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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
七章 大嵐の前の静けさ

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セリム王子の外交4

【崖の国 酒場 (わし)の爪】


 昼食の準備があると、クイがラステル達女性陣を連れて酒場を後にしようとした時、アシタカとアリババそしてアスベルが現れた。セリムはティダをアンリの事で少し揶揄(からか)ったせいで、羽交い締めされていた。


「皆がここだと聞いてね。思っていたより崖の国は広いなセリム。崖の内部はまるで迷路。案内がないと出てこれないと思ったよ」


 扉が開いて、アシタカが笑いかけただけで爽やかな風が酒場内を吹き抜けた。アシタカのような男は崖の国には居ない。いや、クワトロが居た。穏やかで爽やかなのに存在感はしっかりとある。


 セリムはこの時気がついた。ティダのように威風堂々とした男に憧れる。ユパや父ジークに通じる。しかし、アシタカのようにもなりたい。崖の国では異彩を放つクワトロをセリムは密かに目標にしていたし、偉大なヌーフ殿のような、父ジークとは別の意味での偉大な男にもなりたい。


 アシタカとティダは正反対なのでどちらにもはなれない。セリムは割と衝撃を受けた。これがアンリがセリムに言った「セリムはセリム」の真の意味。ティダとアシタカの良いとこどりをしたセリムは、新しい人物像になれる。


 セリムはアンリを目で追って探し当てた。無性に話をしたい。伝えたい。


「おいヴァナルガンド。アシタカに声を掛けられて何故アンリを見る」


 ティダにこめかみを拳でグリグリされた。セリムはティダの腕から飛び出してティダに掴みかかった。突然だったからか珍しくティダの胸倉を掴めた。


「アンリさんは僕に素晴らしい提案をしてくれた!ティダとアシタカの良いとこどりをした僕は、誰よりも立派な男になれる!僕は僕にしかなれない!そういう事だ!アリババ!僕も誰よりも立派な男になりたい!アシタカやティダ、シュナさん、そして期待されているアリババやアラジンの真横に並べる方法だ!良いところだけ真似る!」


 セリムは樽の上に飛び乗った。やはり何も成せなかったのは励み足りなかったからだ。広い世界で手本が増えたから、大きな理想も叶えられる気がしてきた。


 ティダの真似をして樽を蹴ろうとしたら、そのティダに樽を蹴り飛ばされた。仕方ないのでセリムは床に着地した。


「ふむ、僕の目付ならどうして邪魔をする」


〈突然面倒なんだよお前は。アシタカを立てろ。お前が場の空気を持っていってどうする。俺が蹴り上げるアラジンを過剰な評価で押し潰そうとするな。ったく結局自分が一番になって落ち着きがなくなるのかよ〉


 表向きのティダは優しい笑顔でセリムの頭をグシャリと撫でただけだった。ティダの指摘にセリムは固まりそうになった。


「良いところだけ真似る。至極当然(しごくとうぜん)だセリム。そして手本は偉大な男だけではない。影で支えてくれる者達、家を守ってくれる女達、家を守るどころか共に並んで支えてくれる伴侶。未来を作る柔軟さを持つ子供達。挙げたらキリがない」


 静かになった酒場にコツコツと靴音を響かせて、ゆっくりながら堂々とセリムの方に歩いてくるアシタカ。一人一人と目を合わせている。セリムもアシタカが目を合わせた者達を目で追った。


「そうだアシタカ。僕は今間違えた。手本になる人はこんなに沢山いる」


 アシタカがセリムの前に立った。


「誰よりも立派?それは無理だ。セリム、君の中で一番立派なのは誰だい?決められるかい?」


 アシタカが机の上の、誰かが使ったゴブレット手に取った。


 セリムは首を横に振った。


「決められない。そうだ……。しかし僕はそのくらいの気概を持って成長したいということだ」


 アシタカの横にラステルが並んだ。ラステルはアシタカに新しいゴブレットを渡し、それから葡萄酒(ぶどうしゅ)をゴブレットに注いだ。ラステルは無言。笑顔だけを置いて引っ込んだ。


「今、誰よりも気が利いたのは僕の妹だったようだ。お喋りで、少々(やかま)しくトンチンカンな事も言い出すが、視点を変えれば愛嬌(あいきょう)たっぷり。自慢の妹だ。きっと自慢の妻だと言ってもらえているだろう。僕はセリムからいつもそう聞いている。ありがとう、ラステル」


 アシタカに(たた)えられたラステルが泣きそうな程嬉しそうに微笑んだ。アシタカが隣に並んだアリババにゴブレットを渡した。クイがアシタカにゴブレットを差し出した。


「妹を立ててくれる義姉のクイ様。気が利くようにとラステルに声を掛けてくださりありがとうございます。異国の地に安心して妹を任せられます」


 アシタカの発言は嘘ではないようで、クイは満足そうに会釈をしてラステル達の所へ戻っていった。そんな風にクイが気を回したのをセリムは見ていなかった。


〈広く人を見ろ。ヴァナルガンド、お前は俺やアシタカよりも他人の感情を読み解くのが上手い。だからこそ落ち着いて視野を広く持て。お前は励み方を少し変えろ〉


 いつの間にかティダが酒場から出て行こうとしていた。しかしアンリが笑顔でティダの手を取って連れ戻していた。ティダが不機嫌そうな表情で部屋の隅の壁にもたれかかった。


「アラジン王子。兄上のアリババ王子から、城下街で慈善活動に精を出していると聞いた。アリババ王子は知らないようなので、後で詳細を教えて欲しい。会談の一時間前にしよう。セリムと三人でのんびり話そう。今、ペジテ大工房では色々と動き出しているので参考にしたい。ハンナ、君もだ。野戦病院での活動の報告書がまだなので帰国後一週間以内に作成してくれ」


 アシタカに目配せされたのでセリムはアラジンをアシタカの前に連れて行った。注目を集めたハンナが縮こまっている。


「シュナ様のたった一人の侍女に選ばれた娘なのだから顔を上げよ。シュナ様の世話役で忙しいからある程度の期間を設けてもらっているのだろう?報告書はゆっくりと書くが良い。私が代わりに時間を作ろう。妹と談笑する時間が欲しい」


 カールがハンナの肩に手を置いた。ハンナが驚愕の目でカールを見上げ、シュナが立ち上がってカールの腕に甘えるように抱きついた。カールは目を(つむ)ったが少しだけ微笑んだ。


「報告書の作成方法は手慣れているフォン様に今のうちに聞くと良いでしょうハンナ。セリム様と励むと言いながら、(わたくし)やハンナにも気を配ってセリム様だけではなくアシタカ様の顔をも立てようとしてくれる方です。まだ余裕があると思います」


 シュナは酔っ払い特有のトロンとした目をしているが、頭はしっかりと働いているようだ。褒められたフォンが胸を張ってハンナに敬礼を向けた。意外なことにシュナにデレデレした顔はしなかった。


「数百の部下を従えていた副長官だったこのフォン大陸護衛官崖の支部長官はそのくらい朝飯前です。むしろシュナ様とハンナ様のティータイムの時間さえ作ります。俺も混ざります。美味しいクッキーを食べたいです。是非作って下さい」


 女性陣がフォンの軽口にクスクスと笑った。何よりハンナが安心しきった笑顔を(こぼ)した。ハンナに期待をかけたアシタカは満足そうな顔でカール、フォンを眺めている。ゆっくりと酒を飲みながらの温かい視線。色気がある。ティダとはまた別の、人目をひく雰囲気と色気を醸し出している。


「では僕はこれで。少々仕事が溜まっている。部屋を準備してくれたそうなので休みがてら少しでも仕事を片付けようと思います。シュナ、君はどうする?少々飲み過ぎているようだが楽しそうだ」


 セリムの全身が熱くなった。アシタカの「さあ、おいで」というシュナへの熱視線。部屋中の男達の嫉妬(しっと)がアシタカに突き刺さっているが、アシタカは涼しい顔をしている。


「あまり飲んだことが無かったので知らなかったのですが、あまりお酒は得意ではないようです。しかしこんなに楽しい席を外すのは名残惜しいです」


 シュナの返事の前にアシタカは移動していた。


「それだけもてなして貰えるとは有難いことだ。しかしシュナ、君は気遣い屋。来国は今日だけではないし、逆の時にクイ様達が気軽に休めなくなると困る」


 シュナが迷ったように瞳を揺らした。しかし嘘臭かった。シュナはもうアシタカと行くと決めている。甘えるような熱視線をアシタカに返している。


「そうですね。倒れでもしたら心配をかけます」


 アシタカが(うやうや)しくシュナの手を取り、自分の腕に手を置かせた。ソレイユが熱心に観察して、羨ましそうな顔をしていた。その隣でラステルもそっくりな顔をしている。まさかのアンリもだった。


「アスベル様、私の部屋も用意していただいたそうなので案内をお願い出来ますか?ほぼ仕事状態の妻を少々休ませたい。生き別れていたという妹や弟からもゆっくり話を聞いてあげたい」


 ティダがアスベルに優雅な会釈をした。さり気なくアンリの腰を抱いているが、アシタカ同様に(うやうや)しく扱っている。アンリが困ったように、照れ笑いした。しかし嬉しそうだ。溌剌(はつらつ)として女っ気を消しているアンリの、この様な姿は落差もあってとても愛くるしく見える。


「昼食の支度もありますから私が案内します。ドーラ、ケチャお願い。ラステル、貴方はハンナさんやカールさんを頼みますよ。城塔内を案内してあげなさい。あと夕食は手伝ってもらうので少し休みなさいね」


 クイが立ち上がった。ラステルがこれでもないという程やる気に満ちた表情になった。元気よく返事をしてハンナとカールを促すラステルは鼻高々という様子。ラステルはずっと台所に入りたいと言っていたので、嬉しくて仕方ないのだろう。セリムと過ごすと言ってくれないのが残念だった。ティダがソレイユとアデスを手招きした。


〈さてヴァナルガンド。俺はアンリと過ごすので、訳が分からん自称妹と弟から話を聞いておけ〉


 表向きは爽やかな雰囲気でアンリをエスコートしているのに、中身はこれ。アシタカ夫婦とティダ夫婦が並ぶと圧巻だった。アシタカとティダがバチバチと火花を散らしたので、どちらの妻がより羨ましがられるか競っているのだろう。残念ながら評価してくれる女性自体がこの場には少なすぎる。


 アシタカ圧勝とも言えない。アンリの意外な一面に近衛兵が大注目して、ティダに羨望(せんぼう)を向けている。ティダがアシタカに負けず劣らず様になっているのもあるだろう。皇族としての気品をしかと身に付けてきたと伝わってくる。


「ソレイユはセリムに話があるので後でティダ兄様(あにさま)と歓談します。アデス」


 ソレイユがアデスを引っ張ってセリムの前に移動してきた。こうなるとアリババ、アラジン、シッダルタ、フォン、マルクをどうするかだ。マルクはすっかり近衛兵と馴染んでいるし、今後も半分同僚なのでそのままで良いだろう。


 本当ならシッダルタとフォンにはセリムに付き合って孤高ロトワ龍の民の話を共に聞きたいのだが、両名ともアデスにあまり良く思われていない。ソレイユがシッダルタと微妙なのも問題だ。


「アリババ王子、アラジン王子、久々に手合わせしたい。エリニースに手加減されて不完全燃焼だ」


 セリムの迷いに気がついたクワトロがアリババとアラジンを引き受けてくれた。ウインクされたので、それが無いとより格好良いのにと思った。


「ソレイユさん、アデスさん、文化の違いで誤解させたようだが俺は二人と距離を縮めたい。どうも人を拒絶する癖があるというかあまり人付き合いが得意ではない。嫌な気分にさせたようなのは謝る。すまない。セリムと俺は共に色々と成そうと考えているので許してくれるのなら一緒に話を聞きたい」


 シッダルタの思わぬ対応にセリムは感心した。ソレイユがまた泣きそうな顔になった。それからアデスに抱きついた。


「やはり素晴らしいわアデス。シッダルタ様はこんなに悲しい匂いなのに、こんなにも優しいのよ。ソレイユなら真似出来ないわ」


 アデスが大きくため息を吐いてシッダルタに不審そうな目を向けた。シッダルタはソレイユに温かい、優しい眼差しを向けていて気がついていない。ソレイユがシッダルタの感謝の目で、はにかんだ。ソレイユはこのくらい大人しくしていた方が可愛いしシッダルタにも好感を持たれるようなので、後で教えてあげようと思った。


「見抜き上手のソレイユがそこまで言うなら。許すも何も怒ってません。ソレイユが心配で認めないというだけです。とりあえず、今は」


 ソレイユがアデスの肩にもたれかかった。


「アデスは過保護なんです。気にしないでシッダルタ様。ソレイユと三つ子だから一心同体。でも妹離れをしてもらわないと困るわ」


 甘えられたアデスが満更でも無い顔をしている。アデスが兄らしいが上下関係は完全に逆のようだ。残る一人、フォンはどうするかと思ったらマルクと熱心に話し込んでいる。セリムとシッダルタは先頭に立つが、フォンは事務方や裏方と言っていたのと本職は大陸護衛官の方なのでこのままにすることにした。


「僕には妹がいないから羨ましいよアデス」


 さあ、行こう。セリムは三人を促した。アリババとアラジンの横を通り過ぎるとき、ソレイユは感心を示さなかった。アシタカやティダには大興奮していたのに、二人の王子にはまるで興味が無いというのが不思議だった。アシタカは古きテルムの子、ティダは自分達の血縁者だからあれだけの反応を示したということなのか?


 では、シッダルタはどうしてなのだろう?


 大橋の中通路をソレイユもアデスも赤鹿や馬を断ったので歩いた。ソレイユとアデスがしきりに質問してきた。風車、海、風、それに空を天井だというしまるで知り合った頃のラステルのようだった。二人の故郷は、孤高ロトワ龍の民は蟲森の民なのだろう。ティダも蟲森が故郷の一つだと言っていた。しかし、何故生き別れていたのだろう?


 懐かしいセリムの部屋は、綺麗に掃除されて床に転がしてしまっていた物も片付けられていた。


「ラステルの匂いがするわ。整頓(せいとん)上手なのね。ソレイユは星姫の前にラステルを真似るべきだわ。ソレイユは片付けられないの」


 てっきりクイやケチャだと思ったのでソレイユの発言にセリムは驚いた。そういえばクイやケチャは軽く掃除はしても、床のものはそのまま放置だ。昔、セリムが何処にしまったか分からないと文句を言ったらそうなった。


 確認すると前回と同じ位置に物が置かれている。ラステルが「勝手に片付けたから説明するわ」と話してくれた通り。ラステルはやはり頭が良くないのではなく、単に物知らずなだけだ。


「へえ。本だらけだな。知らない本ばかり。後で借りて読んでもいいかいセリム?」


 シッダルタが興味深げに本棚を見上げた。風学の本の背表紙をジッと見つめている。シッダルタは風詠(かぜよみ)でも良いかもしれない。問題は風を詠めるか。こればかりは才能が必要だ。無理なら風学者。牛飼いだったから畜産関係とも思ったが、シッダルタには知的な方が似合う気がする。豪気な男達にも疲れた様子だった。


「もちろんだシッダルタ。ソレイユ、アデス、ソファにどうぞ。シッダルタは少し待っていてくれ。隣の部屋から椅子を持ってくる」


 三人に部屋を観察されて少し恥ずかしかった。この部屋に人を呼ぶことは滅多にない。思い返せば崖の国の民だとパズーくらいしか呼んでいない。セリムは急に寂しくなった。


〈トムは元気。元気一杯。大狼と遊んでる。トムは寂しいけど寂しくない〉


 まだそっぽを向かれているかと思ったら、子蟲アピはパズーの様子を教えてくれた。王狼(ヴィトニル)に何かさせられているらしい。元気なら良かった。


「お待たせシッダルタ」


 椅子を運ぶとシッダルタは立ったまま本を読んでいた。静かで真剣な眼差しに吸い込まれそうだった。やはりシッダルタはこういう方が似合う。ソレイユがぼーっとシッダルタを見つめている。アデスかかなり不機嫌そうだ。


「シッダルタ。座って読んでいるといい。お茶を用意してくる」


 ハッと気がついたシッダルタがすまなそうな表情を作った。


「それなら俺が」


「君が?城塔内で迷子になるぞ。城婆(しろばば)城爺(しろじじ)に捕まって大歓迎を受けて戻ってこれなくなる。皆、僕の友達をとても大切にしてくれる」


 セリムはシッダルタの両肩に手を置いて椅子に座らせた。


「三人共寛いでて」


 部屋を出ると廊下の向こうにラステルがいた。手にティーセットを持っている。菓子器にビスケットと見慣れない果物が乗っていた。


「クイお義姉様(ねえさま)に頼んだらセリムの仕事の手伝いをしてきて良いって。カールさんにはドーラお義姉様(ねえさま)が合うって。異種族支援機構OSRSのことは、まずは何でも三人でするのよ」


「ありがとうラステル。しかし何だ?OSRS?」


 この字の並びは何処から出てきた?


「格好良いだろうってフォンさんか付けたの。格好良いかしら?オルゴー、セリム、ラステル、シッダルタ。頭文字の単なる羅列(られつ)よ。フォンさんが居ないのは旗揚げに居なかったからだって。でも勘違いでオルゴーがフォンって思われたいって言っていたわ」


 形は大事だとあれこれ考えてくれているフォンらしい提案だ。しかもチャッカリしている。しかし何の相談もないのは悲しい。


「あら、これはまだ秘密だったわ。私は書類をフォンさんが作っているのをたまたま見かけたの。フォンさん、支部長官のこともあるけどアシタカさん並みに働くって張り切っているわ」


 そうだったのか。セリムは後でフォンとゆっくりと話をするべきだと思った。自分のやりたい事に夢中でまるで気がついていなかった。


 ラステルからティーセットを受け取るか迷ったが、ラステルに任せる事にした。部屋に入るとシッダルタは座って熱心に読書していて、こちらに気づかない。


「座っていてね。きっと長旅だった上に観光をしたから疲れているわ」


 立ち上がろうとしたソレイユにラステルが告げた。優しいお姉さん風の対応が珍しかった。ラステルの周りには年上ばかりで、随分年下のアシタカの三つ子の妹とも同年代のようにはしゃいでいたので意外な一面だ。


「ありがとうラステル。そうよ、長旅だったわ。ねえ、アデス?あら、ロモモの実!オーガの大地にもあるの?」


 ラステルが菓子器をテーブルに置いた瞬間、ソレイユがセリムが知らなかった果物を口に運んだ。


「昨日の夜、大蜂蟲(アピス)が届けてくれたって言っていたわ。私も甘くて大好きよ」


 紅茶を淹れ終わったラステルもロモモの実というのを口に運んだ。白くて丸い実。セリムも食べてみた。瑞々しくて甘い。セリムも好きだと思った。やはりソレイユとアデスの二人とも、蟲森から来た。


「アデス、ソレイユ、オーガの大地って何だい?シッダルタがオーガという言葉は怪物だと言っていた」


 アデスが背筋を伸ばした。


「むしろこちらが聞きたい。蟲の民とはどういうことです?ソレイユが貴方を蟲の民だと言っている。いきなり現れた俺達を歓迎してくれてとても有り難いし良い人だと思います。匂いもそうだ。しかし先に教えて欲しいです」


 ソレイユが口を開きそうなのを、アデスが目で静止した。


「蟲の民ヴァナルガンド。僕が勝手に名乗っているだけだ。大蜂蟲(アピス)と親しくなって家族だと言って貰えている。話が出来る。だから僕は人と蟲の間に立ちたい。大狼や蛇一族とも親しくなったのでその間にも立ちたい。人と異生物が相互理解を深めて誤解で争うようなことが無いようにしたい。いずれはあらゆる種族が交流を持てるようにもしたいと思っている」


 アデスが瞬きを繰り返した。


「驚いた。オーガの大地から俺達みたいな人が生まれるなんて。しかも大蜂蟲(アピス)が家族?そこまで?だから蟲の民なのか。伝承は本当だったんだ」


「そうよ。だから会いに来たんじゃない。大蜂蟲(アピス)の子がソレイユと仲良くなれるって教えてくれたのよ。末蟲の(つがい)は子達の王子になった。ソレイユは挨拶しないと大蜂蟲(アピス)の子ともう話せなくなるとまで言われたわ」


 セリムはシッダルタとラステルと顔を見合わせた。子達の王子?どこかでそんな話を耳にしたがいつだっただろうか。


「何だ。簡単な話だった。蟲の民セリムは俺達の国で暮らせばいい。むしろそうしないと危険だ。オーガの大地はオーガがひしめき俺達みたいなのは生き辛い。そういうことだったのかソレイユ」


「どういうことアデス?ソレイユはそんなことは大蜂蟲(アピス)の子から聞いてないわよ。それにセリムはこんなに大きな国の王子様よ。セリムが来たいなら王達もきっと大賛成だろうけど……。むしろソレイユがこの国で暮らしたいわ。ホルフルの巣も近いし知らない面白いものが沢山あるもの。ソレイユは強いからオーガが出ても大丈夫よ。弱々アデスは帰宅」


 ソレイユが「ばいばい」とアデスに手を振った。


「何言っているんだソレイユ。協王(きょうおう)候補のお前にそんなことが許される訳が無いだろう?」


 アデスがソレイユを睨みつけた。話が何も見えない。


《蟲の民セリムに告ぐ。孤高ロトワ龍王の名の下に我らのソレイユ姫を預ける。我らの民の大蜂蟲(アピス)と龍の皇子の信頼あっての判断である。謝礼は用意する。一月後に蟲の民セリムと会談の場を設ける大蜘蛛(アラーネア)一族との間に立とう。アデス、お前は帰ってこい。今すぐだ。ソレイユ姫は孤高ロトワについて何も語るな。ホルフルの民との外交問題がある》


 知らない声だった。しかも複数の声が重なっていた。


「セリム?」


「孤高ロトワ龍王という者が接触してきた。いや者達だ。今度は龍の一族なのか?ソレイユを預かってくれと……」


 アデスが真っ青な顔でゆっくりと立ち上がった。


「今すぐ帰らないと大目玉じゃ済まない。ティダって人、本当に兄上なのか。ソレイユは本当に見抜き上手だな……。俺もソレイユも泳がされたんだ」


「ばいばいアデス。泳がされたんじゃなくて、この国や蟲の民をきっとソレイユに任せたんだわ。ソレイユは強いし意思疎通も大得意で大蜂蟲(アピス)の子と大親友ですもの。そろそろ……。はあい。何も話しません」


 ソレイユがアデスにまた手を振った。それからふくれっ面になった。ソレイユだけか、ソレイユとアデスにだけ孤高ロトワ龍王が語りかけたんだろう。


〈セリムよ。なるだけ毎日ホルフルの巣へ通え。家族会議をする。末蟲とシッダルタもだ。ソレイユ姫もたまに連れて来て欲しい。誰なんだか知らないが子らが懐いて遊ぶと大騒ぎしている。客が来ているようなので明後日から来てくれ〉


 今度は大蜂蟲(アピス)の親蟲の声。少し遅れて「遊べセリム」「遊べシッダルタ」「末蟲とソレイユと遊びたい!」という大蜂蟲(アピス)の子の大合唱。大音量が徐々に小さくなったので親蟲に引き剥がされたのだろう。ソレイユは無反応なのでソレイユには聞こえなかったらしい。


 蟲の意識は繋がっているようで繋がっていない。もしくは自由に接続を変えられるのだろう。


「歓迎をありがとうございました蟲の民セリム。奥方様の末蟲ラステル。あと、一応、シッダルタ。ソレイユをよろしくお願いします」


 一目散というようにアデスが部屋から出て行こうとした。


「迷子になるぞ」


「故郷に似ているので覚えました!」


 バタバタというようにアデスが去っていった。


「セリムは凄いのね。ソレイユは輪繋がりと匂い感知のし過ぎてまた眠いわ。匂い感知はしばらく止めても大丈夫そう……この国にはオーガもどきは居てもオーガは……セリムとティダ兄様(あにさま)とシッダルタ様がいる……」


 大きな欠伸(あくび)をしたソレイユはソファに横になって眠ってしまった。セリムは蟲の王(レークス)の意識を探した。


〈セリムと姫はもう我の民ではない。勝手に関与すると話がややこしくなる。我も見定めなければならない〉


 もう我の民ではない?どういうことだ?それきり蟲の王(レークス)の意識とは接触出来なかった。今度は大蛇蟲(バジリスコス)小蛇蟲(ココトリス)を探してみた。


〈我らもしばし傍観也〉


〈エリニースを上手く使え〉


 二匹の蛇一族の王にもそれきり()ね付けられた。知らないところで何かが動いている。


〈蟲の民と名乗る下等生物セリムに告げる。大蜘蛛(アラーネア)一族の王、大蜘蛛の王(アトラナート)は我らの父の命日に会談を望む。孤高ロトワ龍国の神秘の間、ラトナの泉に姿を現さなければ二千年続くホルフルの巣との不可侵を破棄(はき)する〉


 また別の声だった。呼びかけてももう無反応。敵意に満ちた声にセリムの全身の毛が逆立った。


「ラステル、シッダルタ、いきなり大問題が起こっているかもしれない。ホルフル大蜂蟲(アピス)には君達も含めて毎日家族会議をすると言われた。蟲の王(レークス)には僕とラステルは民ではないと言われた。蛇一族は傍観。今度は大蜘蛛(アラーネア)一族の王と名乗るアトラナートという者が接触してきた。しかも敵意があるかもしれない……」


 ラステルとシッダルタが顔を見合わせた。


「詳しく聞くわ。ティダ師匠が必要ね」


「言われた事を今すぐ書き出せ。なるべく正確に一言一句思い出してだ。アシタカにも相談しよう」


 セリムが首を横に振ろうとしたら、シッダルタに肩を、ラステルにはペチペチと頬を叩かれた。ティダもアシタカも仕事が山積みなのに。


「頼れって言われたから話さないとならないわ。ティダ師匠の爆弾(こけ)は絶対に怖いわ」


「アシタカとシュナさんは大陸和平に異種族も全部入れると言っていた。だから最初から相談するべきだ。あとフォンも呼ぼう。皆で、だセリム。そういう約束をしただろう?俺達は小さなことから始めようと言っていたくらいだろう?大事を引っ掻き回して後から仕事を増やすと大変だ」


 ラステルとシッダルタの意見は至極当然だった。アシタカの口癖がうつったなと思った。


「それで、急ぎか?」


「いや、家族会議は明後日からだと。それから大蜘蛛(アラーネア)の王は会談の日を言わなかったが、孤高ロトワ龍王は一月後と言っていた」


 シッダルタが立ち上がった。それから部屋を見渡した。ラステルが棚の引き出しからセリムの羽ペンと羊皮紙を取り出してシッダルタに渡した。シッダルタが改めてそれをセリムに差し出してきた。


「時間があるからまずは俺達に教えてくれセリム。さっき言った通り書き出して記録しよう」


「時間があるならティダ師匠とアシタカさんとは夜か明日にしましょう。今は多分お邪魔蟲よ私達」


 セリムは羽ペンと羊皮紙を受け取った。ラステルがシッダルタに目配せした。


「疲れたから少し休むよ。セリムも書き出したらラステルとゆっくりすると良い。二人とも朝から働き詰めだ」


 シッダルタがソレイユをそっと抱き上げて隣の部屋に移動した。ラステルがセリムの手を握ってくれた。


「セリムは皆のセリムなの。だからうんと相談しないとダメよ。私とシッダルタは何があってもセリムから離れないからキチンと話してね。また勝手に居なくなったら私とシッダルタは大変な思いをするわ。ホルフル蟲森は広いし、孤高ロトワ?は何処だか分からない。セリムを探すのは大変。ティダ師匠とアシタカさんの荷物ももっともっと増えるわ。先に一緒に持つのよ」


 ラステルがセリムを抱き締めてくれた。セリムは少し泣きそうになった。何か分からないが、セリムの個人的な我儘(わがまま)がかなりの大問題を引き起こそうとしている。ラステルにシッダルタ、そしてティダやアシタカ、きっと二人が話すだろうアンリやシュナにも迷惑を掛ける。


「シッダルタやフォンさんがセリムに賛同してくれたでしょう?もうセリム一人の理想じゃなくなったのよ。ホルフル蟲森で家族会議なら私のお父さんや姉様(あねさま)。それにイブン様が助けてくれるわ。家族会議ならジーク様達とも話さないとならないの。セリムはうんと忙しくなるわ。アシタカさんみたいになってしまうわね。でも私は大丈夫よ。だってアシタカさんはシュナをとても大事にして、セリムは真似をしてくれるもの」


 ラステルが甘えるように見上げてきた。セリムはラステルをキツく抱き締めた。


ーーたった1人で何が理解できる!


 一人じゃない。これからは沢山の人が手伝ってくれる。


ーー1人で死ぬのは勝手だが、叶わぬ理想に他者を巻き込むな!


 叶わぬ理想ではない。かつてセリムが望んだ世界があった。二千年も昔。そしてアデスの言葉。蟲の民セリムは俺達の国で暮らせばいい。孤高ロトワはセリムの理想に近い国かもしれない。


「ありがとうラステル。ずっとついてきて欲しい。僕は代わりに君をうんと幸せにする……」


 キスしようとしたらラステルが困った、というように眉根を寄せた。


「セリムって本当に変よね。私は今日も一日、ずっと幸せだったわ。セリムと会ってから毎日幸せよ。ちょっと会えなかった時はとても悲しかったわ。唄子の仕事を放棄して姉様(あねさま)に抗議したくらいよ」


 ラステルが目を(つむ)ってセリムにキスをねだるように顔を動かした。セリムは知らなかった事実に苦笑しながら、ラステルの唇にそっと触れた。


 ロモモの実の甘い香りと味がした。

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