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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
八章 破滅と再生の激動大嵐

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聖と血の結婚式典【破】2 Reverse

【???】


 目が覚めたラステルは、周囲を見渡した。洞窟にいる。光苔の淡い灯りに、水の匂いがするのに湿気が少ないので、故郷を思い出した。しかし、タリア川ほとりの村ではない。


 地震が来て、偽りの庭大技師一族の本邸から外に出て、倒れた。頭が痛い。


「起きたか姫」


 アシタカの声で、ラステルは振り向いた。岩にもたれかかって、腕を組んでいるアシタカがラステルを冷めた瞳で見下ろしていた。出会った頃のような、拒絶が強い視線に、ゾワリと小さな鳥肌が立った。


——姫。


「貴方、アシタカさんではないわね。蟲の王(レークス)?」


 立ち上がり、妖しげに微笑んだアシタカもどきを睨んだ。セリムに続いて次はアシタカ。体を乗っ取るなんて良くない。


「良くない? 姫、君も同じ事をしたではないか」


 指摘されたが、何のことだから分からない。ラステルは首を横に振った。そうしてから、心の中を読まれた事に気がついた。


「我等が繋がっているからだ。特に今は、セリムを庇うためなのか、大蜂蟲(アピス)の子達の意思疎通の中央に姫がいるので丸見え。輪外れして、大蜂蟲(アピス)は何を考えているのやら。急いでるので、姫のことはそこのシッダルタに任せる」


 蟲の王(レークス)に乗っ取られているらしいアシタカが、ラステルの背後の方を掌で示した。確認しようと顔を動かすと、突風が吹いた。思わず腕で顔を庇い、足を踏ん張る。


「セリムが掘り起こしたので、我もあれこれ知った。途絶していた道を切り開く。協王テルムを継ぐ、協王アシタカの生誕。我は長年共に生きてきたヌーフが良いが仕方ない。姫が好きな蛇の女王はしばし我等と芝居をする。安心しなさい」


 風がおさまり、目を開けるとアシタカの姿は消えていた。示された方へ行くと、シッダルタが仰向けで寝ていた。怪我は無さそう。ラステルはシッダルタの体を揺らした。


「ん……んん……」


「シッダルタ起きて。大変よ、レークスがアシタカお兄様を乗っ取ったのよ!」


 目を開いたシッダルタに、ラステルは早口でまくし立てた。


「落ち着けラステル。まず、ここは何処だ?」


 シッダルタはラステルの頭をポンポンと叩くと、立ち上がった。


「分からないの。私、それを聞いておけば良かったわ」


 微笑んだシッダルタが首を横に振り、グルリと洞窟を観察した。


「セリムから聞いたんだが、偽りの庭の地下には遺跡だけではなく蟲の巣があるそうだ。地下遺跡というより、そっちに近いように見える」


 ドメキア王国に続いて、シッダルタとも二人なのは二度目。なんて頼もしいのだろう。


「ん? どうした?」


「シッダルタがいるから怖くないと思って。セリムが探しに来てくれるだろうから、待ってる? あら、アピ君」


 シッダルタの背中側の岩陰からふよふよと飛んできたアピを、ラステルは両腕を広げて待った。三つ目は青い。なので、特に危ないことはなさそう。アピはラステルではなく、シッダルタの頭に止まった。


「小蟲君、道案内は出来るか?」


 シッダルタが上目遣いで問いかけた。アピは鳴きもせず、ジッとしているだけ。


「アピ君、セリムと遊ばない? 私達、迷子なの。一緒に探して遊んでもらいましょう?」


 やはり、アピは無反応。


「遊べシッダルタ、それしか言わない」


 シッダルタの発言に、ラステルは大きく目を丸めた。


「シッダルタ、アピ君と話せるの⁈」


「今朝、いきなり話しかけられた。遊べとだけだ。こちらの言葉は通じてないようだし、セリムとは違うらしい」


 シッダルタが大きくため息を吐いて、腕を組んだ。考え事なのか、視線を遠くに向けている。しばらくして、不意にシッダルタが笑った。


「羨ましいって顔に描いてある。ラステルは本当に蟲が好きなんだな」


 変な女でも、不気味でもなく、微笑ましそうな顔をしてくれたシッダルタにラステルは思わず飛びついてお礼を言いたかった。しかし、突然に弱いシッダルタは怯えるし、はしたないので我慢した。


「ペジテ大工房に来るまでは私はもっと蟲だったのよ。気持ちが繋がっていたの。なのに、今は全然。だから、寂しい……」


 蟲はラステルの友達だった。村でいまいち居場所が無くて、いつも蟲森を散策しては蟲と戯れていた。話せなくても、話しかければ心に何となく答えが返ってくる。抱きしめれば、撫でてくれる。


「気心知れていたのに、急に離れ離れは辛いよな……。ラステル、遊べとは、何をしてやるべきなんだ? セリムが何をして遊んでいたか知っているかい?」


 突然、シッダルタの頭の上でアピがギギギギギと鳴き出した。それから、シッダルタから離れた。アピの三つ目は真っ赤。


「何だ?」


「どうしたのかしら、おいでアピ君」


 プイッというようにアピが頭部を背けて、飛びはじめた。ラステルとシッダルタは顔を見合わせてから、アピを追うことにした。急に怒り出したのは、何故なのだろう?


 裾の長いワンピースで洞窟を進むのは結構大変。ラステルは途中でワンピースの裾を縛った。岩を上り下りする時、毎回シッダルタが手を貸してくれる。それに加えて、体力には自信がある方だが、それでも段々と疲れてきた。


 進んでも、進んでも暗褐色と灰色の岩。蟲は一匹もいない。アピも見失った。自然と無言になる。


「何だあれ……」


 岩が終わり、鉛色の壁が現れた。表面が凸凹していて、壁の色は不均一。


「これ、蟲の殻よ。多分そう。村の出入り口で使っているのと良く似ている」


 シッダルタがしげしげと壁を眺め、横歩きで移動していく。ラステルも続いた。シッダルタが触りながら壁を調べるので、真似をしてみる。やはり、蟲の殻にそっくりな感触。


 ラステルの体が、ガクンと下がった。


「ラステル⁈」


 触った壁が凹み体が傾いたのを、シッダルタが助けてくれた。


「ありがとう、シッダル……」


 ラステルの腕を掴んで、転ばないように引っ張ってくれたシッダルタを見上げると、怯えたように青ざめていた。目線はラステルの向こう。


 ラステルは足をしっかりと地面につけ、自分の力で立ち上がった。


「見るなラステル。そのまま振り向かないで離れろ……」


 シッダルタの震え声で、ラステルの胸の奥がザワザワとした。見るなと言われたが、ラステルはつい振り返ってしまった。


 飛び込んできた光景に、ラステルは腰を抜かした。吐きそうになり、口元を抑える。


 光苔が生えていて、薄暗いが大きな部屋の中はよく見えた。部屋に並ぶ大きな柱。中に水なのか、液体が入っていて、その中に蟲が浮いている。色々な種族がいるが、誰もがバラバラにされていた。蟲だけではない。人もいた。ラステルはよろめきながら、一番近い柱に近寄った。多分、蛞蝓蟲(リーマークス)だ。


「出してあげて、使ってあげるべきよ。ね、シッダルタ! こんなの酷いわ!」


 愕然としたようなシッダルタに、ラステルは慌てて口を閉じた。間違えた。以前、セリムもシッダルタのように驚いていた。


「あー、ごめんなさいシッダルタ。普通は埋葬するのよね……」


「そう……。いや、ラステル。使う? 使ってあげるべき? その考えが蟲の考えなのか」


 ラステルは胸を撫で下ろした。シッダルタはセリムと同じで、ラステルを頭ごなしに否定したりしない。


「向こうに階段がある。どうするラステル? 何の気配もしないから大丈夫だとは思うが……」


 シッダルタの顔に「行ってみよう」と描いてある。ラステルは小さく頷いた。シッダルタが後ろに続けというように、ラステルを誘導した。


 登り階段を、ラステルとシッダルタは一段一段踏みしめて上がった。曲がりくねっているが、一本道。疲れてきた頃に、鉛色の扉が現れた。ペジテ大工房の国旗の印——アンリがペジテクロスと呼んでいた——が彫られている。文字が刻まれているが、崩れていて読めない。


 シッダルタがそっと扉に触れた。扉は簡単に開いた。また悍ましい物があるかと思って身構えたが、広くて、何もない部屋だった。


 妙な部屋。


 床は階段と同じ灰色の石のようなもの。天井は鉛色の壁は蟲の殻らしきもので、光苔が生えている。沢山生えているので今までより明るいようだ。壁は四方ガラスのような透明なもの。ガラスの向こうは床と同じなのか、灰色だ。

 

「何だろうなここ……。アシタカ?」


 透明な壁にアシタカの姿が映った。沢山の長椅子が並んだ大きな広間。アシタカの背後には大きな正円十字(ペジテクロス)とステンドグラスが飾られている。向かい合う男女が握手をしている絵のステンドグラスは、息を呑むほど美しい。室内の柱や装飾は豪奢で、彫刻も細やか。何処だか分からないが、特別な場所だというのは伝わってくる。


〈汝、悔い改めよ。さすれば猶予を与えん〉


 凛としたアシタカの声が木霊した。アシタカからは聞いたことがない声色。


「アシタカさんというより、蟲の王(レークス)じゃないかしら? アシタカさん、あんな顔や声色をしないもの。どうして、アシタカさんが見えるのかしら。誰に話しかけているかしらね」


 ラステルの疑問は、シッダルタも同様のようでシッダルタが唸った。


「ペジテ大工房の設備は、外界とは違い過ぎて分からないな。ましてやここは古代の超技術が関係している部屋かもしれないし……。アシタカ!」


 アシタカがぐるりと武装した者達に囲まれて、銃口を向けられている。アシタカは不敵な笑みを浮かべ、次に高笑いし出した。


 銃声が轟いたが、アシタカの足元から大蛇蟲(アングイス)が現れて盾になった。


〈かつては我等の体を貫いたが、これは威力が無いな。先に手を出したのは貴様等である。牙には牙、と言いたいが今回は特例。では、審判の時である〉


 アシタカの体がグラグラと揺れた。倒れそうになったアシタカを支える者が現れた。服装が護衛人と、知らないもっと重装備の兵士らしき者達。何かアシタカに告げているが、アシタカの声以外聞こえない仕組みらしい。


〈何だ……。頭が痛い。割れそう……。おい、止めろ! 撃つな! 生け捕りにしろ! 過激デモを挑発するから攻撃的になったのだろう! 殺すな!〉


 立ち上がったアシタカの怒声が轟く。


 また武装した者達が発砲した。ラステルが知らないような大きな銃は、一度だけではなく何度も弾を出せるらしい。


 煙が出て、視界が悪くなった。血が飛び散るのは見えた。血だけではなく人を殴るような音に、ラステルは思わず目を瞑るだけではなく耳を塞いだ。


「凄いな。あっという間に制圧。特殊急襲部隊って名前だけある……。それに蛇一族のお陰か……」


 関心したようなシッダルタの声に、ラステルはそろそろと目を開いた。怪我をしている者はいるが、人は誰も死んでいなさそう。武装した人達が、護衛人達に銀色のかなり太い糸で縛られていく。自然と安堵の溜息が出た。


 しかし、安心したのもつかの間。爆発音がした。


「アシタカ!」


「アシタカさん!」


 爆発は大きくなかった。縛られた武装集団も護衛人も怒声が聞こえてきそうな険しい、相手が憎々しいというような顔なのに、声は聞こえてこない。アシタカが焼け焦げた死体の手を握っていた。


〈何故耳を塞いで死にに行く……。君達の主は金儲けの嘘つきだと公表されただろう……。僕のせいだ……。何か他にもっと良い案があったのだろう……〉


 護衛人がアシタカの肩を叩いて、首を振った。それからアシタカを羽交い締めにした。


〈離せ! 行くならそいつらも全員連れて行け! 見捨てるなんて許すか! 即殺案件⁈ 調べが足りない筈だ! 護衛庁は何をしている!〉


 暴れるアシタカが護衛人の腕から逃れた。大蛇蟲(アングイス)がアシタカの体に巻きつき、小蛇蟲(セルペンス)達が捕縛された者達に噛み付いて引きずり始める。階段の方へ向かっていく。


〈上? 逃げるなら出入り口は反対……〉


 轟音がして、炎が燃え盛る。


〈油の匂い。ありがとうアングイス、セルペンス。このままでは焼け死ぬ! 行くぞ! ヘリか何かで救助が来るだろう!〉


 先頭を進んでいくアシタカ。その後ろに大蛇蟲(アングイス)小蛇蟲(セルペンス)が続き、捕縛者を引きずっていく。後方から銃を突きつけて追いかける護衛人。


 そこで、映像が消えた。今度は薄暗い部屋が映された。傷だらけのアシタカの姿に、ラステルは悲鳴をあげた。シッダルタがラステルの体に腕を回して、撫でてくれた。しかし、シッダルタの体も震えている。アシタカは誰かに髪を掴まれている。鞭で打たれたような赤黒い痕が無数にあって、酷く憔悴した顔だ。


「アシタカに似ているが違うな……」


 シッダルタの呟きで、ラステルも気がついた。顔が違う。似ているが、別人だ。


〈我等が思い出したのと同じように、ペジテ人や外界人も歴史を掘り起こす。例えば、誰よりも平和を訴え、種族を超えて絆を結んだのに、最後は燃やされた男について〉


 いつか聞いた、蟲の王(レークス)の声が聞こえた。


——守っても守っても殺される。どんどん暮らせる場所が無くなっていく。


——共に生きようとしてくれてる蟲の家族ばかり滅ぼされてしまう。逃げて欲しいのに逃げない


——憎い。


——憎い。


——なんて憎い。


——熱い


——苦しい


——痛い


——破壊神! 悪魔! 神が鉄鎚(てっつい)を下す! 化物(オーガ)を滅ぼす!


——私の愛する人を奪おうとする憎い相手。滅べ。滅べ。滅べ。


——絶対に許さない!


 込み上げてくる憎悪をラステルはブンブンと首を横に振って、振り払おうとした。セリムの言葉を思い出す。


——光の粒みたいに人と生きた楽しかった思い出。嬉しかったこと。幸福だった時間


——残っている


〈姫よ、その小さな希望など消し飛ぶ程の憎悪が蘇った。我等一族はそれで分裂。アラーネアが爆発寸前。孤高ロトワは不明瞭。呼び起こされた真実は人同士を争わせるだろう。先程のようにな。かつて我等が兵器や材料だと知った人間が、何をするのかも想像に容易い。各地で火があがるだろうな。まあ、古代だけではなかったので、また激動が現れただけだ。セリム共々気をつけ、協王アシタカを矢面に立たせろ〉


 我に返ったラステルは、毒針をシッダルタに向けて壁に背中をピタリとくっつけていた。シッダルタは両手を上げて、ジッとラステルを見つめている。


 ラステルは被りを振った。


「目が真っ赤だったラステル。セリムと話していたんだが、その瞳の時のラステルは憎悪の渦に対抗しているんだろう。安心しろ。俺に飛びかかってきたりしなかった」


 大丈夫だと言うように、シッダルタが力強く頷いた。一気に涙が溢れてきた。


「分からないわシッダルタ! 皆、殺したい程憎んでる! 大嫌い! 絶対に許さないって思ってる! うんと沢山思い出したのよ! こんな酷い気持ち、忘れていたかった! だから私が変になるのは、単に怒って憎んでいる時よ。でも、セリムとシッダルタを信じるわ。だって、蟲達はこんな酷い気持ちを思い出しても耐えてるもの!」


 ラステルは叫んでから急にソレイユの言葉を思い出した。


——ゴミの匂いがして耐えられないとは言わなかった。本能で嫌い。最悪最低な相性。一刻も早く離れたい。二度と近寄って欲しくない。


「人と蟲は仲良くなんてなれない! 大狼や蛇一族は分からないけど、アラネラも無理よ! セリムは全部分かってる! それでも前に進もうとしてる。私、分かってなかった。こんな巨大な溝……セリムが欲しい世界は死ぬまで辿り着けない……。でも……セリムは人として蟲に受け入れられたわ。だから、きっと無理なんかじゃない! 私はセリムを信じてついていく」


 ラステルは泣きながら首を縦に振った。でも、だから、だから……。泣きながら膝をついて、祈るように両手を握りしめた。


「私は蟲側だからセリムに寄り添えない。だから蟲達はシッダルタを祝福したんだわ。こんな嫌な気持ちが続くのは辛いから、救って欲しいもの。シッダルタ、セリムの隣にずっといてあげて……。ううん、いて下さい」


 憎くて絶滅させたい気持ちの中に、救いを求める思いもある。蟲一族が分裂したというのはそのせいだ。


 予想外なことに、シッダルタは苦笑いして頭を掻いた。


「そのつもりだから、改めてそんな必至に頼まれても困るラステル。君が言うようにセリムは自分の立場や理想の困難さを良く理解している。成せたら誰よりも誇り高い男になれる。ラステルに相応しい人間。そう言ってた。ラステルが素晴らしい世界と目標を与えてくれて、支えてくれる。俺はセリムとラステルが羨ましいよ」


 シッダルタの言葉に、ラステルは虚を突かれた。シッダルタが腕を組んで唸った。


「アシタカやティダはセリムが破壊した世界の混沌を全部背負っていくという。俺も並びたい。今のところ何にも出来てないが、セリム不在時にラステルの助けになれると認められたようだから良しとする」


 シッダルタが考えるように、足元を見つめだした。ラステルは手に持っていた毒針を腕の器具に戻して立った。


「で、ここに連れて来られたのは蟲一族に古代の記憶や強い憎しみが呼び起こされていることを俺達に示す為か? セリムはそこまでとは知らないのだろう。教えようにも、またドメキア王国の時のように蟲の憎悪に引きずられるかもしれないしな……」


 何かシッダルタの考えの手伝いをしたくて、ラステルは言葉を探した。


「レークスがあちこちで争いが起こるだろうから、セリム共々気をつけろ。協王アシタカさんを矢面に立たせろって」


「協王? ソレイユさんが自分は協王候補って言っていたな。彼女に聞けば何か分かるのか? さようならって何処に行ったんだ? アシタカとティダ、セリムに相談だな。セリムは気後れしているが、アシタカとティダを巻き込まないと、何も変えられないだろう。これからの人の世の先頭に立つのは絶対にアシタカとティダだ」


 急に、部屋がパアッと明るくなった。壁一面に七色の光が輝く。


 虹だ。


 そこに十字のような壊れた建造物。


「アシタカ……」


「アシタカさん……」


 蟲の階段を降りてくるアシタカに、ラステルは息を飲んだ。二匹の大蛇蟲(アングイス)がアシタカを支えている。


 虹と十字の建造物が作るのは、まさに正円十字(ペジテクロス)


 こんなにも神々しい人を始めて見た。


「二千年続く聖なる血を受け継ぐ者。こんな人と気さくに話してたなんて……」


 シッダルタが腰を抜かして座り込んだ。ラステルにはイマイチピンとこない。昨日、アシタカの妙なところを目の当たりにしたからかもしれない。三つ子の妹にポコポコ殴られて、文句を言われていた。シュナに夢中で支離滅裂にもなる。


〈アシタカ・サングリアル。ペジテ大工房の罪と罰をその身に宿して、名も人生も捨てた我が祖先。同じ名を(かん)するこの僕が呼び覚ます、か……。早速これ。策略なら先に言えよ。僕なんかに出来るのか? シュナも幸せにしないとならない。恐ろしい理想に乗って、前に立ってしまったな……〉


 アシタカは穏やかに微笑んでいるが、溢したのは怯えた震え声だった。


「策略? レークス達とティダか。セリムも知っているのか? ドメキア王国でのシュナさんの時に似てる。暴動からのこの神聖さがある光景。何で俺とラステルを追い出したのだろう?」


「私はきっと顔に出るし、すぐ喋るからよ。私、口は堅いのに! あんな危険な真似、シュナは許さないからシュナも知らないわよ、きっと。ティダ師匠に爆発苔をお見舞いしないとならないわシッダルタ!」


——姫が好きな蛇の女王はしばし我等と芝居をする


 そう言われたのを思い出す。この件にはシュナも噛んでいる。


〈反対していたが、押し切った。アシタカ・サングリアルは立場を忘れてすぐ飛び出すので、身の危険を味あわせておいた方が良い。ヌーフがそう言うのでな。勇敢なる蛇一族が護衛を買って出た。姫よ、そなたの真の友の祝いは我等と蛇一族が取り仕切る。人なんかにやらせるかと蛇一族が煩い。巣で踊っていた舞を披露して欲しい〉


 蟲の王(レークス)の声はシッダルタには聞こえていないらしい。シッダルタはブツブツと自分がこの計画から追い出された理由の推測を口にしている。


 シッダルタが険しい顔になって、背中にラステルを隠すように前に出た。出入り口を睨んでいる。


「ほっほっほ。安心なさい。他には誰もいない」


 姿を現したヌーフに、シッダルタとラステルはホッとした。ヌーフの腕の中でアピが寝ている。ヌーフの皺の多い手がアピの産毛を撫でていた。


「ヌーフ様……」


「息子は中々偉大だろう? しかし自信が無いし、すーぐ間違えそうになる。新婚早々、シュナちゃんにも心配ばかりかけているようだしな」


 ヌーフが困ったというように、微笑んだ。


「どうして俺達をここに?」


「セリム君だと、爆発しそうだからだ。彼はラステルちゃんとアピス達に、憎悪の渦から守られているが……かなり特殊らしいのでな。レークスが困り果てておる。上に戻ると、あれこれ情報を与えられるだろうが、アシタカを宜しく頼む。やる気に満ちてるから、背中を押すが、ちっぽけな人間一人じゃ荷が重いだろう」


 おいで、と手招きされて、ラステルとシッダルタはヌーフに向かって歩こうとした。


「え?」


「あれ?」


 酷いめまいがして、立っていられなくなった。シッダルタも同じようで、グラグラしている。


「ちいっと寝ていてもらう。外に帰ったら、ここで見聞きしたことをセリム君とアシタカと共有するように。大狼君にはバジリスコスが話している。聖人誕生は破壊と混沌の再来でもある。皆で必死にに生きていこう」


 段々と遠のくヌーフの声。


 ラステルは気を失った。



***



 眼が覚めると、偽りの庭の草むらで横たわったいた。シッダルタも隣にいる。遅れて目を覚ましたシッダルタが、先に立ち上がって、ラステルの手を引っ張って体を起こさせてくれた。


 今まで、ハサミで切られたようにプツリと途絶えていた蟲達の意識を感じる。フツフツと湧いてくる怒りと憎しみ。


——謝らないと許さない。謝っても許さない。絶対に許さない。必ず復讐する。絶滅しろ。


 ラステルは懸命にセリムの事を、セリムの言葉を、セリムの理想を思い浮かべた。憎しみで殺すより、許して刺されろ。


 不意に、兄弟達の記憶が雪崩れ込んできた。これは、ドメキア王国でのことだ。分かる。ラステルには分かる。


〈怖いよー〉


 兄弟が怯えている。


〈怖いよー〉


 兄弟が怯えている


〈嫌なのに僕らはおこりんぼになっちゃう。姫も嫌なのにおこりんぼに変わる。嫌だよセリム。可哀想だよセリム。助けてセリム〉


 兄弟が嫌がっている


——僕らはおこりんぼになっちゃう


 嫌がっている


——嫌だよ


 嫌がっている


——飲み込むのならば、逆に飲み込むしかない


——家族に手を出す事を許さない


——強要を許さない


——共に生きよう


——本能と軋轢(あつれき)を破壊する。その為の蟲の民テルム。蟲と共に生きる蟲を愛する人。


——我こそが王だ!


 ノアグレス平野で、ラステルは女王になり損ねた。末蟲には務まらない。そう、蟲達にそっぽを向かれた。


 しかし、セリムはドメキア王国にて戴冠した。


 セリムは蟲の王。私達、ホルフルの家族と大蜂蟲(アピス)の王。


 理屈ではなく、本能で理解した。ストンと穴に何かが嵌るような分かり方。


——賠償(ばいしょう)を提示せよ。このセリムが裁く!


 ラステルはシッダルタにしがみついた。


 アシタカとティダの二人とセリムはいずれ対立する。セリムは人ではなく、蟲を選んだ。完全に蟲側についた。


——セリムはこの通り、人の王の中でも特別中の特別で何もかもの破壊神。学び変わらねばお前が背中を刺すぞ。人はすぐ恩を仇で返す。絶対にお前は裏切る


 ラステルは震えながらシッダルタから離れた。違うと否定したいのに、肯定してしまう。


 蟲の王(レークス)の言う通りだ。あらゆる記憶、希望、憎悪を蘇らせたセリム。


 この大陸で、人よりも蟲を選ぶのはセリムしかいない。セリムに蟲を選ばせた者こそラステル。蟲達に愛される大蜂蟲(アピス)の末蟲。雌雄同体ではない、可愛いお姫様……。


 蟲姫。


「僕はセリム。セリム・レストニア。君は?」


「私はラステル。本当はずっと貴方と話がしてみたかったの」


——僕はテルム。この近くの海辺の村の漁師だ。


——私? アピスよ。多分もうすぐ名前が付くの。父がうんと悩んでいるからとても素敵な名前が付くわ。名前が二つになるのよ!


 テルムは燃やされた。化物を操る人間。化物を愛するイカれた男。殺さないと、殺される。滅ぼされる。人を殺戮する。テルムを信じる者達と、あらゆる生物と共に虐殺された。アモレに出会って、恋に落ち、手を取り合って苦難に立ち向かって、炭になった。


 セリムはテルムの人生を進んでいる。


 古代から学ばねば、セリムとラステルは破滅する。今いる味方も、去るだろう。テルムは信じる友に裏切られ、投獄された。裏切りには反目。人と他生物は対立して袂を分かった。何度も何度も繰り返されてきて、また巡ってきた。


 突然、理解した事実にラステルは崩れるように草むらに膝をつき、慟哭(どうこく)した。

 

 誰よりも幸せにしたい人を、ラステルは地獄へと導いた。


 大泣きしていると、シッダルタが話を聞いてくれた。


「セリムはラステルを誇りだと言っていた。歴史から学べば、俺達は先に進む。アシタカは人の道を外れない。ティダは絶対にセリムを裏切らない。そんなことになったら、自決する奴だ。力を合わせて、俺達は明るい未来を掴もう」


 シッダルタの希望に満ちた笑顔。


 この人だ、この人を守り続けて幸せにすれば、必ずセリムを支えてくれる。シッダルタは裏切ったりしない。


 ラステルはシッダルタと強く握手をした。


——テルムが裏切れば、殺されれば審判の時


 頭の中に響いた小さな声をラステルは無視した。蟲の本能の中の人嫌いと憎悪、復讐心には負けない。


 憎悪と諦めを許すな。それがセリムとラステル、シッダルタの合言葉だ。

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