光と影 3
【崖の国】
三重砦の内側、ピラミッド型に並んだ大小の塔。予想外な事に、塔の中は吹き抜けだった。ガランとしていて階段しかない。上に続く階段が一つと、下に続く階段が二つ。牢へ入れられるのか?
シッダルタと名乗った男に、ひたすらついていく。階段を降りると、左右に廊下が伸びていた。騎士二人と、少し老いた男は、私の背後にピタリとくっついて黙っている。
青白い薄明かりの廊下には、タペストリーや絵が飾られている。天然色に見える、磨かれた石造りの壁には細やかな細工。牢屋とは思えないが、楽観的か?
引き離されたマールムは、にこやかな蟲姫と去った。マールムに危害を加るような雰囲気では無かったが、自分はどうだろう?
地下迷宮のような場所へ連れてこられてもう手遅れだ。不安で仕方がない。何があっても、逃げられるような場所では無さそう。沈黙が息苦しい。
「クラテールさん。これから、この国の王に会っていただきます」
「は、はい」
かなり進んだ時に、不意にシッダルタが口を開いた。目の前には、なんの変哲もない、他と変わらぬ質素な扉。
シッダルタはゆっくりとドアノブに手を掛けて引いた。もう1つドアが現れる。
鋼鉄性であろう重厚な扉に浮かぶのは白銀の紋様。双頭の蛇が、互いの首に噛み付いている。蛇ではなく竜か? デザインが、ドメキア王国の国紋、反目する双頭竜と酷似してある。崖の国は、ドメキア王国の属国だったのか。
竜の下には折り重なって倒れる人々。祈りを捧げる民。頭上には大きな羽を広げた鷲が今にも飛び立とうとしている。その後ろには実り豊かな穂。
竜と鷲の神話か。西の地の信仰だ。南下したと思っていたが、西へ来ていたのか。
ドメキア王国で実験しろ、と言われて、なるだけ反対側へと逃亡した筈なのに、実に皮肉なものだ。タルウィの高笑いの幻聴がして、気持ちが悪くなった。
シッダルタが双頭竜のノッカーで扉を鳴らした。入室を促す男の声。シッダルタが扉を開いた。かなり重そう。
急に明るくなったので、少々目が眩んだ。瞬きを繰り返して視界を確保する。まず飛び込んできたのは、正面にいる男。
正面に立派な石造りの椅子があり、そこに男が腰掛けている。
細身の金髪碧眼の老人が、私を見据える。痩せ細ってはいるが、力強さを感じる。人生で出会った事のない種類の人間だ。強い威圧感に堂々たる座り姿に、凛とした眼差し。王とは彼だ。私は自然に頭を下げていた。
頭を下げながら、部屋を観察する。そこそこ広いが、行き止まりのよう。
ランプに照らされた部屋は、色鮮やかだ。赤を基調とした調度品や、絨毯にクッション。そのクッションの上に、幾人かの老人が、胡座をかいて座っている。
玉座の隣にはサイドテーブル、それから寝台。寝室兼王の間らしい。千夜一夜物語の挿絵のようだな、と妙な感想を抱いてしまった。
「皆の者、席を外してくれ。客人のようだ」
「はっ」
嗄れているが、聞き取りやすく、ゆったりとした穏やかな声。王が告げると、老人達は次々と席を立ち、私に会釈をして部屋を出ていった。残ったのは王と私。シッダルタ、それから砂漠から一緒だった初老の男。
「崖の国レストニアの古き王、ジーク王陛下である。クラテール殿、こちらへどうぞ。先程の者達と同じ座り方で構いません」
私の背後にいた初老の男が、移動する。王の前にクッションが置かれた。素直に従い、頭を下げる。
レストニア。聞いた事のない名前だ。蟲姫はラステルという名で、妃と呼ばれていた。ということは、目の前の王の息子が蟲姫の夫。写真の中の爽やかな青年の父親が彼か。
ゴヤ蟲森に捨てた蟲姫は、どうやって生存し、一体どんな人生を歩んできたんだ?
全部洗いざらい話をしたら、ラステルは迫害や追放されるのだろうか?
注意して話さないとならないな、と私は奥歯を噛んだ。様々な想いが湧いてきて、今にも泣きそう。
「ジーク王、この者、砂漠で見つけた遭難者です。 アシタカ様のことなど、色々知らなそうなのに、ラステルの父親だと名乗りました。それで、お連れしました。娘はマールムといい、幼く怪我もあるので、ラステルやクイに任せました」
初老の男の発言に、ジーク王はおもむろに頷いただけだった。何の反応も示さない。
手にしていた書類をサイドテーブルに置き、膝掛けに膝をついて頬杖をつく。
サイドテーブルからゴブレットを取り、口へと運ぶ。一つ一つの動作が目を惹く。
「ユパ、クワトロとアンリ殿を呼んでくれ。シッダルタ、残れ」
「かしこまりました」
ユパと呼ばれた初老の男が退室。シッダルタはジーク王が示した位置へ腰を下ろした。
「レストニアの王代理のジークである。息子が外交で不在なので代理を務めている。お名前は?」
ゴブレットを置いたジーク王が、背筋を伸ばした。
「クラテールです」
柔らかな微笑みだが、探るような目が怖い。タルウィに感じる恐怖ではなく、畏怖の念。手を伸ばして、一歩で届く距離なのに、遥か彼方で相対しているような錯覚がする。
「クラテール殿、私は娘の出自をおおよそ知っている。何もかも洗いざらい話して欲しい。して、ラステルと最後に会ったのは何処だ?」
おおよそ、のはどこからどこまでだ? 捨て子というのは知っているだろう。
誰かがゴヤ蟲森でラステルを拾い、育ててくれた。それで、ラステルはアシタカという男の妹として育ち、ドメキア王国にいるという情報は入手済み。
アシタカかペジテ大工房の御曹司という話も聞いた。はっきり言って、ラステルを取り巻く環境は、推測不可能。
笑いかけられただけなのに、鳥肌が立った。蔑むような目が、お前がラステルを捨てた事を知っていると告げている。
「森です……」
ジーク王は、トントンと膝置きを指で叩いた。
「何処のだ?」
微笑まれているのに、まるで睨まれたような感覚。瞬きすら出来ない。蛇に睨まれた蛙とはこの事だ。
ゴクリ、と喉が鳴る。カタカタ、カタカタと体が震え出した。この男に嘘は通じない。
「ゴ、ゴヤ蟲森……です……」
「左様。ふむ、本物か。まあ、ユパも探り済みだろうからそうだと思った。捨てた娘に会いに来た目的は?」
ジーク王はラステルがゴヤ蟲森に捨てられたと知っている。蟲森で拾われた赤ん坊。その奇妙さは、どう受け入れているんだ?
「偶然です。娘と国から逃亡し、偶然……会えました……。探していたので……会えて……良かったです……」
懐からラステルの写真を取り出して、差し出す。ラステルを隠して欲しいと伝えないとならない。タルウィに捕まったら、悪行の限りを尽くすだろう。あんなに幸せそうに笑う娘が、殺戮兵器にされる。
それで、気がつく。この写真のラステルには指輪が写っていて、その紋様は先程の扉の装飾と同じ。それなら、タルウィは時期にこの崖の国を見つける。
ラステルをこの国から離し、マールムの身も隠さないとならない。
「偶然か。して、何に驚いた」
顔に出ていたのか、と慌てて俯く。
「よくよく見れば、この指輪はこの国の国紋と同じだと気がつきまして。失礼ながら、無知故にこのレストニア王国を知らず……」
「我が国はグルド帝国に名を知られていなくても当然のような小さき国だ。面を上げよ」
抗い難い低い声。そろそろと顔を上げる。
「謀略があるなら、迂闊に名乗るまい。先陣役にしては怯えて縮こまっている。何故国から逃げてきた? いや、誰から逃げてきた?」
誰から、その言葉に力がこもっていた。
「北の帝王……からです……。娘を……ラステルを……隠して下さい……。お願いします。何でもします……。帝王が気に入って探していて、見つかったら悲惨な目に合います……」
「あの娘は私の娘だ。それから彼女を育てた父上の娘である。死ね、と蟲森に捨てる男の娘ではない」
静かな怒声に、体が怯んだ。しかし、歓喜も湧き上がる。私がゴミとして捨てた蟲姫は、ラステルとして、人間として、愛されて育った。
それなら、彼女は蟲人間で、蟲を操る道具です、とは絶対に口にするものか。
データと実験不足なので、ラステルの脳神経に埋め込まれた器具に反応する笛の完成品はこの世には存在しない。蟲姫は、まだ完全な殺戮兵器ではない。研究資料も燃やしてきた。
私が死ねば、「殺戮兵器蟲姫」は永遠に未完成だ。次にタルウィに会ったら、死ぬつもり。しかし、未完成品の蟲笛が、どれほどの効果を出すのかが分からない。とにかく、ラステルやマールムは隠すべき。
残りの人形人間はかなりの出来損ないなので……。ああ、それで、タルウィに殺されるのか……。マールムのように……恐怖から解放されたら……無邪気に笑ったりするかもしれない……。私の作った命達……。
「何もかも話せ。自ら語るのと、脅迫されて渋々話すのでは印象が違う。私はつい先程、洗いざらい話せと告げたが?」
脅迫か。私は自分の義足を撫でた。地獄絵図は何度も見たし、自分にも襲ってきたことがある。それに比べて、今の状況は何て生温い。その事に思い至り、震えが止まった。
「帝王陛下、正確には帝王の弟君です。タルウィ様は若く、美しい娘を好んでいます。それで……血も好きでして……。知人から捨てた娘が生きているとこの写真を渡され……。妻と瓜二つで……。写真を見たタルウィ様が娘を連れて来いと命じました」
用意しておいた台詞を口にする。ジーク王は何も言わない。
「家族を人質にされ……。育てられなくて泣く泣く捨てた娘を差し出すのも……。このように、このように幸せそうな娘が……八つ裂きなんてと……。娘を連れて、命からがら、逃げてきました」
あれこれ考えていたので、自然と涙が溢れてきた。私の逃亡を知ったタルウィは、妻と娘夫婦を殺すだろう。いや、その前に私を誘き出す餌にするに違いない。
家族の為に多くの命を踏みにじってきたのに、今更家族だけを犠牲にする道を選んだ。地獄だ。タルウィに目を付けられてからの私の人生は、右も左も、地獄しかない。
「妻はどうした」
気遣わしげな声色に、益々涙が零れ落ちる。嗚咽が漏れる。
「今、今頃……半殺しで……。うっ……。おえっ……」
首なし死体の写真。血塗れになった娘の花嫁姿。皮を剥がれて、それでもまだ死んでない吊るされた者の姿。あれやこれやが脳裏に過り、胃が痙攣したらしく、えずいた。
口を覆い、出そうになる吐瀉物を飲み込む。
「シッダルタ、そこのブランケットを掛けてやれ」
「は、はい」
驚いた事にジーク王は席を立ち、私の側に立ち膝になった。背中をさすられ、陶器の器を差し出される。
私は思わずジーク王に縋り付いた。
「す、捨てたのです! 天秤にかけて! 娘を、娘達を隠して下さい! この国だと知られていて、あの、あの指輪を手掛かりに、見つけ出す! お願いします! 一刻も早く! でないと殺される。何もかも、この世の全てが……」
震え声で叫んだら、嘔吐した。差し出されていた器ではなく、ジーク王に吐瀉物がかかる。涙で視界がぼやけていく。
私は過呼吸を起こし、蹲ってしまった。
***
【???】
寒い。雪とは運が悪い。いや、幸運だ。集落が見える。金はまだあるから、宿に泊まれる。
「フィーリア、もうすぐ寒く無い所に着くからな」
???が声を掛けても、手を繋ぐフィーリアから返事は無い。相変わらず、無表情で無言。何の感情も伝わってこない。
しかし、彼女は生きている。繋いでいる手から感じる温もりは命だ。
愛し、愛され、幸せになれますようにという願いを込めて、愛にちなんだ名前を付けた。
***
廻る廻るくるくる廻る。
巡り巡る。
失われても何度も巡っている。
永遠に終わらない。
——さあ、共に生きよう。
——共に生きて欲しい。
廻る廻るくるくる廻る。
巡り巡る。
失われても何度も巡っている。
永遠に終わらない。
—— 決して許さない。
——俺の子供達に近寄らせない
廻る廻るくるくる廻る。
巡り巡る。
失われても何度も巡っている。
永遠に終わらない。
希望と絶望は表裏一体。
救いと破壊は一心同体。
愛と憎しみは切り離せない。
タルウィの性格や行動、今後の展開が気が重くて遅筆です。




