光と影 2
【崖の国】
断崖絶壁に亀裂が入ったような地形。そこに大きな橋が架けられている。クラテールは、つい息を飲んだ。
建造物は少ないが、風車塔がいくつもある。そのうちの一つはかなり巨大。海へ続く段々畑。その海は、グルド帝国領内とは色が違う。空のような青色に、少し七色のような乱反射。
名前の分からない、山羊のような角の鹿に乗る、長い黒髪を束ねた青年。巨体狼にマールムと横座りする蟲姫。それから馬に乗る二人の騎士。見知らぬ少し老いた男の前に座らされ、この国や人達は何処の誰かと思案する。しかし、何も読めない。
巨体狼は大狼だ。古代に造られたという、蟲と同じ戦闘生物兵器の一種。賢く育ち過ぎ、世に溢れ、集落を作り人とは対立。化物狼と狼は見た目は似ていても、中身は別次元の存在。いつだったか、酔って饒舌なタルウィがそんな事を言っていた。欲しい、欲しい、実験したいと騒ぎながら。大狼は蟲森や険しい山脈で暮らしていて、人の世界にはあまり現れないから残念、悔しい、ムカつく。そんな話だった筈。
ウールヴと呼ばれる大狼は、九つ尾を蟲姫とマールムの日傘代わりというように被せて、のんびりダラダラ歩いている。この姿からは、古代での生態を想像し難い。
「ラステル、あれ何?」
「あれ? あれは風車よ。ぐるぐる回るものを車っていうの。風で回るから風車よ」
「楽しい?」
「私は好きよ。見ていて楽しいわ」
完成品らしい蟲姫は、ラステルという名前だった。喋り始めた幼児のような、たどたどしいマールムとラステルの会話は、聞いていて微笑ましい。まるで姉妹のようだ。
クラテールはぼんやりとラステルを見つめた。落ち葉色の髪。瑞々しい新緑のような色の瞳。雪のような青白い肌。しかし、頬や唇の血色は良い。本当に、遺伝子配列の殆どが蟲でも、自我を有して、人間として生きている不思議。製作品の中で、最も蟲に近いのに人型で成長したので、存在や使い道に恐れ、怯え、捨てたはずだったのに、生きている。どうやって生き延びて、成長したんだ?
「おとうさん、楽しい?」
相変わらずの無表情で、マールムに問いかけられた。お父さん、と呼ばれるたびに、涙が込み上げてくる。
「いや。しかし、お前が楽しいのは楽しいよ」
涙を堪えても、鼻水は勝手に垂れてくる。ズビッ、ズビッと鼻水を啜る音が鳴る。
「めぐりめぐる」
またマールムが歌い出した。
「つちになる」
楽しげな声。
「いえになる」
まるで、跳ねるような旋律。
「みになる」
「あら、その歌詞。私も知っているわ。マールム、貴女は何処でそれを知ったの?」
「きょうだ」
「きょうだ?」
「おしえくれた」
その時、空気が冷えた。実際の体感温度ではなく、寒々しい気配が漂う。特に前方の青年。それから大狼。山羊鹿に乗る青年が速度を落として、私達の乗る馬の横に並んだ。
「あの歌は何という曲ですか?」
「知りません。娘が急に歌い始めまして……」
青年の仄暗い土色の瞳に見つめられ、背筋に汗が吹き出す。今の蟲姫とマールムのやり取りで、何か気になったのか? それなら、話は早い。
「あちらのラステルさん。兄の名はアシタカですよね? 私はその方と話をしたいです。今向かっている集落に、いらっしゃいますか?」
「ラステルをご存知で?」
「ええ。マールムの姉です」
こう言ったら、どうなるか予想がつかない。しかし、あれこれ推測してくれるだろう。
「なら、貴方は……」
「シッダルタ。城で聞こう」
クラテールと共に馬に乗る男が低い声を出した。
「今、何て?」
「ラステル、ユパを交えるから何も聞くな」
「でも……」
蟲姫は私をジッと見つめた。嫌悪ではなく、期待の眼差しのようだ。冷えた風が頬を殴るように吹き抜ける。お前はこの子を化物の森へ捨て、殺そうとした。そう、言われているような気がした。
その後、誰一人、何も喋らない。ただ、マールムの呑気そうな歌声だけが響く。
「とても上手ね。それに素敵な声だわ」
「うた好き」
「そう? それなら崖と風の歌と、カドゥルの龍唄と……」
うんうんと唸る蟲姫。どっちが良いかしら? と首を捻っている。
「ラステル、そんな猛々しい歌ではなくて、流星の祈り唄なんてどうだ?」
「流星の祈り唄?」
「君はこの間から、ずっと口ずさんでいるじゃないか」
「ああ、アルセさんが歌っていたの。そうね、シッダルタに聞けば良かったわ」
バッとマールムが顔を動かし、丸めた目で黒髪青年を見た。
「バリムのじょしゅシッダルタ」
「えっ?」
「なかよくするシッダルタ」
「君、俺の名を知っているのか?」
チラリとクラテールを確認したシッダルタに対し、首を横に振る。自分は知らないと、伝わるとは思えない。
「きょうだも好き。なかよくする」
マールムは急に、別の歌を口にし始めた。
「だいちのつち」
とても機嫌の良さそうな声色。それでいて、微かに笑っている。
「ばいようど。たんぽぽぽぽぽ、たんぽぽぽ。ポポは飛んでく。ふわふわトルル」
「あの、マールムさん、その歌は何だい?」
「バリバリバリム。バリ……」
体を左右に動かしながら、歌っていたマールムは、急に唇を結んだ。
「分かった。歌わない」
針の筵のような空気。急に静まり返る。一行はやがて村に到着した。崖に築かれているのは村ではなく街だった。崖の中に多くの住居を構えているらしい。
クラテールとマールムが連れて行かれたのは崖の国という名だった。何故か「ラステル妃のお客様がまたいらっしゃった!」とあちこちで歓迎され、辟易した。
***
【グルド帝国 ???】
クラテールはハイドニックの悪辣さを気に入っている。例えば、塩分が強く、硫黄臭い湖に、平気で子供の頭を突っ込み、抑えつけるところなんかがそう。
視覚モニターの向こうに行きたい。親だろう女の絶叫を聞きたいけれど、残念ながら音声は繋がっていない。
絶叫してそうな、ほんの僅かに白髪の混じった女。我が子を殺されそうなのに、犯されているという倒錯感。羨ましい光景である。ハイドニックには崖の国への偵察を命じてあるので、調査の一環か息抜きだろう。どちらにしても、主人に絶景を見せるとは気の良い奴。
ほくそ笑んでいたら、ノック音がした。失礼します、そう聞こえて、誰かが入室してきた。許可していないのに、とナイフを飛ばしそうになったが思い留まる。殺さない練習中だし、人というのは褒美が無ければ働かない。
「タルウィ様。地上にこのようなものが……」
見知らぬ顔の若造。真っ青である。タルウィは酒瓶を来訪した兵士に瓶を放り投げだ。
「あ"あ"?」
「急に大量の紙が空から降ってきました」
震える声で告げると、兵士は紙を床に置いて、逃げるように去っていった。木偶人形に命じて、その紙を持ってこさせる。
「何だこりゃ」
木偶人形から受け取った紙は、新聞記事のようなものだった。載っている写真はアシタカ・サングリアルとザリチュが握手をしているもの。アシタカ・サングリアルは吐き気がする笑顔。ザリチュは強張った微笑。見出しは「協定と停戦締結」である。
「はあ?」
記事を良く読んでみる。要約すると、グルド帝国ザリチュ帝王は、ペジテ大工房との和平交渉に応じる。そして、タルウィを売る、というものだ。
「国際指名手配犯。ふーん、そうか。本気で俺と対立するつもりか……」
写真の中で、アシタカ・サングリアルは実に爽やかな笑顔。その少し後方で、美女シュナも天使のような笑みを浮かべている。いけ好かない男。最悪、最低、極悪非道。早く絶望に叩きつけてやりたい。
「どう引きずり出すべきかねえ……」
切り替えた視覚は、ドメキア王国の木偶人形。灰色の石の壁しか見えない。
「捕まったか?」
酒を呷りながら、首を傾げる。待てども、待てども、石を積み上げた壁しか見えない。
「役立たずめ。まあ、実験は急いでねえから、猶予をやるか」
また視覚を切り替える。ボブル国領土内、ネキ湖及び湿原にいる、木偶人形と繋がる。
「こりゃあ、また絶景だな」
いくつも上がる黒煙、その間をぬうのは蟲、飛行船、そして飛行機械兵である。
「なんでまた蟲がいるんだ? こりゃあペジテ大工房の時と同じように祭りのようだな」
世の中というのは、計画通りにいかないから面白い。タルウィは立ち上がった。ぬるりとした血の感触に、恍惚とする。
「んあ、忘れてた」
血の中にに腕を突っ込み、肉塊を掻き回し、目的の物を探す。一つ、二つ、三つ……。
「まあ、後は現地調達するか」
溶けない飴を手に握り、浴槽から出る。
「ふああああ、しかしまあ、やっぱり怠いな。まだ、この体は本調子じゃないらしい」
洗い場の端で縮こまる少女を、軽く蹴り飛ばす。やはり、動かし辛い。しかし、戦場になったノアグレス平野へ観光に行った時よりはマシ。
「なんだ、泣き叫ばねえと思ったら死んでるのか。殺さないって難しいなあ」
ゴロン、と洗い場に倒れた少女の様子を確認すると、息をしていなかった。
「内臓破裂か、脳出血か……小さいのに無理矢理突っ込んだからか?」
思わずため息が漏れる。タルウィは少女の右目に指を突っ込み、目玉を抉り出した。血管、神経は引き千切る。口に放り投げると、まだ生温かかった。
「取り敢えず様子見に行くか。祭りはド派手でないと。国際? 指名手配なら、あちこちを転々とするまでだ。巣はいくつもある」
既にグルド帝国として、ボブル国とベルセルグ皇国へ攻撃を仕掛けた。ついでに、抵抗を続けるラズス遊牧民へ兵を増やした。グルド帝国は大陸覇者を目指して、近隣諸国や集落を蹂躙中。
全軍を各地に分配し、更にタルウィ個人の私兵団もバラまいた。
「さあ、止めろ。止めれるものなら止めてみろ。目的なんてない殺戮行為。憎悪は時に増殖し、侵食し、転移するってなあ!」
高笑いが反響する。実に愉快。タルウィは「黒蜘蛛の巣 13番」にある浴室から出て、腰巻を身につけ、法衣を羽織った。




