光と影 1
【グルド帝国 首都ヴェネ】
ヴェネ大鐘楼の周辺が燃え盛る。鳴り響く地獄の鐘の音。悲劇の幕開け。タルウィは塔の上に座り、足をプラプラさせ、酒を飲みながら、ほくそ笑んだ。
「さあて、これで飛行機械兵をお披露目完了。で、普通は帝王の座を奪いに行くが、そうは問屋が卸さない」
帝王になり、この国に張り巡らした蜘蛛の巣を完全に掌握する夢を抱いた事もある。しかし、新しい夢を見つけてしまったのだから仕方がない。
「ボブルも挑発したし、崖の国にも兵を送った。で、クラテールは危険そうなドメキア王国で実験予定。おい、何、勝手に止まってるんだ」
正確には遅くなった、だが、女の髪を掴む。何か言っているが、思考の邪魔。ちっとも快感が得られないのは下手だから。腰を振れない女に用はない。目にナイフを突き刺そうとして、慌てて肩に変えた。優しく、を心掛けている。逃げないように、抱き締めて押さえつけた。ついでなので、腰振りを手伝い、教える。面倒だが、このくらい過剰に優しくしないと殺さない練習にならない。締まりが良くなったし、飛び散る鮮血と絶叫は良いスパイス。
「嫌なら動け。バカは好きだが、働かない奴は大嫌いだ」
まあ、そうとは言っても、褒美がないと働かない。ペタペタとナイフで頬を撫でてやる。美しい女は貴重。すぐに殺さない練習中。微笑みかけると、必死に動き始めた。刺激はちっとも良くない。胸が大きいのはまあ許せる。揉み心地は良い。むしろ、それしかない。
「あーあ、害獣からどうやってシュナちゃんを簒奪するか……。あの巨大要塞から出て来させる方法は、大陸中を火と血の池地獄にする事で、間違いない。誰を殺すと、何を破壊すると脅せば引きずり出せるんだか」
深刻な情報不足。しかし、人など性悪で自己保身の塊。タルウィの悪行の何もかもを、アシタカ・サングリアルへの当てつけだと言いふらす。そうすれば、大陸各国中の大衆が、あの男を取り囲み、死刑台へと登らせる。
「ん?」
黒い煙の柱の隙間に、鈍色の群れ。気のせいか? タルウィは女を支えながら立ち上がり、思いっきり腰を打ち付けて射精した。用済みなので、女を放り投げる。落下していく全裸の女に向かって、ナイフを投げた。
「あっ、しまった。殺さない練習中だった」
後悔しても遅い、とはこのこと。
「まっ、いっか。血の花が咲い……いいなあ、この眺め。一気に落として、ガトリングガンで連射して百花繚乱とか……じゃなかった。遊びは脇に置いておかないと、祭りの運営に支障をきたす」
さっきの妙な違和感の確認。ズボンを履き、空を探る。
「分からねえなあ。まっ、暴れたし、一旦退避だな。俺の勘は当たる」
一度、長年築いた地下迷宮へ移動。派遣した木偶人形達から情報を得れば良いだけ。
「ダルマチア、約束通り国をやる。ザリチュが万が一帰ってきたら、投獄しておけ。さもなきゃ、これでは済まないからな」
返事はない。まあ、当然。ロープでぐるぐる巻きな上に、猿ぐつわ。塔から吊るして、半日も経つ。皺と白髪だらけの老体には酷な話。
「殺さない練習と、シュナちゃんを喜ばせる方法探しをしっないっとなあ」
火事場誘拐用の兵士や木偶人形の成果が楽しみ。久々に柔らかくて、ふわふわな小さな子どもとも遊ぶ。期待に胸がときめく。
「ク、ラ、テールはちゃんと働いているかな」
家族が死ぬと働かなくなるので、珍しく手厚く保護した。妻、新婚夫婦共に僻地へ引っ越しさせてある。その写真を送ったので、働く筈。全面兜の片目の視界を切り替えて確認。天空城と呼ばれる、せり上がった台地に築かれる、外観地味なドメキア城が見えた。フラフラしながら、人形人間を連れて、丘を歩いていくクラテールの姿。
「あんよが上手、ク、ラ、テール♫」
気がついたら、楽しくて、歌っていた。黒い煙に赤い炎。実に美麗な絶景。未来はきっと、明るいだろう。
***
【???】
ここは、何処だ? クラテールは重たい足を何とか動かし、前へと進めた。湿原で、爆撃に巻き込まれ、小型飛行船が破損。緊急脱出に使用した改良飛行機械兵も、元々故障気味だったようで、思うように移動出来ず。直しながら、何とか騙し騙し進み、不時着したのは砂漠。方角からして、大陸南東方面。地図も無くしてしまったし、そもそも他国に関心を寄せる暇なんて無かったので、この砂漠が何処で何という名前なのか、推測も不可能。
必死にタルウィの魔の手から逃した13番が走り去って、かなりの時間が経つ。すり替えた人形人間13番。見た目は人、中身の細胞の多くや遺伝子配列は蟲。特に匂いや音、それに神経伝達物質で巨大な一個体を形成する蟲と繋がり、干渉さえ出来る、古代兵器。その復元。司令塔になれない出来損ない。タルウィ曰く、只のゴミ。
「ゴミなものか……。命は……。俺が言うことか……」
飛行機械兵の装甲を剥がし、屋根と椅子代わりにしているが、暑い。暑くてならない。前後左右、砂と岩しかない。
「ギニピグが見破られたら……」
妻と娘夫婦は殺される。それでも、逃亡を選んだ。どうせ、近い将来、家族は全員殺される。流石にそろそろ、反抗心に我慢出来ない、そういう態度だと感じた。研究所職員に引き抜かれて、20年。タルウィの態度や感情の推測が出来るようになってしまった。タルウィの研究、悪行は然るべきところに訴えるべき。タルウィを怒らせた「アシタカ」なる人物に会わないとならない。それか、関係者。
——アシタカって男は聖人君子らしい。吐き気がする程、いけ好かない男だった
奪った数以上の命を救えるだろう。特に未来の命。クラテールは顔を手で覆い、何度目かの涙を流した。
——少数部隊で崖の国を偵察。俺の蟲姫ちゃんを取り返す材料探しだ
——お前が蟲森にゴミのように捨てたっていうのに、覇王の妹だとよ!
事情はさっぱり分からないが、崖の国へ行き、クラテールが創り出した「蟲姫」に会えれば、何かが変わる。変えられる。しかし、終わりだ。人権無視の研究。非道な人殺し実験の数々。家族を見捨て、贖罪の道に縋っても、清廉な水の神は許さず、この砂漠で鉄槌を下すのだろう。
「神か……あんな男を何百年も野放しにして……神など……」
タルウィがのさばっているのは、乗っかる者が大勢いるからだ。金、権力、悦楽、タルウィは人の闇に入り込むのが上手い。甘い汁を吸いたい者を、掌に乗せて転がす天才。涙が枯れ果てて、水分を失い、この砂漠で死ぬ。血塗れ男に憐れな末路。クラテールはただただ、嘆き、泣き続けた。
「……さん」
吹き抜ける強風に混じったか細い女性の声。声? 顔を上げると、黄金稲穂の巻き髪を風に翻す、13番が無表情で立っていた。一度も太陽を浴びたことのない、青白い肌が真っ赤に腫れ上がっている。研究所で見つけた、誰かの黒いワンピースとのコントラストのせいで、余計に酷く感じた。瞳は相変わらず赤い。蟲が荒ぶる時と同じ色。
「喋れ……喋れるのか?」
13番は小さく首を縦に振った。反応なんて初めて。
「きょうだ」
「きょうだ?」
「おしえくれた」
「兄弟が教えてくれた?」
また、コクンと頷くと、13番はしゃがんだ。兄弟? 1番から5番、7番、9番は亡くなっている。タルウィが弄んで殺した。6番、8番、12番は逃してやれず、タルウィの命令で何処かへ運ばれてしまった。11番は行方不明。タルウィ曰く、誰かが持ち出したらしい。10番は3年も経たずに衰弱死。10番は蟲姫のダミー。心疾患があって助からなそうだった、単なる誘拐子。タルウィが攫ってきた子供をくすねた。タルウィは関心を失うと記憶力が悪くなるから簡単だった。13番の兄弟が教えたというなら、6番、8番、12番、そして行方不明の10番のどれか。自我を発言した者は観察されていない。なのに、未完成では無かった?
「みずない」
13番がワンピースのポケットに手を入れ、何かを出すのを、ぼんやりと眺めた。出てきたのは緑色の林檎のようなものだった。
「はい」
緑の林檎を差し出され、クラテールは戸惑った。
「私に……?」
「おとうさん」
「えっ……?」
「はい」
お父さん? 日焼けで腫れる手。その上に乗る緑の林檎。涙で霞んで、ぼやけていく。自我があったのなら、非道な日々に耐えていたということか? おとうさん、という台詞が頭の中を木霊する。自然と焼けるような砂漠に突っ伏して、号泣していた。
「お前が……お前が……食べ……」
掠れて声が出ない。造り出し、成長を観察していたが、ほぼ動かない、自我のない人形みたいな生物。そうやって、ほぼ物だと言い聞かせて、命を無視してきた。なのに、結果はこれだ。
「人なのに……私は……」
「ひと? ひとならない」
吐き捨てるような声に、顔を上げた。
「おぞましいにはならない。殺されようとも、絶対にならない」
後半の言葉は流暢だった。無表情というより、睨まれている。瞳に滲む強い嫌悪。
「でもバリムは人。ヘンテコ人間なら幸せにしてくれる」
バリム? バリムとは誰だ? ヘンテコ人間? 13番に林檎を押し付けられ、手首を掴まれた。つい、林檎を手にしていた。クラテールを引きずるようの歩き出す。抵抗する気には全くなれない。灼熱の砂漠を2人で歩き、それでどうなる? 嘆いている場合ではない。助けなければならない。家族を捨てて、助けると決めた。そうだ、泣いている場合ではなかった。
「13ば……いや……マールム。こんな日差しの中歩くのは危険だ」
今まで、番号で呼んできた。しかし、物ではない。生きている。意思表示が無かったのは恐怖や苦痛のせいだろう。そんな簡単なことに、何故今まで気がつかなかった!
「アピス!」
振り返ったマールムが絶叫した。クラテールから手を離し、腰に手を当てて、無表情ではなく怒り顔。
「アピス? アピスと言う名前なのか?」
瞬間、まるで試験紙の化学実験のように、アピスの赤い瞳がサアッと青くなった。
「すえむしはひとでむし。アピスでマールム。分かった、兄弟。お父さん、マールムで良い」
すえむし? 末の蟲? 人で蟲? アピスでマールム? くるり、と背を向けると、マールムは歩き出した。また、クラテールの手首を掴んで。
「めぐりめぐる」
歌? 突然、マールムは歌い出した。
「つちになる」
楽しげな声。
「いえになる」
まるで、跳ねるような旋律。
「みになる」
その時、前方に黒い影が見えた。砂漠の岩と岩の間、逆光の中で動く黒い影は、徐々に大きくなっていく。速さやシルエットからして、馬? いや、白い。かなり速い。駆けてくるのは狼に見える。背中にコブがあるように見えるので、狼に似た獣?
「狼……マールム! 逃げるぞ! 食われる!」
マールムと手を繋ぎ、反対方向へ走ろうとした。しかし、引っ張られて、振り返る。
「いたい……」
「痛かったか? すまない」
今更気がついたが、マールムは素足。靴を履いていないのに砂漠を歩き、日焼けだけではなく岩か何かで傷つけたのか怪我だらけ。クラテールはマールムを抱き上げた。体力に自信は無いが、壊れた飛行機械兵まで戻れば、小型機関銃がある。
走り出した時、背中を咆哮が貫いた。あまりの大きな吠えに体が竦む。チラリ、と振り向くと、狼はすぐ目の前だった。尾が九つもある巨大狼。背中に帽子付きの薄いコートのようなものを着た者が乗っている。白地に赤い花のような幾何学模様。女? 何にせよ、食われてなるものか。いや、人が乗っているなら、命乞い出来るのか? クラテールは前を向いて全力で走った。
突然、巨大狼が目の前に着地。腰を抜かしてしまった。マールムを抱き締める。
「た、助けてくれ! む、むす、娘だけでも情けを! 私が餌になる!」
「餌? ウールヴさんは餌なんて与えられる人……狼ね。狼じゃないです。むしろ私にご飯を用意してくれます。それに助けにきたのですよ。砂漠で迷子でしょう? ウールヴさんの鼻が良いから見つけたのです。まあ大変! 日焼けで真っ赤だわ!」
狼に乗る者の声はやはり女性だった。彼女は巨大狼から飛び降り、転びそうになりながら砂漠に着地。クラテールの前にしゃがんだ。
「こんなに酷い日焼けにはお医者様ね。一度戻らないと」
気遣わしげな声色。彼女の顔が、フードから覗いた。新緑のような瑞々しい瞳と目が合う。衝撃的な事に、目の前の女性は、かつてクラテールが蟲森へ捨てた蟲姫だった。




