繋いだ手
あまりにも急な出来事にセリムは間抜けにも転んだ。駆け寄ってくるラステルを思わず抱きしめたくて慌てて体を起こそうとしたが、それよりも彼女の方が早かった。
「大丈夫?セリム」
駆け寄ってきたラステルが体を屈めセリムの前に手を差し出した。その手を取るとセリムは座ったまま右手に力を入れた。手袋越しに感じたラステルの小さな掌。夢でも幻でも無い。
「もう二度と会えないのかと思ってた」
「姉様が許してくれたの」
「どうして?」
ラステルの手を離さずに立ち上がった。何時までも握っているのもおかしいが名残惜しかった。
「どうしてって一生懸命お願いしたのよ。うんとね」
「それだけの筈は……」
言いかけてセリムは口を噤んだ。何かしらの意図があるのだろうが、ラステルはきっと何も知らないのだろう。
自分がラファエの立場ならどうするか、セリムは何度も考えた。ラステルの話によれば血のつながらない同じ乳母で育ったというその姉は族長の娘。許嫁が婿になった暁には村を治める者となる。
婚姻の宴が近くて、祝いの舞の練習が大変だと踊ってみせたラステルの楽しげな姿が脳裏にかすめた。今まで祭りには参加できなかったラステルの晴れ舞台だという。
被せてきたのは冷たい黒い瞳。彼女はセリムを微塵も信じていなかった。策略に頭脳を回転させて目の前の人物を値踏みするその目は異母兄弟の二人の兄に似ていた。
ラステルの村は小さな集落らしい。蟲森に住まいながら蟲森も蟲も恐れ忌み嫌う民。
外界までセリムを追ってくることはまず出来ないだろう。ラファエにとって問題なのはセリムが再び村まで辿り着けるかということ。
おまけにセリムは宣言した。
外界人が蟲森に住む民を襲撃してこないか、逆の立場で考えてもそれは非常に恐れるべき事だ。
あの場であっさりセリムを逃がしたのはセリムの説得に納得した訳ではないのに不可解だった。
誠意を伝えるために、滝の村のものだというマスクはラステルに渡したけれども…。その結果だというのだろうか。
「セリム?」
「いや、会えて嬉しい」
繋いだ手に力をこめた。いや、自然と力がこもっていた。
「私も。あのね。」
「ラステル、私の事すっかり忘れているのかしら」
声の方向に顔を向けると以前みた異文化の服に身を包み、面を被った人が立っていた。声はラファエのものだ。
ラステル以外が目に入っていなかった事実に気がつき、全身がカッと熱くなった。
それでもなお手を離し難くて、セリムはラステルと手を繋いだままラファエの方へと顔を向けた。
「ラファエさん」
「ラステル、感動の再会のところ悪いけど、席を外れてくれるわよね。約束だもの」
「はい、姉様」
そっと離された手が妙に寂しい。ラステルが素直に従い遠ざかるのを目で追ってしまう。心なしか痩せて元気もないように感じた。会えなかった期間に一体何があったのかと心配ばかり込み上げてくる。
「セリムさん、お久しぶりです。」
咳払いされて慌ててラファエと向き合った。レンズのないマスクなので表情は全く分からない。
「何故ですか?」
「ラステルが貴方に会うために私を脅してきました」
「ラステルが?」
「仕事を放棄してました。村を脅かさられば折れないわけにはいかない。それに四六時中、耳にタコが出来るくらい貴方の話をするんです。貴方と貴方が話す国のこと。まあ、根負けしたって訳。それで私なりに色々考えてみたんです」
信頼しているような声色ではなく、どちらかというとこちらを試しているような雰囲気に聞こえる。
セリムは黙って続きを待った。
「祖先は仕方なしにこの土地に住むことになりました。陽の光の届かない地下生活。蟲に怯えながらも蟲無くしては生活は立ち行かない。私は次期族長として、貴方の国と交流を持ってみたいのです。可能であるならば、我らは森を去りたい」
希望に満ちているような感じはしない。かといって恐る恐るという事もない。ラファエの真意がどこにあるのか掴み取れない。
「それは我が国に移民を考えているということですか?」
「いえ、そこまでは。まずは私とラステルが訪ねてみたいと思っています。蟲森を出てはならぬと伝えられておりました。貴方に会うまでは疑問など持たなかった。外界で暮らせないからこそ蟲森を住居とし、知恵と技術を積み上げてきたのだと思っていました。けれども何故なのかと感じた瞬間、何もかもが分からなくなったのです」
「私の国でも蟲森は禁足地と呼ばれていました。旅人が訪れなかったら、今ここに私はいません」
「旅人……」
「彼は言いました。未来を得るためには未知を恐れるなと」
「では」
「是非、我が国を案内させて下さい」
ラステルが崖の国へやってくる。なんと胸が踊るのだろう。それを抑えてラファエの提案の意図について考える。次期族長という立場ある身で、異国の土地へと飛び込もうとはなんとも度胸がある話だ。
ラステルの反抗というのも気にかかる。この気高そうな女がそれに屈しただけとも考え難い。手折られて大人しく飾られるような性格ではないだろう。
セリムはもちろん丁重にもてなすが、ラファエの心を開くには時間がかかりそうだ。
「しかし、何故そこまで信頼してもらえるのかをお聞かせ願いたい」
「無邪気な方だと聞いていますが、やはり思慮深いのですね。初めてお会いした時に聡明そうだと感じましたもの」
「ありがとうございます」
「命の恩人を信頼せずに、誰を信じろというのでしょう」
嘘はついていない。それは感じた。ラファエに何か考えがあろうと、計画があれど、まずは舞台へ上ってみるかとセリムはラファエに向かって右手を差し出した。
招かれるならまだしも、自分の国。謀略があれど何とかなるだろう。
ラファエがその手を握った。この繋いだ手はどんな将来を運ぶのだろうか。




