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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
第ニ次クロディア大陸戦争

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310/316

深淵を飲み込む者

 案内された地下にあったのは、闘技場(コロッセウム)だった。

 金網の内側にドルクスと巨大な蜘蛛がいる。


「引き裂け!」

「行け!」


 円形の客席はほぼ満席。熱気が凄まじい。

 同僚のニックがこっちだ、と告げて歩き出した。ドルクスから目が離せない。後退りし、金網に何度もぶつかっている。

 六つある目が全て黄色で、点滅していて、2本の角が小刻みに震えている。明らかに怯えている。


「あっ……」

「うおおおお! すげえ!」


 ニックが足を止め、目を爛々とさせた。

 ドルクスに巨大蜘蛛が飛びかかった直後だった。巨大蜘蛛は体を起こしたドルクスに体当たりし、顎をドルクスに食い込ませている。ドルクスから緑色の体液が飛び散り、滴り落ちた。

 次の瞬間、ドルクスは目を真っ赤にし、巨大蜘蛛を押し返した。角が鋏のように動き、巨大蜘蛛を挟もうと動く。巨大蜘蛛は後ろに跳ねた。大歓声が沸き起こる。


「見ろよあれ、あれが俺の作った……」


 振り返ったニックに、セリムは掴みかかった。


「辞めさせろ! このような非道な真似!」


 掴んだ筈のニックの姿がグニャリと歪み、消え、明るかったのに急に暗くなり、つんのめった。


「ゔあっ」


 呻き声がして、同時に足の裏にぐにゃりとした感触。


「すみません! 大丈夫です?」


 セリムは片膝をついてしゃがみ、踏みつけてしまった人の顔を覗き込んだ。


「だ……で……い"ぬ……」


 足にしがみつかれたが、その手の力が徐々に抜けていった。倒れた男を仰向けにし、首に揃えた指を当てる。脈がない。

 顔は青痣だらけで、苦悶に歪んでいる。


「ここでもペジテウィオラフランマの後遺症か……」


 ペジテ? 口から勝手に出た台詞に、セリムは首を傾げた。


「ウィオラフランマとはなんだ? 後遺症?」


 ここはどこだ? さっきまで酷く残酷な場所にいた。そこがコロッセウムという所だと分かったことと、ニックという男がいたことを思い出し、さらに首を傾げる。

 

「……こい」


 耳元で小さな囁き声がした。しかし、それどころではない。

 クロスボウの矢が三本突き刺さった鉛色の殻。眼光を失った灰色の三つ目がセリムを見つめている。


『何故見捨てた?』


 告げられた言葉に胸がズキリと傷んだ。足の力が抜けそうになった時、小さな、とても小さな声が聞こえた。


——嫌だよセリム


 アピスの子の声。


—— 憎い(オディウム)悪魔(ペジテ)だけは許さない。必ず、滅ぼしてやる。

 

 グロブスだ。この声はグロブス・サングリアル。金縛りにあったように体が動かない。激しい暴風がセリムの頬を殴りつけた。

 それで気がつく。思い出す。求めているのは真実ではない。過去の罪を掘り起こすことではない。


「グロブス! グロブス・サングリアル!」


 引き剥がすように声を出し、全身に力を入れる。裂けそうな痛みに襲われる。

 彼だって憎みたくて憎んでいるのではない。

 愛する娘も、息子も、守ろうとした蟲達も、何もかもを奪われた。

 一番辛かったことは——……。セリムの頬に涙が伝った。


——お義父さん、貴方の名をください


 照れ臭そうに笑うテルムがボヤけた視界に映る。テルムは血染めの罪にまみれた手を握り、尊敬の眼差しを向けてくれた。父と呼んでくれた。

 彼のような男を何故神は救わなかった。この世に神などいない。残酷で、理不尽で、希望のない世界で、正しい者は生きられない。

 降りかかった火の粉から逃げ続けても、最後は炎に飲まれ、燃やされる。

 戦わなければ、殺される。


——何故草食の蟲に牙がある?


——襲うためだ


——何のために?


——守る為だ


——誰を誰から?


——愛する者を悪魔から


——だから憎め


——必ず報復しろ


 違う。違うと叫びたくても声が出ない。そして理解してしまう。生物は争わずには生きていけない。

 今度の涙はグロブスの気持ちではなく、自分自身の感情によるものだった。

 

 己も相手も許せ。


 失ったものは戻らない。


 大切なのは残ったものを巡らせて、過ちを繰り返さずにより鮮やかな未来を作ること。

 蟲は知っている。同じ気持ちだと思っていた。しかし違う。

 蟲は知っているからこそ「牙」を選ぶ。牙がなければ、許しを選べば、無抵抗の者を、正しい者を守れない。またテルムが死ぬ。


 背後でガサガサ、という音がした。


——我等の父を追い出した者よ、それで、どうする?


「アトラナート? 追い出した?」


——左様。これまで触れることの出来なかった記憶も今ならサルベージ出来る。二千年、このようなことはなかった。父の意識がこの深淵から集められ、下等生物の元に蘇った


 告げられた内容が理解出来ない。体の強張りが徐々に溶けていったので、セリムは振り返った。

 薄暗かった世界は丘に変わり、若草がそよそよと風に揺れている。その葉の1枚に、小さな小さな蜘蛛がいて、セリムを見上げていた。


——正確には我等が覚えている父のカケラの集合体だな。今度はそこが深淵。永遠に終わらない。


「意識に残る憎悪は時に増殖し、侵食し、転移する……」


——憎しみは憎しみを増やすだけ。お父さん、行かないで。テルムはそんなの望んでない!


「この深淵で、アモレは父を探し続けていたんだ……。いや、今も……」


——しかし、会えなかった。いや、交わることはなかった、だな。それも違うか。交わることはない、だな。今も続いている。当然だ。我等の父は永遠に戦う道を選んだ。我等を守り続ける道だ。破壊者よ、我等の本能を破壊しようとする者よ、アモレ同様にお前は父と交わることは出来ない


 アトラナートが高笑いを始めた。その通りだ。この価値観の違いは埋められない。埋まらない。


——セリム……行かないで……


 微かな子ども達の声。セリムは首を縦に振った。行ってはいけない。憎悪の本能を許してはいけない。

 抗う者がいなくなれば、憎悪は増し、制御不能になり、星降る丘に火を放つ。

 しかし、単に許せでは済ませられない。この憎悪にも理由がある。

 アトラナートの嘲り笑いが響き渡る。違う。これはアトラナートではなく、アトラナートの姿をした深淵だ。

 グロブスもグロブスではない。深淵がセリムを飲み込もうとしている。深淵は積み重ねられてきた憎悪の塊。

 蓋をして忘却の彼方に捨て去っても消滅しない、永遠に刻まれ続ける悲しみや苦しみの記憶。


「僕は諦めない! 諦めてたまるか! ぼ——……」

「戻ってこい!」


 ティダに肩を揺すられていた。地に両膝をつけて脱力している。寒い。寒くてならない。濡れているから当然か。


「戻ってきたか」


 泣き笑いしているような表情のティダが、安堵の声を出した。


「ここは……」


 首を動かし、周囲を見渡す。アピスの死骸が人らしき亡骸を抱えている場所だ。

 ティダの周りにセルペンスが何匹もいて、セリムの足元にも集まっている。それで、つつかれていた。

 セリムはティダの胸に縋りつき、嗚咽を漏らした。


「少し覗けた。もう行くな。グロブスを追っても無駄だ。お前は法律を作るんだろう? 古代アシタカ・サングリアルが聖人一族の基礎を作ったように、お前も新しいものを生み出すんだろう?」

「ティダ……濁流のような深淵に飲み込まれそうだった……」


 顔を上げると、ティダの手が頭に乗り、髪をぐしゃぐしゃにされた。


「やめろ。ほれ、他のことを考えろ。地下の地下とは珍しいな。どういう人生を歩めばこんなところでミイラになるんだ? また珍妙なものを見つけやがって」


 ティダが振り返る。セリムは上半身を少し動かして、ティダの背後を見た。


「あのような亡骸をミイラと呼ぶのか?」

「本で読んだものに似ている」

「そうか……。彼はグロブスだ」

「だからグロブスの話は……」


 その時、セリムにアピスの子達の声が聞こえた。


——怖かったセリム。アピスの子はおこりんぼは嫌だ



【???】


 歩いていたグロブスはまたしてもよろめいた。内側から、引っ張られる感覚がして呻く。


——グロブス! グロブス・サングリアル!


 爆発音のような叫び声がして耳を塞ぐ。視界が霞む。ボヤけた世界にはフィーリア以外誰もいない。


—— 僕は諦めない! 諦めてたまるか! 僕と共に考えろ!


 再び絶叫。槍のような鋭い声。


〈——だ〉


 あどけない、子どものような声。


〈良かった。——が迎えに来た〉


〈バロブス! おこりんぼは悪い子!〉


 子どもは突然怒った。ブブブッという威嚇の羽音のような音がする。


〈——と仲直りしよう。——が泣いている。——が必要だ〉


 鼻歌のような子どもの声が遠ざかっていく。


「俺の子ども達に近寄るな!」


 跳ね除けたいのに、遠ざけたいのに()()は近寄ってくる。そうして内側へとグロブスを引っ張る。

 抵抗していたが、グンッと力強く引っ張られた。意識が更に遠のく。


〈おこりんぼを連れて行こう〉

 

〈——がおこりんぼ治す〉


 グングンと引っ張られる。


——お義父さん、貴方の名をください


 照れ臭そうに笑うテルムがボヤけた視界に映る。テルムは血染めの罪にまみれた手を握り、尊敬の眼差しを向けてくれた。父と呼んでくれた。

 彼のような男を何故神は救わなかった。この世に神などいない。残酷で、理不尽で、希望のない世界で、正しい者は生きられない。

 降りかかった火の粉から逃げ続けても、最後は炎に飲まれ、燃やされる。

 戦わなければ、殺される。憎め(オディウム)憎め(オディウム)憎め(オディウム)憎め(オディウム)化物(にんげん)と生きるなど許さない。


化物(にんげん)め、俺の子ども達に近寄るな!」


 不意に視界が明瞭になり、金髪の青年が現れた。整った顔立ちで、アピスの深い青色の瞳と瓜二つの目をしている。


「かつてテルムがそうしたように、僕はあなたが作った尊い命と共に生きたいです」


 彼は屈託なく笑った。悪意のあの字もない笑顔だ。化物(にんげん)? これが化物(にんげん)か?


「親は怒っても子に酷いことはしない。君達の親はそういう蟲だ。だから安心して帰りなさい。それに新しい風の子がいつかきっと君達と遊んでくれる」


〈ここは怖いけど帰れる。——の言う通りだ〉


 チリッと胸が焼け焦げるように痛んだ。

 青年は首から下げていた青い色の首飾りを外した。はい、と渡される。彼の瞳と同じ色の宝石だった。


「僕のとても大切なものを誓いにあげよう。みんなにだ」


 皆? アピスだけだ。違う。アピス以外の(インセクトゥム)も、鷲海蛇(セルペンス)角海蛇(アングイス)大狼(ルプス)蜘蛛蟲(アラーネア)も、受け入れて、愛でてくれる。

 場面がサアッと変化した。海岸に10歳前後の少年がいる。青年も一緒だ。

 アピスの幼生がテテテテテっと少年の方へ歩いく。砂に脚をとられたのか転んだ。頭部が砂に突っ込んでしまい、埋もれ、バタバタと脚を動かしている。

 少年は意を決してアピスの幼生を両手で掴んで砂から引っこ抜いた。それからバッと砂浜の上に置いた。

 助けられたアピスの幼生は飛び始め、少年の近くを旋回し始めた。

 青年と少年が並ぶ。青年は腰を落とし、しばらくジッとした後、少年の背中を押した。それが合図だったというように、少年がアピスの幼生の背中を押す。

 上手く飛べないのかひゅーっと飛ばされてくるくる体を回転させたアピスの幼生がその後精一杯というように飛行を始める。それから愉快だというように飛び跳ねるように宙を舞った。


〈楽しい〉


 楽しい。楽しくてならない。そう伝わってくる。


——僕と共に考えろ


 もう一度、声がした。


—— 僕は人も蟲も裁く。罪は罰する。


 クライトンは気がつくと四つん這いで号泣していた。先程まで身の内側に燃えたぎっていた憎悪が、吹雪に飲み込まれたように消えている。

 ただただ悲しい。虚しくてならない。知らない男が愛する息子を奪われ絶望した記憶と、とても優しい青年を慕う蟲の気持ちが流れ込んでくる。


「……クライトン?」


 名前を呼ばれ、顔を上げた。無表情のフィーリアがしゃがんだ。足元の雪を両手ですくい、立ち上がる。フィーリアはすくった雪を放り投げた。


「俺の名前……」

「花火。楽しい?」


 無表情のまま、フィーリアは首を傾げた。意味が分からず、放心してしまう。

 彼女はもう一度同じ仕草を繰り返した。


「霜焼けしてしまう」


 クライトンは立ち上がり、フィーリアの両手を取った。酷く冷たい。こんな真似をして平気そうにしているとは、感覚機能が鈍いのか? 遺伝子上はほぼ蟲とはいえ……。


「楽しい? 蟲にもそういう感情があるのか?」


 クライトンはその事実に愕然とし、次に先程脳裏に駆け巡った記憶に慄いた。

 見知らぬ青年と蟲は語り合っていた。

 なのに、それなのに、多くの蟲を殺し、研究所の材料にし、命を弄び、殺しに殺す男の手助けをしていた。

 愕然とししていた時、数メルテ先に馬が現れ、紅の旗が翻った。



【ラトナの泉の地下】


——おこりんぼ連れてきた


 アピスの子の発言に、セリムは首を捻った。


「連れてきた?」

「どうしたヴァナルカンド」

「アピスの子がおこりんぼを連れてきたと言うんだ」

「はあ?」


 セリムは目を閉じ、深呼吸をしてみた。あれほど感じていた憎悪が、すっかり消えている。

 

——バロブス治せセリム


「バロ……おこりんぼってまさかグロブス? いや、グロブスというかあれは……」


 あれは深淵そのもの。

 セリムは「早く遊べ、治せ」の大合唱にアピスの子だけではなく他の蟲らしき別の声にセルペンスにアングイス、大狼にアラーネアの子達も意識を叩きつけてきたので、酷い頭痛がして頭を抱えた。

 しかし、口元が緩む。鮮やかな未来を信じて疑わない者こそが、新たな世界を築く。そう突きつけられたということだ。

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