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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
七章 大嵐の前の静けさ

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時代の大嵐へ突入

【崖の国 海岸】


 砂浜を散策する美女達。セリムはラステル達をぼんやりと眺めた。これは、とても素晴らしい光景だ。特にラステルが、とても楽しそうな笑顔なのが嬉しい。海に入ろうとするソレイユを、アンリが止めている。月狼(スコール)はセリムの隣で寝そべって、目を瞑って日向ぼっこという様子。


「……この音、飛行機?」


 後方から飛行機の音がして、セリムは空を見上げた。シュナの森上空を通り過ぎる白い機体。


「セリム、あれペジテ大工房の機体よ」


 セリムに向かってアンリが叫ぶ。全員、海間際にいたがセリムと月狼(スコール)がいる階段の方へと戻ってきた。


 目を凝らしてみたが、ドメキア王国から崖の国まで来た飛行船とは違う。前回、ペジテ大工房から帰国する際にアンリとダンが操縦してくれたものには似ている。ソレイユが「何あれ、何あれ」とラステルに楽しげに問いかけていた。


 次々と青い発煙筒が澄んだ空に放たれた。それからペジテ大工房の国旗が機体に翻る。崖の国を旋回する飛行機。城塔から青い発煙筒が上がり、国中に鐘が鳴り響く。


「セリム!」


 崖の上から名を呼ばれ、振り返る。赤鹿に乗っているアシタカとアスベルだった。アシタカが赤鹿からサッと降りて、こちらへ向かってくる。セリムはラステル達と一緒に階段を登った。


「お忍び旅行は終わりだ。ヤン長官とエンリヒ長官に上手く頼むと言っていたが、他の長官にバレたんだろう。本国の機体だ。フォンに、乗ってきた機体から連絡を取らせた。崖の国の誘導指示に従うように伝えろと」


 頭を掻きながら、アシタカが苦笑いを浮かべた。


「セリムに誘導を頼むかと思って迎えにきたが、もう指示がでてるようだ」


 赤鹿に乗ったまま、階段の上の方にいるアスベルが叫ぶ。アスベルの視線の先に風凧、賢鷲(グレーテ)が舞っていた。


「あれ、トトリ師匠だ。ヤヤル盆地が機体で埋まっているので、東地区のナヤ岬の平地に停泊させるだろう」


 城塔と行き来するのには時間が掛かる。


「セリム、あそこまで僕を連れて行ってくれるか? アンリ、シュナを頼む」


 セリムの隣をアンリが通り過ぎ、アシタカの肩を叩いた。


「私、引き止めたけど脅されたって証言するのでよろしくアシタカ。シュナにはラステルとスコール君、セルペンスもいるから帰国準備をするわ」


 愉快そうにアンリが肩を揺らして階段を駆け上がっていく。アシタカが「帰国準備ではなくティダの所へだな」と小さく呟いた。ソレイユが勢い良く追いかけていく。


「ではシュナ、会談だとか適当に理由をつけて予定通りの出発時間に延長するように努めてくる。朝食の支度に参加出来なかった分、昼食を作りたいという君の希望を叶える。模造風凧の訓練風景見学も同様。僕はともかく、君の予定はキャンセルさせない」


 アシタカがシュナに手を振り、セリムに目配せした。シュナが首を横に振った。


「いえ。従順な振りをして、好印象を与えます。予定が中止になってとても悲しいという態度を提示。今日の我儘より、今後の定期訪問への布石が大切です。皆様、それでよろしくお願いします」


 階段を上がってくるシュナがアシタカに手を伸ばした。二人が手を繋いだ瞬間、セリムはドメキア王国にアシタカが現れた時のことを思い出した。二人が睦まじいと、祈りと祝福がセリムを包む。


——ずっと待ってた。巡ってきた


 断絶された絆が、少しずつ結ばれている。


「セリム?」


「崖の国は閉鎖的な国だったが、大陸中の国と縁が出来るかもしれない。本当に時代が変わっていくんだな、そう思って」


 セリムの隣に立ったラステルに、セリムは笑いかけた。自然と笑みが浮かぶ。


「私にはよく分からないわ。だって、そもそも蟲森の外にいるっていうのが私には大異変だもの」


 歯を見せて笑ったラステルがシュナを追いかけた。シュナの隣に並び、別れが惜しいというように話しかける。


 セリムもアシタカの隣へと移動した。



***



 崖の国からアシタカ一行が出立した頃



【ドメキア王国 王の間】


 左右にずらりと並ぶ騎士の「お前は誰だ」という視線にパズーは呻きそうだった。隣にゼロースがいるのは救い。しかし、パズーは立っていてゼロースは片膝ついて剣を胸元に掲げている。


「戴冠間も無く王が不在では国の監視者がいなくなる。よって蛇の女王シュナ及びルイ国王不在の間は蛇神従者と遣い一族が城を管理するそうです。全員退去と。ドメキア城より背後にも一切踏み入れることを禁じる。言わずもがな国内闘争も同様。破れば対価を払わせる。これがバジリスコス様とココトリス様からの神託です」


 大蛇蟲の王(バジリスコス)ではなく、ティダからの命令。今朝、そう伝えろと罵声で起こされた。崖の国からドメキア王国にいるパズーに話しかけられるなんて、何てデタラメな男。同じ体になった筈なのに、逆は不可能。王狼(ヴィトニル)によれば「伝心術」というらしく、ティダは強化されより高みに登ったからこの距離でパズーと話せるらしい。一方、パズーにはこの能力の使い方がサッパリ分からない。理解不能。命令されるだけの状態。


「同じ内容の書面をエリニース様より受け取っています」


 ルイの隣に立つヴラドが手に持つ美しい筒を軽く頭上に挙げた。


「バジリスコス様とココトリス様は、他には何か申していますか? パズー神官」


「い、いえ。いや、はい。あの、また魚とかを届ける予定だったが中止。あー……。返還された領土に踏み入れた飛行船は滅した……らしいです。滅した? 壊したってことか? 誰だか知らないが、何でまた禁足地になった場所に行ってるんだ? 兵は怪我とか……うへー……それなりの対価って。次はそれでは済まないと……」


 ティダの次は大蛇蟲の王(バジリスコス)に伝えろと命じられる。誇り高い男を目指したいのに、使いっ走り。パズーの発言に王の間内が騒めいた。


「カイン殿、確認して欲しいです」


 初々しいルイの国王姿。いつ見ても低姿勢。威厳のいの字も見当たらないが、大丈夫なのか? シュナの美しくも威圧感を発するあの貫禄と比べると、かなり見劣りする。ルイの雰囲気はアシタカに近いが、アシタカは空気が違う。もっと穏やかで、親近感が湧いてくる。そのくせ時に抗い難い。


 ティダとルイは比べてはいけない。格が違い過ぎる。前王グスタフも豚みたいな容姿なのに、こうしてみると王者たる風格を持っていた。やはり、ルイが国王というのは不安を掻き立てる。国民は違うのか、シュナの後ろ盾に安心しているのか、パズーの感じ方が変なのか、どれなのだろう。


「はい国王陛下」


 元王国軍騎士の何とかいう偉い階級だった男が、ルイに歯切れの良い返事をした。ティダに顎で使われ、もとい従順だったのは何故なのか。パズーにはドメキア王国の要人の関係が全く分からない。


「ルイ国王、この者を神官などと軽々しく口にするのは如何なものでしょう」


 ヴラドと反対側に立つのはリチャード。不信感たっぷりの目でパズーを睨むように見ている。ずっとこの様子。心底腹が立つ。


「その通りです。神官なんてとんでもない。蛇の子とかいう奴になって、蛇一族と話せるだけです。正確には殆ど一方的に語りかけられるだけ。こっちの話は無視されてます。別に信じなくても構いません。俺はルイ国王に頼まれたから話しただけです。色々あって慣れたので、変人、余所者扱いで良いです。それに信じてもらえなくても、別に俺に不利益はないです」


 相手がどんなだろうが、引かない。自己主張すると決めた。世の中とんでもない人物ばかりなので、そうしないとやられたい放題。パズーはやましいことはないので背を丸めるかと胸を張った。しかし、リチャードの顔色がどうなるのか見たくないので顔を背けた。


「リチャード殿、蛇一族と語れるというのは神官と同意義ではないですか? だから私は彼をそう呼んだのです。エリニース様とヴァナルガンド様が去られた今、我らと蛇神様を繋ぐのはこのパズー殿でしょう。不信には不信が返ってくる」


 優しい笑みながら、厳しい視線をリチャードへ向けたルイ。こういう顔も、やはりセリムに何処と無く似ている。兄だと言われれば、即座に信じる。チラリと見るとリチャードは腑に落ちないという表情。こいつはいけ好かないので関わらないようにしようと、パズーは胸の中の拒否リストにリチャードの名前を加えた。


「パズーでいいですルイ国王。あと二度と神官と呼ばないで下さい。あなた自身がバジリスコス様やココトリス様から話を聞けるはずなので、それに従って下さい。少しだけと聞いていますが、励んで、しかと聞けるようになって下さい。今回はティダに、じゃなくてエリニース様の方に強く要求されたので話しただけです。俺はアシタカの……じゃなかった。アシタカ様の秘書になりました。なので神官なんて地位は要りません」


 これ以上の役職は断固拒否。何せアシタカの秘書。恐ろしくこき使われるだろう。既にそうだ。王狼(ヴィトニル)に鍛錬しろと走らされ、ゼロースに命じられたビアーとオルゴーには武術や剣術。そこに「ちょっとだけなので書類をまとめておいてくれ。調べ物も頼む」と、アシタカの置き土産。何がちょっと、だ。大量の書類を押し付けてきやがって。調べ物も膨大な量。このせいで、図書室で寝泊まりしないとならなくなった。


「そのアシタカ様が、パズー殿を頼って良いと申していました。またよろしくお願いします。ゼロース元帥、パズー殿を頼みます」


「はっ! エリニース様、シュナ様からも命じられております。パズー殿はペジテ大工房の国務もありますので、ペジテ大工房エンリヒ長官とこのゼロースが責任持って身辺警護を采配します。では、失礼します」


 ゼロースが立ち上がり、ドメキア王国流の挨拶をしてパズーの背中に手を添えた。玉座に背を向けさせられる。


 エリニース様。


 休戦の為に婿入りしてきたベルセルグ皇国第三皇子は、ドメキア王国に踏み入れた際に蛇神従者に体を乗っ取られた。()()()、蛇神が選んだ真の王族シュナ姫を戦地から連れ帰った。内乱の引き金を引いたのも、蛇神がドメキア王国を試すため。エリニース様はシュナ姫の為に「婿」も連れてきた。シュナの伴侶がティダことエリニースというのは神が与えた仮初。大陸覇王の「聖人アシタカ」こそが星姫シュナの運命の婿。


 親しくなった騎士達から話を聞くと、そういう噂になっているという。ティダの奴、本当にやりたい放題。アシタカとシュナも噛んでいるだろう。単なる一生物なのに蛇神。その遣いエリニース様。選ばれた聖人聖女アシタカとシュナ。この様子だと色々知るルイはともかく、新たな宰相は疑心はあれど信じているだろう。今、特に何も喋らなかったシャルルはどうなのか? ルイへは何やら語りかけていた。


「よし、パズー。俺はカイン様に同行する。君はビアーとエンリヒ長官の打ち合わせに参加するように」


「俺の護衛の采配は?」


 わざとらしく肩を揺らしてみたが、ゼロースに冷笑を投げられた。


「我が王がセルペンス殿に頼んである。そして背中の勇ましい子蟲アピ君。しかし我ら騎士団が結婚式典に参列とは鼻高々。夕刻の出立まで時間が足りない。では、また後で」


 パズーの肩を叩くと走り出したゼロース。背中にくっつく子蟲アピの事は忘れていたいのに、思い出させないで欲しい。王国軍は全軍統合予定。ゼロースの立場はどうなるのか、ビアー達と予想話に花が咲いている。かなり高い位につくだろう。そのゼロースが()()()と呼ぶのはティダ。ルイではない。ドメキア王国はそれで良いのか?


 ティダが部下と呼んだ騎士団は「蛇狼(じゃろう)騎士団」と呼ばれ始めている。揃いの漆黒の外套(マント)を翻す、堂々たる姿。出征、戦場、帰国後と一貫してシュナに忠義を尽くした騎士達。自負が滲み出ているから(まと)う雰囲気が他の騎士と全然違う。新たに建設される神殿とシュナの住居の護衛は、この「蛇狼(じゃろう)騎士団」でほぼ決定、らしい。


 ゼロース同様、シュナやティダの命令がなければ新国王には従わなさそう。いつか争いの火種になったりしないのか? 主がルイの後ろ盾なのでそんな心配はいらないのか? パズーの人生に政治の話なんて縁が無かったので考えても全く考察出来ない。


「不在なのに、今後現れないかもしれなくてもこの存在感。ティダを追い出したっていうベルセルグ皇国はバカなのか? いや、あいつは嘘つきだから自分で国を出たんだろうな。ったく、何者なんだよあいつ」


 日の入り前にペジテ大工房の長官、護衛人達とペジテ大工房へ出発。ドメキア王国から結婚式典に参加するのはルイ、新たな宰相ヴラド、リチャード、カイン、シャルル。そして蛇狼(じゃろう)騎士団。


「ベルセルグ皇国からは誰が来るんだ? テュールって人しか名前を知らないな」


 廊下を歩き出して、パズーは一人呟いた。とんでもない歴史的瞬間に立ち会うらしいが、未だそんな気がしない。アシタカに崖の国から連れ出されて、次から次へと事件が起こるので感覚が麻痺してきたのかもしれない。



***



 パズーがベルセルグ皇国について考えたその頃


【ベルセルグ皇国 皇居 春月御苑】


 サラサラと風に黒髪が揺れる。テュールは隣に並ぶアルセの横顔の複雑そうな表情の理由を思案した。遠い視線が戸惑いで揺れている。顔つきにはまだあどけなさが残る。十以上も年下。しかし、落ち着いていて凛としており、醸し出される気品も妙齢の女性に劣らない。流石、妃がねとして育てられた娘。愛くるしい見目もあり、リシュリが目に入れても痛くないという様子なのも頷ける。


「申し訳ありませんテュール様。私はリシュリ様に忠誠と貞操を誓いました。違えたくありません。打ち首だとしても。そう申したいのですが……尊敬する方に命は短いけれども尊い。眩く生きなさい。そう言われました。話す機会があれはティダ様へ頼むのでは足りないということですか? 要はお国にティダ様が必要で、どうか帰ってきて欲しいということですよね? テュール様が一番ご存知でしょうが、あの方に嘘は通じないと思います」


 どう出るかと思えば、真っ向勝負。テュールは思わず苦笑いしそうになった。ペジテ大工房にて、ティダに接触して拐かせと遠回しに伝えたのにこれ。それに()()()()()()()()()()()。アルセはティダが自発的に国を出たという事を理解している。テュールがリシュリの妻を手打ちにしないのも分かっている。そういう、純粋な信頼がテュールを突き刺す。


「予想はしていたが、相当ティダと親密なようだな。嘘が通じない、か……。君の心がリシュリにしかないと惚気られるとは思わなかった。君が帰ってきて欲しいと泣きつけば、ティダのナルガ山脈のような決意も動かないかなと考えていてね」


「私がティダ皇子様と親密? 言葉を交わしたのは一度きりです。惚気ではなく、私のような小娘の演技など何もかも暴かれるということです。ティダ様の目を思い出しただけで、自信がございません……。素直に泣きつくなら、出来るかもしれません。しかし、交流のない私などで動く方ではないと思います。カドュル山脈ではなくナルガ山脈とは、皇居では(いにしえ)の呼称を使うのですね」


 虚を突かれて、テュールは目を大きく開きそうになった。このように会話をするのは初だが、随分ハッキリとものを申す、明け透け無い娘。


「命令拒否を即決とは勇ましいな。もう少し考えて口を開きなさい。ナルガ山脈とは、ティダがそう言うのでつい口から出てしまう」


 強めに告げたのに、アルセは嬉しそうに微笑んだ。


「ティダ様も私にそう指南して下さいました。口調がとても似ていらっしゃいます。口は災いの元と申しますので、気をつけているつもりなのですが未熟者でして……。リシュリ様にもよく叱られます。ご指導ありがとうございます」


 ああ、これか。ティダがアルセを気に入った理由。テュールは思わずアルセに手を伸ばした。触れると滑らかな触り心地の良い肌。テュールはアルセの頬に当てた掌を動かし、少し顔を上に向かせた。


 深窓の令嬢だったので透き通るように白い。濡烏(ぬれがらす)の瞳には強い引力がある。魅力的だが背筋に寒気もする。アルセは本当にティダの気に入りだろう。誰かが害すると牙を剥けられるに違いない。遠縁だからか顔立ちがソアレに似ているとは思っていたが、こうして深く話してみれば空気感や言動が似ている。


「テュール様、御辛労溜まっていらっしゃるようですね……。先程申し上げたように、嘘偽りなく頼んでみます。私にテュール様が望むような力は無いと思いますが、テュール様とリシュリ様の為です。ティダ様に、お二人のお気持ちをお伝えするように努めます」


 貴方は私に酷い仕打ちは出来ない。そうヒシヒシと伝わってくる。それどころか貴方が心配ですという真心。無意識なのか、意識してなのか。前者だろう。テュールがこういうやり口に弱いというのは知らないはず。理解していて演技しているなら、強か過ぎる。しかし、この若い娘はまだそのようには成長していない。ソアレとの違いはそこだな。


「よく分かった。君に(はかりごと)は無理。まあ、想定の範囲だ。試しに口にしてみただけ。間も無く出立。支度があるのに時間を取らせたな」


 鼻が良いティダなら気づくか? 嫌がらせくらいしてやりたい。テュールはアルセに顔を近づけた。くすぐったそうに身を捩り、微笑で逃げるアルセ。更にはそっとテュールの手を自分から離させた。拒否の光が目に滲んでいる。


「お戯れはお止め下さい。私、侍女や側妃ではありません。臣下の正妃にお手をなど、余程疲れていらっしゃるのです。テュール様、きっとリシュリ様が支えます。微力ながら、私もお力添え致します」


 その通りだが、真っ向から皇族を袖にするとは、少々浅はか。中々剛毅なようだが、本当にまだまだ青臭い娘。皇居内の派閥争い、ましてや他国の外交の場には向かない。リシュリから聞いていた通りだ。心配で仕方ないと愚痴るのはこのせいか。


「ティダ様、風の噂で、息災だと聞きました。見えぬ所でうら寂しく寄る辺なかったり、血塗れで張り詰めておられるなら心苦しいですが……。広い世界ならばティダ皇子様に受け入れられ、隣に立てる方も現れるかもしれません。その時、きっと帰ってきます」


 遠い視線に、切なそうな表情。ティダをそう評する女がこの国にどれだけいるか。皇居内での生活では絶妙な人間関係を築いているとも聞いている。まだまだ足りないが、観察力や気配り上手なところがあるのだろう。


 少し苦しそうに俯くアルセの態度で、テュールはそうかと感じた。


「今の言葉、リシュリには黙っているとよい。ティダに手を伸ばしたいのなら話は別。……折角の機会、隣に立ってみてはどうだ? 私も君も、お互い利益になる。筋道を立ててやろう」


 手段は選ばない。アルセを使えばティダは揺れる可能性が高い。テュールはアルセの顔を覗き込んだ。リシュリから奪えばティダが黙っていないだろう。ティダに対して主導権を握る材料が欲しい。国に繫ぎ止める杭と鎖が必要。ソアレの墓に飾られる胡蝶蘭(アマビリス)。その名を与えられたアルセ。よく似ているのもある。今の所、ティダをベルセルグ皇国に帰らせるのに有効そうなのはこの娘。気づくのが遅かった。ティダが国を出る前に見つけるべきだったのに。


 テュールはアルセの腕を掴んだ。強めに握る。それから見下すような視線を投げる。


「リシュリ様と背中に乗る一族を人質に取られれば肯定の返事しか出来ません。しかし、私に成せるとは到底思えません」


 聡い。瞬時にテュールの変化に気がついた。なのに、口にするとは愚か。アルセの目が「貴方には悪いことは出来ない」そう訴えている。その通りだが気どられるかと取り繕う。アルセが青ざめて俯いた。「御無礼をお許しください」とアルセが震え始める。このような小娘一人、家臣をあしらうより容易い。


 なのに、アルセが急に顔を上げた。決意漲る視線がぶつかる。アルセが背伸びをして、テュールの胸元の服を掴み、頬にキスしてきた。心底嫌だという顔付き。驚いた瞬間、アルセに軽く突き飛ばされた。我に返り、踏ん張ってアルセの腕を掴む手にも力を込めた。アルセの顔色がみるみる青くなった。計算違い、失敗したと顔に描いてある。テュールが口を開く前に、アルセが言葉を発した。


「やはり私には無理です。これで勘弁して下さいませ。ペジテ大工房に私も呼ばれたのなら、私を無下に出来ませんよね。余程ご自分で頼めないようですので、ティダ様には私が懸命に伝えます。リシュリ様にも共にとお願いします。微力ではなく、最大限助力致します。ですので、そのように自分を追い詰めないで下さい。酷い顔色ですテュール様……。アフロディテ様にしかと相談し、どうかご自愛ください。とても心配していらっしゃいます」


 また別の手段。こちらの方が虚を突かれた。アルセの腕から手を離しそうになる。自分が今、どんな表情をしていたのか確認したい。感情を隠すのは昔と違って得意。アルセの視界がおかしいのか? アルセの真心こもった心配の視線が胸に棘のように刺さって動けない。アフロディテが心配している? 待っている? アフロディテはテュールの行動に一切口を挟まない。


 自分の今の発言が正解だと分かったからか、アルセの顔色が戻っている。なのに、上手く取り繕えない。


——アフロディテ様にしかと相談し、どうかご自愛ください。とても心配していらっしゃいます


 私はお前が大事にしている正妃の気に入り。相談されている。そうも受け取れる。


「アフロディテと何を話した? それに、私が追い詰められていると申すか」


「ええ。破裂寸前の水風船のようだとアフロディテ様がとても心配されています。テュール様の重荷が減るように、色々と動かれています。それさえ目に入らない程、テュール様は忙殺されているということです。どうかリシュリ様や他の家臣にも頼ってくださいませ」


 テュールは自然とアルセの腕を握る手に力を込めていた。本当にソアレの影がチラつく。触れられたくない、痛いところにズカズカと入り込んでくるところがそうだ。


 アルセが身を捩った。逃がしてやるつもりだったが、アルセは重ね衣装を脱ぎ捨てて、中衣装だけになった。掴んでいたアルセの腕が解放される。テュールの手に重ね衣装がのしかかった。思ったよりも重い。


「手打ち覚悟で申しましたが、長生きせねばなりません。叱責なら甘んじますが、他なら私も手回しします」


 アルセが勢い良く走り出す。去り際の顔は困惑と恐怖に引きつっていた。しかし、憐憫(れんびん)も含まれていた。本当に手打ち覚悟、そして心配されているらしい。妃がねだったなら、あまり体を動かしてきていないだろうに、力強く速い。みるみる遠ざかっていく。あまりに予想外の行動。


「何ていうお転婆娘。まだまだ足りぬし、早とちりも良いところだが……そのうちリシュリは影で操られるな。ティダにしかと頼み込めとは、難しい方法を突きつけてきて。あんなのを連れて行き、ましてや放置などさせられん」


 しかし連れて行かなければならないのか。ティダからアルセに接触させろと指定されている女性の件がある。ティダが必要と判断したならこの国に、テュールに必要なのだろう。もしくはティダ気に入りらしいアルセに。


 小さな吠えが聞こえて、テュールは振り返った。御苑を囲む側壁の屋根に黒大狼が立っていた。黄金太陽、ティダがそう表現する琥珀色の瞳が鋭い眼光を放っている。


「国も、気に入りも、見張るなら自分で見張れ」


 この声はティダへ届くのだろうか。昔、ティダから大狼は遠い地にいても語り合うと聞いたが真偽不明。テュールは黒大狼に背を向けた。頭蓋骨を噛み砕くなら、かかってこい。肩の荷が下りるというものだ。しかし、何の気配もない。振り返ると黒大狼の姿は消えていた。


 テュールは春月御苑から明陽(みょうよう)殿へと移動した。今日、もうそろそろ国を発つ。最後かもしれない。心残りがあるし、背に臣下や妃とその家族が乗っている。鉛を飲んだように気が重い。玄関扉をくぐると、アフロディテがいつも通りの無表情で座っていた。頼んでおいた支度の荷物があまりにも少ない。大きめの風呂敷が一つだけ。テュールは目を見張った。


「テュール様、父や兄に留守の際にテュール様の面目を保って公務に励むようにとしかと頼みました。妃、女房にもです。どうか、私もお連れ下さい。皇居内は浮ついておりますが、戦場へ行かれるのでしょう。テュール様のお人柄、必ずやこのアフロディテが伝えます。この国には貴方様こそ必要です」


 テュールはチラリと荷物をもう一度確認した。


「それにしては荷が少ないな」


「賠償を要求される場には身一つでよろしいかと。行きの飛行船内での衣服、交渉に際して必要な印などだけ用意致しました。それなりの容姿ですし、器量も磨いてきたと自負しております。利用出来そうでしたらお使いくださいませ」


 抑揚のない声に、険しい表情。身の回りも、公務の雑用補助も、後宮管理も何もかも申し分がないが愛想や情が足りない。そう思っていたがそうではなかったらしい。拒絶は断固拒否という、燃え上がるような紫黒色の瞳。胸が熱くなる。


「賠償とは、どこからそのような情報を入手した? それに私が女を捨て駒にする男だと評価しているとは心外だな」


 聡いのも、探り上手なのもよくよく知っている。大方、屋敷中からティダからの手紙を探し出したのだろう。数々の偽りの中から本物だけを見つけ出して、考察した。テュールとリシュリ、他の臣下との話も盗み聞き。あるいはアルセなど側仕えを経由して又聞きもしただろう。


「黙秘致します。私は他の妃と同列になりとうございません。捨て駒、大いに結構。しかし、そのようなお方ではないので励んで下さると知っております」


 ツンと顔を背けたアフロディテに、テュールは噴き出した。()()()()()()()()()()()()()()()()()。いつも平然として冷静なアフロディテが、このような激しさを持っているとは知らなかった。目を丸めたアフロディテがテュールの方へと顔を戻す。


「君を連れて行くと激怒し、私を殺す男が待っている」


 信じられないというように、アフロディテが瞬きを繰り返す。


「殺す? ティダ様でしょうか? 私を帯同させるなとは、あれこれ噛みついたことを恨んでいらっしゃるのでしょう。指一本触れるなと追い払ったことも一度ではありません。あの方、テュール様がお好きでならないようですが、隠しておきたいようです。それこそ暴力抑制の為に私はテュール様のお隣にいないとなりません。あの方、女性を無下に出来ないですもの」

 

 嫌そうな顔は、ティダとの何かしらを思い出したのだろう。ここまで感情を露わにするアフロディテも珍しい。益々笑いが込み上げてきた。アフロディテを連れてくるなは、調子が狂うから邪魔。そんなところかもしれない。


「そのようなこと、全く知らなかった。アルセといい、君といい、ティダは気が強い女に弱いから撤退したんだな。さて、私も似たような趣向。夫婦となり三年か? もっと早くこのような君を知りたかった」


 テュールはアフロディテを抱き上げた。丸めていた目を益々大きくしたアフロディテが、テュールを見つめる。瞬きが繰り返されている。ゆっくりとした開閉が色っぽい。アルセの幼さを目の当たりにしたばかりなので、余計にそう感じる。


「亡霊ばかり見つめていらっしゃるので、悔しいので隠していました。今生の別れになるかもと思いまして……。もっと早く伝えれば良かったです……」


 寂しそうで、悲しそうな微笑。満面の笑みなど見たことがない。あれこれ内に秘める女だと思っていたが、自信なさげな憂いを帯びた涙目に胸が詰まった。単に上手く感情を表に出せない性格なだけかもしれない。


「そうか。言ってやるべきだったな。私を道具にして他の男に魂捧げた女に正妃の座はやらん。唯一、その席を手に入れるのは誰であろう? 窮地でこそ本性が現れるというが、思っていた以上で胸が一杯だ。嬉しくてならない。目を離したくないが仕方ないと置いていくつもりだった。しかし、これではもう無理。時間が無いがゆっくりと話をしようかアフロディテ……」


 約一刻後、テュールは先陣。皇帝レオンはティダを信じているが、それでも念には念をと慎重な男。一応、問題ないだろうがとテュールは先にペジテ大工房へ向かわされる。


 爪を隠しているようだが、激昂しているであろう巨大要塞。そこにテュールは先に差し出される。待ち構えるティダに即座に刺されるのか、蹴り上げられるのか、はたまたティダさえ覇王ペジテの御曹司に踊らされているのか。国に残っても平穏でいられる予感はしない。このように、またお互いを知り仲を深めたアフロディテを残していけない。見える範囲で守りたい。でないとまた後悔が増える。


 アフロディテの帯紐に手を掛ける。これが最後の安寧かもしれない。テュールは押し寄せる不安をかき消すようにアフロディテの唇に唇を重ねた。


 なるようにしかならない。


 失うことも、傷つくことも、うんざりするほど味わってきた。それでも前に進むしかない。進んできた。


 アフロディテの柔らかで温かい体が物語っている。


 この世は地獄であるが至福の世界でもある。ティダの止まった時間も動かさないとならない。動かしたい。



***



 ベルセルグ皇国からテュールが乗る飛行船が出発した頃


【グルド帝国 第一王都】


 木偶人形(パストュム)の同行は却下。代わりにタルウィの忠臣は帯同可。しかし、それはザリチュの判断。果たしてこの飛行船をペジテ大工房の巨大要塞が受け入れるのか。


「俺なら呼びつけた要人を皆殺し。高らかに大陸中へ宣戦布告。圧倒的武力で大陸制覇。楽しい祭になるだろう。まあ、御曹司に生まれてある程度育った時点で俺は覇者を目指すがな」


 向かいの席に座るザリチュが、嫌そうに顔をしかめた。


「それを止めろ、タルウィ。ペジテ大工房が動くなど歴史上初。何もかも読めない。だから大人しくしろ。決めたことを破るなよ。協力の対価は払う。先にも与えているだろう?」


 溶けない飴が気に食わないらしいザリチュ。タルウィは口から目玉を床に飛ばした。ザリチュの側近が小さく悲鳴をあげる。男の声など萎えるだけ。つまらん。


「覇王の御曹司とやら、気に入りそうな手口、やり口なのに、この顔は吐きそう。どんな祭を打ち上げるのかねえ」


 タルウィは手にしていたアシタカ・サングリアルの写真を破った。中身が良くても、顔が良い男は嘔気がする。


「はあ、つまらん、つまらん。俺の悦楽を奪うのは高くつくからな。狭い飛行船を贈ってきやがって、覇王の癖して何てケチな国。寝る」


 女も殺しも禁止。退屈な日々を過ごさないとならない。なんたる拷問。酒瓶を片手にタルウィは隅へと移動した。簡易ベッドに横たわる。


 殺すなら殺せ。嫌な予感がヒシヒシするのでスペアの体にしてきた。ザリチュの疑惑をすり抜けられたのはギリギリそうだったので、してやったとほくそ笑みそうになる。タルウィを挑発してきた御曹司に、代替品だと見抜かれてザリチュや国に不利益あれば、タルウィには儲けもの。ザリチュが屠りにくれば返り討ち。


 化物を改造して駒にする残忍さ。二千年も続いていた非植民行為を破る暴挙。ペジテ大工房の御曹司。タルウィは何故か目の敵にされているらしいが、話せば手を組めるか? ザリチュの怯えようがサッパリ理解出来ない。口を割らないから、というのもあるが。


 起こすなら激動の大嵐。巨大な祭。そうでないなら他人の祭りを引っ掻き回し、煽る方が楽しい。


 タルウィはベッドに寝転んで酒を呷った。



***


 

 明けない夜はない。


 しかし、白夜は存在する。


 間も無くクロディア大陸中の国の歴史が大きく動く。

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