セリム王子の外交1
【風車塔 会議室風の間】
窓の外、雨は次第に強くなっている。セリムの隣にはアスベルとアリババ。その隣にはアラジン。そしてボブル国の従者三名。向かい側にはアシタカ、シュナ、ティダの三名。
正直なところセリムは中央席に移動したかった。アシタカ、シュナ、ティダと相対するような席というのがここまで圧迫感があるとは思ってもみなかった。
〈ヴァナルガンド、偶然居合わせた俺達が意気投合した。そういう筋書きに持っていきたい。和平交渉はその先だ。アシタカはどうか知らんが似たようなことを考えているだろう。各人の人となりを知っているお前の出番。アシタカ、シュナと隣のアリババについて好きに話せ。場の様子を見て背中を押したり止めたりしてやる。隣にも宰相がいるから気負う必要はない〉
着席するなり、ティダがセリムに大狼の会話法で伝えてくれた。セリムがティダを注視しても、ティダはシュナとアシタカに嘘くさい微笑みを投げている。どうしてこう、器用なのだろう。
目付監視役。
ティダの背中は遠くて大変だと思ったが、違った。これは心強い。なんて心強い。ティダはセリムを認めて任せつつも、必要なら背中を押してくれる。止めてくれる。ティダはそういう風に目付と監視の役割を果たしてくれるつもり。目付監視役というのは、思っていたのと違った。心強いし、嬉しい。
励んだつもりが空回りして何も成せなかった、蟲の王とドメキア王国との仲介。小国の王子としての役割も碌に果たせないのに、そのような大役が果たせる訳がなかった。ユパの宰相アスベル、ジークの側仕えとなったティダがいてもこの場に崖の国の王族は自分のみ。
崖の国の王子として、初めてセリムだけに任された正式な外交。パズーが言っていた一歩、一歩とはまさにこれだ。
〈ありがとうティダ。僕は父上や兄上の期待に応える。そして宰相アスベル、側仕えティダの功績をしかと伝える〉
ティダから返事はなかった。しかしティダの指が机を小さく三回叩いたので、それが返事だと分かった。これは誇らしい期待だ。
「失礼します。ボブル国の方々、収穫祭での非礼を詫びに参りました。セリムの妻ラステルです」
崖の国の正装に着替えたラステルが会議室に現れた。姉クイがティーセットを並べたお盆を手に持っている。入り口でラステルが深々と頭を下げた。あまりにも突然の謝罪にセリムは面食らった。
〈座ってろ。アシタカが話す。話さなきゃあとで嬲り半殺しだ〉
立ち上がろうとする仕草を見せる前にティダに止められた。ティダが告げた通り立ち上がったのはアシタカだった。アシタカがラステルの頭を上げさせた。ラステルは泣きそうな顔をしているが、無理矢理というように微笑んでいる。
クイがティーセットをアシタカに押し付けてラステルの肩を抱いた。クイは満面の笑みをラステルに投げてから、全員に同じ笑顔を向けた。
「崖の国の旧王の娘クイと申します。ぬくぬく守られるよりも戦場について行くことを選ぶ崖の国の妃に相応しくない妹です。しかし全国民の不安を全て一人で背負ってくれた豪胆な妹です。まだまだ足りないので王族全員で育てます。下がりなさいラステル。見当違いの謝罪は場の空気を乱す。この大役はまだ早過ぎました。貴方は姉達とお客様の案内役です」
ケチャとドーラが現れてラステルの前に立つと、一同に優雅に会釈した。それから笑顔だが無言で、さっとラステルを連れて出て行った。
クイの目がアシタカに怒りを向けている。アシタカが参ったな、という表情で頭を掻いた。ティダが珍しく驚いた顔でクイを見つめている。クイが冷笑でセリムを突き刺した。セリムが即座にボブル国の者達に説明をしていないからだ、ラステルに手を回さなかったからだ、顔にそう描いてある。
セリムが立ち上がる前にアシタカがクイに深々と頭を下げた。
「妹に親愛をありがとうございます」
「非常に残念でしょうがラステルは一生この国の妃です。家を守るのが崖の国の妃。夫が家だからどんな危険な地にでもついて行くという屁理屈我儘で噛み付いてくる娘ですのでしかと妃らしく教育します」
クイがボブル国の面々には微笑みかけて、他の全員には睨みを利かせた。踵を返すとクイは部屋を後にした。
「相変わらずクイ姫は豪気な方だ。セリム、収穫祭の件についてはユパ王だけではなくジーク旧王から相当謝罪をされた。ジャルーシャ王はこう言っていたよ。セリム王子があのような身勝手をするとは違和感しかない。そこにアシタカ殿からの親書。来国した際にユパ王に推測を告げると、その通りだと告げられた」
アリババがクスクス笑った後、アシタカを見つめた。燃えるような視線。対するアシタカは呑気そうに笑ってから、お盆を机に置いて紅茶を入れ始めた。セリムは慌てて立ち上がろうとしたが、アシタカに目で静止された。
「言っただろうセリム。君の名誉が伝わるような親書を認めた、と。妹に話してくれていると驕ったせいで醜態を晒し、不信を与えかけてしまいました。すみませんボブル国の方々。妹のラステルは少々そそっかしくて察しが悪い。しかし思い遣りだけは誰にも負けない妹です」
アシタカが優雅な手付きでアリババにティーカップを差し出した。アシタカとアリババはずっと火花を散らしている。何で戦っているのかセリムには見当がつかない。セリムがティダを見るとわざとらしいクスクス笑いをしていた。セリムの視線に気がついていそうなのに無視された。シュナはずっとアラジンにニコニコ笑いかけている。アラジンはそのシュナに首ったけ。
「大国の御曹司にわざわざこのようなこと。大変光栄です。セリム王子、君の口から聞きたい。何があってどうしてこの方々がこの国に現れた。そして何故ボブル国に手紙を送ってきたのか。収穫祭での駆け落ち騒動は嘘だと知っている。セリム王子、教えて欲しい」
アリババが会釈してからティーカップを受け取った。アシタカがアリババから離れて他の者達へ紅茶を配っていく。
「友人の姉上に、それも妹の名誉を守ろうとしてくれる姉上に託されたので当然です。セリム、先に話して欲しい。もう耳にタコが出来るくらい聞いたが、この場でもう一度ボブル国や彼等王子の話も聞かせてくれても嬉しい」
アシタカがアリババとセリムにニコリと微笑みかけた。シュナが立ち上がってアシタカと交代した。アシタカ達の紅茶はシュナが準備した。あまりにも美しいシュナの所作にボブル国の一同がぼーっとする。アリババだけはアシタカを観察している。
「疲れているのにありがとうシュナ」
「いいえアシタカ様。秘書ですからもっと早く気を配るべきでした」
アシタカのシュナへの微笑みは、種類が違う。隠してはいるが熱視線。シュナはいつも本当の感情が読み取りにくいので、今も分からない。隠す必要があるのか?とりあえず二人が夫婦だと言う話はまだ伏せておくようなので、セリムもそれに倣おうと思った。
〈好きに話せヴァナルガンド。お前の姉達は恐ろしいな。外交よりラステルを取った。この場の全員ならあの程度で交渉決裂しないだろうという判断。おまけに俺達に二度と国からラステルを連れ出すなと激怒。シュナはマイナスからの付き合いだな〉
感心したようなティダの声に胸が熱くなった。ラステルに後でこの考察を教えないとならない。姉達はラステルをとても大事にしてくれる。それを伝えないとならない。しかし、今は自分の仕事だとセリムは立ち上がった。
ほぼ同時にシュナが着席した。ゆったりとした動作で紅茶を飲む姿も、ごく普通のことなのに絵になる。アシタカとティダもそうだ。存在感が違う。三人揃っているからか、光っているようにさえ感じる。
「アリババ王子、アラジン王子、ボブル国方々。収穫祭の日に」
〈アシタカと呼べ。俺もシュナもいつも通り呼んどけ〉
言葉が途切れない絶妙なタイミングでティダに語りかけられた。セリムは自然な流れで続けた。
「アシタカが現れました。アシタカは外交に来たんです。共通の知人、宰相アスベルが居たからです。戦争が起こったら女性や子供を民を避難させたい。崖の国の支援を約束するので代わりに有事の際に受け入れて欲しい。そういう交渉で、ユパ王は避難民受け入れだけに応じました。アシタカを信頼出来ると思い応じました。しかし大国からの支援は余計な抗争を生む。そういう判断です」
この件はティダは知らないのでアスベルに目配せした。
「アシタカ殿には旅をしていた際に一時世話になっていました。先生などと慕ってくれていまして。ご存知の通り私はセリム王子の世話役を勤めていましたので、二人は兄弟弟子のようなものです。アシタカ殿によく崖の国やセリム王子の話をしていたので外交に踏み出したそうです」
アスベルが紅茶を飲みながら小さく笑った。補足をしてくれたが、セリムの発言に訂正は無かったので安心した。
「不思議な話ですね。戦争が起こったら?ペジテ大工房は大陸一の覇王。二千年も陥落していない異次元国家。避難先など必要がありますか?」
アリババはアシタカをジッと見つめた。アシタカはアリババから目を逸らして指を弄った。アリババへの分かりやすい不信感の提示。グスタフ王への態度と同じだ。
「外界で人が暮らせる土地は少ない。万が一の際に民を避難させる場合、他者の領域を勝手に侵すのは許せない。可能性が零ではないので外交に来ました。ユパ王もそのくらいのこと、私に指摘しましたよ。ほぼ鎖国している国とはいえ大陸情勢も把握していました」
どう取り持つのが正解なのか。セリムに話せと言いながら、アシタカに質問したアリババ。まだ大事なことを何にも話していないのに、いきなり不信をぶつければアシタカも不信を返す。しかしアシタカも分かり易すぎる態度。
〈その目を止めろヴァナルガンド。アシタカはわざと不信感を投げている。アリババを試して観察している。アリババの反応を見たいのだから関与するな。続けろ〉
その目を止めろ。また目のことを言われた。しかもティダはセリムと目も合わせていない。どういうことなのか。迷っているセリムをサッと観察していたのだろう。アシタカがアリババを試している。セリムが話したアリババの人物像では信じてもらえなかったのだろうか?
〈だから続けろ。アリババって奴のことをアシタカは認めている。だからこうして場を設けた。アシタカ本人がアリババの性格を把握しなきゃこの先隣に立たせられねえだろ。ったくお前は話せ、そう言われたんだろう?気負い過ぎて前に出ようとするな。アシタカを立てろ〉
セリムは思わず頷いた。アリババを隣に立たせる。そういうつもりだとは思っていなかった。アリババにジャルーシャ王との仲介を頼むのだと考えていた。ティダの目付監視役は妥当だ。セリムを導くのに内緒話が出来る。成人になっているセリムにとって公の目付監視役は恥で、ティダも崖の国に縛られたくないと言っていた。
セリムがジークとユパにティダの働きぶりを伝える。他の者には分からない方がティダもセリムも助かる。少し卑怯だが素晴らしい目付監視役だ。
「どうしたセリム?」
「いや、ああ。そうなんです。ユパ王も同じ指摘をしました。しかし、応じました。アシタカ本人が避難民と共に現れた場合は受け入れる。ペジテ大工房からの支援は断ったうえでです。アシタカはこう言いました。有事の際は個人的な友として支援します。ユパ王と友では説得力がないので僕が相手となりました」
ユパはアシタカに信頼を寄せた。それが伝わって欲しい。ユパの人となりをアリババは多少知ってくれている。
「セリム王子、その話は誰から聞きました?」
アリババに指摘されてセリムはたじろいだ。盗み聞きしていたことを見抜かれている。バレているのに嘘をついても仕方がないのでセリムは素直に口を開いた。
「気になって隣の部屋で盗み聞きしていました。アリババ王子はすぐそうやって僕の嘘を見抜く」
呆れているだろうなとアリババを見ようとしたら、シュナがクスクスと笑い声を立てた。シュナと目が合うと「あらあら」という瞳をしていた。
「……。そうか。それがどうして駆け落ちに繋がるんです?」
「いや、この件はユパ王がアシタカを信頼したという話です。僕はこの後個人的にアシタカに相談をされたんです。アリババ王子、収穫祭の頃の大陸情勢を覚えていますよね?」
念のためとセリムは黒板に簡素な大陸地図と他国の状況を書いた。この方が分かりやすい。
「何を相談されたんです?」
アリババに睨まれた。怒っているのとは少し違う。しかし敵対心を感じる。何かしただろうか?知っていることを絵にしたのが、馬鹿にしていると思わせてしまったのだろうか。
〈お前に嫉妬してるんだよ。無視しろ。アリババの奴はある程度何があったのか知っている。お前の口からアシタカの人となりを聞きたいんだよ。観察していないで続けろ〉
〈嫉妬?何があったのか知っているなら僕の口からアシタカの話をしてどうなる。アリババならアシタカのことを……〉
〈頼まれたんだから役目を果たせ。続けろ〉
ティダは静かに、優雅に紅茶を飲んでいるのに「続けろ」と投げつけられた言葉は恐ろしく怖かった。また頷きそうになったのを耐えた。不自然になる。
「四方八方敵だらけのペジテ大工房に侵略に備えろ、支援するという事を告げた男が現れた。接触したいと相談されました」
アリババがティダに一瞬だけ視線を向けた。アリババは密告者がティダだと知っている。ならこの茶番劇は何なのか。ティダはセリムが話すのが役目だという。アシタカを見ると「話せ」と目配せされた。ここまでが役目ではないらしい。
セリムにはこの状況の目的や流れが分からない。議論しましょうと言っていたのに、議論はいつ始める?大陸和平の中心はアシタカでセリムは今回架け橋。セリムは両者をよく知っていても、アシタカもアリババも信頼関係は無い。それを作る手助けをするのがセリムの仕事だ。なのに、二人とももう交流を持っているらしい。セリムが話すことに何の意味があるのだろうか?しかし全員がセリムに話させるということは必要なこと。
外交がこんなに難しいとは思っていなかった。
「何故君に?その男とは誰だったんです?」
アリババはアシタカを見ているので、セリムは口を閉じた。
「色々な者に相談しました。僕はこれでも大国ペジテ大工房の御曹司。王ではなく宗教の頂点に位置する一族の後継。まあ、当時は後継は別にいたんですげと一人息子なので民は僕をそういう目で見ていました。外界に出るなんてもってのほか。何を考えているか分からない密告者に接触も却下。我々は民主主義といって民の代表が国の方針を決めるんですが、かなり強引に外界に出る許可を取りました」
セリムの目は自然と丸まった。そんなこと知らなかった。アシタカは国を背負ってやってきたと思っていた。アシタカがセリムに、にこやかに微笑みかけた。それからアリババを真っ直ぐ見据えた。
「セリムに相談したのはアスベル宰相に勧められたからです。僕も臆病なので絶対的な支援者が欲しかった。他国の王子がどう判断するかも知りたかった。会ってみてセリムなら背中を押してくれると確信した。密告者に自分で接触すると決めたのは、次に現れたら罠、不審者として射殺と決まりかかっていたからです。議会の決定を覆せそうになかった。密告が本当なら大恥だ。最悪だ。国内で少数ながら味方もいるからセリムにそこまで負担をかけるつもりはなかった。相談相手になってもらうつもりだった」
すまない、アシタカがそういう目をセリムに向けた。射殺と決まりかかっていたというのにティダは涼しい顔をしている。アシタカに感心したという素振りもみせない。シュナは眩しそうにアシタカを見つめている。
「アシタカは一度帰国して僕を迎えにくるつもりでした。相談もせずに勝手に国を出たのは僕の自己判断です。僕は出征が決まっていました。それまでの時間、アシタカとペジテ大工房の支援をする。西で戦争が起こると東に火の粉が飛んでくるのは明らかでした。止まらなかったら帰ってきて、出征。そういうつもりでした。色々重なって、突然にしたのは僕のせいです。誰にも心配をかけたくないという誤った判断でした」
実際は国を飛びたちペジテ大工房に到着したら、もう侵略戦争は始まっていた。呑気にアシタカを待っていたらいつまで経っても来なかっただろう。セリムは密かに風の神の導きだと思っている。
「突然現れたので驚きました。まさに戦争が始まる寸前だったので導きでしょう。僕は当然ながら崖の国、しいてはエルバ連合に支援を考えていました。セリムが僕の誘いに乗った瞬間です。正直、侵略戦争の密告でペジテ大工房が滅ぶなんてことは考えていませんでした。勿論、怯えはしていましたけどね。二千年、陥落しない覇王。侵略戦争を仕掛けられて他国情勢が大きく変化する。自国が報復戦争に討って出る。そして、密告が本当なら見捨てる訳にはいかない」
アシタカがようやくティダを見た。アリババとアラジン、ボブル国の従者もティダに視線を向けた。
「良かったですねアシタカ様。貴方が居なかったらペジテ大工房はそれこそ滅んでいましたよ。不敗神話の大狼兵士。私が嫌うのは不信と裏切り。自己保身を選ぶ覇王など大陸に必要ありません。内部から食い荒らして破壊してくれる」
セリムの背筋が凍った。ティダの目は本気だ。そしてティダならペジテ大工房を破壊していてもおかしくないと思ってしまった。シュナがティダに花が咲いたような笑顔を向けた。この状況では違和感しかない。シュナがアリババには妖しげな笑みを投げた。アシタカは苦笑しているだけだった。
「ドメキア王国に婿入りして数日で一軍隊を掌握。そういう方です」
シュナの発言にアリババがギョッとした。アシタカと目が合った。アシタカもセリムも同意見だろう。ティダなら有り得る。いつでもどこでも上にいる。
「分かりました。セリム王子、続けて欲しいです。何があったのか」
「セリム王子。彼が密告者なんでよね?ティダ皇子、どうして密告をしたんですか?自国を裏切ってペジテ大工房に密告など……」
アラジンが口を開いた時、突然ティダが机に足を乗せた。それも大きな音を立てて。
「あ"あ"?話を聞いていたのか?大馬鹿王子。あとアリババ、そんなに不信しかねえなら用無し。しかし許そう。ヴァナルガンドが推薦したからだ。頭の悪さも許そう。ヴァナルガンドの友だというからだ。しかしこんな小物と手を組むなんざ気が乗らねえ。気に食わねない。ヴァナルガンド、お前が責任持って蹴り上げてから俺の前に連れてこい。それなら考え直しても良い。特にアラジン。兄の隣で阿呆面してるんじゃねえよ。アシタカ、シュナ、好きにしろ」
フンッと鼻を鳴らしてティダが立ち上がった。アリババは殆ど顔色を変えなかったが、アラジンは怒りで顔を歪めた。逆効果だとアラジンに教えてやりたいが、そんな発言を出来る空気ではない。シュナがティダの上着の裾を掴んた。睨まれたシュナは素知らぬ顔をして、アリババとアラジンに笑いかけた。
「この方、期待するとこうやって発破をかけるんです。セリム王子に自信もつけさせたい。あと単純にセリム王子にばかり負担をかけるなと怒ってもいます。ティダ皇子はセリム王子を弟のように可愛く思っているんです。アシタカ様の人となりを見定めるのに、まだセリム王子が必要ですか?私もそろそろ我慢なりません。しかし材料不足なようなので語りましょうか」
シュナがさっと立ち上がってティダに座るようにと掌で椅子を示した。
「ティダ。君が不在なら僕達は大いに語ろうと思う。本当の君がどうなのか、をね」
アシタカはティダを見ないでアリババを見つめている。アリババは誤解だというような目をアシタカに投げた。アシタカも分かっているという様子。この二人はもうきちんと信頼関係を築き始めている。アシタカがそういう親書を認め、アリババは人を見る目があるからもうアシタカの良いところを見つけたのだろう。
なのにアラジンと従者はティダに注目している。アラジンにはティダの発破は必要かもしれない。ずっとシュナに熱を上げているように上の空だった。
〈おいヴァナルガンド。アリババはやはり合格。アラジンはやはり却下。どうしてもというならボコボコにする。劇薬と大鷲は最悪だな。俺の扱いも手口も完全に読んで先手打ってきた〉
ティダが即座に腰を下ろした。
「シュナ、色々と検討違いだが一つ正解だ。アリババ、残れ。後は全員要らん。アリババ、てめえも役不足だがヴァナルガンドに免じてだと肝に命じろ。この状況が何だか分かってるのか?覇王、西の大国と敵国が手を組んで相対している。不信ぶつけて背負う国を滅ぼしてえなら話は別だけどな」
アリババ以外、アラジンと従者が青ざめた。会議室中が静まり返った。アシタカが机を指で三回叩いて咳払いした。
「ティダ・ベルセルグ。脅迫でこちら側に来てもらうのは君の国とグルド帝国だ。エルバ連合には誠意を示す。そう決めたのに何故場をかき乱す。君の好き嫌いで話を進めるな。これは僕が先頭。他の者が同じ態度を取ったら退席願うが君は別。今どうしてそんな態度を示したのか、僕は分かっている」
「私も予想がつきます。ではアラジン様はどうでしょう?縁もゆかりもないペジテ大工房に密告した皇子。このように横暴ですが、しおらしい態度も示せます。豹変に驚いたようですが、どうして密告をして何故態度を翻したと思います?セリム様はもうアシタカ様の隣へどうぞ」
ティダは興味なしというように体を横向きにして座り、机に頬杖ついた。
〈本当に最悪夫婦め。以前のアシタカなら俺を追い出したのに。読み間違ったな。大人しくしてりゃあ良かった。次はやらん。とっとと座れヴァナルガンド。分かりきっているが試しただけだ。なのにアラジンも試すとはシュナは怖い女だな。上座だ。いいか、アシタカもシュナもお前がいるからエルバ連合に信頼示すということだ。何も言わずに飾られとけ。国と妻の名誉がかかっている〉
ティダの伝心術の声はとても静かだった。次はやらん。ティダは咄嗟の出来事に各人がどう反応するのか見定めた。アシタカに提示した。以前のアシタカなら俺を追い出したのに、ということは脅迫的なのはティダ。アシタカは別。アシタカなら乱れた場の空気をまとめて、更にはボブル国へ親愛示すと信じているから汚れ役を買って出た。そういうことだろう。セリムは言われた通りにアシタカの隣に着席した。
今の状況はシャルル王子の時と似ている。ティダが脅して、セリムに預けた。セリムがもやもやして相談したらアシタカがそう考察した。そしてとても腑に落ちた。
「あ、あの。何故密告をしたのか?それは……」
アラジンが目を彷徨わせた瞬間、アリババが唇を動かした。
「あらアリババ様。唇を閉じていらして。私が質問をした相手はアラジン様です。貴方様の人となりはもう分かりましたので良いのです。アラジン様、質問を変えましょう。貴方の父上が侵略戦争をしようとしたらどうします?」
ティダが何故シュナを大鷲と表現するのか分かった気がした。シュナの目つきは鋭い。
「シュナ。君も止めなさい。どう見てもアリババ王子が議論相手だ。大前提はもう良いですか?セリム王子が僕の人柄をそれなりに提示してくれたと思います。何があったのかは親書に認めました。嘘つき呼ばわりで大いに結構。今日は大橋で告げたようにまず議論をしたいです。僕は僕なりに答えを用意してきました。何故戦争など起こるのでしょう?どうしたら多くの者が豊かさと平和を享受できるのか。是非、意見を下さい」
アシタカが全員に微笑みかけた。それからセリムにも笑いかけてくれた。何もしていないのに、ありがとうという視線がいたたまれなかった。
〈阿保め。お前は役割を果たした。まあ、ついでだから自分の意見を述べろ。良い意見が出るとヴァナルガンドの意見は霞むだろうから、印象が残る一番がいいんじゃないか?崖の国の代表として良い印象を残すのは大切だ。アシタカならこう言う。誰でも、自由に〉
「誰でも、自由に。それがペジテ流です」
アシタカがティダの言った通りの言葉を発した。ドメキア王国の大蛇の間での、アシタカとグスタフ王の会談にティダは不在だった。なのに分かったのはシュナから話を聞いたのだろう。セリムもティダに何があったか話したが、シュナは記憶力が良いのでセリムより詳しく伝えられたのだろう。
ティダは不機嫌そうな態度を取っている。しかし演技らしい。何となく嘘臭さはするが気をつけて見ないと分からない。この演技力だから、相手が何を考えてどう動くのか常に考えているから、人を煽ったり出来るのかもしれない。それが時に圧倒的な存在感を放つのか?
「分かりません!でも各国の問題を解決し戦争をしようとする原因を潰せば平和でいられます!それから良いところを分かち合って、皆で協力し合えば豊かになると思います!」
セリムは真っ先に声を上げた。
「戦争など人が足るを知らないからで起こるのです。隣の芝は青く見える。欲が深い。自分勝手。結局その延長です。争いは憎しみを呼び連鎖する。人は生まれつきどうしようもなく愚かなんですよ。そうでなかったら法律や掟など不要です」
冷ややかなシュナの声にセリムは全身の毛が逆立った。シュナはドメキア王国の民を許してなどいない。下手すると人間そのものを憎んでいる。そうハッキリと伝わってきた。それでも許す振りをした。国どころか大陸を背負おうと決意した。アシタカが現れたからだ。
ーーこの深紅のドレスは血染めの象徴
ーー既に血塗れ。刺しても傷など見えません
てっきり過去のことだと思っていたのでセリムは茫然とした。シュナはずっと刺されて悲鳴を閉じ込めて生きていくつもりだ。
セリムがアシタカを見ると、何故かアシタカは燃えるような闘争心を抱いているような目線をセリムに向けてきた。シュナは自分が守るという強い決意の現れだろう。
「あら違いますよセリム様。アシタカ様はセリム様のようになりたいのです。私もです。損得なしでひたすら強い真心を注ぐ。損しかなくても先に与える。ペジテ大工房も私の国もセリム様とラステル様に救っていただきましたもの」
「そうだセリム。君が僕やシュナを蹴り上げた。どうしてそう自覚が無いんだ。まあ、そこも君の良いところだけどな」
あはは、とアシタカが呑気に笑った。それから立ち上がった。黒板にセリムが書いた大陸地図に線を書き足した。ドメキア王国とベルセルグ皇国から伸びた矢印がペジテ大工房へ向かっていたのを、ドメキア王国だけバツにした。それから、アシタカはさあとアリババに掌で発言を促した。
「手始めにドメキア王国に侵略戦争に対する損害賠償を要求します。但し、平和的に解決してみせます。秘書がドメキア王国の方だったので成したと思いました。戦争に至る原因を未然に防ぎ、今よりもより良い世界を作ろうと決意しました。きっかけはセリムなんですね。後学の為に教えて頂きたい。シュナ様。ドメキア王国はどうなったのです?」
その時従者の一人がハッとした顔立ちになった。シュナが気がついてニコリと微笑みかけた。
「あら、ようやく思い至る方が現れたようですね。アリババ王子、ドメキア王国の姫の名は?」
一呼吸置いてからアリババが驚愕した。シュナが立ち上がってドメキア王国とペジテ大工房の矢印を相互にして、ハートマークもつけた。アシタカがハートマークに苦笑いしたがシュナはニコニコしている。
「同姓同名だと思いますよね。お会いしたことがありますもの。侵略してきた敵国の姫に、あまりにも酷い病で辛いだろうと治療して下さったのは何処の国でしょう?一人にだけ、元は美人だろうから余計に辛いだろうと言われました」
シュナがチラリとアシタカを見てからアリババに微笑みかけた。アリババはシュナと面識があったのか。シュナの変わりよう、誰だって気がつかないだろう。一人だけ、のアシタカが首を捻った。
「一人だけ?皆、声に出さないだけだろう。体の変形まで治ったのは奇跡だが、顔は元々と骨格に変化ない」
心底不思議そうなアシタカこそ不思議だ。アシタカの視覚はどうなっているのだろう?シュナへの自分の気持ちにも中々気がつかないのもそう。アシタカは時々変だ。シュナは幸せそうな笑顔をアシタカに向けている。いつの間にかティダがシュナとアシタカを見ていた。
「二度と侵略するな。国内で満足しろ。平和を目指すなら協力して豊かにもしてやる。逆らうなら焼け野原。代わりに美しい慈悲深い姫を寄越せ。王はそのままでもいい。何のことだか分からないので姫を渡せば良いかとまとまりかけた。同時期に反乱が起きた。元々破裂寸前の国だったからな。今度は無血革命で王を選ばなきゃ焼け野原にする。今のままでもいいが、好きにしろ。話し合いじゃなきゃ焼け野原。実はずっと国に尽くしてきた有能な姫は秘書にしたい。王にしたいみたいだけど、残念だったなドメキア王国の民よ。聡明さも美しさも先に見つけたのは自分だから貰ってく」
大体真実だが所々違う。ティダが肩を竦めた。
「まてティダ。どうして君はそうやって嘘を織り交ぜるんだ。アシタカは会談でシュナさんを欲しいとか寄越せなんて一言も言ってない」
シュナが大きく頷いてティダを睨んだ。
「セリム王子。焼け野原というのは?」
アシタカは黙っているのでセリムに言えということなのだろう。
「侵略も先制攻撃もしない。報復するなら高らかに宣言し、ドメキア王国領土を焼け野原にする。ペジテ大工房は豊かで欲しいものは無い。領土を増やす気もない。宣言し逃亡の時間を与える。焼かれるのは国という名の建造物。歴史。国とは民。焼け野原になっても生きてはいけるのだから逆らうならそのくらいする。アシタカ、ペジテ大工房は君一人の独断では動かしきれない。君は相当苦労して、考え抜いて、何とか議会に妥協点を決めさせた」
アシタカは首を横に振った。余裕たっぷりな姿は出会った頃のアシタカとは全然違う。この短期間でアシタカは急激に変化した。人は変われる。アシタカの言葉は、まさに本人のことだ。
「建前上はな。僕は今、絶対的な権力を持っている。戦争をしたらペジテ大工房こそ破滅させる。させられる。そういう力を得た。だからすぐ覆させる。僕の民に殺戮など大恥をさせるか。失敗したら、真っ先に謝罪した姫の臣下や家族くらいは亡命出来るようにしようと手配していた。姫は来ないだろうが彼女が特に守りたかった者達くらい庇護してやろうと思った。何せ彼女は折角、保護したのに民を捨てないと帰ってしまった。重病で苦しんでいて、暗殺必須なのに僕の意見を全無視。僕は有能な秘書が欲しかったから仕方ないとドメキア王国に乗り込んだ」
アシタカまで嘘をついてきた。これはどうしたら良いのだろう?
「さて、議論がズレた。修正しよう。今の議題は何だったかなアリババ王子」
「隠し事に嘘。それはドメキア王国へ行けば分かります。アシタカ殿、貴方がドメキア王国へ乗り込んだのはシュナ姫の為ではない。ティダ皇子と同じだ。西で争いが起これば大陸中が荒れる。親書の内容も嘘ではない。大陸和平。成すつもりでドメキア王国の次にエルバ連合を選んで下さった。セリム王子を信じて」
パンパン、とアシタカが手を叩いた。
「議題は何故戦争など起こるのでしょう?どうしたら多くの者が豊かさと平和を享受できるのかです。僕が非公式会談が出来ればと望んだのは右に倣えという国が欲しいからではない。同じ志を持ち、隣に並び、助けてくれる者が欲しいから。エルバ連合の各王子のことをセリムに聞いて選んだ。ボブル国が筆頭国だからではない。セリムとティダが僕とは違う視点で平和を目指すと言うので、一旦道が分かれる。欲しいのはその代理」
アリババが立ち上がった。ほぼ同時にアシタカがもう一度大きく掌を叩いた。
「議題から逸れるのは意見がまとまってないからだ。一旦お開きにしよう。次はティータイムの時間。十五時にこの場所に集合。発言しなかった者から意見を述べてもらう。セリム、特にティダにはまだ出席してもらうので連れてきてくれ。妻がかけがえのない友人と観光を望んでいる。本当は休日で仕事はしない約束なんだ。こうして、つい働いてしまう。働き過ぎは他者を息切れさせる」
アシタカがシュナの体をそっとアスベルの方へ押した。シュナが澄ました顔でティダの横に移動した。
「私の何もかもを背負って下さったので、そういうことになりました。さようならドメキア王国の民。私の恩に仇を返すので捨てました。しかしアシタカ様に協力すると、恩を返してくれた民を守れる。憎たらしいドメキア王国の民から益々賞賛される。今や聖女のようにチヤホヤされてます。見た目というのは大事ですね。死ぬまでアシタカ様が目指す平和の為に心血注がせます。理由は単純。とっても胸がすきます」
ティダがシュナの肩に手を回した。シュナがいきなり毒を吐くなんて思ってもみなかった。ティダが高笑いしはじめた。
「こんな女なら手離すんじゃなかった。中身は良いが見た目は醜いし抱きたくもねえと政略結婚を取りやめちまって損した。おまけに何もかも持ってる御曹司が総取り。三国の英雄目指したら命乞いした男になっちまった。おい、アラジン。行くぞ。てめえは足りな過ぎる。兄の足を引っ張るな。汚名返上。シュナとラステル妃の機嫌を取れ。そのくらい出来るだろう?俺は忙しいので代わりにこの国を案内しろ。バシレウス!」
シュナがティダの手の甲を抓った。それからティダにもたれかかった。呼ばれた小さき王が扉を開いて入ってきた。
〈アングイスだ!バシレウスではない!〉
小さき王が文句を言いながらするするとティダとシュナを取り囲んだ。
「国とは民である。二度と国に帰れんのに民を背負って戦に出た。囮にされた私や兵を守るのに先陣を駆け抜ける。ベルセルグの奴隷兵を無視しろと叫ぶ。ああ、奴隷兵の先頭を捕虜にしろ。兵力になると密かに自国の友人を庇護しようとしてましたね。互いに男女としては想い合えませんでしたが盟友。照れて素直になれなくても大丈夫。私がこの国の民にしかと伝えますので安心してください。アラジン様、時は金なり。特に私の時間は貴重です。早くなさい」
ティダが不機嫌そうに舌打ちした。何故か三回なので悪い気分ではないらしい。自国の友人を庇護しようとしていた、というのはシッダルタのことに違いない。シュナから聞いて教えてやろう。もしくはシュナから話してもらおう。ティダはシッダルタに嫌われたと本気で落ち込んでいる。
呼ばれたアラジンがフラフラと二人についていった。ここはどこの国だ?崖の国だ。ティダとシュナはまるで自分の国のように奔放。
「セリム。アラジン王子を助けてやった方が良いのでは?どうせティダと二人きりにさせられるぞ。すみませんアリババ王子。あの二人、常に世界の中心に居座ります。一人減りますが、そのうちまた隣に並ぶので助けて欲しいのです。僕にはジャルーシャ王ではなく同世代、新しい時代を担う者が必要。二人で来たなら二人共味方してくれるつもりだったのでしょう?十五時まではのんびり観光しましょう。僕は大自然にずっと憧れていた。アスベル先生、お願い出来ますか?」
アシタカに背中を押された。アリババとアシタカなら二人でも全く問題ないと思ったのでセリムは挨拶をして会議室を後にした。
何もしていない気がするが、アシタカの目にも、アリババの目にも感謝の念がこもっていたので誇らしかった。




