王子の帰国と異国からの来訪者3
海風の匂い。セリムは大きく深呼吸した。帰ってきたと強く実感する。一方であまりの懐かしさに、何年も国から離れていた気がした。兄クワトロに全員を紹介するとセリム達は城塔へと向かうことにした。カールだけまるで愛想が無い。
ケチャやクイに何処と無く似ていて、美人なので近衛兵が次々と親しみ込めて挨拶しても無視。アンリがやんわりと窘めても無視。
ラステルはハンナと赤鹿に二人乗りして、手綱を引くアルマと談笑している。大自然を歩きたいというフォンとそれに付き合うマルクもラステル達と楽しそうに会話していて、セリムは誇らしかった。幼いだの、もっと王族の妃らしく育てろとティダに文句を言われていたがラステルはきちんと公務を果たせている。
セリムの隣で赤鹿に乗っていたシッダルタが赤鹿に振り落とされた。くるりと回転して見事に着地したシッダルタに近衛兵が何人か拍手した。シッダルタはびっくりしたように固まり、そのあと俯いてしまった。
「恥ずかしいからと下を向くと自信無く見えるぞシッダルタ。だから赤鹿に振り落とされる」
シッダルタが赤鹿に乗り直した。
「恥ずかしいというか、こんなに温かな歓迎を受けたことが無いので驚いて……。セリムの人柄を作った国だともう実感している」
いつも何処か暗い悲しそうなシッダルタの瞳がキラキラと輝きながら、国を見渡したのでセリムはとても嬉しくなった。
「セリム師匠、シッダルタさんってどこの国の王子です?セリム師匠と同じで手が豆だらけだから小さい国ですか?」
「俺が王子⁈まさか!俺はど……。農民だよリノ君。牛飼いもしていた」
苦笑いしたシッダルタにリノが信じられないという眼差しを向けた。
「リノ。どうしてシッダルタが王子だと思ったんだ?師匠に教えて欲しい」
話して良いのか?という探るような目をしたリノの肩をセリムは軽く叩いた。数は三回。三は特別な数字だと、後でリノに教えるつもりだ。
「セリム師匠とお揃いの服で、礼儀正しくて優しいからです。手に豆が沢山あるのもセリム師匠と同じだから大きい国の王子ではないなと思いました。大国の王子、アシタカ王子やアリババ王子の手は綺麗です」
セリムはリノの頭を軽く撫でた。
「しかしシッダルタは農民で牛飼いだった。なのに王子と思われた。つまりとても頑張ってきた男なんだ。それでシッダルタは僕と学者になる。僕を助けてくれるんだ。学者では食っていけないので仕事もする」
リノがシッダルタに尊敬の眼差しを向けた。シッダルタが困ったようにセリムを見たが無視した。シッダルタは人から認められる自分自身の良いところを、受け入れていかないとならない。
「参ったな。過大な評価をされると暮らしにくくなりそうだ」
「過大な評価?」
リノがセリムを見上げた。
「シッダルタはパズーと同じで自信が無さ過ぎるんだ。シッダルタ、自らを正しく評価して誇りを抱け。じゃないとこの国では生活し辛いぞ」
パズーがセリムと、崖の国と袂を分かったのはそのせいだ。
「ふーん。パズーよりもずっと凄い人に見えるけどシッダルダさん。パズーは全然怖くない子蟲君から逃げ回るくらいなんだ」
「リノ、パズーさんだ。あと話し方も。シッダルダはこの国で暮らす予定なので良いがお客様が近くにいる。気を抜かないように」
リノがしまったという顔になった。
「リノ君は大変だ。セリムは誰かれ構わず"なってない"という目をする。一緒に学ぼう。あとパズーは子蟲君を克服して怖い騎士達とも打ち解けている。人懐こさと怖いもの知らずな所を俺は見習おうと思っている」
シッダルダがパズーの名誉を守ってくれたことに、セリムは胸が熱くなった。しかも全くわざとらしくなく、本心という様子。
歓声が聞こえたのでセリムは赤鹿を止めた。
「何しているんだあの二人?」
シッダルダが不思議そうに首を傾けた。セリムも首を捻った。アンリとカールが赤鹿で崖登りをしている。二人とも近衛兵に手綱を引かせた筈なのに、一人で乗りこなしていた。セリムは方向を変えて近衛兵の集まりに近寄った。ラステル達を取り囲んでいたのにいつの間にか半分以上の近衛兵がカールとアンリの周りに集まっている。
カールが鞘に納めたままの剣を高々と掲げた。銀色で装飾見事な剣が陽の光で煌めく。アンリがスカートの下、ズボンに巻いたベルトから刃が長めの短剣を引き抜いた。鞘からは外さない。
「アンリさん!俺の剣をどうぞ!同じ長さの方が良いと思います!」
オットーが自分の剣を鞘ごとアンリに投げた。アンリは見事に掴んで、そのまま両手に剣を握って構えた。
「ありがとうございます!」
セリムは近くにいるトマに何があったのかと声を掛けた。
「カールさんが赤鹿に自分で乗ると言い出して、色々と注意していたアンリさんが挑発されて、皆が囃し立てて」
隣のベルトルトがワクワクした顔をしてアンリとカールを見つめている。カールとアンリは間合いを保ったまま、円を描くように赤鹿を歩かせている。殺気強いカールと、殺気はないが燃え盛るような闘志を出しているアンリ。
はっきり言って怖い。
「アンリさんは小さな女性なのに近衛兵の大半は敵わなかったじゃないですか!セリム様は不在でしたっけ?」
前回、アンリとダンが視察として近衛兵と交流を持ったことは知っていたが、手合わせしたとは知らなかった。アンリはかなりの負けず嫌い。挑発されるような人ではないから、わざとカールと対峙したのだろう。この方がカールが人と接すると判断したに違いない。
「クワトロ兄上!折角他国の手練れが近衛兵達に見本を見せてくれるというので、色々と頼みます!カールさんもアンリさんも兄上と年が近く酒も好むというのでお願いしたいです!ハンナさん達は僕が案内します!」
遠目でもラステルにデレデレしているので、クワトロに押し付けようと思った。見抜かれているのか、クワトロが肩を揺らしてから赤鹿で駆けてきた。マルクがクワトロの赤鹿に飛び乗ったことに驚いた。クワトロは一瞬振り返ったが涼しい顔をしている。何か喋っているが聞こえない。
「セリム様、カール様と別れるまでもう時間が短いです。シュナ様のために退職されたとはいえ直近まで元帥だった雲の上の存在、カール様に直々に教えを乞いに行ってきます!アンリさんからも学んでおきたいです!」
「この国の男は勇ましくやる気のある若者が好きだマルク君。セリムと二つ違いなら是非、切磋琢磨して欲しい。セリムの相手になれる者が少ない。鼻が高く伸びないようにしないとならないからよろしく頼む」
セリムはぶすくれそうになるのを我慢した。クワトロがすれ違う時にシッダルダにウインクした。クワトロならカールでも上手くあしらってくれるだろうとセリムは赤鹿でラステル達の所へ向かった。
「セリム!どうなっているの?」
ラステルとハンナが乗る赤鹿の隣に並ぶとラステルが不安そうに近衛兵達の人垣を見上げた。
「兵は兵同士の交流の仕方があるみたいだ。クワトロ兄上に任しておけば大丈夫。カールさんとアンリさんが手合わせして、多分マルクも加わり、最後は全員で始まる。フォンさんはどうする?」
「俺は遠慮します。自信のある射撃なら参戦したいですけど違うみたいですし。それに怖い上官と泥臭いことをするよりも、こっちの方が楽しそ……情報収集と異文化交流をするのにマルクと二手に分かれます」
ラステルがくすくすと笑った。セリムもシッダルダと顔を見合わせて笑った。シッダルダがフォンに手を差し出した。
「あー、シッダルダ。赤鹿に二人乗りはまだ無理だと……」
セリムが伝える前にフォンと手を繋いだシッダルダが赤鹿に振り落とされた。
「まあ、大丈夫ですか?」
「あら大丈夫?」
ラステルとハンナが同時に声掛けるとフォンがシッダルダに文句を言って、シッダルダが心の底から申し訳なさそうに眉毛を下げた。フォンが面食らって「そんな態度は困る」とシッダルダの背中を叩いた。フォンとシッダルダは年が近いし、共にパズーと仲良くしていたのでこの二人も良い友人になるだろうなという予感がした。
〈これより先は行けない?まあ大蜂蟲、オーガの里に二人で行くのは怖いわ〉
〈ここから先は人の領域也。子が頼み込むので案内した〉
〈セリムは優しい。でもバリムだからホルフルアピスの子は巣で遊んでもらうまで話さない。ソレイユが来たと伝えるだけ。姫もいるから大丈夫。ヘトムに古いテルムの子もいる〉
大蜂蟲と大蜂蟲の子と知らない女性の声がした。ソレイユという女性に話しかけてみたが無理だった。大蜂蟲の子にも拒否されている。いくら謝っても許してくれないが、巣で遊べば許してくれるのか。単純だな。
〈セリムよ客を連れて来た。お前と同じ妙な生物だ。何も教えてくれないが子がすごぶる懐いているので問題ない。森の端まで案内して来た。我らは帰る〉
〈ヘトム?テルムの子って伝説のテルムの子孫?オーガの里にいるなんて信じられない!妙な生物ではなくソレイユよ!バピス!蟲の民セリムはどこなのかしら。私が探せないって変な意識よね。ありがとうホルフル大蜂蟲!名前も教えて貰ったから探すわ!〉
それきり声はしなくなった。森の端とはシュナの森の端ということだろう。バピス。バカな大蜂蟲のことか?話し方も幼いし子供かもしれない。
「ラステル、城塔前で待っててくれ。皆が君を歓迎している。フォンやハンナさんを紹介してくれ。リノ、お前もお客様を任せた。マルク、ラステル達を頼んだ。僕はシッダルダを軽く案内してくる。行こうシッダルダ!」
セリムは赤鹿で駆け出した。シッダルダが後ろからついて来たのを確認してから途中で速度を落とした。
「突然どうしたセリム?」
「ホルフルの家族が僕に客だと。名はソレイユ。声が女の人だった。子供かも。あとは不明。蟲の民セリムに会いにきたらしい」
セリムは赤鹿で崖下りをしたが、シッダルダには無理だと止まった。先に行くか迷ったが待つことにした。これからは二人だ。自分勝手を治すと決めている。
「迂回しろシッダルダ!待ってる!」
「ああ!少し待っててくれ!」
セリムは川側に移動してシュナの森がよく見えるようにした。特に誰も見当たらない。ボブ山脈とメルテ山脈に建設した砦も静か。危険そうな人物なら鐘が鳴る。旅人のようなら発煙筒が上がるがそれもない。
ボブ山脈に人影らしきものが見えた。
「待たせたセリム」
「あそこ、僕には人のように見える」
セリムが指で示してもシッダルダは「分からないな」と返してきた。
「いや、あれか?人かは分からないが何か動いているな」
行こう、とセリムとシッダルダは赤鹿を走らせた。
「セリムの言う通り形は人っぽいな」
「一人は抱きかかえられている。なんて身のこなしだ」
ほぼ垂直の岩山を跳ねるように降りている。やはり形は人だ。抱えられているのは体格的に恐らく男。線は細いが肩幅がしっかりしていて髪も短め。アシタカと同じくらいの髪の長さ。焦げ茶色の髪が強風でバサバサと揺れている。
男を抱えているのがソレイユだろう。影で顔は見えないが、長い髪を横流しにして三つ編みにしている。装飾品なのか頭の上がキラキラと青く光っている。白くて袖も丈も短いワンピースに鉛色の胸当て。膝当てや肘当ても同じ素材。長い靴も同様。風で翻ったワンピースの裾から短くて黒いズボンが覗いた。簡易な武装だがどう見ても兵士だ。しかし頭上の装飾品とはチグハグに感じた。
「あの色、蟲の殻みたいに見える。簡易な鎧だが兵か?」
「分からない。女性の方はソレイユと呼ばれていた。多分客とはあの二人だな」
地面に降り立つとソレイユが男を立たせて歩き出した。ソレイユは革製の手袋をしているだけで何も持っていない。ざっと見た感じ、武器は何もなさそう。男の方は腰に下げた鞘から剣を抜いて構えた。二人ともキョロキョロとしている。男は警戒心たっぷりだが、ソレイユは無防備で呑気そうだ。
セリムは速度を落とした。突進などすると怖がらせるだろう。
「オーガの里は怖いと言っていたからゆっくり近づこう」
オーガとは知らない単語だ。シッダルダが目を丸めた。
「オーガ⁈俺達の国に伝わる怪物のことだぞ!」
「何だって⁈」
シッダルダが叫んだ時、砦の鐘が鳴り響いた。たった二人とはいえ砦前を通過せずに、国内に現れた抜刀している兵らしき人物。警鐘も鳴らすか。
「大鷲凧にしていれば良かった。急ぐぞシッダルタ!」
シッダルダの赤鹿の方が早い。砦から近衛兵が何名か出てきた。男がソレイユの後ろに隠れて剣だけ前に突き出している。女性を盾にするとはどんな教育を受けているんだ?
「ソレイユさんとお見受けする!近衛兵の方々!セリム王子の客人です!」
砦から威嚇の為にソレイユ達のかなり前方に放たれた弓矢をシッダルタが短剣で払った。砦の近衛兵はシッダルタを知らないので不審そうにシッダルタを見つめ、剣を構えている。
「彼は僕の友人だ!それからそこの二人も……」
ソレイユの悲鳴が上がった。しかし恐怖ではなく、嬌声。両手を胸の前で握りしめて左右に揺れている。ラステルそっくりな仕草にセリムは赤鹿から落ちそうになった。
「フェンリス兄様よアデス!想像通りの皇子様だわ!ソレイユがオーガに襲われたら現れるなんて運命的!まあ!まあ!あれが蟲の民セリムならフェンリス兄様よりも格好良いわ!交換したいわねアデス。フェンリス兄様、会いたかったです!」
ソレイユがシッダルタに飛びついた。シッダルタは赤鹿の上なのに軽々と跳躍したソレイユが、シッダルタと地面に転がった。茫然としているシッダルタにソレイユが頬ずりした。
「お、お、おいソレイユ!いきなり失礼だろう?大蜂蟲の子とした挨拶の練習を忘れたのか?」
まあ大変、とソレイユが起き上がり、シッダルタをヒョイと持ち上げて立たせた。ソレイユが不思議そうに顔を傾けた。
「フェンリス兄様は随分軟弱ですのね。ソレイユの方が強いなんてあり得ない。大丈夫、ソレイユの兄様に相応しいように鍛えます」
シッダルタと向かい合って胸を張ったソレイユの顔は、ティダに良く似ていた。隣のアデスはもっと似ている。しかしアデスはティダとは違い頼りなさそうな顔立ち。眉毛の太さと向きのせいだろう。あと雰囲気が丸い。
「皆、驚かせてすまない!僕の客だ!初めましてソレイユさんとアデスさん。ホルフルの民から僕に会いにきたと聞きました。僕はセリム。この国の王子です。何か誤解のようですが彼はシッダルタ。あー、フェンリスとはティダのことですよね?彼の妹さんなんです?」
セリムは近衛兵に戻れと手で促した。ソレイユに腕を組まれているシッダルタに目配せすると、シッダルタが首を横に振った。
「ティダに妹なんて……」
「まあ!フェンリス兄様ではないの?なのに身を呈してソレイユをオーガから助けようとしてくれるなんて、運命の王子様よアデス!蟲の民セリムの方が格好良いけど大蜂蟲の子と番らしいから、他者のものに手は出せないわ。シッダルダ様ソレイユはこの日を待っていました!」
ソレイユが近衛兵に嫌そうに舌を出してから、シッダルタににこにことした無邪気な笑顔を向けた。それからいきなりシッダルタの頬にキスした。
「いい加減にしろよソレイユ!挨拶!練習したのに勝手ばかり!蟲の民セリムが呆れているぞ!あとそのシッダルタ?嫌な少し匂いだからオーガじゃないのか?」
先程シッダルタが「オーガは化物」と言っていたのを思い出した。ソレイユがツカツカとアデスの前に移動して胸に指を当てた。
「バデス!バデス!バーデス!この匂いは悲しい匂いよ!分からないなんてやっぱりアデスは劣等生!ソレイユがオーガを見抜けない訳ないじゃない」
バデスと言う時のソレイユの語感は歌うようだった。ソレイユがくるりと回転してからシッダルタとセリムに会釈した。
「突然会いにきたのにお客だなんて蟲の民セリムは優しいですね。それにソレイユの運命の王子様と友人だなんて素晴らしいわ。ソレイユとアデスはフェンリス兄様の三つ子の兄弟です。兄様はティダというの?もう一人ヘリオスというのがいますが臆病軟弱なので国に置いてきました」
ソレイユがまたシッダルタの腕にしがみついた。
「慎みを持てソレイユ!運命の王子様?表情を見ろ!早速嫌われているじゃないか」
ソレイユが驚いたようにシッダルタの顔を覗き込んだ。顔が近いからかシッダルタが真っ赤になった。セリムでも照れるくらい、鼻と鼻がつきそうなくらい顔が近い。
「違うみたいよ!やっぱりバデスね」
ソレイユがまたシッダルタと腕を組んで肩にもたれかかった。
〈ティダ、君の弟と妹と名乗る人が僕を訪ねて来たんだが……〉
セリムはティダに呼びかけた。
〈あ"あ"ん?俺には弟も妹もいねえ。何処のどいつだ?〉
セリムは子供っぽく話が通じにくそうなソレイユはシッダルタに任せることにしてアデスに向き合った。
「僕が知るフェンリスはティダと呼ばれている。僕の友だ。しかし彼には弟も妹も居ない。別人だろう。僕に何の用事で何処から来たんだい?」
ソレイユがシッダルタから離れてセリムの顔を覗き込んできた。
「ティダって人、オーガひしめくベルセルグ皇国の皇子様?もしそうならフェンリス兄様よ。蟲の民は危険な時にオーガを根絶やしにしてくれるという伝説があるから会いにきたの。私、役に立てるわ!王達が兄様を迎えに行くから蟲の民を帰還祝いにしたら喜ぶと思ったの。それにしてもとても素敵で良い匂い。蟲の民はやっぱり素晴らしいのね」
アデスがソレイユを脇に退かした。ソレイユが「バデス」とアデスを睨み頬を膨らませた。ソレイユの話し方が大蜂蟲の子と似ている気がして頭が痛くなってきた。見た目が大人だから違和感しかない。
「蟲の民セリム殿、俺とソレイユはフェンリス兄上と会ったことがありません。兄上は俺達の存在も知りません。祖国は蟲の民と言えど名前も場所も教えてはいけません」
「私達が生まれた頃に大狼が兄様を奪ったのよ!王達が修行になるって放置するからフェンリス兄様はオーガの大地にまで行ってしまったの。こんなに可愛い妹がいると知らないなんて不幸だわ。私も兄様と生き別れは不幸よ。蟲の民セリム、私とフェンリス兄様が一緒なら国に招いても大丈夫だわ。フェンリス兄様は今何処にいるの?」
フェンリス兄様はティダで間違いなさそうだ。ソレイユがまたシッダルタの腕に抱きついて甘えるように肩にもたれかかった。シッダルタは困っているが、傍若無人なのに妙に愛嬌があるソレイユになすがまま。
〈ティダ。教えてくれないが多分孤高ロトワ龍の民だ。君のことをベルセルグ皇国の皇子とか大狼と生きていると知っている。しかし、よく分からないが生き別れらしい。シッダルタを君と間違えたから顔も知らないようだ。アデスとソレイユというのだが君と容姿が似ている〉
〈なら連れてこい。俺が兄なら目上。弟と妹から会いに来るのが筋ってもんだ。ユパ王と話が終わるまで適当に相手しておけ。呼んだら連れてこい〉
ティダに撥ね付けられて、呼んでももう話せなかった。
「あー、アデス、ソレイユ。ティダは、多分君達の兄フェンリスだろうって人は丁度この国にいる。しかし今は忙しい。時間が出来たら僕がティダの元へ連れて行く。それまで僕のお客様としてこの国を案内しようと思うのだがどうだろう。あと蟲の民とは呼ばないで欲しい。セリムと呼んでくれ」
「まあ!可愛い妹よりも優先する事なんて余程ね。しっかりと支えてあげないとならないわ。蟲の民をひけらかさないなんで謙虚なのねセリム。強そうだし、ジメジメしてないし、王子様らしくないわ。素晴らしいわセリム。オーガの里も貴方がいれば大丈夫ね」
またオーガ。怪物の里?
「ソレイユさん。恥ずかしいので離してもらえると……。それからオーガの里とは?オーガとは怪物のことだろう?この国がオーガの里?」
シッダルタがやんわりとソレイユを腕から離した。ソレイユが顔をしかめた。
「まあ嘘ばかり。恥ずかしいのではなく嫌がっていると伝わってきたわ!ソレイユを袖にするなんて……。素敵だわ。そこらの男と格が違うのねシッダルタ様。アデス、シッダルタ様にソレイユの良いところを知ってもらわないと!そうよ、外界はオーガの大地。油断すると狩られちゃう。怪物なのよ!でも中々会わないわねアデス。それにしてもあの光苔はうんと眩しいわね。でも嫌いじゃないわ」
大蜂蟲の子というよりラステルに何処と無く似ている気がしてきた。ソレイユがいきなり歌い始めた。おまけに踊り始めた。美しい声に、楽しそうで綺麗な旋律。優雅な踊り姿。歌詞は知らない言語。
「歌うとオーガも大人しくなるそうよ。歌も戦闘もソレイユに任せて!セリムの国ならきっと安全。でも突然土とか天井から現れるかもしれないわ!」
ソレイユがセリムの手を握って走り出した。かなり早い。走りながらなのに震えずに、高らかに歌う。妙な客が現れたが全く害はなさそう。むしろ謎に満ちていてワクワクする。
セリムは指笛で赤鹿を呼んだ。セリムはソレイユを抱き上げて赤鹿に飛び乗った。
「国を案内しようソレイユ!僕の妻も歌が好きだ。気が合うかもしれない!」
「変な生物。ソレイユが話せないなんて……ホルフル大蜂蟲の末蟲でしょう?兄弟だって聞いたわ!大蜂蟲の子と私は大親友よ!お互い歌が大好きだもの。別種族と結婚するだなんてセリムは変ね」
ソレイユが鼻歌混じりで辺りを見渡していく。大蜂蟲と話せるのか。ソレイユがラステルと対面したらどういう反応を示すのだろう。
〈スコール君、ラステルだけを連れて来てくれないか?〉
セリムは赤鹿の速度を落とした。大橋の端に民が集まっている。あんな大勢の民の前で蟲関連の話は出来ない。
人垣が分かれて月狼が勢い良くこちらへ向かってきた。やはり月狼は相当速い。ラステルが背中にしがみついている。
「大狼!背中のは何かしら。匂いは大蜂蟲と大蠍蟲とあとアラーネアに……他のもうんと沢山混ざってる。なのに美味しそうな蜜の匂いだわ。でも人の形?ちんちくりんな子蟲ね……」
予想よりもとんでもない発言にセリムは愕然とした。
色々混ざっている、ちんちくりんな子蟲。それが人形人間なのか⁈
「セリム。あの子蟲は何というの?人型蟲?聞いたことも見たこともないわ。話しかけようにも繋がれない。何かが邪魔してる」
ソレイユが腕を組んでむすっとした。ラステルと仲良くなりそうという勘は外れかもしれない。
「彼女はラステル。僕の妻だ」
月狼が赤鹿の前まで来るとセリムは赤鹿から下りた。ソレイユも下ろそうとしたらヒョイっと下りてきた。ラステルが月狼の尾で下ろされる。
「セリム、どなた?私はラステルです。彼の妻です。よろしくお願いします」
ラステルが優雅に会釈した。シュナの動作に似ているので教わったのだろう。
「ちんちくりん子蟲じゃなくてホルフル大蜂蟲の末蟲?どういうことセリム?普通に喋った!ソレイユと同じくらい可愛いわね。それに声が素敵。人型蟲が喋れるなら楽だわ。ソレイユは色んな種族とお話できるからたまに疲れるのよ。ソレイユよラステル。フェンリス兄様の妹です。よろしくどうぞ」
ラステルがポカンと口を開いた。ソレイユがラステルに抱きついて頬にキスした。
「近いと大蜂蟲の匂いが一番するわ。だからホルフル大蜂蟲の末蟲なのね。蟲と番なんてセリムは変かと思ったらこれなら納得だわ。人型なんだもの。結婚出来るわね」
セリムが「ラステルは蟲と間違えられている人だ」と言おうと思ったが大蜂蟲の子が怒っているので口をつぐんだ。
「フェンリス兄様ってティダ師匠のこと?妹って……。だから私が蟲人間だって知っているのねセリム!ティダ師匠の妹さんに褒められたわ!可愛いと声が素敵だなんて嬉しい。貴方もとても美人で素敵な声だわソレイユさん」
ラステルが両手を胸の前で握りしめて左右に揺れた。
「蟲人間という種族なのね。ソレイユが知らないなんて珍種だわ。ラステル。貴方、ソレイユと同じ癖を持っているのね。ソレイユも嬉しいと同じことをするわ。ラステルとソレイユは大親友になれるわね!フェンリス兄様の弟子だなんて、それはもう素晴らしいことよ。ソレイユはフェンリス兄様と今日初めて会えるの。兄様のこと教えて」
ソレイユがラステルと腕を組んだ。ソレイユが月狼に手を伸ばしたが月狼は大人しく触られた。
〈フェンリスの妹?そんなの聞いたことがない。しかし似ている。それにこの女、強い〉
少し怯えたような月狼に対して、ソレイユはラステルと鼻歌混じりでのんびり、呑気そうに歩いていく。
「蟲人間は私しか居ないかもしれないから秘密なのよ。ティダ師匠やセリムが決めた人にだけ教えるの。ソレイユさんはティダ師匠の妹だから大丈夫ね。私は勝手に話しちゃいけないとティダ師匠と心臓に誓っているの。だから一緒に秘密にしてね」
「心臓に?それは大変。フェンリス兄様がそこまで誓わせるとは大切なことなのね。オーガの大地で暮らしてるのだから安全の為ねきっと。秘密よ秘密」
「オーガ?」
「怪物よ!恐ろしいのよ。民を狩るらしいの。人の形をしているけど、嫌な匂いが強いって教わっているわ。ラステルは弱々そうだからソレイユが守ってあげる」
セリムは赤鹿の手綱を引いて月狼と歩き出した。
〈ティダと生き別れ?らしい。弟と妹は三つ子だって言っていた〉
〈フェンリスは何て?呼んでも扉が開かない〉
大狼やティダは扉という表現を良くするがセリムにはピンと来ない。
「セリム!置いていかないでくれ!」
振り返るとアデスを赤鹿に乗せて、赤鹿の手綱を引くシッダルタが大きく手を振っていた。そうだ、シッダルタは今日初めて赤鹿に乗ったから二人乗りは出来ない。
ラステルとソレイユはずんずん進んで遠ざかっていく。
海風が変化して時化の気配がした。帰国して早々、嵐がやってきそうだ。
セリムは海の向こうにうっすらと見える黒い雲から目を逸らした。嵐や大雨もあってこそ人生。
新しい出会いが今度は何を運んでくるのか楽しみだ、そう思うことにした。




