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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
七章 大嵐の前の静けさ

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お妃様の奮闘3

【崖の国 大橋中通路】


 開かれた扉の向こう。光苔の灯りの下、左右に人の道。充満した料理と人の匂い。城爺ミトに促されて、ラステルは前に進もうとした。ティダがアンリから手を離して前に出た。月狼(スコール)が付き添っていく。あまりにさり気なくてラステルは止められなかった。


「勝手に紹介されるのが嫌みたいね」


 アンリが軽くため息を吐いた。ティダは中通路の扉を過ぎて足を止め、しばらく無言だった。直立不動。後ろからなので顔は見えない。徐々に話し声が無くなり、ついには静まり返った。


「大陸が中央、岩窟に居を構えるベルセルグ皇国第三皇子ティダ・ベルセルグ。これは蛇一族大蛇蟲(アングイス)の次期王バシレウス。そして我が弟分である若手大狼のスコール。スコールはラステル妃の護衛である」

 

 月狼(スコール)が少し前に出てお辞儀した。それから三回軽く吠えてから戻ってきた。それに合わせるようにティダがゆっくりと振り返った。凛とした表情で、そっとアンリに手を伸ばすティダ。一瞬戸惑ったアンリがおずおずとティダの手を取ると、ティダが恭しくアンリの手を掲げて自分の方へと導いた。


「動作が絵になる方ですなあ……」


 ラステルの隣でミトが呟いた。ラステルも同意だったが上手く声が出なかった。アンリがティダに大切そうに扱われている姿から目が離せない。


「崖の国第三王子セリム・レストニア様及びその妃ラステル様による亡命幇助(ほうじょ)。更には執り行えない予定だった祝いの席には感謝しかない」


 ティダがアンリの手を自分の腕に誘導した。ティダが華麗に会釈すると、アンリがぎこちなさそうに真似をした。アンリはシュナと会釈などの挨拶を練習をしたが、異国な上にこの大人数。緊張で上手く動けないのは当然だ。


「見ず知らずの者の祝言など無視してくれて構わない。我らの姿が見えなくなった瞬間、険しき冬に一筋の光だと、大いに飲み食いし、楽しんでくれ」


 ティダがアンリと向かい合った。ここで、何かをする予定はない。ラステルはティダを止めようと思って足を前に踏み出した。月狼(スコール)の二本の尾がラステルの胴体に巻きついきて、動けなかった。


「アンリ。君に誓ったことは心臓が止まるまで破らない。もしくは破ったら心臓を止める」


 アンリの頭に被せたオダニをティダが両手でそっと外し、アンリの肩にかけた。


「共に地獄を歩むと言ってくれる君を、誰よりも何よりも優先して守ろう。アンリ、君を最も尊重する」


 ティダがアンリの両手を取って、そっとキスした。優しく柔らかな仕草だった。あまりに綺麗な動作で、ラステルは思わず見惚れた。ティダとアンリだけが浮き上がって見える。


 ティダは真っ直ぐアンリだけを見つめている。ティダがアンリを横抱きにした。アンリが真っ赤になって目を丸めた。


「死ぬまで俺が与えられる幸福を与えよう。未熟なので最大限善処し、真心を込める。何度でも愛を誓う。燃え上がり続けて星になる程熱く、長い、永遠にも似た唯一無二の愛だ。愛しているアンリ」


 ティダがギュッとアンリを抱きしめてからまたキスした。愛しているアンリ。その甘美な響きに、ラステルの口から感嘆のため息が漏れた。ラステルだけではなく、中通路のあちこちから似たような音がした。


「アンリ、君の何もかも全て許す。但し、生涯隣にいてもらう」


 またティダがアンリにキスした。アンリの顔が更に赤くなった。これで三回目のキスなので終わりかと思ったら、ティダは歩きながらアンリにキスし続けている。ラステルはポカンと立ち尽くした。


「熱烈な式ですなあ」


 微笑ましいというミトの声に、ラステルは我に返った。何処からともなく拍手が起きて、盛大な音になっている。


 祭宴(さいえん)大広間で結婚式をする予定だったのに、勝手に終わってしまった。


 ラステルから月狼(スコール)の尾が離れた。ラステルの腰を月狼(スコール)の尾が押すので、ラステルは中通路への扉をくぐり歩き出した。


「い、祝いの席を設ける代わりに料理やお酒を頂きました。レストニア王族からも用意しました。お、思い思いに……た、た、楽しんで下さい」


 全く予想していなかった展開に、ラステルはどもった。何とか笑いながら、左右にいる民に手を振りながら、早足でティダとアンリを追いかけた。


 ティダはもうアンリにキスするのを止めていたが、アンリを横抱きにしたまま中通路を進んで行く。


「風に守られし大鷲(おおわし)の民よ!大国の王よりも誇り高い王、ユパ王に感謝せよ!ユパ王を育てし偉大な旧王ジークを讃えよ!これより先の時代、世は荒れる!しかし、この美しき崖の国は守られるだろう!何故だか分かるか?」


 高らかなティダの声にラステルは立ち止まった。ティダがアンリを抱えたまま、ぐるりと一回転した。今度は何だ?こんなの、ラステルの手に負えない。


 大橋内部に「なんだろう?」というような騒めきが広がっていく。


「大陸覇王ペジテ大工房を背負う聖人アシタカ・サングリアル様がいるからだ!大陸中に平和の灯火を与えてくれる!セリム王子が射止めたのは、アシタカ様の妹君ラステル姫である!誇り高く、美しい崖の国で、愛しき夫を支える道を選んだ姫君だ!」


 ティダがアンリを下ろして、ラステルに恭しい会釈をしてきた。急に自分に注目が集まったので、ラステルは固まった。


「時に人を(おろ)かと見下し食い殺す大狼が、身を呈してラステル姫を守護するのは身も心も美しいからである。大狼は誓った事を破らない。永劫(えいごう)、姫を守ると誓っています!」


 ティダが腰に下げていた剣を鞘ごと手に持ち、片膝をついてラステルへ差し出した。月狼(スコール)の尾がラステルを持ち上げて、ラステルは蜷局(とぐほ)を巻く小さき王(バシレウス)の背中に乗せられた。


「ラステル姫は蛇一族の王にも認められている!その姫が親切で優しい、温かだと褒め称えているのはこの国の民だ!この国には金品財宝、文明社会でも手に入れられない輝きがあるという!セリム王子の人柄がそれを証明している!」


 ティダが立ち上がって鞘におさまったままの剣を再び高々と掲げた。よく見れば剣の鞘には崖の国の国紋が彫られている。


 ラステルは崖の国がとても好きだが、そこまで言った記憶はない。次々とラステルの名前が呼ばれていくので、ラステルはまたもポカンと立ち尽くした。


「戦場に置き去りにされた市民と、我が軍に慈悲を与えたアシタカ様に私は尽くす!アシタカ様が望むのは妹君のラステル姫と親しき友であるセリム王子の幸福である!両者とその家族と共に栄えよ!誇り高き大鷲(おおわし)の民に幸あらんことを!崖の国に祝福を!」


 ティダが剣を鞘から抜いた。銀色の刃が光苔(ひかりごけ)に煌めき、ティダの黒い外套(マント)(ひるがえ)る。中通路中の人がティダに注目しているような気がした。列は崩れていて、近くでティダを見ようと思ったのか人が集まってきている。いつの間にか、アンリが月狼(スコール)の背中に横座りしていた。多分、させられたのだろう。


「間も無く異国との交流が盛んになる。自由を目にし、豊かさを知り、あらゆる欲に目が(くら)むだろう!されど巡り巡ってこの国の有り難みを知る筈だ!大陸一の国の姫君がこの国を選んだ理由を考えよ!」


 ティダが剣を持ち直し、床に突き立てた。しばらく沈黙。ティダが剣を持ち上げて、ゆっくりと回転。周りにいる民に切っ先を向けた。軽く動かしているのか、光苔(ひかりごけ)が刃に乱反射して中通路を照らす。


 ティダの一挙一動から目を離せない。


「さあ、食らえ!酔え!歌え!険しき時代にも負けぬように、尽きぬ欲に負けぬ心を持てるように、今を全力で生きようではないか!足るを知る者こそが真に果報者である!」


 ティダが剣を勢い良く鞘へ戻した。キィンという小気味良い音が響き渡った。いつの間にかティダが手に酒瓶を持っていた。ティダが手近な者へと酒を注いでいく。何処からともなく、コツコツ、コツコツと軽快な音が聞こえた。ティダだ。ティダの靴が音を鳴らしている。愛想笑いをしながら、民に酒を注ぎながら、謝辞を述べながら、器用にコツコツと音を立てている。


 他のところからもコツコツ、コツコツと靴音が鳴り始めた。


「ラステル姫という、新たな風に守られし崖の国の民よ!世は因果因縁であり矜持と誇りを忘れるな!この世は生き様が全てだ!命短し、されど尊い!共に眩く生きようではないか!しばし世話になる!」


 乾杯というように酒瓶を掲げると、ティダが酒瓶からそのまま酒を飲んだ。爆発するような拍手と、乾杯の声と、器をぶつけ合う音が中通路を占拠した。


 酒瓶を放り投げたティダが、月狼(スコール)の背に座らされていたアンリを抱き上げた。それから抱きしめると同時にキス。人前なのにこれで何度目?とラステルは見てて恥ずかしくてならなかった。アンリは放心している。なのに、中通路内の人達は(はや)し立てている。


「朝から外交、視察、料理、来賓の世話、そして宴の準備と働くラステル姫をもてなす者はいるか?」


 アンリを片腕に抱えたティダが、ラステルにパンを手渡した。それからティダはラステルの腕を引っ張ってバシレウスの上から床の方へと移動させた。ラステルにわっと人が集まってきて、ラステルにお酒や料理が渡された。


「ラステル様!セリム様とずっとこの国で暮らすと聞きました!」


「また異国の話を聞かせて下さい!」


「他国に留学出来るようになるとは本当ですか?」


「ありがたや。ありがたや。セリム様は果報者じゃ」


「ラステル様、また歌を聴かせて下さい」


「ラステル様、葡萄酒(ぶどうしゅ)をどうぞ!」


 前後左右から話しかけられて、ラステルは目を回した。手に持たされたゴブレットに次々と乾杯される。


 ラステルの左側真横に月狼(スコール)が寄り添った。人垣の向こうに、遠ざかっていくティダの背中が見えた。


「ティダ師匠!ティダ師匠とアンリのお祝いよ!私じゃないわ!ティダ師匠!」


 つい、素のままの声が出た。ティダが好き放題なら、ラステルも好きにしないと止められないと続けることにした。


月狼(スコール)君捕まえて!二人のお祝いをするのよ!これは二人への祝福なの!私じゃないわ!皆もティダ師匠を捕まえて!」


 月狼(スコール)はその場に座って、ラステルの体に頭部を寄せただけだった。目が面白がっているように見える。ラステルが頼んだからか、ティダの周りにも人が集まろうとしていた。しかし、ティダがこちらを向いて腕を振ったので民が左右に分かれた。貫禄があるので、つい従ってしまう気持ちはよく分かる。


「上を見よ!さあ風を詠め!」


 騒がしいのにティダの声はよく通る。今度は何だろう?聞いたことがある言葉だ。ティダが拳を握って、天井に腕を伸ばした。


「上を見て目を合わせよ!」


 ラステルの手を握る老婆がティダの言葉を繰り返した。歌だ。帰国祝いの時に聞いた歌の歌詞。


「焼けつく太陽!」


 ティダが叫んだ後、ラステルのすぐ近くにいる男がゴブレットを高々と上げた。


「険しき山脈!」


 月狼(スコール)が吠え、再びラステルに注目が集まった。帰国祝いの時に耳にした歌が始まっている。ティダはセリムかパズーに聞いたのか?


「さあ上を見よう、我らは大鷲の民(オルゴー)!」


 笛の音が鳴り、太鼓の音が響き渡る。ラステルの体がくるりと回った。腰に手を回され、右手は握られている。アルマだ。セリムとパズーと同い年の近衛兵。


「おいセリムが怒るぞアルマ!」


 気がついたら周りを同年代くらいの人達に囲まれていた。


「鬼の居ぬ間って奴だ!ラステル様!今晩は踊ってください!」


 踊ってくださいと言いながら、もう踊っている。ラステルは目を白黒させた。鬼の居ぬ間とは、セリムのこと?セリムは確かに怒るかもしれない。


「この浮気者!(うるわ)しいラステル様にも触るなアルマ!」


 ラステルの体が後ろに引っ張られた。アルマに鉄拳が伸びて、驚いているとテトの友人ジーナだった。帰国祝いの宴で一緒に楽しく過ごしたので、また会いたいと思っていた。


「まあジーナ。貴方アルマさんの奥様だったの?」


「こんな勘違い男が?まさか!どっかの踊り子の恋人らしいから一応代わりに怒っておいてあげたんです」


 どっかの踊り子、ジーナがそう口にした時にローラが現れた。


「真っ先に他の女と踊るとはいい度胸ね!」


 仁王立ちしたローラがアルマを睨みつけた。周りの男達がゲラゲラ笑っている。アルマが涼しい顔で「そりゃあ大事な君と踊る練習さ」と口にしたので、ラステルは呆れた。頬にキスされたローラが、はにかんだのにも呆れた。ローラはセリムが好きだった筈だったし、こんなに分かりやすく懐柔されるのは良くない気がする。


「放っておきましょうラステル様。私達は向こうで優雅に踊りましょう」


 ジーナに手を引かれて、ラステルはパズーが「畜産連合の若娘」と呼んできたテトやジーナの友人達の所へと招かれた。中通路内はすっかり宴会。大騒ぎ。ティダとアンリはどこに消えた?見渡しても全然見当たらない。


「ねえラステル様!先程のティダ皇子を紹介して」


 さあどうぞ、と料理が乗った皿をラステルに渡してくれたティアナがウインクしてきた。帰国祝いの宴の時にラステルがしていた髪型をしてくれている。


「あら、私が先よ!真っ先にラステル様を迎えに行ったのだもの」


 ジーナがラステルの腕に抱きついた。


「保護網のロープを一人で全部回収した豪傑(ごうけつ)だっていうのに、見た?あの格好良さ。色気たっぷりで素敵だったわ」


 山羊飼いだと言っていたフィオがうっとり、という顔を赤らめた。ティダが色気たっぷり?そんな事考えたこともなかった。口喧(くちやかま)しく説教してくるので、お父さんよりもお父さんらしいとさえ思っている。


「あー、あの……ティダ師匠はアンリの旦那様で……」


 帰国祝いの宴で、ジーナもティアナもフィオもアンリに会っている。


「アンリさんはどうやってあの方を射止めたの?他国の皇子様なんでしょう?クワトロ様みたいに他にも妻を(めと)るって聞いたわ」


「まあ!何処でそんな話を聞いたの?ティダ師匠はアンリ以外の妻は(めと)らないわ!どうやって射止めたのかしら?一目惚れ?五日目惚れ?いきなり夫婦になったのよ」


 ラステルはティダが如何にアンリを大事にしているのかを話した。アンリがとても優しくて温かいのと、負けん気強くて実力もあるから気に入られたのだろうという推察も話した。ラステルはティダがアンリを宝物だと思っていて、大切にしていることを訴えた。逆もそうだ。二人の間には誰も入れない。


「アンリが勘違いで蛇一族に噛まれたの。アンリは勘違いだから許したわ。怒るだろうからとティダ師匠に告げ口しなかったの。でもティダ師匠はきちんと気がついて蛇一族の王様と喧嘩したの。風車塔よりも大きなバジリスコス様を投げ飛ばしたのよ!ティダ師匠とバジリスコス様は話し合って和解して、今は仲良し。バシレウス君はバジリスコス様の息子なの」


 息子で娘。雌雄同体という話をすると長くなりそうなので、割愛した。


「怪力だという噂は聞いたわ。あのクルーズが赤ん坊扱いだって。蛇一族ってそんなに大きくなるの?世界は広すぎるわ!」


 ジーナがキラキラした顔をラステルに向けた。帰国祝いの宴で、ラステルにペジテ大工房の事を一番聞いてきたのはジーナだ。


「あんな素敵な宣誓されたいわ。熱烈なキスだったもの。あんな風に扱われたいわ。アンリさんに良い男の捕まえ方を教えてもらわないと」


「声がまた格好良くて、雰囲気があって、品もある。それに、心の底からという様子で上っ面ばかりのそこらの男とは格が違ったわ。あんな素敵な台詞、言われたらその場で死にたい。私こそ何度でも愛を誓われたいわ」


 ジーナとティアナが顔を見合わせて「ねー」とクスクスと笑った。人前でキスは兎も角、ラステルもセリムに「愛してるラステル」と静かに堂々と言われるのを想像したら、胸が甘く締め付けられた。しかし誓い合った夜に、セリムが同じ台詞を噛んだのを思い出した。セリムには無理だろう。


「素敵だったわね。あーあ、一夫多妻じゃないのかあ……。あんなに美人だなんて、隠していたのねアンリさん。顔立ちなら負けてないけど、強さは無理だなあ……。アンリさん、あんな小さいのにそこらの男より腕力があったものね……」


 フィオがガッカリというように肩を落とした。ジーナとティアナが大笑いしだした。


「本気だったのフィオ?あんな素敵な方に見初められるなんて困難よ!でも踊ってくれたりしないかしら。あの目で見つめられてみたいわ」


「ねー!踊ってもらいたいわ。せめてゴブレットにお酒を注いでみたい。あの声で、ありがとうって言われたいわ!」


「フィオにはエリオールがいるじゃない。それにしてもラステル様、師匠って何の師匠なの?」


 ティアナがフィオの背中を叩いている。ジーナも愉快そうに笑いながら、ラステルに向かって小首を傾げた。ラステルこそ、このティダ人気に首を傾けたかった。パズーが崖の国の女はティダみたいな男が好きだと言っていたが、その通りらしい。あまりにも落ち込んでいるフィオ。彼女の恋人がエリオール?知らない人だが気の毒。


「色々よ。お勉強を教わっているし、護身術や淑女の振る舞いも習っているわ。ティダ師匠は何でも教えてくれるのよ。ねえ、月狼(スコール)君」


 ラステルは足元に寄り添ってくれている月狼(スコール)に問いかけた。小さく月狼(スコール)が三回吠えた。


「お、お、お、大きな狼さんね」


 牙を見せる月狼(スコール)に、三人娘が怯んだ。


「単に大きな狼ではないのよジーナ。勿論大きな犬でもないわ。大狼ってお話しするし、難しい掟もあるらしいの。大狼っていう一族なのよ。怖いけど優しいの。頼れる護衛よ。私だけでなくて、頼まれなくても豪雨の中川に落ちそうな人を助けてくれるのよ。月狼(スコール)君は素晴らしいの」


 月狼(スコール)がラステルの背中を尾で叩いてから、三人娘を順番に見た。


「まあ、ごめんなさい月狼(スコール)君。羊飼いの娘ジーナ、牛飼いの娘ティアナ、山羊飼いの娘フィオよ。パズーと仲良しのテトのお友達よ。親切で元気なの」


 月狼(スコール)が「パズー」という単語を聞いた瞬間、プイッとそっぽを向いた。


月狼(スコール)君。三人共パズーの友達ではないわ。テトのお友達よ。私の友達の友達なのだから仲良くするべきだわ。むしろ群れにいれて育てても良いくらいよ。月狼(スコール)君は立派な成体だと聞いたもの。これからもっと大きくなるなら、群も大きく出来るわ」


 黄金太陽色の目を細めて、月狼(スコール)がラステルを見つめた。それからまた三人娘を眺めた。ジーナが最初に軽く会釈して「初めましてスコールさん」と挨拶をした。続けてフィオとティアナも月狼(スコール)に挨拶をした。月狼(スコール)が三人の腕を尾で優しく撫でた。


「フワフワだわ。触っても良いかしら?」


「聞く相手は私じゃなくて本人よ。本人だと人だから、本狼かしら?ティダ師匠が淑女(しゅくじょ)は気軽に男に触れるものではないと言っていたわティアナ。良い女はもったいぶるものだって。それから愛嬌(あいきょう)が大切らしいわ」


 ティアナが月狼(スコール)に可愛らしいウインクをした。しかし澄ました月狼(スコール)の様子からして、意味は無さそうだった。


「あはははは!ティアナ!愛嬌(あいきょう)を履き違えていない?」


「人間の女の誘惑が通じる訳がないじゃないティアナ!」


 ジーナとフィオにケラケラ笑われるティアナが腰に手を当てて、二人を睨んだ。


「なら手本を見せて頂戴(ちょうだい)!」


「いや、とても可愛らしかったよお嬢さん。そんなに簡単に陥落(かんらく)するものかという男の意地だ。なあ?月狼(スコール)君。実に素敵な笑顔とウインクだった」


 爽やかで穏やかな声。アシタカだとラステルは声の方向に体を向けた。仁王立ちしているティアナの後ろにアシタカが立っていた。タキシードという黒い上着に光沢のある灰色のスボン。それから同じ色のベスト。首に締めているのはネクタイだと聞いた。崖の国にはない服装。優しい笑顔と相まって、キラキラ光って見える。


 ティアナが赤くなって固まっている。


 月狼(スコール)が静かに三回吠えた。それからティアナの頬を尾で撫でた。


「初めましてアシタカです。妹が世話になっているようですね。ありがとう」


 ジーナ達とお喋りをしていて、本来の仕事を忘れていた。ラステルはアシタカの登場に驚いたと共に、嫌な予感に少し震えた。振り返ったティアナがアシタカに驚いてよろめいた。アシタカはサッとティアナの体を支えて、すぐに手を離した。


「転んで美しい顔に傷がついたら大変だ。間に合って良かった。頬が赤いので少々飲み過ぎなのでしょう。節度を持って楽しんで下さい」


「は、は、はい……」


 満面の笑みのアシタカ。ティアナが小さな声を出してボーッと見惚れた。アシタカは気づいているのか、いないのか知らないが、素知らぬ顔でジーナに視線を移動した。それから次はフィオ。ジーナもフィオもティアナのように固まった。


 今のアシタカは前髪を後ろの方に流して額を露出しているので、凛々しい眉毛が目立つ。普段は親しみやすいお兄さんという雰囲気なのに、今のアシタカは品格漂う、近寄り難い大人の男性。部屋を出た時はいつもの髪型だった。いつ、ティダと同じ髪型になったのだろう?


「パズーから崖の国は美人揃いと聞いていたが、その通りのようですね。お二人も怪我などしないように気をつけて欲しい」


 豪快で騒がしい崖の国の男達の中で、アシタカはかなり浮いている。周囲の女性の目線がアシタカに集まっていた。アシタカがジーナに一歩近寄って、彼女のショールを掛け直して軽く結んだ。


「眺めていたい男は多いだろうが、ここぞという時に見せてこそ価値が更に高まる。楽しみながらも慎みを忘れない方が良い。世の中、月狼(スコール)君のような紳士ばかりではない。可愛らしいお嬢さんは、まず自ら身を守らねば」


 丁度、ジーナの少し開き気味になっていた胸元がショールで隠れた。ジーナが赤くなって、はにかんだ。小さく「ありがとうございます」と呟いたジーナはとても愛くるしく見える。何故か周囲からどよめきが起きた。アシタカがラステルに視線を移した。


「待てども待てども来ないので迎えにきたんだラステル」


 アシタカの声がラステルの時だけ一段階低くなった気がして、ラステルの背中に嫌な汗が流れた。


「ラステル、行こう」


 近寄ってきたアシタカの声が更に低くてラステルは縮こまった。アシタカの横に並ぶと、アシタカがラステルの腰に手を回した。それから周囲の者達に手を振りながら歩き出した。ラステルは大人しく従った。


「すまなかったラステルさん。ティダの()()を君が御せる訳が無いのに任せてしまった」


 かなり小さな声で、周囲に聞こえないような大きさの声で、アシタカが謝罪してした。怒られると思っていたのでラステルは驚きで瞬きを繰り返した。アシタカは爽やかな笑顔を振りまいたままだ。


「逃亡するところをセリムが捕まえた。月狼(スコール)君が呼んでくれたそうだ。お喋りに(きょう)じていたのには目を(つむ)ろう。そもそも僕達の采配が悪かったからだ。あと、楽しみを邪魔してしまった。君はあちこちでもてなされて、揉みくちゃで抜け出せなかったということで」


 もうアシタカの声は低くなかった。むしろ優しい。嘘の兄なのだが、いやペジテ大工房の書面上は一応兄と妹なのだが、こんなお兄さんなら嬉しいなとラステルはアシタカの穏やかな横顔を眺めた。初対面からしばらくはギクシャクしていたが、もう随分昔に感じる。


「崖の国で祝言だというから準備したのに何なんだあの()()()()()()()。話を聞いたら大衆の前でアンリを(はずかし)めたと言う。史上類を見ない最悪最低の男め」


 またアシタカの声が低くなった。ラステルにではなくティダに怒っていて、それで声が低かったのだと分かった。アシタカが怒るのは、普段温厚で優しい雰囲気な分怖い。


「あー、むしろ素敵な宣誓に、熱烈なキスだって(うらや)ましがられていたわ」


「何だって⁈」


 素っ頓狂(とんきょう)な声を出したアシタカが、ラステルを驚愕(きょうがく)の目で見つめた。


「私はあんなの恥ずかしいと思うけど……崖の国は違うみたいです。あと二人の間に入る隙間がなさそうと伝わったかもしれません」


 一瞬頬を引きつらせたアシタカが、また爽やかな笑顔を作り、素知らぬ顔で歩き出した。よくもまあ、ここまで直ぐに表情を変えられる。まるでシュナみたいだ。それにこの穏やかな雰囲気。アシタカの周りだけ空気が違う。ティダも同じように特別な雰囲気を持っているが、二人は(かも)し出す空気が違う。正反対。


「そうだ、異文化だ。価値観の違いは当たり前の事。しかしティダは許せん。アンリを尊重しろ」


 中通路の中央を、ラステルとアシタカは連れ添って歩いた。いつの間にか人々が壁際に移動していて、拍手されていた。アシタカに促されてラステルも手を振ると、益々拍手は大きくなった。


 城塔側の中通路の端で、ティダが小さき王(バシレウス)の背に座っていた。腕にアンリを抱いている。反対側の手には酒瓶。アンリは両手でオダニを掴んで顔を隠していた。その隣でセリムがティダを睨みつけている。


「さながら祝言の新郎新婦入場のようだったなサングリアル兄妹よ」


 セリムの頬が引きつったので、セリムが何故ティダを睨んでいるのか何となく想像がついた。セリムが見る前に、アシタカがラステルの腰から手を離した。


「何故、手配通りにしなかったティダ。遅いと思ったら……他国の民を扇動するな。ラステルが困っていた」


 ティダが嫌そうにアシタカを睨みつけた。ティダがラステルに向かって、したり顔をした。


「困ってた?ねえ」


 ティダの含み笑いに、ラステルは逃げ出したくなった。うっかりお喋りして、楽しんでいたのがバレている。


「こ、困ったわ!打ち合わせと違うもの!」


「俺なりにアンリへ誠心誠意、善処した。で、次は大広間だ」


 オダニから片手を離したアンリが、ティダの胸を拳で軽く殴った。アンリの顔はティダの胸元に向いていて見えない。


「これ以上恥ずかしいことをしないで。顔から火が出るかと思ったわ。アシタカの案で良いのよ。静かで(おごそ)かに……」


「ふむ。俺なりに高らかに宣誓したがアンリは気に召さないらしい。善処したのに困った妻だ。淡々と書類にサインしてどうすると言うんだ。全く虫除けにならんぞ。しかしアンリがそれを望むなら、そうしよう。して、評判はどうだったラステル?」


 本当の事を言って良いのか迷ったが、バレるだろうから素直に教えることにした。


「テトの友達からの評判しか分からないけど、とても(うらや)ましがっていたわ。崖の国とティダ師匠の価値観は似ているみたい」


 ラステルはチラリとセリムを見た。ラステルも羨ましいと思ったのと、誓い合った夜にセリムが噛んだのを思い出して少しガッカリしたことは黙っておこう。


「私は静かに地味にで良かったのよ。こんな大衆の前で……。式当日に婚姻届にサイン。ちょっと憧れていたから……それだけあればって……」


 アンリの声は珍しく弱々しい。ティダがアンリの頭から落ちそうなオダニを掛け直した。


「余所見をするなと言うから、布石を置いたのに気に召さないとは。我儘(わがまま)娘め。しかし許そうアンリ。俺は他人を幸福にするなど出来ん。一度も無い。今後も無い。アンリは俺の我儘(わがまま)に付き合って地獄行き。付き合うというので一生付き合わせる。その代わりに最大限善処し、与えられるものは何でも与える。願いもなるだけ叶える」


 ティダが優しい眼差しでアンリの顔を覗き込んだ。アンリの表情はオダニで見えない。ラステルはティダが何を言っているのか分からなかった。


「私はティダ師匠に助けてもらったわ。シュナも助けてもらったわ。シッダルタも助けてもらったわ。沢山の人が助けてもらっているわ」


「突然、何の話だ?」


 ティダが怪訝そうな顔でラステルを見上げた。


「何の話って、ティダ師匠が誰も幸せにしたことがないと言うからよ?」


「阿呆かラステル。化物娘の真の中身を見抜き居場所を与えたのは誰だ?醜さの中に隠された美を見つけ出して、寄り添ったのは誰だ?一奴隷の亡命を幇助し生きる目的を与えたのは誰だ?沢山の人?俺はそこらで脅したり、殴ったり、殺しているだけだ」


 ティダがフンッと鼻を鳴らした。ラステルはティダの発言に面食らった。セリムとアシタカも固まっている。ティダがアンリを抱えたまま、立ち上がった。


「こんなに簡単に踊る国。滅びたらすまんなヴァナルガンド。善処はする。今日の災害に手を貸したのが運の尽き。適度に恩を売るというのは難しいんだよな。この国、噂が広がるのが早過ぎだ。俺なんぞを嬉々として受け入れるとは、この国の民は見る目が狂ってやがる」


 ティダがため息を吐いてから、足で中通路から崖内通路へ続く扉を開けた。


「発言力があり、直ぐ前へ出るので、注目が嫌だとは思わなかった。アンリはやはりチグハグな女だな。次は静かに、地味にを心掛けよう」


 勝手に歩き出したティダをアシタカが慌てて追いかけた。


「ラステル、ごめんな。大変だったんだろう?」


 すまなそうなセリムに、胸が痛んだ。ラステルはブンブンと首を横に振った。


「楽しい空気になって、お仕事を忘れてしまったの!私、しっかりするわ」


「ティダがそう仕向けたんだよラステル。君の性格を分かっている。祭宴(さいえん)大広間もどうなることやら。よし、僕達は先回りだ」


 セリムがラステルの手を引いて、大橋の上に出る扉を開いた。階段の途中、セリムが壁を触ると隠し扉があった。


「この国には避難用に隠し通路が色々ある。王族は覚えないとならない。だからラステルにも覚えてもらう。頑張ろうな」


 駆け足気味で進むセリムに手を引かれながら、ラステルは小さく(うなず)いた。


「ねえセリム。化物娘の真の中身を見抜き居場所を与えたのは誰だ?ってティダ師匠が言っていたでしょう?」


 ラステルが見上げるとセリムの横顔は怒っていた。


「化物娘だなんて、なんていう蔑称(べっしょう)だ」


「ううん。またきっと呼ばれるわ。私、変だもの。でももう良いの。セリムよ。セリムが私に居場所をくれたわ。ううん、本当はお父さんがくれていたのに、私は気がついていなかったの。ラファエ姉様(あねさま)もいたわ。蟲もいてくれた。色んな人と会って分かったの」


 ラステルはティダが崖の国の人々に何を話したのかを告げた。


「足るを知る者こそが真に果報者、か。まるで僕への皮肉だな。僕はいつも足りない、足りないと思っている」


 困ったというように、セリムが苦笑いをした。セリムの足りないは、いつも自分の能力に関してなので、ティダの話とは少し違うと思った。


「んー?セリム、それは少し意味合いが違うと思うわ。でもそれもそうね。足るを知るものは豊む。シュナが教えてくれたの。満足することを知りなさい。当たり前は当たり前ではなく誰かが欲しているものかもしれない。まずは持ってるものに感謝をしなさいって。セリムは自分が優れていることをもっと自覚して良いと思うわ」


「僕が優れている?欲目で見てくれてありがとうラステル。あちこちで迷惑をかけた未熟者だ。今日も失敗続き。持っているものに感謝をしなさいか……。シュナさんが言うと重みが違うな……。アシタカが怒ってた。欲が無さすぎるって」


 セリムの複雑そうな顔に、ラステルは首を傾げた。


「シュナは欲まみれよ。アシタカさんを死んでも離すかって思ってる。家族以外の女には世話させないって。ドメキア王国も栄させる気満々よ。カールさんももっと人と触れさせて仲良くさせたいの。セリムと私と暮らすのも狙っているわ」


「僕達と暮らす?崖の国に来るってことか?」


「違うわよ。セリムと私を自分達の所に連れて来るって。一生挑むと言っていたわ」


 セリムが目を丸めた。


「僕達がドメキア王国に?」


「シュナは自分が崖の国で暮らすって考えはないの。足るを知らないって笑っていたわ。それにしても、アシタカさんがシュナに怒っているなんて知らなかったわ」


 曲がりくねった通路を進み、階段を登ると扉が現れた。


「少し前まで、僕とラステルはいつも二人きりで話していたのに随分と知らないことだらけになってしまったな」


「これからもっと増えるわ。私達の暮らし方が変わったのだもの。セリムと暮らす世界が違うって悩んでいたのが、今はちっぽけに思えるわ。これがきっと、アシタカさんが言う人は変わるってことだわ」


 蟲森と外の世界の違いで悩んでいたのに、まさか人と蟲の違いで悩むことになるとは思っていなかった。そしてセリム。境界を引いて、蟲森や蟲と適切な距離を保って国を豊かにしたいと願っていたセリム。今は境界を破壊して、手を取り合いたいと望んでいる。


「ユパ兄さんに怒られた時に思ったんだ。僕は崖の国の王子よりも、蟲の民を選んだ。だから今はアシタカ寄りになる。ユパ兄さんに反発心を持ったのは初かもしれない。ラステル、追放されても暮らせる国がある。場所がある。そのさ……」


「地の果てまで付いていくわ!セリムが私の家よ。シッダルタも連れまわすわ!シッダルタにお嫁さんが出来そうになったら、その覚悟があるのか問いただすわ!」


 正確にはシッダルタはセリムから離れない、だ。そんな予感がする。いつか立派な人間になってベルセルグ皇国に戻ると言っているが、既に今の仲良しぶりを見ると無理だろう。


「ならドメキア王国ではなくベルセルグ皇国で暮らしたりしてな。蟲森が近くにある。大狼の里もだ、立地的にも大陸中央。僕達の人生、何もかもが白紙だ。僕もラステルが行きたい世界には付いていく。これからも痛っ……」


 セリムが台詞(せりふ)を噛んだ。素知らぬ顔でセリムが「これからもよろしく」と言い直した。それからラステルを抱きしめてくれた。新婚初夜と同じだったので、ラステルはクスクス笑いながらセリムを抱きしめ返した。


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