知りたがり王子と迷子皇子
【風車塔最上階 別名 屋根裏】
「この部屋、秘密基地みたいで好きなんだ」
セリムは月狼にもたれ掛かった。包帯でかなり固定したとはいえ、歩き回って捻挫している足がかなり痛くなっている。このまま、ここで大人しくしていよう。シッダルタが胡座をかいて座ると、何故かカイはシッダルタの膝の上に座った。シッダルタが驚愕したように固まる。
カイを咎めるか悩んだが、シッダルタが微笑ましそうにカイを見下ろしてくれたので止めた。この場には自分達3人と月狼しかいない。カイは立派な挨拶をしていたと、シッダルタがそう褒めてくれた。しかし、まだ八つ。見えないところでは、のびのびしていた方が良い。それがクワトロとドーラの教育方針で、ユパやジークも賛同している。
「晴れていたら、景色も良いだろうな。でも、今日のような日でないと僕はここに来れなそうです。セリム叔父さん、いつもと少し違いますね」
「そうかな?」
「父上のようです。旅をすると成長するというのは本当だと、そう見えます」
カイはセリムに話しかけているのに、月狼からジッと目を離さない。大狼に興味津々らしい。
「スコールさんは何処で生まれたんですか?」
カイの問いかけに、セリムは首を横に振った。
〈構わん。フェンリスはこの王太子を鍛えると言っていた。それから逃亡しても弟分は弟分。フェンリスに、こいつが何をしようと食い殺すなと言いつけられている。他言されても滅ぶような里ではない。むしろ攻めてきた人間共が血に染まる。折角、線引きをして互いに害が無いように暮らしているのに侵略してくるなら、戦争だ〉
思わぬ発言。セリムは月狼の顔を覗き込んだ。シッダルタはやはりティダにとても大事にされている。スレ違いというか、ティダの思い込みは直さないとならない。
大狼は人と戦争をしないように暮らしている。好戦的のように見えても、何か境界があるのだろう。
〈カイも大狼になるのか?〉
〈さあ? それはフェンリスが決めること。招いた者が責任を取らねばならん。いざという時に殺す覚悟がいる。だから招かないだろう。そもそも、招ける人間は僅かで、本来ならその方法も一部の老狼しか知らない。フェンリスは信頼厚いから老狼に気に入られている。俺が軟弱パズーを招けたのは、一か八か。フェンリスが半分だけ招いている、そう言っていたのを覚えていたからだ〉
セリムはカイに視線を戻した。ティダはセリムを「殺す覚悟」を持って大狼に招いた。いや、セリムなら「殺さなくて済む」と信頼を寄せてくれたのだろう。そしてパズー。パズーはかなりティダを慕っているようだが、ティダも同じらしい。
「シッダルタ、カイ、この場所の名に因んで話をする。スコール君の故郷は大陸中央、ロトワ蟲森にある。カドゥル山脈という険しい岩山にある、リングヴィという里だ。人が踏み込むのは困難な場所。僕はいつか招かれる。その時、またカイに話をしよう」
「ありがとうございます、スコールさん」
カイがニコニコと笑った。シッダルタが瞬きを繰り返して、月狼を見つめる。
「そうか、信頼をありがとうございます。ベルセルグ皇国ではロトワ蟲森は禁足地。それがなくても人にとって死の森なので近寄りません」
月狼の尾がシッダルタの腕を殴った。かなり手加減のようだが、シッダルタは痛そうに顔を歪めた。
〈お前は近寄れ。ヴァナルガンドの右腕が何を言っている。フェンリスの期待にも応えろ。この軟弱め。パズーより鍛えているのでマシだが、あれこれ似ていて気に食わん〉
「あはは、シッダルタさん怒られてる。折角、セリム叔父さんと来ても良いっていわれたのに拒否なんてするから。勿体無い」
カイがシッダルタを見上げ、肩を揺らして笑う。シッダルタがポカンと口を開いた。セリムも驚いた。語れないのに、カイは正確に月狼の心情を汲み取った。月狼の尾がカイの頭を撫でている。
〈カイはまるで小さいヴァナルガンドだな〉
「大狼は何てふかふか……」
カイの目が、爛々と輝く。月狼の尾がカイの膝の上に乗った。カイがさわさわと尾を撫でる。
「あー、シッダルタ。カイの言う通り。僕の右腕だから、リングヴィに来訪するのは当然。スコール君はそれなのに、軟弱めと怒った。あと、ティダは相当君が好きだ。シッダルタが何をしようと食い殺すなと頼まれているそうだ」
「いや、怖いから断るという意味では無かったんだが……。害さない、そう伝えたかったんだが言葉選びというのは難しいな。何をしようと食い殺すな? 本当にティダは……俺はどうしてそこまで気に入られたのかサッパリ検討がつかない」
「そうだティダ皇子! セリム叔父さん! カイはティダ皇子と話をしたいです! あのような姿になるにはどうすれば良いのか教えてもらいます!」
カイが立ち上がって、ピョンピョンと跳ねた。セリムが肯定を告げないと、部屋を飛び出しそうな勢い。セリムなら絶対にティダを呼んでくれる。カイの顔にそう描いてある。
「シッダルタ、僕は自分がどのように見られているのか少し察した」
興奮すると、八歳児並。そりゃあ、方々から止めろと指摘を受けるはずだ。
「呼んでみるが、来るかどうかは……」
〈おいヴァナルガンド! てめえ、シッダルタで何をしやがった! 最悪だ、最悪。どいつもこいつも! 特にお前の父親はどうなっている! お前やアシタカ、それにアンリの手前、 多少の譲歩はするつもりだったが最悪だ! 俺が静かに飲めないのに、呑気に飲んでるなら逃亡男共々嬲り殺す!〉
呼ぶ前にティダは来るらしい。何をそんなに怒っているのだろうか? 逃亡男とはシッダルタのことだろう。ティダはすぐに渾名をつける。
「何だか分からないが、ティダが来るらしい。シッダルタ、父上と何か話をしたか? ティダが最悪だとか、何やら怒っている」
シッダルタが困った、というように頬を掻いた。
「どんな男なのかと、ジーク様や重役の方々に聞かれたので素直に答えた。嘘は言ってないと言い返してやる」
そう言いながら、シッダルタの顔色は悪い。ティダの罵声を想像したのだろう。
「どんな方なんですか⁈ 賢い大狼や蛇一族に尊敬され、セリム叔父さんの目付監視役を任され、いきなり災害支援で手を貸してくれて、どうやって鍛えてきたんですか? どのくらい本を読んでいました? 威風堂々、凛々とした姿はどのように身に付けるんですか? 態度を直ぐに変えられるのは練習ですか⁈ 父上とユパ叔父上を混ぜたみたいで格好良いです!」
カイが床に手をついて、シッダルタの顔を除き込んだ。見に覚えがある光景に、セリムはまた反省した。
〈海岸でヴィトニル兄を質問責めにした、ヴァナルガンドと同じだな〉
月狼の呆れ声に、セリムは俯きそうになった。
〈スコール君、君はヴィトニルの弟だったのか……〉
〈はぐらかすな。俺は孤児。大狼は自らの子で手一杯で、七つにして独り立ちさせられた。無論、死にかけた。そこをフェンリスに引き取られ、ヴィトニル兄に預けられ、十年と少々経つ〉
誇らしい、そういう声色に表情。一方、眼前にはシッダルタへにじる寄るカイ。月狼が愉快だというように目を細める。
「強いのは、多分大狼だからで……。態度は元よりあんな風格でした。出会った頃、十歳の時にはもう既にです。だから、分かりません。指だけで腕立てとかをしているのは見たことがあります。本は一度読めば大体覚えると。考えてみると、俺はティダがどうやってあんな風になったか全然知らないな」
最後は独り言のようだった。シッダルタがカイへ申し訳なさそうに微笑む。お礼は言ったが、カイはガッカリ、というようにつまらなそうな顔になった。その態度は良くないと咎める前に、カイがセリムの方へ振り向いた。
「セリム叔父さんは知っています?」
知りたい、という強い熱意の雰囲気にセリムの脳裏に「面倒そう」という単語が浮かんだ。一つ答えたら、次々と質問されそう。これか、度々指摘される自分の悪癖は。
「多分、もうすぐ来るから本人から聞きなさい」
ふーん、とカイが唇を尖らせた。またシッダルタの方へ向き直る。
「ベルセルグ皇国と崖の国はどのように違います?」
「どのように? そうですね、まず海がありません」
「海がないんですか? そうか、確か……大陸の真ん中にあるんですもんね」
「そうです。大陸中央に位置し、周りを山に囲われているのです。岩窟と呼ばれるように、岩が多い土地です。特に皇居は岩山を切り開いた、岩窟の城です。皇居の背後はユルルングルという山脈。岩窟龍王が住まうという、我が国の神が住まう山。ベルセルグ皇国は崖の国と同じ天然要塞です」
カイが熱心な顔付きで耳を傾けている。セリムも未だベルセルグ皇国のことは、書籍とシッダルタからの話でしか知らないので興味がある。
「皇居の北部が市街地です。その更に北にはロトワ蟲森と国を分断するように山脈があります。名はカドゥル。これも我が国を護る神聖な山脈です。麓に広がるのはナルガの森。それからコウガという大きな川が国を東西に分けています」
セリムはシッダルタの説明と頭の中の地図を照らし合わせてみた。東はボブル国へと続き、北西部はアシタバ半島、南西はペジテ大工房。確か、そういう位置関係だったはず。
〈さっきもそうだが、ナルガ山脈だヴァナルガンド〉
〈ナルガ山脈? そう言えばラステルはそう言っていた〉
「なあ、シッダルタ。ティダからはカドゥル山脈と聞いたが、ラステルからナルガ山脈にカドゥルの森と聞いた。 ラステルはヴィトニルに聞いたそうなんだ。何か知っているか?」
ナルガ山脈にカドルの森、森はコヨになる。ラステルはそんな風に話していた。コヨは紅葉のことらしい。ラステルはどうも何かの名称や人の名前を覚えるのが苦手なようだ。
「古い時代には、ナルガ・カドゥル霊峰と呼ばれていたらしいから、そのせいかな?」
シッダルタが不思議そうに月狼を見つめた。
〈その通りだ。ナルガ山脈にナルガの森、カドゥル山脈にカドゥルの森。フェンリスが言うには、人と大狼で逆転しているらしい〉
「人と大狼で、呼称が逆転しているそうだ。しかし、同じ名称を知っているならかつて大狼と人は共存していたのだろう。いや、そうだ、アシタカは大狼と暮らした。偽りの庭にいる大狼はその名残なのか?」
シッダルタとカイが同時に首を捻った。セリムはペジテ大工房の初代大技師アシタカは、大狼に好かれていたことを話した。
——弟に負けない神話をバジリスコスとココトリスと残す。大狼はアシタカと暮らすって聞かないしアピスはシュナ。俺達三人、それぞれ守るべき者がいるから強く生きていこう。
セリムが覗いた古代の記憶。三つ子はそれぞれ別の異生物と生きた可能性が高い。エリニースは蛇一族。アシタカは大狼、シュナは蟲一族ないし大蜂蟲。
——大蜂蟲も他の子達も分かれると言っています。
エリニース、アシタカにも蟲一族はついたのだろう。蛇一族や大狼はどうだったのだろうか?
「古代のアシタカは大狼に好かれていたか。今のベルセルグ一族は古代アシタカの血を継ぐかもしれない。セリムはそう考察していたな」
「ベルセルグ皇国は古き時代にペジテから追放された民が岩に創り上げた国。僕はそう学んでいた。しかし、蟲一族の記憶によれば追放ではなく、古代アシタカの子孫は自ら外界に出た。ドメキア王国から嫁いだ姫と共にだ。この時点で古代アシタカとエリニースの血は交わった。彼等は恐らく、今のベルセルグ皇国辺りに定住した。今のベルセルグ皇族に繋がっていると、そういう推測。アシタカと暮らしたかもしれない大狼はどうしたのだろう」
「二千年前に蟲森へと消えたかもしれない、古代シュナとオルゴー。もしロトワ蟲森の孤高ロトワ龍の民へと続いたなら、ティダはシュナの系譜も汲むという考察もしていたな。孤高ロトワ龍の皇子にして、ベルセルグ皇族。セリムの憶測が当たっていると、ティダは三つ子の血を全て受け継いでいることになる」
セリムとシッダルタは二人して腕を組んだ。お互い、ティダなら有り得る。そう考えただろう。
「偽りの庭の大狼とは、今なら話を出来るかもしれない。結婚式典の際に話しかけてみる。ティダはあの大狼と話したのだろうか? 僕はまだティダと大狼が語れるとは知らなかった。ベルセルグ皇国の歴史を調べたいな」
「伝承なら俺が知っている。ベルセルグ皇国の興りは数百年程前だ。戦国乱世が統合されて、今のベルセルグ皇国となったのは約三百年前。建国したのは皇族ベルセルグ一族の祖先。皇族は岩窟龍王の子孫だと言われている。孤高ロトワ龍の皇子か、岩窟龍王と何か縁があるのだろうか」
岩窟龍王について聞こうと思ったら、カイがシッダルタの肩を叩いた。
「ああ、すみません。古い歴史の話です。真実はまだ何も分かりません」
「分かったら、教えてくれますか⁈ ユパ叔父上や父上から、シッダルタさんはセリム叔父さんと植物や歴史研究をすると聞きました! それでこの国で暮らすんですよね? セリム叔父さんとラステル叔母さんの側近になると聞きました」
セリムはカイの発言に目を丸めた。セリムはまだシッダルタを客としか紹介をしていない。
「それなんだがセリム、身分を隠すことやセリムに説明してもらうのがいたたまれなくて、ジーク様へ話をしたんだ。セリムがティダやアシタカと居なくなった後。ラステルに仲介してもらって。アシタカ達からジーク様やユパ王へ話が伝わっていて、俺の処遇はほぼ決まっているらしい。セリムが直ぐに話さないから叱る、そう言っていた」
「いたたまれない? 何度も話し合ったじゃないか。過去は過去。今のシッダルタは……」
「強行したのは謝る。すまなかった。ジーク様に、もっと話し合えと怒られた。この程度のことを話し合えないのはこの先溝となる、って。セリムの言う通り、俺はもうドメキア王国に籍がある。奴隷というのはもう過去だ。しかしその過去が今の俺を作った。俺は誹謗中傷されても、誤解されても構わない。胸を張る。俺を信じてくれるセリムやラステルがいるからだ」
シッダルタが背筋をピンと伸ばして、セリムを見据えた。
「しかし、不要な誤解や諍いは無いに越したことはない」
「そうだ。セリムのその気持ちが嬉しくて、折れた。だけどずっとモヤモヤしていて、ラステルに相談したんだ。嘘が嘘を呼んで上手く言葉が選べなくなって心が重たくなるのと、真実で責められても反論出来るのと、どちらが暮らしやすいか聞かれた。それから、身分を明かして弱い立場の人の気持ちが分かると相手に伝えられる。そう言ってくれた。ラステルのその言葉が胸に響いたんだ。その話を先にセリムにするべきだった。俺は押しに弱いから、セリムと話すことから逃げた」
シッダルタがセリムに頭を下げた。シッダルタはセリムの為にラステルの発言を黙っていてくれた。そう伝わってくる。ラステルが今の嘘で固められ地位が嫌だと感じていることを、セリムは気づいてやれていなかった。
「シッダルタ、頭を上げてくれ。僕が話を聞かないで、自分の意見を押し付けたからだ。あと、ありがとう。僕はラステルともっと話し合わないとならない」
「そうだ。セリムはそういうところがある。ジーク様が説教だと言っていた。俺も悪いと怒られた。うんと長い付き合いになる予定だから、お互い気をつけよう。そうだ、あれだ。諦めを許さない。三つ子の言葉なんだろう? 俺とセリム、それからラステル。三人は何もかもを諦めない。そういうのはどうだ?」
シッダルタがセリムに左手を出した。セリムは握手に応じた。シッダルタが恥ずかしそうに微笑む。
「ジーク様がさ、この国を第二の故郷、我等王家を第二の家族と思って欲しい。そう言ってくれたんだ。嬉しかった。俺の家族は全員死んでいるからさ」
シッダルタがセリムの手を離し、照れ笑いをしながら俯いた。悲しそうな表情になったカイがシッダルタにしがみつくと、シッダルタか「しまった」という顔になった。
「流行病でです。気を遣わせてすみません。嬉しかったという話をしたかったんです」
多分、流行病ではない。シッダルタは明らかに絶望的な光を瞳に宿している。話を聞いたカイがシッダルタの手を握った。視線は床。目を潤ませて、口を真一文字に結んでいる。シッダルタがおずおずとカイの肩に手を置いた。
「そんな風に、自分のことのように悲しんでもらえるのも嬉しいです。ありがとうございます」
「それでセリム叔父さんと植物研究をするんですね。新しい薬が出来たら、病気から人が救えます。セリム叔父さんも、シッダルタさんと同じです」
「ええ、セリムから少し聞きました。歴史もですが、植物研究や薬についても学ぶつもりです。それにペジテ大工房が大陸中に医療支援や医療技術向上をする予定らしいです。きっと明るい未来、鮮やかな未来が待っている。俺は必ず、作る側になります。なあ、セリム!」
歯を見せて笑ったシッダルタに、セリムは大きく頷いた。カイがシッダルタに尊敬の眼差しを向けている。ジークやユパがシッダルタを受け入れるのは、セリムの為だけではないとハッキリ分かる。王族が己の仕事を見失わないように、弱い立場の生の声を聞かせることはとても大事なことだ。
〈ヴァナルガンド、フェンリスが来た〉
月狼が立ち上がった瞬間、屋根裏部屋の扉が勢いよく開いた。カイがシッダルタにしがみつく。
「おい、シッダルタ!」
ズカズカと部屋に入ると、ティダがシッダルタの胸倉を掴んだ。しがみつくカイごと、シッダルタの体が持ち上がる。瞬間、カイがシッダルタの腕から手を伸ばして、ティダの腕にぶら下がった。
「ティダ皇子! ティダ皇子! どうやってこのように鍛えたのですか⁈ 指だけで腕立て伏せするからですか? 本は何十冊読みました? 威風堂々、凛々とした姿はどのように身に付けるんですか? 態度を直ぐに変えられるのは練習の成果ですか? 岩窟龍王の子孫や孤高ロトワ龍の皇子とはどういうことですか⁈」
カイの怒涛のような質問に、ティダが頬を引きつらせた。カイは懸垂しようとしている。
「おい……子永狼よ、腕から離れろ……」
「ヴァド? ヴァドとは何ですか? カドゥル山脈とカドゥルの森はどちらが正しいんですか? 古代の三つ子の話はセリム叔父さんから聞きました? 僕はまだ教えて貰えません! どうしたら大狼や蛇一族と話せるようになりますか? 小蟲君は僕と少しだけ話してくれました!」
ティダの腕の上に登りきったカイが、自慢げに笑った。
「ヴァナルガンド、前言撤回だ。大人しいかと思っていれば……。俺は鍛えん」
ティダがカイの首根っこを掴んで、セリムに投げた。
「鍛えん? 僕を鍛えるつもりだったんですか? 今のは礼儀がなっていなかったからですね。カイ・レストニアです! ティダ皇子、よろしくお願いします! 大人しくも出来ます!」
すぐに立ち上がったカイが、目を輝かしてティダを見上げた。右手を差し出して、期待の眼差し。ティダが嫌そうに目を細め、カイを無視して背を向けた。そのまま部屋の外へと出て行く。
「カイ王太子、ティダ皇子はお妃様がとても好きです」
急にどうした? セリムはシッダルタの言葉の意味を図りかねた。カイが全速力という様子で走り出す。のんびりとした様子で、月狼が後を追って部屋から出て行った。セリムとシッダルタは顔を見合わせて、ティダ達を追うことにした。足の怪我を気にかけてくれたシッダルタが、肩を貸してくれた。
「ティダ皇子! アンリさんは強くて格好良くて美人です! どうやってお妃様になってもらったんですか⁈ 素晴らしい誓いでした。アンリさんはティダ皇子がとても大切なんですね。ティダ皇子が優しくて強いからですか? 堂々としていて格好良いからです? ティダ皇子!」
カイの叫びは聞こえるが、ティダの返事は聞こえない。階段下の踊り場で、向かい合う二人。
「俺に落とせない女はいない。それだけだ。見る目があるのは褒めてやろう」
アンリで簡単に釣れるティダ。セリムは噴き出しそうになった。
〈遊んでおけスコール。こんな喧しいのは却下。どこにも平穏がないので、俺はもう寝る。最悪な国だな〉
月狼が無言でカイを背中に乗せた。
「セリム叔父さん! シッダルタさん! スコールさんが背に乗せてくれました! 誇らしいです!」
月狼の背で、自慢げなカイ。セリムとシッダルタへ満面の笑みを投げる。ティダがサッと身を翻して、階段を降りようとした。カイが月狼から飛び降りて、ティダのすぐ隣に移動する。
「ティダ皇子は何が好きですか? 大狼は何が好きですか? 泳げますか? 僕は早く泳ぐ練習中です。イルカとシャチが先生なんです。大狼の里の名を秘密にしますから秘密ですよ」
海難事故に遭ったら困ると、カイは海へ出るのを禁じられている。セリムは首の後ろに手を当てた。似てる、似てると言われていたが、自分のやりたいことに夢中でここまでカイがセリムそっくりだとは知らなかった。カイの台詞の数々、身に覚えしかない。今のカイはアスベルにくっついて回っていた幼い頃のセリムのよう。
「喧しい。何なんだお前は。クワトロの息子なのに、何故ヴァナルガンドのようなんだ。俺はお前のようなのは好かん」
低く威嚇するような声でティダがカイを睨みつけた。子供に発するべきではない、強い殺気。しかし、嘘臭い。ティダの事をもう多少知っているカイなら、分かるだろう。
〈子永狼なんて呼んだ報いか? こんなチンチクリン、変人はお前一人で十分。こんなのに懐かれたら最悪。これで大人しく離れるだろう〉
ティダの想定がセリムには理解出来なかった。こんなに嘘臭い態度は、子供だって見破る。酒を飲み過ぎているのだろう。そこまでして人付き合いを遠ざけたいなら、素直にそう言えば良いのに。それならセリムもティダの気持ちに寄り添う。何となく、ここまでしても踏み込んでくる者には気を許す。そう決めているのではないか、そう感じてしまう。
案の定カイがグッと胸を張って、ティダに一歩進み出た。顔に恐怖ではなく、羨望を浮かべている。
「僕はお爺様やユパ叔父上のように堂々たる偉大な男になる王太子のカイです。父上のような優雅さや品を身につけます。それからセリム叔父さんのように優しく、博識で、行動力がある大人にもなります。今はまだ若輩。鷲の雛。それが僕です。今は好きではなくても、成長すれば好きになってもらえると思います。セリム叔父さんと仲良しなら、似ている僕も同じようになれる筈です。ティダ皇子は全部持っていそうなので、ぜひ色々教えて欲しいです」
満面の笑顔のカイに対して、ティダがポカンと口を開いた。ここまで無防備なティダは珍しい。頭が痛いというように、ティダが額に手を当てた。ティダがみるみる真っ青になり、ポツリと呟いた。
「去る者は日に以て疎く……来たる者は日々に以って親し……。否……酔歩蹣跚也……あふことの……いや、俺は最悪だな……史上最悪の極悪……」
吐きそう、という様子のティダの背中にカイが手を回した。
「帰らんと欲するも道因る無し? シッダルタさんは崖の国が第二の故郷になったのでティダ皇子もそうすれば良いと思います。あと諦めを許さないそうなので、ティダ皇子も真似すると良いです。すいほまんさん? は調べてみます。お酒の匂いが強いので、飲み過ぎですか? ケチャ叔母様がいつも父上に用意してくれるハーブティが効きます」
即座にカイがティダの呟きの続きを口にするとは、予想外。それも「故郷に帰りたくても方法が無い? なら崖の国を故郷にどうぞ」「諦めなければ帰れます」だなんて、カイはいつからこんなに機転が良くなったのだろう。
ティダが大きく溜息を吐いて、静かに歩き出した。月狼がティダに寄り添うようにくっついていく。ティダが階段の途中でカイと手を繋いだ。
「己で選んだ道也。灰になろうではないか……。その歳で良く学んでいるな。おまけに……ああ、飲み過ぎた。しかしハーブティは要らぬ。部屋に帰る。それまでの間なら一問一答、いや……気が向いた分だけ答えてやろう」
セリムとシッダルタは二人をそのまま見送った。セリムは何となくティダをそっとしておくべきだと思った。シッダルタも同様のようで、二人揃ってしばらく無言だった。
「驚いた。あんな殺すぞという目をされて……本当にセリムみたいだな」
「あんな嘘臭いのはすぐ分かる。でも、僕も驚いた。自分に夢中でカイがあんなに僕みたいだなんて知らなかった。というより、僕は八歳児並みだったのか……。通りで追いかけても追いかけても、皆の背中が遠い筈だ。ティダやアシタカと十年ではなく二十年もの差があるのか……」
セリムはシッダルタへ目で助けを求めた。シッダルタに首を横に振られ、セリムは気落ちした。
「セリムはティダと共に自己認識の改善から始めるべきだな」
シッダルタがセリムに向かって、もう一度首を横に振った。
「それは、どういうことだ?」
「ジーク様に今のことを話してみると良い。カイ王太子がティダに懐いているのは報告するべきだ。そうだろう? それにしても賢い子だな。あの歳で古典龍詩を知っているのか」
「古典龍詩? へえ、ベルセルグ皇国の文化なのか。祖父が旅人から譲り受けた詩集だ。字面とか綺麗だから、クワトロ兄上が気に入っていて、それでカイも読んだのだろう。僕は昔、兄上に読んでもらった」
死んだ者は日に日に忘れられる。
生きている者は日に日に親しさを増していく。
いや、酔ってふらふらしてしまっただけ。
ティダの胸の奥の葛藤、悲痛、苦悩。助けて欲しいと言われたが、実際何をするべきなのだろう。
「なあ、シッダルタ。あふことの、とティダが言いかけて止めたが何か分かるか?」
「あふことの 絶えてしなくば なかなかに 人をも身をも うらみざらまし。多分、古典龍歌かと。逢わなければ、恨むこともなかったのに。そういう意味だが、どういうことだ? 俺は最悪だ、とは何のことだろう……」
ティダの拘りは、ソアレという女性が自分を庇って死んだこと。王狼が、ティダに対して失うことを恐れている、そう評していた。誰に逢わなければよかったと口にしようとしたのか。恨むこともなかった、か。そんなことを言おうとした、思った自分は史上最悪の極悪。そんなところなのか? クイの言う通り、ティダは中々気難しい思考をしているかもしれない。
——再び失うことも恐れている。だから憎まれ役しか買いたくないし、極力人に深入りもしない
それだけだろうか? 死者を忘れて生きるのも、自分だけが生きていくのも許せない。そういう風にも感じる。庇われた自分自身こそ許せない。だから、あんなにも庇われる事に過剰に反応する。
「僕はティダから少し聞いた。シッダルタもカイのように付きまとって聞け。きっと君とティダ、お互いの為になる。あまりに嫌そうなら、少しずつ。ティダはシッダルタが好きでならないから、何年かかっても歩み寄れる」
「そうか……。なんか悔しいな。付き合いは長いのに、遠い……」
シッダルタが誰もいなくなった階段を切なそうに見つめた。
「僕もその気持ちはよく分かる。ラステルは最近ずっとシュナさん。それからアンリさん。で、シッダルタ。僕の名前は全然出ない。シッダルタの前はパズーだった。育った境遇的に、僕はラステルと遠い。シュナさんやシッダルタの方がうんと近い。埋めがたい溝と言うのかな……。悔しくてならないよ」
蟲森ではラステルとセリムは、いつも二人だけの世界だった。出会った頃のラステルは、何処か寂しそうな憂いを帯びた新緑の瞳で遠くを見ることも多かった。セリムだけでは埋められなかった、ラステルの孤独感。今のラステルの様子は嬉しいのに、悔しい。
「ラステルが? 四六時中セリム、セリムって言っているけど」
「ティダは僕の前ではすぐにシッダルタを気にかける発言をする。それと同じだな。ラステル……そうだラステル! 宴の様子見や片付けやら、仕事があるのに僕は放ったらかしにし過ぎだ!」
「その足で大丈夫なのか? 見栄を張らずに杖を使え。無理している方が心配させる」
シッダルタがセリムの足を見つめた。捻挫に巻いた包帯はパッと見では分からないようにしてある。
「そうだ。学んだはずなのに、忘れていた。シッダルタ、理想の姿への道はかなり遠い。八歳児並みとは、僕は十八年も何をしていたんだ?」
「セリム……まあいいか。側近候補だから、俺も手伝うよ。いや、俺の仕事でもあるのか? まだ実感が湧かないや。ティダもアシタカも遠いから、俺達は協力してやっていこう。二人合わせて一人前って気持ちでさ。ここは君の国で、俺は余所者。頼りにしてるからよろしく」
「勿論だとも!正式発表をされたら、城爺達や区画長からのバシバシ教育される。兄上も姉上も厳しいぞ。そこに僕との仕事。鍛錬にティダの相手。ティダの奴は僕の目付け監視役に便乗して、シッダルタにも構ってくる。チェスと将棋で負かしたいからうんと指南してくれ。結婚式典に参加もするし、明日から目まぐるしく忙しくなるぞシッダルタ! よろしく頼む! 新しい兄だから運んでくれ! 医務室に杖がある!」
セリムはシッダルタの背に飛び乗った。バランスを崩したのに、シッダルタは踏ん張って床にしっかりと足をつけた。
「あはは、何でもこい。そこそこ大変な目に合ってきているから、根性はある。筈だ。ビクビクするのも卒業したいから、この国の自己主張が強そうな所を見習う。じゃあセリム、医務室への道を案内してくれ」
医務室で杖を借り、セリムとシッダルタは祭宴大広間に戻った。城婆と張り切って働くラステルと合流し、方々で捕まりながら、宴の様子見や挨拶回り、そして片付け準備に勤しんだ。




