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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
七章 大嵐の前の静けさ

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セリム王子の外交2

【風車塔一階】


 会議室を出るとティダはシュナではなくアラジンの肩を抱いた。階段を降りながらずっとネチネチ嫌味を言っている。的確かつ反論できないような(すご)み。助けてやりたくてもセリムと腕を組むシュナが許してくれない。


「良かったですねアラジン様、セリム様の推薦(すいせん)でなかったら王と王太子に泥を塗って会談が破断。しかし本日は非公式会談なので歴史に埋もれます。結婚式典にて正式会談ですので、早急に色々と飲み込み大きくなって下さい」


 階段の途中でシュナが振り返った。それはもう可愛らしい笑顔をアラジンに投げた。アラジンは目を奪われて声を出せない様子。アラジンが情けないというより、アリババが立派なだけだ。シュナは自分の笑顔の破壊力を分かっていない。


「大橋であんなに優しくして下さった方ですもの。こんなに恐ろしい大狼にもしかと対峙してますし立派な殿方。ねえ、セリム様?」


 セリムがアラジンの良いところを語るのを期待されている。しかしティダがセリムとシュナの髪をぐしゃぐしゃに撫でた。


「やめろ大鷲(おおわし)共。爪で引っ掻くな。あんな兄がいたらいくら出来が良くても(くさ)る。アラジンよ、同じことをしても無駄。よって接待だ。普通、弟の方が愛嬌(あいきょう)がある。俺は好き嫌いで物事を決める。俺はアシタカがアリババやお前と手を組もうとしてもひっくり返せる男だ。機嫌を取っといた方が良い。酒に付き合え。アリババの野郎、ありゃあアシタカと同じ堅物。絶対に気が合わん。既に好かん」


 アラジンが目を見張った。セリムもティダはアリババを好むと思ったので驚いた。それにしてもアラジンはいつも良く喋るのに今日はまだ全然話していない。


〈アリババの奴、シュナがアシタカの妻だと知って必死になって表情を取り(とりつくろ)っていた。しかし敵対心も見せた。ありゃあアシタカからシュナを奪うつもりだぞ。相当な負けず嫌いだ。あんなの蹴り上げなくても勝手にアシタカを追う。よって使える駒として蹴り上げるのはこいつのみだ〉


 ティダがアラジンから手を離してシュナを横抱きにした。階段を月狼(スコール)が駆け上がってきていた。


「十五時まで自由時間だ。ラステルの所に連れて行って欲しいスコール」


 頼まれる前に月狼(スコール)の尾がシュナを恭しく包んで、シュナを背中に座らせた。小さく三回吠えると月狼(スコール)はわりとゆっくりと階段を降りて行った。


「あの。俺ってシュナ姫様とラステル妃の接待だってさっき言っていませんでした?」


 ようやくアラジンが口を開いた。


「この国では先にラステル妃の名を呼べ。ったくなってないな。アシタカは涼しい顔をして相当なドス黒いヤキモチ焼きだ。近寄らん方がいい。ああ、隣のヴァナルガンドもか」


「何を言う!それは君の方だ。僕はアシタカを見習う。嫉妬(しっと)を抑え、シュナさんを見守りつつもしかと導く。尊敬するべき立派な夫の姿だ」


 ティダが噴き出した。それからセリムの肩を軽く叩いた。完全に手加減なのに痛かった。


「三回と迷うな。俺はこの国で俺に相応しい評価をつけてもらわねばならん。酒場はあるよな?連れてけ。パズーが俺はこの国の女を気にいるというのでそれも確認する。おいアラジン、女の遊ぶな、はどこまでが範疇(はんちゅう)だと思う?」


 連れてけ、と言ったのにティダはスタスタと階段を降りて行く。


「なあセリム。ティダ皇子って何者なんだ?あの狼に大きな蛇を操って……」


 セリムはアラジンの口を塞いだ。予想に反してティダは振り向かなかった。


「何だよ?」


「おいアラジン。質問に答えろよ。壁に耳あり大橋に耳ありというような言葉がございますでしょう?シュナに言われたことをもう忘れたのか。俺達大狼は人より耳がいい。大狼は操れん。即座に知性を見抜けぬなぞ、スコールに(さめ)と戦わせられるぞ」


 ティダの発言にアラジンが固まった。


「ティダは大狼兵士で、大狼兵士というのは大狼と共に戦う者じゃなかった。ティダ自体が大狼なんだ。ティダ、遊ぶなの範疇(はんちゅう)はアンリさんに聞けよ。下心がある場合、手を繋いでも怒られるかもしれない」


 ティダが振り返って、げんなりという顔をした。


「下心がある場合に手を繋いでも?おいおいおい、自然な欲と何とも思っていない区別さえつくのか?アンリはとんでもない女だな。触って遊ぶのも禁止とは最悪。譲歩させよう」


 セリムこそティダの台詞にげんなりした。こういう所はさっぱり理解出来ない。


「譲歩させようってそんなこと聞いたら女性は怒りますよ。黙っている方が良いです。見抜かれない自信があるなら、ですけど」


 アラジンが的確な指摘をしてくれてホッとした。今のティダは大分話しかけやすい。ティダが心底うんざりという表情になった。


「アンリは見抜く。つまり無欲な場合以外、一切触るなということか。俺を拷問(ごうもん)して、我慢させて、溜めて、自分が楽しもうとは貪欲だな。なんていう女だ。この俺をそこまで縛るのか」


 ティダが楽しそうに高笑いしはじめた。絶対にティダの思考は(ねじ)くれている。


「アンリさんの名誉のために苦言を呈するが普通のことだ。どんな勘違いをしているんだ。聞かれたらアンリさんにも指一本触らせてもらえないぞ。慎みと言われているだろう?なあ、アラジン?」


「アンリさんとは?いや、ベルセルグ皇国って皇族は一夫多妻じゃなかったか?ボブル国と同じで」


 アラジンがしげしげとティダを見つめている。


「地獄の果てまでついてくる俺の妻。俺を最も照らす生きている女。どんな理由であろうと手を出したら頭蓋骨粉砕する。ヴァナルガンド、アシタカだろうとな」


 ティダは「当然」というような静かな声を出した。しかし声色は恐ろしく冷たかった。アラジンが縮こまり、セリムも身震いした。アンリはあんなに爽やかで優しいのに、根っこは魔性の女だ。このティダをよくもここまで()れさせた。表の穏やかさや温かさと、負けず嫌いなどの激しい裏側の二面性がティダを陥落(かんらく)させたのだろう。パズーがそう考察していた。


 アラジンが何か言いかけたが口を閉じた。アンリについて何か話そうとしたのだろうが、正解だ。セリムは念のためアラジンに向かって首を縦に振っておいた。


「すごい人だかりだな。ったくこの国はお前のことが本当に好きだなヴァナルガンド。あーあ、シュナの奴はもう少し今の病治った容姿が絶品だって自覚させないと今後面倒そうだな」


 もうすぐ一階というところまで来ると、風車塔の一階広間が人で溢れていた。中央にラステルとシュナがいる。月狼(スコール)がラステルとシュナの背後にピッタリと張り付いているが、大人しい。ラステルとシュナはドーラとケチャと談笑しながら、周りにも話しかけている。老若男女目白押し。男性陣はもれなくシュナに注目している。


 シュナの容赦無い愛くるしい笑顔。崖の国にこれて心底嬉しいと伝わってくる。しかし男という男が不埒(ふらち)で締まりない顔。確かにシュナはもっと愛想を抑えた方が良い。むしろ澄ましてそっぽを向いても問題ないくらいだ。


「来たな大鷲(おおわし)娘」


 突然ティダが爽やかな笑顔を作った。階段をクイが登ってきた。愛想笑いは浮かべているがはっきり言って目は敵意剥き出し。


「あまり長々と話をしないだろうと思ってお待ちしておりました。改めましてティダ皇子。セリムの姉のクイと申します」


 クイの華麗な挨拶に、ティダが優雅な会釈を返した。それからクイの右手を取って手の甲にキスした。


「お話はかねがね。セリム王子からは姉だが育ての母であると。ラステル妃からはとても良い義姉で目標だと色々と伺っています」


 これだ。どうしてこんなに急に態度を変えられるのだろう。クイは不信感たっぷりの苛立った目線を投げつけている。


「姉上、ティダ皇子は父上の側仕えとなりました。それから僕の目付監視役です」


 クイが穏やかな微笑みを浮かべた。


「ええ、ええ。ですから私が城塔を案内致します。部屋も用意しました。セリムの友人となると民は中々離しません。先に案内します」


 流石、クイは仕事が早い。しかしこのクイの雰囲気的にティダに何か言うのは火を見るよりも明らか。ティダは相変わらず嘘くさい笑顔。


「でしたら姉上、僕も行きます。アラジン王子はラステルが相手をしてくれるでしょう」


 セリムがラステルに目線を向けると、以心伝心のように目が合った。大声で呼ばれるかと思ったが、ラステルは淑やかに手を振ってくれた。しかもセリムにではなくアラジンに。もやっとしたがアシタカを思い浮かべた。なんて素晴らしい妃対応だ。姉達やシュナが教えたのだろう。そういう考えが大切だ。ラステルが今度はセリムを見て、嬉しそうに笑ってくれた。アシタカ方法はやはり正しそうだ。


「いえセリム。ティダ皇子、奥方様共々お酒が好きと聞いておりましたのでドーラとクワトロと共に飲もうかと思っております。奥方様は是非にと喜んでくれまして支度してます。昨年のワインはとても評判が良くて、特別な日の為に取ってありました。如何です?」


 ティダが顔の前で手を横に振った。


「いえ。大変嬉しいのですが……」


 クイがいきなりよろめいた。後ろに倒れそうになるクイをティダがサッと支えた。


「あら、ありがとうございます。嘘だと分かりきっても助けてくれるのですね」


 ティダが笑顔を止めて無表情になった。試したクイに怒りも呆れもせず、何故か怯んだ様子だった。


「その目を止めろ。下の二羽も嫌な予感がプンプンする。俺は恐ろしい大鷲(おおわし)は断固拒否する。あの父親にしてこの娘ありだな。行くぞセリム、アラジン。酒場だ」


 ティダがいきなり大きく足を踏み鳴らした。この娘あり、とはどういうことだ。そもそもクイはティダよりも年上。もっと敬意を示してくれると思っていたので悲しかった。


 室内が水を打ったように静まり返り、全員がティダに注目している、そういう雰囲気になった。


「名はティダ。セリム王子にこの国に招かれて暮らす予定。セリム王子を親しみ込めてヴァナルガンドと呼んでいる。酒場には美酒があり、豪気な男が崖に住まう力強さを披露してくれると聞いた。ヴァナルガンドと俺の酒盛りに付き合ってくれる者はいるか?ボブル国の王子アラジン殿も付き合ってくれる」


 ワッと歓声が上がった。手を挙げているのは大体がセリムの友。あと非番らしい近衛兵。同年代の若い娘達。


「俺は己に相応しい言動伴っている。よって(たしな)めようとするな。そのうち捨てるから信頼を寄せようとするな。一族(そろ)ってそういう目をしやがって。なんていう国で暮らすと決めちまった。国民はパズー以下が多そうで助かったな」


 ティダがクイに呟いて階段を降りて行く。途中でアラジンを呼びつけた。アラジンはすっかりティダに飲み込まれている。


 ティダはクイに敬意を示さないのではなく、セリムの家族だからもう受け入れてくれたらしい。多分、そういうことだ。いつか去る、惜しくなるから馴れ合いたくないと思ってくれている。


 それにしてもティダがパズーをそこまで評価してくれているとは知らなかった。


「まあまあ、本当に頑固者そうね。嘘くさい態度を止めろと訴えれば、少し心開くと聞いていたけど断固拒否ですって。セリム、父上が彼のことを心配してます。彼の真横に並べるようになりなさい」


 クイがセリムの肩に手を置いた。ティダがまた足を大きく踏み鳴らした。


「あまりにも美しいシュナ様を見たいのも分かるが、彼女はこの国でラステル妃と過ごすことをそれはもう楽しみにしていた。それからこの国の姫君と語り合うこともだ。歓迎は有難いが是非叶えてやって欲しい。これきりではないしな」


 ティダがチラリとクイにしたり顔を投げた。それから注意しないと分からないくらいの動きでシュナを顎で示した。貴方とは酒を飲みませんがシュナを頼みます。そういうことだろう。クイはどちらにも気がつかない様子だ。


「あらあら。場の空気を持って行くのが上手ね。それに共にお酒を断固拒否に、他の用事も嫌だと先手を打った。抜け目ないわねえ」


 クイが頬に片手を当ててのんびりと告げた。


「姉上。ティダはシュナさんを愛娘と呼ぶくらい大事に思っています。あのような護衛もつけるくらいです」


「そうらしいわね。拒否しておいて任せはするのね。気づかないと思ったのかしら?よく分からない子ね」


 月狼(スコール)に睨まれた。スコールはシュナの護衛ではない。聞こえてて(とが)められた。


「ティダは色々と僕には良く分からない考え方をします。シュナさんの髪の装飾は小蛇蟲(セルペンス)という護衛です」


 月狼(スコール)が満足そうな表情で顔を背けた。謝ってみたが、反応は無い。理由不明だが会話を拒否されているようだ。


「蟲の次は大きな狼。それにセルペンス?素敵な女性にちんちくりんなお友達。色々連れてきましたね。ソレイユちゃん、疲れたといってぐっすり眠っているわよ。シッダルタ君の手を離さないのよね」


 ラステル、しいては姉達に任せたソレイユとアデスはどうなったのかと思っていたら寝てる?アデスは違うが、ソレイユは間違いなくティダと同じ血脈だ。あんなに我が物顔で、おまけに見知らぬ土地でいきなり眠る度胸。しかも強そうだった。


 ティダがまた大きく足を踏み鳴らし、最後の階段を降りた。ティダが手を動かしただけで人垣が左右に分かれて、ラステルとシュナへの道になった。


「我が国では三という数字に特別な意味を込める。今の三度の鐘は我が友ヴァナルガンドとその妻、そしてその家族の手厚い歓迎に対するアシタカ様からの賛辞也!ペジテ大工房は貴国に親愛寄せる!レストニア王族が居るからである!」


 ティダがラステルの前に恭しく(ひざまつ)いた。クイにしたようにラステルの左手を取り、薬指の指輪らへんにキスした。ぼんやりしているラステルを無視して、ティダは外套(マント)をバサリと手で広げながら立ち上がった。


 髪を搔きあげ左右に流し目をして歩き出した。風車塔の両開きの扉を自ら開き、注ぎ込んだ太陽を独り占めしたように光を浴びる。


 ティダの存在感に圧倒されていたら、ティダは消えていた。扉も閉まっている。


「あらあら、逃げたわね。追いなさいセリム。酒場に引きずって行くのよ」


 クイがクスクス笑いながらセリムの背中を押した。逃げた?セリムは走り出した。


〈ティダ!ティダ!酒場の場所を知らないだろう⁉︎〉


 無視されている。置いてきぼりのアラジンの腕を掴み、セリムは風車塔の扉を開いた。雨が止んでいた。ザッと部屋を見渡すと、先程ティダに付き合うと手を挙げていた者達がハッと気が付いてくれた。


「ウールヴが居るということはお前もグルかヴァナルガンド」


 扉の前でティダが誠狼(ウールヴ)とアンリに挟まれていた。爽やかな笑顔のクワトロ、不機嫌そうなカール。それからマルクも居る。


「グル?」


 アンリの目が怒っている。


「酒場に行くのでしょう?それからいい加減に慎みを覚えて。これもさようなら案件になるわよ」


 ティダが額に手を当てて「スコールめ」と呟いた。それから高笑いを始めた。


「あまりにも縛りたいというのは良く良く分かった。そこまで言うなら今夜が楽しみだな?楽しい祭宴(さいえん)だろう。行くぞヴァナルガンド」


 気配がしたので振り返るとラステルがワクワクした顔をして立っていた。隣でシュナがクスクス笑いをしている。ラステルが最近良くする、祈るように両手を胸の前で握りしめて体を左右に揺らす動作をした。目が輝いている。


祭宴(さいえん)ってお祭りのことって読んだわ!シュナと私も行くわよ。きっとお義姉様(ねえさま)達もいらっしゃるわ!あのねセリム、ソレイユは寝ちゃったの。シッダルタの手を離さなくて、シッダルタはお留守番なの。フォンさんとハンナがお話相手になってくれてるわ。アデスさんとお話ししてお仕事よ。私とセリムが外交をする間、働いてくれてるの」


「それは申し訳ない。本日初めて会ったがソレイユとアデスというのは妹と弟らしい。シッダルタと代わってこよう」


 逃げるが勝ちというように歩き出そうとしたティダを、アンリが笑顔で止めた。ラステルもティダに飛びかかって腕に抱きついた。ラステルはお祭りが嬉しいのか、妃らしさは忘れてしまったらしい。


「ダメよティダ師匠。楽しいことは分かち合うのよ。セリムが皆を呼んできてくれるわ。外交ですもの。酒場?の視察ね」


 ティダが諦めたというように大きくため息を吐いた。


「ヴァナルガンド、適当に近衛兵を集めてこい。酒場に入る分だけで構わん。ちょっと視察だ。折角崖の国の麗しい乙女達をせめて目で楽しむかと思ったのだがそれすら許さんとは俺の妻は欲深過ぎる。街娘は禁制らしい。クワトロ、酒場はどっちだ?」


 セリムはラステルとティダに完全に小間使いにされた。呼び捨てにされたクワトロが叱りつけてくれるかと思ったが、クワトロが向こうだと歩き出した。


「ティダと呼んでも?セリムにチェスも持ってこさせよう」


「好きに呼んで構わん。エリニュスにエリニース。ヴァナルガンドの兄ならフェンリスでも許そう。ボサッとしてないでついてこいアラジン」


「特別感ならフェンリスだが、兄なら許そうがクワトロなら許そうになるまで待とう。エリニースとは西方の神の名だったと思うので、エリニースにしよう。アラジン王子はチェスが得意だ」


「我が国では将棋という遊戯が盛んだ。チェスに似ているが非なる遊戯。職業になるほど奥深く人気がある。手土産に持ってきたので後で渡そう」


 予想外なことにクワトロとティダは親しそうに並んで歩いて行く。手招きされたアラジンが慌てて走っていってティダの横に並んだ。鼻歌混じりのラステルがシュナとカールと手を繋いで歩いて行く。シュナがセリムにすまなそうな眼を投げてくれた。その後ろをマルクが月狼(スコール)と並んでついていった。


「セリムさんが相当兄を慕っているから、シッダルタ君との関係改善の参考にするんでしょうね。シッダルタ君のこと本当にこたえているみたいだもの。馴れ合いたくないよりも参考にしようが勝ってる。シッダルタ君に全く嫌われていないのに変な人よね」


 アンリがセリムに耳打ちした。かなり小さい声で、ティダには聞こえていなさそうだった。


「では私がセリムさんと一緒にシッダルタ君達や近衛兵の方々を迎えに行きましょう」


「ラステルはアンリさんとシュナさんを手本に僕をもう少し立てて……」


 恐ろしい気配がしたので振り返るとドーラが立っていた。ケチャも並んでいるからなお迫力が増している。しかし一番はクイ。背が一番小さいのに最も存在感を放っている。


「帰国早々、疲れた顔も嫌な顔もせずに挨拶回り。貴方が招いたお客様方や私達の仲立ち。しかと果たしている妻にまだ求めるのですか!恥を知りなさい!目付監視役となったティダをしかと見習い、忠告を聞き、励みなさい!民よ!セリムはあのように堂々たる立派な男になります!未熟なセリムが大きな男になろとすれば、ユパ王、クワトロ王子も益々励むでしょう!崖の国の安泰は皆の背に掛かっています!好き放題。我儘(わがまま)身勝手あれば目付監視役に密告なさい!」


 セリムは項垂れそうになるのを、必死で耐えた。帰国祝いの席で民に同じことを言われる。元々国中に見張られているのに、ティダが来たので目標が高く設定されてしまった。


「人の目がある中で我が妻を軽視する発言。直します!皆の者、ユパ王から通達あるだろうがこのセリム、まだまだ未熟につき目付どころか監視役がついた!来年の収穫祭にて追放されぬようにしかと励む!常に監視し、声を上げて欲しいが直接私に指摘できなければ旧王ジーク側仕えとなったティダへ伝えてくれ!」


 これ以上の醜態(しゅうたい)(さら)せないので胸を張って歩くしかない。しかしティダの口癖の「最悪だ」を言いたかった。パズーは十年子狼なのに、セリムは収穫祭があるせいで一年子狼だ。これは期間が短過ぎる。ジークとユパに頼んで少し期間を長めにしてもらうしかない。


 人だかりから離れると、自然と体が丸くなった。


「あら、どうしたのセリムさん」


「セリムで良いですアンリさん。帰国早々とんでもないことになった。初外交は大したことをしないで終わり。来年の収穫祭でティダのようになっていないとならない。ティダは遠過ぎるんだ……。僕がいきなりアシタカやシュナさんになれます?ティダになれます?」


 アンリが背中を軽く叩いてくれた。


「セリムは誰にもなれない。貴方の良いところが欲しくて欲しくてならない人もうんと沢山いるのよ。何もしてないと思っていても役に立っていることは多いもの。持ちつ持たれつ。ティダは人付き合いを嫌がりつつも、ヴィトニルさんと貴方の為に踏み出している。いざという時、支えてあげて欲しい。お願い出来るかしら?セリムじゃないときっと無理よ」


 アンリがまた背中を叩いてくれた。何もしてないと思っていても役に立っていることは多いもの。アンリの言葉はとても嬉しかった。セリム自身とアシタカ達の評価の違い。もっと胸を張って良いということだ。鼓舞のために三回叩いてもらえるかもと思ったら二回で終わりだった。


「あら、約束を守った時に三回目を叩くわ。セリムが覚えていなくてもね。約束だから私も忘れているかも」


 アンリが走り出した。


「僕は忘れない!こんな誇らしい気持ちは忘れられない!僕がティダを任されるなんて!しかしヴィトニルも似たようなことを言っていたからこれは僕の役目なんだ!待ってくれアンリさん!僕は貴方から人の育て方を教わりたいんです!護衛人長官は部下が沢山いると聞きました!」


 追いつけるだろうと思ったのに、先に走り出したアンリに中々追いつかない。徐々に近寄ってはいるが背中は遠い。


「ダンか、ダンが嫌がったら私の他の部下。三人目の崖の国支部の大陸連合護衛官がもうすぐ決まるわ。本とノートを持たせる!ペジテ大工房の教育書や父に教わったことをまとめたものよ!ティダと私の部下を宜しくねセリム!」


 アンリが急に足を止めて振り返った。しかも飛び蹴りしてきた。


「ちょっ!今、手合わせですか?」


「いくら男性とはいえこんなに年下に負けるなんて納得いってないのよ。今は好機(チャンス)。場所も広いし」


 ドメキア王国で手合わせした時のことを根に持たれていたらしい。手加減しようにも、アンリの強さだとあまり手加減出来ない。間違って大橋からアンリが落ちたらティダに殺される。顔に傷がついたとか、捻挫したとかだけでも命が危ない。


「嫌です!ティダに殺される!」


 セリムはアンリの回し蹴りを避けてそのまま走り出した。


「セリムなら殺されないわよ!多分あの人、私よりセリムが大事よ!」


 セリムは振り返らずに走った。罠だ。陽動だ。さすがにそれは無い。


「そんな見え透いた嘘には騙されません!」


 全速力で走っていると、反対側からソレイユがスキップしてきた。シッダルタが面倒という表情で手を繋がれている。後ろをアデスが死んだような顔でついてきていた。そのさらに奥にはファンとアルマに手綱を引かれる馬に乗るハンナ。楽しそうに談笑している。


 セリムは走るのをやめた。アンリも隣に並んだ。ソレイユが目の前で止まった。


「あら、会えてよかったわ。起きたからセリムを探しにきた……きゃああああ!貴方、ティダ兄様(あにさま)の奥様ね!ソレイユ達の姉様(あねさま)よアデス!」


 ソレイユがうっとり、というようにアンリを見つめた。何で分かったのだろう?ソレイユがアンリに抱きついた。アンリは素直に受け入れてソレイユを観察している。ソレイユがアンリの頬にキスした。


「ソレイユもこんなに愛されたいわシッダルタ様。でもゴミオーガもどきに似た匂いが砂つぶくらいする。兄様(あにさま)の素敵な匂いでここまでになるのね。ティダ兄様(あにさま)はとてつもなく器が大きいのね。ソレイユはあのゴミオーガもどきに謝るべきだわ。変えられるんですもの。ゴミオーガもどきから鍛錬して、大狼と大蛇蟲(アングイス)小蛇蟲(セルペンス)と仲良しになるなんて流石ティダ兄様(あにさま)の奥様。弱々だけど、今日あった中ではかなり強い方ね。尊敬に値するわ」


 アンリの顔が引きつった。多分、匂いの発言のせいだ。顔も赤い。


「アンリ・スペスと申します。敬愛をありがとうソレイユさん。皆で街を堪能するそうでお迎えにきました。弱々?それなりに鍛えてきてます」


 そっちなのか。ティダに慎みを持てと常に叱っているのに、それよりも弱いと言われるのが気になるらしい。ゴミオーガもどきという言葉にも無反応。セリムにはアンリの優先事項がイマイチ把握出来ない。


「強くなりたいならソレイユが鍛えるから大丈夫よ。ゴミオーガもどきに謝るべきだけど、まだゴミに顔を突っ込んでも笑顔でいる練習をしていないわ……。それに素晴らしい匂いの女性を探さないとならないわね。そこら辺のじゃダメ。星姫とまではいかなくても……。シッダルタ様はソレイユにお任せください」


 ソレイユがもじもじしながら頬を赤らめて、シッダルタにウインクした。本人的には誘惑ポーズだっただろう姿勢の壊滅的な色気の無さと違い、これは可愛い。しかしシッダルタは呆れたようにため息を吐いた。


「何を気に入ってくれたのか分からないが、今日だけで三人も運命の人を見つける君の気まぐれには付き合えない。からかうような人には見えないから、そういうことだろう?」


 予想外の拒否にセリムはびっくりした。ソレイユが衝撃的という表情になり、俯いた。震えている。シッダルタが言い過ぎたかな?と申し訳なさそうにソレイユに近寄った。


「素敵だわ!なんて紳士なのシッダルタ様!ソレイユが人をからかわないと見抜いて、目移りはダメだと叱ってくれて……。ソレイユの運命の王子様はやっぱりシッダルタ様なのね。匂いは大したことがないのに、こんなに素晴らしい方はいなかったわ。ソレイユは匂いに頼りすぎて大切なものが見えていなかったのね」


 ソレイユに抱きつかれたシッダルタが茫然とした。セリムも呆れた。アンリもポカンとしている。


「あー、ある意味ティダそっくりなのかしら。顔立ちも良く似ているわね。気に入ったら一途。表現方法の違い?」


 アンリがセリムに苦笑いを投げた。


「誓いを立てないとならないわシッダルタ様。目移りは禁止なんですもの。ソレイユは星姫になるのだから大丈夫よ。誓ったら心臓を刺されたって許すわ」


 シッダルタが驚いたようにソレイユの体を離した。


「待て。待て。待て!何も知らないのに誓い?それに俺は君のような騒が……」


 ソレイユがくるりと回ってシッダルタに会釈した。


「真実の愛に見返りを求めてはいけないのよ。シッダルタ様がソレイユをあ、あ、あいし…愛してくれなくとも……」


 ソレイユがいきなり涙目になった。一目惚れしてもうそんなにシッダルタが好きなのか?シッダルタがオロオロし出した。


「たとえ愛されなくともソレイユは生涯を捧げるわ。頼まれれば妻を探し、頼まれなくても命を守る盾となる。病気になれば薬を探しに地の果てまで行くのよ。それが真実の愛よ。ソレイユが誓いを立てるというのはそういうことなの。シッダルタ様、ソレイユは永遠のあ……」


 アデスがソレイユの口を押さえた。ソレイユに掴まれたアデスが放り投げられた。


「バデス!バデス!バーデス!こんなに恥ずかしいこと今日はもうやり直せないわ!」


 プンプンと怒りながらソレイユが全身を真っ赤にした。それを見たシッダルタが頬を赤らめてから、腹を抱えて笑い出した。


「面白いなソレイユさん。誓うのは明日以降もやめてくれ。俺はアシタカ様のように誓い合うのが目標なんだ。君が言う星の王子様と星姫だ。君とどうにかなるとか今日の今日でサッパリ分からない。君も明日にはもっと素晴らしい運命の人を見つけるかもしれない。世界は広い。とても広いんだ。とりあえずもっと静かに頼む。あと俺は女性に慣れてないから触られると緊張が激しくて疲れてくる」


 シッダルタが照れ臭そうにソレイユに握手を求めた。ソレイユが震えながら、涙目で握手に応じた。しかし手を握り合ったのは一瞬だった。それからアンリと腕を組んで歩き出した。シッダルタが困ったようにセリムを見上げた。


「酷いことを言ったか?俺、こんなの分からないよ」


 ソレイユはアンリにしがみついて震えている。泣いているのかもしれない。


「す、素敵だわ。ソレイユが星姫になったらシッダルタ様が星の王子様になってくれるだなんて……。こんな素敵な台詞が待っているなんて生きるというのはとても素晴らしいことよ姉様(あねさま)。星姫にうんと沢山教わって星姫にならないとシッダルタ様の隣に並べないのね……。ほっぺにキスの普通の挨拶もダメなんだわ……。鍛錬よ鍛錬。根性よ根性。ソレイユは立派な星姫になるわ」


 今度はシッダルタが衝撃的な表情になった。セリムも開いた口が塞がらなかった。ソレイユがアンリから離れて優雅に歩き始めた。


「あのー、ソレイユって思い込んだら一直線だから多分ずっとあのままです。三歳の時に拾った星型石を未だに持ってるくらい一途。ジメジメ、ウジウジ、蛞蝓蟲(リーマークス)の粘液よりもネバネバは嫌だ。弱いのも嫌だ。格好良くないと嫌だの嫌々ソレイユが選んだのが貴方かあ。でも貴方が言ったからもう隣に並びませんよ。ソレイユが泣くのはいつ以来だ?」


 アデスがシッダルタを上から下まで眺めて首を傾げた。シッダルタも首を傾げた。


「一途?今日だけで何人の運命の男と会ってるんだ?あー、なんか少し違うか気もしてきたけど……」


「俺だってあの二人には鳥肌立った。むしろソレイユが貴方もあの二人に並べたのが理解不能。だからソレイユも夢中なんだろう。あーあ、泣いちゃった。挨拶すら拒否されて今夜はずっと泣いてるな……」


 挨拶すら拒否されて?セリムがギョッとしたと同時にシッダルタが素っ頓狂な声をあげた。


「俺が挨拶すら拒否⁈」


「バデス!何もかもが弱々だからシッダルタ様の良いところが分からないのだわ。それにシッダルタ様は何も悪くないの。ソレイユが星姫のようではないから、並べないし、触れないの。泣くのは自分のせいなの。だからソレイユがシッダルタ様に相応しい星姫になるわ。でも急がないと他の星姫が現れてシッダルタ様を幸せにしてしまうわね。それはそれで素晴らしいことだから、他の星姫を探しながらソレイユも星姫を目指すわ」


 振り向いたソレイユが涙を流しながら可憐に微笑んだ。ソレイユはすぐに顔を戻してしまった。


 シッダルタが理解不能というように固まっている。セリムにもソレイユの思考回路の原理が何も分からない。


 一時的に止んでいた雨がまた降りはじめた。ソレイユがツカツカと戻ってきてアデスから外套(マント)をひったくった。それからアンリに外套(マント)を被せて横抱きにした。


「アンリ姉様(あねさま)が濡れて風邪を引いたらティダ兄様(あにさま)が悲しむわ。早く行きましょう。アデスは風邪を引かないから大丈夫よ」


 ソレイユが勢い良く走り出した。


「ソレイユさんって君達の中でもかなり変わってる?」


 セリムの問いかけにアデスが大きく(うなず)いた。


「あれだけ嫌いだ、迷惑だって突きつけられたのにソレイユの奴は意味が分からないな……」


 シッダルタが茫然としてアデスを見つめた。セリムのことも見た。


「俺はそんな酷いことを言ったか?」


「口にしてないけど、物凄い壁を突きつけてきたじゃないですか?何度も何度も。ソレイユは忍耐強いというか、明後日の方向しか見ないというか、変なんだ。俺はお前みたいなオーガもどきは絶対に認めない」


 アデスがシッダルタを睨んで走り出した。強くなる雨足にセリムとシッダルタも走った。フォンも走ってきた。アルマが馬に乗ってハンナと二人乗りで大橋を駆けていく。


 孤高ロトワ龍の民、人の形なのに分かり合うのは大変そうだ。


 セリム達が目指す、異種生物との和平交渉や文化交流は前途多難。そう突きつけられたような気がした。

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