王子の帰国と異国からの来訪者4
【崖の国城塔、王の間】
ユパは黙ってアシタカの話を聞いていた。シュナとティダは終始無言。シュナの隣のティダに至っては壁にもたれかかって目を瞑っている。我関せずという態度。時折シュナがティダの膝を軽く叩いても無視している。
「ドメキア王国との和平協定を結婚式典にて締結。各国の王や代表を招き、エルバ連合には会談の提案。グルド帝国とベルセルグ皇国には高らかに宣戦布告。ドメキア王国への賠償要求と似たようなことをします」
ユパは唸った。目の前に出された書類の題名。
大陸連合
概要をまとめてきたという数枚の紙。簡潔明瞭だが密度は濃い。詳細もしかと考えてあるのだろう。
そしてペジテ大工房、ドメキア王国、エルバ連合で始めようという提案。
大陸平和と安全の維持、経済・社会・医療・文化などに関する国際協力の実現を行うという理想。いやもう動き出している。アシタカはまず外界の頭を見事に抑えた。そして次はエルバ連合。セリムを通して信頼示してきている。ベルセルグ皇国には奴隷兵を慈悲深く解放という布石。隣に皇子もいる。
最後に縁の薄いグルド帝国。しかと周囲を固めて包囲。戦争ではなく平和的支援を盾に脅迫という手段。信頼だけではなく、背後には巨大武力という剣。
「いつからこのようなことを考えていたんだ?」
アシタカが腕を組んで考えるように絨毯を見つめた。
「分かりません。偽りの庭に閉じ込められている生活がずっと不満でした。掟を破って還俗してもドームの中だと不満。いつもどうやったら自由になれるのか考えていました。国際交流とかそういうことを……。医療福祉なら絡めれば許されるなど……」
アシタカが腕を組むのを止めて両膝に手を当てた。崖の国を、所属するエルバ連合ごと支援しようという大国の御曹司を床に胡座をかかせているというのが申し訳無かった。
「ジャルーシャ王から聞いたのだが、アシタカ殿の父上ヌーフ殿。昔から親書を送っていたそうだ。息子がいつか現れるので力添えを頼みたいとな」
ジークがアシタカに微笑みかけた。アシタカは感激するかと思ったら髪をくしゃりと掻いた。父親を亡くしたばかりの反応にしては違和感があった。
「いつも先回りしているんです。僕はいつも父上を非難していたのに……。ずっと親不孝でした。しかし、期待に応えた。これからも応えます。どうせ父上は息子を蹴り上げろとか書いていたんでしょう。……父親とはそういうものですか?」
アシタカがジークに眩しそうな目を向けた。
「そうだ。心配しながらも期待する。アシタカ殿はヌーフ殿の誇りだろう」
アシタカが嬉しそうに破顔してから胸を張った。沈黙貫いていたティダが壁から離れて目を開いた。
「あの狸はベルセルグ皇国皇帝レオンにも親書を送っていた。俺が燃やす係。毎度毎度、大技師教義のことが書いてあった」
アシタカが目を大きく開くと、ティダが口角を上げた。
「どうせベルセルグ皇国はいつか牙を剥く。誰か出てこいとでも思ってたんだろう」
シュナがティダの顔を覗き込んだ。
「まあティダ、貴方わざと私に婿入りしてきたのね。追い出されたなんて嘘ばかり。どうもティダの嘘は見抜けないのよね」
ティダがシュナの髪をぐしゃぐしゃにした。折角綺麗だった髪がボサボサになった。シュナが唇を尖らせて乱れた髪を手で直した。
「残念、不正解。どの道国を出るつもりだった。状況的にドメキア王国だっただけだ。ペジテ大工房に密告した理由がヌーフ殿の親書だということだ。ペジテ大工房をつつけば支援者が誰か出てくると思った。ヌーフ殿本人かもしれん。出てきたのは息子アシタカ。まさかの空から落ちてきた」
ティダがアシタカに不機嫌そうな顔を向けた。
「アシタカ様に総取りされて悔しいのですね。拷問くらいされるだろうが、懐柔するとまで言っていたのに」
シュナがくすくすと笑った。アシタカが驚いたようにティダとシュナを見た。
「僕の総取り?僕は右往左往していただけだ」
「お前はあっさり俺と手を組み、議会も脅した。俺は三国背負う英雄を目指したのに、単に密告して命乞いした男になっちまったじゃねえか。おまけに大技師の肩書きつけてベルセルグ皇国の裏切り者を保護。なんていう男だ」
ティダが三回舌打ちをしてアシタカを睨んだ。アシタカが澄ました顔でティダから顔を背け、ユパに微笑みかけた。
「僕と手を組むと良いとユパ王に示すために自分の手柄を僕に押し付け。こういう態度で相手に他人を信じさせる。ジーク殿、ユパ王、彼はそういう男です」
「先陣で私の内乱後押し。蟲に手を出すなと叫び、ベルセルグの奴隷兵を無視しろと叫ぶ。ペジテ大工房には手を出すと巻き込まれると密告。蟲を止めようとするパズー様やラステルを助けに行く。何よりセリム様の支援をしました」
アシタカとシュナの発言にティダが大きなため息を吐いた。
「最悪な夫婦め。おいシュナ、ちゃんと夫を祭り上げろよ」
シュナがツンとそっぽを向いた。
「アシタカ様にはアシタカ様の功績があります。ティダをアシタカ様の真下に飾るんですから世間に正しい評価をしてもらわねばなりません」
ティダがユパに微笑みかけてきた。嘘くさい笑い方だが、よくもまあここまで一気に表情を変えられるなと感心してしまった。
「アシタカ殿はすぐ謙遜します。私は大したことはしていません。ペジテ大工房の件を見事に解決したのは崖の国の三名です。セリム、ラステル、パズー。彼等のお陰で私達は今ここにいます」
ティダが無表情になった。それからアシタカとシュナに目配せした。
「分かった分かった。そういう態度が出来ることは知っている。セリムの家族だから素でいるというのに刺したりして悪かった」
「私は謝りません。真実を話しただけです。ジーク様、ユパ様、ふてぶてしいのがティダの素です。しかし公の場ではこのように振る舞えますので安心して下さい」
「そうだアシタカ。それなりの態度を示したら即座に見抜かれた。先程もすぐに嘘くさい顔だと見抜いた。なのに信頼示してくる目。過剰になると困るので余計なことを教えるな。俺は大したことをしてない。勝手に持ち上げるな。大人しく俺に祭り上げられとけ。シュナ、お前は許そう。お前の事は基本的に許すしかない」
鼻を鳴らしたティダの嫌そうな顔を見て、ジークが大笑いした。アスベルは苦笑いを浮かべている。
「ユパよ!すっかり相手に飲まれているぞ。アシタカ殿、強力な片腕を手に入れたな」
シュナがすぐにジークに可愛らしい笑顔を投げた。
「ええ。人類の至宝となるアシタカ様。隣はこのシュナ・エリニュス。紅の宝石という名前ですので相応な人間となりアシタカ様を飾ります。足元で番犬が守ってくれます」
シュナがティダに微笑みかけた。ジークが益々笑った。ここまで笑うジークは珍しい。
「このように僕は今後苦労します。更にもう一人いますからね。ジーク殿、貴方の息子さんだ。話を戻そう。いつから考えていたか?戦争をしようとする原因を潰す、セリムがそう言った時に大陸連合のことを考えはじめました」
アシタカが困ったように髪を掻いたあと、背筋を伸ばしてジークをジッと見つめた。その後ユパを見据えた。
「正確にはそう言ったヴァナルガンドにパズーが"俺やアシタカが賛同してくれないとセリムはすぐ死ぬ"と怒鳴ったから、だろう?」
ティダが愉快そうに笑った。アシタカも同じような表情で微笑んだ。
「さらに正確に言うとティダ、君が僕よりも先にセリムの話を聞くと言った時だ。あと、目の前に殴られようとしてる奴がいるのに眺めてるんじゃねえアシタカ。何処かの誰かがそう言った。ユパ王、崖の国の平民というのは恐ろしい。大国の御曹司アシタカを見事に外界に飛び出させた」
この発言には驚きを隠せなかった。アシタカは笑っているが目が怒っている。パズーがそのような批判をアシタカにしたとは想像も出来ない。ティダが高笑いしだした。
「ふはははは!これで何度目だアシタカ?相当根に持っているんだな。パズーは他人の顔色を伺って生きていたのだろう。だから的確に相手を刺激する。無意識もありそうだがな。ユパ王、なんか知らんがパズーはドメキア王国で騎士になると駄々を捏ねた。役に立つのに逃げるので、とりあえずアシタカの部下にしておいた」
シュナがユパに笑いかけた。油断すると見惚れてしまうのでかなり神経を使う。
「自信が無くてセリム様の強い信頼に押し潰されてしまったようです。ゆっくり自信をつけて立派になり、セリム様に助力をしたいと言っています。しかしラステルが可及的速やかに崖の国に帰国させて欲しいと申すので、教育に関して厳しい所に配置しました」
シュナが呼び捨てにするのはラステルだけだなと思い至った。それ程親しいのか、そう示したいのだろう。後でラステルから話を聞けば分かる。
「セリムの目付から僕の目付です。何もかも手に入れたような僕を捕まえて、言いたい放題やりたい放題。目が覚めるので側に置いておきます。目の前に殴られようとしてる奴がいるのに眺めてるんじゃねえアシタカ。なので、この大陸連合です」
アシタカが書類を手で示して、穏やかな笑顔を作った。やはり目が怒っている。ティダがアシタカに指摘したように相当根に持っているのだろう。ユパはジークとアスベルに目配せした。二人とも大きく頷いた。
「大陸連合の件了承した。我が国がきっかけだと示されて突っぱねるなど恥。おまけに立ち上げの一角に選んでもらうとは誉れ。エルバ連合の王達に愚息と評されているセリムの名誉回復も出来る。小国の王で役に立つか分からんが、ボブル国や他の所属国との間に立とう。アシタカ殿は天運も持つようだしな。一昨日からボブル国から来客が来ているぞ」
アシタカの表情がより精悍になった。
「名誉回復の為にボブル国からの来客と僕との仲介はセリムにお願いします。セリムの不名誉は僕が発端です」
誰が来たとは言っていないが、アシタカは誰なのか察している様子。アシタカからボブル国の王に渡して欲しいと託された親書。宛名はジャルーシャ王だったが、内容は違ったのだろう。
「ボブル国から第一王子アリババ殿、第二王子アラジン殿、それから従者数名が来国している。アリババ王子がアシタカ殿とこの国で会う約束をしていると申すので滞在してもらっている。セリムを間にして挨拶をどうぞ。アシタカ殿、崖の国はエルバ連合から離脱をしない。信頼して間に立つということを忘れないでくれ」
アシタカが大きく頷いた。ユパは玉座から下りて絨毯の上のクッションに胡座をかいた。
「ここから先は弟の友人との談話だ。ドメキア王国までひっついて行って何をしていたのか知らんが、ここまでこの国に信頼示してくれるようなことをしたのだろう。まだまだ幼く迷惑を掛けた筈だ。無事帰国させてくれてありがとうございます」
ーーペジテ大工房にはエルバ連合を守ってもらいます。代わりに僕が先陣に立ちます。
本当に成してきた。友と妻、そして身一つで国を背負ってよく頑張ったと褒めたい。
ティダが急に立ち上がってアシタカを脇に退かした。それからシュナもアシタカの方へ追いやり、ティダはアシタカが座っていた位置、ユパの前に胡座をかいた。
「無事ではない。問題ばかり抱えて帰ってきた。まず一つめ、あらゆる文明持つ生物と人が良好な関係を結ぶ機関を立ち上げたいという我儘。二つめ、蟲の王レークスなる者から民を強奪。三つめ、この国はそのせいで下手すると狩られる」
脇に追いやられたアシタカがティダの横にドカリと腰を下ろした。
「これより友としての忠告と支援の話です」
シュナがスッと立ち上がりアスベルに会釈した。物腰柔らかく優雅で、一挙一動が目を惹く。
「私、アシタカ様の為にボブル国の方々にご挨拶して良い印象を与えておきます。セリム様もここから離す。アスベル様、宰相な上にセリム様とアシタカ様の先生と伺っております。是非ご案内をお願いします。ユパ様から話があるとは思いますが私が軽く話します」
「アスベル、任せた」
アスベルが立ち上がって小さく頷いた。アスベルがシュナと共に部屋を後にした。
「ティダ殿、傭兵というのはこの件か」
ティダが大きく頷いた。アシタカはティダに任せるのか唇を真一文字に結んでいる。
「ヴァナルガンドやラステルが何があったか色々と語るだろう。二人が知らぬ話を二つしておく。前提としてヴァナルガンドと俺は蟲のうち大蜂蟲という種族と蟲の王と会話出来る」
「僕は蟲の王のみです。大蜂蟲の声が聞こえたり、聞こえなかったりします」
二人して秘密の共有をしてくれた言わんばかりの言動。
「セリムから蟲というのは固有の言葉を有し独自の文明を築いていると聞いている。それからホルフルという蟲森が砂漠の向こうにあるのだが、そこの大蜂蟲と家族になったらしい。民を強奪、それに崖の国が狩られるとはどういうことだ?」
ティダが髪を掻き上げた。ゆっくりとした堂々たる雰囲気で人目を奪う。演技ではなさそうなので素だろう。無意識で発するこの空気感。シュナは自分が片腕だと告げたが、アシタカの片腕は間違いなくティダだ。アシタカには足り無い抗いがたさ。逆も然り。ティダには隙や親しみやすさが欠落している。服が白と黒なのもそうだが、対のように感じる。光と陰、太陽と月。
「ユパ王よ、弟は貴方のそうやって観察するところを真似ている。さりげなさは身に付いていないようだがな。色々あって大蜂蟲は途轍もなくヴァナルガンドを気に入った。共に生き共に滅ぶ。死なば諸共。ヴァナルガンドを信じ抜き支えれば一番幸福になれると判断した。ホルフル蟲森の蟲も賛同した。ヴァナルガンドは王候補となった。育てられてホルフルの民と大蜂蟲の王となる」
予想だにしていなかった事を告げられてユパは絶句した。セリムが蟲の王になる?
「どういう事だ?セリムが蟲の王?何があった?どうしてそんなことに……」
言葉を失っていたユパは、問いかけを発したジークを見上げた。
「複雑な話だから割愛する。古代、蟲は人と暮らしていた。蟲の民としよう。蟲の民は悪魔狩りにあって死んでいった。蟲は人を見抜く力に優れている。共に生きるべき人間と殺したい程嫌いな人間。まあ下等生物を根絶やしにする程蟲は暇ではないので無視して暮らしてきた。ごくたまに気にいる人間がいれば援助」
アシタカがティダの腕を肘でつついた。
「おい、色々と省略し過ぎじゃないか?」
「いいんだよ。ヴァナルガンドが嬉々として話す。あいつは絶対に俺達よりも多くを知っている。大陸和平の件で俺達が背負い過ぎだと遠慮して語らん。特にお前にはあまり話さないだろう。俺がお前に教える。世話役に情報が無いと困るのにヴァナルガンドは妙なところで頑ななんだよな」
ティダが大きくため息を吐いた。ティダがアシタカの肩を三回軽く叩いた。アシタカの顔色が変わった。やる気に満ちているようだったのに、余計にそれが強くなったように感じた。
「ごくたまに気にいる人間が現れた。ヴァナルガンドだ。大蜂蟲の家族に受け入れられた。ヴァナルガンドはシュナを信じドメキア王国が平和になるように自分なりに励んだ。王を蹴り上げ、王子を蹴り上げ、王家仲良く大国を導け。貧困街で慈善活動。やりたい放題だ」
アシタカは何も言わない。本当なのだろう。戦に囮先陣役で出征させられ、内乱まで起こしたシュナに、敵対している王や王子と手を取って仲良く国を導け?
「シュナはセリムを信じました。自分が許しを選び王や王子を管理すれば血みどろの革命は起こらない。まあ、そんなところです」
アシタカが複雑そうな顔になった。
「まあ、そんなところです。ではない。話してもらおう。親として確認しないとならない。他国の政治に首を突っ込んで何をした?支えになるというので見送ったがやりたい放題?」
ティダが何か言いたげなアシタカに目配せした。
「ヴァナルガンドは自分なりに励んだ。他国の政治にどこまで首を突っ込んで良いのか分からない。目の前で困っている者は見捨てたくない。ヴァナルガンドなら骨を埋める覚悟を持ったかもしれん。不審者と殺されかけても、王が聞く耳持たなそうでも平和的な道をと説得。王は無理だったが見事王子の心を動かした。他国の民が飢えで死ぬのを知らんぷり出来ずに蟲に恵みをと頼んだ」
ジークは眉根を寄せて険しい顔をしている。ユパはセリムをやはり褒めてやりたいと思った。ティダの言葉の端々から尊敬の念を感じる。アシタカの複雑そうな表情が気になるが、やはり尊敬のこもった目をしてくれている。
「蟲に頼んだ。どうなった?」
崖の国に毒消しだという金平糖のようなものが降り注ぎ、大蜂蟲の子が海から魚を獲ってきたことを思い出した。
毒消し。
「まず海産物が降った。これはヴァナルガンドが頼んだと言ってた。王子を引っ張って保存食を作ったり、分配したりと王家の良さを披露した。次いでシュナ。知らぬだろうが病で奇形だった。毒消しが降り注ぎそれで完治。まさに奇跡だ。ヴァナルガンドは頼んでない。一番国に奉仕していた姫に奇跡が起きた。それこそ無血革命の最大の要因。アシタカの作戦にシュナの手腕もあるが、この奇跡のお陰で成功した」
「ドメキア王国は蟲から色々と慈悲を与えられてきた国でした。だから昔の奇跡が伝承やおとぎ話として残っています。シュナはそれに自分を重ねて乗っかりました」
ジークの顔の険しさが軟化した。シュナが「セリム様とラステルが支えてくれて無事に無血で革命を成せました」とだけ告げたその裏側。
「シュナはヴァナルガンドやラステルが好きだからと蟲を庇って死ぬところだった。恐らく毒消しはその恩返しだろう。無血革命途切れそうな時に俺が蟲に人を脅せと言ったら乗ってきた。見事無血革命を成せばシュナの色である赤い雪が降った。大半がヴァナルガンドを心底慕う大蜂蟲の幼生の好意だった」
ティダとアシタカの表情が暗くなった。好意だった。悪いことが起こったということだろう。ティダが大きく息を吸った。
「最悪のタイミングでドメキア王国兵が蟲森を侵害した。まさに恩を仇で返した。しかもよりにもよって一番恩を返すべき大蜂蟲の幼生が殺された。激怒だ激怒。まあ普通は蟲が暴れて終わる。しかしヴァナルガンドを慕う大蜂蟲の幼生は人殺しを嫌がった。ヴァナルガンドに救いを求めた。蟲の王も無下には出来ない」
アシタカが泣きそうに顔を歪めた。
「セリムはこう言っていました。蟲は人に与え続けてきた。なのに感謝一つしない。侵略ばかりしてまた殺した。健気で優しいアピスの子を一方的に虐殺した……幼弱な羽を懸命に動かして、遠路はるばる飛んできて、恐ろしい海から食料を運んだアピスの子を笑いながら殺した……生きたまま、楽しいと燃やした……」
ティダが大きく息を吐いた。
「その大蜂蟲の幼生が人殺しを嫌がり許し願うから蟲の王は報復を高らかに宣言した。ヴァナルガンドと妥協点を模索するつもりだった。蟲の王はシュナをドメキア王国の代表にすれば何とかなると考えた。しかしヴァナルガンドがそれを許さなかった。シュナにこれ以上背負わせるな。これ以上刺すな。罪に相応しい賠償を新国王に要求した」
アシタカが首を横に振った。
「セリムは新国王を支えて蟲と人の間に立つつもりでした。解答も考えてあったんでしょう。しかし新国王の態度がセリムの怒りの炎へ油を注いだ」
ティダがアシタカに興味深げな顔を向けた。
「へえ。ヴァナルガンドをあれ程怒らせらせたのはルイか」
「僕がついていながら不甲斐ない。蟲のことをとても好いているセリムの心情に寄り添いきれなかった。ルイは突然の事態に動転して怯えてた。シュナと比較されれば自信も持てない。セリムの目には疑心と不信に映った」
ティダが首を横に振った。
「いや俺の判断が間違いだった。ヴァナルガンドは蟲の憎悪の本能に飲まれんからそんなに手助けはいらないだろう。シュナとアシタカも揃っている。過信せずに近くにいてやれば良かった。まあ俺達の手落ちだ」
ティダがユパとジークを順番に見つめ、ジークに軽く頭を下げた。謝罪なのだろう。ジークが首を軽く横に振ったがティダとアシタカは二人揃ってまた頭をさぜた。
「セリムが怒ってどうなった?あの子は怒ると少々厄介だ」
ティダが顔を上げて呆れたように肩を揺らした。
「少々?とんでもない事態になった」
ティダが首に手を当てた。アシタカは苦笑いしている。
「ジーク殿、セリムが怒る時はどんな時でどうやったら治ります?」
ユパは額に手を当てて大きくため息を吐いた。どうなったのか何となく想像がついた。
ーー罪に相応しい賠償を新国王に要求した
とんでもない事態とは先程ティダが告げたことだ。
「息子は独自の道徳観念を持っていてそれを破られ続けると怒る。反省と改善を提示させてその後の態度も監視する。まあ目移りしやすいから興味深いものがあるとコロッと怒りを忘れたりもするがな」
ジークが済まなそうな視線をティダとアシタカに向けた。
「ヴァナルガンドは激昂して人として人を裁くと言い出した。蟲には背負わせない。ヴァナルガンドは元々蟲の色々な記憶を覗いて知っていたようで、怒りでごちゃ混ぜになった。ドメキア王国兵が多少殺して巣を破壊した件なのに、二千年もの間人が蟲にしてきた仕打ちに対して怒り狂った。大激怒。ヴァナルガンドが求めたのは二千年もの罪に対する賠償」
二千年もの罪に対する賠償。頭が痛くなった。セリムは思い込みが激しいところがある。
「それはまたなんてことを……。二人はどうやってセリムを宥めてくれた?」
ジークが更に済まなそうな表情になった。
「支えたのはラステルとシッダルタだ。話を聞く限り冷静なのと激怒を行ったり来たりしたようだ。ヴァナルガンドは相当強く大蜂蟲と繋がっている。怒るたびに強く繋った。蟲はヴァナルガンドが自分達の為にここまで怒ってくれて胸がすいた。なのにヴァナルガンドが許さないから巣に帰るに帰れない。蟲の王もお手上げ。蟲一族と盟約交わす一族であるアシタカに泣きついた」
アシタカが呆れたような顔になった。
「違う。シュナが言い出した。新国王としか交渉しないというセリムに嘆願する。大陸和平というなら蟲一族も対象。セリムやラステルさんが好きだからもう蟲が好きだってな。僕は背中を押されただけ。それで蟲の王が接触してきた」
「鶏が先か卵が先かってだけだ。で、面倒なことに蛇一族というドメキア王族の守護神も激怒して現れた。巨大な海蛇達だ。蛇一族の守護対象に相応しい姫、シュナへの仕打ちに怒って、蟲の怒りに便乗してきた」
ユパは開いた口が塞がらなかった。ティダがアシタカの肩に手を回した。
「アシタカが全部纏めた。大陸和平に蟲一族や蛇一族、大狼を入れるとヴァナルガンドが成したいことをアシタカが背負った。怒ってばかりで許さないヴァナルガンドを大蜂蟲の幼生が非難してそっぽを向いた。大蜂蟲の親蟲にも叱られ、ヴァナルガンドは何も出来なかったと悔しがり落ち込んだ。ついでに新しい蛇一族という興味対象と出会い怒りを忘れた。あと蟲から古代の記憶を掘り起こして大興奮」
アシタカが目を細めてティダを睨んだ。
「違うだろう?蛇一族の件はティダ、君が纏め僕に乗っけた。全くお前はちょいちょい嘘を入れるな。ジーク殿、ユパ殿、セリムは大蜂蟲から多くの記憶を掘り起こしました。古代、人は蟲と共に生きていた。二千年、人を滅ぼさないで許してきた理由を持っているんです。セリムはそれでは足りない、もっと豊かに幸せになって欲しい。そうするべきだ。人も蟲と正しく付き合えれば今より豊かで幸せになれると考えたんです」
ティダがアシタカの肩から手を離して肘で小突いた。
「俺は何もしてない。ったく本当にお前は嘘つきだな。この訳が分からなくなった状況の中、ヴァナルガンドはラステルとシッダルタと三人で決意を固めた。人と蟲の間に立つ。罰は過小でも過大でもいけない。武力行使なんてもってのほか。そういう仕組みを作る。この辺りはヴァナルガンドが語るだろうから割愛。ここまで蟲の為に怒り、そして生涯も死後もずっと蟲の幸福に尽力すると言い出したヴァナルガンド。大蜂蟲は選んだ。信じた。何だか知らないがホルフルの民もくっついてきた」
生涯も死後も蟲の幸福に尽力する。
「狩られるとはそういうことか。何をするつもりなのか分からないがその活動を続ければ噂が立つ。大蜂蟲はセリムの為に頼まなくても色々と与える。ここが拠点ならこの国は蟲の国と誤解を受ける。いや、セリムを後押しして蟲の国と変わる。ティダ殿、貴方が傭兵になるというのはこの為か」
「追加するとヴァナルガンドやこの国が害されると蟲は大陸中を火の海にするかもしれん。よってアシタカとシュナは外交で支援。俺は戦闘力しかないので単なる傭兵」
ティダはアシタカとシュナの支援もするつもりがある。なのに単なる傭兵の発言。ユパはジークと顔を見合わせた。
「ティダが成したいことは僕とシュナが背負う。代わりにティダは僕達三人が守りたいセリムとこの国を守る。セリムはティダぐらいじゃないと大人しくしない。悪魔狩りのようなことが起こらないような基盤を僕達が整えるまで、セリムが目立たないようにしたい」
ティダがアシタカを睨んで、また肘で小突いた。
「お前こそ嘘を言うな。俺は器が小さいので優劣つけるしかない。ヴァナルガンドを選んだだけだ。国をポイっと捨てた。極悪非道な皇子。しかし仕方がない。矜持に目的、命。何を壊されてもヴァナルガンドには文句を言わん。唯一無二の親友ヴィトニルが俺の友だと選んだからだ。頂点だと言ってあるアンリには言えんがヴァナルガンドはアンリと横並び、むしろ上かもしれん」
ティダが「全くもって最悪だ」と呻いた。セリムが自国よりも上。ジークが驚愕している。ティダはぶつぶつ「また屍」「俺は最悪だな」と自分に対する文句を言っている。
「ティダ殿、貴方を近衛兵になど……」
ん?とティダが不思議そうに面をあげた。
「何だよ。他の仕事でも構わんが王族の周りに配置するなよ。俺は素でいると何故か国を荒らす。ドメキア王国でもちょろっとやってみたら見事反乱起こった。お前らが嘘くさい態度だと目で非難するから、俺は自由に振る舞うしかない。国防担うのに近衛兵以外なら何になるんだよ」
ジークが苦笑した。ユパも呆れた。先程単なる傭兵と告げたのに、国防担う。
「好きにしろ!」
ジークが大笑いした。本当に珍しくゲラゲラと腹を抱えて大笑い。ティダが面食らった。
「息子は余所者に荒らされるような国を作っておらん!本人も蹴落とされるような男ではない!そしてそこまでセリムに尽くすと言うなら好き勝手せよ!国防担うなら近衛兵の頂点に置こう。住まいはこの城塔。アシタカ殿の言葉を信じてセリムの目付監視役。ティダ皇子、君は私の側仕えにする。公務には参加。呼んだら来い。その際は報告をしてもらう。あとは自由にしろ。義務と権利だ」
ジークの決定にティダの顔が青ざめた。普通は喜んだりやる気を出すところじゃないのか?
「おいアシタカ聞いたか?最悪だ。この俺を縛るという。ヴァナルガンドより優先が出来たらどうする。また捨てる。本山やグルド帝国も視察せんといかんのに……。いや、誓わんので問題ない。良いだろう旧王ジーク。俺は誓わん。許されたので好き勝手する。偉大な男の父親には敬意を示し、この国を捨てるまで側仕えとなろう」
ティダの顔色が良くなり涼しい澄ました顔付きに変わった。アシタカが茫然としている。
「では祖国を裏切り、政略結婚の相手に袖にされ、ヴァナルガンドに泣きついて亡命してきたとしよう。得体知れないから旧王の監視下。ふむ。それらしい」
ジークが即座に「却下」と告げた。ティダが顔をしかめた。
「国とは民である。二度と国に帰れんのに民を背負って戦に出た皇子。セリムと親しくなり同じ理想を追うというので崖の国が引き取った。仲立ちはペジテ大工房のアシタカ殿。ふむ。それらしい」
勢い良くアシタカが立ち上がった。
「ペジテ大工房の名誉国民にして大技師。国内に不在だと知られた際はこう言おう。恩人が自由に、好きに生きることを許す民ならば僕は大技師を継ぐ。僕が死んでも家族の誰かが継ぐ。ペジテ大工房は滅びない。ふむ。それらしい」
ティダが立ち上がってアシタカに詰め寄った。
「表向きの大技師の座は譲位すると決めただろう?そもそも俺とシュナを和平交渉の使者としてドメキア王国に帰国させるなら大技師になると屁理屈捏ねて議会を脅していたのは誰だ。俺を縛るな。独裁で殺されろ」
ティダがアシタカの髪をぐしゃぐしゃに撫でた。
「死ぬか!独裁で処刑なら二度とペジテ大工房には帰らん!しかも古代の真実、大技師一族の真実教えて一族郎党と亡命だ!ドメキア王国と蛇一族と蟲一族の権力を縦に人類の至宝を目指す!大狼もいる!ふははははは!」
アシタカがティダの髪に手を伸ばしたが避けられた。ムキになったアシタカの手が何度か追いかけたが無駄だった。なのに突然ティダがピタリと止まり素直に髪をぐしゃぐしゃにされた。アシタカを見つめてジッと黙っている。
「どうした?」
「行くぞアシタカ。アリババにアラジンだっけか?どうせシュナにデレデレしている。配置出来るような駒になるように蹴り上げる。あとヴァナルガンドと俺に珍客らしい」
ティダがアシタカの背中を扉の方へ押した。アシタカが深々と頭を下げて扉を開いた。ティダはユパに向かってヒラヒラと手を振ったが、ジークには優雅な会釈をした。城内の構造をまだ知らない筈なのに二人は王の間から去っていった。
「ユパよセリムは面白い友を作ったな。この国は滅びると思うか?」
ジークが満足そうな表情を浮かべたのでユパの眉間に自然とシワが寄った。
「気高い誇りとなら国が滅んでも構いません。民の受け入れ先がある。避難経路を更に増やします。セリムにばかり与えられて王などとは名折れ!その顔、俺が見事アシタカ殿と横並びになり歴史に名を刻むことになった時にしてもらいますよ」
ジークがユパにも同じ表情をしてくれたが、不満だった。まだまだ子供だと思っていたセリムが身一つで国を守れる巨大な権力を手に入れてきた。崖の国が消えようとも、民は生きていけるだろう。そうしないとならない。
狩られる事態が起ころうとも、セリムが破滅を引き連れてきたとは言わせない。盾になるとも言わせない。しかと生き抜いて誇りを抱いて生きてもらう。
生きている尊さを愛し、人を愛し、生き物を愛でよ。
敵にも真心を捧げ、憎しみを受け止めて許しを選べ。
それが小国ながら、決して豊かでもないが、五百年も続いてきた崖の国レストニアだ。




