蟲に誘われる娘
狩りが上手くいかない事などラステルが居ないときは日常茶飯事だった。
だが唄子たちは苛立ちを隠せない。既に忘却の彼方、狩りは絶対に成功するものという認識が彼らにある。特に若い衆は昔の事など知らないのだから余計だった。
「蟲姫、村人を餓死させる気か。この役立たず」
「止めなさい!ラステル今日はもういい」
胸倉を掴まれたラステルを庇うようにヴァルはエルモとの間に割り込んだ。ラステルは済まなそうに頭を垂れているだけで反論はしない。
ここのところ生気がない。唄子として以外蟲森に出る事がピタリと無くなった。その理由を問うても固く口を閉ざして目を逸らす。
「早く帰りなさい。」
ラステルは力なく首を振った。
「ヴァル様、甘やかさないでください。唄が失敗するのは構いません。けれども蟲姫はワザとしか思えない」
「私は本気で……」
涙声はすうっと消えていった。
全身を震わしてラステルが蹲る。
ぱきぱきとカゼネが折れる音がヴァルを焦らせた。次第に大きくなり増えていくその音にヴァンの背筋が凍る。
「全員退避。蟲が来る」
今回も諦めるしかない。この一月まるで役に立たないどころかことあるごとに蟲を呼ぶ寄せるラステルをヴァルは睨んだ。本人に自覚がないのがたちの悪い。
注意すればどうにかなるならとっくにそうしているが、そうもいかない。いつ何故ラステルが蟲を呼ぶのかなど本人を含め誰にも分からない。
感情を揺さぶられたから蟲が襲撃してくるというのならばタリア川の村はとっくの昔に滅んでいる。
「ヴァル様、好機では?」
ちらりとラステルを見やってヴァンは滝の村での出来事を思い出す。だがあの時とは違う。いつの間にか立ち上がって遠くを見ているラステルは戸惑っているだけの様だった。
「蟲姫を囮にする!その隙に巣で狩りをする。エルモとガイル、それからパンサーは俺に続け!」
視界に入るカザネをへし折るボーが一匹、二匹と増えて迫ってくる。ヴァルはぼんやりしているラステルの腕を掴み引きずるように走り出した。
バネのように体を伸び縮みさせてボーはカザネの草原を進む。倒れたカザネが無数の足に粉砕され煙の様に舞い上がった。苔と土に混じり黄金の煙が視界を遮る。
「こちらに、ヴァル様」
一足先にコルダに上っていたエルモが縄梯子を投げてよこした。隣の枝には既にパンサーとガイルが居て一番近いボーに向けて蟲笛を鳴らす準備をしていた。
耳鳴りのような蟲笛の根が空気を切り裂く。ボーは手前にあるコルダの固い幹に頭をぶつけた。上手く三半規管を刺激したとヴァルは急いで梯子に足をかけた。
「蟲姫、こい」
「私、行きます。行きたいの」
いつまでたっても昇ってこなかったのはその為だったのか。ラステルが手が届かない場所からさらに遠くへと去っていく。捕まえる事など出来やしない。伸ばした腕が空を切った。梯子を戻る勇気はヴァルには無かった。
その手に蟲笛を握りラステルはボーに歩み寄っていく。方向感覚を失っているボー達はその巨体をゆらゆらと揺らしていた。だがガイルの蟲笛が効いたのは短い時間だけで次第に揺れは収まっていた。もうすぐ完全に元に戻るだろう。
ラステルがマスクに蟲笛を当てた。それを最後にラステルの姿は見えなくなった。ボーの幼生が急に群がってラステルを取り囲んでいた。いや、押しつぶしている。
「蟲姫!」
ガイルの叫びが森に木霊した。ヴァルは無言で眺めた。
「良さないかガイル、この群れには無駄だ」
「離してくださいパンサーさん。ラステルが、ラステルが!」
音を変え、音階を変え、旋律を変えてガイルが蟲笛を吹く。だがボーは影響を受けず、ゆっくりと背を向けて塊のまま去っていく。そこにラステルの姿は残っていなかった。
「蟲姫を連れて行く……」
いつかこんな日が来るのではないかと心配していた。胸に空いた巨大な喪失感の穴。自ら去ったラステル。
この蟲森で泣き叫んでいた不気味な赤子。生身で蟲森を歩き蟲を宥め、時に人非ざる感情に飲まれる娘。
理解できず、時に恐れ、疎んだー……。
「娘を返せ!!」
梯子から飛び降りようとしたヴァルをエルモが引き留めた。叫んでいるとボーの群れの塊から1匹、1匹と去っていった。次第にラステルの姿が現れて、ほっとしたのもつかの間彼女は倒れこんでしまった。
***
お父さん……
呟いた直後無数の腕が離れ去っていく
お願い、置いて行かないで
けれども再び絡まる腕の温かさに安堵した
似た感触を思い出し寂しさが込み上げた
体が冷える
誰もかれも遠い……




