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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
七章 大嵐の前の静けさ

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お妃様の奮闘1

【崖の国 城塔 台所】


 シュナは賢いのにどうして野菜を効率的に、安全に切る方法は考えつかないのか?


 シュナが小芋を抑えずに包丁を勢いよく振り下ろし、斜めに当たった包丁の刃で滑った小芋がまな板から飛び上がった。ラステルが慌てて手を伸ばした時には間に合わず、シュナの額に小芋がぶつかった。


「小芋を抑えないからよシュナ!というより手に持って皮を剥くのに、何故包丁を振り下ろしたの?説明を聞く前に動かないで。どうして頭が良いのに野菜と上手く付き合えないのかしら?」


 シュナが額に当たってすっ飛んでいった小芋を拾い、恨めしそうに指で摘んだ小芋を睨んだ。


「逆よラステル。こんな小さな野菜、シュナが手で抑えたり、皮を剥こうとしたら指を切り落とすわ。半分にしてから中身をスプーンで(すく)おうと思ったのよ」


 シュナの指に力が入り過ぎたのか、小芋がまたピョーンと飛んでいった。シュナが慌てて床を転がる小芋を追いかけていった。


 城婆(しろばば)達がクスクス笑うと、シュナが頬を赤らめながら小芋を握りしめて戻ってきた。洗いなおした小芋をまた睨んでいる。ドーラが大笑いしてカールに睨まれ、ドーラが睨み返した。クイが止めなさいというように、ドーラとカールをそれぞれ睨んだ。


 場の空気が一気に悪くなった。


「本当に(わたくし)は不器用だわ。でもこの方がアシタカ様は張り切るの。忙しいのに頼られたくてならない変な方」


 シュナが何か思い出したように微笑むと、台所内の空気がまた温かくなった。


「シュナ様、アシタカ様の上着のボタンを付けようとして苦労された件ですか?」


 ドメキア王国から持ってきた調理器具をクイに披露していたハンナが、近寄ってきた。シュナが気まずそうな表情をした後、頬を赤く染めてはにかんだ。


「それもそうです。縫い物は大変だわ。まず針の穴に糸が通らないのよ。端を結ぶのも大変。やっと端を結んだと思ったら針の穴より玉が小さくて布をすり抜けるの。アシタカ様は書類を確認しながら素知らぬ顔をしているけどチラチラ気にしていて、助けてと頼むのをずっと待っていらっしゃったわ。声を掛けたら上機嫌」


 小芋をまな板の上に置いて、両手を口元に当てたシュナが「ふふっ」と可愛らしく笑った。ハンナが腰に両手を当てて、シュナを見下ろした。


「そのアシタカ様が大変お怒りになるので、怪我をしないようにラステル様の説明をきちんと聞いて行動して下さい。また指に包帯が増えると料理を禁止されるかもしれませんよ」


 少し怒ったようなハンナにシュナが(しお)れた。カールが今度はハンナを睨んだが、ハンナはカールを見ないようにしている。目に入ると怖くてならないからだろう。シュナがまた小芋を恨めしいという目付きで見つめた。今度はボールに山積みになった小芋も睨んでいる。


「小芋のせいではありません!小芋に罪はありません!宴の為に頑張ってもらいますよ!ラステル、しっかり教えなさい!シュナ姫は教師にしかと指示を仰いで下さい。ラステル、その小芋の皮剥きは貴方がやりなさい。その手つきでは恐ろしいわ。他の野菜にしなさい。小芋の次もあるのだから早くなさい」


 クイが石窯横の台の方へ移動しながら叱責してきた。危ないから小芋はまだ無理と言っても、聞かなかったのはシュナだ。危ない手つきを途中で止めて、ほらまだ無理でしょう?と言うつもりだったのに怒られてしまった。ちょっと落ち込む。


「はい、クイお義姉様(ねえさま)。シュナ、ハンナの言う通り私の説明と注意を聞くのよ」


「ありがとうございますクイ様。分かったわよラステル。良い案を思いついたから試してみたかったの。カール姉上も見てないで覚えて下さい。城での生活は終わりで姉上も共に料理をしないとならないのですから。シュナだけでは朝食が昼、昼食が夜になってしまうわ」


 シュナがまた小芋を睨みつけた。小芋には全く罪はない。シュナの発想のせいだ。包丁を振り下ろして小芋を叩き切って半分にする。それからスプーンで(すく)う。全くもって良い案ではない。そもそも硬い小芋は()でてからなら兎も角、スプーンでは(すく)えない。


「シュナ、私は護衛です」


「早くなさいカール姉上。姉上は(わたくし)に料理を任せっきりにするつもりですか?護衛なら小蛇蟲(セルペンス)様がいます。そもそもこの台所に護衛が要りますか?要りません。もし万が一必要なら包丁で戦って下さい」


 手招きされたカールが渋々という顔をして近寄ってきた。ハンナと同じ服を着させられているのも大変不満らしく、ずっとしかめっ面をしている。ドーラがエプロンをカールに投げると、噛みつきそうなくらい嫌悪感を(あら)わにした。シュナが楽しそうにカールにエプロンをつけた。カールは黙ってエプロンを着させられている。本当にシュナの言う事は嫌でも聞くようだ。


「ではシュナ、カールさん、サツマイモの皮()きと乱切りをしてもらいます」


 ラステルはシュナのまな板の上にサツマイモを置いた。それから皮剥き器。ドメキア王国から持ってきた便利な調理器具。シュナが嫌そうに皮剥き器を見つめて、手に取った。おまけにカールに皮剥き器を押し付けた。


「こんなもの使用したらアシタカ様が手取り足取り教えてくれません。カール姉上は初めての料理ですので、どうぞお使いください」


 なんていう言い訳だ。ラステルはため息を吐きそうになった。シュナは単に負けず嫌いなだけ。シュナが包丁を握ろうとすると、カールが先にサッと包丁を取った。


「なら上達しない方がシュナにとって良いですね。ラステル殿、乱切りとは?」


 サツマイモを手に取ったカールが、器用に皮を剥いていく。シュナが羨望(せんぼう)と尊敬の眼差しをカールに向けると、カールが何処と無く嬉しそうに口元を(ほころ)ばせた。


「端から斜めに包丁を入れて、回しながら不規則に切るのよ。大きさは揃えます。こんな風にです」


 カールが皮を剥いたサツマイモを、ラステルは乱切りにした。シュナが諦めたというようにサツマイモと皮剥き器を手に取った。カールはもう次のサツマイモを手にしている。


「カール姉上は昔から器用なのよね。姉妹なのにどういうことかしら。あら、小蛇蟲(セルペンス)様。つまみ食いです?」


 シュナの頭の上から小蛇蟲(セルペンス)が降りてきて、シュナが剥いたサツマイモの皮を(かじ)りだした。


「冠ではなかったのか。これがラステルから聞いた小蛇蟲(セルペンス)。本当に宝石のような(うろこ)だな」


 大量のパン生地をこねるドーラが手を止めて小蛇蟲(セルペンス)を見つめた。城婆(しろばば)の何人かが嫌そうな顔をしている。シュナのたわわな胸の谷間からも、人差し指くらいの大きさしかない小蛇蟲(セルペンス)が頭部を出した。護衛なので成体だが、こんなに小さいのもいるのか。それにあんな所にもいたのかと、ラステルは驚いた。シュナがサツマイモを一欠片小蛇蟲(セルペンス)に差し出したが、皮が好きらしい。


「海に住む神の遣いの蛇一族。それなのに、身ではなく皮がお好きなんですね。だから(わたくし)達の一族と共存してきてくれたのかしら?」


 神の遣い。そう告げた時、シュナは台所中を見渡した。城婆達が驚いたように小蛇蟲(セルペンス)を見つめ出す。


「ドメキア王国の守護神である蛇神がシュナ姫とアシタカ殿の結婚式典に参加すると聞いたが想像もつかないな。ラステル、会ったのだろう?」


 ドーラがまたパン生地をこねだした。シュナが胸元の小蛇蟲(セルペンス)にサツマイモの皮を渡しているのを、ドーラはジッと観察している。


「とても美しくて大きいんですよドーラお義姉様(ねえさま)。びっくりして言葉を忘れるわ。私は忘れたの。七色の雪が降って、曇っているのにシュナとアシタカお兄様がいる場所だけに光が注いで、神様が国民も結婚も許したの。とってもロマンチックだったわ」


 アシタカはシュナが好き過ぎて頭がおかしくなっていたが、あの時点で既にお互い想い合っていたので本物の誓いだ。何度思い出しても素敵な二人の姿。


「そんな(うらや)ましいという顔をしなくても、セリムとラステルの結婚式典もしますからね。次の収穫祭という話でしたけどシュナ姫とお揃いで貴方の誕生日にしますよ」


 クイから飛んできた台詞に、ラステルは皮を剥いていた小芋を落としそうになった。


「私とセリムの?」


「そうです!当然でしょう!あんな身勝手なのは許されません!シュナ姫のように豪華にはいきませんが、きちんとこの国の伝統的な結婚式を行いますよ」


 クイが優しく笑ってくれて、ラステルは泣きそうになった。ドーラを見たらドーラも満面の笑み。


「ペジテ大工房でセリム様とラステル様の結婚式典をする予定でしたが却下ですね。この国の結婚式に贈り物をして花を添えます」


 シュナがサツマイモを猫の手で抑えて、慎重に包丁を入れた。力が無いのか中々切れずに背伸びをして体重をかけている。大事な話なのに、まるで世間話のように口にされたのでラステルは固まった。


「ペジテ大工房で?」


「婚外子な上に、あまりに強く聖人一族の血を継いで生まれてきたので、国民にも隠されて家族からも離れた場所で密かに育てられた姫君。国の英雄がペジテ大工房で結婚式典を挙げるのが当然ですが、嫁入り先の崖の国を立てないとなりません。参加希望者は抽選ですかね。激戦でしょう」


 そういう設定になっていることを、ラステルはすっかり忘れていた。


「大変だわ、お義姉様(ねえさま)……。私、生まれた日を知らないの……」


「私が聞いているので大丈夫です。ラステルは兄のアシタカ様同様、自分の事はすぐに忘れるのよね」


「そうですよラステル。料理以外の事も覚えてもらうのですから自分の誕生日くらい覚えなさい。そんなでは妃仕事が出来ませんよ。それに糸紡ぎや機織(はたお)りもして貰いますし、覚える事が山のようにありますからね」


 シュナとクイが目配せして話をしたので、何も知らない城婆達に辻褄が合うようにしたのだろう。


「クイお義姉様(ねえさま)。糸紡ぎや機織(はたお)りは得意です」


 崖の国は貧しいから王族も普通に働くのはセリムから聞いて知っている。いつの間にかラステルの仕事は決まっていたらしい。ラステルの特技をセリムが話してくれたのだろう。


「あはははは!残念でしたねクイ姉上。嫌がらせは失敗のようですよ!私の時とは大違い!」


 パンの成形をしながら、ドーラが豪快に笑った。クイが振り返ってドーラを見た。


「ドーラこそ残念。特技はセリムやラステルの家族から聞いてあるの。貴方と違って愛嬌(あいきょう)があるからです。品もありますしね。貴方の嫁入りの際は大変で仕方なかったわよ」


 クイがしたり顔でドーラに流し目をして、顔を背けた。ドーラがクイの背中に舌を出すと、クイがサッと振り返った。ドーラはもうしおらしい顔をしている。ドーラの変化をクイの隣で見ていたハンナが引きつった笑顔を浮かべた。


「大変よシュナ。これが噂に聞く嫁姑問題よ。私にもいつかやってくるわ」


 ラステルがシュナに耳打ちすると、シュナが切ったサツマイモの乱切りの一つがラステルのおでこにぶつかった。何故こんな風に飛んでくるのか、ラステルには分からない。


「まあ、ごめんなさいラステル!」


 シュナがラステルの額を撫でてくれた。


「毎日私が料理をするのでシュナは諦めて下さい」


 カールが呆れたような声を出した。


「嫌です。アシタカ様の胃袋を掴まないとなりません。それに毎日アシタカ様と仕事をしながら楽しく料理をするのです。息抜きは大切ですもの」


 シュナが凄ぶるご機嫌というように、鼻歌を始めた。まな板横にいた小蛇蟲(セルペンス)が体を揺らし始めた。胸元の小蛇蟲(セルペンス)も同じくシュナの鼻歌に合わせて楽しそうに揺れている。


 鼻歌だが、シュナの美しい歌に皆が一度手を止めた。ラステルも一瞬聴き惚れた。本当にシュナの声は美しい。わざと美しくない声を出して、やや乱暴な言葉遣いをしていた頃がもう随分昔に感じる。実際はまだ一月程前のことなのに。


「胃袋なんぞ掴まなくてもアシタカ殿はシュナに骨抜きではないですか」


 カールが伏せ目がちに微笑んだ。こう穏やかだと、きちんとシュナの姉に見える。いつか姉妹らしくなりたいという、シュナの願いは直ぐに叶うだろう。元々人目が無いところでは、姉妹に似た関係だったとも聞いている。


「男心と秋の空は一夜に七度変わると言うでしょう?なのでシュナは何にでも精を出します。料理上手になっても、苦手な振りだってしますよ。その方がアシタカ様は喜びます。それに家族以外の女性にアシタカ様のお世話をさせたくありません」


 ドーラが「お熱いことで」とゲラゲラ笑い出して、クイに「お客様の前で品が無い」と怒られた。ドーラはクイに心底反省したというように謝ったが、クイの顔が逸れると口をへの字にした。おまけにラステルに秘密だというように、自分の唇に人差し指を当ててウインクを飛ばしてきた。城婆達は知らんぷりしている。日常茶飯事なのかもしれない。


「嫁姑問題に巻き込まれますねラステル。あっちもこっちも立てるのはきっと神経がすり減りますよ」


 シュナに耳打ちされて、ラステルは思わず苦笑いをしそうになった。頑張って引きつっていません、という笑顔をドーラに投げた。シュナの言う通りだ。


「こんなお美しい奥方様がいても余所見をするのが男ですからねえ。大国の王子ならば尚のこと」


 城婆のメミルがほっほっほっと(しわ)だらけの顔をさらに(しわ)くちゃにした。シュナが少し青ざめた顔で新しいサツマイモ片手にメミルをジッと見つめた。


「殿方はどうしたら余所見をしないのでしょうか?」


 シュナがメミルに問いかけた。それはラステルも是非知りたい。


「分かりませんとも。(ばば)の死んだ旦那も知らぬところで何か悪さしていたかもしれません。知っている限りは無いですけど」


 ドーラが鼻を鳴らした。それから自信たっぷりと言うように口角を上げた。


「私はクワトロが女好きなのはもう仕方ないので先に譲歩しておいた。正式な側室二名までなら許す。私は頂点から絶対に落ちない。見張りが三人なので悪さは出来ない。させてない。あちこちで遊ばれるなんて屈辱だからな」


「クワトロはお爺様に似たのよね。ユパ兄上も少しは似た方が良かったんだわ。まだまだ男盛りなのに亡き妃に操を立てていつまでも独り身で。クワトロと足して割りたいぐらいだわ」


 ユパに妻がいたが亡くなっているという話は知らなかった。


「ユパ王に子が生まれても後継問題にはならないのですか?」


 シュナが柔らかい笑顔でドーラに問いかけた。クワトロとドーラの息子カイが次の王として育てられていることはセリムから聞いている。ユパに子が生まれたらどうなるのだろう?そういうことが聞きたいのだろうか。


「ユパ王が急逝しない限りは次の王は息子カイでしょう。我が息子は立派に育っていると自負していますので、きっと民から承認されます。万一カイが追放されたら、ケチャの娘のシャナに王位継承権が移動します。生まれ順です」


「狭い国ですから正統な後継順をわざと抜こうとすると直ぐに民に知られます。そもそも王座に魅力が無いですけどね。この国で一番大変な仕事です。王族も普通の仕事に更に仕事を掛け持たないとならないし、割に合わないわ。貧しい小国なので仕方ないけど。出自を恨んでも仕方ないですしね。同じ姫ならボブル国のような大国の姫に生まれたかったわ」


 クイがげんなり、というように告げた。城婆達が大笑いしている。


「そうじゃそうじゃ。ここは大国とは違うのじゃ。しかしこの国なりに贅沢(ぜいたく)な住まいと衣服を持っているのだから大いに働いて貰いますよ!城爺、城婆、区画長、近衛兵長、医長、裁判官長、風連合長と見張りばかりですからね!ペジテ大工房は大国なんですよね?なのにこの国で暮らしたいというラステル様は大層な物好きじゃ」


 城婆達は笑いながらも温かい視線をラステルに投げてくれた。嬉しいとも伝わってくる。


「私はセリムの暮らす所で暮らします。セリムが蛇一族と暮らすと海底に家を建てたらそこに行くし、大狼の里で生きるなら大狼と暮らします。でもセリムはこの国が大好きだから崖の国から出て行かないです。旅には出るかもしれませんけど」


 ラステルは壁際にいる月狼(スコール)をチラリと見た。


「大狼は崖の国で暮らしてくれるかもしれませんしね。でも大狼は賢く気高いから一緒に暮らすのは大変そうです。犬扱いなんてしたら侮辱罪で手や足が無くなることもあるのよ。頭蓋骨を粉砕されてしまうかも」


 シュナから王狼(ヴィトニル)を侮辱した者はもれなく大怪我をしたと聞いている。大狼は理由もなく人を害さない。しかもある程度は人なんだから仕方ないと許容もしている。ティダはこう言っていた。


ーー己より上の者を見抜けない、生存本能が働かないのなら死んでも仕方がない。相手を手酷く侮辱するということは死ぬ覚悟があるということだ


 それが大狼の考え方らしい。


 台所内に緊張感が走った。ラステルは余計な話をしたと反省したが、もう遅い。


「大狼はとても知性があるので人とは考え方が違うと理解してくれています。余程酷く侮辱したり、殺そうとしたらの話です。単なる因縁因果。子供には寛大で、子供ならば殺しにきても許すそうです。慈悲もあり、今日など土砂災害で大活躍。敬愛寄せて知恵を借りると豊かになれます」


 シュナが月狼(スコール)に近寄って軽く会釈した。月狼(スコール)がシュナの頭を尾で撫でた。その話を先にするべきだったと益々、月狼(スコール)に申し訳無くなった。


「大狼の筋肉は銃弾も弾きます。強く逞しいので喧嘩は売らない方が良いでしょう」


「もう聞いている通り、宴前にユパ王から正式に大狼についての話があるまでは、一切この国の民に手を出さないそうです。ペジテ大工房を離れるセリムとラステルの護衛だそうですので受け入れるしかありません。しかと民に規律を守らせて、誇り見せれば今日のように助けてもらえます。光栄なことです」


 クイの言葉に城婆達が小さく頷いた。そういう話になっているとは知らなかった。


「しかしこの大狼と生きるというティダ皇子。あれは良い男じゃな。若かったら(めかけ)になりたい。このように歳をとってまで働くとは美しい。老婆の鏡じゃと」


 城婆ユリアンがのんびりとした、それでいて嬉しそうな声を出した。ティダがそんな台詞を城婆に使ったことと、次々と城婆達が賛同したことに、ラステルはビックリした。


「私なんぞ、温めれば関節痛も和らぐだろうと手をさすって貰った」


「まだ(つや)があると髪を褒められた」


「あの堂々たる雰囲気。ジーク様の若い頃よりも格好が良い」


 城婆達がティダを賞賛していく。カールが不快そうに顔を歪めた。カールとティダは不仲だと聞いているので、面白くないのだろう。シュナは必死にサツマイモと格闘している。


「どうですかクイ姫。狙ってみては。国中のかなりの女達と争いになりそうですけど」


「豪気で更には色男だけどねえ。あんな難儀そうな目をしている方、落とせる女はそうはいないわよ」


 クイが品良く笑うと、城婆達が「難儀そうな?いやいやクイ姫なら」と言い出した。


「ドーラ様は目移りなさらぬようにな」


「クワトロと並ぶと格の違いは歴然。しかと心に留めてかき乱されぬようにしないとな!しかしあれだけの男なら共に追放も良いかもな」


 あはははは、とドーラが豪快に笑ってまたクイに「品格」と怒られた。


「まあ。ティダ師匠にはアンリがいるのですよ」


「早速人命救助に精を出してくれる大国の皇子様。本妻蹴落とし、本妻となれれば鼻高々。狙うのは当然ですよ。ラステル様も目移りはしないで下さい。婆はラステル様を気に入りましたので崖の国から出て行かないで欲しいです」


「セリム様には勿体無いくらいなのに、よくもまあ嫁に来てくださった。セリム様は真心だけは誰にも負けません。セリム様が蛇一族とやらと暮らすと言い出したら、蛇一族にお願いして崖の国でも暮らしてもらわないとなりませんなあ」


 ラステルが否定の言葉を言おうとしても、城婆達が次々とラステルを褒めてくれるので口を挟めない。それが「セリム様は幸せ者」という話に変わっていったので、嬉しくて素直にお礼を言うことにした。感謝を述べると皆がニコニコとしてくれて、益々嬉しくなった。


(わたくし)がラステルやセリム様と暮らすには小蛇蟲(セルペンス)大蛇蟲(アングイス)と共にセリム様を誘惑しないとなりませんね。崖の国の方々に負けたくありませんが敗色濃厚。(わたくし)は諦めない女なので一生挑みます」


 シュナがラステルに軽く体当たりした。それから楽しそうに笑った。もうすぐシュナと離れ離れだと思うと、とても寂しい。


「とても嬉しいわシュナ。でもセリムは崖の国が大好きだもの。私もとても好きよ。皆、とても親切で優しいもの。特にお義姉様(ねえさま)


 シュナが背伸びしてラステルの耳に顔を近づけた。


「アシタカ様は崖の国の女性には人気がないようで良かったです。アンリの為にクイ様達とティダを見張ってね」


 ラステルもこっそり「お義姉様(ねえさま)が三人とも怖いから見張りは万全よ」とシュナにかなりの小声で耳打ちした。その瞬間、クイにもドーラにも睨まれたのでバレたらしい。ラステルは小芋を落としそうになった。


「あらラステル。もうそろそろ終わらないと進行が遅れるんじゃない?他国の料理を三品とデザートを任せているのだから効率良く働きなさいよ。教えながらも、しかとこなせると自信があるのでしょう?」


 クイの冷ややかな声に、胸の奥がキュッとなった。


「ケチャと合流して身支度係もするのだろう?手際が悪いならお喋りは止めるべきかもな」


 今度はドーラ。一気に気が重くなった。


「台所は戦場ですぞラステル様。頑張って下さい」


 さり気なくラステルの近くに来て涼しい顔をしながら、物凄く小さな声でユリアンが応援してくれた。


 ラステルは慌てて状況を確認した。サツマイモが最後の一本になっている。ラステルももうすぐ小芋の皮剥きが終わる。シュナが最後のサツマイモをカールより先に掴もうとして、カールに奪われた。シュナがふくれっ面になったが、手元にまだ処理が終わっていないサツマイモがあるので仕方がない。


 シッダルタから聞いた昔のティダが好んでいたらしい、ベルセルグ皇国の家庭料理の三品。サツマイモの蜜がけ、小芋の煮物。あとティダが酒のつまみに作れと言ってきた魚の角煮。提供直前に仕上げたい蜜がけは最後は城婆に頼むが、他は味をみたいので自分で仕上げたい。


「女に手を出して情報収集もティダの手段だけど、アンリの手前どう折り合いつけるのかしら」


 シュナが愉快そうに笑った。ラステルはティダにキツく言わないといけないと思った。ラステルは調味料の配合を書いた紙をカールに渡した。


「シュナと分量をきちんと確認して挑戦しましょう。応用がきくそうよ。私はお魚を(さば)かないと」


 そろそろ生簀(いけす)からマグという大きな魚を漁師が持ってきてくれる。セリム達が帰国したら使おうと獲っておいてくれたという。


「お待たせしましたお妃様!」


 台所の扉が開いて元気な声が響いた。二人掛かりで運ばれてきた大きな魚にラステルは固まった。予想より大き過ぎだ。どうしよう。漁師だろう若い男二人がシュナを見て赤くなった。


「ひよっこ妃は下の部屋にはまだ出入り禁止。用意している鍋分に角切りだったな。御苦労様ミュンヒにデナル。あと少し宜しく頼む」


 ドーラがシュナにボーッと見惚れているミュンヒとデナルを笑顔で睨んで台所奥から階段を降りて行った。


「手が空いたならパンの成形をなさいラステル。シュナ姫も食べる分くらいなら良いですよ」


 クイに叫ばれて、ラステルはハッとした。あんなに大きな魚をどう捌くのが知りたかったのに置いていかれた。ドメキア王国行きの船でも見れなかったので、残念だった。果敢に声を掛けるべきだった。


「はい!どうする?シュナ」


 シュナはパン生地に熱視線を向けて、ラステルを見ないで首を縦に振った。カールとシュナに頼んだ小芋はもう火にかけてある。


「私が火の番をしておこう」


 城婆ユリアンの申し出にお礼を言うと、ラステルはシュナとドーラがいた位置に移動した。カールはもう役目を果たしたと言うように腕を組んで壁極に移動してしまった。


「何事も少しづつです。カール姉上がついに包丁を手に取ったので続きはまた次回です」


 シュナがまた楽しそうに肩を揺らした。パンの作り方はドメキア王国の厨房で教わった。ラステルは濡れたふきんの下の成形済みのパン生地の大きさをチラリと確認した。ドーラの手つきも観察していたので、一つ試しに成形してみた。大丈夫そうなのでシュナに見本を披露し、次はゆっくりと一緒に成形した。


「残念でしたなクイ姫!ラステル様は器用です!」


 野菜カゴを持った城婆イユがラステルの脇を通り過ぎながら叫んだ。振り返っていたクイと目が合った。悔しそうな顔をしている。


「まあまあ。逆に腹が立つわね」


 プイっと顔を背けたクイにラステルは呆気に取られた。隣でシュナがパン生地を台に落として粉を巻き上げた。


「ごめんなさいラステル」


 シュナが申し訳無さそうにラステルに謝ってから、パン生地を恨めしそうに睨んだ。カールがさっと近寄ってきてシュナとラステルの顔についた粉を拭いてくれた。お礼を言う隙も無く、カールはしかめっ面でまた壁際に戻っていった。


「ここまでではなくてもクイ姫も不器用でしたからね。ほれラステル様も言い返しなさい。セリム様に言いつけますぞってな」


 口を挟む前に、城婆達が次々とクイのかつての不器用振りを話し始めた。それから如何に立派に育ったのかも語る。この流れはシュナを励ましてくれているのだろう。シュナがやる気に満ちた様子でパン生地と格闘した。花型のパンなのに、シュナの手にかかると何だかよく分からない形になっている。あまり生地に触るのも良くないが、時間も掛かっている。やっと三つ目。


「シュナ、食べる分よ」


 シュナが新しいパン生地を要求したがラステルは首を横に振った。


「アシタカ様、シュナ、カール姉上、ハンナ。四ではキリが悪いのでマルクとフォンの分も(わたくし)が用意します。お父様だからティダもね。そうしたらまたキリが悪いので……」


「三の倍数で増やすつもりなら却下よ。ティダ師匠は主役で挨拶がうんとくるんですから諦めて。また次回よ。残りが終わったら見学も修行だからよく見ていてね」


 ラステルはあと三つ、丸めたパン生地をシュナの前に置いた。乾燥しないように布を掛けておいた。シュナはスラリと細くて長い指なのに、細かい作業が苦手なのは今まで病気のせいで手先を使ってきていなかったからだろう。


 それにしても懸命な姿に、覚束ない手つきはついつい構いたくなる。ドメキア城の厨房でアシタカがやたらシュナにベタベタしていたのも、腑に落ちる。女のラステルでこれだから男の、それもシュナが大好きなアシタカは世話をしたくてならないだろう。


 思っていたよりも早くドーラが戻ってきた。持っていった鍋を渡された。中に角切りになった魚が入っている。ラステルは鍋が重くてよろめいた。


「こらドーラ!ラステルに嫌がらせをしない!」


 クイが怒ったが、ドーラがパン生地を確認して豪快に笑った。


「器用娘に嫌がらせしようとしたのはクイ姉上でしょう。本当に器用だなラステル。こっちはシュナ姫ですね。なんとまあ、独創的な……」


 ドーラがクスクス笑うと、シュナは頬を赤らめた。クイは特にドーラを叱らなかった。嫌がらせは本当なのだろうか?パンを上手く成形出来なくてクイが嫌な態度をするというのは想像出来なかった。鍋も自分が言い出した料理の為なのだから、自分で運ぶのは当たり前。セリムに後で聞いてみようと、ラステルはとりあえず必死に鍋を運んだ。


 角煮用に使う調味料を鍋に加えて、火にかけるとシュナの隣にミュンヒとデナルが立っていた。締まりのないだらしない顔をしている。


「美しい。このような美しい女性を見たことがないです。珊瑚礁の幻想的な光景も、夜空の満天の星々も、国中の宝石を集めても貴方には敵いません。ミュンヒと申しますお嬢様。今夜是非共に踊って下さい」


「いえいえ、是非このデナルと。この台所には眩い太陽の如き女性()()()ですが、お客様をおもてなししたいです。どうかお名前を教えてください」


 バチバチッとミュンヒとデナルの目と目の間に火花が散ったように見えた。ラステルは呆れた。確かにシュナは美人中の美人だが、仕事に来た台所でいきなり口説くとはどういうことなのか。シュナの手を取ろうとしたミュンヒとデナルがシュナの胸の谷間にいる小蛇蟲(セルペンス)威嚇(いかく)された。


「シュナと申します。嬉しいのですが護衛の方が(わたくし)に遠慮しなさい……」


 にこやかに拒否しようとしたシュナの言葉を途中で遮って、デナルが笑顔で会釈をした。


「勇猛な護衛のようですね。しかしこのデナルはシュナさんを傷つけるどころか、逆の男です。どうかお許し下さ……」


 ドーラが小蛇蟲(セルペンス)ではなくシュナの胸を見つめるデナルの首根っこを掴んだ。シュナの胸に釘付けになっているミュンヒはカールに引っ掴まれている。


「ここは女の仕事場だデナル。女を口説く場所ではない!そしてシュナ姫は大事な国賓(こくひん)。恥を晒すな」


「小僧。何たる無礼な目つき。首を()ねられても文句は言えない。シュナ姫の慈悲に感謝しろ」


 鬼のような形相のドーラとカールにミュンヒとデナルが真っ青になった。ミュンヒとデナルがドーラとカールに引きずられて台所から追い出された。去っていく二人から「姫君!ラステル様も可愛らしいが何て美しい姫君なんだ!」と叫び声が聞こえてきた。高揚した声からは反省は感じられない。


「まあまあ、殿方というのはやはり目新しい女性がお好きなんですね小蛇蟲(セルペンス)様。まあ、アシタカ様のようにすぐに落ち着くでしょう。クイ様方がドメキア王国へいらした際は気を配らなければ。皆様お美しいから貴族達が黙っていないわ」


 ラステルは使用していたものを片付けていた手を止めた。シュナは頬に片手を当てて、考えるように首を傾けている。ドーラが呆れたようにシュナを見ている。カールも「困った」という顔つき。シュナは今の容姿が特別美しいという認識が薄い。


 アシタカが落ち着いたというのも見当違いだ。彼はどこからどう見てもシュナに首ったけ。シュナの視界はアシタカ同様に変なのかもしれない。


「片付けまで進んでいるのね。後はどうするのかしら?」


 いつの間にかラステルの隣にクイが立っていた。


「煮汁が沸騰したら魚とこの生姜というのを入れてしばらく煮ます。ときどき混ぜて煮汁が減ったら終わりです。ロモモのデザートは放って置いたら固まります。固まったら切り分け出来ます。上にこのハーブを飾ると綺麗です」


 ラステルが説明するとクイに肩を叩かれた。寒天ゼリーというドメキア王国で教わったデザート。簡単だし、透き通っていて綺麗でラステルは気に入っている。


「全てこなしたのね。ご苦労様。次は来賓方の身支度を頼みましたよ。貴方は自分で支度するのよ。前回で覚えたわね」


 優しい笑顔に胸の奥がじんわりと温かくなった。張り切って返事をしたら「品がない」と怒られた。それから小声で「今度の宴では大人しくなさい。シュナ姫を民の真ん中に連れていったら大騒動よ」と忠告を受けた。帰国祝いの宴でラステルはセリムと共に揉みくちゃにされて楽しかったが、シュナは揉みくちゃだけでなく男という男に口説かれそうな予感がする。


 アシタカの冷笑は想像に容易い。ティダも黙っていないだろう。楽しい宴が地獄絵図かもしれない。ラステルは小さく頷いた。


「シュナ、ハンナ、カールさん。クイお義姉様(ねえさま)が魚の角煮を仕上げてくれるの宴の身支度をしましょう」


 丁度良い時に台所にケチャが現れた。


「素晴らしい勘だわ。どうやって磨くのかしら」


 ケチャに関心しているとシュナがラステルの手を引いた。それからシュナはサツマイモの皮を食べていた台の上にいる小蛇蟲(セルペンス)を手招きした。小蛇蟲(セルペンス)がまた(ティアラ)のようになり、胸の谷間にいる小さな小蛇蟲(セルペンス)も引っ込んだ。


「クイ様、ドーラ様。城婆様方。おもてなしをありがとうございました」


 シュナが台所の入り口で優雅に会釈をした。隣に並んだハンナも笑顔でシュナに倣った。カールは疲れたという顔で軽く頭を下げた。


「ご希望があれば明日の朝もどうぞお越し下さい」


 クイの言葉にラステルは飛び上がりそうになった。邪魔になるようなら直ぐに追い出すと言われていたので、クイの台詞は褒められたのと同意義だ。


「朝は早いですので起きれたらだな。何せ我が国の宴は中々終わらない」


 ドーラのしたり顔にシュナがパアッと顔を明るくした。元々ニコニコしてくれていたが、心底楽しみという表情で台所中に花が咲いたような気がした。


 もう一度挨拶をして、これからお世話になるケチャに挨拶をするとシュナがラステルに小さく耳打ちした。


(わたくし)、嫁姑問題に備えて貴方を見習うわラステル」


 何の事かと思ったが、シュナが楽しそうなのでラステルは気にしなかった。シュナがケチャと談笑を始めた。


「疲れた?ハンナ」


「少々。しかし有難いことに何処に行っても視線が温かいです。シュナ様のあの無自覚さと、宴がどうなるかが心配です」


 ラステルはグッと胸を張った。


「シュナとハンナは私の後ろよ。セリムが私達の前に立って良くしてくれるわ。帰国祝いの時もそうだったもの。アシタカお兄様が(かじ)るのも止めるわ」


 ハンナが、頼りないがありがとうという顔をしたので、ラステルはさらに気合を入れた。崖の国とセリムを立てて、シュナ達をもてなすのがラステルの役目だ。それがラステルの大陸和平へ助力への一歩。


 小さな国での小さな絆の先に、大きな絆もあるはずだ。

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