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風詠と蟲姫  作者: 彩ぺん
七章 大嵐の前の静けさ

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王子の帰国と異国からの来訪者6

【大橋の中通路】


 雨風、逆突風が吹き荒れても城塔区と居住区を行き来可能にする為に造られた大橋内部の通路。アスベルは馬にシュナを乗せて手綱を引いた。


「セリム様は貧乏小国などと申しておりましたが立派な建造物に広い国土。正直想像とは違いました」


 楽しそうに中通路を観察するシュナが、アスベルに微笑みかけた。澄み切った大空色の瞳に吸い込まれそうになる。これがあの「ドメキア王国の醜姫」とは信じられない。


「生活は決して豊かではありません。周りが天然要塞なので生き残ってこれたらしく、かなりの年月をかけて暮らし易いようにしてきたそうです。建国して何年か不明らしいですが、エルバ連合に所属するようになったのは二百年前だそうです」


 予想通り中通路には人っ子一人いない。帰国したセリムやラステルに会おうと大橋の上に人だかりが出来ているだろう。ひんやりとした通路に、ぼんやりとした光苔(ひかりごけ)の灯り。


「変わり果てて驚きでしょうアスベル様。ヤムムメルダ砦を突破して密入国。死神剣士が崖の国で宰相になったと聞いた時は驚きました。さらに今日お顔を見て驚きました。あの方が死神剣士だったとは。その節はお世話になりました。手を差し出してくれて、土を払ってくれて嬉しかったです」


 アスベルは息を飲んだ。幼少時の高熱で頭がおかしくなった醜い姫。一度だけ対面したことがある。街中で、姫だと知らなかった。後から知ったが今のシュナとはまるきり似ていない。疑っていたことを見抜かれている。今の発言、替え玉ではないと伝えてきている。


「すみません。疑ったりなど……。その薔薇(ばら)刺青(いれずみ)にも覚えがあります」


「これさえあれば偽れる?まさか。浅はかな国ですがそこまでではありません。この容姿、お祖母様そっくりなのです。そして記憶力。(わたくし)は本当はそこそこ賢かったので、まあ色々と証明出来ます」


 シュナの声は咎める風でも、機嫌損ねた様子でもなく、ただのんびりとしていて楽しそうだった。これさえ演技なのか、本心なのかアスベルには判断がつかなかった。演技なら、よくもまああれ程の道化を演じていた。


「そこそこ?貴方を姫だとも知らずに転んだ娘をちょっと起こしただけ。五分も会話していない。その男の顔を覚えている。もう何年も前の話ですのに」


 シュナが眩しそうにアスベルを見つめた。やはり目が奪われる。見目麗(みめうるわ)しい以上に吸引力が強い。瞳と声だ。特に声。何とも言い表し難い不思議な魅力を持っている。


「いいえ。アスベル様のその優しさが、そして病で辛そうにという純粋な(あわ)れみがとても嬉しかったので忘れてません。それでこの姿、セリム様とラステルが与えてくれました」


 シュナが中通路の遠くの方を見つめた。


「蟲、ですか?」


「ええ。あの二人、少々目立ちます。特にセリム様。ドメキア王国で蟲の民ヴァナルガンドと名乗って王に忠告。慈善活動。空から恵が降ると予言。 目立って仕方ないので神の使いのような扱いにしておきました。見抜く者は誰がドメキア王国に新しい風を吹かせたか知っています。今後大陸和平で表舞台に出てくると色々と厄介ごとに巻き込まれるでしょう」


 シュナが簡単にセリムが何をしたのか語った。シュナから感じるセリムへの強い信頼の正体がようやく分かった。そしてティダの傭兵(ようへい)発言。


「よくよく監視しておきます」


「ええ。(わたくし)とアシタカ様が表舞台で守ります。ティダはこの国で直接。あの少々野蛮(やばん)な男は気にいると何でもしてくれます。セリム様の為に唯一無二の親友も、妻も、国も、矜持も、本来の目的も、何もかも捨ててセリム様を選びました。本人はのらくら語らないでしょうけどね」


 切なそうなシュナの表情にアスベルは胸を打たれた。ティダへの強い思慕を感じる。彼を信じて欲しいと切実な気持ちが真っ直ぐ伝わってくる。


「ティダ皇子の政略結婚相手だと聞いていましたが、アシタカと結婚とはどういうことです?まさか次も政略結婚ですか?アシタカはそういうことが苦手ですが、一皮向けたというか大きく変わったように感じてます」


 王の間での三人は結束力が強そうに見えた。互いに信頼し合う様子とセリムへの惜しみない親しみにユパもジークも心打たれた様子だった。


 馬の(ひづめ)の音が中通路に響き渡る。


「足元も周りも血みどろ。返り血で真っ赤。それを(わたくし)には見えないように地獄をまるで天国のように偽って歩かせてくれる方。しかし隣にはいてくれず、遠く離れてしまう。一方、(わたくし)を、全身傷だらけの血まみれにする方。周りは天国で自らは地獄。そうやって(わたくし)を焼き殺そうとしてくる。けれども共に燃えてくれる方。前者は自由にしてかつ守る。後者は死なば諸共(もろとも)、隣で燃えたいと思いました。燃え続けたら光りますもの」


 思わず足を止めた。どんな比喩(ひゆ)だ。シュナが(うる)んだ瞳で遠くを見つめている。柔らかく、穏やかに微笑んでいた。毒蛇の巣。陰謀渦巻く権力闘争激しいドメキア王国で、自らを偽って何を思って生きていたのだろう。想像もつかなくて、胸が重苦しくなった。


「ラステル……。ラステルの不安や怯えに一番共感したのです。他者には決して分からない埋めがたい虚無。埋めてもらったら大事なものが見えました。(わたくし)、恋の一つや二つ失おうとラステルと面白楽しく語り合いたいです。あの明け透けのなさや、愛嬌(あいきょう)を真似したら人生が豊かになりました。今後も見習います。セリム様ごと守ります」


 シュナが燃え上がるような瞳でアスベルを見つめた。強い決意の炎。シュナがはちきれんばかりの笑顔の花を咲かせた。


「全ての命は愛に燃える。身を焦がして時に破滅することもある。だからこそ、美しく綺麗な炎を胸に灯しなさい。母の教えです。損得なしでひたすら強い真心を注ぐ。損しかなくても先に与える。(わたくし)は一番の恩人夫婦の炎に燃えます。炭になる前にティダは予定以上に奉仕してくれて、アシタカ様は荷物を増やしても駆けつけてくれました」


 あはは、とシュナが軽やかに笑った。アシタカの笑い方によく似ている。


「あとは恋など本能。穏やかで温かいアシタカ様にすっかり夢中なのです。ティダも他の女性を見つけて転落。お互いに手を結んでいた方が得なので政略結婚ではなく政略養子縁組をしたことにしました。やりたい放題好き勝手する親子です。大恩ある王たる器には、ドメキア王国の民は逆らえない。逆らわせない。どいつもこいつも死ぬまで国に心血注がせます。小国の王より覇王の片腕の方がうんと高く飛べますもの」


 愉快(ゆかい)でならないというようにシュナがくすくすと笑った。笑い方が徐々に高笑いに変化した。ティダの高笑いそっくりだ。突然の辛辣(しんらつ)さなのに、人間臭さを感じさせて妙に好ましかった。心身共に美しい遠い存在、得体の知れない不気味さが吹き飛ぶ身近さ。自覚して演じているにしても、目にも態度にも嘘偽りの匂いがほぼしない。シュナにとっては呼吸をするようなものなのだろう。


「あら、申し訳ございません。父に似てしまったのです。アシタカ様とお(そろ)いですがそのうちティダを(わたくし)達に似せます。全くもって静かでも穏やかでもなくて疲れる。アスベル様、ティダに遠慮は要りません。すぐに場の空気を持っていく。自覚して抑えてあれです」


 困ったというようにシュナが頬に手を当てた。アスベルはまた馬を引いた。


「弟子が政略結婚などではないようで嬉しいです。まあ、政略結婚だとしても相手を大事にする男ですがね。このような娘さんに好かれるなど果報者だ。おまけに途方も無い理想に付き合ってくれる。いつもどこか(さび)しそうでしたから」


 シュナが頬を膨らませて大きくため息を吐いた。突然の不機嫌さにアスベルは面食らった。


「弟子にどういう教育をされていたんです?セリム様は期待と信頼の重圧で(わたくし)を鉄の処女の中に閉じ込める。セリム様とラステルが好きすぎて出ない道を選んでしまいました。アシタカ様は不安で寂しくてならないからと(わたくし)を選んでくれたのに、お礼に良い伴侶を探すと言い出す。貴方が大好きですという態度で乙女の純情踏みにじる殿方を(わたくし)は知りませんでした」


 シュナがアスベルに歯を見せて笑った。ラステルの笑い方にどこか似ていた。どういうことだ?アシタカに聞いてみろということだろう。シュナがまたクスクスと楽しそうに笑った。嘘偽りないような楽しげな姿に心が温まる。セリムとアシタカの師だから親愛寄せると言わんばかりの態度。


 蟲の恐ろしさを伝えたい、医療技術を提供したいという身勝手でドメキア王国を多少なりとも荒らしたことにはまるで言及してこない。余裕がなく自分の主張に必死で、騎士にも手を掛けた。彼女の部下もいたかもしれない。なのに、シュナは一言もその件には触れない。


「それはすみませんでした。セリムはもうあれは無駄です。根っこが張り巡らされていて引っこ抜けません。アシタカには苦言を呈しておきます。このように慕ってくれてる相手に伴侶を探すなど、まさかそんなトンチンカンなことを言う男だなんて知りませんでした」


「ええ。何にも効果が無くて困っています。セリム様にラステル、ティダと彼の妻アンリ。(わたくし)の姉なども苦言を呈してくれましたが妙なのです。ちんちくりん」


 シュナがまたクスクスと笑った。中通路の端に到着したのでアスベルはシュナを馬から下ろした。体力をつけたいから歩きたいと頼まれたが、ここから先こそ足腰を使う。驚いたことにシュナがアスベルの腕に手を回した。ごくごく自然な仕草。


「あら申し訳ございません。習慣でして。崖の国の文化としては良くありません?ペジテ大工房では好まれないようです」


 違うだろうとシュナの顔に描いてある。セリムと同じように腕を組んだことがあるのだろう。アスベルは首を横に振った。


「むしろ自分こそが相応しいと我先に男が寄ってくる国です。気をつけて下さい」


 シュナが不思議そうに首を傾げた。それから気がついたというような表情になった。


「ではアスベル様の隣から離れずにいます。やはりセリム様はとても慕われているのですね。ラステルがセリム様の妻だから皆がチヤホヤしてくれると言っていました。(わたくし)もセリム様の友人、珍しい外国からの来客として大歓迎してもらえると聞いています」


 見当違いの解釈に苦笑が()れそうになった。自身の見た目や雰囲気がどれほどなのか、測り損ねているのだろう。


「ええ。それにこの国は男も女も自らを誇り、少々傲慢(ごうまん)。下手すると遠慮なく押し寄せてくるので離れないで下さい」


 少し考えるように視線を動かしてから、シュナが胸を張った。肩周りが露わで胸を主張するような形のドレスなので、少々目のやり場に困る。


「人あしらいには少々自信があります。しかし是非護衛をよろしくお願いします。二人きりなのはアシタカ様とティダからの信頼です」


 中通路から大橋の上へ出る階段を上がった。まるで待っていたというように、目当ての人物と遭遇(そうぐう)した。


 エルバ連合筆頭国、ボブル国王太子アリババと弟アラジン。正装のアリババ王子と庶民服を(まと)う軽装のアラジンが二人並んでいて、後ろに従者がいる。崖の国の民に囲まれている二人がシュナとアスベルに気がついた。


 驚愕(きょうがく)したアリババ王子が勢いよく近寄ってきてシュナの前に(ひざまず)いた。シュナの手を取り、彼女の顔を見上げて爽やかな笑顔を投げた。白いターバンを飾る装飾が風に(なび)き、太陽が宝飾を輝かせる。シュナしか見えないという熱視線に眩しい笑顔。


「初めまして美しいお嬢様。私はアリババと申します。どうかお名前を教えてください」


 アリババがシュナの手の甲にキスしようとするのを、シュナがやんわりと静止した。シュナがアスベルから腕を離し、それから恥ずかしそうに身をよじった。


「このようなご挨拶に慣れていなくて申し訳ございません。(わたくし)、シュナ・エリニュスと申します。初めましてアリババ()()()。そして()()()()()()()。お会いしとうございました」


 シュナがアリババに微笑みかけてからアラジンに笑顔を向けた。アラジンが真っ赤な顔で茫然(ぼうぜん)としている。アリババの表情が変わった。シュナの見た目の美しさに目を奪われたようだったのが急に観察するような視線に変化した。


 シュナの目つきも変わった。鋭くて相手を気圧そうとする威圧感を発している。アスベルは一歩引きそうになった。このような女性だとは思ってもいなかった。


「ユパ王に謁見しているペジテ大工房御曹司アシタカ様の名代として先にご挨拶に参りました。(わたくし)、アシタカ様の秘書を務めております。西の大国ドメキア王国では新国王ルイ・エリニース・ドメキアの宰相。崖の国レストニアの王子セリム様と妻ラステル様に大変お世話になっております。此度(こたび)は観光に参りました」


 シュナがアリババに右手で握手を求めた。それに親しみ込めた可憐な笑顔。もう威圧感は引っ込めてある。ほぼ全国民を(あざむ)いていただろう彼女が、如何に国民に真の姿を受け入れさせたのか何となく察した。演技力、圧倒的な存在感、観察力、そして先程アスベルに示してきた記憶力。どう見ても年下のシュナがアリババを食っている。


 負けじと威風堂々とした態度を示すアリババが爽やかな笑顔でシュナの握手に応じた。アリババの顔は少し強張っていて、緊張感が隠れていない。


「エルバ連合ボブル国が王太子アリババ・ジャルーシャ・ジャガンナートです。共通の友人がいて嬉しいです。大橋の向こうに丁度彼等がいるようなのでご一緒にどうですか?弟と共に会いに行こうとしていました」


 探るような視線のアリババにシュナが愛くるしい笑顔を投げた。アリババは涼しい顔を作っている。シュナが同じ笑顔をアラジンに向けたあと、困ったような(すが)るような視線を投げた。さらにはアラジンに駆け寄っていった。


 大橋の石畳につんのめったシュナが転びかけ、アラジンが慌てたように受け止めた。シュナの体を支えたアラジンはシュナに見惚れている。


「ありがとうございます。粗相(そそう)者ですみません。(わたくし)、……高いところが恐ろしくて橋の中を連れてきてもらったのです。セリム様やラステル様をここで待っていたいのですが良いでしょうか?すみません。セリム様やアシタカ様の顔に泥を塗らぬようにと立派にご挨拶をしたくて気を張っていましたが、やはり怖くて……」


 シュナが大橋の下の断崖絶壁と川や海に視線を向けて身震(みぶる)いした。顔色も急に悪くなった。これが演技なら巧み過ぎる。


「立派でしたよ。顔色がとても悪いです。立っていられますか?あの、アラジンです。セリムから話を聞いているようで嬉しいです。まさかこのような格好なのに気づかれるとは、貴方の目はとても優れている。それに美しい瞳だ。まるで宝石のよう……」


 シュナに縋り付かれているアラジンがシュナを抱きしめようとした。シュナがズルズルと腰を落とした。視線がアスベルに向けられた。さあ助けてくれと言わんばかりの寄る辺なさ。悲鳴をあげそうな程に怯えているように見える。これが全部計画的な態度?


 アリババがシュナに駆け寄ったのでアスベルも移動した。


「大丈夫ですか?真っ青です。相当怖かったのですね」


 問いかけたアリババと見惚れているようなアラジンの手をさりげなくすり抜けて、シュナがアスベルに体を預けた。それから恥ずかしそうに微笑んだ。


「このようにみっともなくて……恥ずかしいです……。高いところが怖いのもありましたが、どちらかというと緊張が解けたのと旅疲れでしょう。セリム様とラステル様のご友人に粗相があっては困ると気を張り過ぎてこの有様。お二人の事、王子としてとても手本になり、頼り甲斐がある。困っていると助けてくれるとセリム様から聞いていまして……。本当にそうだったので安心して気が抜けてしまいました」


 ふふっ、とシュナが親しみやすい子供っぽい笑顔をアリババとアラジンに投げた。アスベルに鳥肌が立った。これが全部計算と演技ならば恐ろしい女性だ。アシタカがどうやってシュナを秘書という座に就かせたのか想像もつかない。このシュナと夫婦になったというのは大丈夫なのか?しかし、シュナのアシタカに対する思慕は相当強そうだった。


ーーアシタカ様は荷物を増やしても駆けつけてくれました


 アシタカはシュナに何を与えたのだろう。


ーー(わたくし)は一番の恩人夫婦の炎に燃えます


 セリムとラステル、アシタカやティダへの強烈な思慕をアスベルに語ったのは今の振る舞いへの布石。比較すると今のシュナはどこか嘘臭いと感じる。小さな違和感。だが、何も知らないアリババとアラジンは気がつかない。こんなの気づけないだろう。


 こうして対比出来るとシュナが誰を、何を信じているのか強く伝わってくる。言葉ではなく態度でも示すという事なのかも知れない。そこまでとは考え過ぎか?


「風車塔で談笑でもして待ちましょう。誰か、セリムを呼んできて欲しい。急がなくて構わない」


 アスベルはシュナを抱き上げた。見た目から分かるのに、馬へ乗り降りさせるのに持ち上げてもいたのに、腕の中にすっぽりとはまったシュナの小ささと軽さ驚いた。絶対に守らないといけない存在。そう言わんばかりの寄る辺なさ。これは他者を、特に男を()きつけてやまないなと感心してしまった。流石にこれは自覚していないだろう。


「いいえ。ラステル様が観光案内すると張り切っていて待ちきれないので会いに行きたいです。みっともないので歩きますが、怖いのでしがみついていてもよろしいです?アスベル様。こんなに心配していただいて具合も良くなりましたし」


 シュナの顔色はすっかり治っている。アスベルがシュナを下ろすと、シュナがアリババとアラジンに向かって優雅に会釈した。それから後方の従者や崖の国の民にも親しみこもった笑顔と会釈を向けた。場の空気を完全に支配している。


「では反対隣で私が盾となりましょう」


 アリババが堂々たる姿で進み出たのをアラジンが押し退けた。しっかりと王太子らしく振舞っていたアリババが初めて顔を崩した。


「兄上よりも頼りになるこの俺が盾となりましょう」


 アリババはもう澄ました顔になっているが、アラジンには(とが)める視線を投げた。


長幼の序(ちょうようのじょ)と申しますのでアリババ様にお願い致しまします。(わたくし)のせいでアリババ様やアラジン様の品格を落としてはなりません」


 シュナがアリババに手を差し出した。アラジンは何のことやらという表情。シュナがアラジンにさり気なく見下すような視線を投げ、察した様子のアリババには尊敬めいた目を向けた。


 子供は大人を敬い、大人は子供を慈しめというシュナの発言。アリババが苦笑してからアラジンの背中を押した。


「このような素敵な方の隣は大事な弟に(ゆず)ります。そして私はその隣。一番盾になる位置です」


 シュナが微笑んでアラジンの腕に手を掛けた。アラジンはシュナに夢中というような表情。シュナがアラジンを引っ張って耳元で小さく(ささや)いた。


「アラジン様が親しみ易そうなので有難いです。そこまで察してくださる兄上とは(うらや)ましいですわ」


 アリババにも聞こえるような絶妙な大きさの声。それに加えてシュナはアラジンには見えないように、アリババへしたり顔を向けた。それからウインクしてにこやかに笑った。


 貴方は学があり、皮肉も飲み込めるのですね。そう言わんばかりの上から目線にも見えたがアリババは降参という様子。アリババが(まと)っていた張り詰めたような空気が軟化した。


「きゃあああああ!」


 甲高い、黄色い悲鳴が(とどろ)いた。大橋の向こうは拍手が鳴ったり静まり返ったりしていたが、かなり遠いのでそこまで気にしていなかった。それを切り裂くような嬌声。


 城塔近くの大橋、その中央で異彩を放っているのはティダだった。大狼と大きな蛇を両脇に従え、誰かに抱きつかれている。


「何だ?」


「何でしょうか?」


 とりあえず歩き出した。


「アリババ。あの男……。大きな狼とはもしや大狼兵士ではないか?隣の大きな蛇は何だ?」


 アラジンがこそりとアリババに耳打ちした。


「だろうな……まさか共に現れるなど……アシタカという男と手を組んでいるというのは本当なのか」


 シュナは聞こえてませんというようにアスベルに崖の国の景色を質問してくる。向こう側は騒めきが激しい。シュナがアリババとアラジンに声を掛けても生返事だったので、こちら側には沈黙が流れた。


 アリババもアラジンも向こう側に注意がいっているので、シュナも素のような様子で観察している。微笑は浮かべているが妖艶(ようえん)さが醸し出されていて先程までの親しみ易さは消えていた。ジッと向こう側を見つめていて、何か策を練っている様子。


 ティダに抱きついているのは見知らぬ黒髪の女だった。ティダが女に抱きつかれたまま体を回転させると女は離れて行った。また悲鳴が上がった。同じ声だった。


「なんという……」


 体の向きを戻してアラジンとアリババを見据えるティダに、アリババが感嘆(かんたん)の声を()らした。


 アスベルがティダを一目見た時と似たような感想を持ったに違いない。何か騒動が起きていて、人の意識はティダの背後に向かっていて騒めいているのに彼だけがアリババとアラジンへ意識を向けてきている。取り巻く空気が一人だけ違う。


「セリム様の友人。(わたくし)の盟友にしてアシタカ様の片腕です。ご挨拶すると思いますが無礼者ですのでお気をつけ下さいませ」


 シュナがティダに手を振ると、ティダの口が動いた。ティダはそれきり背中を向けて周りの空気に馴染(なじ)んだ。


「シュナ様。あの者の名は?」


「ご察しの通りです。もう少し小さな声で話すか口を閉じている方が良いと思いますよ?壁に耳あり大橋にも耳ありというような言葉がございますでしょう?まあ悪口や疑心ではなかったので良かったです」


 アリババの質問にシュナがにこりと笑った。アリババとアラジンが顔を見合わせてからシュナを見つめた。シュナはツンッと澄ました顔をして二人を無視した。アリババが参ったなという乾笑いを(こぼ)し、アラジンが目を白黒させた。


 騒めきが終わり、今度は歌が聞こえてきた。高らかに歌いながら両手を繋いでくるくると回るのはラステルと見知らぬ女。心底楽しそうな様子に周りも手拍子をし、踊り、歌っていく。


 どういう状況なのだろうか?


 ティダの隣にアシタカが並んだ。いることに気がつかなかった。ティダと並ぶとまるで空気。今後大丈夫なのだろうか?セリムがアスベルとシュナ、そしてアリババとアラジンに気がついて破顔した。


 セリムが大きく手を振った瞬間、ラステルと踊っていた女が動作をやめた。鉛色の軽装の鎧。黒い髪に黒い瞳。年はラステルくらいだろうか。やはり知らない女だった。


「きゃあああああ!」


 嬌声を響かせた後、女が全速力というようの走ってきた。とんでもなく速い。武器は何も携帯していないようだが、険しい表情と隙のない身のこなしにアスベルは身構えた。


「星姫よ!貴方が星姫ね!ソレイユよりも美しいだなんてそうに決まっているわ!なんて素晴らしい匂いなの⁈ラトナの泉と同じ匂いがするわ!まるで宝石のようだわ!」


 突然の事態にキョトンとしたシュナにソレイユが飛びかかってきた。そのソレイユを大狼に(またが)るティダが小脇に抱き上げた。ソレイユに意識がいっていたのもあるが、音もないような走りでいつ移動していたのか気がつかなかった。これがかの噂の不敗神話の大狼兵士。


「如何にもその女は星姫だが礼節がなっておらん。ソレイユよ、我が妹だと言うなら敬意を示して淑女(しゅくじょ)らしい態度を示せ。先に手本を見せてくれる」


 ティダがシュナに目配せすると、驚いて固まっていたシュナがドレスの裾を指で摘んでふんわりとドレスを広げて会釈した。ティダがソレイユと呼ばれた娘を投げると、ソレイユがシュナの前にトンッと降り立った。


「初めましてソレイユ様。(わたくし)はシュナ・エリニュスと申します。親しき友の国へ初来訪出来て胸がいっぱいですのに、盟友ティダ皇子の妹様に会えるとは今日は人生の中でも一、二を争う幸せな日ですわ。素敵な歌声に歌詞でした」


 優雅に、深く頭を下げてからゆっくりと顔を上げるとシュナがソレイユに一歩近寄って左手を差し出した。ソレイユはシュナに釘付け。赤い頬で固まっている。


「手と手を握るのを握手と申しまして親しくなりたいという意思表示です。(わたくし)は心臓がある左手は特に親しくなりたい方に握ってもらおうと思っています」


 シュナがチラリとアリババとアラジンに視線を投げた。両名共にシュナの右手と握手をしていた。突然の事態なのによくもここまで余裕があると感心した。


「あ、あ、あの……。ソレイユです……。ティダ皇子とは生き別れで先程初対面しました。それから運命の方にも会いました。そのような素晴らしい日に星姫のような素敵な方に会えてもう胸がいっぱいです……」


 うっとり、というようにソレイユが胸の前で両手を握りしめて左右に体を揺らした。それから華麗に会釈してシュナと握手した。更にはシュナを抱きしめて頬にキスした。屈託無い笑顔で更にシュナの額にもキスした。ソレイユがキョトンと目を丸めた。


「星の皇子様の匂いが全くしないわ。むしろフェンリス兄様(あにさま)の匂いがほんの少しだけするわ。貴方、本当に星姫?違うなら宝石姫ね。どちらにしてもソレイユを極上の女性にしてくれる見本だわ」


 大狼から飛び降りたティダがソレイユの肩に手を回した。


「見直したソレイユ。素晴らしい挨拶だった」


 ティダがソレイユの頬にキスして何やら長めに耳打ちした。ソレイユの目が大きく見開かれ、ティダを軽く睨み、それからシュナに尊敬の眼差しを向けた。


「本当に、本当に星姫だわ!なんて素晴らしいの!」


 ソレイユがチラッとアリババとアラジンを見た。それからアスベル。シュナへの態度とは打って変わって無表情で無関心そうな顔付きだった。ソレイユがシュナの手を取った。


「行きましょうシュナ姫。この国にいる間はソレイユがシュナ姫の護衛をするわ。とっても強いから安心して。ラステルと海岸を散歩すると約束しているの。シュナ姫もラステルも弱々だから、この寒さだと泳ぐのはソレイユだけかも。ラステルともお友達でしょ?そういう気がするわ」


 ソレイユがいきなりシュナを抱き上げて走り出した。こちらに向かってくるセリム、アシタカ、ラステル、人の群れに向かって手を振って合流したソレイユがアシタカの前にシュナを立たせた。ソレイユは一瞬だけ振り返って、こちらに嫌そうな顔を向けた。


 海風に湿気が多く混ざるようになり、風も更に強く冷たくなっている。


 乱れる黒髪を手で抑え、ソレイユを見送ったティダの表情や態度はガラリと豹変(ひょうへん)していた。激しい拒絶と警戒心(けいかいしん)。それに相手を食ってやろうという気迫。アリババとアラジンは珍妙だったソレイユに気が向いていて気づいていない。


 ティダがアスベルに向かって口角を上げた。


「エルバ連合ボブル国の王太子アリババ様とお見受けする。隣国ベルセルグ皇国第三皇子ティダ・ベルセルグです」


 穏やかで静かな声にアスベルは息を飲んだ。アシタカのような雰囲気。しかし目が暗く、鋭く、ギラついている。それを隠すように(うつむ)いていて、アリババとアラジンは気づいていない。これか、ハイエナレオンと第二皇子の犬皇子と言われる由縁(ゆえん)。中身がどんな男か知らなければ目の奥の光には気づかないだろう。キナ臭さは感じるが、建前だろうというくらい。


 アリババが口を開く前にティダが心底申し訳なさそうな表情になった。いや、作った。


「私も皇子。皇帝が戦争をするというのなら身を投じなければならない。そう思っていましたが止めるべきでした。国境線戦にて貴国の多くの命を(うば)ったことを先に詫びます。すみませんでした。正義の敵も正義。我が国も多くの命を失っています。ここは両者の友人の国ですのでどうかこれにて手打ちにして下さい」


 胡座をかいてアリババとアラジンに深々と頭を下げ出したティダの態度を見て、(うな)るしかなかった。


 風で(ひるがえ)る安物そうなティダの黒い外套(マント)が、一瞬ベルセルグ皇国の国紋をあしらう銀刺繍がされた黒国旗に見えた。錯覚するほど強烈な存在感。


「ティダ・ベルセルグ、君の働きぶりにはその程度の手打ちでは足りない。敵国の皇子を許すという慈悲に対してもこの手打ちでは足りない。愛する者を背負って散った命に対する賠償(ばいしょう)にもならない。各国の問題を解決し戦争をしようとする原因を潰さねばならない。そうでしょう?武力行使は傷を残しいつか膿み憎しみが憎しみを呼ぶ」


 平伏すような大狼と大きな蛇の間に、穏やかで爽やかな笑顔のアシタカが立っていた。アスベルはこのようなアシタカを知らなかった。圧倒的な存在感。今ならティダにもシュナにも引けを取らない。ティダと対のような白い服。ドメキア王国の服も白い外套(マント)も上品で質も良さそうだが宝飾は何一つない。なのに、豪華な服のアリババが見劣りする。


 アリババが胸を張って一歩前に出た。強張っているが堂々としていて精悍(せいかん)な顔立ち。少し震えて見える。アリババが口を開く前にアシタカが右手を差し出して屈託無い笑顔を投げた。


「初めましてエルバ連合筆頭国、ボブル国王太子アリババ様。第二王子アラジン様。肩書きが多いので割愛します。至宝アシタカ・サングリアルです。争わないようにと考えることは正義。至極当然(しごくとうぜん)です。血が流れないようにと願うのは当たり前で正しいこと。では何故戦争など起こるのでしょう?どうしたら多くの者が豊かさと平和を享受できるのでしょうか。僕とどうしたらよいのか議論してくれませんか?」


 握手をしようとしたアリババの手が空振りした。アシタカがティダの腕を掴んで立たせた。アシタカがアリババとアラジンに疑心と不信感の強い視線を投げた。顔は笑顔のまま。


「目の前に殴られようとしてる奴がいるのに眺めてるんじゃねえアシタカ。この国の民に痛烈に批判されたので撤回(てっかい)してもらいにきました。誠意ある謝罪に即座に対応せず、僕と挨拶など期待外れかもしれません。セリムにとても素晴らしい王子と聞いていたのですが……」


 アシタカがつまらないと言うように指を弄って目線を落とした。アリババは隠し切ったが、アラジンが屈辱に顔を歪めている。アシタカとティダは二人を見定めたというように、アラジンを無視してアリババに向き合った。アシタカは穏やかな笑顔。ティダはアシタカに呆れたような表情を向けた。


「全てを許し全てを愛せ。亡き父ヌーフ殿の顔に泥を塗らないで下さいアシタカ様。己に相応しい言動を伴わせろと何度申せば伝わりますか?大陸覇王であるペジテ大工房の民に処刑されますよ。侵略戦争に駆り出された弱き民を保護し、解放した慈悲深い民。手を差し伸べる方法が無いのか必死に考えている多くの議員達。そのような民の信仰の中心、象徴たる存在なのですからもっとしっかりして相応しくなって下さい」


 ティダの澄ました顔の批判に、アシタカがあはは、と呑気な笑い声を上げた。それから困ったという顔をアリババとアラジンに向けた。


「君の真似をしようとしたのに手厳しいなティダ。やはり僕は威風堂々と先陣に立てる大きな器ではない。挑戦してみたが大失敗のようだ。まあ、多くの荷物を持てないし、すぐ間違えるから仕方がない。アリババ王子、アラジン王子、無礼になってしまってすみませんでした。色々と挑戦中です。僕の国では大掟破りは追放で独裁が死刑。それなのに大掟を破り独裁をしてしまいました。平和の使者にならないと許さないと民に脅されて働いているのですが難しくて困り果てています。助けてくれませんか?」


 アシタカが再度アリババに手を差し出した。今度は左手。


「どんな方かと思っていたら不思議な方ですね。何故わざと真逆の態度を示したのか考え、どちらが本当なのか見抜けという挑戦状だと思うことにします。貴方の秘書に左手こそ真実というようなことを聞きました。是非、議論しましょう。エルバ連合筆頭国、ボブル国次期王の予定のアリババ・ジャルーシャ・ジャガンナートです。お会い出来て光栄です」


 アシタカとアリババが火花を散らすように見つめ合った。アラジンは完全に無視されている。しかし屈辱を通り越したのか、呆然としている。


「偶然大国の代表が遭遇(そうぐう)するとは吉人天相(きちじんてんそう)というものですかね」


 ティダがコツコツコツと靴音を鳴らした。それが合図というようにアリババとアシタカが握手をした。


 歴史的瞬間かもしれない。アスベルの全身の毛が逆立った。セリムが連れてきた崖の国への来訪者は歴史に名を残すような者達に思えた。それだけではなく、セリムは激動の大嵐の初風も連れてきたかもしれない。


 嵐の先陣だと言わんばかりに、雨が降り始めた。

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