」


アシタカに紙とペンが欲しいと言われて差し出すと、アシタカは大望遠鏡脇の観測記録用机でスラスラと絵と文字を書いていく。パズーは横から覗き込んだ。少し見れば分かる。知らない技術ばかりで胸が踊った。前言撤回。セリム良くやった。死ぬ前に一度は行きたい技術者の聖地ペジテ大工房。鎖国されて滅多な事が無ければ入ることが叶わない大都市。度胸のないパズーには死ぬまで行かない外国。


「これとか。」

「そうか。でも材料は?」

「あの森にはガモ樹は生えているか?」

「ガモ?」

「次来る時に植林用に持ってこよう。樹液が色々と使えるんだ。」


また来てくれるのか。爽やかに笑ったアシタカはまたペンを走らせる。初対面から気さくで温厚なアシタカ。パズーや国民の胸の奥の警戒心を察していても不快な顔一つしない。外国人も自分達とそう変わらない温情ある人間か、と感じさせてくれる。歳の変わらないアシタカにパズーは素直に敬意を払える。こういう人間とならば国交も悪いことにはならないだろう。


設計図の不明点について質問すればアシタカは丁寧に答えてくれた。そして新たに分かりやすい回路図を書いていく。まさかこんなにすんなりペジテの技師から御教授願えるとは思ってもみなかった。観光よりも国を眺めることを選んだアシタカに付き合わされて、望遠室に閉じ込められていた自分への思いがけないご褒美。


「昨日は済まなかったな。急に予定を中止にして。みんな準備してくれていたんだろう?」

「いえ。会談の方が大事です。」

「予定外に話が増えてしまってね。長かったのに朝は早かったから眠いよ。」


アシタカが欠伸してから苦笑いした。パズーは首を横に揺すった。本当は心底残念だった。昨日、セリムがエルバ連合各国からの来賓を出迎える間、アシタカはパズーと共に崖の国の技術関連を視察する予定だった。飛行船に風車塔、機械と名がつく道具を沢山用意していた。ペジテに興味津々の先輩達とそれはもう張り切って準備していた。緊張をしていたし少し怖くもあったがそれ以上にアシタカの頭脳が気になった。視察というよりも色々教えてもらう魂胆だった。しかし下心をよく思わない幸運の女神はそっぽを向いてしまった。だから仕方がない。今のこれはアシタカなりの埋め合わせなのかもしれない。


「なあパズー。セリムが何処に行ったか知っているかい?」


ペンを走らせ顔も紙に向けたままアシタカがパズーに問いかけた。段々と真剣になっている横顔。しかし文字を書き直して、少し悩んで手を止めながらもアシタカの口元は緩んでいる。遠路遥々西の果てからたった一人で来訪したアシタカの本職は技師。こういう所がセリムと似ているのかとパズーは一人納得した。天職、いや好きなものがあるのに国を背負いそれに相応しいように精力的に努めているのだろう。それでも漏れ出る関心の矛先への熱。


「いえ。多分蟲森か研究塔かなと。防護服でしたから。」


「研究塔?」


「ホルフル蟲森の近くに建設した薬草の栽培施設兼セリムの研究室です。元々はアスベル先生のですけど。」


「へえ。是非見てみたいな。」


アシタカの好奇心と期待に満ちた瞳にパズーは固まった。既視感のある笑顔に嫌な予感がした。


「いやいや大丈夫。急に連れていけなんて言わないさ。思い出したのはどっかの誰かさんか?」


肘で小突かれてパズーは、はははと笑った。アシタカがパズーの背中を叩いてニッと白い歯を見せた。セリムよりは欲望に忠実でないようで安心した。


「し…り…か。」


聞こえるか聞こえないくらいの声でアシタカが呟いた。パズーには身辺整理と聞こえた。


「あの。しんぺ-……。」

「おいあれ。セリムじゃないか?」


アシタカが左前方を指差した。望遠室は崖の国で一番高い所に建築された観測塔の最上階。半円に作られて360度が窓。レストニア国内の空と土地は大抵見える。向かってくるオルゴーの速度は速かった。珍しくエンジンを使っているようだ。つい何ヶ月か前も似たような事があった。


「緊急信号。」


窓に駆け寄ったアシタカがレストニア上空を染める赤い煙を見て叫んだ。パズーはアシタカの隣に駆け寄った。崖を繋ぐ大橋の上をオルゴーがトトリの風凧賢鷲(グレーテ)と並走している。発煙筒は賢鷲グレーテから上がっているがオルゴーからも赤い煙が上がり始めた。


「敵襲か?まさか-……。」

「逆突風だ!」


レストニアに急襲する悪魔の風。年に数度、多ければ月に一度は襲いかかるホルフル蟲森から毒胞子を運ぶ超突風。


「逆突風?」


「海風を吹き飛ばす西からの強い風。砂漠を越えて毒胞子が大量に襲来します。」


「毒胞子って。それで崖内の住居か。しかし田畑や家畜はどうするんだ?」


アシタカが不安そうに窓の外を見つめる。


「大丈夫ですよ。未収穫の畑は囲い板枠や布で覆います。他は後で焼き払ったり。地植えではない作物や家畜はみんな地下へ。国民総出で国を密閉するんです。」


「早速始まってる。手慣れているな。」


「レストニアに舞い上がる凧の数々。巨大な風車塔。風学者と風詠。そして僕ら機械技師と偉大な発明風凧。この国は逆突風を克服して生き残ってきたんです。」


パズーは少し得意げに話した。アシタカが興味深そうに避難に当たる国民を目で追っている。


「そうか。本当なら昨日その辺りの話を聞きたかったんだ。予定外の問題ばかりで叶わなかったが。それにしても凄い勢いで海風が森の方に吹いているな。」


激しく揺れている観測凧の群れをアシタカが指差す。


「引き風です。海からの風ではなく砂漠の方へ引き寄せられている。僕らはそういう表現をしています。」


アシタカの視線が今度はオルゴーと賢鷲グレーテを追う。


「こんな暴風の中をまるで風なんて無いみたいに飛ぶんだな。更に風が強くなっても飛行するのか?」


「もちろん。今から乱流は激しくなる。逆突風後もずっと風は荒れ狂う。海からの風と陸からの風がぶつかって崖の地形と合わさって乱流が吹き荒れます。風詠はそれでも飛びますよ。観測に避難確認。時に救助。セリム達風詠だけがこの乱流を自由に飛べる。まあ布一枚があれば空を舞いますよ風詠は。」


割と細めの目を丸めてアシタカにパズーは得意げに笑みを投げた。


「そうなのか。風凧は模造風凧と原理は同じだろう。翼の操作で風を掴んで揚力を最大限に活かす。あそこまで重量化したら相当操作が厳しいだろう。飛行機の方がずっと楽だ。でも飛行機じゃこの地形を無尽には飛べないな。」


「そうなんです。元々風凧は崖を行き来するのに作られました。布と木さえあればいい。この国には資源も技術も乏しかった。いや今も。」


「不足から名発明が産まれる。ペジテの諺だ。」


パズーにちらりと笑顔を向けてアシタカはすぐに目線をオルゴーに戻した。


「セリムの機体はやはり異質だな。大きいし形も。あの風凧は少し似ているな。」


アシタカが指差したのはトトリの乗ると賢鷲グレーテ


「あれは同じ鷲の名を持つ兄弟凧です。オルゴーは大鷲凧。グレーテは賢鷲けんわし。オルゴーは戦闘機を風凧に改造した物です。他の風凧の倍の大きさの翼で圧倒的な速さや飛行距離を出せる。重い機体はどんな強い暴風にも負けない。戦闘機の機能を残した上に他にも複数の操舵機能を付け足した風凧。でもその分空気抵抗が酷い。オルゴーの別名は暴走凧。」


「共に乗ったけど暴走凧だなんて感じられなかった。まるで鳥になったようだったよ。」


「アシタカさん。今オルゴーの周りにどういう風が吹いているか見えます?」


パズーには薄っすらとだけしか見えない風の道。セリムの瞳を映像として写してみたい。きっと全く違う世界がそこにはある。


「いや。君達は風を詠むと言うんだっけか。さっぱりだ。けれど経験を重ねればどうにかなるだろう。」


「無理ですよ。」


パズーは華麗に乱流を選別してレストニアの空を支配するように自在に駆けるセリムに目を向けた。


「そんな事ないだろう。」


不服そうに口を尖らせるアシタカ。パズーは気後れしたが続けた。


「風詠は鳥人。飛ぶ道を瞬時に見抜き体を動かす。努力だけでは追いつけない技術です。風凧は彼等の身体の一部。みんながみんな鳥にはなれない。」


窓から少し離れてアシタカが大声で笑った。


「そうか。うん羨ましいなあの力は。それを補う力がペジテにはあるぞ。試してみたくないか?」


「資源が豊かにあれば飛行機の方がいいと思いますけど。凡人でも天才になれる飛行機の方が浪漫があります。」


「いや。あれは欲しい。オルゴーは半分戦闘機だろう?汎用型として改良しがいがありそうだ。」


「セリムだからあんな風に鳥になれるんです。鳥になれない人間の為に改良したらオルゴーは戦闘機に戻る。大鷲は死んでしまう。一度オルゴーに挑戦すると良い。セリムなら喜んで飛行補助を買って出てくれますよ。」


オルゴーが空中で静止した。大鷲の名に相応しい威風堂々とした佇まい。稀代の天才ダルトンや最年少で風詠になったエスメラルダもあの暴君大鷲を従えられていない。セリムは崖の国で一番風に愛されている。


「発明としては欠陥品だな。ペジテの技術を見くびるな。乗りたいんだろう?そういう顔だ。」


挑発的な黒い瞳には嫉妬の炎と野心が揺れている。穏やかなアシタカは消えた。パズーは怯んだ。


「欠陥品というわけでは……。あれはあれで良いんです……。」


二重窓はビクともしていないが観測凧の動きがますます激しさを増し、風に大きく揺さぶられている。


「国を象徴する発明の中でも最も偉大な発明か。オルゴー(誇り)という名を与えるわけだ。」


「誇り?オンゴーは鳥の人の別名です。」


「そうか。ん?まずい!忘れていた!」


アシタカが窓に張り付いた。その方向には強風に倒された機体。丘を転がりそうで止まっている。アシタカの乗ってきた飛行機だ。


「まさかあんな重い機体を倒すなんて。どれだけ大きな風が吹いて-……っ?」

「違う!あのマルチロール機はかなり軽いんだ!まずいぞ。ペジテに帰れなくなる。」


アシタカの顔面がみるみる蒼白に変わっていく。


「この国にも風凧以外の飛行手段がありますから大丈夫です。そりゃあペジテ製のもの-……。」


「3日後には帰国しないとペジテは出征する!遅くても4日後の猶予は早朝までだ!4000kmもの距離を3日以内で飛べる飛行能力と燃料積載できる能力を兼ね備えた飛行機がこの国には無いだろう!」


パズーは怒鳴り散らすアシタカに両腕を掴まれて揺さぶられた。


「え?あの。出征?」


「悪い。あーっと。僕が7日間帰国しなかったら崖の国との交渉は決裂。僕は死んだと判断される。出発したのは4日前。1日で到着するはずがエンジントラブルで1日半かかった。それに加えて歓迎に甘えて余裕があると今まで滞在してしまった。マルチロール機なら早くても明日の朝発てば間に合うと思って。ああガンシップがあるんだっただけな?この国には」


アシタカがホッとしたようにパズーから離れた。国内の小型で旧式な飛行船は鈍速。ガンシップは解体点検中。今度はパズーの体から血の気が引いていった。


「ガンシップは点検中で解体されていて……。」


「3日でペジテまで飛べる飛行機か飛行船はあるか?」


アシタカ1人で飛び続けるには国内の飛行機では速度不足だ。そこまでの燃料を積めるかも分からない。パズーは大きく首を横に振った。


「機体を回収しに行く!」


言うが早いかアシタカは走り出した。「誰かに相談」とパズーが告げる隙もなく。アシタカの迷いのなさにこれが最善の方法だという気がしてしまう。逆突風はもういつ襲来するか分らない。数分後なのか数時間後なのか風の神しか知らない。下手したらアシタカは毒胞子で死ぬ。そしたら国が滅びるかもしれない。


セリムがいたら。セリムが予定通りアシタカの世話人の務めを果たしていたら。セリムのせいだ。


「セリムの大馬鹿野郎!」


パズーはアシタカを追うために走り出した。




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