お妃様の奮闘6
【崖の国 大橋中通路】
「山羊といえば、山間のアンという本があるのよ。アンは子山羊と親友なの。可愛い挿絵なのよ。その山羊飼いなのね。本物の山羊って、角で襲ってきたりしないのかしら?」
シュナが羨ましいという目を、山羊飼いのフィオに向けた。次々と山岳地区を案内しますと、シュナへ申し出る畜産連合の若娘達。シュナの隣でラステルは心底嬉しかった。反対側、シュナの隣に座るハンナもニコニコとしている。
ジーナ達のお陰で、シュナは男の人達に囲まれなかった。むしろアリババとアラジンが中通路の若い女達を集めたので、シュナはとても楽しそう。どこからともなく用意された、クッションの山に座るシュナ。それを囲う畜産連合の若娘。
遠巻きに、踊り子ローラ達が面白くなさそうにしている。声を掛けるべきなのかもしれないが、収穫祭の件でどうも苦手意識がある。
「大丈夫よラステル。あとであちらの女達とも触れ合います。王族が不平等は良くないもの」
シュナがクスクスとラステルに耳打ちした。踊り子ローラ達とは、収穫祭で喧嘩したという話をしたのを、シュナは覚えてくれているようだ。
酒が回ってきたのか、シュナの頬は赤らんでいて、目がトロンとしている。若娘達に囲われていたアラジンは、始終シュナに見惚れていていたせいなのか今は一人。床に敷かれた美しい絨毯の上に胡座をかくアリババが、きゃあきゃあ言う娘達と談笑しつつ、シュナを気遣う。
ドメキア王国がどんな国なのか、興味津々のジーナ達。崖の国やエルバ連合が気になるシュナやハンナ。話は尽きない。
ラステルはドメキア王国の景色を聞かれて、シュナの名前となった、シュナの森とエリニース塩湿原の話をした。
「西の地というのは興味深い。同じ名の森があるとは何か縁があるのでしょうか。ラステル妃はとても綺麗な世界を見てきたようで、羨ましい」
アリババがラステルに酌をしてくれた。
「シュナは神話時代の人物です。大昔に西から東へと人が流れたそうで、文化や名称に共通点があるのでしょう」
シュナが楽しそうに微笑むと、あちこちから感嘆のため息が聞こえてくる。主に、遠巻きにシュナを眺める男達。それなのに、アリババはちっとも顔が緩まない。シュナの胸元を見たりもしない。とても紳士で好感が持てる。シュナの背後、小さめの樽に座ったアンリとカールも、アリババを好ましそうに見ている。一方、アラジンのことは時折咎めるように睨んでいる。
ザワザワしている中通路が、ますます賑やかになった。方向的には祭宴大広間へ続く扉がある方。風車塔方面の方から、騒めきが押し寄せてくる。
「何かしら?」
「星の王子と兄様の匂いだわ」
ソレイユが呟く。アシタカとティダのことだ。
中通路の人々が、野菜を縦に切ったように、左右に分かれた。無表情気味で、髪を抑えながら歩いてくるティダ。その隣で爽やかな笑顔で手を振るアシタカ。
中通路内が少し静かになり、皆が二人に注目している。
「席を外してすまないシュナ。アリババ王子、アラジン王子、妻の相手をしてくれていたようでありがとう。隣、良いです?」
サッとアリババの隣からティアナが移動した。返事を待つ前に、アシタカはアリババの隣に腰を下ろした。アリババ同様に胡座。
「気配りをありがとう、お嬢さん。良かったら僕の隣へどうぞ」
アシタカが手を伸ばすと、ティダがどこからか取ったらしいクッションをアシタカに手渡した。ティダは手に二つ、ゴブレットを持っていて、アシタカの前に一つを置いた。まるで付き人のような態度。
アシタカがクッションを自分の隣に置いて、ティアナに座るように促した。ティアナが真っ赤になって、モジモジしながらアシタカの隣に座った。更にティアナの隣にティダが胡座をかいたので、ティアナは硬直。ティダは微笑ましそうな顔でティアナを見つめて、手に持っているゴブレットを床に置いた。
「牛乳の甘い匂いがするので、畜産関係の仕事をしているのか? 我が妃と盟友を楽しませてくれていたようだが、名は何と?」
ティダがティアナの手を取って、甲にキスを落とした。ティアナは湯気が出そうなくらい、全身、耳まで真っ赤になった。ラステルはティダの静けさに面食らった。こんなに穏やかな雰囲気なのは、アシタカを真似ているのだろうか? 珍しい態度だ。
「ティ、ティ、ティアナ……です……。う、う、牛飼いの……むす……」
ティアナが消えそうな声を出した。目はティダに釘付け。目を輝かしたフィオが立ち上がって、ティダの前に進み出て会釈をした。フィオが右手をティダへと差し出す。
「同じく山岳地帯で働く、山羊飼いの娘フィオです。ティダ皇子様」
振り返ると、アンリは愛想笑いを浮かべていた。しかし、どこか怖い。シュナの横顔も、笑顔なのに恐ろしい気配がする。
「このような時は左手を出すと良い。それから角度はこう。その方が品良く見える。働き者の手だ。どれ、真っ先に挨拶をしてくれた愛嬌あるフィオよ、酌を頼む」
ティダがフィオの左手を取って、手の甲に軽くキスを落としてから、腕の伸ばし方を教えた。隣に招かれたフィオは得意げ。はにかみ笑いをしながら、ポーッとティダを見上げてティダに葡萄酒の瓶を傾けた。
「酒を飲む際に、笛や弦の音があるのを好むのだが、この国にはそういう風習はないか? 舞でも良いが」
ティダがフィオの顔を覗き込み、それから他の若娘達にも問いかけるように顔を動かした。やはり、とても穏やかに見える。女達のきゃあきゃあという黄色い声が、中通路に響き渡る。ラステルとしては、こんなにティダが愛想良く振る舞うなんて思っていなかったので驚きだった。
「でしたら私達が踊りを披露します! むしろ、共に踊りませんか? 崖の国にはそういう風習があります」
ローラが親しい女達を連れて、近寄ってきた。
「まあまあ、このような物腰柔らかで優雅な王子様達には、私達の調べが癒しになります。貴女の少々激しい踊りよりも、うんと」
ローラの後ろから、見知らぬ女性達が現れた。ローラ達よりも品があるが、どこか冷たそう。手に笛や、ラステルが知らない弦楽器を持っている。
「ようこそ崖の国へ。アリアスと申します。今宵の宴を彩ることを任された楽団員の私達がおもてなし致します」
アリアスがティダに向かって会釈をした。それからアシタカ、アリババ、アラジンへと続けた。挨拶が終わると、アリアスは横目でローラを見下すように見つめた。
「身の程知らずで気の強い娘達だな。何とも愛くるしい。己に自信を持つ女は輝く。どれ、仲良く音楽と舞でこの場を彩ってくれ。他の男達も喜ぶだろう。なあ、アシタカ?」
「ああ。異国の文化を知りたい。是非とも頼む」
親しげな二人にラステルは面食らった。シュナも同じよう。後ろを見ると、アンリも同様で目を丸めていた。
「しかし、アンリ。我が妃なのに何故そのような場所に座ったままでいる。おまけにその格好。目の保養を即座に止めるなど、それ程恥ずかしかったのか? 折角、美しい姿だったのに。アンリ、来い」
おいで、というようにティダがアンリを手招きした。
「貴方の周りにはもう席がないので、このままで良いわ。折角可愛らしい方々がいるのだから、そのままでどうぞ」
アンリが嫌そうに首を横に振った。困ったように笑ってから、ティダがソレイユへと視線を移動した。
「アンリは気難し屋で困るな。なら妹らしいので、ソレイユよ来い」
呼ばれたソレイユが、パァっと顔を輝かしてピョンと飛び跳ねるように立ち上がった。移動しようとしたティアナとフィオに対して、首を横に振るティダ。
ソレイユが招かれたのは、ティダの胡座の上だった。横抱きにされたソレイユが、ティダの胸に擦り寄る。あそこにはアンリが最初に招かれた。ラステルがチラリとアンリを見ると、呆れ顔をしていた。確かに、あんなのは恥ずかしくて嫌。アンリは予想して断ったのだろう。
「 ソレイユ、時間が無くて話も聞けずにすまなかったな。明日にでも時間を作ろう。今宵は皆が楽しませてくれる、愉快な一夜。共に飲もう」
ソレイユにティダが自分のゴブレットを傾けた。ソレイユが赤くなりながらお酒を飲む。ティダが「さあ、頼む」というようにローラ達とアリアス達を見渡した。
「このような艶麗な乙女達が暮らすとは、崖の国の男は果報者。愛くるしい娘達にあまり飲ませてはならん。誰か飲める者はいるか? 皆がこのように、酌をしてくれるだろう。酒を持って来て欲しい」
ティダが、遠巻きにしている男達を見渡した。数人の男達が意気揚々と出て来て、ティダの近くに座る。他の男達は出遅れた、というような顔。
アリアス達が演奏を始めた。帰国祝いの宴の時は軽快な音楽だったが、どちらかというとゆったりとした曲。ローラ達が悔しそうにしているので、踊りがない曲なのかもしれない。
「何を考えているのかしら。アシタカ様まで……」
シュナが不機嫌そうにアシタカを見つめた。アシタカは、にこやかに周りの者達と談笑している様子。男もそこそこ増えたが、女性に囲まれてチヤホヤされるアシタカとティダ。不愉快なのは理解出来る。
アンリがシュナの横に移動してきた。
「嫌な予感がするから、行きましょうシュナ。アンリ、来いですって。隣に座らせてベタベタされるなんて無理、と思ったらソレイユさんのあの位置。ベルセルグ皇国ってどういう国なのよ」
この距離ならティダにアンリのぼやきは聞こえているだろう。ティダの姿は男女に囲まれて見えない。シュナがアンリの手を取って立ち上がった。ティダは男女に囲まれたが、アシタカとアリババは若い娘達に取り囲まれている。シュナは笑顔だが、かなり不機嫌そうな雰囲気。
「あのぐらい、ごく普通の挨拶と対応です。別に気にしません」
シュナは言葉とは裏腹な表情をしている。
「ペラペラ達者な口に、愛想が良いから騒がれる。お酒が入ると余計に。隣がアリババ様なのもあるわね。アシタカは自覚がないから、嫌なら嫌って話してきなさいシュナ。それか、名前を呼んだら飛んでくるわよ」
アンリがシュナの背中をトントンと優しく叩いた。シュナはジト目でアシタカを見つめ、プイッと顔を背けた。ラステルはアンリと顔を見合わせた。
「異国の文化を知りたいのは、皆様同じでしょう。ですので、ドメキア王国の踊りを披露致します。アラジン様、お相手下さい。ハンナ、少しアラジン様に指南を」
シュナがニコリとアラジンに笑いかけて、さあ、というように手を伸ばした。ハンナが言われた通りにアラジンに指導する。シュナの動きに気がついたアシタカは、予想に反して笑顔。しかも、すぐに顔を戻した。
アンリはシュナに呆れ顔を投げ、壁際の樽の上に戻った。ラステルも隣に並んだ。シュナに誘われたアラジンは、とてもだらしがない表情。
「お、お相手?」
「ええ。エスコートは私がします。難しくはありません」
立ち上がったアラジンが、シュナの手を取った。シュナは右手をアラジンと繋いで、左手をアラジンの腰に回した。体が密着するようになったので、アラジンの顔はかなり照れ臭そう。教え終わったのか、ハンナが離れた。
シュナが首を伸ばしてアラジンの耳元に何かを囁く。二人の体が音楽に合わせてふわふわと揺れる。とても美しい光景。アシタカとアリババは立ち上がって、壁際で酒を飲み交わしながら二人を楽しそうに眺めている。その周りには、やはり若い娘達。
「私にも是非とも教えて下さい姫様」
一人が申し出ると、次は自分。その次は俺だと始まった。次から次へとシュナへの誘いが始まり、カールが威嚇する。
「ふふっ、姉上は心配性ですね。ここには恐ろしい方は居ませんよ。ええ、もちろんです。順番に宜しくお願いします」
渋々というように、カールが壁際のハンナの隣に並んだ。シュナは次々と男達と踊っていく。シュナと踊り終わった男達を、立ち上がったアンリが他の娘へと招いていった。目配せされてラステルもアンリを真似た。確かに、そうしないと男達はシュナに見惚れて動かない。シュナの独壇場だと、女達の機嫌を損ねて場の空気が悪くなりそう。
「アンリのお祝いなのに、私が色々と気を回すべきだわ」
「いいのよ。私の祝いは、もう終わったもの。国も、家族も、友人達も、ほとんど全部捨てるから、着飾って誰かに祝ってもらうなんて、そんなのは諦めていた。色々と根回ししてくれて、支度もありがとうラステル。恥ずかしかったけど、素敵な夜だった」
ほとんど全部捨てる。ラステルは聞いて良いのか迷った。
「ティダは、私に必要だと思えば私が捨てたものを拾ってくれるわ。だから、ずっとティダを一番優先する。甘やかすんじゃくて、彼の為になることを第一に考えるってことよ。嫌だということだってするわ。一ヶ月、その期間でゼロースさんよりも強くなる。そうしたら、ティダの隣に立つ。しがみついて離れない。必要があれば退職だってする。さっき呼ばれたみたいなのは、まあ好きにするけどね」
アンリが何を言いたいのか、ラステルは少し理解出来た。多分、アンリはラステルと同じ気持ちだ。
「私もセリムから離れないわ。ジークお義父様に、今日言われたの。セリムを連れて帰ってきてくれて、ありがとうって。アンリもきっとベルセルグ皇国でそう言われるわ。シッダルタやシュナも言うわね。私とセリム、アシタカさんもよ」
「ベルセルグ皇国はどうかしら? 大狼の里では言ってもらえると思う。カドュル山脈、ロトワ蟲森にあるリングヴィ。月狼君が、私とラステルになら話して良いって。私が招かれる時は、セリムとラステルも居るだろうからって」
「リングヴィ……。大狼は蟲森に住んでいるのね。だから私と月狼君は気が合うのかしら? いつも話を聞いてくれるのよ。お顔を縦に振るか横に振るか、あと表情と尻尾の動きで何が言いたいのかは分かるわ。お喋り出来たらもっと楽しいと思うけど」
アンリが愉快そうに肩を揺らした。
「月狼君とラステルは仲良しだものね。多分、今後セリムってティダの近くに居てくれると思うの。逆かしら。どっちもな気がする。私が貴女を守るわラステル。危険だと思ったら、自分を最優先にして逃げるのよ。私も身の安全を常に考える。ティダとセリムは私達がちょろちょろしない方が安全。心配だからって、前に出てはダメよ。迷惑をかける。ラステルは二人に危ない所に行くなって、置いて行くなって、常に言い続ける係」
「ティダ師匠にも言われているわ。頭も体も弱いのだから、前に出ると邪魔。常にセリムを立てろ、ですって。ティダっ師匠ってまるでお父さんよ。私、お父さんが3人になったみたいなの。あれをしろ、これを覚えろ、それはするな。もっと考えろ。とっても煩いのよ。でもなんだかんだ優しいわ。私が娘で、セリムが弟って変よね」
大家族みたいで嬉しい。そう言わなくても、アンリには伝わった様子だった。微笑ましいというように見つめられた。
アンリと雑談をしていると、アシタカがアリババを連れて近寄ってきた。
「十分見学をしたので僕達にも出来るかなと。そういう訳でラステル、アリババ王子と踊って貰うと良い。セリムの兄貴分なら、君も親しくなりたいだろう」
自分? ラステルはアシタカが背中に手を添えてラステルをアリババの方へと促す。一瞬戸惑った。アリババに会釈をされて、ラステルも思わず返した。
「僕はアンリ。頼む」
頼む。と言ったのに、アシタカは半ば無理やりアンリの手を取って、腰に手を回した。
「ちょっとアシタカ、貴方相当飲んでるわね? それにティダに嫌がらせは止めてと何度……」
「逆だアンリ。背中を預かったので、このくらい無視される。僕は信頼を得た。僕は頭がイカれたかもしれない。男に好かれて、こんなに高揚するとは。しかし、気分は良い。それにシュナが僕を妬かせたいらしい。何とも可愛い顔をチラチラ、チラチラ。愉快なので眺めている。休暇も良いものだな」
アシタカはアンリとしばらく踊ってから、離れた。アシタカは声を掛けられた女性と踊っていく。アンリに目配せされて、ラステルはアリババと踊り終わるとティダの近くへと向かった。ドメキア王国の踊りは、かなり密着するので恥ずかしくてならなかった。
ティダはいつの間にか老若男女に囲まれていて、近寄れない。バッと人が横に避けてくれたと思ったら、ティダが手で指示を出した様子だった。
「ティ、ティダ師匠……」
「ああ、ラステル。至宝と愛娘は放っておけ。どうせそのうち二人で消える。収穫祭とやらで踊ったらしいな。見せて欲しい」
ティダがラステルに笑いかけた瞬間、口々とラステルを褒める台詞が周りから出てきた。ティダがラステルの腕を掴んで、引っ張る。
「あの悔しそうな娘達へ踊りを指南し、混ぜてやれ。それも妃の務めだ。来賓客の前で辱められた娘達、同じ民を刺した娘達、どちらも放置してはならん。全く、あのような嫌味での喧嘩など、はしたない。王族は常に気を配れ」
小さく囁かれて、今までにない話し方で、全身がゾクゾクした。本当に、いつものティダとは違うように感じる。静かで、落ち着いている。
「ふむ。足元には気をつけた方が良いラステル。ソレイユもラステルから習うと良い。妹に楽しませてもらえるなど、夢にも思っていなかった」
引っ張ったのはティダなのに、ラステルが転んだから支えたという言い草。張り切った顔になったソレイユが立ち上がり、ラステルの両手を取った。
「よろしく頼むわラステル。ソレイユは舞妓役も務める才色兼備なので、どんな踊りも得意よ。こういう静かな音楽に合う舞も知っている」
期待の眼差しを方々から受けて、ラステルは空けられた場所に立った。ゆっくりと体を動かす。ショールも使ってみる。故郷の音楽とは随分違うが、このテンポなら豊穣の舞が良く合う。隣にソレイユが並んで、ラステルの真似をした。ラステルはしばらく踊ってから、ローラ達に声を掛けた。緊張したが、ソレイユが率先してローラ達の手を引いたので助かった。
ふと見ると、アシタカがジーナと踊っていた。アシタカはにこやかで、シュナは苛々したような笑顔をアシタカに向けている。シュナはアンリに言われた通り、素直になればよいのに。アリババとアンリが踊っていたようだが、 離れた。次は自分と、と誘われたアンリが男に囲まれて苦笑いを浮かべた。
ソレイユが立ったので、空席になったティダの膝の上を狙う女達が、次々とティダに自己紹介をしている。多分、そう。ティダは踊りを眺めながらも挨拶に応え、娘達の手の甲にキスをしていく。しかし、誰も膝の上には招かない。挨拶をすると、何かを告げて、アシタカの方や男達の方へと促している。しかし、何人かはしぶとくティダにくっついて愛想を振りまいている。
崖の国の女達は、かなりティダのような男が好きらしい。かと思えば、アシタカも大人気。アリババやアラジンはそこそこ。初めて訪問した異国の王子だから?
「妻を娶る前までなら、相手をしていたところなのだが、すまぬな。我が唯一の妃と、血縁者しか座らせぬ。静かに飲みたいので、これで許せ」
ティダが一番近くにいた娘の手の甲、続けて頬にキスをした。きゃあきゃあ、はしゃいで次は自分だとティダへ近寄る娘達。益々取り囲まれた。少しうんざりしたような顔で「仕方ない」と言いながらティダは応じていく。アンリは嫌そうな顔をして、そっぽを向いた。
「来い、アンリ。空席だといつまでたっても静かに飲めぬ」
アンリが赤い顔でぶんぶんと首を横に振った。ティダが呆れたようにため息を吐いた。呆れるのはラステルだ。アンリの前で他の女性とベタベタして。セリムが同じ事をしたら絶対に許さない。いくら、面倒そうな顔をしていても内心がどうかなんて、分かったものじゃない。デレデレ、みっともない。
「ソレイユ、お前の新たな姉は恥ずかしがり屋でならん。寂しいので連れてきてくれぬか?」
呼ばれたソレイユが、脱兎の如くアンリを連れてきた。ソレイユにいきなり横抱きにされたアンリは茫然としている。ソレイユが恭しいというように、アンリをティダの膝に置いた。ラステルはティダに手招きされて、誘導されて隣に腰にを下ろした。ラステルはティダを軽く睨んでおいた。アンリは赤くなって俯いている。
「ティダ兄様は素晴らしいわ、アンリ姉様。これだけ、女性に優しいのに、繁殖期の匂いがサッパリしないの。こんな男は滅多にいないわ。唯一の妃だなんて、一夫多妻の掟も破るのね。二人は星姫と星の王子だわ。素敵」
「婿入りの身なので妻の国の掟に従う。ペジテ大工房は一妻一夫らしいのでな。このような娘達に目は眩むが、律している。女とは、過酷な昼を照らす太陽。夜は美しき月にもなる。他国の皇子は珍しく、知らぬ挨拶に胸が跳ねるだろうが、その可憐な笑顔を周りに見せると、男は放っておかん。友セリムやパズー、それにラステルから誉れ高い男が多いと聞いている。レストニア王族と共に栄えよ」
誉れ高い男、そう言う時にティダはゴブレットを高く掲げて、周囲の男達を見た。
「あ、挨拶? さっきまでの……あれがベルセルグ皇国での挨拶なの?」
気恥ずかしそうなアンリがぽそりと呟いた。不信感たっぷり、そういう視線。
「皇族、華族、そして貴族あたりではな。物欲しそうにしている娘を、アンリ、君の為に無下にするのだから、あのぐらいは許せ。そもそも君が素直に来ないから女が寄ってきていた」
ティダがアンリにキスをしようとして、アンリの手に止められた。
「人前でこういうことをしようとするからよ。この格好も止めて欲しい。でも、悪かったわ。挨拶なら、まあ……」
「まあ、アンリ姉様。いくら恥ずかしがり屋でも、ティダ兄様に恥をかかせてはいけないわ。こんな風に披露して貰って嫌だなんて、私は妻を辞めたいですって受け取られても仕方ないわよ」
ソレイユがアンリの胸に人差し指を突き立てた。アンリがギョッとしたようにソレイユを見上げた。
「困った妻だが、最大限善処すると誓ったので許そうアンリ。して、酒が足りぬ。崖の国の葡萄酒は美味いな。ドメキア王国とはまた違う。品種が違うのか? エルバ連合の文化を知りたい。アリババ王子にアラジン王子、昼間は無礼ですまなかった。酒盛りに付き合ってくれ」
ティダがアンリをソレイユに渡して立ち上がり、腰に手を回した。反対側の手で近くの男の肩を抱いて歩き出す。他の男達もつられたように従う。ソレイユがティダの隣に並んでついていった。アリババとアラジンが顔を見合わせて、ティダへとついていく。そうすると娘達も後を追っていく。
かなり人口密度が減った。
「ラステル! 妹としてアシタカ様をたしなめて下さい!」
突然シュナがラステルに抱きついてきた。ふと見ると、アシタカはまだ他の娘達と踊っている。踊り終わった娘達は、キャッキャした雰囲気。
あんな方いない。素敵な笑顔。絵本の王子様みたい。セリム様もあんな風にならないかしら。お姫様になった気分。次から次へとアシタカに対する高評価が聞こえてくる。それからティダ派とアシタカ派で論争している。
「シュナ姫様、次は自分とお願いします」
「ラステル様、覚えましたので是非エスコートさせて下さい」
シュナに誘われたように、男達が集まってきた。花に集まる蜂みたい。シュナはむくれた顔でラステルを見上げている。
「すまないが遠慮して欲しい」
いつの間にか、アシタカがこちらにきていた。アシタカの穏やかながら近寄り難い雰囲気に圧倒されたのか、ラステル達の周りから人が離れる。
シュナに向かってアシタカが、「さあ、おいで」というように手を出した。物腰柔らかで、あまりに優しい仕草に、周囲の女達から感嘆の声が漏れた。ラステルもシュナが羨ましかった。
「いいえ。アシタカ様は随分と楽しげでしたので結構……」
「勿論楽しい。君が楽しそうだからだ。少し機嫌を損ねたようだが、ヤキモチならば可愛いことこの上ない。しかし、そろそろ寂しいので僕の相手をしてくれないか? 素敵な殿方達に目移りされては困る」
ほら、おいで。というような熱視線に、ラステルは照れた。相手であるシュナも当然のように赤くなっている。シュナがおずおずとアシタカの手を取った。瞬間、アシタカはシュナを一気に引き寄せ、腰に手を回し、歩き出した。有無を言わさない、そういうようにシュナを連れていく。無言でカールがアシタカとシュナの後ろについていった。
強引なのも素敵、とはしゃぐ畜産連合の若娘達。ハンナを取り囲んで、何やら質問をしている。ローラ達も見惚れている。楽団員だというアリアス達も、羨ましそうにシュナの背中を見つめている。
周りの男達も似たように、アシタカに羨望を向けていた。
アシタカとティダは結局何をしに来た? それぞれ自分の妻を攫いにきたらしい。何故か、女性達の心をかどわかして。意味が分からない。
「ラステル様! ペジテ大工房の男性はあのような方々なんですか?」
「知的で品があって素敵です」
「なんて穏やかなんでしょう」
口々にアシタカのこと、ペジテ大工房のことを聞いてくる女達。
「ラステル様!アシタカ様がティダ皇子から色々と学べると教えてくれました。紹介して下さい」
「アシタカ様がティダ皇子を宜しくと、わざわざ俺に! 特別だというように!」
「留学の話は進んでいるのですか?」
「ラステル様、是非踊って下さい」
あっちこっちから、色々な話をされて聞き取りにくい。返事も難しい。
「ちょっと、よくも私の前でシュナ姫様に鼻の下を伸ばしていたわね! ティダ皇子を見習いなさいよ!」
「それはどっちだ!」
次々と話しかけられるので、茫然としていたら、男女の痴話喧嘩が始まった。喧嘩しだしたのは、どうやら夫婦らしい。周りがやれ、と囃し立てる。止めて下さいと頼まれ、ラステルは間に入った。
「ラステル様! 喧嘩で鼻血が止まらない者がいます!」
なんだって⁈ 突然、声をかけられて素っ頓狂な声が出た。
「あ、あの……それは私……」
ラステルじゃなくて医者の仕事ではないのか? しかし、ラステルは手を引っ張られて連れていかれた。
「ラステル様! 徐々に片付けの指示を出してくだされ!」
割と年配の男の鼻血の様子を見ていたら、城婆に叫ばれた。
「ラステル様! 来賓放置は困ります!」
まだ名前を覚えていない、確か区画長だろう男に怒られた。ラステルは片付けの指示を一生懸命考え、鼻血男を近くの女性に頼み、ティダ達を探した。
早歩きをしているのに、食事や酒を勧められる。つい、捕まりそうになる。
風車塔の方角から、大歓声が聞こえてきた。
「至宝アシタカに真っ先に助力したいと名乗り上げた、エルバ連合の時期王アリババを讃えよ!」
割れんばかりの大声援。ティダがまた何か煽っている。
「ティ、ティダ師匠⁈ ティダ師匠! 少し大人しくし……」
人混みをすり抜けると、ティダとアリババの周りだけ人が居なかった。アンリはまだソレイユの腕の中。頬ズリされている。
「ラステル! 祭宴大広間にて蟒蛇クワトロ殿と飲む! 時代の夜明けを共に見るものは来い! 我が力も披露してやろう! 我こそはというものはついてこい! 荷が減った分、増やそうではないか! アリババ王子とアラジン王子を直下にするかも検討しよう!」
ティダの手がアリババの背中を叩いた。次はアラジン。伸びてきて、ラステルを抱き上げた。横抱きと思ったら、片手で子供のように持たれた。ティダが反対側の手でアンリも抱いた。
「ねえティダ、あの……機嫌が良いのは嬉しいのだけど……」
「機嫌が良い? 君はいちいち妙だアンリ。明日には愛しい妻と別れ。下手すると今生の別れ。本来ならばこのような事をしていないで部屋に行きたい」
どう見ても上機嫌のティダが、アンリの頬にキスした。と、思ったらラステルにも同じ事をした。ティダがアンリに何かを囁くと、アンリが益々赤くなった。
「兄様! 兄様! 私は?」
ソレイユがティダの周りをぴょんぴょん飛び跳ねる。ラステルはキスされた頬に手を当てた。こんなの恥ずかしくてならない。ベルセルグ皇国とは、どんな国なのだ。アンリもラステルと同じ気分なのか真っ赤。
「手が一杯なので、そうだな、手合わせして、実力に満足したら何でもしてやろう」
「まあ! それならシッダルタ様にソレイユにご挨拶をしてと伝えてくださる? 兄様のようなご挨拶よ?」
「ふはははははは! 何だ、ソレイユはシッダルタが気に入りか。ふむ、明日は色々と話を聞こう。逆に指南もしてやるか。妙な愛嬌に親近感。血の縁とは面白いものだな。しばし妻を預ける。義理の姉妹だ。部屋で語らっていて欲しい」
ティダがラステルを下ろし、ソレイユに何か耳打ちをした。
「もちろんですティダ兄様! ではアンリ姉様、ソレイユと親交を深めましょう。ラステルはお仕事らしいの。小さき王に小蛇蟲、行くわよ。アンリ姉様の護衛らしいから来なさい。こんなんで護衛だなんて、鍛えないとならないわ」
ソレイユがティダからアンリを受け取る。ティダと同じで片手でアンリを抱える。逆らいそうなのに、アンリは何故かなすがまま。ソレイユがつかつかと小さき王に近寄り、鷲掴みにした。ソレイユはアンリを抱えたまま、小さき王を引きずって、城塔の方へと歩いていく。ソレイユの肩の上に小蛇蟲が乗った。ティダは何匹、小蛇蟲を連れているのだろう?
誰もかれもが、ソレイユに道を開ける。まるでティダのようだとラステルは感心した。皆がソレイユに注目している。
「全く、あの格好の淫らさは恥ずかしくなくて、伴侶の定位置は恥ずかしいとは、ペジテ大工房はどういう国だ。理解出来ん。アシタカに聞いておくべきだな。呼びつけるか」
ティダの懐から小蛇蟲が現れ、ピョンッと床に飛び降りた。シュルシュルと城塔の方へと消えていった。
「まあ、ティダ師匠。お邪魔虫よ」
「あれでも手を出さないのだろうから、むしろシュナの救済だ。お前は思慮が浅いなラステル。もっと励め。ほれ、片付けなどをしないと、後で大目玉なんだろう? うっかり俺に飲み込まれてる場合ではないぞ」
ポンポン、それからポンとティダがラステルの頭を軽く叩いた。やはり、ティダはいつもとは違って見える。
「ティダ師匠、お祝い嬉しい? アンリは嬉しいって言ってくれたわ」
顔を覗き込むと、ティダが静かに微笑んだ。
「久々に美味い酒だ」
小さく告げると、ティダはラステルに背を向けて歩き出した。ありがとう、小さくだがそう聞こえた気がした。喧騒に消えてしまって、幻のようにも感じる。
ティダはアリババと肩を組み、反対側の腕もアラジンの肩に回す。ティダは二人を引きずるように連れて遠ざかっていった。
「ティダ師匠、アンリにも同じ事を言ったらとても喜ぶわ」
ティダならば聞こえるだろうか? ラステルはティダの背中に小さく呟いた。ほんの僅かに、ティダの頭が縦に揺れたように見えた。
この後ラステルは城婆に捕まり、遊びほうけるな、片付けを指示しろ、お客様を自由にさせすぎ、娘達をたしなめろ、等と懇々と説教された。




