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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
第ニ次クロディア大陸戦争

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312/316

彼と彼女の小さな世界1

【コーストス蟲森】


 真夜中、フォンはよく眠っている。パズーはフォンの額に乗せてある濡らした布を手に取り、葉で編まれたカゴにそっと入れた。

 布を濡らし、絞り、フォンの額に布をそっと乗せる。

 反対を向いて、丸まって眠っているソレイユを確認。彼女にかけているパズーの上着が落下しそうだったのでかけ直す。


「ん……」


 振り返るとフォンのまぶたが震えていた。徐々に目が開かれていく。彼の視点は宙を彷徨い、停止し、その少し後にパズーの方へ移動し、最後に顔ごとこちらに向いた。


「フォン、起きたのか。痣が消えたんだ。きっと助かる」


 パズーはフォンの手を取り、力強く握りしめた。彼の力はない。水を飲んでも吐く状態で、ロクに何も口に出来ていない。体力がなくて当然だ。


「体が……かなり軽い……」

「ソレイユちゃんが色々試してくれたんだ。昨日から夕方までマーゴの実っていうのを探してくれて、多分それが効果を発揮した」


 思わず、泣きそうになる。いや、泣いた。ポタリと涙がフォンの手に落下。パズーは袖で涙を拭った。


「死ぬかと思った。フォン、良かった……」


 青白い顔をしたフォンは、顔を歪めた。起きあがろうとしたフォンに手を伸ばし、背中に腕を回す。フォンは「すまない」と口にした。

 上半身を自力で起こせないようで、腕にズシリと重さを感じる。力を入れてフォンの体を起こした。


「パズー、ありがとう」


 フォンが小さく微笑んだ。


「ソレイユは?」


 フォンが視線を彷徨わせた。顔を動かすのも辛い様子だ。


「俺の後ろ。眠ってる」


 フォンは辛そうに体を折り曲げ、ソレイユを見た。


「起きたら礼を言わないとな……」


 フォンは体を戻し、天井を見上げた。パズーも視線を移動させる。蔓のような木の根が張り巡らされている。この上は蟲森だ。

 出入り口はソレイユが作った。一番根が少ないところを壊し、何とかという苔で蓋をし、縄のような植物で梯子を作り、今いる空間の天井には光苔を嵌め込んだ。

 今は青白く照らす光苔を減らして部屋の隅に集めて葉を被せているので薄暗い。


「ホルフルアピスに匿ってもらうということは、ホルフル蟲森で暮らすってことだろう? ラステルさんの故郷があるというし、調査のためにそれもありか、なんて思っていたんだ……」


 フォンは両手で顔を覆い、俯いた。


「ソレイユを説得してペジテに帰らないと。いや、外から手紙か何かで アシタカ様に伝えないと。二千年もドームの内側にいた民族は、ドームの外の微生物やウイルスに晒されて無事ではいられない……」

「あー、フォン。そのさ。微生物やウイルスってなんだ? 病原菌ってうなされてた」


 片手を顔から離すと、フォンは片手でおでこを抑えた。辛そうな表情だ。


「人間の目には見えない生き物とでも言えばいいのかな。色々な種類がいて、色々な病気の原因になる」

「見えない? 見えないのに知っているってどういうことだ? それに何でドームの内側と外側で違いがあるんだ?」

「科学や免疫学の話をすると長くなる。とにかく、ドメキア王国にいる医師団や崖の国にいる護衛人のためにも、アシタカ様に連絡を……」


 科学はペジテ大工房の技術の高さから推測は出来るが免疫学? パズーは立ち上がろうとするフォンの体を押さえた。


「まだ無理だって。アシタカに連絡なら俺が何とかするよ」

「ああ……。目眩が酷い……」


 フォンは再び両手で顔を覆った。


「パズー、俺が死んだら……。遺書だ。遺書を書くから家族に渡るように手配してくれ」


 メモ帳、と呟いたフォンがジャケットの内ポケットに手を入れた。


「フォン、遺書だなんて縁起でもない事を言うな」

「元々フロスに参加すると決めた時から覚悟は決めていた。何も始める前にこんな事になるとは思ってもみなかったけど……」


 フロスとはセリムが開始しようとしている異種族支援機構のことだ。フォンは内ポケットから出した手帳とペンで何かを書き始めた。


「フォン!」


 背後から声がして振り返る。ソレイユが目を覚まし、体を起こしていた。彼女はみるみる目を真っ赤にさせ、涙を流し、立ち上がった。


「痣が消えているわ! 熱は? 熱はまだある⁈」


 ソレイユはパズーの隣に並び、フォンのおでこに掌を当てた。


「熱も下がったのね。マーゴの実なら効くかもって、コーストスナーメの言った通りだったわ……」


 ソレイユはフォンの体を抱き寄せた。彼女のすすり泣きが室内に響く。フォンの手からポトッと手帳とペンが落下。フォンは目を見開き、驚いたように固まっている。


「ありがとう……」


 フォンが弱々しい小さな声を出した。

 彼は身を捩り、ソレイユの両肩を掴み、体を押した。


「俺のことが苦手なんだろう? 無理しなくて良い。看病ありがとう」

「無理くらいするわ。命は尊いもの。それに不本意でもフォンはソレイユの夫。慣れる努力をしているの」


 にこやかに、可憐に笑ったソレイユにパズーは驚愕した。


「えっ? ソレイユちゃん、それ本気? 君、シッタルダが好きなんだろう? 事故のキスで結婚なんて文化はペジテには無いってフォンが散々言ったと思うけど」

「ソレイユは淑女中の淑女よ。貞節を捧げた相手と結婚しないなんて有り得ないわ。事故でもキスはキスよ。ソレイユは一生フォン以外とはキスしないの」


 ゲホゲホと咳き込んだフォンの背中を、ソレイユが労るように撫でた。


「大丈夫? 熱の次は咳なのかしら?」


 いや、そうじゃなくてとパズーが突っ込む前にフォンが首を横に振った。


「嫌いな相手と結婚なんてそれこそ有り得ないだろ。貞節というのはキスではなくて……」


 フォンとソレイユの目が合う。ソレイユがニコリと笑った。


「ソレイユの匂いがするのに伴侶じゃ無いなんて、オーディン様に殺されるわ。そんなの嫌よ。ソレイユはフォンが好きよ。人としてね。死に際に他者を思いやれるなんて尊敬するわ。問題は生理的嫌悪よ」


 ソレイユはフォンの体をパズーへと移動させた。


「スープを作ってあるから温めるわ。待ってて」


 立ち上がったソレイユが背を向けて少々遠ざかる。

 

「俺の気持ちはどうなる。俺は君みたいな……」

「ソレイユみたいな可愛くて強くて優しい素晴らしい伴侶だなんて気後れする? ふふっ、あなたって謙虚なのね。また1つ良いところを見つけて嬉しいわ」


 振り返ったソレイユはクスクスと笑い、また背を向けた。鼻歌まじりで腰を下ろし、手を動かす。スープの準備だろう。

 フォンと目が合う。彼は苦笑いを浮かべ、肩を竦めた。しかし頬は赤い。


「あの思い込みと自信は何なんだ……」


 ため息を吐くフォンを、パズーは(満更でもなさそう)と眺めた。


「ソレイユ、そこまで言うならそのオーディン様と言う方と会いたい。君の意見と価値観は分かったが、俺としては事故のキスで結婚なんて無しだ。俺と君は結婚してない。君は君の想いを、シッタルダへの気持ちを大事にするべきだ」


 勢いよく振り返ったソレイユは、目をこれでもないかという程丸めていた。


「オーディン様に? 有無を言わさず殺されるわ! そんな匂いでロトワに入ったら、瞬時に守護兵達に囲まれて捕まる!」

「君が俺の事を理解してくれたように、そのオーディン様とやらも分かってくれたりしないのか? 俺はペジテが大事で、セリムと共に為したい事がある。逃げて隠れて暮らすなんて出来ない」


 ソレイユは顔をしかめ、腕を組んだ。


「決意が固いって伝わってくるわ。ソレイユが愛しいからシッタルダ様と上手くいって欲しいだなんて……。フォンは本当に生まれてくる国を間違えたのね……」


 自身の頬に手を当てると、ソレイユは首を傾けた。


「ソレイユが片時も離れなければ大丈夫かしら。でも即座に誘拐犯って誤解されそうだし……」


 腕を組んだソレイユがぶつぶつと呟く。

 突然、ソレイユは目を彷徨わせた。目を見開いたり、まあというような口の形を作ったりしている。


「フォン、パズー、セリムがラトナの泉にいるんですって。フォンを助けようとするソレイユの為にセリムに頼んでくれるって! 蟲の民セリムならオーディン様との間に入ってくれるわ! それまでホルフルで療養すると良いって!」


 ソレイユは勢いよく立ち上がった。


「フェンリスお兄様もいるって!」


 セリムとティダがソレイユの故郷にいる。どういう事だ? パズーがフォンを見ると、彼は眩しそうな瞳でソレイユを見上げていた。


(この顔、大人しくソレイユと結婚ってことにして、ラステルの村で暮らせば良いんじゃ無いか?)


「そうか、それは良かった」


 フォンが微笑む。今まで見たことのないような優しくて柔らかな笑み。パズーは(また面倒なことになりそう)と思いながらフォンの手帳とペンを拾い、彼に押し付けた。


「ホルフルにシッタルダ様とラステルがいるそうなの。皆がそこまで連れて行ってくれるって」


 シッタルダと口にしたソレイユが嬉しそうにはにかみ笑いを浮かべた時、フォンが少し不機嫌そうな表情になったのを、パズーは見逃さなかった。


(次は何が起こるんだ……?)


 パズーは心の中で頭を掻きながら、フォンに「 アシタカへの手紙は?」と促した。



【ホルフル蟲森】


「へくしゅっ!」


 シッダルタがくしゃみをしたので振り返る。


「鼻もかけないとは不便だな」


 呑気な声を出すと、シッダルタは腕の中のアピスの子をサワサワと撫でた。


「もうすぐよ」

「それは朗報だ。この服装暑いですけど、カールさんは大丈夫です?」


 振り返ったシッダルタに、カールは首を縦に振った。お面で顔は見えないが、彼女のことだからきっとしかめっ面だろう。


「戦時のフルフェイスと変わらん」

「そうですか。辛くないなら良かったです」

「重いなら引き剥がして放り投げれば良いんじゃないか?」

「まさか。怖いって言ったきり何も聞こえないというのに放り投げるなんて」


 そう言うとシッダルタは腕の中のアピスの子が飛び立つのを手伝った。入れ替わりで別のアピスの子がシッダルタの腕の中に止まる。ずっとこれの繰り返し。

 シッダルタの頭の上、背中、両足にもアピスの子は張り付いている。カールの指摘通り、重くて動きにくそう。ラステルもそろそろ頭が重くなってきている。

 ラステルの頭の上に乗るアピスの子も何度も入れ替わっている。重いと思ったからか、アピスの子がブーンと飛び立ち、離れ、別の子はもうこなかった。


「そうか」


 それきりカールは喋らなくなった。シッダルタも彼女に話しかけたりしない。

 そろそろ村の入り口が近い。と、足を進めていると見慣れた人影がキヒラタの向こうに見えた。


「あれ、唄子だわ」

「唄子?」

「演奏をして蟲森の中で狩りをするの。驚かせてしまうから二人は待ってて。スコール君も」


 緑連だ、とラステルは駆け出した。止めたのにスコールはついてきた。ラステルの横にピタリと寄り添っている。

 緑連なら父がいる。近寄ると、緑連が騒めいた。ヒソヒソ「蟲姫」という懐かしい声がする。

 かつてはそれに悩んだというのに、今はどうでも良かった。


「お父さん!」

「ラステル? ラステル!」


 十数人いる緑連の群れから飛び出してきたのはヴァルだ。服で分かる。抱きつきたい衝動を抑え、足を止める。


「ラステルどうした! 何で⁈ 元気そう……」


 ヴァルは目の前まで来て、ラステルの両手を取ってくれた。しかし小さく唸るスコールに視線を落とし、言葉が途切れる。


「スコール君、私のお父さんよ」


 ウォン、と吠えるとスコールはラステルとヴァルの周りをうろついた。まるで緑連を威嚇するように、彼等を見据えている。


「スコール君、私の故郷の村人達よ。何もしないわ」


 話せないのでスコールの行動の意味が分からない。見ると緑連は笛鎌や杖、ナイフを構えていた。このせいか。


「大狼を初めて見て驚いているだけよ。スコール君……」


 スコールが突然駆け出し、緑連に突っ込んだ。悲鳴が上がる。スコールは急カーブし、緑連を避け、捩れカザフを駆け上り、捩れカザフに生えるヒラギを尻尾で剥ぎ取った。ヒラギが雨のように降る。


「まあ、ありがとうスコール君。ヒラギは美味しいけど採るのが大変なのよ」


 スコールはウォン! と吠えると捩れカザフの枝から飛び降りた。数メルテもあるのに華麗に着地。

 着地するとスコールはラステルの隣に腰を下ろした。


「お父さん、スコール君よ。大狼という一族でとても頼りになるの」


 ヴァルからの返事はない。緑連も固まっている。


「ラステル! 何かあったのか!」

「ラステル妃!」


 振り返るとシッダルタとカールが走ってきていた。


「何もないわ。スコール君が友好の挨拶を……」

「ガンだ! ガンの群れだ!」


 この声は同年代のガイル。彼は鎌を振り上げた。もう一度シッダルタとカールの方を見ると、シッダルタの周りにアピスの子が群がっていた。


「止めろ。全員何もするな。あれは敵対心のない幼生だ。むしろ怯えて……セリム?」


 ガイルらしき人物の前に出てきたのはイブンだ。声もそうだが一人だけ服装が違う。


「イブン様、彼はシッダルタです。セリムの友人で、見た通りアピスの子に好かれているわ。アピスというのはガンの本名です」


 イブンがヴァルの隣に並んだので、シッダルタを紹介した。


「彼の隣にいるのは……」


 一瞬、カールを何て紹介するか迷った。


「私の友人です」


 シッダルタとカールは一定以上近寄ってこない。シッダルタはその場に胡座を掻き、頭を下げた。


「お話はかねがね。イブン殿、村の方々、ラステルから紹介があったようにシッダルタと申します。隣の彼女はカールです。援助していただきたく参りました」


 シッダルタの真似なのか、アピスの子達もあちこちに着地し、次々と頭を下げた。その後、アピスの子達は次々と飛び去っていった。四方八方へ散っていく。


「なんと……」


 ヴァルが驚嘆の声を出す。緑連は静まり返った。イブンも何も言わない。


「イブン様? あの、アピスの……ガンの幼生達は何と?」

「え? ああ人の領域には踏み込まないと……。驚いた。セリムのような者がいるのか」

「セリムのような?」


 蟲に好かれるセリムとシッダルタが同じと思われたのなら、それは喜ばしいことだ。


「知人の客人だ! 丁重にもてなす。ヴァル、皆と共にヒラギを拾って先に村に戻ってくれ。グリーク様に俺が話に行くと伝えて欲しい」


 ヴァルが頷いて下がった。イブンは目配せされたので、共にシッダルタとカールの元へ向かう。スコールが何食わぬ顔でついてくる。


「グリーク様にも、村人達にも、君は生まれ故郷が分かって帰ったと説明してある。それは知っているよな? そのうち崖の国で会えるかと思っていたが、どうしてここへ? セリムはどうした?」

「ジーク王様から手紙を預かっています。セリムは今仕事で……」


 イブンに会えたので、急に泣きたくなってきた。


「イブン様、セリムに何かあったかもしれないのです。蟲達が何か言っていませんか? 私達、蟲と話せません。イブン様なら何か分かると思って……」


 シッダルタが立ち上がり、カールと並んで歩いてくる。


「マボの胞子が舞う時間、オディウム、パルディレと騒がしかった。オディウムやパルディレが何か分からないが只ならぬ感じだった。しかしその後は一転して静か。かつてないほど何も聞こえない。森に出てみたら蟲が全然見当たらない。不気味だ」


 不気味、という言葉で不安になる。やはりセリムに何かあったのだ。


「イブンです。シッダルタさん、カールさん、二人ともセリムのご友人だとか」


 シッダルタが会釈をするのとほぼ同時にカールも会釈をした。とても綺麗な会釈だった。


「今、オディウム、パルディレって聞こえたのですが、蟲ですか?」

「はい。何かご存知で?」


 シッダルタが腕を組んだ。


「古い言葉で憎しみとか、滅亡という意味です。セリムを追うべきなのか? しかしどこにいるか分からないしな……」

「セリムを追う? 彼は今どこに? ラステルは先程仕事だと」

「シッダルタ、イブン様は今は何も聞こえないって。どうしよう。セリム……」


 アピスの子達が呑気そうだったので、ラステルもどこか楽観視していた。


「いや、アピスの子は怖いの後はずっと遊べと言っている。セリムに何かあったならもっと別の何かがあるだろう」

「シッダルタさん、貴方も蟲の声が?」

「えっ? いや、あの。アピスの子だけです。それも少しだけ。それで話せなくて、声が聞こえるだけです」


 シッダルタは会釈をしてからイブンに背を向けた。


「追いかけて聞けば何か分かるのか? しかし追いかけようにもどこへ行った? あんなに集まっていたのに」

「えっ? おかえり? 遊べ?」


 イブンが呟いた時、ドサドサ、ドサドサと何かが降ってきた。ヒラギだ。ヒラギが雨のように降ってきたのでラステルは顔を上げた。

 アピスの子達が飛び回っている。


「この様子だと、何かあったけど解決したんだな。俺にもおかえり、遊べしか聞こえない」


 シッダルタは腰に手を当て、首を傾げた。


「遊べって何をすれば良いんだ?」


 そう告げた時、アピスの子達は次々と遠ざかっていった。それきり、蟲森は静かになった。

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