出征する大狼兵士と不動の覇王
【ペジテ大工房 議会会館 円形会議室】
演壇に進み出たグルド帝国の大臣の一人、マナフ。落ち窪んだ目と鉤鼻が目立つ、中年男。会議室内の空調は適正設定な上に、彼は痩せているのに、マナフの額には汗がかなり吹き出ている。アシタカはマナフが何を語るのか、ジッと待った。
「タルウィ様は美しい女性が大好物です。逆に男は大嫌い。特にアシタカ様のように人柄が良さそうな、整った容姿の方など……我等が武器という武器を取り上げていなかったら、対面した瞬間にアシタカ様を殺していたと思います。アシタカ様を一目見て、懐に手を入れて銃を掴もうとしていましたから……」
マナフがハンカチで汗を拭きながら続けた。
「ギニピグだったようで、今頃本国の本体で何か企てているかと思います……」
タルウィに、一目で殺される程の嫌悪感を抱かれたとは知らなかった。思い返してみても、そうは感じない。
「ボンヤリとしている方だったが、まさかそこまで敵対心を抱かれていたとは気づきませんでした。ギニピグとは何です? 」
「いつものタルウィ様だと、外交など無理なので交渉をして抑制薬を使っていたんです。あまり抵抗しなかったのはギニピグだったからだと、今なら……。ギニピグとは、タルウィ様独自の研究です。原理は知らないのですが、仮の体です。気をつけていたのですが……」
「仮の体。そんな技術がグルド帝国にあるのか」
「いえ。ギニピグはタルウィ様の独占技術です。タルウィ様は長い年月をかけて、他にもあれこれ奇妙な兵器や技術を開発しています。蟲を操りかけたのも、その一つかと。アシタカ様が共和国を目指すというので、かねてより覇権を握ることを目的にされているタルウィ様の対抗心に火がついたのだと思います。恐らく、アシタカ様に戦争を吹っかけて、シュナ姫を手中にするつもりかと……」
奇妙な兵器や技術。パストュムもその一つだろう。
「僕に戦争を吹っかけるとは、このペジテ大工房を襲撃すると? 貴方はそう思うのですか?」
「い、いえ……。タ、タルウィ様ならこう考えます。共和国とは最低。極悪。有害。徹底的に邪魔をしよう。今ある戦力では覇王になれないので、大人しくしているべきだが仕方ない。本能には逆らえない。アシタカ・サングリアルが吐く程気に食わない。シュナ姫が欲しくてならない。平和など御免。我慢出来ないから、とりあえず、可能な限り滅茶苦茶にしてやろう」
マナフが語るタルウィ像に理解が追いつかない。平和など御免? とりあえず、可能な限り滅茶苦茶? あまりにも想定外の発言にアシタカは言葉を失った。
——争わないようにと考えるのが何が悪い。血が流れないようにと願う事が悪い筈がない。
アシタカの常識は、タルウィには通じないらしい。平和が御免で、共和国が最低、極悪、有害だなんて発想がこの世に存在するのか。驚きしかない。信じ難いが、マナフの怯えぶりは尋常ではない。顔面蒼白で、唇は紫。大汗できっと肌が冷えているだろう。
「私が欲しいとは、誤解ではないでしょうか? そのような表情は向けられていません。それに、大陸中の国を敵に回すと、グルド帝国が滅ぶ可能性があるということが分からない方でもなさそうでした」
のんびりとしたシュナの声に、巨大なため息が会議室内に轟いた。ティダだった。シュナを睨んだティダを、アシタカは思わず睨みそうになった。拳を握って、顔の筋肉に力を込める。シュナの事になると過剰だと方々から指摘されているので、我慢しないとならない。
「あんな顔を向けられて、何でそんな認識してるんだよシュナ。お前はタルウィの野郎を捕縛するまで、どっかに幽閉だ」
「幽閉? 過保護は止めてください。どっかにとは、どこにです? 私は……」
あまりにも強くティダがシュナを睨んだので、シュナが口を閉じた。不可解そうだが、考えるように俯くシュナ。
「おいザリチュ、マナフ、他の奴でもいい。こういうことだろう? 大陸中の国を敵に回して、グルド帝国が滅びたら愉快。大陸情勢を引っ掻き回して、共和国と反対にしてやる。絶対にシュナだけは手に入れる。欲しくて仕方ないし、好青年過ぎて反吐がでる胸糞御曹司も絶望するから一石二鳥。可能なら胸糞御曹司は殺したい」
またしても、アシタカは思考停止しかけた。
「ザリチュ! 他の奴らも知ってることを全部吐け。まさか、化物を飼ってたとは知らなかった。情報不足で悪手を選んじまったようだな。逆らえない? どうせ、研究とやらが便利だから利用もしていたんだろう?」
立ち上がったティダが、トンッと跳ねて演壇机に乗った。マナフが腰を抜かしそうになったが、ティダが胸倉を掴んで無理矢理立たせる。
「ば、化物一匹だなどと、タルウィ様を知らないからそんなことを言えるのです!」
「へえ、例えば?」
下から見上げるようにマナフを睨むティダ。アシタカは議長席から移動して、ティダを止めようとした。いつの間にか戻ってきていた月狼の尾が、アシタカの胴に巻きついて止められた。同時にマナフが叫んだ。
「こ、殺そうにも死なない! ス、スペアの体が、い、幾つあるのか不明です! し、従わないと手酷い拷問! それも親しい者を巻き込んで……」
突然マナフが泣き出したので、ティダがマナフから手を離した。マナフが床に丸まって、嗚咽しだした。
「あ、あと、あと少しだったのに……。あれだけ検査をして注意していたのにギニピグとは……。覇王に渡せばどうにかなると……。許してくれ……」
あまりに激しくマナフが泣きじゃくり出したので、他のグルド帝国の要人達が駆けつけてきた。
「おい、お前……。一体、何をされた……」
マナフが無言で懐から何かを出した。写真のような大きさの紙。差し出されたものを受け取ったティダが、紙を見た後顔をしかめ、マナフの背中を優しく撫でた。何か囁いているが、聞き取れない。気遣わしげで、優しい表情。珍しい態度に、演技なしのティダの素はこれかとつい関心してしまった。ティダは常にこの態度を見せるべきだ。
「残りも似たようなもんか?」
ティダが手に持つ紙をビリビリに千切って、床に投げ捨てた。マナフ以外の要人は首を横に振った。
「そ、そのような手は、う、噂でしか存じ上げません。タ、タルウィ様は研究施設にこも、こもっていて滅多に帝都に現れません。わ、私は今回初めてお会いしました」
一番若い男——それでもアシタカよりかなり年上だろう——が震え声を出した。他の要人も似たような発言。ティダが苛立った顔でザリチュを見据えた。
「わ、私は悪くない! 昔、止めようとしたら返り討ちにあった! 殺さないし、い、医療技術や科学技術の進歩に貢献するから、機嫌を損ねないように、最低限の餌を与えてたんだ。それを、巣穴から出しおって! 呼びつけるから捕縛してくれるのかと思ったら放置! 共和国などとタルウィを逆撫でして怒らせおって! あんな高精度のギニピグには誰も気がつけない!」
最低限の餌?
月狼がアシタカの体を離したので、アシタカは泣き続けているマナフに近寄った。ザリチュの言葉が引っかかるが、マナフをこのままにしておけない。
「すまない……。すまない……すまない……」
マナフはひたすら謝罪を繰り返している。背を撫でて、ハンカチで涙を拭いてやることしか出来ない。
「何をされたんです? かなり良くない男だと思って、呼びつけて包囲しようと思っていたが……力及ばず、すみません」
床に散らばっている、ティダが千切った紙はやはり写真のように見える。ペジテ大工房以外に、写真技術がある国が存在するなんて知らなかった。パストュムの存在から推測はしていたが、やはりグルド帝国の技術は諸外国と違って、ペジテ大工房寄りだろう。細かくなった写真は、赤が多い。それに霞んだ肌色。
「おい、ザリチュ! 放置どころかあれこれ研究環境を整えてたお前のせいだろう! 非道な人体実験を止めるのに捕まえようとしてたのに、まさか仮の体なんていう技術があるなんて、そんな超技術を誰が想像するか! 異次元大国ペジテ大工房にもない技術だぞ! イカれ殺人鬼なのもだが、そんなに怯えるほどの戦力や手口があるなんざ、予想出来るか!」
激怒という様子のティダが、演壇の机を握って、破壊した。毟った机の木片を、ザリチュに投げつける。あまりにも早い行動に、誰も止められなかった。ザリチュの胸に木片がぶつかり、ザリチュが呻いた。
「そ、そうですザリチュ様! 本気で始末しようとしたことなんてないと聞いています!」
「毎年、タルウィ様の研究予算を組んで人材も用意するのも、何度進言しても止めてくださらなかった!」
家臣に非難されるザリチュが、青い顔で首を横に振り続ける。
「黙れ、黙れ! そうするしかなかった! お前らは矢面に立ってないから、死んでないんだ! タルウィに逆らった者がどんな末路だったか知りたいなら語ってやるぞ! 例えば帰宅したら生皮剥がされた息子が宙吊りでお出迎え。言うことを聞かないと残っている妻と娘がどうなるか? 想像出来るか? 」
信じられない内容に当惑していると、泣いていたマナフが、アシタカに縋り付いてきた。
「ザ、ザリチュ様はペジテ大工房が勘付いたと知り、厄介払い出来ると期待していたのです。我々はタルウィ様を、いやあの化物を売りにきました。なのに……ギニピグだなんて……。グルド帝国を、た、助けて下さい……」
ティダが演壇を蹴りで更に破壊した。破壊音で会議室内が静まり返る。ザリチュの所まで跳ねたティダが、ザリチュを見下ろした。一足飛びで、よくもそこまでという距離。迫力満点のティダに、ザリチュが縮み上がった。
「わ、私は悪くな……」
「煩え。それは後回しだ。因縁因果って言ってな。協力しろ。味方しろ。情報を吐け。その結果、どうなるか分かるな? 生存本能に従え。ゼロース、タルウィの戦力情報、研究内容を分かるだけ全部仕入れろ。反抗するなら、それなりの対応をしろ。逆は丁重に扱え。一刻程したら発つ」
シュナの真後ろにいたゼロースが呼ばれる前にアシタカの後ろに立っていた。ビアーとがマナフを立たせる。もう一名、アシタカは名前を知らない騎士が他の要人達の近くにいた。騎士達に促されて歩き出す、グルド帝国の面々。ティダに腕を掴まれるザリチュは「私は悪くない!」と繰り返しているだけ。
ティダがゼロースに向かってザリチュを投げた。ザリチュを受け取ったゼロースが涼しい顔で肩にザリチュを担いで階段を上がっていく。アシタカは慌ててティダの所へ駆け寄った。
「待て、ティダ。勝手に話を進めるな。それなりの対応もするな。あの持ち方は止めさせろ。情報収集なら護衛庁に……」
会議室にアンリが部下だろう護衛人達数名と入ってきて、ゼロースと合流した。直ぐに全員、会議室からいなくなった。ティダが嫌そうに、閉じられた扉を見つめている。
「ありゃあ、俺にくっついてくるな。最悪」
ティダが小声でぼやいた。
「おいティダ、一刻したら発つとは……」
「あ"あ"? ペジテ大工房から兵を出征させるか? その瞬間、蟲の王がペジテ大工房を滅するぞ。他国の戦に関与するべからず。侵略するべからず。先制攻撃するべからず。大掟破りは滅亡だ。お前が一番良く知ってるだろう? 平和的支援以外、しゃしゃり出てくるんじゃねえ。相手が喜ぶだけだ。飛行機は貸せ。蟲の王が移動だけなら許すというから借りる」
つまり、自分がグルド帝国に出張るということか。そう口にする前に、ティダに胸倉掴まれて投げられた。月狼がアシタカを尻尾で掴んで、背中に乗せる。小蛇蟲に口を塞がれた。
「ティダ! アシタカ様に何をするのですか! それに勝手に指揮をとって——……」
叫んだシュナが、急に倒れた。体を支えたルイとカインが戸惑っている。
「アシタカとシュナは、タルウィ捕縛まで一番安全な場所に保護する。ハンネル、飛行機を手配しろ。あと、ペジテ大工房はひたすら沈黙。タルウィの野郎の蟲使いは完全じゃねえから、沈黙してりゃあ蟲の王がきちんとペジテ大工房との不可侵を民に守らせる。ペジテ戦役の時のように悪魔の炎とか出すんじゃねえぞ! あれは蟲一族のトラウマ。大陸中の蟲が激怒してペジテ大工房を襲う。古代戦争を思い出している蟲一族は、蟲の王だけじゃ御しきれん」
ティダに「早く行け」と怒鳴られたハンネルが席を立って駆け足で会議室から出て行った。慌てて他の議員数名と、護衛人が後を追って行く。ティダが腕を組んで、ルイを見据えた。
「ルイ! タルウィがどうするか不明だが、バジリスコスとココトリスはドメキア王国に対する攻撃には全力で反撃するそうだ。潰されるのはタルウィの方。蛇一族からあれこれ要求はあるが、戦力は巨大。通訳にヴァナルガンドをつけてやるから防戦しろ。全く問題ないだろう。あるのは、エルバ連合か……」
頭が痛い、というようにティダが額に手を当てた。
「鎮火目指したら火の海……。グルド帝国本土には俺が乗り込むとして、エルバ連合をどうする? ベルセルグ皇国にも手を打たねばならんし、圧倒的に駒不足」
呻いたティダが、ぶつぶつと呟く。この男はどこの国の何者だ。大陸各国の頂点に立とうとしているのはアシタカなのに、ティダの独壇場。誰も、何も口を出さない。いや、出せないのだろう。アシタカも、何から話を進めて良いのか分かっていない。立ち上がったセリムが階段を駆け下りてきた。
「スコール君、アシタカを離せ。ティダ、勝手にあれこれ決めるな。シュナさんに何をした? 通訳でドメキア王国にいろ? 僕はエルバ連合の王子。それにホル——……」
「前線に出て、死んで、東を業火で焦土にするか? アシタカとシュナ同様、殺されると悲惨な事になるからお前は囲われていろ。嫌なら、今すぐ家族を捨てろ。縁を切れ。お前なら、優劣をつけられるな?」
ティダがセリムの胸に指を突きつけた。セリムが悲しそうに眉毛を下げる。駆けつけたシッダルタがセリムに何か告げる前に、ティダがセリムとシッダルタの髪をぐしゃぐしゃと撫でた。
「話が見えないティダ皇子。よく聞こえなかったが、セリムに家族を捨てろとはどういうことだ。アシタカ様共々、弟帝タルウィやグルド帝国の何を知っていた? 話さなかった理由も教えて欲しい」
階段を降りてきていたアリババがセリムを庇うように、ティダとセリムの間に入った。ティダがアリババを殺気強い眼光で睨みつけた。アリババが少し後退りする。今度はセリムがアリババとティダの間に立った。
「むしろ知らん! ペジテ戦役のドサクサに大技師一族を誘拐しようとしたり、人体実験や蟲使いの術を開発しているという噂を耳にしたから、呼びつけて軟禁しようと思っていた。アシタカは真相究明をお前やテュールと共にするつもりだった。四面楚歌にしてグルド帝国を囲うって話をしてただろう? まずは大陸連合に加盟させ、あれこれ協定を結んで、その次の議題。人権問題ってやつだ。俺は手を引けと言ってくれたアシタカに甘えた。そのツケがこれ。最低最悪」
アリババがアシタカを見た。ティダの言葉は概ね合っているので、アシタカは頷いた。セリムが申し訳なさそうに、ティダの肩に手を伸ばした。ティダは黙ってセリムの手を受け入れた。ティダは目を背けて、床を見つめている。
「アリババ。ティダは僕を心配してくれている。一番安全そうなドメキア王国にいろってことだ。あー、ラステルと結婚したから大技師一族に入れてもらえて、僕も殺されたりすると蟲一族が怒るらしいんだ。ティダと一緒に行きたいけど、そうすると何かあった時に方々に迷惑を掛ける。それが嫌なら家族を捨てろ。ラステルと別れて、単なる崖の国の王子なら問題ない……」
「ティダはセリムにそんなことをさせたくない。それが分からないセリムじゃない。そう言うことですアリババ王子。あのタルウィって男はドメキア王国やエルバ連合に戦を仕掛ける可能性が高いのは、聞いていて分かりましたよね? 多分、ティダは以前に噂を聞いて一人で乗り込んでタルウィを調べようと考えた。で、アシタカが情報不足で危険だと止めた。代替え案を出した。強制的に大陸連合に加盟させ、しっかり調査して法的に糾弾。そんなところだろう? アシタカ」
シッダルタに対して、ティダが舌打ちした。アリババにまで懐かれたら困ると、アシタカに話していたが、その通りなのだろう。アリババがティダを気遣わしげに見るので、ティダは逃げたいというように顔を背けている。セリムのお陰なのか、アシタカは小蛇蟲と月狼に解放された。
「ちょっと視察してくると言うので止めた。任せろと大口叩いた。最低最悪は君ではなくて、この僕だティダ。仮の体とは想定外。それに、自国が滅んだら愉快。共和国や平和が最悪だから邪魔をしたい。そんな思考が存在するなんて、考えもしなかった僕が浅はかだった」
せめて、調査隊でも送って探れば良かった。ザリチュにさり気なく接触して、情報を仕入れるべきだった。世間知らずの青二才という罵倒には腹が立ったが、あながち間違いでもない。調査隊を編成して、悲惨なことになるのを恐れた。アシタカには非情さが足りない。以前、ティダにそう告げられたことを思い出した。
「俺もタルウィは覇王を目指してるのかと思い込んだ。長年、出てこないのは戦力が足りないから。そういう甘っちょろい判断をしていた。乗り込んでおくべきだったのに自己保身を選ぶという、大恥晒し。つー訳で、俺はグルド帝国に行ってくる。ザリチュは監禁、保護しておけ。あんなだが、グルド帝国の頂点だからな。ドメキア王国以外は、お前がどうにかしろアシタカ」
今のアシタカに、ティダを止める手段がない。行くと言ったら、絶対に行くだろう。人材を出そうにも、ティダの指摘通り蟲一族との関係があるので無理。頼まれた通り、タルウィがあちこちに手を出して火種を撒くならアシタカは火消し役。セリムはホルフルの王なので、ティダが言った通り、万が一の事があるとグルド帝国で蟲が暴れる。下手するとクロディア大陸中かもしれない。
タルウィがまた蟲使いをする可能性も高い。蟲の強制使役を止めるにはラステルとセリムが揃ってないと危うい。支えるシッダルタも必要だ。タルウィはラステルを狙っている。今日、セリムの事を見抜いたかもしれない。そういう事が分かっているからセリムとシッダルタも黙っているに違いない。
アリババが歩き出そうとしたティダに手を伸ばして、腕を払われた。
「んだよ、アリババ。気安く触るんじゃねえ」
「何故貴方が行く?」
「俺はこの世の全てを掌に乗せる。よってこの機会を利用して、グルド帝国に恩を売る。とりあえず調査だ。タルウィを見つけたら嬲り殺したいところだが、厄介そうな兵器を持ってる。数次第では一人でも問題ないが、そんな気がしねえ。よってグルド帝国の軍でも掌握して使う。何の思い入れもねえからな。とりあえずは視察と調査だ」
さも当然というティダの態度に、アリババが瞬きを繰り返した。ティダがアリババを無視して、また歩き出す。無茶苦茶な事を言っているが、ドメキア王国第四軍を一日で掌握した過去がある。それに、アシタカは見ていないが、大蛇蟲を投げ飛ばしたという怪力。不敗神話を築く大狼兵士という噂。心配だが、何かしてくれると期待もしてしまう。一瞬、ティダがアシタカを見たので小さく頷いた。
——頼んだ
頼まれたし、頼んだ。多分、伝っただろう。さて、アンリをどうするべきか。ペジテ人の枠からは外れているらしいが、ティダはどうしたいのか? 絶対に連れて行きたくないだろう。しかし、このままではアンリは必ずついていく。
「ティダ。覇王に並ぶ龍王。美酒を用意しておく。そうだな、半年以内には帰ってこいよ。あまり姿が見えないと、民が騒ぎ出して面倒だ。私の手に負えなくて、岩窟が土砂崩れかもしれん。それにお前を骨抜きにした娘さんを着飾って、盛大にお披露目せねばならん。現れないなら勝手に決めて準備。半年しても現れなければ、少し気長に待ってみて、龍王祭にて婿不在の式典。お前の前妻の墓参りにも共に行っておく」
割とのんびりとしたテュールの声に、ティダが振り返った。
「おい、テュール。アンリは連れて行く。というか、くっついてくる。仕方ないので俺の真後ろに配置する。よって、その手は食わねえ。俺の前妻? 俺の妻は後にも先にもアンリのみだ 。アシタカ、お前のやり口を教えやがったな。この劇薬め。恥の上塗りなどせん! 俺は帝狼フェンリス也! 何人たりとも俺の矜持を曲げることは許さん! 全員背後にいろ!」
バサリと外套を翻し、髪を掻きあげながら、ティダが会議室の扉を破壊して出て行った。歴史長い建造物や調度品をあちこち壊すな、と文句を言いたい。二度とそんな嫌味を言えない気がした。顔を合わせるのは最後、そんな予感がする。
「教わってなどない。誰でも分かる。と、聞いていないな。人には文句を言っておいて、自分は妻を戦場に連れて行くとは理解不能。妻は一人と言われ、何度も死地に向かい、ソアレも報われんなあ」
憎々しいというテュールにこそ、アシタカは苛立った。誤解されて、折角詰めたティダとの距離が遠くなった。もし、再会出来た時に敵対心抱かれていたら最悪。しかし、思い至る。テュールとティダの今生の別れはこれで二度目。ペジテ戦役の時も、テュールは見送る側だった。こんな気持ちだったのか。いや、アシタカ以上に複雑だろう。
「止め損ねたようだなテュール。折角、信頼を得てきたところだというのに、僕の株を下げるとは腹立たしい」
「あれは止まらん。自己信念にしか従わん。むしろ、よくもまあ留めていたな。劇薬か、言い得て妙。私もその渾名を使おう」
「君は自分の立場が分かっているのか? ああ、理解しているか。僕は君のような者に逆らえない。体が一つしかないので、ハイエナを大狼の岩窟にしには行けない。これで一人でやるしかなくなったなテュール。任されたのだから励め」
嫌だと言うような表情で、テュールが肯定を示すような会釈をした。その時、見覚えがある外套が視界に入った。黒に銀色の細い十字をあしらった外套。
「アスベル先生!」
セリムが叫んだので、体を動かす。アシタカも会議室を出て行こうとするアスベルの名を呼んだ。
「弟子がそんな顔をしているからな。この死神剣士が隣に立つ。これでドメキア王国、ベルセルグ皇国、ペジテ大工房、エルバ連合と共和国の調査隊と呼ぶ事も出来る。何をするかサッパリ分からない男だが、ペジテ戦役での事は聞いているし、本人のことも少しは知っている。あれこれ上手くやってくれアシタカ、アリババ王子、テュール皇子。崖の国とセリムを頼む」
右手を軽く挙げると、アスベルが去っていった。ティダが曲がった右方向の廊下へと姿が消える。
また見送る側。ドメキア王国に向かって出発する船上の時の気持ちを思い出す。立場を全部捨てて、セリムの隣に並びたかった。今はアスベルの位置に行きたい。ティダが皇帝になどならないという理由は、これかもしれない。
「セリム、僕は行かない。行けない。役に立たない。しがらみも多い。そして君も同じ。嫌だ嫌だとゴネても、選ばないとならない。任せる代わりに、任された。僕はそう判断して突き進む。必ず交わる。信じることは難しいが、奇想天外出鱈目人間なので死なないだろうと信じる。むしろ、僕達が死ぬとティダは酷い有様になりそうだから励むぞ」
無理矢理笑顔を作った。それから、ゆっくりと大きく呼吸をした。ティダは兵隊を選び、アシタカは指揮官を選んだ。王になりたくないティダと、王を望んだアシタカ。違いは何だ? 個人的な戦闘力か? ティダと同じ能力があればアシタカも飛び出している。といいたいが、どうだろうか。ティダがどこまで先を見据えたり想定しているのか分からない。
混乱に混沌。これに、孤高ロトワや大蜘蛛一族との外交問題が加わってくる。それにホルフル蟲森に暮らす民。ペジテ大工房の地下の蟲の国。それで全部なのかも不明。
皆で平和に暮らそう。全員、幸せになろう。たったそれだけのことなのに、こんなにも難しい。なんて世界だ。
議長席に戻り、アシタカは胸を張った。止まっている時間は無い。
「会談中断、失礼しました。今の件は一旦後回しにします。一時間、猶予があります。現在、確認されている国は大陸連合に加盟同意を得ているので設立決定。領土問題はある程度目処がついているようなので、これより微調整。決定次第、不可侵宣誓書を作成。その間、事前配布している私とアリババ王子が考案した大陸連合及び国際法の草案について議論。あくまで草案なので、追加、訂正、削除が必要です。ペジテ戦役の賠償問題はある程度話がついているので、議題から外します。事前通達通りです」
結局不在だが、グルド帝国以外は根回し済み。ザリチュが叫んだように、グルド帝国包囲は茶番劇。ベルセルグ皇国はテュールとティダに一任していたが概ね予想通り。ただ、シエルバ退席には驚いた。
ここからが本当の各国首脳会談。
「そうですねアシタカ様、私達はまず結束するのかどうか議論するべきです。まあ、その件もグルド帝国を包囲する話も、ここにいる皆さんは全員知っていますけれどね」
呼ぶ前に、アリババがアシタカの隣に並んだ。テュールが自席へと戻っていく。
「領土問題の前に、飾っても仕方ないので率直に話します。いきなり、訳が分からない。グルド帝国タルウィ氏が自殺したかと思ったら、ギニピグという謎の技術で本国に帰国したという。ザリチュ帝王によれば彼の目的は、共和国の邪魔。私の妻シュナ・エリニース。手段は、諸外国への侵略でしょう」
アシタカは、深く頭を下げた。誰も力添えしてくれないなら独裁。何でもしてやる。
「彼の研究内容、軍事力を把握次第、どう協力し合うか話し合いをしたいです。ペジテ大工房が支援として、どこまで軍事関係を外界に出して良いのか蟲一族や蛇一族と交渉します。その前に、人種も国も取っ払って、人間という一種族としての意見をまとめないとなりません。協力して下さい」
真っ先にアシタカの前に立ち、声を掛けてくれたのはセリムだった。
***
翌日、古代戦争以来の大規模な戦争が幕を開けた。
場所はボブル国領土内、ネキ湖及び湿原。後のグルド——連合軍戦役。
第二次クロディア大陸戦争、もしくは第二次古代戦争として歴史に刻まれる。




