ハイエナを睨んだ大狼
【ペジテ大工房 第一砦 インカースレート】
結婚式典まであと一日。夜明け前、四時。ペジテ大工房内の地下通路を経由させてもらい、ティダは第一砦へとやってきた。以前は通れなかったというアシタカは、地下通路の半使用許可を得たらしい。誰から、何から、聞かなくても分かる。死んだと偽り、隠居し、偽りの庭からさえ姿を消したヌーフだろう。アシタカ曰く、ひょっこり顔を出す、らしい。尊敬に値するが、かなり食えない狸ジジイ。
ペジテ大工房の最外層の砦の別名はインカースレート。確か、監禁するだか、投獄という意味だ。そう古い書物で読んだことがある。
「投獄する、ね。色々知った今なら皮肉がこもった名だな。憎きペジテ人を閉じ込めた、そういう風にも感じる」
「ベルセルグ皇国ではそういう意味の言葉なの?」
アンリが悲しそうな表情で、ティダを見上げた。
「第二砦のカルケルは牢獄。巨大要塞に手を出せば、牢獄に投獄される。龍の民は近寄るなかれ。古い書物で読んだことがある」
ティダは複雑そうな顔付きのアシタカとアンリに背を向けた。
「古い言葉だ。新しい意味を好き勝手つけろ至宝。古代アシタカのように蘇らせても良いがな。時が流れれば真実など霧散する。さて行くか。俺に護衛なんて要らないアンリ。よってここでアシタカと話を聞いていろ」
ティダはアシタカに隠し扉を開いてもらい、廊下へと出た。まずはひと勝負。ノコノコ罠にかかったレオンを、更に釣り上げる。
廊下は静まり返っていた。電灯という明かりが薄く廊下を照らしている。左手の指輪を抜くか迷い、止めた。武装したアンリは手袋をしているので、アンリと自分の関連が見つかることはないだろう。レオンはそこまで目敏い男でもない。
教えてもらっている部屋は、廊下を曲がって目と鼻の先。扉の前にベルセルグ皇国兵二名が立っている。少し向こうには黒大狼がいた。蜘蛛による伝心阻害がされているのか読めないので、話しかけはしなかった。表情や目の光で何となく気持ちは分かる。「面倒を押し付けやがって。しかし、フェンリスに頼まれるのは誉れ」 黒大狼ならきっとそう言ってくれるだろう。
「ティ、ティ、ティダ様!」
顔に覚えがない、ベルセルグ皇国兵が声を出した。これしきで動揺など、敵国に連れてくる精鋭には不適。もう一人も凍りついたような表情。レオンは十年間、黒大狼を護衛だと信じていたから手薄なのは当然か。実際の黒狼は監視役。己の器の小ささも読めぬ阿呆叔父めと、ティダは胸の中で毒づいた。
「私がきたことと、抜け出すのに手間取ったと、伝えろ」
少し睨んだだけで、益々青くなった二人の兵士。
「時は金なりと言ってな。即座に判断しないなら邪魔だ」
ティダは二人を無視して、部屋の扉をノックした。近寄るなと、殺気を込めて兵士の二人をもう一度睨みつけた。縮み上がって後退る兵士達。殺気放つ方法が変になった訳ではないと確認出来た。殺気の中の偽りを見抜いたカイ。腰を抜かしそうなのに立ち続けたテト。やはり、崖の国とは妙だ。本来なら目の前の兵士のように縮み上がる。
「レオン様。ティダです。連絡不足になった挙句、中々抜け出せずに会いにくるのが遅くなりました。すみません」
どう出るかと思ったら、直ぐに扉が開いた。顔を合わせた瞬間、思いっきり睨みつけられる。いつもの罵声が飛んでくるな、そう思ったら案の定だった。
「何を企んでいる! 私の手の中にあるものを忘れたのか⁈ お前は故郷も親も見捨てたのか⁈」
レオンの怒声が部屋に響き渡った。いざという時は天秤にかける。そう言い放ってやりたい。国を出たからか、自制心が減っている。面倒臭いと思いつつ、胡座をかいて頭を下げた。
「大技師の座を手に入れ、ペジテ大工房の御曹司を傀儡化。ドメキア王国のグスタフ王を引きずり降ろさせ、侵略戦争の罪をなすりつけました。内部から覇王を食い殺せるようにと、式典へ招待。ここまでしたのに、まだ不信とは流石に私も胸が痛いです。長年奉仕してきたのに、未だに故郷を人質……。そもそも、ドメキア王国への婿入りの件といい、レオン様はここのところ私を冷遇していませんか? 皇居内で女も酒も好き放題させてくれるから従っていたというのに……」
顔を上げて、不服そうな顔を作り、レオンを見上げた。疑心で揺れる黒鉄色の瞳。随分と白髪が増えたが、年の割には若々しい男。弱々しい見た目なら、グスタフと同じように病死の方向に持っていってやるのに。グスタフは肥えた豚だったが、その分心疾患にて急死という嘘が通りやすかった。偽りの庭の地下に住まう、ヌーフに預けられたらしいグスタフ。結局、何を考えていたのか、分からず終い。
グスタフへの甘っちょろい裁断は、アシタカとシュナが中心だったから仕方ない。しかしレオンに対しては、グスタフのように見逃す気はサラサラない。十年、子狼として扱ってやった。手塩にかけて育てようとしてやったのに、学ぶどころか堕ちた。息子テュールとは大違い。トンビが鷹を生んだとは、まさにこのこと。
ティダは疑がっているという顔を作って、レオンを見上げた。
「辿れば同じ血脈とはいえ、ペジテ大工房の女は品も教養もない。この国の酒も美味くない。上手く転がしてレオン様を押し上げるので、また皇居で遊んで暮らしたいです。嫌だというなら考えがあります。長年帰っていない故郷も、顔も忘れた母親もどうでも良いです。私が欲しいのは女と酒。あと戦場。欲しいものを与えてくれる者の犬でいるだけです」
レオンに対して、皇居内で、長年そういう態度を貫いてきた。大きなため息を吐いて、レオンが背を向ける。何とも無防備な、刺してと言わんばかりの背中。嘘もつき続ければ、信じられ、真実となる、その例だ。
「部屋に入れ。本当にお前は訳が分からん男だ。いや、この本能人間め。欲する物を手に入れるために、人質を取られて従っていたフリか。国内などお前の掌の上だろう? 今までのように、皇居で好きにしろ。毒蛇の巣で遊んでみたいなどと自分から言っておいて……。まあ、好き勝手するが良い。私にはお前を御せないし、そのつもりもない」
胡座をやめて、部屋に入った。扉を閉めてもたれかかる。部屋は意外に広く、そこそこ飾られていた。国賓だということを感じさせるのに、相応しい装飾。レオンがソファに優雅に腰を落とした。身の丈を知り、前皇帝の脇に立てば抑止力と、威厳の補強になっただろう。皇帝など四方八方雁字搦めの、茨の座。そんなものが欲しいとは、理解出来ない。ティダは扉にもたれかかるのを止めて、また胡座をかいた。
「ご謙遜を。上手く私を使っているではありませんか。私は誰にでも尻尾を振る訳ではありません」
自尊心が満たされたというような顔のレオンに、うんざりした。どうしてこうも、阿呆なのか。
「で、蟲森の村は何を考えている? 私と結託したかと思えば裏切られた。蟲はもう操れん。蟲森の民からの従者を適当に捕らえて拷問しても、誰も口を割らない。恐らく何も知らない下っ端。岩窟崩壊を狙っているのだろうが、沈黙。蟲森狩りは、流石に父から絶対禁忌と言われているが……」
新しい情報が出た。蟲の王がアシタバの民はもう使わせないと宣言している。蟲の王が何も言ってこないということは、ロトワ蟲森の方で蟲使いの画策がされたのだろう。で、失敗した。
ティダは俯いた。優劣をつけると、すぐにこういう自体になる。あちこち目を離すと、危険でならないのに体は一つしかない。
「私は村から追い出された身。大狼の里と岩窟で生きてきました。蟲森狩りをされるなら、村まで案内します。蟲に手を出すのが禁忌なのですレオン様。現に使おうとしたら勝手に暴走したではないですか。ペジテ大工房の巨大要塞に穴を開けた。なのに、急に撤退。私ではなく、蟲こそ訳が分からない生物です。グスタフはアシタバ蟲森に蟲の民がいる、そう信じて兵を送り、何も見つからず、ドメキア王国は蟲に報復されました」
一瞬、大蜂蟲の子がティダの扉を押し開こうとしてきた。日中、伝心術を使い過ぎて疲弊しているからだろう。やんわりと押し返す。
〈バヘトム! 訳が分からないのは大狼人間! へんてこりん!〉
ティダは無理矢理大蜂蟲の子の意識を追い出した。
「お前が顔色を悪くするとはそれ程獰猛、凶暴だったのか。蟲の報復とは、ドメキア王国に蛇神が現れたとかいうやつだろう? 何なんだ。グスタフは病死したと聞いたが、お前だろう? お前は拐かしが上手いからな」
子蟲のせいで表情を取り繕うのに失敗したが、勘違いしてくれて助かった。レオンが素直にペジテ大工房に来たのも、ペジテ大工房の心理を読み誤っているのも、ロトワ蟲森の民の方に気を取られているからか。ティダは苦笑いを浮かべた。
「不敗神話などと呼ばれていても、流石に私の戦闘能力も人外には及びません。死ぬかと思いました。ドメキア王国は、まあ住みやすそうでしたけど、金髪というのが好みでは無かったです。それに青い眼も蟲に似ていて……ドメキア人なんて抱いても、悪寒がするだけでした。つまり、ドメキア王国で婿生活など吐き気がする。おまけに城では殺されかけた。まあ、戦場でもですけど」
ティダは思いっきりレオンに殺気放った。兵と違って涼しい顔。動揺を感じるが、どうティダを転がすか考えている目付き。これだ。これが出来るから皇帝に据えておいた。頂点が軟弱臆病では、話にならない。他は人材で埋め合わせられる。レオンはティダに不信を抱いていそうだが、長年築いた「餌を寄越せば働く」という態度はまだまだ有効そう。
「その件はすまなかった。私もあれこれ手を回したんだがな」
皇居内で求心力があるテュールよりも、使い勝手の良い、従順なティダを国内に置いておきたい。レオンのその思惑から外れるのには、少々手こずった。十年かけて削ぎ落としてきたが、レオンはそれなりに周りを固めていて、腹心も多い。だから、ロトワ蟲森の民と共にペジテ大工房へ進軍という愚行を止められなかった。
「まあ、私は欲しいものを与えてくれるなら、誰でも良いです。勿論、誰か連れて……」
不意に、左手の指輪二つが目に入った。
「ああ。お前が好きそうな娘を二、三人連れてきた。アレーニの侍女としてな。右側、二つ隣の部屋だ。酒も持たせてある」
ティダは曖昧に頷いた。視界の端に映る二つの指輪。一つは今後ドメキア王国の象徴となる蛇を模している。そしてもう一つはベルセルグ皇国の国紋。
——こんな素敵な指輪……予想外なのもあって……嬉しくて……
アンリの嬉し涙が、急に脳裏によぎった。素敵な指輪。
このままでは、ベルセルグ皇族には大きな傷がつく。
迷うなど、やはり狂った。そう思った瞬間、ヴァナルガンドの真っ直ぐな深い青い瞳と裏表のない笑顔まで瞼の裏に映った。
——人生の先輩として、友としてこれより先の罪や罰を共に背負ってくれ。必要があれば君の価値観で止めて欲しい
——君が己に相応しい言動をしないからだ!
似たような種類の、アンリの視線も思い出してしまった。
——地獄に花など咲かないって言ったわね。咲くわ。私を大事にしてくれる貴方がいるもの
最悪。アンリを最初に足枷と呼んだのは、的確だった。セリムはやはり、破壊。
「お前が何も語らないのは、いつものことだ。私が誰より、お前に欲しいものをやろう。どうやって、この国に取り入ったのか知らんが、明日には見当がつくだろう。負け犬になどなってたまるか。上手く立ち回る」
レオンの声が遠く感じられる。一応、十年は子狼。よって十年は何でもしてやるつもりだった。あまりにも愚行をした場合は、そこで終わり。レオンは十年目に、最悪な手を選んだ。よって蹴落とし、骨まで残らないくらい粉砕し、食物連鎖にもいれない。そう決めていた。
なのに……。
ティダは立ち上がった。髪を搔き上げると、自然とため息が溢れた。本当に、ぶっ壊された。どんな罵声や侮辱にも頓着しなかったのに。
「目新しい女は欲しいが、妻に遊ぶのを禁止された。俺の友や妻が、どうせお前を見捨てるなと非難する。人は変わる、と言ってな。よって俺の手で陥れるのも、殺すのも止め。レオン、お前は己を省みて至宝アシタカに平伏せ」
こういう話をするなら、どんな表情だ? 顔の筋肉の使い方が分からない。ティダがレオンを見据えると、レオンは固まっていた。
「ベルセルグ皇族の名になるべく傷をつけないで欲しい。俺は構わんが、俺の妻の名誉に関わる。アシタカに即謝罪し、誠意を見せろ。それがお前に残された唯一の明るい道だ。既に手遅れ気味で庇いきれねえが、まだ間に合う。アシタカは甘い。心配になる程だ。あいつは情けを与える男。だから、誠心を与えろ。嘘偽り、胸の中で舌を出して構わんからそうしろ。それならどうにかしてやれる。この世は因縁因果、生き様が全て。以上。あばよ、レオン」
背を向け、手を振った。鉛を飲んだように気が重い。これではレオンの行動の計算が出来ない。
「どういうことだティダ。何を考えている? それにお前の妻とは、ドメキア王国のあの醜く頭がイかれた化物……」
話していなかったなと、ティダは振り返った。それに、ドメキア王国でバースに見切るのが早過ぎると注意されたのも思い出した。
「ドメキア王国の醜姫と偽りの誓いを立てたが、そもそもあの国には醜姫など存在しなかった。健気で、美しく、気丈な姫君に俺などでは不服だと逃げられた。至宝アシタカの妻となるのは、そいつだ。生き様で病を治し、己も国も変えて救済し、ついには覇王の妃。つまり、ドメキア王国を包囲ではない。お前は賢いから、後は推測出来るだろう」
詰め寄ってこようとした、レオンに苛立ち、ティダは後ろの扉のノブを掴み、引っ張った。レオンの右側の壁に投げる。金属製の扉が、継ぎ目のない石か何かの壁にぶつかり折れ曲がる。壁も破壊された。壁の中には鉄の棒が並んでいた。さらに鉄板。部屋に穴は空かなかった。しかし、効果は抜群だろう。この十年で初めてレオンに楯突いた。
「レオン様⁈」
部屋に踏み込んできた兵を背負い投げ。もう一人は鳩尾に肘鉄。
「情報は与えてやった。矜持が全くないお前に進言など許し難いが、妻と友が許せというので仕方ない。堕ちるなら、自滅しろ。機会を与えられたのに自ら転落したグスタフ同様にな。息子のシャルルを見習え。子豚には矜持があった」
食ってかかってくるかと思ったら、レオンは真っ青になって立ち尽くしている。知るか、と近寄った。胸倉を掴んで、先程よりも強く睨みつけた。
「蟲森の村はどうにかしてやる。ツテが出来た。侵略となればまた先陣に立ってやりたいが、用があるから無理。よって侵略戦争そのものをどうにか止めてやる。だから、お前は皇帝として、ベルセルグ皇族の頂点として誠意を見せろ。岩窟ベルセルグ皇国皇族の名を貶めるな。子も分裂させるんじゃねえ。国も一族も栄えさせろ。俺はちっぽけな国の王なんざ興味ねえ。王の上に立って、この世の全てを掌に乗せる。お前は俺の下だが、矜持見せるなら表向きは今まで通り犬の振りをし続けてやる」
レオンは青ざめているだけで、腕を払おうともしない。
「子狼だと? 腹の底で何を考えているかと思えば、どういうことだ……」
「俺の友が見捨てるなと喚く。妻が安全が欲しいと強請り、おまけにベルセルグ皇国の国紋を背負うという。岩窟ベルセルグが妻に相応しい国でなければ許さねえ。覇王になりたきゃ、至宝アシタカの横に並べ。あいつに気に入られろ。そうすれば死後大皇帝にも並べる。お前は人材を見抜く目が悪い。謙虚さもない。直せ。他は王たる器。明日、即座に至宝に平伏せ。お前が生き残る唯一の道だ」
レオンの体を寝台に放り投げ、ティダは部屋を出た。黒大狼と目が合う。ティダが近寄る前に、黒大狼が寄ってきた。
「長年ご苦労レージング。ありがとう。ハイエナの見張りは終わり。あんなの食い殺すと腹を壊す。俺を援助しにウールヴが本山を離れた。ヘジンに寄り添ってくれるか? もしくはドメキア王国にヴィトニルがいる。今は、この地に来ている。ヴィトニルは俺の代わりに友を背負ってくれた。両名、俺よりも見習うべき背中だ。並べばお前も気高き大狼となるだろう。縛ってすまなかった。好きに、自由に生きよ」
膝立ちになり、黒大狼の首に手を回し、艶やかな黒毛に身を預けた。十年。もっと触れて、構ってやるべきだった。教え損ねていることばかりだ。
〈縛る? フェンリスから離れたくないと駄々を捏ねたのは子狼だった俺だ。フェンリスがやっと自由に生きるらしいので、やはりついて行きたい。しかしヴィトニルのようになりたい。フェンリス、俺は一度ヴィトニルの所へ行く。今は近くに来ているんだよな? もっと立派になったらフェンリスの横だ。蜘蛛の気配が強いからもう閉じる〉
ティダは黒大狼の頭を撫で、立ち上がった。随分と立派な体格になった。我儘に付き合わせず、里で育ててやるべきだった。
「俺の人生は間違いだらけだな。自分の弱さを盾に、最善の方法を選んでこなかった。しかし、変わろう。お前やスコールに気高い生き様見せる。俺はついに妻を娶った。お前の血も残さねばならんな」
ティダは黒大狼の頭部をぐじゃぐじゃと撫で回した。気配がして、後方に顔を向けた。引きつった顔のレオンが立っている。
「罠に嵌めたということかティダ!」
「そうしようと思っていたが、止めたっつう事だ。行こう、レージング。冷徹兄と散財姉にも話しておかねばならん」
歩き出そうとたらし、廊下の向こうに、アシタカが立っていた。隣にはヘルメットを身に付けて、顔が隠れているアンリ。完全武装なので、危険はないだろうがティダは黒大狼の背を撫でて、目配せした。アンリの匂いにティダの香りがするから、伝わるだろう。予想通り、黒大狼はアンリの背後に回った。アシタカの後ろに付いたようにも見える。
「こんばんは、皇帝レオン。アシタカ・サングリアルです。挨拶の予定はありませんでしたが友の背中を見て止めました。その通りなので、よく覚えておいて下さい。考える時間もたっぷりある。私はそれまでの生き様や自主性を重んじているので、猶予など与えない予定でした。国想い、そして親孝行、かつ妻を尊重する息子さんがいたことに感謝しなさい」
夜の空気を纏う、穏やかな笑顔のアシタカは、ヌーフのような雰囲気を醸し出している。余裕と自信でここまで変わるのかと、ティダは感心した。聖人一族の先頭に相応しい輝きを放っている。
レオンは突然の出来事のせいか、それともアシタカに飲まれたのか、茫然としている。
「結婚式典後に各国首脳会談の場を設けます。色々と議題はありますが、ベルセルグ皇国にはまず賠償を要求します。一つ、我が国が報復戦争を撤回するに値する賠償提示。一つ、自国の民を置き去りにするという非人道的行為の理由の説明。及び彼らへの賠償提示。三つ、休戦の為に人柱になった息子を囮にし、尚且つ見捨てたことに対する賠償提示。彼は実に健気に国に尽くしてきたようですが、それを踏みにじった。ベルセルグ皇国では三が神聖な数だというので、三つにしました」
三つ目に関しては語弊があると文句を言いたいが、アシタカを立てると決めているのでティダは壁際に移動した。恭しいというようの頭を下げる。割と本心なので、気持ちが軽い。
真顔になったレオンが、頭を下げようとした瞬間にアシタカが手を挙げた。アンリが背中に担いでいた長銃をレオンに向ける。
「会談の場で発言を聞きます。さて、ノアグレス平野はペジテ大工房の領土外。しかしドメキア王国兵が我が国の壁に少しばかり傷をつけました。元々、侵略戦争持ちかけたのはベルセルグ皇国ですね。我が国は侵略も先制攻撃もしません。報復するなら高らかに宣言し、ベルセルグ皇国領土は焼け野原。我が国は豊かで欲しいものは殆ど無い。領土を増やす気もない。それを踏まえて、建設的な提案をして下さい」
語気を強め、不信感を込めた瞳でレオンを睨んだアシタカ。強烈な拒絶の雰囲気。この変貌ぶりが他者の口を閉じさせると自覚しているだろう。ティダの殺気にも折れないレオンが、明らかに怯んだ。
「私は一つしか答えを持っていません。息子さんが教えてしまいました。同等か、それ以上の回答を待っています。では、本来は労働時間外で今この状態は非公式。歴史には存在しない時間。明後日、いやもう明日ですね。公の場で会いましょう。息子さんと娘さんにも、貴方からきちんと話をするように」
チラリとアシタカがティダに視線を投げた。ここから先はレオンの行動次第。お前はこれ以上何もするな。そういう意味だろう。こめかみの青筋が、明らかに怒っていると物語っている。ティダはアシタカの隣に並び、軽く頭を下げた。アシタカが踵を返し、廊下を歩き出した。アンリが続く。黒大狼がアシタカとアンリの背後に居てくれているので、ティダはアシタカの隣、少し後ろに付いていった。
「計画をパァにして悪かったな」
小声で告げると、アシタカが顔をしかめた。
「いや、君は僕の前に立ちはだかると思っていた。口で何て言おうと、誓っていないだろうが、君は自分の群れを裏切らない。実際に突きつけられて、気が重くなっただけだ。それにしてもあの男、シュナを化物など……。どいつもこいつも目が腐っているのか? 一目見れば……。侮辱罪で首を……」
怒りはそっちなのか。アシタカは本当にシュナ馬鹿になった。愉快なようで、不愉快。己のアンリへのみっともない姿に重なるので、反面教師にしないとならない。
しかし、アシタカ。いつもなら「死ね」や「クソ野郎」と言い出す。侮辱罪で首を——の続きは首を刎ねるだろう。散々直せと言われているからか、飲み込んで改善しようとしているようだ。表情は恐ろしい程の激怒。
アシタカが廊下の壁を触り、隠し通路への扉を開いた。中は広いので黒大狼も入れる。
「一目見れば、ね。偽りの庭でシュナと初対面した際、お前は何を思ったんだ?」
興味本意で問いかけると、アシタカが小首を傾げた。それから遠い目をした。
「多分、君と同じだ。あのような辛い病を抱えているのに、澄んだ瞳をした美しい姫だと。長年、手を差し伸べずに無視していた僕へ疑惑と警戒、それに蔑み。温和な笑顔で本心を隠す無能力者、庇護など期待してない。私が指示した通りに支援しないなら、お前に殺される。期待していない。協力しないならさっさと殺せと言われた。あれは実に的を得ていて辛かった」
靴を見つめて、アシタカが眉毛を下げた。ティダの知らないうちにどんな話をしたのかと思えば、シュナは中々辛辣な対応をしていたらしい。無言で歩き出し、階段を降りながら、アシタカが続けた。
「なのに、急に無防備に信頼寄せてきた。恐らく、どの道死ぬなら僕を信じることを選ぼう。そんなところだ。ティダ、君へと同じなんじゃないか?」
「まあな。あいつは俺をこう思っていたはずだ。王家か軍を奪いにきたハイエナ。自分を殺さず利用するようなので、それなら駒になってやる。利害関係が壊れれば刺す。殺そうとすれば、返り討ちにしてやる。それが、知らないうちに懐かれた」
ヘルメットを脱いだアンリが、ティダの隣に移動してきた。
「シュナが初手さえ間違えなければ、本物の夫婦になれたかも。そう言っていたわよ」
アンリの言葉に、ティダは瞬きを繰り返した。
「まさか。あいつは俺を恨んでいる」
「そうね。恨まれてるわよ。ティダお父様より私の方が大事だって。ティダとは本物の夫婦になっても、すぐ離縁。あっという間に互いに別々の道。だってアシタカが現れたら、ティダなんて道端の石ころ。ですって。私の夫に、随分失礼よね。ふぁ……眠い。徹夜は辛い。私、今日は本当に非番にして、式典警護に備えるから帰って寝るわ」
アンリがアシタカに意味深に笑いかけた。その意味が分からなくて、ティダは傍観した。目と目で通じ合うような姿に苛立つ。しかし、この二人は十年来の友人なので、腹は立つが諦めるしかない。
「あれこれ世話を焼いてもらったので、今日は自分でシュナと向き合う。ありがとう、アンリ」
アンリが指を銃のようにして、アシタカのこめかみ目掛けて撃つ真似をした。
「残念。サングレ・フィデスホテル。憧れの高級ホテル。泊まってみたいの。伝心術って疲れるの。どう見たってアシタカよりティダが疲れてる。上手く手配してね。あとリザリオ店のクッキーも追加でよろしく。勿論、例の紅茶もよ、劇薬。普通のデートもするから、呼び出し禁止。私が呼び出されるような事態も起こさないように」
したり顔のアンリに、アシタカが苦笑いを返した。アンリが甘えるようにティダの腕を掴み、アシタカとティダに行こう、と顎で示した。
「デート? 何だそれは」
「秘密。目立つからサングラスでも掛けて……それも目立ちそうね。夕方からは貴方に付き合うわティダ。まだ、あれこれしたいのでしょう? 休んで、私に付き合って、その次はティダの事。つまり、お互いに歩み寄るってことね」
肩を揺らしながら、ティダはアンリの腕を離させた。腰に手を回し直す。
「まあ、今日は少し時間が取れればいい。その案を採用しよう」
アンリにキスしようとしたら、じゃれるような軽いビンタを食らった。避けられるが、避けなかった。アンリが楽しそうな笑顔だったので、つい惚けてしまった。
こんなんで、岩窟からハイエナを追い出せるのだろうか? いや、龍にするのか。益々、面倒になった。
ティダは大きくため息を吐いたが、最悪、その言葉だけは飲み込んだ。この道を選んだのは自分だ。




