忍び寄る不吉な予感
【ベルセルグ皇国 皇居】
ベルセルグ皇国第二皇子テュールは奥歯を強く噛んだ。
「どうなっているんだ!」
レオンが皇国兵を殴り、手元の酒瓶を床に叩きつけた。
「で、てすからドメキア王国にて蛇神が現れ……。王は交代し……ペジテ大工房が植民地に動き……」
レオンの黒大狼が密偵の隣に立つ皇国兵の上半身を食い千切った。鮮血が密偵を血染めにした。
「そこではない!ティダだティダ!何が神の遣いだ!それに消えた?何処にだ!作戦の為に帰国するという話こそ何処に消えた!」
テュールは割れた酒瓶を靴で退かした。ティダが国を去って、レオンの求心力は一気に下がっている。口に出さないだけで、この十年誰が国を整備してきたのか知っている。知らぬ者の多くは平民層。皇居内は完全にティダの掌。兄も姉もテュールもどうしていたら穏便なのか理解している。
まさにレオンは飾りの皇帝。それなのにペジテ大工房への侵略戦争とティダの追放。
「ペジテ大工房の大技師の次はドメキア王国聖女の盟友。ティダの事ですから全てレオン様の為ではないかと。このティダの上に君臨すればレオン様は益々覇王に近付きます。ティダは狂犬。懐いているのはレオン様だけです」
正直、父親のこの癇癪にはうんざりだ。昔は恐怖で体が竦んでいたが、ティダの恫喝の数々で慣れた。
「懐いているのはレオン様だけ?」
レオンの鋭い眼光がテュールを射抜いた。場の空気が凍りつく。テュール自身もこの状況は判断がつく。
「ドメキア王国グスタフ王が計画の発案者。ロトワ蟲森の民が計画を持ちかけた。奴隷兵まで駆り出された弱小国。ペジテ大工房から結婚式典への招待状が来ています。非公式の会談を望まれています。招待者は父上、そして兄上です」
テュールはティダが大狼に頼んで届けてきた親書を差し出した。大狼を使った、そう言えば食い殺される。それすら分からないレオンは隣の黒大狼に間も無く頭蓋骨を噛み砕かれる。しかも、食物連鎖にも組み込んで貰えず、死体は炭になる。墓もないだろう。
十歳の時に何処からともなく連れてこられた先代皇帝の一人息子ティダ。自らを大狼と称し、テュールは大狼について叩き込まれた。先代皇帝暗殺と反乱未遂からもう十年。ベルセルグ皇国の犬皇子ティダ・ベルセルグ。真実は逆。縛られたのはレオン。黒大狼を与えられて自尊心を満たされ、祭り上げられ続け、なのに悪手を重ねてそろそろ失脚。
機会は与えられてきた。
世は因果因縁であり矜持と誇りを忘れるな。
レオンは与えられた機会を自ら踏み外し続けてきた。
「ペジテ大工房御曹司アシタカからも似たような内容の親書が届いた。ドメキア王国を共に包囲したい。先に手を打ったので貴国の賠償も代わりに担おう。大国の権力を傘に着て太々しい青二才だ。会ったことがあるがあんな小物……。テュール。何を隠している?」
レオンが親書を読み終わった。レオンに直接届けられているものと内容は同じだろう。
「年功序列。皇帝など飾りでしかない。周りが固めれば問題ない。そういう悪態が個人的な手紙に書いてありました」
テュールはもう一枚の手紙を差し出した。次期皇帝、レオンの長男シエルバへの罵詈雑言。それでも兄を敬え。この俺のように。一つ上の兄弟に尽くし、支え、正しい年長者として育てろ。それこそ年功序列。さもなきゃ殺す。この十年の忠義に応えぬのは兄ではなく裏切り者。裏切りは万死。殺しにいく。
十年、皇居のそこらじゅうでにこにこ笑いながら悪態をついていたティダ自論。
レオンが細めた目でテュールを観察した。ティダの暴挙の数々で鍛えられて、何とも思わない。よくもまあここまで恐怖心が小さくなったと自分でも感心する。むしろ「臆病軟弱テュール」という懐かしい呼び方を、もう一度されたい。
「その目。不満そうだな」
「ええ。どう考えても、私こそが次期皇帝と考えています。家臣もそうです。しかし父上、その黒大狼に殺されます。逃げればティダが来る。やはり殺されます。何度殺されかけたか。もう、うんざりです。死ぬくらいなら父上、兄上の犬に甘んじます。そうするしかありません」
皇国兵が二人、皇位の間に入ってきた。レオンに耳打ちしながらテュールに目配せ。レオンには手紙を数枚渡している。テュールの私室から盗んだのだろう。
「このハイエナが。貸せ」
レオンが手紙を読んでいく。部屋に隠したどれを入手したのか知らないが無駄だ。これも張り巡らされた罠。
「これはどういうことだ?」
「ですから、私はティダに見張られ脅されているのです。他国との駆け引きの間に内乱でも起こればそれこそこの国は他国に簒奪されます」
レオンが床に投げつけた手紙の文字をチラリと確認した。相変わらず筆圧は高めだが几帳面で美しい文字。これこそがティダの本質。静かに穏やかに景色を眺める。月見酒をしながら将棋を指して熟孝。全身に纏ったこの世の王であるという鎧の裏側。春風のような穏やかさ。もうきっと、誰も見れないだろう。
「訳が分からん。面倒臭いので皇帝になぞなりたくない。年功序列。策略かと思えば延々と変化しない。テュールよ、お前はティダに半殺しにされたことがあったな。確かシエルバとの件だ。……テュールに警護を付けろ」
思い出して全身の毛が逆立った。ちょっと兄シエルバを家臣の前で貶しただけで、ニコニコ笑うティダに殺されかけた。あれはもう何年前だ?ティダを武力で止めようとした兵も大怪我。
戦車を用意してもティダには勝てない。誰にも止められない。独自の持論、そして激しい好き嫌いのその中身を知っていれば付き合うのは簡単だが、レオンのような男は死ぬまで気づかないだろう。
「分かっている。この結婚式典への招待は嘘まみれの陰謀。過剰に祭り上げられるのは構わん。覇王とは見晴らしが良いだろう。ベルセルグ皇国ここにあり!そう大陸中に見せつけられれば飾りだろうが構わん!御曹司はシエルバ、アレーニ、テュール、全員を招待している。ティダに半殺しにされるとしてもお前も帯同させるからな」
テュールはまた奥歯を噛み締めた。身震いして青ざめる演技はしておいた。我慢しないと失笑しそうだった。皇国兵の士気が上がっているのも滑稽。永遠にティダの庇護が続くと錯覚しているレオン。家臣。皇国兵。兄姉。
ーーお前のソアレを殺した分は終わり。ベルセルグ皇国の犬は大狼に戻る。
ソアレは最悪な女だ。ティダの気を引きたくて女遊び激しいティダを拒否。挙句テュールの嫁を選んだ。惚れてもらえたのかと喜んでいたら、単に皇室内で動く為でしかなかった。ついに内乱起こればティダを庇って陰謀背負って死んだ。
顔を焼き、喉を潰し、反乱首謀者を殺し、囮役を殺してすり替わり、華々しく散っていった。真実は闇に葬られている。
人生を賭して愛し抜かれたティダはもぬけの殻。何もかも捨ててしまった。
妻が他の男に心臓を捧げて死んだことは、今も腹わた煮えくりかえる。ティダを縛り、地獄に閉じ込めたのも怒り冷めやらない。しかし、潔い。たった一人の生と幸福を祈り命を賭した。何故あの愛が自分へではなかったのか。そしてティダはいつ気がつくのだろう。ソアレが望んだのは今のティダの姿ではない。
ベルセルグ皇国はもう十分。次は異国、そして大陸全土だろう。ソアレの死に命の大輪を捧げ続けるティダはいつ止まるのか。
ーーあばよ。
殴りつけて目を覚まさせようにも、殴れない。何度訴えても反応なしで、ついに遠くに行ってしまった。憎まれ役でいても十年経って結局ティダへの信頼は戻っていった。それこそ因縁因果。なのにティダは拒否。変わった皇居内の雰囲気や、テュールの親しみに、もう耐えられないというように去ってしまった。
大狼の矜持は誰にも折れない。一度本能で気に入れば決して裏切らない。目を背けていないで本能に従い、戻ってきて欲しい。かつてのように語り合い、将棋を指したい。
ーーふーん。王狼の知性を即座に見抜き敬うなら弟分として認めよう。その目も気に入った。
恐らくテュールは未だ弟分。ペジテ大工房で待つ陰謀で祭り上げられる。道を踏み外せばティダが蹴り上げてくる。半殺しでも殺されない。それがレオン、兄姉とテュールの違い。
***
【グルド帝国 生物研究所】
グルド帝国帝弟タルウィは研究員クラテールの指が木偶人形に折られるのを、酒を飲みながら堪能していた。
悲鳴。
なんて素晴らしい音楽なのか。
「んで?実は完成していたかもしれない人形人間を捨ててえ、どおしたんだってえ?」
クラテールが絶叫した。爪を剥がされたくらいで情けない。
「ど、どうも……死んだと……。あんな未熟児……。こ、こ、こ、殺すなんて出来なくて……本当にそれ以上は何も……」
タルウィはクラテールの顔目掛けて酒瓶を投げた。木偶人形に止めさせた。楽しくて間違えるところだった。失明でもしたら有能な研究員がゴミになる。クラテールは殺せない。
「良かったなぁ?ぐ、う、ぜ、ん、生きていて!やっぱりありゃあ本物の蟲の女王か。俺の勘はいつも冴えてるなぁ!ドメキア王国に乗り込もうにも、ザリチュが神が現れたとか何やら訳がわからん事を言っていたしなあ。ドメキア王国はつつくと嫌な予感がするんだよなあ」
ホッとしたようなクラテールの足を木偶人形に折らせた。そのまま引き千切らせた。片足くらいなら死にはしない。
劈く悲鳴にうっとりした。何という高揚感。しかし、一人では足りない。タルウィは木偶人形に投げさせたクラテールの足を受け取った。男の足なんざ汚くて気持ち悪いが、これは使える。
「ク、ラ、テール!可愛い、かっわいいクラテールの娘は今日から俺のおもちゃだ」
待機していた医師がクラテールの足を止血している。真っ青なクラテールが益々青白くなった。
「そ、そ、そ、それだけは!何でもしてきました!お願いします!死ぬ……死ぬ!死んでやる!」
まあ妥当な判断だなとタルウィはクラテールを上から下まで眺めた。この頭脳明晰は使える。
「なあら取引だ。二度とするなよ?それからまた作れ。データを覚えているんだろう?使えるからと見逃すが、驕るとどうなる?お前の前でぐちゃぐちゃだ。しかも中々死なない。死なない。そういう楽しーい遊びをする」
クラテールがブンブンと大きく首を縦に振った。
「ぐ、偶然完成……しましたが……。作ります……作ります!だから娘だけは!」
娘一人を守るために大陸を火の海にする覚悟を決めるとは、何て愚か。しかも失敗作は軒並み廃棄。今までののらくらした態度を改め、廃棄物を相当増やすだろう。人というのは何て身勝手で、腐ってて、楽しい生物。タルウィ自身は悪魔だ。この衝動が何処から来るのか分からないが、殺したくて殺したくてならない。死体の山が見たい。絶頂に達することが出来る。
「他の研究もちゃーんと進めろよ。この足は妻と娘に見せておいてやるからな!はあ……ゾクゾクするなあ。どんな顔をするのか」
木偶人形にクラテールを運ばせた。医師が付き添っていく。
「んでんで、俺の可愛い女王……ありゃあまだ色気の足りない子供だったな。姫だな。俺の可愛い蟲姫ちゃんを探さねえとならないが……」
全面兜内の視覚、青目の木偶人形の視覚を接続してみたが相変わらず暗闇。
「帝弟タルウィ様!偵察隊からの報告書が届きました!」
名前も知らぬ兵が入室してきた。何となく顔が気に食わなかったので木偶人形に足を払わせた。報告書が散乱しそうになったので、木偶人形で集めた。血で汚れて見えなくなると困る。血を見たので滾っているのもある。
「帝弟って付けると鬼ごっこだなあ!逃げ切ったら褒美をやろうじゃねえか!」
斧を振りかぶった木偶人形を見て、兵が四つん這いになりながら逃げ出し、体を起こすと全速力で走り出した。斧持ち木偶人形にそのまま追わせた。捕まったら目の前で脳天に斧を振り下ろさせる。逃げ切ったら褒美。飴もないと働かない。
タルウィはソファに腰掛けて報告書に目を通した。
「極上女は本当に極上かよ。醜い化物と聞いていたがペジテ大工房は何をしたんだか。策略練って植民地化か。しかしこんな天変地異まで起こせるのかよ。覇王ペジテは」
極上女。どこぞの貴族娘、王室の侍女かと思ったらドメキア王国シュナ姫。まさに姫に相応しい姿だが、噂と違い過ぎる、ザリチュは会ったことがある筈なので聞いてみるしかない。
奇跡、蛇神、創作話か?これは報告書とは言わない。噂か何かを仕入れてきただけなのだろう。関与した諜報員は半殺し。異次元大国覇王ペジテ大工房ならやりたい放題の筈だ。
こんなの、まるで反吐が出るような御伽噺のようではないか。
短い報告書はまるで役に立たない。写真があった。これは中々有能なので、諜報員は半々殺しにしてやろう。
「やはり極上だなあ。しかし人工物とはつまらん。無垢そうな顔の裏はドス黒いのか。それだとつまらん。大整形してペジテ大工房御曹司と大芝居ってとこか?しかし人工物にしては堪らねえ。ここまで本物っぽいというのはどんな技術だ?何度見てもやはり極上品。この甘ったるい幸福な顔を滅茶苦茶にしてぶっ壊してえ」
甘い顔が真逆に歪むのを想像するだけで達しそう。程良い肉付きなのもどんな刺し心地なのか考えただけで狂喜乱舞しそう。タルウィは酒を煽った。思わずクラテールの足を齧ろうとした。
「っぶね。こんな糞みたいな男の足なんざ食うか。危ねえ。あっぶね。食うならこのシュナちゃんだ。生きたまま足を食おう。楽しい鬼ごっこも出来るってもんだ。んああ。ヤバイな。考えただけでコレだ」
整形なら傷跡があるだろう。それはつまらない。真っ白な、傷一つないところをグチャグチャにするのが楽しいのに先に傷があるのはいただけない。
「それでも欲しいなあ。やりてえ。今すぐ捕まえに行きてえがペジテ大工房の操り人形。警護が半端じゃねえだろう。最悪。最悪。最悪。最悪だ!やりてえ!刺してえ!食いてえ!殺してえ!」
女なんてそこらから連れて来るのに、これ程の激情は久々だ。この女じゃないと満たされないと本能が叫んでいる。
「この青二才が覇王ペジテ大工房の御曹司ね。ティダ・ベルセルグと俺を撃墜しようとしてた奴じゃねえか。御曹司が戦場とは妙だな。それにティダ・ベルセルグと手を組んでいる。ドメキア王国は最初から狙われていたのか?なら、御曹司はこの雰囲気なのに中身は真逆。やり口がえげつねえな」
生きたまま硫酸で溶かしてゆっくりと殺したくなるぐらい、見た目が爽やか。大国の御曹司で何もかも持っているのに更に極上女も手の内。愉快な程、見習いたい程強欲。なのに共感出来ない。嫌な気分しかしない。変な男だ。会えば分かるだろう。
極上女と並び、二人揃って幸福そうに笑い合っているのには虫酸が走る。陰謀策略でドメキア国中を騙したらしいので、大変好ましい筈だが何故か全身に寒気がする。
「化物を大改造。こんだけ変えるなんて地獄の苦しみを与えただろう。大陸一の異次元の武力をチラつかせて脅迫。堂々と植民地化。俺よりも極悪非道そうなのに、なあんか気に食わねえ。この温室育ちの坊ちゃん風の裏が残虐非道な怪物なら相棒になれるのに、なんか気に食わねえ。吐きそうだ。オエッ。それにしてもシュナちゃんはよくもこんな顔をしていられるな」
甘い甘い笑顔。視線の先の人が愛しくて仕方がない。そういう表情。化物がどういうことだったのか知らないが、元々脳が狂っていて今も狂っているのか?
「狂って狂って狂った先に何がある、の、か、なあ⁈飛び切り脳みそがぶっ飛ぶような薬を作らせておこう。普通の麻薬なんざじゃつまらねえ。二号機も作らないとならねえから、死なねえように大事に大事に遊んでやろう。この俺が女を死なせたくないなんて、なんて女だ!あっはは!可愛いお人形のシュナちゃんを迎えに行く作戦を練らねえとな!」
タルウィは最後の写真を見て手を止めた。
タルウィの蟲姫と並ぶこれまた爽やかな、絵本から抜け出してきた王子というような容姿の青年。かなり若い。こんな男、目の前に現れた瞬間に即銃殺。こんな容姿の男は大嫌い。タルウィは酒を吐いた。吐くほど嫌なので、死体に触るのも嫌だろう。蟲森にでも捨てる。化物蟲共の餌になれ。
「俺の蟲姫ちゃんの隣の反吐男。何処かで見たことがあるんだよなあ……何処だっけかなあ……」
ドメキア人を見たのなら、ノアグレス平野の戦場だ。あれ以来国外に出ていないので、それ以外あり得ない。巨大な祭りだと高揚して酒を飲みすぎていたので記憶が曖昧。
写真の中のタルウィの蟲姫は口元に手を添えて嬉しそうに笑っている。その手の薬指には指輪。作ってやった親とその恩人に挨拶もせずに結婚とは、人間でもない癖に生意気。偶然とはいえ作ってもらったのに、クラテールとタルウィを無視して、役にも立たずにこんなに大きくなるとは親不孝。最悪な娘だ。
とっとと捕まえて本来の仕事をさせないとならない。生まれてきた理由も知らぬなど可哀想なので、早く教えてやらないとならない。殺戮兵器なのだから、使命を全うしろと説教だ。
「この指輪の紋様……何処で見たんだっけかなあ?ドメキア王国と似ているが違う……。俺の勘としてはこの紋様を調べたら俺の蟲姫ちゃんも見つかる……」
殺戮兵器蟲姫。
大陸中を死体の山にするのに絶対不可欠。
地獄絵図と天下。
命は長い、長くてならないので何度でも挑戦出来る。何度も祭りを見てきた。いつも力及ばず、もしくは参加しそびれてきた。
そろそろ新しい祭りの主催者になりたい。長年色々と研究してきた。動く時が来たという予感でタルウィは恍惚とした。




