お妃様の奮闘5
【崖の国 祭宴大広間】
来賓席にシッダルタと共に到着すると、ラステルと入れ替わるように、レストニア王族の面々が王族席へと移動した。何故だかカイだけ残っている。
クイに冷ややかな笑顔を投げられた。それから「次はカイをよろしく。明日、反省会よ」とボソリと耳打ちされた。全身、ゾワっと鳥肌が立った。ケチャとドーラは励ましの視線を送ってくれている。クワトロも「姉は要求が高い。頑張っているが頑張れ」とウインクをして笑いかけてくれた。
「ラステル叔母様。カイもあちらの方とご挨拶をしたいです」
シュナに愚痴りそうになっていたラステルに、カイが声を掛けてきた。マルクとフォンと話し出したシッダルタを、指を揃えた掌で示している。その反対の手にはゴブレット。
「まあカイ王太子。お酒を飲んでは……」
「まさか!母やセリム叔父様から早とちりと聞いていますが、このお酒はお客様へですよラステル叔母様」
「そうよね。考えれば分かるのに、ごめんなさい」
ラステルの全身は熱くなった。クスクスとシュナが笑い声を立てている。
「カイ様、とてもしっかりしていらっしゃいます。良い王太子がいて、この国の未来は明るいですねハンナ」
「ええ、シュナ様。まだ十にも満たないのに素晴らしいです」
シュナとハンナに褒められたカイが照れ笑いをして、大人っぽい感謝の礼をした。とても八歳とは思えない。カイがラステルの手を引っ張って、背伸びをした。ラステルは目線を合わせようとしゃがんだ。
「ラステル叔母様。今の非礼の分、大狼に触らせて欲しいです。あの艶やかな毛並みに逞しさ。格好良いです。俊敏で賢そうな蛇一族もお願いします。あのシッダルタさんという方はセリム叔父様の大親友と聞きました。それなら蟲や大狼、蛇一族とも仲良しですよね?」
カイがラステルの耳元で囁いた。子供っぽく期待に満ちた目でラステルを見つめてくる。シッダルタから話を聞きたくてウズウズしているように見えた。見た目はドーラに似ているが、好奇心に満ちた様子が小さいセリムみたいで可愛い。
「あらカイ様。蛇一族でしたらこちらに。セルペンス様です。セリム様がいるとお話し出来るのですが……。ご挨拶くらいなら出来ると思います」
シュナがカイに手を伸ばすと、法衣の隙間から小蛇蟲が現れて、シュナの掌の上に乗った。カイの瞳が明るくなった。本当に、セリムみたいだ。
「月狼君もカイ王太子に挨拶をすると思うわ」
呼ぶ前に、月狼はラステルの背中に移動してきていた。シッダルタを連れてきてくれている。王族席へいる間は、いつの間にか離れていたし、月狼はとても気が利く。
「初めましてセルペンス様。スコール様。セリム叔父様の御友人シッダルタ様。崖の国レストニア、ユパ王の甥にして第二王子クワトロの息子カイ・レストニアです。現在王太子の身分となっています。今夜はこの国なりのもてなしを用意したので、色々と楽しんで下さい」
カイが小蛇蟲、月狼、シッダルタと順番に体の向きを変えて、最後にクワトロに似た雅な会釈をした。ラステルは思わず感激してしまった。シッダルタも驚いている。
「シッダルタです。王太子に先に挨拶をしてもらうなど、非礼ですみませんでした。親愛をありがとうございますカイ王太子」
シッダルタがカイと握手をすると、小蛇蟲がシュナの掌の上でお辞儀のように体を曲げた。カイがしげしげと小蛇蟲を眺めた。カイが慌てたように、シッダルダへと顔を戻した。
「いいえ。招いたお客様に先に挨拶をするのがこの国の礼儀です。異国だと違うのですね。父からチェスが得意と聞いてます。負けたと悔しがっていました。お国の遊戯である将棋というものがチェスに似ていて、達人だとも。セリム叔父様からそう聞いています。チェスや将棋、僕にも教えて下さい」
挨拶が素晴らしいのは知っていたが、しっかりした受け答え。ラステルはまたしても驚いた。カイともまだ殆ど話したことがなかったので、こんなに大人びているとは知らなかった。
月狼が割と大きな吠えを三回して、会釈のように上体を下げた。カイがラステルにしがみつく。カイが真っ青になって、震え出した。
「ご、ご挨拶ありがとうございます。声があまりに大きくて、お、恐ろしかったです。ま、まだ気が弱くてすみません。話せると聞いています。お、大狼は何と大きいのでしょう。た、た、沢山食べるのですか?尻尾の数はこれから増えるのですか? 泳げますか? 泳げるなら温かくなったら一緒に泳ぎたいです」
震えて青ざめているのに、カイは興味津々というように月狼を見つめている。月狼が頭部を横に振って、ラステルを見上げた。
「スコール様、話せなくて残念という様子です。ねえ、ラステル」
「そうねシュナ。カイ様、月狼君と話せるのはティダ皇子とアンリさんとセリム、あとパズーだけなんです」
カイが肩を落としてから、慌てたように胸を張った。月狼は頭を下げてから、去ってしまった。少し高台になっている通路に登って、シッダルタに向かって軽く吠えて頭部を揺らすとスタスタと扉の方へと歩いていく。
「何だろう?ティダかセリムに呼ばれたのか?カイ様、すみません。席を外します」
シッダルタが月狼を追いかけると、尾で投げ飛ばされてきた。シッダルタがクルリと回転して、見事な着地をしたので、あちこちから拍手が起きた。カイも尊敬の眼差しをシッダルタに向けた。
月狼がシッダルタに向かって吠えて、またついて来いというように頭部を動かす。
「シッダルタ様、カイ様もということではないでしょうか?」
「なら私も……」
ラステルがカイを促す前に、カイはもうラステルの手を握っていた。手に持っていたゴブレットはシッダルタが手にしている。
「よろしくお願いします!ラステル叔母様とシッダルタ様!」
期待に胸が一杯というように、カイが笑った。月狼がまた吠えた。歩き出そうとしたら、目が合ってラステルは唸られた。
「まあ、私は来るなってことかしら」
カイがラステルから手を離して、即座にシッダルタと手を繋いだ。素早い。
「お母様達に挨拶をしてから移動します。シッダルタ様、よろしくお願いします!」
待ちきれないというように、カイがシッダルタを引っ張って走り出した。通路に登るや否や「お母様! お父様! セリム叔父様のところに行ってきます! 招かれました!」と大声で叫び、会釈し、また走り出した。
手を繋がれたシッダルタが、カイに引きずられるように連れて行かれる。近衛兵が追いかけようとしたが、舞台上のユパ王に「構わん! 好きにさせよ」と止められた。やはりカイは小さなセリムみたいだ。
「王太子を異国からの不審者と獣に任せるとは何ていう国だ。まあ、これで王族が全員居なくなって気が休まる」
吐き捨てたカールが、シュナの隣席で踏ん反り返り、骨付きの肉を食い千切るように食べた。美人が台無し。
「まあカール。何て言い草ですか。見えにくい場所に座ったと思ったらこういうことなのね」
手酌しようとしたカールのゴブレットに、シュナが葡萄酒を注いだ。
「崖の国では、セリムが信頼しているというのがとっても強い保証なのよ」
「いいえ、ラステル。この場合、ティダとシッダルタ様への信頼。正確には前払いでしょう。ユパ王、セリム様が迎えに来るのを織り込み済みです」
シュナが口にしたように、崖内通路へ続く扉が開いて、セリムが現れた。やはり足に怪我なんてしてません、というように歩いている。本当はかなり痛そうなのに。見えないところでは、あまり歩かないで欲しい。
セリムは月狼の背にカイを乗せて、シッダルタと肩を組んでから、また去っていった。セリムの名が呼ばれたが、後で来るとやんわりと断っていた。
「シッダルタ様、お話しする前にいってしまわれたわ。セリムの匂いなんてしなかったのによく分かったわね。前払いとはどういうこと? 星姫」
ソレイユがマルク達の方から近寄ってきて、シュナの顔を覗き込んだ。
「ユパ王はこの場の者達にシッダルタと大狼に対して王太子を任せられるくらい信頼していると、そう見せつけた。大狼の背後にいるティダ、それにカイ様が手を取ったシッダルタ様の人柄を見抜いてでもある。まあ、セリム様が来なかったら何かしたでしょう。これだけ親愛を与えたら何かあった時に許されない。許さない為の材料。恐らくティダへの重枷の一つです」
シュナの発言にカールがしげしげと舞台上のユパ王を見つめた。アリババ達、ボブル国の人達をもてなしている。ラステルとソレイユは目を合わせて首を傾げた。
「ユパ王はそんなこと……」
「重枷の一つ?星姫は難しいというか、疑ぐり深い事を考えているのね」
「考えますよラステル。そうよソレイユ。私は星姫ではなく不死の大鷲蛇姫。牙と爪を持っています。ルイは無理でも、ハルベルかヴラドでも連れて来れば良かった。少々侮っていました。ユパ王、大陸和平を見定めるために既にアリババ様の背中に回って支え、アシタカ様を牽制しています。セリム様はご自分の価値観や、贔屓に左右されてアリババ様を刺したのに。大陸覇王、そして西の大国を下座に置くという隙もわざと与えているんでしょう」
座席の肘置きに肘をついて、しなだれかかっているシュナが、こめかみを指でコツコツと叩いた。
「私達と同じ来賓席にしなかったのも、アリババ様とアラジン様を守る為。アラジン様だけなら掌に簡単に乗りますが……。ティダの使用法を教えてしまいましたし、ティダはセリム様がいるので向こう側。アシタカ様を一番にせねばならないのに……」
鋭い視線に気後れして、後退りしそうになる。シュナの独り言にラステルもソレイユも、誰も口を挟めない。そういう空気を纏っている。
「ユパ王のあの貫禄。後ろには強化版のジーク様。やりにくいのよね……。アシタカ様はその辺りはまだまだ。その分、ティダをこちら側にせねばならないけれど、あの本能で決める男はどうにもなりませんし……。誰も彼もをアシタカ様の足元に飾るには……」
コツコツ。コツコツとこめかみを叩いてから、シュナが口を閉じた。アリババを熱心に見つめている。静かだったのに、突然シュナが背筋を伸ばして、立ち上がった。法衣を脱いでカールに手渡す。
瞬間、感嘆の声があちこちから聞こえてきた。白と紅色のサリーが目を惹くだけではない。
圧倒的な美。
ユパ、アリババ達もシュナに目を向けていた。アラジンが惚けている。ユパとアリババの眉間には皺が寄っていた。シュナは気づいていないのか、気づかぬ振りなのか、のんびりとラステルに向かって欠伸をした。
「まあ、休暇ですので止めます。はあ、暑くてならなかったわ。飾りは終わり。ラステル、私も貴方のご友人と話してみたいわ。踊ったりするのでしょう?ソレイユ様とハンナも一緒に。カール姉上は嫌でしょうから、ここでくつろいでいて結構です。マルク、カール姉上を頼みましたよ」
マルクも返事も忘れるくらい、シュナに見惚れている。シュナが「マルク?」と問いかけると、マルクがぶんぶんと大きく首を縦に振った。シュナは注目を浴びていることに気がついていない様子。
「シュナが行くなら私も行きます」
「あら、それは嬉しいわカール姉上」
「護衛ですので私も行きます!」
「俺もです!」
フォンとマルクがシュナに敬礼した。ラステルは帰国祝いの宴を思い出して、あんな揉みくちゃにシュナを放り投げたら、とんでもないことになりそうだと首を横に振った。楽しいだろうが、後が怖い。アシタカは嫉妬を抑える術を手に入れたのか、心が広くなっている。
しかし、何となく嫌な予感がする。
「ここに連れて来る……」
「民を贔屓していると揶揄されますよ、ラステル。アシタカ様は怒りません。残念ながら、もうヤキモチ妬きは随分飲み込んでしまわれました。行きましょうソレイユ様」
シュナが歩き出してしまった。ソレイユが鼻歌混じりでシュナと腕を組んだ。
アンリはどこだ? とラステルは今更ながらアンリの不在に気がついた。舞台上の誠狼にもたれかかっているのを見つけた。ユパ王達と真反対。近衛兵達がチラチラ様子見しているが、誠狼が睨んで追い払っている。
「アンリならウールヴ様をお一人にしないと。それから、ラステルがジーク様の元にいる間、あちこちからティダとのことを質問されて恥ずかしいので逃げました。放っておいてあげなさい」
「ねえ、シュナ。ジーナ達と話すなら連れて……」
シュナが通路への階段を登りきった途端、近衛兵が次々と通路に上がってきた。収穫祭でラステルが踊り終わった後と似ている。
「シュナ姫様、お伴します!」
「我等ティダ皇子と共に働く事になりました。盟友の護衛も仕事です」
手を取ってシュナに挨拶をしようとした近衛兵とシュナの間に、カールが割って入った。
「軟弱に護衛なぞさせん!」
カールの怒声で場の空気がピリッとした。カールは抜刀しそうな勢い。怖い。目付きが怖すぎる。
「あらカール!皆さんと勝負がしたいと張り切っていたものね! その通りなので、軟弱でなければ護衛! いいえ、護衛と言う名のエスコート! 我こそはと思う者は挑戦を! 早い者勝ちではなく、平等に誉を与えたいとは素晴らしい考えです! まずは私とカールが手合わせの手本を見せます。その後はカールに挑戦して下さい」
爽やかなアンリの声。アンリは純白ドレスを脱いでいた。黒い肩周りのない薄い上着に、いつものズボン。普段身に付けている短剣と銃も携帯している。個室でドレスを着てから化粧をしたりしたので、ドレスの下があんな風だとは知らなかった。アンリが笑顔でカールを手招きしている。
「恥ずかしがり屋なのに気配り上手ね。素敵なドレスでしたのに勿体無いこと。カール、アンリに感謝なさい」
「あんの女狐が。狼の嫁が狐とは笑止。ずっとあの調子で鼻に付く……叩き潰して恥晒しにしてくれる」
シュナの言葉が聞こえていないのか、カールが歯を食いしばって小さく呟いた。鬼のような形相とはまさにこの顔。
女狐? シュナが手を伸ばして止めたのに、カールが苛立った顔でアンリに向かって走っていった。おまけに抜刀。切りかかったカールを、アンリがヒラヒラと避けた。更には高く飛んでカールの背中側に着地。すかさずカールもこちら側に振り返りながら、またアンリに斬りかかる。
アンリは背中側で手を組んでいて、避けるだけ。カールがいきなり剣を鞘に納めて、アンリに殴りかかった。するとアンリもやっと応戦した。しかし、アンリはすぐにカールから離れた。クルクルとバク転しながらラステルの隣に並んだ。
「このように武器は禁止! 首から上への攻撃は禁止! 両膝をつくか、通路から落とされるか、宣言により敗北! 我が部下カールは手練れです! 勝った者はシュナ姫様のエスコート役となります! 我こそはと言う方は、手を挙げて下さい! ラステル妃が指名していきます」
突然名前を呼ばれてラステルは面食らった。おまけに隣にいたソレイユが勢い良く手を挙げた。
「私、あまりに野蛮な事は好みません。しかしそのような手合わせならば宴席にも相応しいかと。私とラステル様とソレイユ様と従者のハンナと踊ってくださる殿方を選ぶのに良いでしょうか? ユパ王」
シュナが少し大きな声を出した。何だって? 踊る殿方? シュナはいつの間にかカールの側に移動している。腕を組んで笑っているが、カールはバツが悪そうな顔をしていた。
「それならば私が取り仕切ろう! エスコート役という誉れが欲しい者は舞台へ上がれ! 但し、あまり多いのは困る。我が国の恥も晒すな! 今のお二人の力量踏まえて参れ! それからアンリ妃のエスコート役も選出しましょう。また艶麗なドレス姿を見せてもらいたいのでな。シュナ姫殿のエスコート役はカール殿に勝った者とする。後は私が健闘結果を見て指名しよう」
止めるのかと思ったら、ユパはアンリの案に乗ってきた。
「おさめて下さるかと思ったら。まあ、負けたら誰もシュナに手を出せないから、乗るのも一理あるのよね。マルク、フォン、頼んだわよ。不甲斐なさ過ぎなければ、ユパ王は二人を選ぶでしょう」
アンリがフォンとマルクの背中を押して歩き出した。
「ソレイユは? こんな弱そうなゴミ……じゃなくて嫌な……じゃなくて、苦手な匂いの弱々オーガもどきが選ばれる訳ないわ。ソレイユは星姫のエスコート役が良いの」
ソレイユがアンリを追いかけて、フォンに満面の笑顔を向けた。それからソレイユはアンリにも笑顔を投げた。どちらに対しても、心底というような愛くるしい笑い方。フォンが引きつった笑みを浮かべた。
「ソレイユはゴミに顔を突っ込んでも笑顔を作る修行をはじめたの。どう?」
ソレイユがラステルに耳打ちした。どう? 完璧なまでな笑顔だった。てっきりフォンと打ち解けたのかと思っていた。
「あらソレイユ。シッダルタ君は強い女の子は別に好きじゃなさそうよ。それでも強いところを見せつけたいの? 女はか弱い振りをしておくもの。貴方の兄様に、私はそう言われたわ」
「まあ、そうなの? ティダ兄様が? アンリ姉様がそう言うなら、ソレイユは観察だけにするわ」
ソレイユがラステルから離れて、アンリにぴたりとくっついた。腕を組んで、自分よりも背が低いアンリの頭に頬を寄せている。アンリがシュナ達の方へと歩いていった。
「覚えていろ女狐。貴様のようなのは虫酸が走る。その目が気に食わん。シュナ、私はそこらの人間と戯れる気などない」
「アンリ、場の空気を戻してくれてありがとう。しかしカール姉上は、流石に私に恥をかかせません。あまり、せっつかないで下さい」
アンリが肩を揺らした。シュナにはすまなそうに笑いかけたのに、カールの事は睨みつけた。
「友としては謝る。悪かったわシュナ。でも彼女は私の部下。公の場では、牙を隠すくらいになってもらうから。貴女の手前、割と我慢していたのだけど、これ以上甘やかさないで。カール、貴女の背後には誰がいるのかしら?」
「いくら恩人だろうとティダ……」
アンリが大きなため息を吐いた。
「姉上。姉上の上官はこのペジテ大工房アンリ長官。その上に彼女の上官ブラフマー長官。それで一番上に大総統。現在空席でアシタカ様が代理です。つまり、そういうことです」
シュナが少し嫌そうな顔をした。カールの腕に添えている手にも力がこもっている。
「カール、そういうこと。貴女の上官はシュナを宝物のように扱う、アシタカ・サングリアル様。貴女の宝石が愛する至宝。外交中なのだから毛先まで愛想を振る舞え。まあお前に無理なのは分かっているから、せめて喧嘩をふっかけたりするな。最低限、そのくらいしろ。ああ、上官に逆らうと即解雇。シュナの警護から外すから」
呆れ顔と、小馬鹿にした笑顔を残してアンリはカールの横を通り過ぎた。言葉遣いがいつもと違う。ソレイユが瞬きを繰り返しながらアンリを眺めている。アンリは隣のフォンも睨みつけた。
「いくら絶世の美女でも、警護相手に惚けるとは弛んでるぞフォン。ヤン長官はどんな教育をしていたんだか。我が国の至宝に泥を塗る真似は許さんからな」
低く唸るようなアンリの声に、フォンが青ざめた。
「お前は仮にも長官。もっと完璧な愛想笑いしろ。ソレイユさんを見習え」
アンリに名を呼ばれたソレイユが、フォンにウインクと投げキッスをした。
「ソレイユはゴ……。あまり見たくも嗅ぎたくもない、手から離れた物にも愛情を持てるように練習中です」
ソレイユは、今絶対にゴミと言おうとした。ラステルがポカンとしていると、カールがシュナの手を自分の腕から離させて、アンリの隣に並んだ。
「てっきり私を交流させようとか、そういう余計な世話焼きかと思った。今の理由なら従う。何だ、このような態度なら好感持てる。愛想笑いなど毒蛇の巣で披露してきて、得意だ」
「そうなの? 誤解されていたのね。私と貴女は同じよ。アシタカとシュナという誇りを背負い、戦う。失脚や失態、醜態は許されない。二人の輝きを打ち消す者になってはならない。私は貴女達部下を監視する立場だけど、部下もまた上官を見張るもの。見張りにならない部下ばかりだからカールには期待しているの。頼んだわよ」
「その自信、首を刎ねられたりせぬと顔に描いてある。当然、シュナに泥をかける者など私が許さん。シュナも無下にしたくないが、気に食わない者共に親愛寄せよなどとは反吐が出る。生き様を見せてもない者達なんぞ絶対に認めん」
シュナがラステルに悲しそうに微笑んだ。
「あー、良かったんじゃないかしら? カールさん、シュナから離れてアンリと話しているわ。それに感謝するって」
シュナが勢い良く振り返った。
「あまりの扱いに気が立っていたので冷静になれた。私は自らの責務を果たす。凍りついた場を誘導したこと、感謝する」
ほらね。とシュナの体を、ラステルは小突いた。シュナは少し嬉しそうにみえる。
「シュナは休暇だけど私達は仕事。シュナが混ぜるから迷ったのね。男にない女の武器は愛嬌。品良く、愛想が良く、そして仕事も出来る上に強い部下。決して裏切らない。喉から手が出るほど欲しくても手に入れられない道具。至宝と紅の宝石を磨く道具はそうあるべきよね?」
「その通り。かつては媚びを売っていた。それを忘れかけていた。取り敢えず、あの鼻が高そうな傲慢王子からヘシ折ってくれる」
ラステルはシュナの背を押して共にアンリとカールの後ろをついていった。
「ヘシ折る?」
「当然だが花を持たせてやる。見よあの顔。必死にシュナに見惚れぬようにしている。中々腕が立ちそうなので、私の手加減に気付くだろう。屈辱を与えてやる。王や側近から引き離して、シュナと遊ばせる」
「カール姉上、私は休暇です。それにアリババ王子は私に興味は無いと思い……」
「そうでした。ならば花を持たせて、最後は敗北させます。シュナ様は男女の機微に鈍感。私が貴族の阿呆らしさを見せぬようにしてきたせいです。すみません」
振り返ったカールがシュナに軽く頭を下げた。カールはすっかりシュナの姉ではなく、シュナの忠臣に戻っている。カールが前を向くとシュナが複雑そうな顔をして、ラステルに苦笑いをした。
チラリと振り返ったアンリが、シュナにウインクをした。どういうことなのだろう?シュナが少し嬉しそうな笑みをアンリに返した。アンリは多分、シュナとカールの気持ちのどちらも汲み取ったのかもしれない。だから、カールに対していつものアンリとは違う態度を取った。
「千里の道も一歩から。シュナの新たな人生のために励みましょうねカール。アリババ王子、私もそんな気がするのよね。よって完膚なきまでに叩き潰しましょう。アシタカにとって、シュナは特別中の特別。アリババ王子と仲良く踊っていたなんて知ったら、アシタカの腹わたが煮えくりかえって仕事に支障が出る。未だにティダに突っかかるのも多分それ」
シュナが「二人して目が悪いのかしら」とラステルに囁いた。多分、シュナの目が悪い。シュナはいきなり変化した自身の容姿に対して、自己認識がまだ定まってない。ラステルは何と答えて良いのか分からなかった。
舞台手前まで進むと、アンリとカールは静かになった。カールがユパ王の前に進み出て膝をついて、首を垂れる。
「未熟さ故に、場を乱そうとしました。主の顔に泥を塗るのを止めて頂き感謝します。宴に相応しい余興を行います故、是非取り仕切りをお願いします」
立ち上がったカールが、ユパの返事を待たずに両腕を広げ、民に向かい合った。
「シュナ様の護衛カール・フリアエです。先程は不躾でした。申し訳ありません。我が主、シュナ様は少々疲れています。あまりにも歓迎されて感銘を受けているからです。親愛寄せるラステル妃と語らうにも、少数が良いのです。崖の国には豪胆で誇りある殿方が多いと伺っています! 是非とも手合わせしたいと思っていました! 共に宴を盛り上げて下さる豪傑はどなたでしょう?」
カールが通路へと昂然と進んでいき、クルリと回った。注目を一身に集めている。まるでティダのようだ。ラステルはカールが花が咲いたように可憐に笑うなんて想像もしていなかった。素敵な笑顔のはずなのに、背中に冷たい汗が流れる。
「真っ先に手を挙げたので、ライズ!」
ユパが叫んだ。最初にシュナに近寄った近衛兵がカールに会釈をした。彼がライズなのだろう。ライズはカールの手を取って、甲にキスした。カールもライズに恭しいというように一礼をする。
「こうして見るとカール姉様はやはりティダに似ているわ」
「だからシュナはティダにウッカリしたんじゃない? ティダに似てるから、放っておけば勝手に誰かと交流し出すわよ。ティダの部下とか、私とか、セリムとか、ラステルとか、大狼とかね」
ラステルは自分の名前も呼ばれたことに驚いた。あの怖いカールと自分が仲良くなる? アンリが誠狼と語り合うように目を合わせている。
ユパが「始め!」と叫び、カールとライズが手合わせを始めたが、シュナは誠狼を見つめた。
「まあ、アンリ。ウールヴ様はカールをお好きなんです?」
舞台の端で伏せている誠狼は寝ている。寝たふりなのかは分からない。
「色々褒めていたわよ。月狼君も」
「光栄です。それならヴィトニル様とも仲良くなれるかもしれません。以前は互いに威嚇し合ってましたけど。ああ、そういえばアンリ。私がティダにうっかりというのは……」
「気にしてないから良いの。あの男の向こうには、とんでもない数の女がいるから。アシタカには色々と正直に、素直に話しておいた方が良いわ。貴女自身の為よ。アシタカの前では、お胸のセルペンスさんも場所を変えること。アシタカって苛々してると、中指の爪を親指の爪で弄ってるから観察に使ってみて」
一瞬、シュナが苛立ったような空気を出した。表情は美しい笑顔だが、寒気がするような冷たい雰囲気。
「アンリ、忠告ありがとう」
「私に苛々したら思い出して。私との思い出を時間の無駄。労力の無駄。そう評されたのよ。おまけに旦那は貴方に死ぬまで謝罪する。更には死んだ女に人生を捧げる。ティダって私を永遠の二番手って言ったけど、多分三番手。男を入れると五番手ね」
シュナが気まずそうな顔になった。恐らく謝ろうとしてシュナが唇を動かしかけた時、アンリが激しい熱視線と妖しい微笑をシュナに送った。シュナが少し後退した。アンリの笑みは闘志に満ちている。
「私は自分の気持ちを、自信がないからなんて理由で捨てない。一度失敗して学んだの。私達、中々の因縁関係だけど仲良くしたいから気を遣い合うよりも本音を言い合いましょう。アシタカ、ああいう性格だから今夜もあちこちで女を寄せつける。嫌なら嫌って素直に言うといいわ。多分、浮かれるから」
アンリが嫌そうに顔をしかめた。
「どうしてアンリがそんな嫌そうな顔をするの? アシタカ様に、まだ思うところがあるのですか?」
「初恋相手が、自分の時とはまるで違う態度。私のことを、単なる世話係にしてたって丸分かり。こんなの最悪よ。嫉妬じゃなくて屈辱。心配してきて損した。腹立たしい男」
アンリが腕を組んで、眉根を寄せた。
「アシタカ様、自分が如何に相手に無頓着で無慈悲だったのか分かった。そう言ってましたよ。ご自分を史上最悪の極悪人間だと」
「アシタカって勝手だから、行動を制御する材料にする予定だったのに……。先回りしたのね。それにシュナは特別ですよってアピール。多分、自覚してないんでしょうけどね。ティダとは大違い」
誠狼が近寄ってきて、憤慨しているアンリと、困惑しているシュナを背に乗せた。ラステルとソレイユ、ハンナは移動してきた小さき王の上に乗せられた。
カールがライズを通路から蹴り落とし、ユパが次の挑戦者を選んだ。シュナの為に始まったようなものなのに、シュナは全く興味無さそう。
「胸が締め付けられたと思ったら、次の瞬間には嬉しいことを言われて大変です。慣れた様子なのでわざとかもしれません。ティダこそ分かり易いではないですか。私を娘と言い切り、態度も目も何もかもで示してる。三番手って、あの男にはアンリしか目に入ってないわ」
「アシタカは自覚なしだから、分かりにくいし、色々とタチが悪い。ティダは分かり易くて可愛いわ。絶対に私を大事にしてくれる。というか、あんな言動なのに常に自分よりも相手なのよ。でも睡眠、食欲、性欲なんざ減れば満たすだけだって。なんなのよ。遊ばない。善処するって言うけど、誓うとは言わないの。女と遊んだら捨ててやるって言い続けてやる」
ティダが可愛いとはとんでもない意見を聞いた。可愛い? 全く結びつかない評価。アンリはぶすくれている。近衛兵がカールに投げ飛ばされ、また新しい者が挑戦者となる。挑戦者がシュナにアピールしたが、シュナは軽くおざなりな応援を送った。チラッと手を振っただけ。それだけなのに、物凄い効果が出ている。
「あー……。情報収集とか諸々にもその手を使うから……遊んだらではなく、他の言い方にすると良いと思います。嫌なら」
「何ですって⁈ それに嫌なら? 嫌に決まってるじゃない!」
「私もこの体など、使えるものは使うので分からなくもないです。ティダまではしませんし、出来ませんが。アシタカ様は嫌なようですが、服を大胆めにしているのも利用価値がありそうだからです。アシタカ様はティダのようなことが無理な性格なので安心。ティダには一言、捨てるとでも言っておきなさい」
「あら、アシタカは無自覚でするわよ。もう言ったわよ。でもティダを縛りすぎると屁理屈こねて絶対に他所の女に手を出す。私、あっさり許しちゃう自信があるの。そんなの嫌なのに。それを見抜かれる。惚れさせないと負ける。だから、頭のてっぺんから爪先までこっちに向かせる。私はあの男に絶対に負けない」
必死にカールに挑む男達。なのに、シュナはアンリと恋の話。この温度差。ソレイユが熱心にシュナとアンリの会話に耳を傾けている。
「アシタカ様が?」
「そういえば、大橋中通路でジーナ達を褒めてたのよアシタカさん。皆、ポーッとしていたわ。アシタカさんみたいな穏やかな男の人は、崖の国では珍しいからだと思うわ。ティダ師匠は城婆にまで大人気。ゴブレットにお酒を注ぐだけでも良いって……」
ラステルは思ったことを、考えなしで話したことを後悔した。シュナとアンリに思いっきり睨まれ、背筋が凍りそう。
「こんなところで、退屈なものを見ている場合じゃないわ。この国の娘という娘に、我が毒牙を見せておく。アンリ、行くぞ」
シュナの言葉遣いが以前のように戻っている。シュナが誠狼の背から飛び降りた。正確には降りようとして、アンリに抱えられて降りた。
「まあ、多少はね。他の者の物には手を出さない方が良いと知っておくのは良いことだもの」
シュナとアンリがそそくさと歩き出し、何故かアリババ達の元へと向かっていった。ラステルは慌てて追いかけた。ソレイユとハンナがついてきた。
「アリババ様。アラジン様。私、大橋中通路の宴も見学したいのですが、あの様子。場をおさめ、エスコートをお願いしたいです」
シュナが心底困った。そういう顔をして、アリババをジィッと見つめた。それから、アリババにそっと手を伸ばす。アリババは涼しい顔で、シュナと腕を組んだ。何故かアリババの隣に立つアラジンの顔が真っ赤になった。
「お任せくださいシュナ姫。アラジン、名乗り上げて行ってこい。花を持たせてくれるだろう」
「いいえ。アラジン様でしたら、きっと実力で勝ち花を手にするでしょう。鍛えているように見えますもの」
素敵、というようにシュナが口元を隠しながらアラジンに微笑みかけた。
アンリがアラジンの名を叫び、カールの元へと連れ出した。
大橋中通路でのティダの勝手な振る舞いより、とんでもないことが起こりそう。ラステルは「明日、起きれるのか?」と心の中で呻いた。それから、三人の姉、いやクイの爆発苔のような説教が始まらないように励もうと深呼吸した。
楽しくも、長く、怖い夜が始まりそうで期待と不安で胸の奥が疼いた。




