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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
八章 破滅と再生の激動大嵐

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一生に一度の夜 2

 ペジテ大工房緊急会議、各国首脳会議にて大陸連合護衛機構発足及び共同防衛隊編成案可決。


 その日の深夜——……


***


【ペジテ大工房 サングレ・フィデスホテル】


 エレベーターという機械には未だ慣れない。それなのに、外の景色が見える上に、今までで一番高い階層まで運ばれるという恐怖。シュナはアシタカの腕にしがみついた。


「夜景が綺麗なので喜んでくれるかと思いましたが、聞けば良かった。怖がらせてしまいましたね」


 アシタカの気遣わしげな台詞に、シュナは首を小さく横に動かした。


「はい。でも、お陰で堂々と甘えられます。それに、このような景色は初めてです」


 一人だけ緊張しているなど恥ずかしいので、アシタカが動揺しないかと腕に力を込めて笑いかけてみた。しかし、アシタカは涼しい顔のまま。微笑を浮かべてシュナの耳に顔を寄せてきた。


「監視カメラが無ければ、抱き締めてキスしている。外で誘惑しないで下さい」


 サッと顔を離したアシタカは、また澄ました表情。監視カメラ? エレベーターの中を見渡すと、天井の角に丸い機械があった。恐らくあれだろう。


「見張られているのですね」


 シュナはなるべく小さな声を出した。


「大丈夫です。声は拾えない。僕達の見張りではなく、監視対象は国民全員です。護衛庁は年々、治安維持向上の名目で監視カメラを増やしています。僕が市街地で暮らせていた理由の一つです。隠密に護衛もついていたようですが……僕は長年方々に迷惑を掛けてきた」


 遠くを見るように、少し目を細めたアシタカ。こういう視線の時は、とても話しかけ辛い。シュナは続きを待つか、声を掛けるか迷った。


「指示通りの公務を、嘘で固めた笑顔でこなす。そんなこと、誰にでも出来る。何のために学び、鍛えているのか甚だ疑問。大技師一族なんて虚飾で、意味ある存在だとはとても思えなかった。しかし遠回りして、間違えばかり犯した今なら分かる」


 エレベーターが止まって、扉が開いた。アシタカがシュナをエスコートして歩き出す。


「遠回りに間違えとは、偽りの庭から街に出たことですか?」


「いや。親に反発して無理矢理それをしたことです。かつて同じ立場、いや、僕とは違い後継者として育った父上はもっと葛藤や苦悩があっただろう。父上に耳を傾け、母上の話も聞き、姉や義兄の説教にも耳を貸すべきだった。何もかもと向かい合うべきだった。そうしたら、もっと有意義な十年になっていたと思います」


 寂しそうな笑顔の理由は何だろう? シュナが口を開く前に、アシタカが続けた。


「誰よりも働く勤勉家。そうではない。僕は単に自信が無かった。走り続けないと非難される。啖呵を切って偽りの庭から出た掟破りが自己満足だと、単なる我儘だと揶揄される。流れる血の重圧に怯えていた。否定が怖くてならなかった。虚勢を張っているから、余裕がなくて時に怒りを爆発させる。至宝とは別に、僕は歩く爆弾とも呼ばれています」


 廊下を進みながら、アシタカは小さく溜息を吐いた。


「そういう話を周りにすれば良かった。学生時代の友は、忙しさで離れていった。僕は近寄り難いらしいです。まあ、仕事の話しかせず、酒も飲まず、これといった趣味も無い。至極当然ですね。後悔ばかりです。人が離れていって、寂しいから……」


 頭を掻くと、アシタカが苦笑いを浮かべた。寂しいから、その続きは何となく分かった。女を側に置いた。蔑ろにしがちだったらしいが、本人なりには大切にしていたのはアンリから少し聞いている。何とも複雑な話。アシタカから優しさを与えられていた女性達の事など考えたくない。しかし、今のアシタカはそういった経験の上に存在している。


「アシタカ様の部屋には自動荷車(オートカー)の模型がありましたね。かつてはピアノも嗜んでいて、先日少し披露してくださった時は楽しそうでした。趣味よりも、弱音を吐くよりも働くことを優先してきたんですよね? これからはシュナがいます。時間が欲しいというアシタカ様に、色々な時間を手配します」


 アシタカが足を止めた。扉の前だったので、宿泊する部屋はここなのだろう。他には一つも扉が見当たらない。アシタカが嬉しそうに笑ってくれた。


「よろしくお願いします。勿論、僕も自ら努力します。反省したことは、改善しないとならない。シュナ、君と過ごす時間が欲しい」


 アシタカがほうっと小さなため息を吐いた。


「幼少時の教養は苦痛だった。ピアノなんて女性の嗜み。素晴らしい男性ピアニストがいるというのに、そういう偏見を持っていた。単に自分が逃げるための言い訳。しかし、君がニコニコ聴いてくれていると楽しかった。何事も目的があると、心持ちが違うと捉え方が変わる。こう思うと僕は幼い頃からずっと反抗期だったようです」


 背広の内ポケットから平たい白い板を出すと、アシタカが扉の穴にそれを差し込んだ。アシタカがドアノブに手を掛けて、扉を軽く押す。このような形の鍵があるのか。


「カードキーです。国内で唯一、電子ロック機能があるホテルです。扉も壁も窓も厚めで堅牢。昔から要人の宿泊に使用してきた施設です」


 促されて共に室内へと入った。


「というより、その為に援助されて建設され、色々と機能がある。監視カメラの数も、ここのホテルだけは過剰なくらい多い。常日頃監視されているのに更になど、絶対に利用するか、そう思っていました」


 呑気そうに笑いながら、部屋の扉を閉めたアシタカ。扉が完全に閉じると、いきなりキスされた。予想外だったので、シュナは固まった。クスクス笑いながら、シュナの手を引いて部屋の奥へと進むアシタカ。


 窓辺に二人で並ぶ。ドメキア城の最上階よりは低い位置。広大な海、丘、森、川、城下街など何一つもない。幾多もの窓がある、四角く背の高い建造物。区画整備された人工的な道。ネオン、と呼ばれる灯でかなり明るい。そのせいで、ドームの向こうの星は見え難い。綺麗といえば綺麗であるが、あまり好きになれない光景。


「こんな時に浮かれていると、天罰が下るかもしれませんね。右も左も何を選んでも地獄とはこの事でしょう。僕は君が選んできた道を進みます。何を選んでも、後悔しかしない。血溜まり……」


 肩を抱かれて、腕をさすられた。アシタカの手は少し震えている。


「僕はまた我を押し通した。君が僕の代わりに矢面に立とうと、会議に乗り込んでくるので余計に張り切ってしまったよ。シュナ、僕の前に……出るのはもう分かったので僕が常に前へと進みます」


 シュナの方から腕を離すと、アシタカは両手を目の前のガラスへつけた。


「指揮官とはこういうものですアシタカ様。命じた先で兵が死ぬ。負ければ大勢が死ぬ。(わたくし)、迷っています……」


 ベルセルグ皇国後方支援、エルバ連合後方支援として護衛人は調査隊及び支援部隊を編成して出兵と決定。命じたのはアシタカ。それも早急に対応しろという指示。混乱しているペジテ大工房議会議員を最終的に押し切った。


 シュナにはアシタカの焦燥がよく分かる。多分、もう行動が遅いかもしれない。そういう嫌な予感が強い。ティダのあの慌てよう、それだけでこんなにも不安が強い。しかし、あの本能人間の勘は正しい。シュナには見えなく、感じなかったタルウィという男の中身。ティダは葬るべき男だと評価した。


「第2軍、この国がまだ抱えている捕虜の解放軍の指揮だろう? それなら首の皮を繋げたい者達が名乗り上げる。というか、ルイにそうさせる。君はここ。いや、ティダの忠告通り僕達はアシタバ半島へ移動だ」


 悔しいのか、それとも恐怖なのか、アシタカの顔は青い。どちらもだろう。


「一番安全な所で鎮座する。それがアシタカ様が選んだ道です。(わたくし)は常にアシタカ様の近くにいます。迷いはしても、揺らぎはしません」


「決定権は僕という訳だ。まあ、少し前の僕なら飛び出していた。しかし、成したい事がある。現地で参加者になっては、停戦対策や今後の争いの抑制は行えない。はあ……。明日は我が身、そういう気持ちがある……か……。崖の国の方が余程そんな気持ちが少なかったな……。シュナ、僕はこの先何をしても非難される。既に人殺しと囁かれている……」


 深いため息をつくと、アシタカはガラスから手を離した。


「ティダや君は、長年こんな気持ちを抱えて生きてきたのか。遅れたが僕も合流した。エリニース、アシタカ、シュナの三つ子か。奇妙な縁だな……」


「同じ女に手を出したという奇縁もありますよ」


 バッとアシタカの顔が勢いよく動いた。


「ついでに言うと、手篭めにして操りたいからと毎日です。酒に酔ってというのもありました。なのに、心寄せたら気が変わったと袖にする。最低、最悪の男です」


 ほろり、と頬に涙が伝った。砕け散ったと思っていても、未だ胸が痛いのは少しばかり気持ちが残っているから。東の地で血塗れになる男の心はアンリが守ってくれるだろうか? 大陸中央に聳える山脈のように、自身が譲れないことに関しては頑なな男。


 シュナはアシタカの方へと顔を向けた。穏やかで優しい温かい眼差し。もし本当に戦が起きてアシタカが指揮官となるなら、この光は消えてしまうのだろうか? 今のティダのように……。折り合いをつけているようで、ティダこそもがき苦しんでいる男。同族嫌悪で反目し合っていたと今ならよく分かる。


「シュナ、君にその気がないのなら僕は指一本触れない」


「いいえ。逆です。今後気にするだろうと思って、先に全部話しておこうと。(わたくし)……まだ飲み込めなかったり、忘れられない事もあります。忘れさせて欲しいです。だから、たびたび誘惑していました。ねえ、アシタカ様……何もかも忘れましょう……」


 シュナはそっとアシタカの体に身を預けた。アシタカは、どうするだろう。どう見ても、具合が悪そうなのでシュナを抱いたりしないかもしれない。


「今夜は特別な夜。一生に一度の夜。悩みの何もかもを忘れて、この先の不穏な未来も考えないで……」


 どうせ今この瞬間、誰かが死んでいる。不幸になっている。それでも世界は回っていく。そうやって言い訳をしたい。背中に乗る全てのものを放り投げたい。どれだけ楽になるだろう。


「言い辛いことを先に言ってくれるとは、この気配り屋と背負い癖は直してもらいたい」


 予想に反して、アシタカはそっとシュナにキスをしてきた。


「この部屋に入るなり襲おうとしたのは、現実逃避だシュナ……」


 熱っぽい視線に絡め取られる。


「なんていう時代の、なんていう立場に生まれてしまった。おまけに自分で背負った。こんな時に欲に溺れようとは、磔にされて燃やされるかもな。炭も残らないだろう」


 そう言いながら、アシタカはネクタイを外し始めた。


「地獄に咲く花、それは愛と呼ぶそうですよ。アンリから教わりました。それから、姉に素敵な口説き文句を教わっています……」


 徐々に激しくなるキス。アシタカの手がネクタイをソファへと放り投げる。


 今までの理性的なものとは違う、激情的な雰囲気。焦らすなというように、アシタカの腕がきつくシュナを抱き締めた。


(わたくし)、初恋は海に投げ捨てました。好みではないし、うっかりした事でより屈辱感が増して刺し殺してやりたくなったからです。でもアシタカ様……貴方からは死んでも離れない。世界を焼き尽くせというのなら滅ぼします。この世という地獄から逃がしたいならその手で絞め殺してくださいませ……」

 

 生きているこの世は地獄。生きていくことも地獄。それでも、人は生きていく。生きている。


——どうせどこにも愛などない。


 あったではないか阿呆な大狼め。大狼にも醜姫にも確かに何かがあった。手を取り合って並べないから離れた。お互い諦められる程の気持ちだった。今、ティダを追うという選択肢はほぼ無い。行きたいとも思うが、並ぶならやはりアシタカの隣。アシタカが戦場に行くというのなら、迷わず行く。縋り付いて離さない。


 シュナはアシタカの首に手を回した。もっと、とせがむ。この人が欲しい。何もかもを手に入れたい。手に入れる為なら全部捨てる。ここまでの衝動は知らない。


「僕が君を絞め殺すと?」


 挑発的な笑み。シュナはアシタカの頬を両手で掴んだ。共に地獄へではなく、手を引いて救う。アシタカはそういう男。だから、深く息が出来る。アシタカの光は踏み潰されても消えない輝きだと、そう信じたい。温室育ちでも、悲惨な現実やこの世の悪を把握して理解している人。なのに、ちっとも汚れずに荒まない男。ティダやシュナとは違う人種。


「いいえ。その気持ち、忘れないでくださいませ。足を止め、心が折れたら(わたくし)が全部背負います。横っ面も叩き、必要があれば顔面を殴りつけます。か弱いのでお父様がしますよ」


 噛み付くようにキスをしようとしたら、押し返された。


「あはははは! ここまで挑発したい程、そんなに想いを寄せていたのか。これは必死に忘れてもらわないとならないな」


 抱き上げられ、深くキスされた。それでも優しい。目も温かい。シュナを寝台へと運ぶアシタカの頬にまた唇を寄せる。


「まさか。憎々しくて腹が立っているところです。甘い夜を邪魔する過去など、それこそ海へ投げ捨てたいです。なので嫉妬で狂って情熱的にならないかなと……」


「なら、反対も聞きたいかい?」


 ペチンとアシタカの頬を叩く。そんな話題、断固拒否。


「絶対に聞きません! 次に話そうとしたらもっと強く叩きますよ」


「いいや、今みたいに思う存分甘えるといい。隠しているから爆発するんだ。余程、屈辱的だったみたいだな」


 そっと寝台に寝かされた。覆い被さってくるアシタカのシャツに手を伸ばす。ボタンの数が多いけれど、以前の浮腫んだ手とは違って細い指なので、外すのは簡単。


「ふむ、予想と随分違う。夜景に感動した君をそれはもう優しく扱う予定だった」


 ぐしゃりとシュナの髪を掴むと、アシタカはニッと歯を見せて笑った。悪戯っぽい、少し子供のような表情。なのに、熱を帯びた男の目。チグハグなのが、愉快でならない。


「思う存分、朝まで溺れてくださいませ。少しは重たい気分が優れる……んっ……でしょう……(わたくし)も……」


「死ぬまで溺れる予定だシュナ……愛してる……」


「ねえ……もう一回……言ってください……」


 何度も、もう一回と囁く。


 この幸福感は困難に立ち向かう支えになるだろうか?


 背徳感は強いが、きっとそれ以上に支えとなる。


 嵐に身を投じている自分達の柱。


 明け方まで酔いに酔っていたら、まるで開幕のベルというようにアシタカの連絡機が鳴り響いた。寝台の隣の机の上、連絡機へとアシタカが手を伸ばした。下から、ぼんやりとアシタカの上半身を眺める。


 カーテンを開けたままで、もう外が明るくなっているから鍛えられている体が良く見える。必要があるとは思えないのに、よくもまあここまで筋肉をつけている。連絡機の音のせいで、急に冷静になったので、恥ずかしくなった。こんな行為、なんでしていたのだろうか。でも、甘ったるくて気持ちが良いのでもっと溺れたままでいたかった。


「……はい。ああ、そうか。直ぐに行く」


 眉間に皺を作ると、アシタカは連絡機を机に戻した。


「ティダの勘は当たりだシュナ。もう開戦。ボブル国領地内へ、突然謎の空爆だそうだ」


 はあ、とアシタカが小さく息を吐いた。


「散々楽しんだ後だが腹立たしい。これはまた絶妙な時に邪魔された」


「続きをしてから行きます?」


 肩を揺らしたアシタカは、シュナから離れた。名残惜しいが、まあそうなるのが当たり前。シュナも急激に冷めている。


「また夜が来る。そしたら続きだ。さあて、昼間は全身を刺されるとしよう。毎晩止血してくれて、手当までしてくれる妻がいる」


 そっと体を起こされる。シュナは軽くアシタカにキスをした。


「死ぬ前に手を引いて逃げますよ。まあ、アシタカ様は逃げないでしょうから、仲良く燃え盛り消し炭になります」


「僕は新しい発見をした。過激な君がかなり好きだ」


「か、か、過激? 違います! ア、アシタカ様が……」


「あははははは! いいや君だ。支度して総司令室へ行く。直接、調査隊の報告を聞きたい」


 サッサと服を着だしたアシタカ。何の余韻もない。シュナもそそくさとドレスを身につけた。何とも味気ない朝。不満が顔に出ていたのか、アシタカに「すまない」と囁かれた。


「いいえ。身が持たないので丁度良かったです。これでも軍師だったので、役に立てます。一緒に行きますよ」


「断っても真横に来るのだろう? 頼む。むしろ僕には経験が足りない」


 シュナは大きく頷いた。


 采配1つで失われる命が増える。指示をするごとに、確実に人が死ぬ。恨まれ、憎まれ続ける。それがアシタカとシュナの道。批判者や利害不一致者の牙に殺されるかもしれない。そういう立場。


 死なば諸共、絶対に離れるものか。


 殺せ。殺してみろ。殺せるものなら殺してみろ。そして、引き離せるなら引き離してみろ。


 この世は因縁因果。生き様見せて、地獄の果て——終わる場所まで二人で歩き続けてやる。地獄が終わればそこは天国だろう。

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