光と影 6
クラテールが招かれた場所は王の間。訪れるのは二度目の場所。
昨日と異なるのは三点。
ジーク王がベッドにいること。座って、膝まで布団をかけている。
それから、シッダルタと呼ばれていた黒髪の青年が居ない。驚くべきことに、王と二人きりだ。
最後に、玉座に置かれたインペラートル・オーウムに似た装飾品。人の顔程の大きさ。
卵を模した部分はガラス製なのか半透明。頂上に今にも飛び立ちそうな鷲の銀色の細工。
台座はサファイアのような色味の深い青だが、細やかな金色の薔薇に取り囲まれている。支柱は冠を抱く蛇。
ジーク王に促されて、クラテールは玉座の前に置かれたクッションの上に胡座をかいた。
玉座とジーク王、どちらを見るべきか迷うと「前だ」と告げられる。まるで心の中を見透かされているようで体が小刻みに震え始めた。
「クラテール殿。そう怯えなくとも何もせん。昨日は感情的になり、怒鳴ってしまい、すまなかった」
「い、いえ……。看病や部屋、それに娘の世話など、ありがとうございます」
感謝の意を示す、指で半円十字を胸の前で描く。
「正円十字に似ているな。良い意味と捉えよう」
目を伏せて微笑むと、ジーク王は同じ仕草を返してきた。
昨日感じた威圧感は消失していて、風があまり吹かない草原にいるのような静かさ。
「それは特製の通信装置だ。アンリから聞いたように、覇王を総べる者が話しをしたいそうだ。私はこの通信装置にはまだまだ慣れなくてな。台座中央の白い丸を押してもらえるか?」
ジーク王の問いかけに、クラテールは素直に頷いた。
謎の男に脅迫され、見張られている。覇王とは大陸南西に位置するペジテ大工房の異名だ。
ペジテ大工房を総べる、だから大総統という肩書きなのだろう。アシタカと話さなければならないので、拒否権なんてない。
このジーク王も、クラテールの反応や言動を見定めているはず。見かけ上二人きりでも、どこかに護衛兵が隠れているだろう。
見たことのない機械だが、王と共に爆破なんてことは流石にあり得ない。
「は、はい……」
一度立ち上がり、そろそろと玉座に近寄る。
指示された通りに通信装置のボタンを指で押した。ボタンの感触は金属だ。鉄ではなさそう。
科学者としての好奇心を抑え、通信装置から離れ、クッションへと戻る。
卵型の透明な部分に、黒いモヤが広がり、次第に色鮮やかな虹色に変化。
最終的に幾何学模様のダストペリーを背景にして、ソファに腰掛ける青年の姿になった。
パッと見は20歳程。第一に爽やかで、穏やかそうという印象を受けた。
黄色がかった肌。烏羽色の髪と瞳。手足はあまり長くない。
太っているわけではないが、骨格良いので、黒い服と相まって熊を思わせる。
スマートな熊、という方が近い印象。
貴族服に似た形の上着とズボンは光沢のある黒色で、フリルやピンなどの余計な装飾が無く質素。しかし素材が良いのか、安物には全く見えない。
あげた前髪でよく見える、程良く広い額と、凛々しい太めの眉毛。
切れ長の涼しげな目元。少し丸いがスッとした鼻筋。
クラテールは通信装置に映った青年の雰囲気だけで、理解した。
タルウィがこの青年を「胸糞御曹司」「聖人君子」「吐き気がする程、いけ好かない男」と評するのは当然だ。
タルウィが嫌う男は容姿が良い善人。それが権力者なら尚更。
アシタカは前のめり気味に座り、両肘を両膝に乗せて、軽く手を合わせている。
疲れているのか、顔色はあまり良く無く、目の下に薄い隈がある。
「初めまして、クラテールさん。ペジテ大工房のアシタカ・サングリアルです。肩書きが多いので一先ず割愛します。大陸中の国の代表者に呼びかけて、ザリチュ帝王の弟タルウィを国際指名手配した者です」
覇王を総べるのが、このように若くて、この世の汚濁など何も知らなそうな好青年。
微笑みかけられて、脱力してしまった。
この好青年が「いつか天下を取るがそのうち」と国内でダラダラと己の快楽に溺れていた化物に火をつけた。地獄の業火を大陸に放った張本人。
狂人を相手にするには、全く頼りなさそう。
—— 覇王を目指すのを止めて、死に物狂いで自称聖人と遊ぶことにした
愉快げなタルウィの台詞が思い浮かぶ。から笑いが勝手に漏れて、涙も溢れてきた。
「ははっ……。ははははは……」
顔色や隈からして、 アシタカは既にタルウィにやられている。
それなら、もうあちこちでタルウィによる殺戮が行われているなら、 アシタカに必要最低限の情報提供をして、自身と家族が生き残れるようにしたい。
クラテールは一瞬考えてしまった自己保身に対する嫌悪と、縋ろうとしていたアシタカへの落胆で蹲った。
蜘蛛、蛇、自称聖人だという若造。
自分の手の中にある「研究情報」というカードを、誰に渡せば一番被害が少ないのか、皆目見当がつかない。
クラテールにはその思考を隠し、アシタカと上手く話すような気力は、緊張の連続だったせいで、もう無かった。
「クラテールさん?」
アシタカの眉間に皺が寄る。
「そのような絶望顔、困ったな。タルウィの対抗馬としてそんなに頼りないです? まあ、僕の見た目や雰囲気は頼りないですからね」
クラテールは面を上げた。このような事を言われるとは思っていなかった。
「いえ、あの……」
アシタカはにっこりと優しい微笑みを浮かべている。
若いのに、歳をとった司教様のような、全てを包むような笑み。
と、思ったらアシタカは足を組み、口角を上げ、目を細めた。見下すような視線。
クラテールは目を見開き、ほんの僅かに体を震わした。
「ザリチュ帝王からの情報で、タルウィお抱えの科学者を幾人かリストアップ済み。クラテールさん、貴方の名もそこにあった。幸運なことに、奥様と娘さん、ドメキア王国にいますよ」
「妻と娘が……ドメキア王国に……?」
「貴方を釣る餌にする予定でしたけど、まさかそちらから現れるとは思っていませんでした。そうそう、服に盗聴器を仕込んだので、昨夜と今朝の会話は聞いています。昨夜、貴方を脅した男は僕の友です。無敗神話の大狼兵士の噂は聞いたことあります?」
雪の夜に肌が痛むのと似たような感覚。体温が下がっていくのが分かる。 アシタカの目に宿る光は、先程までとはまるで別人。
無敗神話の大狼兵士については、何回か新聞で読んだ。タルウィが実験材料として欲しいと騒いでいた、という話しも耳にしたことがある。
大狼を操る怪力皇子。ベルセルグ皇国の第三皇子ティダ・ベルセルグ。
クラテールが口を開く前に、アシタカが先に話し始めた。
「僕一人では頼りないが、ドメキア王国、無敗神話の大狼兵士にベルセルグ皇国。ザリチュ帝王を通じてグルド帝国内部。他にも色々。そのように味方は多い。義妹ラステルに親愛をありがとう。人で命という言葉、それから涙も本心だと感じた。貴方にも、家族にも、拷問なんて必要なさそうだ」
氷が溶けるような温かみのある笑顔を投げられ、クラテールは固まった。
アシタカは口を閉じ、話してごらんなさい、というように右手を動かした。
蜘蛛の次は蛇だと思ったが、彼は何だ?
頼りないお坊ちゃんではないと提示され、妻と娘が人質だと言われたのに、嫌悪感や恐怖がまるで湧かない。
「クラテールさん。娘達を隠して欲しい。崖の国だと知られている。指輪を手掛かりに見つけ出す。そのお話しを聞かせていただけますか? 僕は一つでも多くの命を救うために、情報が欲しい」
アシタカは足を組むのを止め、最初と同じ姿勢になった。
真摯な眼差しに宿る荒々しい炎。笑みに滲む春の太陽のような温かさ。
クラテールは恐怖と安堵を同時に抱き、自然と祈るように平伏した。
***
【エルバ連合 フェリス国 サンシドロ谷の村】
タルウィは酒場のカウンター席に座り、入手した地図を眺めた。
大陸南東はどちらかというと未開の地。フェリス国首都で手に入れた地図は紙が古く、大雑把で、おまけに文字が読み難い。
合流したハイドニックや兵士達が楽しそうに酒を飲み、女と遊んでいるので気が散る。
しかし、ここで叱責するほどバカではない。人を働かせるには飴が必要だ。
男には女、女には貴金属。世の中は基本的に単純。
「ザリチュや軍は地形や資源の関係でボブルよりドメキア王国やベルセルグ皇国と争っていたが、調べときゃ良かったな。順番に潰そうと思ったが、細々した集落が多いようだし、胸糞御曹司に位置がバレるのはまずい」
狂瀾に背を向けて、酒瓶を片手に、カウンターテーブル上に置いた写真を指で叩く。
捜索中の蟲姫と蟲の王が笑い合う写真の、セリムという青年に爪を突き立てながら。
コツコツコツ。
コツコツコツ。
コツコツコツ。
「双頭竜といえばドメキア王国。この俺の蟲姫ちゃんの指輪の紋様、似ているんだよなあ。んん? シュ……ネ……。いや、シュナか? シュナの森……」
地図の中に見つけた名前に、タルウィは思わず達しそうになった。
「あぶねっ。出すなら女の中にだ。名前だけでイケそうとは、さすが勝利の極上果実。はあ……シュナちゃん……。早くヤリてえなあ……」
タルウィは背中を丸め、カウンターテーブルに頬をつけてため息を吐いた。
酒瓶をテーブルに置き、地図を掴んで顔の前に持ち上げる。
「崖の国がドメキア王国と何か関係があるなら、このシュナの森の近くは臭いな。森へ行って、飛行船で国って呼べそうな集落を探索するか。目眩しに……」
チラリとハイドニックの姿を確認し、タルウィは視線を地図へと戻した。
「通ってきたイグレーンと今いるフェリスの軍を乗っ取ってボブルと遊べって命じておくか。イルゼは連れて行くとして」
さあて、とタルウィは地図と写真をコートの内ポケットへしまった。飲みかけの酒を飲み干す。
「ハイドニックとその部隊に命じる。次の日の出と同時に新しい命令を出す。遅刻は厳禁。まっ、つまり寝ないで楽しめ」
椅子に座り、腰を振りながらビールを飲んでいたハイドニックが動きを止める。
一瞬でゲラゲラ笑いを消し、神妙な面持ち。
しかし、嬌声を上げていた女は不思議そうに首を傾ける。
そりゃあそうだ。筋肉隆々でいかにも歴戦の戦士というハイドニックが、痩せた初老の男に素直に従うというのは、奇妙だろう。
タルウィは思わず舌打ちしていた。シュナを見た後だと、誰もかもが不細工に見える。
しかし、この問題は解決済みだ。
「ダエーワ様、運びましょうか?」
「ああ、馬鹿に酒だけ運ばせろ。他はイルゼが見繕ってるから要らん」
ハイドニックに向けて、人差し指を立てた手を向ける。
この意味は、あいつになら伝わるだろう。1人譲ってやる、だ。
ハイドニックは返事の代わりなのか頷き、腰振りを開始。
タルウィは背を向けて酒場の外へ出た。
空を見上げれば、吐き気がする程澄んだ星空。
「今夜は醜い空だな。まあ部屋に篭るから良いか。胸糞御曹司へのラブレターを作らないとならねえ。イルゼちゃんは紙を集められたかなあ」
屋根の上に待機させていた木偶人形数体を引き連れて、飛行船へと向かう。
「ちっとも反応がないから、より熱烈なラブレターを書かねえと」
適当なメロディに詩をつけて、指揮者のように両手を動かす。
「ふふふ、あはは、あははははは!」
タルウィは機嫌良く笑い続けた。
***
数日後、ペジテ大工房の砦門前に死体遺棄はなく、代わりに大小様々な鉄製の箱が降ってきた。
その中身は、最低0歳から10歳までの子供の遺体。男児5名、女児は8名。
どの遺体も傷だらけで、犯された形跡あり。死因は様々。全員、五体満足ではない状態。
箱の一つに添えられていた手紙はアシタカ宛て。
連日続く遺棄される死体に刻まれた文と同じ内容に、追加文が加えられていた。
【アシタカ・サングリアルをザンクト・アムルタート大聖堂に磔にし、美しき妻を生きたまま祭壇に捧げよ。さもなければ大陸は燃え続ける。要求は他に無い。磔にせねば永遠に、無差別攻撃を続ける。この13名を殺すように命じられた女の子は、要求を飲まない限り悪魔の所業を繰り返させられる。発狂しちまったら次の悪魔を作ろう。発狂しなくても、退屈しのぎに沢山作るかもしれない。我を退屈させ、要求に応じず、人の死を傍観するペジテ大工房のアシタカ・サングリアルは聖人ではなく破滅を齎す悪魔であり、悪魔製造機也。追伸、シュナちゃんを抱くまで大人には勃たなそう。大陸中の子供達のために、早く宜しく。不老覇王】
この件に関して、ペジテ大工房はアシタカへの報告を規制したが、週刊誌を通じて知られてしまう。
アシタカ・サングリアルはこの脅迫に対するコメントを求められ、未だノーコメントを貫いている。
こいつ早く捕まえろ




