表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
八章 破滅と再生の激動大嵐

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

274/316

聖と血の結婚式典【序】5

【偽りの庭 アシタカ私邸】


 結婚式典まであと二日。間もなく日付が変わる、深夜零時。シュナはソファからボンヤリとアシタカを眺めた。読んでいた大技師教義を閉じる。全部読み終わり、何となくアシタカの芯が理解出来た気がする。大技師教義は、文化・価値観の違いに首を捻りたくなるところも多かったが、人として当たり前のことも多く書いてあった。他人に親切にしなさい。優しい人になりなさい。物語風に、綴られた、高い基準の道徳の本。


 幼少からこの大技師教義を背負い、国民の手本であれと育てられたアシタカ。一人息子で、常に期待されていただろう。今もそう。


 アシタカの奉仕精神や、他者とは一線を画す雰囲気の根幹。聖人一族だからそうなのではなく、アシタカは作られた偶像だ。今はアシタカ個人がペジテ大工房の至宝の名を冠しているが、元々は大技師一族自体の愛称、別称だという。脈々と血筋が絶えなかったのは、アシタカのように尊敬を集める者が常にいたからだろう。


 ダイニングテーブルに書類を山積みにして、パソコンという機械に向かうアシタカに画面の青白い光が当たっている。凛々しい横顔に、他には何も目に入らないというような真剣な目付き。かなり声を掛け辛い。


 ペジテ大工房に来てから知ったが、アシタカの1日は長い。遅寝早起き。三時間寝れば、睡眠は十分だという。一緒の時間に寝ると言ってくれて、隣で並んで眠った筈が、気がついたらアシタカは起きている。早朝から体を動かし、鍛え、更には仕事を始めている。昼間も予定がびっしり。秘書になったパズーがボヤいていた。シュナも体力的についていけてなくて、仕事を手伝うと言っていたのにあまり近くにはいられていない。


 昨夜、忙し過ぎて心配だ。そう話したら、アシタカは「かなり仕事を減らした」と困ったような笑顔を浮かべていた。微かに感じた拒絶の光。次々と女が逃げたという、理由を垣間見た気がした。シュナでなければ、もっと強い拒否の光を放つ。そもそも家にさえ滅多に帰らない。そう、アンリが教えてくれた。今以上とは、一体どんな生活をしていたのだろう。


 このような状態で、ドメキア王国に住んで毎日通勤するつもりなのは驚きしかない。お互い、どこまで折れるのか、式典が終わったら話し合う予定だが、何故今ではなく後回しなのか。尋ねたくても、アシタカには時間が足りていない。崖の国で何が欲しいか質問した際、即座に「時間」と答えたのも頷ける。


 先に寝るか、声を掛けるか、眺めているか悩んでいたらアシタカがシュナの方へ顔を向けた。柔らかい、優しい笑顔。昨夜のような拒絶は感じられない。


「もう眠いです? それならもう仕事は止めます」


 両腕を挙げ、のんびりと伸びたアシタカが「ふうっ」と小さく息を吐いた。静かな夜に似合う、穏やかな空気。


「眠いというより、読み終わったので手持ち無沙汰になっただけです。そのパソコンというもの、シュナも早く覚えます」


 アシタカが首を横に振った。


「閃き、考案、裏付け資料探し、取捨選択。僕には難しい事を頼みたいと話しただろう? よって基本的にパソコンは必要ない。勿論教えるけど、早くなくていいです。お互い、特に君は新しい環境になれることからです。昨夜のように仕事を止めろと非難して欲しい。僕は熱中すると、あれこれ忘れてしまいます」


 ダイニングチェアから立ち上がったアシタカが、ソファに座るシュナの方へと近寄ってきた。さあ、寝ましょう。そう左手を差し出されて、手を伸ばすのを躊躇(ちゅうちょ)した。アシタカの顔に、まだ眠くないと描いてある。


「我慢し過ぎると、夕方のように爆発しますよ。ですのでシュナを過剰に甘やかしたり、気遣って下さらなくて結構です。アシタカ様の程々が、シュナにはお腹いっぱいというくらいの真心です。もう少し仕事をされたいのなら、して下さい。色々信じられるので、先に寝ます」


 立とうとしたら、アシタカがまた首を横に動かした。アシタカは悲しそうに眉尻を下げてシュナの隣に腰掛けた。


「みっともないから勘付かれたく無いと取り繕っていましたが、僕はずっとソワソワしていました。今夜こそ、君がそろそろ眠いから一緒に寝室に行こうと誘ってくれるのを期待していたからです。一刻も早く仕事を片付けて、声を掛けたいと思っていました」


 そっと手を繋がれた。アシタカは床に目線を落として、昨夜のような困り笑いを浮かべている。


「優しい嘘ですね。無理しなくて良いですよ」


 口にした途端、アシタカが勢い良くシュナの方へ顔を向けた。あまりにも急だったので、思わず上半身が少し仰け反った。


「嘘? 無理? むしろ僕は無理をしたい。シュナ、他ならぬ君のためにだ。そうすると君を困らせ、悲しませるので、無理をしないようにも励む。僕が作っておいたバルフィを美味しそうに食べる君はとても良かった。多少休憩を削って、不服ながら仕事を他人に預けて正解だったと思っている。アンリがリザリオ店のクッキーを持っていったことを、恨んでいる」


 まじまじと見つめられ、距離が近くて恥ずかしい。シュナはアシタカから顔を逸らした。握られた手が熱い。


「あの、いえ、すみません。間違えました……。心配ですけど、嬉しいです。でも、私にはそういう風には、ソワソワしていたようには見えませんでした」


 他人の感情の機微を読むのは得意な方。しかし、どうもアシタカの心理は推測を誤る。


「なら良かった。見抜かれていたら、男として情けな過ぎる。ドメキア王国ではずっと醜態を晒していたようなので、気をつけているんだ」


 顔を覗き込まれた。アシタカはやはり悲しそうな、寂しそうな表情。言葉選びの何を間違えたのか検討がつかない。申し訳なくて、自然とまた顔を背けていた。


「醜態? あの、この国とは考え方が違うので……。アシタカ様、ドメキア王国から通勤するなど無茶な話ではないでしょうか? 短時間の睡眠で大丈夫な体だというのは分かりましたし、仕事量を減らしているのも理解しました。でも、こんなに忙しくては無理です。心配でしかないです」


 今、このタイミングで言うのはどうなのだろうかと思ったが、伝えずにいると胸の奥の泥が増えていく。そう感じたので、素直に口にした。


「それならずっとこの庭に居てくれるかい?」


 無理です。そう言わなくても伝わっている。アシタカの問いかけは、答えが分かっているという口振りだった。目を合わせると、アシタカの黒羽根色の瞳には悲しそうな色が滲んでいる。シュナが口を開く前に、アシタカが声を出した。


()()()通勤だ。毎日は無理そうなので、週何回かにする。手を回しているから、何とかなるだろう。今までと違って、君が待っているから僕は毎日帰宅する。きちんと寝るし、休みも取得する。無理な分の仕事は割り振るし、過剰な荷は引き受けない。他人を鼓舞し、やらせる。周りを働かせる。僕は兵隊から指揮官になります。今はその途中です」


 スッと立ち上がったアシタカに、手を引かれた。乱暴ではなく、優しい動作。嫌だと言ったら離してくれそうな気配。過多だと思えるほど、気を遣われている。こんなだからアシタカの神経は磨り減っているのだ。公衆の面前でいきなり激怒するくらい。それも些細なことで。この人は、いつ心を休めるのだろう。シュナはゆっくりと立った。


我儘(わがまま)ですみません。休みをきちんと取るなら、その時に一緒に過ごせれば十分ではないかと言いたかったのです。予想よりうんと忙しそうで、アシタカ様が大丈夫だと言っても心配で……休みの度に、交互に会いに行くのが良い案だと思います」


 明るい未来が分かっていれば、何があろうと前を向いて歩ける。今までとは違う。明日や未来こそ恐怖だった。その日が何とか無事に終わればと、周りの大事な者達がまた一日永らえたと幸運に感謝し、一方で訪れないかもしれない新しい日や失う日に怯え、眠れなかった。


「気遣いではないし、君がそれで十分でも僕には不足。よって休日だけ会うなんて却下。僕が会いたいからという理由なら、僕が背負うのが至極当然だ」


 至極当然——言う必要がないくらい当然——とアシタカはよくこの言葉を使うが、この世にそんなものはない。アシタカは割と独善的で、頭が固い。だから時に他者に有無を言わせないような空気を発するのだろう。故に、人の上に立てる。拒否されているように感じるのはこのせいか。


「無理をして欲しくないのです。どうかご自愛して下さい。だからお互い折れましょうということです」


 アシタカが顔をしかめ、目を細めた。動揺と困惑を感じるが、何に対してなのかいまいち読み取れない。


「僕にはやりたいことが山程ある。しかし、仕事に国、家族、そして君と何一つ捨てたくない。しかし君に毎日会えないのも嫌だ。無理ではなく、これは単なる我儘(わがまま)です」


 告げられた言葉に、シュナは目を丸めた。アシタカの目は本気だ。


「あの、すみません。それでこの庭にずっと居て欲しいと言ったのですね……」


「さっきのは皮肉だ。君には無理。僕もそれを許せない。なら、僕が動くしかない。議会を丸め込んで、通信機器を国外に永続的に持ち出すという案もあるけど、僕は君に触りたい。よって却下。他に案が思いつくかい? 僕は思いつかない。もう深夜だ。君はうんと休まないといけないのに、君の姿を見ていたくて、睡眠を促さなかった。すまない」


 足を動かしたアシタカに、手を引っ張られる。シュナは思わずその手を引き返した。


「いいえ、大事なのは話の続きです。昼間、うんと休ませてもらって大して疲れていません。逆でも良いのではないですか? この国から(わたくし)がドメキア王国へ行く。シュナが国をなるべく離れたくないという理由なので、シュナが背負うのが至極当然ということになります。アシタカ様の理屈ですとね。勝手に無理だと決めつけないで下さい」


「決めつけ? 今までの君の言動に対する正当評価だ。万が一、僕の見当違いだとしても君に負担をかけるという時点で却下します。この国の中に居続けることは、君に重荷が増える」


「そうやって決めつけないで下さい。それは逆もです。無理ばかりされて倒れでもしたらどうするのですか? 隣に並ぶというのは共に背負うということです。一人で何でも荷を持とうとするのを改めて下さい」


 思わず声が大きくなった。


「それは君の方だ! 僕が思い至らない所にまで手を伸ばしていると聞いた。アフロディテさんのこともそう。疲れているのは、どうみても君の方。何故、それに気がつかない。どうして僕にもたれかかって……」


 言葉を途中で切ると、アシタカが青ざめた。


「アシタカ様?」


「これか、彼女達の気持ちは。おまけに僕は話し合いなど断固拒否して無視していた……。辛いどころでは無いな……」


 ぽそりと呟くと、アシタカは俯いてしまった。()()()()()()()? アンリ達、昔の恋人達のことだろうか。言葉の真意が掴めない。自分は他の者とは扱われ方が違うというのは分かった。


 重たい沈黙が横たわった。


「分かりました。僕は休みをきちんと確保します。それで、君に会いに行く。シュナの心配を無下したくない。互いに折れるなら、それが一番だ」


 アシタカの手がシュナから離れた。顔を上げたアシタカは、心底辛いというように苦笑いをしている。シュナは背を負けようとしたアシタカの袖を掴んだ。


「分かりましたとは、何がですか? 普段は色々と人の気持ちが分かりますがアシタカ様のことだと見抜き下手です」


 ゆっくりと振り返ったアシタカは、不服そうな表情だった。髪をくしゃりと掻いて、小さなため息。言い淀んでいたが、ジッと待っているとアシタカの唇が開いた。


「僕は君が心配でならない。四六時中、支えたい。なのに、君は僕が心配だという。これだけ妥協して、仕事を減らし、休んでいるのに、まだ足りないという。腑に落ちないが、僕は君を何より大事にしたい。君がこんなに僕を心配して張り詰めるなら、シュナと毎日会うのは諦める」


 益々不機嫌そうになったアシタカに驚いた。腑に落ちない? シュナだけが心配しているのではない。方々から指摘されている。誰より勤勉で、努力家で自己犠牲の塊だから「至宝」と呼ばれるようになったというが、その通りだ。


  諦めると言ったのに、アシタカは完全拒否という表情。シュナは顔を横に振った。


「そんな不服そうな顔をされて……。折れろなんて言ってません。そんなに妥協してくださっているなら、尚更シュナが動くべきです。(わたくし)こそ、歩み寄ります」


「君の体力では無理。僕の心理的負担的にも却下。先程の反応で、この国にずっと居てくれるとは思えない。そうすると、君の決着点は休日を共に過ごすということ。つまり、僕だけが折れるということだ。そんなに心配して気遣ってくれるなら、方法が違う。パソコンの電源を引っこ抜き、連絡機を隠すべきだ」


 また無理、却下と決めつけ。苛立ちが募る。それに何を言い出したのか理解不能。そんな仕事の邪魔をしてどうする。自分だけが折れるとはどういうことだ。話が全然進まない。


——アシタカ様は働き過ぎで少々思考回路が変になっています


 夕方の会見で、アンリがそう発したのを思い出した。アシタカはやはり疲れ過ぎている。


「何を言っているのか、分かりません。仕事の邪魔をしろとは意味不明です」


「遠回しに言い過ぎました。そんなに心配なら、毎日近くで見張って欲しい。そういう意味です。心配をかけたくないから、自己管理くらいする。かつてない程している。なのに……」


 なのに、の続きは聞けなかった。


 ダイニングテーブルの上から、ピリリリリという音が鳴って、遮られた。アシタカは無視してシュナを見据えている。一度音が止み、また連絡機が鳴った。アシタカはまた無視した。


「心配をかけたくないので、自己管理をします。今よりも、ということみたいなので気をつけます。それなら毎日……」


 再度、連絡機が鳴る。アシタカが苛々するというように、連絡機を睨みつけた。そして、また無視した。連絡機の音がまた止まる。それから直ぐにまた鳴った。


「あの、アシタカ様、あちらは緊急の連絡とかでは……」


 アシタカが不満そうに、連絡機が置いてあるダイニングテーブルへと近寄っていった。


「深夜に何度も何だ。デモ? ああ、そうか。ああ。それでハンネル副大総統には連絡したのか? してない? 政務は彼に一任と言ったはずだ。先にそっちだろう。そもそも大技師庁大臣の仕事だ。彼は何をしている。ああ? 家に行って叩き起こせ! いや、大声を出してすまない。こちらも取り込んでいて……。僕から連絡する。夜中に働いてくれて、ありがとう」


 連絡を切るとアシタカは続けて連絡機を弄った。次々とあちこちに連絡を入れていく。飛び出すのかと思ったら、アシタカは玄関の扉に寄りかかっただけだった。声が小さいので、誰に何を話しているのかは聞き取れない。


「話の途中ですみません。もう、終わりました。言ったでしょう? 僕は指揮官になるので、飛び出したりしません。それで、何の話でしたっけ? ああ、君が僕に毎日会うなんて嫌だという話だ……」


 アシタカの発言に、シュナは間抜けな声を出した。今、何て言った?


 毎日会うのが嫌だなんて、そんな思ってもいないこと、口にしていない。これか、アシタカが不機嫌そうなのは。いつ、どの言葉や態度が、どうやって捩じくれた?


「アシタカ様、シュナは……」


「君の気持ちがもっと僕に傾くまで結婚は延期。今の状態を維持。僕と君は温度差があり過ぎる。君にとって良くない。いや、違うか。白紙か……。白紙だ……」


 ズルズルと座り込んでしまったアシタカに、シュナは慌てて駆け寄った。アシタカは俯いて自分の足を見つめてぼんやりしている。結婚式典が延期になったら、不眠が続いて死にそうだ。そう言っていたのに自分で言い出した。それも、盛大な勘違いが原因で。おまけに白紙とまで、話が飛躍した。何故?


 アシタカは片手を額に当てて、酷い顔色。シュナはしゃがんで、アシタカの顔を覗き込んだ。


「そんなこと申しておりません。誤解しているようです。気もそぞろなのは、疲れているからなのとデモについて気になってしょうがないからかと……」


 本当は今すぐデモを止める先頭に立ちたいのだろう。


「疲れてない。デモなら僕がいなくても解決することだ。そんなこと言ってない? それなら僕と毎日会いたいです?」


 肯定したら、アシタカが毎日通勤に決定と言いそうだが、会いたくないなんて否定は出来ない。そんなの嘘でも言いたくない。アシタカのこの発言は、そういうシュナの心理を計算した上のものだろう。シュナは曖昧に笑って回答を拒否した。


 アシタカが益々青くなった。アシタカのあまりの落ち込みように、自分がうがった考え方をして、誤解を招くような態度をしたと思い至った。少し考えてみだか、毎日会いたくない、という誤解の原因は思いつかなかった。


 アシタカの手の中で、また連絡機が鳴った。渋々というように、アシタカが連絡機のボタンを押して耳に当てた。


「はい、もしもし。……。ああ、もう分かった。直ぐに行く」


 憎らしいというように、アシタカが連絡機を見つめた。それから、サッと立ち上がった。


「すみません。続きは少し後で。ちょっと行ってきます。直ぐに帰ります」


 大きなため息と共に、アシタカが靴を履いて、外へ出た。瞬間、勢いよく走り出す。


 こんな状態で大丈夫なのだろうか? シュナは慌ててアシタカを追いかけた。あっという間にアシタカの姿は小さくなっている。小さな丘の向こう、もう砦に近い。


 走り続けられなくて、歩くのを挟みながら、シュナも砦に到着した。教わっている通りに、門を開く。


「シュ、シュナ様……」


 門番の護衛人がシュナを見て、固まった。


「アシタカ様はどちらに? あまりにも疲れている様子なのに、デモだと……」


 門番が首を大きく横に振った。護衛人が集まってきて、通さないというように立ち塞がる。


「シュナ様、お戻り下さい。デモなど直ぐに終わります」


 ボンボン、という音がしてシュナは周りを見渡した。


『諸君、真夜中だ。嘆願があるなら昼間にしなさい。暴力的行為も止めなさい。相手が頑なになるだけだ。強制退去も可能だが、大人しく解散して、出直し、冷静なら要求に応じる。七時だ。庭に入れる。但し、代表者と放送局ニ社にする。特に何もないが、知りたいという欲求を満たしたい気持ちがよく分かるからだ。僕もよく父上に食ってかかっていた。しかし、何も教えてもらえなかった。いつか、そのうち。そう言っているうちに二度と会えなくなってしまった』


 アシタカは見えないところから、話しかけたりなどしない。シュナは護衛人の合間を縫おうとしたが、無理だった。


「皆様、申し訳ございません。セルペンス様、お願いします」


 頭の上に乗っている小蛇蟲(セルペンス)をシュナはそっと三回叩いた。助けて欲しいという合図になっている。しかし、小蛇蟲(セルペンス)は動かなかった。ピョンっと床におりて、シュナを見上げている。青く深い瞳がシュナを咎めるように見据えている。


「そうですね、このようなことは手伝いませんよね。しかし、セルペンス様。シュナはアシタカ様が心配なのです。危ないことばかりします」


 しゃがんで小蛇蟲(セルペンス)を撫でた。護衛人達が動揺している。小蛇蟲(セルペンス)にか、シュナに対してか、それとも両方にか。どれでも構わない。


(わたくし)、アシタカ様が心配なのです。連れて行ってくださいます? 知らないところで怪我でもしたら、後悔します。お止め下さいと言わずに、二度と会えなかったりしたら、そう思うと胸がはちきれそうなのです。誰も止めて下さらないようですので(わたくし)が言います」


 素直に頼むしかないかと、シュナは立ち上がって、ぐるりと護衛人を見渡した。


『地下遺跡を公表しろという要求だが、公表したくても出来ない。何せ僕も入れない。地下遺跡に行けるのは大技師だけだ。ティダ大技師に頼んでも、同行出来ない。そういう異質な場所だ。伝承でも偽りでもなく、それこそ真実。こんなに不信感に満ちているなら、きちんと証明する。それが私の誠意だ。だから、今夜は解散しなさい』


 アシタカが肩を撃たれた、記者会見が脳裏によぎる。


「通しなさい! さもなければこの場で死にます!」


 護衛人達に叫ぶと、シュナは毒を仕込んでいる髪飾りを手に持った。蓋を取って床に投げつける。喉元に毒を仕込んである方を向けた。


「お、落ち着いて下さいシュナ様!」


「冷静です。(わたくし)に触れた瞬間、刺します。毒です」


 怯んだ護衛人達を無視して、シュナは足を動かし始めた。奥にいる護衛人の何人かが離れた。アシタカの所だろう。つまり、その方向に進めばアシタカがいる。


「参りましょうセルペンス様」


 声を掛けたのに、セルペンスはシュルシュルと偽りの庭の方に去っていった。ティダを呼びに行ったのかもしれない。偽りの庭の中は伝心術があまり使えないと、ティダがボヤいていた。何か分からないが阻害因子があるらしい。


 自分に手を伸ばしかけた護衛人を、シュナは思いっきり睨みつけた。


「毒です。かするだけで死に至る代物です。それとも(わたくし)なんて、死んで欲しいです? 敵国の元姫。恭しく扱うのは、(わたくし)を大事にするアシタカ様の手前だと分かっています。アシタカ様、廊下に毒死体が転がっていたらどう思うでしょうね? この髪飾りのことをご存知です」


 首を横に振った護衛人達が無言で壁際に移動した。廊下を進み、階段を登る。見張りのように護衛人がついてきた。上の階に登ると、新しい護衛人達と同じようなやり取りをした。本気だと伝わったのか、道案内が始まる。


『一刻このまま待つ。護衛人は一時撤退せよ。一刻後、解散しないなら強制連行。横暴を許すのは他の民に示しがつかない。この国は法治国家で、抗議運動も条件を満たせば許されている。今、この状況は違う。それでも此度の件は私や大技師庁が信仰を揺るがすことに対して、認識が甘かった、対応が足りなかったせいだ。すまなかった』


 階段をいくつも登り、案内されるまま進むと砦の外に出た。遠くに光を当てられたアシタカが立っている。眼下には幾多もの炎が揺らめいている。地面が燃えているのもあるし、集まっている人が松明を持っているのもある。何かが燃やされて煙が上がっていた。


 しかし、静まり返っている。


「これ以上はお止め下さいシュナ様。それこそ危険です。誰も止めないのではなく、意見する暇が無いのです。それに、アシタカ様ですと、ご覧の通り抗議もあっという間に沈黙。すまなかったなど、アシタカ様はまた……。偽りの庭に放送局を入れるなど、前代未聞……」


 護衛人の声を遮るように、銃声が響き渡った。アシタカの体が勢い良く倒れる。シュナは思わず飛び出そうとし、護衛人に止められた。喉元から離していた髪飾りも奪い取られている。


「アシタカ様!」


 叫んだ時、体が揺れた。いや、地震。小さくて、短かった。


『殺せば国ごと滅びるぞ! 何せアシタカも本物の大技師だ! 一人だというのはお前らの思い込み! 大技師一族が何たるか未だ分からぬなど愚民どもめ!』


 凛とした声。白い光の中、翻る黒い外套(マント)。ティダが手にペジテ大工房の国旗を持っている。また銃声が響いた。ティダが国旗を勢いよく振る。見えないが、銃弾を旗で巻き起こした風で落としたのかもしれない。そのぐらいの猛風が吹き荒れた。ティダは本当にデタラメ人間だ。


『全員確保! 交渉に応じないなど、単なる暗殺集団だと証明された! 騙された者もいるだろうから、しかと取り調べろ!』


 こうなるとティダの独壇場だろう。先程の地震は、蟲の王(レークス)と結託したに違いない。もしくは大蛇蟲の王(バジリスコス)。アシタカはどうなった? シュナはティダを無視して、周囲を見渡した。しかし、護衛人に引きずられるように、下の階へ連れていかれた。


 下の階、廊下の向こう、護衛人達にアシタカが取り囲まれていた。


「アシタカ様!」


 叫ぶと、アシタカが真っ青になった。それからシュナの後方を睨みつけた。


「シュナを通したのは誰だ! 懲戒免職にする! 名乗り出ろ!」


「脅して乗り込んできたのは(わたくし)です! 嫌ならご自愛下さい!」


 青筋立てて怒鳴ったアシタカに、シュナは叫び返していた。また過剰発言をして、求心力を減らしたいのだろうか。


 アシタカに怪我はなさそう。シュナの体から力が抜けて、座り込んだ。涙が込み上げてくる。


「どうして無茶ばかりされるのですか? 誰も止めないで……」


 思わず、アシタカの周りの護衛人達を睨みつけていた。駆け寄ってきたアシタカが、シュナの前に片膝ついた。何故か嬉しそうに笑っている。恐怖でおかしくなっているのだろうか。


「無茶なんてしていません。誠意を見せて、護衛人に発砲させて逮捕。卑怯ですが、作戦です。何度も何度もあちこちから連絡が入って煩いので、可及的速やかに解決しようかと。君との話し合いの時間が取れない。シュナ、このようなあられもない格好で歩き回らないで下さい。まあ、こんなに心配してくれるなら、白紙にはなりませんね」


 機嫌が良さそうなアシタカに抱き上げられた。白紙にはなりませんね? もしや、と思い至る。


「心配されて嬉しいなど、困ります。このような生活、心臓が持ちません」


 アシタカが困惑顔になって、シュナを床に下ろした。アシタカがシュナの肩に上着を掛ける。


「危険なのに帰国し、革命軍に丸腰で突っ込んで行ったのは誰だったかな? 僕は昼も、夕刻の会見も、夜も、今のデモ隊の前でも可能な限り安全策を手配をした。それでも嫌なら、流石にどうして良いのか分かりません」


 あまりに心配そうな目をしたアシタカに、シュナは胸が詰まった。自分のことを棚に上げて、アシタカを非難していることにシュナはようやく気がついた。皮肉っぽい言い方なのに、それでもアシタカの声色はやはり優しい。


「隣か、少し後ろなんですよね? 置いて行く限り今日のように常に追いかけてきます。シュナを隣においても問題ない。そういう手配をして欲しいです。(わたくし)も、もっと気をつけますから、お願いします。安全な所でも良いので、せめて近くに連れていってください。知らぬ場所で恐ろしい目にあっているより、その方が良いです」


 アシタカが切なそうな、悲しそうな、それでいて嬉しいという顔をした。どう捉えて良いのかわからない表情。


 ポンポンポンと肩を叩かれて、振り返った。爽やかな笑顔のアンリが立っている。仕事の制服ではなく、寝間着姿。


「アシタカ様に執拗に連絡を入れたのは、向こう側の者のようです。つまり、方々から進言しているようにアシタカ様は独断をより減らして下さい。シュナ様、貴女を危険から遠ざけようという護衛人を、ご自分のお命で脅迫など二度としないで下さい。昼も言いましたよね?」


 笑っているが、アンリの目は恐ろしい。アンリの肩に小蛇蟲(セルペンス)が乗っていて、シュナと目が合うとプイッと顔を背けた。目が赤くなっているので、怒らせたようだ。謝ったが、また頭部を背けられた。


 アンリが腰に手を当てた。


「二人揃って、国の礎だという自覚が足りません! 直ちに帰宅! お互い妥協ではなく二人とも大人しくするということを覚えて下さい! マーヴェル長官! お二人を門まで送って下さい。私は取り調べに備えて、着替えてきます」


 アンリの雷はカールの罵声と同じくらい恐ろしかった。思わず、アシタカにしがみついた。アシタカは涼しい顔をしている。


「さっきティダが尋問すると言っていた。なので僕も……」


「それは大総統や総統府ではなく護衛庁の仕事です。大技師様も帰宅させます。取り調べが尋問になるのは、我々が止めます。アシタカ様は奥様とお戻り下さい。ああ、あられもない姿の奥様をこのまま自慢されたいなら話は別です。それに、風邪を引くかもしれませんよ」


 アンリの言葉で、アシタカがシュナを上から下まで眺めた。あられもないも何も、長袖のワンピース。さらに、今はアシタカの上着も羽織っている。なのにアシタカは眉根を寄せた。


「すまない、気がつくのが遅くなった。そうだ、こんな冷えた廊下だと風邪を引く」


「そうですアシタカ様。早く体が温まる飲み物なんかが必要です。それに、明日は朝早くからずっと外交。シュナ様はそんなに体力がないので、沢山休息が必要です。もう、一時になろうとしています。シュナ様はアシタカ様が休まないと、心配で気が休まらないと申しておりました。このような事の後にお一人にされるなど、酷です」


 澄ました顔で淡々と告げたアンリ。空調という設備のお陰で、ちっとも寒くないので風邪など引かない。体力が無いなど不当な評価。アンリに文句を言おうとしたら、アシタカにまた抱き上げられた。


「ありがとうアンリ長官。僕が気がつかなくても、細やかな気配り。助かる。ティダの事は頼んだ。あいつの事は君が一番だ」


 アンリに背を向けて、廊下を歩き出したアシタカ。アシタカの肩越しに、アンリと目が合う。笑顔でウインクしたアンリの唇が「ありがとう」というように動いた。


 アンリの肩から飛び降りた小蛇蟲(セルペンス)が廊下を勢い良く這ってきた。シュルシュルとアシタカの体を登り、アシタカの肩に乗った。嘴様の頭部でシュナの頬をつついてくる。次はアシタカの頬をつついた。叱られたのかもしれない。サアっと赤い瞳が青くした小蛇蟲(セルペンス)が、シュナの頭に乗った。


 アシタカがシュナを抱えたまま階段を降りる時、またアンリと目が合った。


「よろしく。ありがとう」


 アンリの唇がまたそう動いた。


 第三砦から偽りの庭に去るまで、アシタカの元気そうな姿に心底安堵したような顔を見せた護衛人達。彼等はシュナと目が合うと、敬礼してくれた。アシタカが挨拶した時ではなく、シュナに。


「アシタカ様、遅くなりました」


 一階、偽りの庭方面の扉へ向かう途中、誰だか知らない、少し老人に近い男がアシタカに駆け寄ってきた。寝巻きにガウンというような姿。白髪は爆発している。寝ているところを起こされたのだろう。


「何とかなりました。事後処理を頼みます。バズドル副大臣」


 恭しいというように頭を下げ「はい」とだけ短く告げたバズドル。


「アシタカ様を宜しく頼みますシュナ様」


 その言葉だけ残して、バズドルは背を向け、小走りで去っていった。


「僕を宜しく? 逆なんだが……」


 アシタカがシュナを見下ろした。また、嬉しそうな笑顔。


「白紙で無いのだけは合っているかい? 話し合いの続きをしよう」


 アシタカの発言に、シュナは首を縦に振ってクスリと笑った。本当に何で「結婚自体白紙」という考えに至ったのか、まるで理解不能。本人が時代の先頭に立つと言う通り、前後左右、危険な人生になるだろう。この人と生きるということは、一生心が休まらない。


「通勤の件は一先ずシュナが折れます。アシタカ様の案を採用して、検討してみましょう。話を聞いてみて、アシタカ様があれこれ改善して頂いているのが分かったからです」


 アシタカが少し目を丸めた。シュナはアシタカに甘えるようにもたれかかった。多分、これが正解だ。


「シュナとアシタカ様は一連托生になりました。アシタカ様が嫌だと言っても、シュナがそう決めました。アシタカ様がドメキア王国で(わたくし)の手を握った瞬間です。一人、追いかけ続けるより、隣が良いです。恋が永遠かは保証出来ません。こんな気持ち、初めてですもの。今のところ、ずっと離れたくないです。信じることから始めます。お互い気をつけましょうね。逃げても追いかけますからね」


 見上げると、アシタカは無表情だった。しばらく固まったままだったアシタカが、ふいに走り出した。


 偽りの庭に出た瞬間、アシタカに深く口付けされた。いきなりだったので、今度はシュナが停止してしまった。


「シュナが何処にもいかないように励みます」


 鼻歌混じりで上機嫌のアシタカ。二重のドームの向こうに、満点の星空。流れ星を探したが、無かった。


 シュナがアシタカを大事にする限り。シュナを理由にアシタカが自身を大事にする限り。方々でアシタカのことを頼まれ、優しくされるのは、きっとそれだ。重たい荷だが、名誉だと胸を張ろう。


 アシタカはシュナを何故か本邸へ連れて行った。声を掛けようにも、気難しい表情なので質問しにくかった。行き先はラステルとセリムの部屋の前だった。これで、何となく、アシタカの思考の予想が出来た。


 アシタカはシュナを下ろすと、セリムが顔を出すまで扉をノックし続けた。


「アシタカ?」


 眠気まなこのセリムが部屋から出てくると、アシタカはセリムを手招きして、シュナを室内へと促した。遅れて寝台から起きてきたラステルが、ハッとしたように目を丸めた。


「セリム、アシタカお兄様は快眠しないといけないの。素敵な姿でシュナと結婚式をするのよ」


 セリムの背中を押して、部屋から追い出すと、ラステルは扉を閉めた。扉が閉まりきる直前、セリムは何が何だか分からないという顔をしていた。そのセリムにアシタカが「極悪非道な最低人間にならないように見張ってくれ。あと寝るように文句を言って欲しいセリム。僕は寝ないとならない」と言うのが聞こえてきた。


「何かあった?」


 心配、ではなくラステルはワクワクしたような表情だった。


「ええ、今度は愚痴だけではなく惚気話もしようと思います」


 ラステルのパアッと花が咲いたような笑顔に、シュナは心の底から嬉しくなった。ラステルに抱きつくと、少し涙が出た。嬉しくて泣くというのは、人生で殆ど無かった。


 これからきっと、増えるだろう。



***



——ペジテ大工房の罪の全ては大技師一族が権力を有する為の偽りと欺瞞(ぎまん)。二千年、古代の超技術を独占し、聖地に居座り続けてきた悪しき血脈。天が罰を下さぬのなら、我等の手で正す。嘘偽りで固められてきた真実を掘り起こす!


 間も無く、歴史に刻まれる「聖と血の結婚式典」


 あと一日。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ