遥か遠い理想への一歩
【城塔内 大鷲会談室】
セリムはドメキア王国での出来事と、「異種族支援機構」の話を王族一同に語った。アシタカ達も黙って聞いている。話し終わると、ジークは「そうか。励め」という短い返事。ユパが続けて頷いた。クワトロ達、兄姉も動揺などない。受け入れが呆気なくて、セリムは茫然とした。
「アシタカ殿、シュナ姫、ティダ皇子、愚弟が迷惑を掛けた。アシタカ殿とシュナ姫は忙しいだろうが、個人的に相談に乗ってやって欲しい。アシタカ殿、昨日は簡潔明瞭ながらも多くの文書と説明をありがとうございます」
微笑むアシタカに、セリムは驚きを隠せなかった。アシタカから根回しが済んでいたから、王族全員平静なのか。
「なるべく早く行動。情報は可能な限り正しく。それが他の追随を許さない方法だセリム。故にペジテの至宝。遠慮したんだろうけど、僕は同時進行したぞ。セリムはホルフル蟲森の大蜂蟲達から色々と学ぶそうなので、まずはそこからです。あと、蟲森の民との外交。セリム、僕は相談に乗るし、資金や資材も可能な限り提供する。僕の今後の仕事に必要だと判断したからだ。ジーク旧王、ユパ王としっかりと意思疎通を図ってくれ」
ジークがアシタカとシュナに向かって、軽く会釈をした。
「セリム、異種族支援機構の件は止めても無駄だろう。よって、この理想もお前の行動も王族総出で監視する。手が足りないので、協力者全員、お前の監視を担ってもらうことにした。ホルフル蟲森の民との外交は、クワトロとヴァルボッサが動いているので、二人と共に参加するように。いいか、今後一切、身勝手を許さん」
ジークの低い声に、セリムは背中が丸くなりそうだった。目が怖い。かなり怒っている。今後一切身勝手を許さん。ドメキア王国での大失敗や迷惑をかけたことが、アシタカやティダから伝わったのだろう。それより先に自分で話すべきだった。いつ雷が落ちるかヒヤヒヤする。セリムは情けない、話を聞く態度ではないと怒られないように、胸を張っておいた。
「ありがとうございます父上。兄上もありがとうございます」
今度はユパが口を開いた。ユパに思いっきり睨まれる。久々の大激怒の様子に身が竦んだ。
「説教は後にするセリム。ティダ皇子、昨日話した通り旧王ジーク側近かつ近衛兵長とする。それからセリムとカイの目付監視役。シッダルタ、セリムの行動は以前より目に余るので協力者ではなく抑止力になってもらう。その身、旧王ジークと風詠ボルスが預かる。役職はティダ皇子の部下、セリムの第二側近だ。セリムと共に風車塔で働いてもらう」
シッダルタが深々と頭を下げた。いきなり役職が三つもついたティダ。シッダルタは第二側近。ボルス預かりということは、風車塔で働かせる、そういう意味も持つ。つまり、シッダルタは仕事が二つ。ユパが続けた。
「フォン長官は私の管理下に置く。セリムに助力すると聞いているので、その場合は自国の姫ラステルの秘書と名乗るように。マルク護衛人の身はヒルトン近衛兵長預かり。マルク護衛人は本人の希望でフォン長官だけでなく、ティダ皇子の部下。よって旧王ジークの管理下に置く。アシタカ殿と話し合った結果、大陸連合護衛官崖の国支部試運用に関して崖の国はアスベル、ヒルトン近衛兵長、ドーラを相談監視役とする」
フォンとマルクがユパに敬礼をした。フォンはセリムを支援しながら、国の仕事をする。アシタカから個人的に任されるとは大変名誉な仕事の筈だ。マルクは本人の要望通り、崖の国とティダから学んで騎士としてより高みに登る。
対するセリムはこの後に説教をされる。ティダが立ち上がった。かなり不機嫌そう。
「荷が多すぎる。よってカイ王太子の目付監視役は却下。シッダルタ、俺の不在時は常にヴァナルガンドを見張れ。月狼は小蛇蟲と共にヴァナルガンド、シッダルタ、ラステルの護衛兼監視。采配は各々に任せる。軽口小僧は俺の群れ外なので自己管理しろ」
セリムの隣に座るティダが、フォンを睨みつけた。ティダの隣席のアンリも、フォンに冷ややかな笑顔。アシタカは激励の視線。フォンが怯えた顔を一瞬して、すぐに澄ました顔付きに戻った。
「セリム、今更だがアトラナートと孤高ロトワ、ソレイユさんの件を話そびれている」
シッダルタがセリムに囁きかけた時、ユパが咳払いした。口を開いたのはジークだった。
「そこ、ヒソヒソしていないで話せ。発言は全員に聞こえるようにしろシッダルタ」
ユパの声掛けに、シッダルタが「ひっ」と小さな悲鳴をあげた。ユパの眼光は鋭くて、慣れているセリムでも怖い。シッダルタが「すみません。気をつけます」と頭を下げた。
「兄上。話が途中になっていたので続けます。まだ設立前ですが、異種族支援機構の第一案件になるだろう問題が出来ました。まずソレイユさんです。昨日、蟲の民である僕に会いに来た、ティダの生き別れの妹です。正体不明と話していましたが、孤高ロトワ龍の民の姫君らしいです」
「そんなこと、ティダ皇子と本人から確認を取ってある。すぐに帰国するというし、全く害が無さそう。だから放置しているし、念のためにもてなしまでしている」
そんなこと。セリムは項垂れそうになった。言われてみれば、ユパが不審者を放置するはずがない。しかし、すぐに帰国する?
「探り中だが、お前同様に妙な女だ。まあ、観光気分で頭の中は花畑。適当にあしらって情報を仕入れ、追い出す。孤高ロトワは詳細不明だが、恩を着せておけば利用出来るかもしれん。ユパ王が言うように、お前は話をするのが遅い」
「すぐに帰国する? 追い出す? 孤高ロトワ龍王に一月、ソレイユ姫を預けると言われました。代わりに大蜘蛛一族の王アトラナートとの会談を仲立ちすると。大蜘蛛一族というのは未だ会ったことがない一族で、一月後に孤高ロトワ領地での会談を要求されました。正確には……」
シッダルタに肩を叩かれた。シッダルタが話を記録したノートを鞄から出して手渡してくれた。
「言い直します。昨日、酒場から戻ってきた後に孤高ロトワ龍王が一方的に語りかけてきました。あーっと、あった。蟲の民セリムに告ぐ。孤高ロトワ龍王の名の下に我らのソレイユ姫を預ける。我らの民の大蜂蟲と龍の皇子の信頼あっての判断。謝礼は一月後に蟲の民セリムと会談の場を設ける大蜘蛛アラーネア一族との仲介。こう、孤高ロトワ龍王に一方的に告げられました」
それから、とセリムはノートのページをめくった。
「この後、ホルフル蟲森の家族から話しかけられました。セリム、なるだけ毎日ホルフルの巣へ通え。家族会議をする。ラステル、シッダルタも伴え。これも一方的に言われました。ソレイユのことをホルフル大蜂蟲は知らないそうです。しかし、ホルフル大蜂蟲の子はソレイユと知り合いのようです。僕は今、子蟲にそっぽを向かれているので、ソレイユの事を何も教えてもらえません」
セリムは隣のページに移った。
「蟲の王、レークスは僕の相談を拒否。理由は僕とラステルがレークスの民ではなくなったからです。僕は蟲の民と呼ばれていて、ホルフルの民から家族と呼ばれているのに、レークスから追放されたようです。 迷惑を掛けたせいなのか? 悔しくて悲しくてなりません。蛇一族の王も僕の相談を拒否。ティダを上手く使えと助言してもらいました」
セリムは更に次のページに移動した。隙間には考察や相談後の話を書き込む予定。アシタカに教わった。
「この後、大蜘蛛一族の王が接触してきました。蟲の民と名乗る下等生物セリムに告げる。大蜘蛛アラーネア一族の王、大蜘蛛の王アトラナートは我らの父の命日に会談を望む。孤高ロトワ龍国の神秘の間、ラトナの泉に姿を現さなければ二千年続くホルフルの巣との不可侵を破棄。一方的に宣言されて、以後沈黙。孤高ロトワ龍王、レークス、蛇一族の二匹の王もです。孤高ロトワ龍王や大蜘蛛一族と接触したのは初めてです」
読み上げてみて、セリムは改めて途方に暮れた。シッダルタが、アシタバ蟲森で蟲の王と話した内容を語った。
「このように、レークスから大蜘蛛一族は人嫌いと聞きました。セリムがいつか蟲の王になるかもしれない。人が蟲の王レークスとなると蟲とアラーネアは全面戦争」
「僕は蟲の王レークスに後継になるかもしれないと言われたらしいです。多分、それが大蜘蛛一族に伝わって怒っているようです。孤高ロトワはレークスも蛇一族の王バジリスコス、ココトリスも接触不可能な民。ティダが皇子で、ソレイユは姫。ソレイユは三つ子だそうです。その他の情報はありません。僕には状況がサッパリ分かりません。しかし、大きな変動が起きているのは分かります」
この場の全員が——正確にはティダとアシタカとシュナ以外——険しい表情。ユパが頭が痛いというように、額に手を当ててため息を吐いた。
「レークス、バジリスコス、ココトリスは概ねヴァナルガンド派。ホルフルの民が会議というなら何かしら話があるのだろう。レークスやバジリスコスは俺となら話すと、要は援助の姿勢。結婚式典後にでもロトワに行くか。本山と村が気になるし、アンリも披露しておきたい」
ティダが涼しい顔で、さらりと告げた。
「この話、レークスから懸念を聞いていた。覇王を名乗るならこの激動の大嵐終わらせるのに付き合い続けろ。それがレークスから僕への要求。アトラナートとの会談に僕が参加出来るのか、接触時にはきちんと交渉をしてくれ。逆に僕に接触してきたらレークスが教えてくれるだろう。この場合、セリムに話す。最終的に僕が全てを統べるが、とりあえずセリム達とティダに任せる。こちらも情報を集めておく」
アシタカは穏やかな笑顔。セリム達とティダに任せると告げた時、ティダの名に力がこもっていた。そして、最終的に僕が全てを統べる。またアシタカの背中が遠くなった気がした。
「私はアシタカ様と同じように助力します。人の世も、別の世も大変そうですが、そういう時代なのでしょう。一体他にどんな種族がいるのか分かりませんが、全種族をまとめたら、未来永劫燦々と輝けますね。夫婦で歴史に名を刻むのに良い案件です」
アシタカ同様にシュナも割と穏やかな声だった。胸元から頭部を出した小蛇蟲を撫でながら、シュナがアシタカに笑いかける。アシタカが大きく首を縦に振った。
「ベタベタしたいなら、部屋にとっとと戻れ。帰るまで散策でも遊びでも好きにしてろ。どうせもう鼻高王子と話はまとまっているんだろう。 お前らは人の世を囲っておけ。ヴァナルガンド、明日の昼前にホルフル蟲森へ乗り込むぞ」
ティダが立ち上がって、セリムを指差した。次はラステル、シッダルタ、月狼、そして最後はマルク。
「ヴァナルガンドは自分で移動可能。ウールヴとスコールで足りるか。明日は日の出と共に移動する。全員必ず起きろ。起きてなければ叩き起こす」
「待てティダ皇子。何故、勝手に話を進めている。ホルフル蟲森に行くならクワトロとヴァルボッサもだ」
訝しげな面持ちでユパが立ち上がった。
「俺が仕切らんで、誰がやるんだ。アシタカは帰宅。仕事が山積み。シュナはアシタカの補佐官。ジーク旧王とお前がヴァナルガンドを見張れと言ったんだろう。ヴァナルガンドの兄など何をしでかすか分からん。管理しきれん。蟲森の民との外交は別件。のらくら先伸ばしにして後回しにしろ。それか外界の暮らし辛さを叩きつけろ。蟲森の民との外交とやらには俺は関与せん。ヴァナルガンドに頼まれれば顔を出すがな」
ティダが肩を竦めて、ユパから顔を背けた。それからセリムの頭に手を乗せる。髪をぐしゃぐしゃにされた。
「あの、今……私を抜かしましたよね」
そろそろと手を挙げたのはフォン。確かに、ティダはフォンを数に入れなかった。
「ティダ皇子、私を入れて下さったのは帯同許可ということですよね? このマルク、期待に応えます」
マルクが勢い良く立ち上がり、誇らしげに胸を張ってティダを見つめた。嬉しそうな笑顔。
「俺の部下を名乗るなら鍛える。相応しくない言動、生き様見せたら嬲り殺し。シュナに免じて、部下と名乗るのを止めた場合に限り逃亡を許す。軽口小僧はゴガモなので蟲森に近寄るな、だそうだ。お前は取りまとめと記録でもしておけ。以上。後は実にならんから解散」
ひらひらと手を振りながら、ティダが部屋を去ろうと扉へ向かって行く。
「ゴガモとは何でしょうか?」
フォンが腑に落ちない、というようにティダの背中を見つめた。ティダは答えない。
〈ゴミオーガもどき。ソレイユが付けた名前っていうやつ。 嫌な匂い。すごく臭い。ゴガモはホルフルの巣に立ち入り禁止〉
〈アシタバアピスの子もゴガモが嫌い。アシタバの巣に一歩も踏み込ませない〉
〈ゴヤアピスの子も嫌だ。ゴヤに来させるな〉
〈ロトワアピスの子もゴガモが大嫌い。フェンリス皇子、孤高ロトワに連れてこないで〉
突然、大蜂蟲の子が語りかけてきた。嫌い、ゴガモ、臭いの大合唱と「セリム遊べ」と喧しいので、セリムは必死に振り切ろうとした。無理矢理、大蜂蟲の子達の意識を追い出す。
これは、フォンに伝えるべきなのか? ティダは沈黙。フォンの為になのか、説明が面倒なのか、どういう理由だろう。
〈どうも浸入が難しいな。俺は孤高ロトワの子蟲に、フェンリス皇子と呼ばれるのか。ソレイユといいフェンリスの名で呼ぶなら、老狼達が孤高ロトワを知っているかもな。ったく、俺はどんな存在なんだか〉
「軽口小僧、俺はゴガモが何たるか知らん。我が妹らしい娘、ソレイユからの忠告なので本人に聞け。マルク、行くぞ。近衛兵や土地を確認する」
扉を開く時、ティダが振り返らずに告げた。セリムになんて話かけてませんという態度。どうしてこう、器用なのだろう。ユパがティダに声を掛けようとして、ジークに止められた。これではまるでティダが王のようなのに、何故ジークは許しているのだろうか。マルクが慌てて立ち上がる。
ティダが部屋の外に出て、直ぐに戻ってきた。それも後退りしながら。頭に小蛇蟲を乗せたカイが、ティダの前に立っている。カイはティダを会議室の前で待ち構えていたようだ。
「おいスヴィティ、仕事の邪魔になるのでついてこようとするな。そもそも何故ここにいる。俺は先程お前の目付……」
「目付監視役が正式に決まったんですよね。ティダ先生、昨日の課題はもう終わりました! 小蛇蟲君は賢いです。手信号のようなものを一緒に考えています。母上、カイは今日の課題図書を読み終わったので、ティダ先生から短旋棍を教わります」
カイがティダの手を繋いで引っ張る。さあ行こう、待ちきれないという胸を踊らせた笑顔。ポカンとしていたマルクが慌てて二人を追いかけていく。マルクは部屋を出るとき、一同に会釈を忘れなかった。
「喧しい。先生なんて呼ぶのは止めろ。基礎鍛錬もせずに武器など扱えん。俺は近衛兵と国内の視察で忙しい」
「なら師匠ですか? 視察を視察しながら鍛錬せよということですね。ティダ師匠は模造風凧を知っていますか? 今日の午後、シュナ姫様をもてなすのです。一緒に行きましょう。アンリさんとも約束してます。夫婦で挑戦して下さい。ティダ師匠ならきっと楽々とこなせます」
「その通り。お前のような軟弱はまず鍛えろ。マルク、俺の視察の邪魔にならぬように指導しろ。師匠? まあ師匠の方がマシか。ラステルもそう呼んでいるしな。模造風凧とは、ヴァナルガンドの移動手段の簡易版だと聞いている。使えるかもしれんから試してみるか」
遠ざかるティダとカイの声に、セリムは噴き出しそうになった。目付監視役にはならないと言ったのに、カイの世話をする気満々に見える。師匠と呼ばれるのは、悪い気がしないのも何だか笑える。それに杭。
「スヴィティは、確か古い言葉で杭。余程気に入ったようですね。本当に、随分と丸くなったこと」
シュナがクスクスと笑うと、場の空気が和やかになった。
「シュナさんもティダから聞いたんです? セリム、スヴィティとは巨大な石の杭だ。昔、ティダに聞いた大狼の神話に出て来る。ティダはその話が好きだから、質問したら教えてくれるだろう」
シッダルタはぼんやりと開かれたままの扉を見つめている。
「セリムに似ているからか、カイ王太子のことを相当気に入ってるわ。昨日の夜、遅くまで仲良くチェスをしてたもの。今朝は二人で散歩。今日から一緒の部屋なのよ」
アンリが楽しそうに笑う。ティダとカイが同室? 一番広い客間をティダへ用意したと聞いてはいたが、その為だったのか。セリムの質問にはちっとも答えてくれないのに、カイには直々に色々と教えるのか。ラステルといい、カイが羨ましい。
「ユパ、いつまで立っている。すっかり飲まれていたな。あれはお前にはまだ荷が重い。私が管理するので放置しろ」
座るタイミングを失っていたのか、確かにユパは立ったまま。ユパが苦笑いをして、ジーク、アシタカと見つめた。アシタカも苦笑いを返す。なにやら通じ合っている二人。
「いた、ゴガモ。あら、皆して何をしているの?」
開け放たれた扉の向こうから、ひょっこりとソレイユが顔を出した。のんびりと入室してくる。
「迷路みたいだけど、覚えたわ。住んでいるところに似ているもの。ゴガモ、一晩考えたのだけどソレイユは貴方の何もかもを鍛えるわ。そうしたらソレイユは星姫のようになれる。きっとそうよ。違くても、ゴガモはシッダルタ様の仲間だと聞いてるから、やはり鍛えないとならないわ」
昨日はフォンに近寄るなと文句を言い、嫌そうな顔をしていたソレイユが、今日は笑顔でフォンに近寄っていく。
「俺を鍛える? あと、ゴガモとは何だ?」
「ゴミオーガもどき。ソレイユはゴミに顔を突っ込んでも笑顔でいる練習だけではなくて、より高みを目指すことにしたの。まずは崩れた崖を直しなさい。それから弱々過ぎて話にならないから走るのと、崖登りをしなさい。 セリムとラステルの部屋で良い本も見つけたから読むのよ。セルペンスが協力してくれるからサボってはダメ」
少し嫌そうな顔で、ソレイユがフォンの頬にキスした。フォンから離れたソレイユが引きつった微笑みを浮かべる。ソレイユの服の隙間から小蛇蟲が現れて、フォンの頭へ飛び乗った。フォンは愕然としたようで、固まっている。
ゴミ、怪物、もどき。それでゴガモなのか。
ソレイユがトコトコとジークの横に移動した。
「セリムの父様、ソレイユはナーメからお薬を貰ってきたわ。正確にはアピスの子が持ってきてくれたのよ」
腰に身につけたポーチからソレイユが何かを取り出した。ソレイユがジークに差し出したのは、シュナの病を治した毒消しに類似したものだった。ソレイユを見上げたジークが、何か言おうとした時、ソレイユが毒消し様の玉をジークの口に放り込んだ。突然過ぎて、誰も止められなかった。ジークも思わずというように口を閉じている。
「親切な家族だって報告したら、あげても良いって。沢山ないから、父様を選ぶ。とっても素晴らしい匂いがするし、セリムの父様だもの。ラステル、星姫と海へ行く約束よ。ソレイユは待ちくたびれたから迎えにきたの。アンリ姉様もよ。あーあ、ここは素敵な里だけど、 アンリ姉様と一緒に星姫の国に行きたいわ。でも禁止ですって。ティダ兄様と一緒に寂しい気持ちでアンリ姉様を待つしかないの」
止める隙もなく喋り続けるソレイユ。ラステルを立たせて、早くというように背中を押す。ソレイユがアンリとシュナに満面の笑みを投げた。それからラステルの手首を掴み、引っ張っていく。
「ゴガモ! 早く助けが必要なところに行きなさい! だから貴方はゴガモなのよ! セリムやシッダルタ様の仲間なのに巣に立ち入り禁止の恥晒し。シッダルタ様に恥をかかすなんて最悪、最低。ゴガモじゃなくなるにはアンリ姉様のように、素晴らしい人に愛されないとならないの。ゴガモじや無理。無理、無理、無理、無理! ソレイユは怠惰を許さない!」
振り返ったソレイユがフォンを睨みつけた。それからプイッと顔を背け、ラステルを連れて部屋を出ていった。まるで、嵐。小蛇蟲がフォンの頭を嘴のような口でつつきはじめた。
「痛い、痛い。地味に痛いな。何なんだよ、離れろ。恥晒しに怠惰⁈ 俺の何を知っているんだあの女!」
フォンが身をよじって小蛇蟲を追い払おうとしたが、シュルシュルとフォンの体にまとわりつく小蛇蟲。
「セル君に従いなさいバガモ! 傷つけでもしたら本物の怪物ね! それならソレイユが直々に嬲って大橋から突き落とすわ! 怪物は絶滅させて良いんだもの。でも嫌なことを皆にさせてはならない。だから、嫌でもソレイユがしないと。セリムとシッダルタ様の信頼を無下にするなんて、史上まれにみる極悪。ラステルと星姫、あとアンリ姉様に近寄らないで」
戻ってきたソレイユが、ツカツカとフォンに近寄り胸を指で指した。先程より強くフォンを睨み、吐きそうという顔をして、そのあと無理矢理というように笑顔を作った。
「ゴミと笑い合うなんて難題。でもソレイユは勤勉だから成せるわ。目指せ星姫なんだもの。ほら、行きましょうアンリ姉様、星姫。特にアンリ姉様は寂しがり屋のティダ兄様となるべく一緒に過ごすのよ。でも、ソレイユと遊んでからね」
有無を言わさず、ソレイユがアンリの手を引いて歩き出す。次はシュナ。ラステル、アンリ、シュナがソレイユに攫われていった。
「これまた愛くるしい、分かりやすい娘だな。それに場の雰囲気を持っていくのは確かに兄妹か。クイ、ドーラとケチャに城塔を任せて付き添え」
またソレイユが戻ってきた。クイに飛びついて頬を寄せる。
「そうよジーク様。ソレイユはまだ見ぬティダ兄様をずーっと慕っていたの。オーガの里で逞しく生きて、オーガを退治。更には下等生物も統治していると聞いていたもの。だからあんなに素晴らしいのに、とても辛そうなんだわ。でも大丈夫。アンリ姉様がいて、ソレイユも増えたもの。ソレイユはティダ兄様に相応しい妹、そして王を支える協王になるわ。クイ様、行きましょう」
あらあら、と言いながらクイがソレイユと部屋を出ていった。部屋から出ていく寸前、ソレイユはフォンに冷笑と「バガモ」と声を出さずに口だけ動かした。
「地獄耳もティダ皇子と同じ。龍人って言っていたよなセリム。嫌なことは自分がする。良い事をしろと脅す。それも似ているのか? ティダが寂しがり屋だなんて、ソレイユさんの視界はどうなっているんだ? ソレイユさんはセルペンスとも話せるんだな」
サラサラと音がすると思ったら、シッダルタがノートにソレイユとフォンのやり取りを記録していた。興味深い、そういう表情。
「偏見の塊だシッダルタ。ゴミ、最悪、極悪だなんて、そんなこと言われた事がない。罵倒ばかり、何なんだ。痛い、痛いんだよこの蛇! 俺には俺の仕事が……」
「フォン、蛇ではなくセルペンス。ドメキア王国との外交問題に発展するので侮辱するな。セリムの横に立つなら尚更だ。仕事? 言われた通り、災害地の整備をしてこい。それも君の仕事のうちだ。近衛兵長預かりの身なのだから、即座にユパ王に申し出て、部下のマルクと共にティダについて行くべきだった。君は総司令室やドメキア王国で何を見ていたんだ。セリムからも色々と聞いているんだろう?」
立ち上がったアシタカが冷めた視線をフォンに送った。フォンが一瞬で青ざめた。
「アシタカ、そんな言い方は……」
「口を挟むなセリム。フォンは僕の部下。汝、まずは与えよ。汝、隣人を愛せ。信じることは難しいが、先に信じよ。フォン、大技師名代の信頼を盾にこの地へ滞在すると胸に留めろ。ユパ王、僕は時間が惜しい。粗方検討はついたし、采配も終わったようなので失礼します。アリババ王子と詳細を詰めておかねば」
アシタカは優しい笑顔でフォンに近寄り、肩を叩いた。
「ア、アシタカ様……。すみません、俺……」
「あの様子、君と接するとソレイユさんはポロポロ、うっかりと情報を提供してくれる。それに親しくなれば異種族との共存に近寄る。とても良い立場じゃないか。セリムが羨ましいそうにしているぞ」
セリムは図星を突かれて、ドキリとした。フォンの立場だったらソレイユに聞きたい事が山程あるのを見抜かれている。フォンがセリムを見たので、セリムは頷いた。後で質問事項をフォンに頼もう。アシタカがフォンの頭に乗る小蛇蟲を撫でた。
「ジーク様、先程のはシュナを治した毒消しに良く似ていました。恐らく、その足は良くなるでしょう」
ジークの名を呼んだのに、アシタカはユパをジッと見据えた。
「色々とよろしくお願いします。セリムに人材を奪われ、手足が足りなくて困ってますので」
アシタカは優雅な会釈を残して部屋を後にした。
「あはははは! また逃げられたな。ユパ、囲まれ追い込まれているようなので励め。セリム、お前は何ていう男達に好かれてきた。足が治るとは、にわかには……いや、感覚がある?」
ジークが驚愕したように目を丸めて、そろそろと立ち上がった。足の筋力が衰えているが、机に手をついて立っている。実に十年以上振り。転びかけたジークを隣席のユパとクワトロが支えた。
「この体をどう説明するか……。毒消し……。宝物庫に保管してあるのをどうするか……。本当に問題ばかりだな」
セリムはジークに部屋から追い出された。フォン、それから月狼と共に。
昼食後、アシタカ達が帰国した後に再度集合。それまでセリムはソレイユをもてなすようにと命じられたので、海岸に向かうしかない。再度集合の際に、セリムはいよいよ雷を落とされるのだろう。
「兄上ではなく、父上の治世に戻るかもしれないな。今も裏側でユパ兄上を導いているのは父上だし」
「目が、目が怖かった……っ痛! だから痛いって。分かった。行くって。急かすなよ」
小蛇蟲につつかれるフォンと一緒に、セリムは城塔から出た。フォンに災害があった崖の方面と、中央近衛兵署の場所を教える。その間に月狼はあっという間にいなくなっていた。方角的には海岸。
セリムは重苦しい気分で、一人海岸に向かって歩いていった。理想を胸に灯したが、道が見えない。それでも第一歩を踏み出した筈と、セリムは自分に言い聞かせて丸々背中を伸ばした。




