光と影 5
暗闇に滲む薄ぼんやりとした青白い光。白熱電球や蝋燭の炎の色とは異なる。クラテールは体を起こし、目を細めた。
部屋だ。それで寝台の上。窓は見当たらない。
「ああ……確か……」
記憶を辿り、崖の国レストニアの王代理と名乗ったジークに縋り付き、吐いて、過呼吸を起こして気を失った。
今、身に纏っている衣服は、よく見えなくても、少々ごわつく感触からして、自分のものではないと分かる。
「昼なのか、夜なのか……。マールムはどうした? あの王は……」
キィという木が軋む音がして、体が竦んだ。
「お目覚めですか」
どちらかというと低めで中性的だが、女性の声。
開けられたドアの向こう、廊下の青白い光りで作られる人影は、背の低い短髪のシルエット。
「起こしたら悪いと思いましたが、目を覚ましたのなら失礼します。まだ夜明け前なので、少し話しをしたら帰ります」
影が動き、廊下の方から何かが出てきた。
ランタンだ。明かりは火、オイルランプのように見える。
しかし、炎は赤よりも青が強い。高火力のオイルランプ?
ランタンのおかげで、影がどのような人物なのか判明。
小柄な女性だ。一瞬、少年かと思った。厚手の生地に見えるワンピースにズボン姿。
ゆったりとした服なので、一見分かり難いが、わずかにある胸の膨らみで女性だと気がついた。
「世話になったようでありがとうございます。あの、娘はどちらに? ご迷惑を掛けていませんか?」
マールムの姿を見たのは、ニコニコ笑う蟲姫と去ったのが最後。悪い事は無さそうだと、妙に自信がある。
しかし、楽観的な予想が当たるとは限らない。
「妃ラステル付きの侍女アンリです。クラテールさん。貴女の娘さんはラステル様とぐっすり眠っています。気が合うようで」
春風のような穏やかな響き。氷が溶けるように、強張っていた体が弛緩していくのを感じた。
「そうですか。娘がすみません」
「いえ。クラテールさん、単刀直入に聞きます。娘達を隠さないと、この世の全てが死体の山とは、どういう意味です?」
近寄ってきた微笑むアンリの威圧感に、クラテールの背筋が寒くなった。
柔らかな雰囲気は鳴りを潜め、まるでタルウィに相対しているような気分になる。途端に体が震え出した。
アンリは途中で止まり、困り笑いを浮かべた。恐ろしい空気がぱっと消えたので驚く。
「すみません。今のは職業病で。侍女という名称ですが護衛も兼ねていまして」
「いえ、あの……。護衛……。ラステルの……。いえ、ラステル様の……」
「ええ。ラステル様の。彼女はこの国のお妃で、私の祖国の姫君です。貴方はそのお父上だと名乗られたそうですね。説明していただけますか?」
気まずそうな微笑に、クラテールはどう反応して良いのか分からなかった。
アンリにこそ問いかけたい。ゴヤ蟲森に捨てた未熟児が、なぜ生きていて、崖の国の妃なのか。
捨て子がアンリの祖国の姫とはどういう意味だ?
「あの……」
「殺戮兵器蟲姫について教えて下さい」
低く、威嚇するような声。全身の毛が逆立つような感覚に、クラテールはよろめいた。
「あら、大丈夫です?」
寒々しい微笑みに、クラテールは後退りした。声が出せない。
女の皮を被ったタルウィとしか思えない。発見されたのだ。
「はっ……。はあっ……」
抵抗しても無駄と本能が叫んでいる。しかし、勝手に腕が動いた。
ベッド脇に置いてあるランプを投げつけ、反対の手で枕も鷲掴み。
しかし、アンリはランプをあっさりと掴んだ。更に、あっと思った時には床に組み敷かれていた。速すぎて一瞬何が起こったのか理解出来ず。
ランプを顔の前にトンッと静かに置かれてた。
「ふむ、自分の体でないから殺気が漏れるのか?」
「ひぃっ! タ……タルウィ……さ……」
「んだよ。それでその怯えようか。俺はタルウィじゃねえ。同じ殺人者だが、狂人ではない。まあ、多分だが。お前の娘の……何だ? ああ、そうだ。師匠だ」
眉間に深い皺を作ったアンリに顔を覗き込まれる。
「ひっ……。はぁ……。師……」
「まあ、機会があれば呑気娘の本人に聞け。師匠は誰かってな。あとアシタカにも聞け。このアンリには、今夜のことを言うな」
髪の毛を掴まれ、顔を持ち上げられた。予想よりは痛くない。
漆黒の瞳に見つめられ、次第に恐怖が小さくなっていく。タルウィの残忍な目とは随分違う。
「便利な方法を教わったが、酷く疲れる。手短に話そう。ラステルの父というのは本当なようだな。よって明日、いやもう今日だな。アシタカと話せるように手配しておく。蟲姫、研究、タルウィについて、知っている事をあいつに洗いざらい吐け」
「そ、それは願ったり叶ったりですが……」
「あいつはお前と娘を必ず保護する。拷問なんてしない男だ。俺とは違ってな。おまえの娘に狼と蛇がまとわりつく。お前にもだ。不振な動き、こちらに不利益な言動をすると、分かるな?」
アンリはクラテールの上からどき、何歩か離れた。かなりゆっくりとした、隙だらけの動き。
彼女、いや彼は床にあぐらをかき、両手を膝の上にいた。
それなのに、まるで逃げられる気がしない。
「マー、マールムを殺すと……」
「それだけではない。グルド帝国の田舎で、謎の存在に誘拐された家族もだ」
「なっ……」
体を起こそうとしていたが、全身から力が抜け、床に座り込んでしまった。
「妻や娘を……」
「あと義理の息子、それから娘の腹にいる赤ん坊だ。地獄から地獄へようこそ。お前の主人はこれより俺だ。見張りをつける。逆らうとお前の宝は全滅だ」
「な、なに、何を……。私は何を……」
地獄から地獄へ……。クラテールは軽い目眩を覚えた。
スッと立ったアンリが近寄ってきて、クラテールの腕を掴み、持ち上げた。
小柄な体のどこに成人男性を持ち上げる力があるのか、と驚愕する。
驚いている間に、ベッドへ放り投げられた。
「大半はアシタカに丸投げする。俺は木偶人形について知りたい。あいつら、人に戻るのか?」
「へっ……。ひ、ひと? 戻る? あの土科学班の殺人マシーンが……ひ……」
目の前が暗くなった。主に斧を持って殺戮を繰り返す、タルウィお気に入りの殺人マシーンは、人をベースに作成されている?
あり得る。タルウィならあり得る発想だ。
やたらあの殺人マシーンを楽しそうに使う理由も理解してしまった。
材料が人でも、タルウィならいくらでも調達可能。むしろ土科学班の規模と生産数が合わないと感じていたが、材料が材料でローコストだから、だったのか。
「そっちは関係者じゃねえのか。この\木偶人形の件、誰にも話すな。何も知らないと言い張れ。もう限界そうなので終わりだ。クラテール、常にアシタカに従え。裏切るな。俺の指示にも従え。さもなきゃ一族郎党全滅。以上。必要があればまた話す。あばよ」
アンリはくるりと背を向けて、スタスタと部屋から出て行った。
クラテールの首がザワザワし、手を伸ばすと、目の前に蛇の頭が現れた。
鷲のような頭部で、瞳は青い。ジッと肩ならを見据えている。
蛇に首に巻き付かれ、顔を見つめられている。見張りとはこれか。
「地獄から……地獄へ……。は……ははっ……」
から笑いは、しだいに嗚咽になった。クラテールは床に突っ伏して泣き続け、そのまま気を失うように眠りについた。
***
「大丈夫ですか?」
体を揺すられて、目が覚めた。薄暗い視界に映ったのは蟲姫と白い大きな犬。
大型犬の頭に小さな角が見える。それに、金色の瞳。尻尾は2本。昨日見た、九つ尾の大狼の子か?
蟲姫はクラテールを心配している、という顔つきだが、大狼の子は睨むように目を細めている。
軋む体を動かし、状況を確認。どうやら、床で眠っていたらしい。
時間が経ったはずだが、窓が無く、部屋の明かるさが変わらないので昼なのか夜なのか不明。
「え……。ええ……」
「もしかして、起きた後に倒れました?」
クラテールの両手を蟲姫がそっと掴んだ。
ほっそりとした手。青白いが、人肌だ。
左手薬指に嵌められた指輪は、タフウィに渡された写真と全く同じ。
「えっ……」
いくつかの団子になるように束ねている髪は落ち葉色で、瞳は春によく見かける新芽と同色。
妻が若かった頃の面影がある。そりゃあそうだ。妻を差し出すのが嫌で、体外受精なら似たような子供を作れるとタルウィに提案し、妻の卵子を実験用に拝借して、その残りを人形人間制作でも利用した。
省みても、悍しい行為だ。愛する妻を守るために、妻の遺伝子を持つ子をタルウィの餌にし、兵器開発にも使用した。
タルウィが狂人なら、クラテールも同じ狂人である。
実験失敗。死産。促進剤で体外へ排出させたら生きていて、実験したら格納庫の蟲の幼生を騒がせた、化物未熟児。
想定外の事態、化物を作り出した、完成体の人形人間なら、タルウィと共に世界を死体の山にすると怯えて、ゴヤ蟲森へ廃棄処分。
捨てた……実験体……。
クラテールは手に力を入れた。やはり温かい。
「こんなに震えて寒いです? お医者様を呼びますね。ベッドへ移動しましょう。歩けます?」
指摘通り、震えが止まらない。声も出てこない。
「む……」
蟲姫。クラテールはそう言いかけて、口の形を変えた。
殺戮兵器蟲姫は、クラテールが捨てた実験体に対して、タルウィが付けた名だ。
「ラステル……妃……。良い……名前ですね……。その、ご両親が?」
ラステルがクラテールの腕を肩に回そうとしていたが、手を止めて、キョトンと目を丸めた。
それから、複雑そうな顔をして、微笑みながら俯いた。
「あの、育手の母が元気に育つようにって名付けてくれたそうです。名前を決める際に、候補が他にもあって、父と喧嘩したって聞きました……」
おずおずと答えると、ラステルは視線を彷徨わせた。
「私、耳は良い方で、クラテールさんはマールムちゃんのお父さんで、私は彼女の姉なんですよね……」
ラステルがクラテールの腕を肩に回して、よろめきながら立ち上がる。
力が入らない腕や足を懸命に動かし、迷惑をかけないようにする。生身の足と義足の付け根がピリピリと痛んだ。
それ以上に胸が痛むのは、ラステルの体も震えている事だ。
「いや……」
「私がグルデト国で作られた兵器って事は知っています。それで、その……」
小さな震え声。ラステルはその、の続きは口にしなかった。
グルデト国とはグルド帝国と同じ意味だろう。この国では呼称が異なるらしい。
クラテールをベッドへ連れて行くと、ラステルに横になるように誘導された。
横になる気になれず、何か伝えようとおもうのだが、彼女を見ても目が合わない。
狼の子の足がクラテールの足を軽く蹴った。それに、まるで喋れというように頭部を動かす。
昨夜のアンリによれば、いやアンリを借りたとかいう謎の恐ろしい人物によれば、不利益な言動をしたら狼に殺される。
しかし、それよりも、何よりも、不安に押し潰されそうなラステルの真っ青な顔や震えている全身の方が気になった。
「兵器……ではなく……。私は兵器を作るように言われ……理論上通りの兵器が完成したと恐れて捨てました……。しかし……。しかし……違った……。このような、このような……このような優しい……。優しい人を作った。理論が間違っていて……私が作ったのは人だった。想定とこんなに違うなんて……兵器なんかではない……」
触れているのもおこがましいのに、手が離せない。ラステルの手をキツく握りしめる。
「あ、あの……」
「貴女はこの国の王の娘で……。このように立派に育てた両親の娘で……。それ以外の何者でもありません……。命で……。人です……」
ようやく、ラステルと目が合った。彼女はニッと歯を見せて笑った。
大きな目に目一杯涙を溜めている。
「良かったです。あの悍しい人が父親じゃなくて、優しい方で。まあ、3は神聖な数です。私を作ったお父さんなら当然だわ」
一瞬、何を言われたのか分からなかった。
ウォン。狼が吠えた。
噛まれると身構えたが、狼の子はベッドに飛び乗り、クラテールの背中を尻尾でバシンと殴ってきただけだった。更に2回叩かれたが、黙って受け入れる。
私を作ったお父さん。
「お……と……」
「蟲人間って人の仲間ってことですか?」
ジッと見つめられて、クラテールは固まった。
「蟲……人間?」
「あの、違うんです? 人間蟲? 人型蟲? 人形人間って、私は何ですか?」
何ですか? 問いかけられても、答えがない。ラステルは何だ?
遺伝子学的にはほぼ蟲で、人の形になるように設計した。
脳細胞に埋め込んだ受信装置と、蟲の体液内にある神経伝達物質に酷似した細胞を有する、外部装置からの命令指示に従って蟲を操る人形。
タルウィが「俺の庭遺跡」とやらから採掘した記録をサルベージして、研究を重ね、そこにクラテールの研究を加えて実験を繰り返した結果偶然出来た産物。
「科学は……人の思い通りにはなりません……。調べないと……何とも……」
「調べるって、かいぼう? っていうものですか?」
恐ろしいというように、パッと離されそうになったラステルの手を掴むと、クラテールはラステルの手を強く握り締めた。
「しない……。させない! そんなこと絶対にっ! 誰にも絶対に……」
「はっ、はい……。ありがとう……ございます……」
突然大声を出したせいで、ラステルは茫然とした表情になった。涙はこぼれずに、どちらかというと引っ込んだようだ。
狼の子は何の反応も示さない。
「昨日は錯乱していて話しを出来なかったので、もう一度ジーク王と話しをしたいです。なるべく早急に」
「は、はい……」
ラステルはコクコクと頷いた。狼の子かウォンと吠え、ベッドから飛び降り、ラステルの尻尾で手を引いた。
ふさふさしているのに、人の手首に巻き付いたり、ドアを開けたり、実に器用な尻尾だ。
「あの、ジークお義父様に声を掛けるのと、お医者様を呼ぶのと、朝食を運びますね。辛い話しをしないとならないみたいで大変ですけれど、無理しないで下さいね。マールムちゃんは私やお義姉様達と仲良くしてます」
「ありがとう……ございます……」
蟲姫が部屋から出ると「あら、アンリ。おはよう」という声が聞こえた。
名前を聞いただかで、鳥肌が立つ。
「おはようラステル。お世話係交代よ。アシタカから連絡で、王の間でジーク王とクラテールさんと会談するそうなの」
「まあ、アシタカお兄様と? まだ具合が悪そうだけど……」
「大丈夫。私とユパさんが側で様子を見るわ。朝食も王の間でって、手配させてもらってる」
「それなら安心ね」
廊下から聞こえる会話に聞き耳を立てる。
2種類の足跡が遠ざかる音がして、入れ替わりでアンリが現れた。
「おはようございますクラテールさん。初めまして、私はペジテ大工房のアンリと申します。先程のラステル妃の兄君、我が国の大総統アシタカ様が貴方と会談を希望しています。貴方も同じということですので、ご案内します」
ハキハキと告げるアンリの雰囲気は、昨夜、一番最初に感じ時と良く似ていた。春の風が吹いたような温かみを感じる。
それでいて、昨夜よりも女性らしさが際立つ。
「ペジテ……巨大要塞都市の大総統の……」
ラステルが何故自身についての知識を有しているのか、点と点が繋がる。
地獄から地獄というのは、このことだ。
どういう経路か不明だが、ラステルは巨大要塞都市で既に調べられている。
解剖という言葉に怯えたのがその証拠。
昨夜のアンリの様子、ギニピグと似たような技術か。
「国際指名手配者のタルウィの情報を売ってくださるということで、一先ず我が国を代表して感謝します。祖国に残してきたという家族は必ずとは言えませんが、共に亡命してした娘のマールムさんは必ずお守りします」
敬礼されて、途方に暮れた。
優しい笑みで近寄ってきたアンリは、クラテールを労りながら立たせ、廊下へ連れ出した。
廊下にはキツい顔立ちの鎧姿の美女が待機していて、アンリに「彼女はカールです」と紹介してくれた。
金髪美女はクラテールを全く見ず、挨拶に返事もしなかった。アンリは苦笑いを浮かべ、クラテールに「彼女、気難しくてすみません」と耳打ちした。
やはり、昨夜とはまるで別人のような雰囲気だ。
廊下を歩きながら、クラテールは混乱する頭で状況整理や、ラステルについて説明する文言を考え始めた。
ゴヤ蟲森に捨てたラステルは、巨大要塞都市、クロディア大陸覇王の大総統アシタカの妹として育ち、崖の国に嫁いだ。
アシタカは確実に「殺戮兵器蟲姫」についていての何らかの情報を得ていて、ペジテは噂の高科学でラステルを実験体にしていた可能性大。
なのに、アシタカはタルウィを怒らせた聖人君子? ペジテがこの世に唯一無二の実験体を、どう見てもかなり文化的水準の低い崖の国にラステルを嫁がせた?
ラステルの夫は、写真の美青年はどこにいる?
ジーク王はラステルを愛してくれているようだった。
アンリの体を何かの技術で乗っ取った男、アシタカの仲間はどこの誰だ?
ダメだ、サッパリ分からない。
タルウィが起こそうとする悲劇を止めたくて、蟲姫を探してタルウィから隠そうと国を出た。家族を捨てた今、それを貫き通すのがクラテールの人生の歩み方。
そのはずが、タルウィの次だと言うように、謎の恐ろしい男に捕まった。足首に何かが這う感覚が、時折チロチロと肌を舐めてくるのが、その証拠。
蜘蛛の次は蛇。
一つだけ、この世から真実を消したい。
タルウィに捕まった際に拷問される理由が増えるが、どうにかしてタルウィに蟲姫の成功要因の1つは、使用精子が異なるからと伝える。
タルウィが殺戮兵器の父親は俺、と主張するので全ての人形人間実験体の遺伝子学的父親はタルウィ。
これだけは闇に葬る。
クラテールはラステルの安堵の表情と笑顔を思い浮かべながら、己の心に固く、固くそう誓った。
***
廻るまわる、くる狂るクル狂るマワル
父と呼んでもらった。
化物ではない。俺の子供たち——……
***




